邱永漢さんが、お亡くなりになったことを5月の終わりになってから知った。2012年5月16日にお亡くなりになったらしい。享年88。ご冥福を祈ります。合掌
邱永漢(・・以下、敬称略とさせたいただきます)といえば、「金儲けの神様」や「投資の神様」などのニックネームで、かつてはよく知られていた人だったが、昨今はマネーの話をしたり書いたりする日本人はひじょうに多いので、すっかり影が薄くなってしまっていたような気もする。
このブログでも取り上げようと思っていたのに、訃報を聞くことになったのはたいへん残念なことだ。
ところで、邱永漢といえば、おカネの話以外に、料理の話でも有名な人であった。
現在でも名著の誉れ高い 『食は広州に在り』、食について語った本のなかでは、檀一雄の『檀流クッキング』とならんで、イチオシとしたいものだ。『檀流クッキング』(檀一雄、中公文庫、1975 単行本初版 1970 現在は文庫が改版で 2002) もまた明確な思想のある料理本だ を参照。
邱永漢と檀一雄をならべて書くのは意味がある。
じつはふたりとも純文学志向をもった作家だったのである。檀一雄は大衆小説を量産し、邱永漢は料理とマネーの本で名をなしたが、出発点はともに純文学であった。
そして、ともに東京帝国大学経済学部の出身である。
ほとんど授業にもでず勉強していなかったような檀一雄(1912~1986)と、植民地時代の台湾に生まれ秀才ゆえに内地の帝大に入学した邱永漢(1924~2012)。年齢は、檀一雄のほうが、干支が一回り上である。
まったく異なるタイプのようにも見えるが、経済学という学問には失望したという点においては共通していたようだ。
檀一雄は経済やおカネの話はほとんど書いていないが、邱永漢は、マネー本のなかで、経済学は何の役にも立たなかったと、なんども繰り返している。「食える経済学」を標榜してマネー本を量産していたわけだ。
また、「東大卒業生が入社するようになったら、その業界の成長性は終わり」だということも発言している。成長株(=グロース・ストック)投資にいちはやく注目した邱永漢らしい発言である、
たしかに、コンサルティング業界にもあてはまる話だと、わたしは大いに共感したものである。わたしが入社した頃は、まともな人間はコンサル会社なんかいかなかったものだ。風向きが変わったのは1990年以降である。それ以降、コンサル業界はつまらない業界となってひさしい。
そんな邱永漢であるが、「台湾独立運動」にかかわっていたことを知る人はあまりいないかもしれない。
その時代の経験をもとに描いたのが、『香港・濁水渓』という小説集にまとめられている作品である。『香港』は、日本の敗戦後、日本内地で絶対的に不足していたペニシリンの密輸でカネを荒稼ぎした男の話など、スリリングな内容の小説である。『濁水渓』は、日本の敗戦後の台湾を描いた作品。侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の『悲情城市』の世界である。
20年くらい前に読んだのだが、いずれも読み応えのある作品であった。この機会に復刊されるといいのだが。ぜひ中央公論新社には期待したいものだ。
さて、邱永漢のグルメ本について触れておこう。
日本のビジネスパーソンで知らない人はいないほど有名なフレーズ「食は広州にあり」は、邱永漢の『食は広州に在り』から広まったものであろう。「食在広州」である。
『食は広州に在り』の冒頭に収められた「食在廣州」は以下のように始まる。
「洋楼」(ヨンラウ)「中菜」(ツォンツォイ)「日本老婆」(ヤップンロオポオ)と並べただけで、ハハンとうなずかれる人が少なくないだろう。中国人は天下国家を左右する大理想をふりまわす前にまず生活のことを考える。西洋館に住み、シナ料理を食べ、日本人の妻を娶ることは日常を最も快適に暮らす方法だというのである。・・(以下略)・・
中国人の理想は、金儲けて、白亜の洋館に住んで、日本人を妻とし、広州料理を食べる・・・なるほどと思うのは、改革開放後の中国の富裕層をみればそのとおりだということになるだろう。日本女性が世界的にモテモテなのはさておき、生活中心に考える発想というのは、邱永漢自身も、政治運動から足を洗っての、偽らざる感想なのかもしれない。
連載が始まったのが昭和29年(1954年)、邱永漢が政治活動から足を洗って、台湾からふたたび再来日した年である。この頃の日本は、まさに「高度成長期」がテイクオフしようとしていた時期にあたっていた。
日本人もまた、戦争や天下国家のことではなく、日常生活を豊かにしたいという方向に向かい始めていた。中央公論社の社長から、純文学もいいがおカネや料理の話を書いてみたらと薦められて取り組んでみたら、それが大当たりしたということである。うまく時流にのった企画であったわけだ。
邱永漢には、『食は広州に在り』のほか、『象牙の箸』、 『食前食後-漢方の話-』 、『奥様はお料理がお好き』 、『食指が動く-世界の美味食べ歩き-』 などのグルメ本がある。
檀一雄が執筆に呻吟しているなか、邱永漢が中華包丁と中華鍋を背負って慰問に訪れたという話が、どこかに書いていたのを覚えている。
檀一雄は最後の最期に『リツ子その愛』と『リツ子その死』、『火宅の人』という純文学作品を完成させて世を去ったが、邱永漢はどう思っていたのであろうか。もちろん、最初の志にこだわるかどうかは、ひとぞれぞれであって他人がとやかく言うことではあるまい。
料理というものを本格的に語った作家としても、檀一雄とともに邱永漢の名前は記憶しておきたいものである。しかも、ともにみずから料理をつくる人でもあったことも記憶しておきたい。
ご冥福を祈ります。合掌。
【読売新聞】時代の証言者・邱永漢 前記事
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グルマン(食いしん坊)で、「料理する男」であった折口信夫
『こんな料理で男はまいる。』(大竹 まこと、角川書店、2001)は、「聡明な男は料理がうまい」の典型だ
『きのう何食べた? ⑤ 』(よしなが ふみ、講談社、2010)
■台湾関連
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・・東京・白金台の台北駐日経済文化代表処公邸「芸文サロン」で開催された特別展
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(2015年1月25日 情報追加)
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