イタリアルネサンスの中心地フィレンツェは、15世紀当時の国際金融の中心都市でもあった。
現代イタリアの金融都市といえばミラノだが、中世末期のルネサンス期においては花の都フィレンツェがそうであったのだ。日本においても江戸時代は世界初のコメの先物市場をもっていた大坂が金融の中心であったのに対し、明治時代以降は東京に移ったことにも似ている。
『メディチ・マネー-ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス』のテーマは「マネーとアート」の関係である。より広くいえば、「経済と文化」の関係である。「なぜ金融業者メディチ家は、芸術分野で後世に残るような多大な貢献をなしたのか?」という問いだ。
現代でも、金融業者に対する憎悪が存在する。額に汗して働いているのではないという批判的なまなざしである。この事情は、近代以前も変わらない。というよりも、むしろ激しい憎悪が中世からルネサンス期には存在したことが本書を読むとよくわかる。
ルネサンスという時代は、時代の「移行期」であった。
中世末期から近代初期にかけてのこの時期においては、中世的な価値観と近代的な価値観がせめぎあっていた。この時代に生きた絶頂期のメディチ家当主ロレンツォは、「遅れてきた中世人であり、早すぎた近代人」であったわけなのだ。
当時の西欧社会では、利子を取ることがカトリック教会から禁止されていたが、じっさいには金融業者は、金融取引に現物取引をかませるなどのさまざまなテクニックを駆使して利子を取り、蓄財を図っていた。いつの時代も、法の網をかいくぐる者がいる。
本書には直接の言及はないが、これらのテクニックは、イタリア商人が当時の先進文明であるイスラーム世界の商人から学んだものである。イスラームでは利子徴収は禁止されているが、買戻し契約付き売買などの利子回避のテクニックは「ヒヤル」として当時の西欧世界でも知られていた。
カトリック全盛時代の中世のウズラ(=usura 高利)はインテレスト(=inter-est 利子)へと転換し、初期近代に入ってからはカルヴァンは利子を全面的に是認することになる。ルネサンスは、金融にかんしても移行期でもあったのである。
ルネサンス期もまた、法制度と経済の実態とのあいだに大きなギャップが生まれていた時代である。
(ヴェロッキオによるロレンツォ・ディ・メディチの彫刻 wikipediaより)
当時の西欧社会では、利子を取ることがカトリック教会から禁止されていたが、じっさいには金融業者は、金融取引に現物取引をかませるなどのさまざまなテクニックを駆使して利子を取り、蓄財を図っていた。いつの時代も、法の網をかいくぐる者がいる。
本書には直接の言及はないが、これらのテクニックは、イタリア商人が当時の先進文明であるイスラーム世界の商人から学んだものである。イスラームでは利子徴収は禁止されているが、買戻し契約付き売買などの利子回避のテクニックは「ヒヤル」として当時の西欧世界でも知られていた。
カトリック全盛時代の中世のウズラ(=usura 高利)はインテレスト(=inter-est 利子)へと転換し、初期近代に入ってからはカルヴァンは利子を全面的に是認することになる。ルネサンスは、金融にかんしても移行期でもあったのである。
ルネサンス期もまた、法制度と経済の実態とのあいだに大きなギャップが生まれていた時代である。
メディチ家が全盛期を誇った時代のフィレンツェは二重通貨制度でもあった。フィレンツェもまたそのひとつであった都市国家どうしの合従連衡がさかんで、戦争はカネで雇った傭兵にやらせる時代であった。金融で設けるチャンスが大きかったわけだ。
ヨーロッパ域内貿易と金融はヨーロッパ全域にネットワークをめぐらせていたローマ教皇庁との関係を抜きには不可能であったが、フィレンツェのメディチ家とローマの教皇庁とは同床異夢のパートーナシップであった。金融業者はあくまでも黒子の存在でなければならなかったのである。
中世末期のルネサンスは、カネ儲けが地獄行きに値する後ろめたい行為だとみなされていた時代でもあった。だからこそ、金持ちは散財することによって、批判者からの攻撃をかわす。
キリスト教的な贖罪という観点から自分自身とファミリーの精神的安定と魂の救済をはかり、かつプレスティージを誇示するために、芸術、とくに教会建築と宗教画にパトロンとして多大な投資を行った。その結果、フィレンツェにルネサンス美術が花開いたというわけなのだ。
ルネサンス時代においては、美術はビジネスとはなっていなかったことに注意しておきたい。アートがビジネスになったのは、19世紀以降の「印象派」以降の話であり、15世紀のアートはパトロンの存在なしではありえなかったのである。
本書には、金融ビジネスの成り上がり者が、貴族へとロンダリングするプロセスも描かれている。カーネギーやロックフェラーなど、アメリカの大富豪はみなメディチ家を模範として、芸術活動へのパトロン活動に私財を投じてきた。もちろん現代世界では「節税」という観点も無視できない。
本書の帯に、資生堂名誉会長の福原義春氏が推薦文を書いているのは、メセナ(あるいはフィランスロピー)の分野でのメディチ家の存在が大きいこともあるだろう。福原氏ほど「経済と文化」について語ることのできるビジネス関係者は他にはいない。
臨場感を出すためであろう、過去形をいっさい使用せず、現在形を使用する文体については、好き嫌いが大きく分かれるだろう。また、現代と過去を合わせ鏡にして場面転換させる手法は、映画ならまだしも、本としては読みやすいとはいい難い。
この文体は、正直いって私の好みではないが、著者の意図は、あくまでも歴史を「現在」として捉えようということにあるのだろう。遡及的に過去の歴史に審判を下すのではなく、人物と事物が交差する現場で「現在形」で叙述するという姿勢だ。この文体を使うことによって、歴史には別の可能性(オルタナティブ)があったのではないかということを示したいのだろう。
「マネーとアート」の関係、「経済と文化」の関係について関心のある人は、読んでみるといいだろう。
PS 2015年4月にいってきた「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)をキッカケに、購入したまま「積ん読」となっていた本を読んだ。その際に書いたメモがさらに放置したままとなっていたが、「マネーとアート」の関係を考える好材料としてブログ記事としたものである。(2015年12月15日)
<ブログ内関連記事>
「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行ってきた(2015年4月2日)-テーマ性のある企画展で「経済と文化」について考える ・・この美術展をきっかけに本書を通読
書評 『国境のない生き方-私をつくった本と旅-』(ヤマザキマリ、小学館新書、2015)-「よく本を読み、よく旅をすること」で「知識」は「教養」となる
・・美術を勉強するためにフィレンツェに留学した著者の自分史
書評 『想いの軌跡 1975-2012』(塩野七生、新潮社、2012)-塩野七生ファンなら必読の単行本未収録エッセイ集
・・ローマ帝国を書く以前はイタリアルネサンスを題材にした作品を多数執筆している塩野七生
500年前のメリー・クリスマス!-ラファエロの『小椅子の聖母』(1514年)制作から500年
映画 『王妃マルゴ』(フランス・イタリア・ドイツ、1994)-「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)前後の「宗教戦争」時代のフランスを描いた歴史ドラマ
・・王妃マルゴの兄シャルル9世の母后がメディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスである
書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える
■「アートとマネー」の関係
『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』(三菱一号館美術館)に行ってきた(2015年3月23日)-フランス印象派の名作を一挙に公開。そしてルドンの傑作も! ・・アメリカを代表する財閥の一つメロン家のパトロネージが生んだ美術コレクション
映画 『黄金のアデーレ 名画の帰還』(アメリカ、2015年)をみてきた(2015年12月13日)-ウィーンとロサンゼルスが舞台の時空を超えたユダヤ人ファミリーの物語 ・・「世紀末ウィーン」の芸術にパトロンとして関与したのがユダヤ系実業家たちである
『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)-北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ
・・ドイツのハンブルクの銀行家ファミリーのユダヤ系ヴァールブルク家の長男は、家督相続を放棄してルネサンス美術史研究の一大ライブラリーを作った
書評 『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)-始まりから完成までの「日本近代化」の歴史を渋沢栄一に始まる三代で描く
・・「唐様で売り家と書く三代目」を地で行った渋沢家三代の歴史を描いたノンフィクション作品
■「利子禁止思想」
書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』
・・<書評にかんする付記-「卒論」で取り扱ったテーマ>として、わたし自身が「利子禁止思想」で卒論を書いた際の研究成果の一部を抜粋して書いておいた
ヨーロッパ域内貿易と金融はヨーロッパ全域にネットワークをめぐらせていたローマ教皇庁との関係を抜きには不可能であったが、フィレンツェのメディチ家とローマの教皇庁とは同床異夢のパートーナシップであった。金融業者はあくまでも黒子の存在でなければならなかったのである。
中世末期のルネサンスは、カネ儲けが地獄行きに値する後ろめたい行為だとみなされていた時代でもあった。だからこそ、金持ちは散財することによって、批判者からの攻撃をかわす。
キリスト教的な贖罪という観点から自分自身とファミリーの精神的安定と魂の救済をはかり、かつプレスティージを誇示するために、芸術、とくに教会建築と宗教画にパトロンとして多大な投資を行った。その結果、フィレンツェにルネサンス美術が花開いたというわけなのだ。
ルネサンス時代においては、美術はビジネスとはなっていなかったことに注意しておきたい。アートがビジネスになったのは、19世紀以降の「印象派」以降の話であり、15世紀のアートはパトロンの存在なしではありえなかったのである。
本書には、金融ビジネスの成り上がり者が、貴族へとロンダリングするプロセスも描かれている。カーネギーやロックフェラーなど、アメリカの大富豪はみなメディチ家を模範として、芸術活動へのパトロン活動に私財を投じてきた。もちろん現代世界では「節税」という観点も無視できない。
本書の帯に、資生堂名誉会長の福原義春氏が推薦文を書いているのは、メセナ(あるいはフィランスロピー)の分野でのメディチ家の存在が大きいこともあるだろう。福原氏ほど「経済と文化」について語ることのできるビジネス関係者は他にはいない。
臨場感を出すためであろう、過去形をいっさい使用せず、現在形を使用する文体については、好き嫌いが大きく分かれるだろう。また、現代と過去を合わせ鏡にして場面転換させる手法は、映画ならまだしも、本としては読みやすいとはいい難い。
この文体は、正直いって私の好みではないが、著者の意図は、あくまでも歴史を「現在」として捉えようということにあるのだろう。遡及的に過去の歴史に審判を下すのではなく、人物と事物が交差する現場で「現在形」で叙述するという姿勢だ。この文体を使うことによって、歴史には別の可能性(オルタナティブ)があったのではないかということを示したいのだろう。
「マネーとアート」の関係、「経済と文化」の関係について関心のある人は、読んでみるといいだろう。
目 次
メディチ家系図
年表
第1章 「ウズーラ」によって
第2章 交換の技法
第3章 権力獲得
第4章 「われらが都市の機密事項」
第5章 貴族の血統と白い象
第6章 壮麗なる衰退
文献案内
訳者あとがき
著者プロフィール
ティム・パークス(Tim Parks)
1954年イギリス、マンチェスター生まれ。作家、エッセイスト。ケンブリッジ、ハーヴァード両大学で英文学を修めた後、生活をイタリアに移し、現在、ヴェローナ在住。大学で英文学を講じ、モラヴィア、カルヴィーノ、タブッキら、イタリア現代作家の翻訳者としても名高い。"Tongues of Flame" (サマセット・モーム賞、ベティ・トラスク賞受賞)、"Loving Roger" (ルエリン・リース賞受賞) "Europa"
(ブッカー賞最終候補)をはじめ12作の小説と、7作のエッセイを発表している。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
翻訳者プロフィール
北代美和子(きただい・みわこ)
1953年生まれ。翻訳家。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行ってきた(2015年4月2日)-テーマ性のある企画展で「経済と文化」について考える ・・この美術展をきっかけに本書を通読
書評 『国境のない生き方-私をつくった本と旅-』(ヤマザキマリ、小学館新書、2015)-「よく本を読み、よく旅をすること」で「知識」は「教養」となる
・・美術を勉強するためにフィレンツェに留学した著者の自分史
書評 『想いの軌跡 1975-2012』(塩野七生、新潮社、2012)-塩野七生ファンなら必読の単行本未収録エッセイ集
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500年前のメリー・クリスマス!-ラファエロの『小椅子の聖母』(1514年)制作から500年
映画 『王妃マルゴ』(フランス・イタリア・ドイツ、1994)-「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)前後の「宗教戦争」時代のフランスを描いた歴史ドラマ
・・王妃マルゴの兄シャルル9世の母后がメディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスである
書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える
■「アートとマネー」の関係
『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』(三菱一号館美術館)に行ってきた(2015年3月23日)-フランス印象派の名作を一挙に公開。そしてルドンの傑作も! ・・アメリカを代表する財閥の一つメロン家のパトロネージが生んだ美術コレクション
映画 『黄金のアデーレ 名画の帰還』(アメリカ、2015年)をみてきた(2015年12月13日)-ウィーンとロサンゼルスが舞台の時空を超えたユダヤ人ファミリーの物語 ・・「世紀末ウィーン」の芸術にパトロンとして関与したのがユダヤ系実業家たちである
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・・ドイツのハンブルクの銀行家ファミリーのユダヤ系ヴァールブルク家の長男は、家督相続を放棄してルネサンス美術史研究の一大ライブラリーを作った
書評 『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)-始まりから完成までの「日本近代化」の歴史を渋沢栄一に始まる三代で描く
・・「唐様で売り家と書く三代目」を地で行った渋沢家三代の歴史を描いたノンフィクション作品
■「利子禁止思想」
書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』
・・<書評にかんする付記-「卒論」で取り扱ったテーマ>として、わたし自身が「利子禁止思想」で卒論を書いた際の研究成果の一部を抜粋して書いておいた
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end