「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 移行期 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 移行期 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2026年7月17日金曜日

書評『世界の経営幹部はなぜ日本に感化されるのか ― 伝統文化の叡智に学ぶビジネスの未来』(高津尚志、日本経済新聞出版、2025)― 日本のハイカルチャーから「気づき」を得る世界のエグゼクティブ候補たち。そのかれらの「気づき」から、さらに日本人が学ぶべきことはなにか


 
「オーバーツーリズム」が度を越して、「インバウンド公害」とまで言いたくなるほど外国人が殺到する現在の日本。 

円安がその大きな理由の一つだが、それだけではない。基本的に、日本のポップカルチャー、とくにアニメやマンガが世界的に浸透しているという現実が根底にある。アニメの舞台になっている日本をこの目で見て、体験したいという動機である。 

「なぜ世界中の人たちが日本に憧れるのか?」こんな問いがなされるようになるとは、10年前、20年前には考えもしなかったことだ。だが、インバウンドの巨大潮流のなか、日本人もその意味にようやく気がつき始めているといっていいかもしれない。 

  
スイスのビジネススクールIMDの、いわゆる「エグゼクティブMBA」で学ぶ外国人経営幹部むけの日本での研修を企画し実行してきた著者が、研修の中身を紙上で再現し、書籍化したものだ。 

アニメやマンガといったポップカルチャーではなく、いわゆる「伝統文化」とされているハイカルチャーを実際に没入体験させ、チームワークを通じて参加者に「気づき」をもたらすことを意図したプログラムである。 




プログラムに登場するのは、禅、生け花、合気道、日本酒の4つである。もしかすると、日本人でも体験したことがないものばかりかもしれない。(・・残念ながら、日本酒もそうなりつつあるようだ。日本酒はポピュラーカルチャーからハイカルチャーに格上げか?)。

この本を読んでみることにしたのは、合気道が取り上げられているからだ。留学中のことだが、わたしは米国で英語で AIKIDO を指導した経験がある。合気道が米国人にどう受け取られているかについては熟知しているつもりだ。

外国人ならずとも、プログラムのそれぞれに「気づき」を得ることができるだろうが、個人単位ではなくチームで取り組んだなら、なおさら得るものは多いだろう。本書を読む日本人(・・おそらく、経営幹部を目指すなど上昇志向をもった「意識高い系」のビジネスパーソン)にとっても、外国人の「気づき」から、さらに自分自身の「気づき」が得られるはずだ。

ただし、禅や生け花、合気道などは、あくまでもハイカルチャーであって、現在の日本人の日常のライフスタイルからかけ離れた「伝統文化」となってしまっている。
(・・ただし、大正時代に成立した合気道が「伝統文化」であるかどうかは、異論もあろう。そもそも柔道であれ剣道であれ、明治時代以降に確立した「近代武道」であり、「伝統文化」であるかどうかは意見が分かれるところだ)。 

とはいうものの、日本人ならどれか一つでもいから、意識的に取り組んでみることに意味あるだろう。みずからの「内なる日本」に目覚めることが必要だからだ。ポップカルチャーに無意識的に体現されているものだけではない、「内なる日本」を意識し、自覚的になることが大事である。 

さらに重要なことは、「日本的価値観」をふくめた「日本文化」がポジティブな価値付けがなされてグローバルに定着しつつある状況と、現実の日本人が無意識的に「常識」としているものに大きなギャップが存在するようになっていることに自覚的になることだ。 

具体的にどういうことかというと、日本ではあまり知られていないようだが、小文字で始まる zen が「リラックスして雑音にわずらわされない精神状態」を意味する英語の形容詞として定着し、現代人のライフスタイルを支える重要な価値観として、日本人以外の人びとのあいだで内在化されるようになってきている。mindfullness と同様、zen もまた禅仏教とはもはや関係のない存在となっている。

これは、wabi-sabi (わびさび)や ikigai(生きがい)も同様で、これらをタイトルにした英語の本はベストセラーとなり、ロングセラー化している。WABI SABI: Japanese Wisdom for a Perfectly Imperfect Life(by  Beth Kempton) や IKIGAI: The Japanese Secret to a Long and Happy Life(by  Hector GARCIA & Fransec Miralles) がそれだ。

茶道に由来して一般化した日本語の ichigo-ichie(一期一会)もまたそうだ。IKIGAI の著者たちによる  The Book of Ichigo Ichie: The Art of Making the Most of Every Moment, the Japanese Way である。

日本的価値観が、現代社会を生きるうえで、きわめて重要だと世界的に受け取られるようになりつつあるのだ、

このような状況のなか、すでにグローバル化されてしまった世界で生きることを余儀なくされている現代日本人に必要なことは、以下のようにまとめることも可能ではないだろうか。

英語圏における zen や wabi-sabi などについて、その日本語本来の意味と現代日本における意味の変容、そして英語化されたコトバとの外形的な共通性だけでなく、両者のあいだに存在する意味のズレを意識し、敏感になること。これがコミュニケーションにおいて必要となる。英語圏以外の言語圏においても、基本的に英語圏の影響を大きくうけるからだ。日本以外のアジアも同様だ。

そのためには、高度なマインドセットと、脳内での複雑な知的操作が必要であろうが・・・


画像をクリック!



目 次
プロローグ トップビジネススクールが、いま日本からなにを学ぼうとしているのか? 
第1講  禅に学ぶ自己のマネジメント 不安と対峙し、ゆるぎない自分を確立するには 
第2講 生け花に学ぶチームのマネジメント 真の協力を生み出し、イノベーションを出現させるには 
第3講 合気道に学ぶ自他共栄のマネジメント 競合やパートナーとともに、市場や社会に貢献するには 
第4講 日本酒に学ぶ社会・環境との持続的共生 質を求め、自然と向き合い、場を豊かにするには 
特別講義 日本文化の「きく力」をどう生かすか?(エバレット・ケネディ・ブラウン) 
リフレクション 移行期における「日本」への視線と自己認識のギャップ 
エピローグ 世界の経営幹部を感化する日本 
解説/あとがき/参考文献一覧/講師紹介


著者プロフィール
高津尚志(たかつ・なおし)
IMD北東アジア代表。早稲田大学、INSEAD(MBA)、桑沢デザイン研究所、IMDなどで学ぶ。日本興業銀行、ボストンコンサルティンググループ、リクルートを経て現職。スイスIMDビジネススクールの日本における代表として、主に日本企業のグローバル経営幹部育成の支援に従事する。日本の競争力向上に向けた産官学の対話促進の活動にも取り組み、日本の伝統文化の世界のリーダー教育への活用や日欧間の芸術・文化交流にもかかわる。カナダとフランスに留学したほか、世界数十カ国を訪問する一方、「日本再発見塾」実行委員も務め、日本の地域文化にも親しむ。大学院大学至善館理事。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


画像をクリック!


PS 講道館柔道と合気道の融合から生まれた「望月流合気道」

合気道が取り上げられているので読んでみたわけだが、合気会に所属しているわたしは、講師が所属する「望月流合気道」というのは知らなかった。講道館の嘉納治五郎が植芝盛平のもとに送り込んだ弟子の系統にあるものだそうだ。なるほど「精力善用」というコンセプトは、講道館ならではだな、と。 


PS2 「いま、ここ」は英語では「here now」。そのズレを意識せよ!

本書の「生け花」の項で「いま、ここ」の重要性が説かれていて(p.108)、そのことにかんしては大いに賛同するものであるが、「いま、ここ」の英語表記が now & here になっていることには違和感を感じる。英語では here now とするのが一般的だからだ。

そのほうが英語の口調として自然であり、『Be Here Now』という1971年に米国で出版された有名なスピリチュアルものの古典もあるくらいだ。 日本語訳のタイトルも『ビ・ヒア・ナウ 心の扉をひらく本』となっている。スティーブ・ジョブズの愛読書でもあった。

もちろん、英語においては、自分がいる場を中心に外側へ拡がっていく「ズームアウト」の発想が基本であり、日本語においては、全体から部分に向かう「ズームインの発想」が基本である。これは姓名の表記や住所表記に端的に表れる。日本語と英語は真逆になる。

「いま、ここ」は、「いま」この瞬間が「ここ」という場になるという発想であり、「随所に主となる」という禅仏教の『臨済録』のフレーズを想起させる。どこにいようが、「いま」が「ここ」になるのである。「いま」という瞬間に、「ここ」という自分がいる場が定まるのである。

「いま、ここ」と「here now」の意味論的なズレについて考察を深める必要があろう。 これは「古き良き日々」と「good old days」にも当てはまることだ。これまた単なる口調の良さだけでんばく、後者の英語的発想においては、「good」(良き)は「old days」(古き日々)の全体を形容しているのである。

日本語の発想と英語の発想の違いに敏感になることが必要だ。そのことがわかっていたうえで、あえて意図的に「now & here」としたのであれば、それはそれで意味があるといっていいのだが・・・


画像をクリック!



<ブログ内関連記事>

・・「「西洋人の目」とは、いわゆる「オリエンタリズム」のプリズムをいったん通過した日本であり、龍安寺の石庭や高野山といった、伝統的で、精神的な日本である。「タイ人の目」とは、著者と同世代以下のタイ人がものごころついてからドップリと浸かってきた日本のマンガでありアニメをつうじたものであり、また日本映画をつうじて同世代以下の一般のタイ人には親しい世界である。この両者が作家のなかで同居し、両立することで、あくまでも同時代人とて、等身大の日本をみる視点ができあがっているようなのだ。」  ポップカルチャーをベースにハイカルチャーまで進むことが、日本人にとっても重要であろう

・・明治時代以降に「西欧近代化」した表層の日本と、依然として生き続ける深層の古き日本。深層の日本には二面性がある。そのまま善なるものであるわけではない

・・正座が日本で一般的に普及するようになったのは明治時代以降のこと。室町時代以来の「日本文化」である茶の湯だが、それ以前は限られた人たちのあいだで行われていたに過ぎない

・・「伝統」は「創られる」もの。「伝統文化」を盲目的にありがたく受け取るのではなく、その意味を知的に考察することが重要

・・「動く禅」(moving Zen)は英語圏では AIKIDO愛好家のあいだではよく知られたフレーズ








(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2015年12月15日火曜日

書評『メディチ・マネー ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス』(ティム・パークス、北代美和子訳、白水社、2007)ー「マネーとアート」の関係を中世から近代への移行期としての15世紀のルネサンス時代に探る

   

イタリアルネサンスの中心地フィレンツェは、15世紀当時の国際金融の中心都市でもあった

 現代イタリアの金融都市といえばミラノだが、中世末期のルネサンス期においては花の都フィレンツェがそうであったのだ。日本においても江戸時代は世界初のコメの先物市場をもっていた大坂が金融の中心であったのに対し、明治時代以降は東京に移ったことにも似ている。  


『メディチ・マネー-ルネサンス芸術を生んだ金融ビジネス』のテーマは「マネーとアート」の関係である。より広くいえば、「経済と文化」の関係である。「なぜ金融業者メディチ家は、芸術分野で後世に残るような多大な貢献をなしたのか?」という問いだ。
現代でも、金融業者に対する憎悪が存在する。額に汗して働いているのではないという批判的なまなざしである。この事情は、近代以前も変わらない。というよりも、むしろ激しい憎悪が中世からルネサンス期には存在したことが本書を読むとよくわかる。
  
ルネサンスという時代は、時代の「移行期」であった。

中世末期から近代初期にかけてのこの時期においては、中世的な価値観と近代的な価値観がせめぎあっていた。この時代に生きた絶頂期のメディチ家当主ロレンツォは、「遅れてきた中世人であり、早すぎた近代人」であったわけなのだ。

(ヴェロッキオによるロレンツォ・ディ・メディチの彫刻 wikipediaより)

当時の西欧社会では、利子を取ることがカトリック教会から禁止されていたが、じっさいには金融業者は、金融取引に現物取引をかませるなどのさまざまなテクニックを駆使して利子を取り、蓄財を図っていた。いつの時代も、法の網をかいくぐる者がいる。

本書には直接の言及はないが、これらのテクニックは、イタリア商人が当時の先進文明であるイスラーム世界の商人から学んだものである。イスラームでは利子徴収は禁止されているが、買戻し契約付き売買などの利子回避のテクニックは「ヒヤル」として当時の西欧世界でも知られていた。

カトリック全盛時代の中世のウズラ(=usura 高利)はインテレスト(=inter-est 利子)へと転換し、初期近代に入ってからはカルヴァンは利子を全面的に是認することになる。ルネサンスは、金融にかんしても移行期でもあったのである。
  
ルネサンス期もまた、法制度と経済の実態とのあいだに大きなギャップが生まれていた時代である。

メディチ家が全盛期を誇った時代のフィレンツェは二重通貨制度でもあった。フィレンツェもまたそのひとつであった都市国家どうしの合従連衡がさかんで、戦争はカネで雇った傭兵にやらせる時代であった。金融で設けるチャンスが大きかったわけだ。

ヨーロッパ域内貿易と金融はヨーロッパ全域にネットワークをめぐらせていたローマ教皇庁との関係を抜きには不可能であったが、フィレンツェのメディチ家とローマの教皇庁とは同床異夢のパートーナシップであった。金融業者はあくまでも黒子の存在でなければならなかったのである。

中世末期のルネサンスは、カネ儲けが地獄行きに値する後ろめたい行為だとみなされていた時代でもあった。だからこそ、金持ちは散財することによって、批判者からの攻撃をかわす
  
キリスト教的な贖罪という観点から自分自身とファミリーの精神的安定と魂の救済をはかり、かつプレスティージを誇示するために、芸術、とくに教会建築と宗教画にパトロンとして多大な投資を行った。その結果、フィレンツェにルネサンス美術が花開いたというわけなのだ。
    
ルネサンス時代においては、美術はビジネスとはなっていなかったことに注意しておきたい。アートがビジネスになったのは、19世紀以降の「印象派」以降の話であり、15世紀のアートはパトロンの存在なしではありえなかったのである。
  
本書には、金融ビジネスの成り上がり者が、貴族へとロンダリングするプロセスも描かれている。カーネギーやロックフェラーなど、アメリカの大富豪はみなメディチ家を模範として、芸術活動へのパトロン活動に私財を投じてきた。もちろん現代世界では「節税」という観点も無視できない。
   
本書の帯に、資生堂名誉会長の福原義春氏が推薦文を書いているのは、メセナ(あるいはフィランスロピー)の分野でのメディチ家の存在が大きいこともあるだろう。福原氏ほど「経済と文化」について語ることのできるビジネス関係者は他にはいない。

臨場感を出すためであろう、過去形をいっさい使用せず、現在形を使用する文体については、好き嫌いが大きく分かれるだろう。また、現代と過去を合わせ鏡にして場面転換させる手法は、映画ならまだしも、本としては読みやすいとはいい難い。

この文体は、正直いって私の好みではないが、著者の意図は、あくまでも歴史を「現在」として捉えようということにあるのだろう。遡及的に過去の歴史に審判を下すのではなく、人物と事物が交差する現場で「現在形」で叙述するという姿勢だ。この文体を使うことによって、歴史には別の可能性(オルタナティブ)があったのではないかということを示したいのだろう。

「マネーとアート」の関係、「経済と文化」の関係について関心のある人は、読んでみるといいだろう。


画像をクリック!


PS 2015年4月にいってきた「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)をキッカケに、購入したまま「積ん読」となっていた本を読んだ。その際に書いたメモがさらに放置したままとなっていたが、「マネーとアート」の関係を考える好材料としてブログ記事としたものである。(2015年12月15日)


目 次


メディチ家系図
年表
第1章 「ウズーラ」によって
第2章 交換の技法
第3章 権力獲得
第4章 「われらが都市の機密事項」
第5章 貴族の血統と白い象
第6章 壮麗なる衰退
文献案内
訳者あとがき


著者プロフィール

ティム・パークス(Tim Parks)
1954年イギリス、マンチェスター生まれ。作家、エッセイスト。ケンブリッジ、ハーヴァード両大学で英文学を修めた後、生活をイタリアに移し、現在、ヴェローナ在住。大学で英文学を講じ、モラヴィア、カルヴィーノ、タブッキら、イタリア現代作家の翻訳者としても名高い。"Tongues of Flame" (サマセット・モーム賞、ベティ・トラスク賞受賞)、"Loving Roger" (ルエリン・リース賞受賞) "Europa"
(ブッカー賞最終候補)をはじめ12作の小説と、7作のエッセイを発表している。 (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


翻訳者プロフィール

北代美和子(きただい・みわこ)
1953年生まれ。翻訳家。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<ブログ内関連記事>

「ボッティチェリとルネサンス-フィレンツェの富と美-」(Bunkamura ザ・ミュージアム)に行ってきた(2015年4月2日)-テーマ性のある企画展で「経済と文化」について考える ・・この美術展をきっかけに本書を通読

書評 『国境のない生き方-私をつくった本と旅-』(ヤマザキマリ、小学館新書、2015)-「よく本を読み、よく旅をすること」で「知識」は「教養」となる
・・美術を勉強するためにフィレンツェに留学した著者の自分史

書評 『想いの軌跡 1975-2012』(塩野七生、新潮社、2012)-塩野七生ファンなら必読の単行本未収録エッセイ集
・・ローマ帝国を書く以前はイタリアルネサンスを題材にした作品を多数執筆している塩野七生

500年前のメリー・クリスマス!-ラファエロの『小椅子の聖母』(1514年)制作から500年

映画 『王妃マルゴ』(フランス・イタリア・ドイツ、1994)-「サン・バルテルミの虐殺」(1572年)前後の「宗教戦争」時代のフランスを描いた歴史ドラマ
・・王妃マルゴの兄シャルル9世の母后がメディチ家出身のカトリーヌ・ド・メディシスである

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える


「アートとマネー」の関係

『ワシントン・ナショナル・ギャラリー展』(三菱一号館美術館)に行ってきた(2015年3月23日)-フランス印象派の名作を一挙に公開。そしてルドンの傑作も! ・・アメリカを代表する財閥の一つメロン家のパトロネージが生んだ美術コレクション

映画 『黄金のアデーレ 名画の帰還』(アメリカ、2015年)をみてきた(2015年12月13日)-ウィーンとロサンゼルスが舞台の時空を超えたユダヤ人ファミリーの物語 ・・「世紀末ウィーン」の芸術にパトロンとして関与したのがユダヤ系実業家たちである

『蛇儀礼』 (アビ・ヴァールブルク、三島憲一訳、岩波文庫、2008)-北米大陸の原住民が伝える蛇儀礼に歴史の古層をさぐるヒントをつかむ
・・ドイツのハンブルクの銀行家ファミリーのユダヤ系ヴァールブルク家の長男は、家督相続を放棄してルネサンス美術史研究の一大ライブラリーを作った

書評 『渋沢家三代』(佐野眞一、文春新書、1998)-始まりから完成までの「日本近代化」の歴史を渋沢栄一に始まる三代で描く
・・「唐様で売り家と書く三代目」を地で行った渋沢家三代の歴史を描いたノンフィクション作品


「利子禁止思想」

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』
・・<書評にかんする付記-「卒論」で取り扱ったテーマ>として、わたし自身が「利子禁止思想」で卒論を書いた際の研究成果の一部を抜粋して書いておいた


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end

2015年4月1日水曜日

16世紀初頭のドイツが生んだ 『ティル・オイレンシュピーゲル』― エープリルフールといえば道化(フール)④



「エープリルフールといえば道化」というシリーズで、毎年4月1日のアープリルフールにブログ記事を書いてきたが、今回は道化とは言い切れないが、きわめて攻撃的道化の要素を備えたティル・オイレンシュピーゲルを紹介しておこう。


16世紀ドイツの民衆本 『ティル・オイレンシュピーゲル』

『ティル・オイレンシュピーゲル』は、日本ではそれほどポピュラーではないが、歴史学者で社会史の提唱者であった、わが恩師の阿部謹也先生がその数々の著者で紹介してから、日本でも知られてきたのではないかと思う。わたしが大学を卒業したあと、1990年には岩波文庫から全訳を出版されている。

16世紀初頭に誕生してから500年余もドイツでは人気の作品である。現在でもさまざまなバリエーションが作成されているくらい、ドイツでは人気が高いようだ。日本にも一休さんや吉四六(きっちょむ)さんのようなとんち話が多いが、ティル・オイレンシュピーゲルの場合はかなり攻撃的で辛辣ですらある。

内容は、ティル・オイレンシュピーゲルという名の主人公が、もぐりの職人として遍歴職人のようにドイツ各地を放浪しながら、上はカトリックのローマ教皇から町の司祭や世俗の権力者である国王などの権威、さらにはマイスター(=親方)連中まで、さまざまな者たちを道化のようにかあらかい、ペテン師のように欺いてとんずらする小話を、ティルの誕生からその死まで時系列にならべた民衆本だ。

いわゆるピカレスクものではないが、ときの権威をからかい、笑い飛ばした内容に、当時の読者(・・朗読を聞く者を含む)が大笑いしながら胸のすく思いをしたであろうことは、容易に想像できる。

(ティル・オイレンシュピーゲル wikipediaより)


ティル・オイレンシュピーゲルは「攻撃型道化」

ここでいうイタズラとは、英語でいう practical joke のことだ。一般的にコトバでするのがジョークであるが、「実際的なジョーク」とは行動でおこなうジョークのことを意味する。だが、ジョークであることには変わりない。したがって、イタズラを行うのがジョーカー(=道化)でもあるわけだ。

ティル・オイレンシュピーゲルのイタズラは、コトバと行動を組み合わせたものだ。自分が気にくわない相手や、カネをせしめるために、とんでもないイタズラやペテンをやってのけたあとに、コトバでさらにだめ押しをしてとんずらし、イタズラされた相手に地団駄踏ませるというパターンである。そして読者はしてやったりと笑い転げる。

ジョーカー(=道化)たる主人公の面目躍如である。それもきわめて攻撃的である。度を越している。やり過ぎである。文化人類学者の山口昌男が世に知らしめたトリックスターといってもいい。神話世界に登場するイタズラ者のことである。ティルもまた神話的存在といっていいいかもしれない。

する側からみた「愉快なイタズラ」は、された側からみれば「不愉快なイタズラ」になる。イタズラは知恵比べでもある。騙されるほうがバカなのだ。そうみなして読者や観衆は喝采を浴びせる。ここでは善悪や倫理が問われはしない。

道化としての本分スレスレであり、からくも逃げおおせる話が多いのは、主人公がコート・ジェスター(=宮廷の道化)として王の庇護を受けていないからだ。シェイクスピアの演劇に登場する道化とは違うのだ。時代はすでに中世ではない。


(『ティル・オイレンシュピーゲルのゆかいないたずら』より ティルの旅路) 



16世紀初頭は「中世崩壊」から「初期近代」への移行期

『ティル・オイレンシュピーゲル』が登場した1500年から1515年頃は初期近代。中世世界が崩壊し、近代がはじまりかけた時代の転換期であり、世の中全体が混乱していた。その後、「宗教戦争」やその後につづいた「30年戦争」(1618~1648年)で大荒廃するドイツだが、この民衆本の小話にもその予兆が見えている。

主人公がもぐりの遍歴職人なので、舞台はドイツ全体にまたがっているが、中心は低地ドイツとよばれるドイツ北部の都市ブラウンシュヴァイクである。この地域は宗教戦争をつうじてプロテスタントが普及した地域でもある。カトリックの権威を笑い飛ばすような話が多いのも、なるほどとうなづける。

オランダ出身の知識人エラスムスの『痴愚神礼賛』が、カトリック批判でルターに先行した内容であったが、『ティル・オイレンシュピーゲル』もまた堕落して腐敗していた当時の司祭層への痛烈な批判となっている。その意味でも、「近代」のさきがけであり、「世間」からはじき飛ばされて因習に囚われない主人公が「近代人」のような印象を受けるのはそのためだろう。


『ティル・オイレンシュピーゲル』はスカトロ話のオンパレード

ここまで真面目な話を書いてきたが、岩波文庫の『ティル・オイレンシュピーゲル』は、詳細な「注」や「解説」などいっさい無視して、本文だけ読んでみるといい。

虚心坦懐に本文だけ読んでいくと、そこに出てくるのは糞、糞、糞のオンパレードである。イタズラの域を越えたイヤガラセである。

読んでいれば、はっきりいってスカトロものではないか(!)という印象を受けるのが自然だろう。こういう話がキライな人は、否定的評価を下してしまうのも無理はない。




たしかに諷刺である。それもきわめつけの諷刺である。しかも糞まみれである。

アメリカ人のドイツ民俗学者が書いた 『鳥屋(とや)の梯子と人生はそも短くて糞まみれ-ドイツ民衆文化再考-』(アラン・ダンデス、新井皓士訳、平凡社、1988)という本がある。糞まみれの話がドイツに多いのは、『ティル・オイレンシュピーゲル』だけではないのである。

ちなみに新井皓士(あらい・ひろし)氏は、わたしが大学の学部時代にドイツ語を習った先生だが、残念なからこの本は日本ではぜんぜん売れなかったようだ。阿部先生の推薦を受けて翻訳したと「訳者あとがき」にはあるが。『ほら吹き男爵の冒険』(岩波文庫、1983)のほうは、現在でも売れている。苦心の日本語訳である。

そういえば、モーツァルトも糞話が好きだったことは、『モーツァルトの手紙 上下』(柴田治三郎訳、岩波文庫、1980)を読めばわかるが、これだけ糞話が多いと、肛門期について語ったフロイトではないが、なんだか幼児性を感じさせるものがある。わたしの世代でいえば、1970年代に「少年ジャンンプ」に連載されていたマンガ 『トイレット博士』(とりいかずよし作)を思い出す。オトナからは下品極まると批判されていたが、コドモには絶大な人気のあった作品だ。

英語なら糞はシット(shit)、ドイツ語ならシャイセ(Scheisse)であるが、ともにののしりコトバでもあることは言うまでもない。日本語のクソそったれ、も同様だ。日本語ならチクショウというコトバもあるが、ニュアンス的に同じである。

シェイクスピアに登場する宮廷道化や、エラスムスの『痴愚神礼賛』に登場する道化が、もっぱらコトバでのみ道化を演じているのに対して、民衆世界に生きるティル・オイレンシュピーゲルはイタズラとコトバで道化を演じているのである。そのシンボルとなるのがシャイセ(=糞)なのである。

岩波文庫で原典訳が出版された翌年の1991年には、『ティル・オイレンシュピーゲルのゆかいないたずら』(ハインツ・ヤーニッシュ、リスベート ツヴェルガー(イラスト)、阿部謹也訳、太平社、1991)が出版されているが、この絵本からは巧妙に「糞話」は排除されている。絵本にはふさわしくない題材であるためだろうか。だが、コドモというものは、ほんとうはそういう話こそ好きなのだが・・・。

スカトロ話が好きなひとは、ぜひ岩波文庫の原典訳を読んで確かめてみることを薦めたい。ここにはあえて掲載しないでおくことにするが、豊富に挿入された16世紀当時の挿絵には、これまたスカトロ満載である。文字と絵をつうじて、嗅覚や触覚もふくめた五感をフルに働かせて感じてみるとよい。

遠い異国の話ではあるが、カタカナの固有名詞の意味など考えずに読めば、21世紀現在でもじつに面白いと感じることであろう。

攻撃型道化こそ、本来の道化なのである。


画像をクリック!



<関連サイト>

ティル・オイレンシュピーゲル(平成19年度一橋大学附属図書館企画展示 「阿部謹也と歴史学の革新」)(一橋大学附属図書館 学術・企画主担当)

平成19年度一橋大学附属図書館企画展示 「阿部謹也と歴史学の革新 (Pdfファイル)



<ブログ内関連記事>

本の紹介 『阿呆船』(ゼバスチャン・ブラント、尾崎盛景訳、現代思潮社、新装版 2002年 原版 1968)

本の紹介 『阿呆物語 上中下』(グリンメルスハウゼン、望月市恵訳、岩波文庫、1953)

エープリル・フール(四月馬鹿)-フールとは道化のこと

山口昌男の『道化の民俗学』を読み返す-エープリルフールといえば道化(フール)②

エラスムスの『痴愚神礼讃』のラテン語原典訳が新訳として中公文庫から出版-エープリルフールといえば道化(フール)③

All the world's a stage(世界すべてが舞台)-シェイクスピア生誕450年!

『ガリバー旅行記』は『猿の惑星』の先行者か?-第4回目の航海でガリバーは「馬の国」を体験する

「アラブの春」を引き起こした「ソーシャル・ネットワーク革命」の原型はルターによる「宗教改革」であった!?


(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end