「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 西欧中世史 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 西欧中世史 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2015年12月15日火曜日

書評『メディチ・マネー ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス』(ティム・パークス、北代美和子訳、白水社、2007)ー「マネーとアート」の関係を中世から近代への移行期としての15世紀のルネサンス時代に探る

   

イタリアルネサンスの中心地フィレンツェは、15世紀当時の国際金融の中心都市でもあった

 現代イタリアの金融都市といえばミラノだが、中世末期のルネサンス期においては花の都フィレンツェがそうであったのだ。日本においても江戸時代は世界初のコメの先物市場をもっていた大坂が金融の中心であったのに対し、明治時代以降は東京に移ったことにも似ている。  


『メディチ・マネー-ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス』のテーマは「マネーとアート」の関係である。より広くいえば、「経済と文化」の関係である。「なぜ金融業者メディチ家は、芸術分野で後世に残るような多大な貢献をなしたのか?」という問いだ。
現代でも、金融業者に対する憎悪が存在する。額に汗して働いているのではないという批判的なまなざしである。この事情は、近代以前も変わらない。というよりも、むしろ激しい憎悪が中世からルネサンス期には存在したことが本書を読むとよくわかる。
  
ルネサンスという時代は、時代の「移行期」であった。

中世末期から近代初期にかけてのこの時期においては、中世的な価値観と近代的な価値観がせめぎあっていた。この時代に生きた絶頂期のメディチ家当主ロレンツォは、「遅れてきた中世人であり、早すぎた近代人」であったわけなのだ。

(ヴェロッキオによるロレンツォ・ディ・メディチの彫刻 wikipediaより)

当時の西欧社会では、利子を取ることがカトリック教会から禁止されていたが、じっさいには金融業者は、金融取引に現物取引をかませるなどのさまざまなテクニックを駆使して利子を取り、蓄財を図っていた。いつの時代も、法の網をかいくぐる者がいる。

本書には直接の言及はないが、これらのテクニックは、イタリア商人が当時の先進文明であるイスラーム世界の商人から学んだものである。イスラームでは利子徴収は禁止されているが、買戻し契約付き売買などの利子回避のテクニックは「ヒヤル」として当時の西欧世界でも知られていた。

カトリック全盛時代の中世のウズラ(=usura 高利)はインテレスト(=inter-est 利子)へと転換し、初期近代に入ってからはカルヴァンは利子を全面的に是認することになる。ルネサンスは、金融にかんしても移行期でもあったのである。
  
ルネサンス期もまた、法制度と経済の実態とのあいだに大きなギャップが生まれていた時代である。

メディチ家が全盛期を誇った時代のフィレンツェは二重通貨制度でもあった。フィレンツェもまたそのひとつであった都市国家どうしの合従連衡がさかんで、戦争はカネで雇った傭兵にやらせる時代であった。金融で設けるチャンスが大きかったわけだ。

ヨーロッパ域内貿易と金融はヨーロッパ全域にネットワークをめぐらせていたローマ教皇庁との関係を抜きには不可能であったが、フィレンツェのメディチ家とローマの教皇庁とは同床異夢のパートーナシップであった。金融業者はあくまでも黒子の存在でなければならなかったのである。

中世末期のルネサンスは、カネ儲けが地獄行きに値する後ろめたい行為だとみなされていた時代でもあった。だからこそ、金持ちは散財することによって、批判者からの攻撃をかわす
  
キリスト教的な贖罪という観点から自分自身とファミリーの精神的安定と魂の救済をはかり、かつプレスティージを誇示するために、芸術、とくに教会建築と宗教画にパトロンとして多大な投資を行った。その結果、フィレンツェにルネサンス美術が花開いたというわけなのだ。
    
ルネサンス時代においては、美術はビジネスとはなっていなかったことに注意しておきたい。アートがビジネスになったのは、19世紀以降の「印象派」以降の話であり、15世紀のアートはパトロンの存在なしではありえなかったのである。
  
本書には、金融ビジネスの成り上がり者が、貴族へとロンダリングするプロセスも描かれている。カーネギーやロックフェラーなど、アメリカの大富豪はみなメディチ家を模範として、芸術活動へのパトロン活動に私財を投じてきた。もちろん現代世界では「節税」という観点も無視できない。
   
本書の帯に、資生堂名誉会長の福原義春氏が推薦文を書いているのは、メセナ(あるいはフィランスロピー)の分野でのメディチ家の存在が大きいこともあるだろう。福原氏ほど「経済と文化」について語ることのできるビジネス関係者は他にはいない。

臨場感を出すためであろう、過去形をいっさい使用せず、現在形を使用する文体については、好き嫌いが大きく分かれるだろう。また、現代と過去を合わせ鏡にして場面転換させる手法は、映画ならまだしも、本としては読みやすいとはいい難い。

この文体は、正直いって私の好みではないが、著者の意図は、あくまでも歴史を「現在」として捉えようということにあるのだろう。遡及的に過去の歴史に審判を下すのではなく、人物と事物が交差する現場で「現在形」で叙述するという姿勢だ。この文体を使うことによって、歴史には別の可能性(オルタナティブ)があったのではないかということを示したいのだろう。

「マネーとアート」の関係、「経済と文化」の関係について関心のある人は、読んでみるといいだろう。


画像をクリック!


PS 2015年4月にいってきた「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)をキッカケに、購入したまま「積ん読」となっていた本を読んだ。その際に書いたメモがさらに放置したままとなっていたが、「マネーとアート」の関係を考える好材料としてブログ記事としたものである。(2015年12月15日)


目 次


メディチ家系図
年表
第1章 「ウズーラ」によって
第2章 交換の技法
第3章 権力獲得
第4章 「われらが都市の機密事項」
第5章 貴族の血統と白い象
第6章 壮麗なる衰退
文献案内
訳者あとがき


著者プロフィール

ティム・パークス(Tim Parks)
1954年イギリス、マンチェスター生まれ。作家、エッセイスト。ケンブリッジ、ハーヴァード両大学で英文学を修めた後、生活をイタリアに移し、現在、ヴェローナ在住。大学で英文学を講じ、モラヴィア、カルヴィーノ、タブッキら、イタリア現代作家の翻訳者としても名高い。"Tongues of Flame" (サマセット・モーム賞、ベティ・トラスク賞受賞)、"Loving Roger" (ルエリン・リース賞受賞) "Europa"
(ブッカー賞最終候補)をはじめ12作の小説と、7作のエッセイを発表している。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


翻訳者プロフィール

北代美和子(きただい・みわこ)
1953年生まれ。翻訳家。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<ブログ内関連記事>

「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行ってきた(2015年4月2日)-テーマ性のある企画展で「経済と文化」について考える ・・この美術展をきっかけに本書を通読

書評 『国境のない生き方-私をつくった本と旅-』(ヤマザキマリ、小学館新書、2015)-「よく本を読み、よく旅をすること」で「知識」は「教養」となる
・・美術を勉強するためにフィレンツェに留学した著者の自分史

書評 『想いの軌跡 1975-2012』(塩野七生、新潮社、2012)-塩野七生ファンなら必読の単行本未収録エッセイ集
・・ローマ帝国を書く以前はイタリアルネサンスを題材にした作品を多数執筆している塩野七生

500年前のメリー・クリスマス!-ラファエロの『小椅子の聖母』(1514年)制作から500年

映画 『王妃マルゴ』(フランス・イタリア・ドイツ、1994)-「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)前後の「宗教戦争」時代のフランスを描いた歴史ドラマ
・・王妃マルゴの兄シャルル9世の母后がメディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスである

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える


「アートとマネー」の関係

『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』(三菱一号館美術館)に行ってきた(2015年3月23日)-フランス印象派の名作を一挙に公開。そしてルドンの傑作も! ・・アメリカを代表する財閥の一つメロン家のパトロネージが生んだ美術コレクション

映画 『黄金のアデーレ 名画の帰還』(アメリカ、2015年)をみてきた(2015年12月13日)-ウィーンとロサンゼルスが舞台の時空を超えたユダヤ人ファミリーの物語 ・・「世紀末ウィーン」の芸術にパトロンとして関与したのがユダヤ系実業家たちである

『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)-北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ
・・ドイツのハンブルクの銀行家ファミリーのユダヤ系ヴァールブルク家の長男は、家督相続を放棄してルネサンス美術史研究の一大ライブラリーを作った

書評 『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)-始まりから完成までの「日本近代化」の歴史を渋沢栄一に始まる三代で描く
・・「唐様で売り家と書く三代目」を地で行った渋沢家三代の歴史を描いたノンフィクション作品


「利子禁止思想」

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』
・・<書評にかんする付記-「卒論」で取り扱ったテーマ>として、わたし自身が「利子禁止思想」で卒論を書いた際の研究成果の一部を抜粋して書いておいた


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2015年9月22日火曜日

書評『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる ― 21世紀の教養を創るアメリカのリベラルアーツ教育』(菅野恵理子、アルテス、2015)― 音楽は「実学」であり、かつ「教養」でもある



『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる  ―  21世紀の教養を創るアメリカのリベラルアーツ教育』(菅野恵理子、2015)は、音楽関係の書籍の専門出版社アルテスの新刊。

たまたま書店の店頭でみかけてすぐさま購入することにしたのは、「リベラルアーツとしての音楽」というテーマが、わたしには刺さるものがあるからだ。

「ハーバード白熱教室」の成功以来、ハーバードと冠につけた便乗本があふれている。だが、本書はそうではない。アメリカではじめて総合大学に音楽学科を新設したのがハーバード大学だからだ。ハーバード大学をはじめとするアメリカの著名な総合大学における音楽教育への取り組みを網羅的に取り上げて解説している。

ハーバード大学で音楽教育がはじまったのは、意外なことに1855年のことらしい。たかだか160年前に過ぎないのである。その後、イェール大学やコロンビア大学、スタンフォード大学など、名だたる総合大学が音楽学科を設置するようになって現在に至っているのだが、なんと MIT のような工科大学でも「音楽学科が設置されているのである! 音楽教育が、演奏家育成を目的にしたものだけでなく、広い意味でリベラルアーツ(・・いわゆる「教養」)に位置づけられているためだ。

日本では大学レベルの音楽教育といえば、もっぱら芸術系大学が中心となっているが、アメリカでは総合大学の音楽学部出身者の演奏家が少なくない。ジュリアード音楽院などの音楽大学を凌駕(りょうが)する勢いがあるようだ。音楽を演奏技術だけでなく、幅広いパースペクティブのもと、社会のなかに位置づけていることが大きな意味をもっているのだ。

さらにいえば、音楽を楽しむ層の裾野を広げるということも、総合大学の音楽大学の使命とされている。鑑賞するだけでなく、みずから演奏する楽しみである。もちろん基本となるクラシック音楽が中心であるが、ジャズやロック、民族音楽にも目配りは広い。

アメリカの音楽学部や音楽学科では、プロの演奏家志望の学生だけでなく、他学部の学生も履修可能である。演奏家志望の学生にとっては「実学」であり、そうではないが音楽を愛し楽しむ学生にとっては、現代社会に生きるための「教養」となる。ここで「教養」といったが、それはたんなる「知識」のことではないことは言うまでもないだろう。

音楽は、ラテン語でいえば、アルテス・メカニカエ(artes mechanicae)であり、アルテス・リベラーレス(artes liberales)でもある。後者は英語のリベラルアーツのことだが、アート(art)を「芸術」と訳したのでは本当の意味が見えてこない。アートは、芸術であり技術でもある。つまりは「術」ということがその本質である。

「第4章 音楽はいつから<知>の対象になったのか-音楽の教養教育の歴史」において、古代ギリシアから古代ローマ、そして西欧中世を経て、音楽の国ドイツからアメリカへの流れをくわしくトレースしているが、そもそも音楽をリベラルアーツとして位置づけてきたのが西欧文明なのである。

古代ローマから中世にかけて音楽は数学として理論的に捉えられてきたが、演奏技術と音楽理論の乖離(かいり)が存在したといえるかもしれない。近代以降、とくにルター改革を経たドイツでは「数学としての音楽」ではなく、「音楽としての音楽」が主流となり、その延長線上にアメリカの音楽教育があることが本書に記されている。具体的にいえば、ドイツ北部のゲッティンゲン大学に学んだアメリカ人教育者たちが、ハーバード大学においてその路線を継承したのである。

アメリカでは「音楽の知」という観点から、音楽が積極的に評価されていること。総合大学における位置づけは、本書によれば以下のようになる。

●ハーバード大学: 音楽で「多様な価値観を理解する力」を育む
●ニューヨーク大学: 音楽で「歴史をとらえる力」を学ぶ
●マサチューセッツ工科大学: 音楽で「創造的な思考力」を高める
●スタンフォード大学: 音楽で「真理に迫る質問力」を高める
●カリフォルニア大学バークレー校: 地域文化研究の一環として
●コロンビア大学とジュリアード音楽院: 単位互換から協同学位へ

古代ギリシアでは、集団間でのハーモニー(=調和)を生み出し、個としての人格陶冶(とうや)となるという観点から、音楽は「市民」(=自由人)のたしなみであったことが想起される。まさにリベラルアーツが、奴隷ではない「自由」人を「自由」人たらしめるものであることのよりどころであった。その意味では、西洋音楽を導入した日本が、音楽を音「学」ではなく、音「楽」として受容したことは意味あることであったと思うのである。

本書は、あらたな時代のリベラルアーツのあり方について、教育改革の最中にある日本の大学にとっても示唆するものが多いといえよう。また、音楽専攻を志している若者たちへの大きな動機付けにもなるだろう。

ただ、音楽を専攻していない人にとっては、やや理解しにくい点が多々あるのが残念だ。内容的には盛りすぎ、詰め込みすぎなので、やや読みにくいの。もうすこし内容を練ってストーリー性をもたほうが良かったのではないかと思う。「社会と音楽の関係」というテーマについては、テーマがテーマだけに社会学的な考察もほしい。

音楽学部が、演奏家育成という実技教育(あるいは「実学」教育)であり、かつリベラルアーツ教育(=「教養」教育)でもあるというその意味について、両者の複雑で微妙な関係についての突っ込んだ考察がほしいところだが、これは後日に期すべきことであろう。

「リベラルアーツとしての音楽」というテーマは、今後さらに重要になるといっていい。いまだに存在する「教養イコール読書」という旧来型の思い込みは、早く捨て去る必要がある。アメリカから学ぶべきことは、まだまだ多い。


画像をクリック!

目 次

はじめに
第1章 音楽<も>学ぶ-教養としての音楽教育
 音楽はいつから大学の中にあたのか?
 ハーバード、スタンフォード、ニューヨーク大学-各大学で1000人以上が音楽を履修
第2章 音楽<を>学ぶ-大学でも専門家が育つ
 音楽学科はどこに属しているのか?
 音楽を中心に幅広く学びたい
 音楽の専門家をめざして
 なぜ大学で音楽を?
 大学と音楽院の提携プログラムから
 音楽院でも高まるリベラルアーツ教育の需要
第3章 音楽を<広げる>-社会の中での大学院の新しい使命
 大学から社会へ-どのように実社会へつないでいくのか
 実社会は音楽・芸術をどう見ているのか?
 社会から大学へ
第4章 音楽はいつから<知>の対象になったのか-音楽の教養教育の歴史
 リベラルアーツの未分化期
 リベラルアーツの広まり
 リベラルアーツの学位化
 リベラルアーツの近代化
 リベラルアーツの拡大化
第5章 音楽<で>学ぶ-21世紀、音楽の知をもっと生かそう
 グローバル時代に求められる人間像は?
 大学のリベラルアーツは変わるのか?
 未来世代はどのような音楽環境を迎えるのか?
おわりに-音楽の豊かなポテンシャルをみいだして
引用・参考文献
コラム
インタヴュー


著者プロフィール

菅野恵理子(すがの・えりこ)
音楽ジャーナリストとして世界を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を連載中(ピティナHP)。著書にインタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。(出版社サイトより)



PS ジュリアード音楽院とコロンビア大学の「コンバインド・プログラム」

コラムで世界的なヴァイオリニスト・諏訪内晶子のインタビューがあるが、くわしくは彼女自身の著書 『ヴァイオリンと翔る』(NHKライブラリー、2001 単行本初版 1998)を参照。ジュリアード音楽院とコロンビア大学の「コンバインド・プログラム」を受講し、コロンビア大学では政治学や政治思想史の授業を聴講したという。とくに日本人にとっては、西洋音楽が生み出されてきた背景についての深い知識が不可欠である。


<ブログ内関連記事>

リベラルアーツ

書評 『大学とは何か』(吉見俊哉、岩波新書、2011)-特権的地位を失い「二度目の死」を迎えた「知の媒介者としての大学」は「再生」可能か?

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは

書評 『教養の力-東大駒場で学ぶこと-』(斎藤兆史、集英社新書、2013)-新時代に必要な「教養」を情報リテラシーにおける「センス・オブ・プローポーション」(バランス感覚)に見る

『キーワードで学ぶ 知の連環-リベラルアーツ入門-』(玉川大学リベラルアーツ学部編、玉川大学出版会、2007)で、現代世界を理解するための基礎をまずは「知識」として身につける

ビジネスパーソンに「教養」は絶対に不可欠!-歴史・哲学・宗教の素養は自分でものを考えるための基礎の基礎

"Whole Earth Catalog" -「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」を体現していたジョブズとの親和性

"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと


「教養」としての音楽

書評 『ラテン語宗教音楽 キーワード事典』(志田英泉子、春秋社、2013)-カトリック教会で使用されてきたラテン語で西欧を知的に把握する

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された
・・現代音楽につながる賛美歌は、ルターによる宗教改革から始まった

書評 『オーケストラの経営学』(大木裕子、東洋経済新報社、2008)-ビジネス以外の異分野のプロフェッショナル集団からいかに「学ぶ」かについて考えてみる

「鈴木未知子リサイタル2015@船橋きららホール~未知なる道の途中で~」(2015年4月19日)で、中東世界の楽器カーヌーンとアフリカ起源のマリンバを聴く


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end