『井筒俊彦の学問遍路 同行二人半』(井筒豊子、慶應義塾大学出版会、2017)という本がある。
20世紀日本を代表する哲学者であった井筒俊彦氏の配偶者で、かつ協力者であり、伴走者であった井筒豊子氏(1925~2017)による文集だ。
数年前に読んだ本だが、このブログに書きそびれていたので、あらためて書いておくことにしたい。
さて、その「同行二人半」とは、インタビューを行った坂上弘氏が「附記」で書いている文章には、井筒豊子氏自身がこう語っていたという。
さきに唯一の短編集『白磁盒子』について触れたが、1993年に出版された中公文庫版の「解説」で、詩人の村上博子氏が「衝撃を受けた」と語るとおり、『中央公論』に発表された「モロッコ国際シンポジウム傍観記」(1982年)という文章は、この人にしか書けないものだろう。
井筒豊子氏による訳業、なかでも『さまよう ー ポストモダンの非/神学』(マーク・テイラー、岩波書店、1991)は、伴走者として身近に接していただけでなく、学問的にも井筒俊彦に薫染されてきた著者による、独特としかいいようのない訳文になっていることを付記しておこう。
<参考>
本書の中心をなすのが「井筒俊彦の学問遍路 同行二人半」というエッセイである。井筒俊彦没後に行われたインタビュー記録をもとに、10年以上にわたって当の本人が推敲に推敲を重ねたうえで完成した80ページ近い回想録である。
断念したとはいえ、小説家として唯一の短編集である『白磁盒子』(はくじごうし)を出したことのある人の文章である。インタビューをもとにした「ですます調」で語られるその文章は、濃厚なスープのような、それ自体が語りによる一つの世界を形成している。
貴重な記録を残していただいたものと、感謝したい。
副題にある「同行二人半」とは、四国88カ所のお遍路さんがかぶる笠に書かれた「同行二人」(どうぎょう・ににん)にひっかけたものだ。
「同行二人」とは、お遍路をしているのはその本人だけではなく、つねに弘法大師空海と一緒だという意味だ。「南無大師遍昭金剛」である。
学問とそれを支える人生は対立ではないが、井筒の生涯を空海と歩む学問遍路にたとえれば、自分は本来ついて行く身ではないが、終生従って行く決心だった。離れて近く
「意味分節理論と空海」というタイトルの論文があるように、井筒俊彦がその最終目的である「東洋哲学」を形成するにあたって空海がもつ意味がきわめて大きかったことを考えれば、じつに含蓄深いものがあるではないか。
内容については、出版社による紹介文があるので引用させていただくことにしよう。
◆豊子夫人、追悼企画。昭和34(1959)年、ロックフェラー基金で海外研究生活をはじめた井筒俊彦。それ以降20年に及ぶ海外渡航生活のなかでの研究者との出会い、マギル大学、エラノス学会、イラン王立哲学アカデミー等での研究と生活を豊子夫人が語るインタビュー、エッセイ、論文を通して、鮮やかに蘇らせる
さきに唯一の短編集『白磁盒子』について触れたが、1993年に出版された中公文庫版の「解説」で、詩人の村上博子氏が「衝撃を受けた」と語るとおり、『中央公論』に発表された「モロッコ国際シンポジウム傍観記」(1982年)という文章は、この人にしか書けないものだろう。
「傍観記」なる文章だが、シンポジウムに参加した学者たちの現行があざやかに浮かぶ上がる。
このほか、エジプトの「カイロの月」(1960年)、カリフォルニアからの帰途にジェット機が寄港した太平洋戦争における激戦地であった「ウェーキ島」(1961年)、マッギル大学のあるカナダのフランス語地域にある「モントリオール」(1961年)、イスラエルという「乳と蜜の流れる国」(1970年)など、雑誌に発表された井筒俊彦氏に同行した海外紀行文もまた、旅の記録と学問が融合した得がたい文章である。
このほか、「言語フィールドとしての和歌」と「意識フィールドとしての和歌」といういう岩波書店からでている『文学』という専門誌に掲載された論文が収録されている。
井筒夫妻の共著として出版された The Theory of Beauty in the Classical Aesthetics of Japan(1981年)の日本語版と考えればいいかもしれない。井筒俊彦の「言語哲学」による日本の美意識にかんする研究である(*内容は下記の「参考」を参照)。
井筒豊子氏による訳業、なかでも『さまよう ー ポストモダンの非/神学』(マーク・テイラー、岩波書店、1991)は、伴走者として身近に接していただけでなく、学問的にも井筒俊彦に薫染されてきた著者による、独特としかいいようのない訳文になっていることを付記しておこう。
このように、『井筒俊彦の学問遍路 同行二人半』は内容的には貴重なものだが、小さいが非常に高価な本なので、古本を探すか図書館で借りて読むといいだろう。
目 次
井筒俊彦の学問遍路-同行二人半
カイロの月ウェーキ島モントリオール乳と蜜の流れる国モロッコ国際シンポジウム傍観記言語フィールドとしての和歌意識フィールドとしての和歌豊子夫人が語る井筒俊彦先生(澤井義次)略年譜
著者プロフィール
井筒豊子(いづつ・とよこ)
1925年、大阪生れ。1952年東京大学文学部卒業、同年井筒俊彦と結婚。2017年4月25日脳梗塞のため、死去。享年91。主な著訳書に『白磁盒子』、『アラビア人文学』(H・ギブ著)、『さまよう』(マーク・テイラー著)などがある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
<参考>
The Theory of Beauty in the Classical Aesthetics of Japan, by Toshihiko &Toyo Izutsu, Springer, 1981
出版社による「内容紹介」(*太字ゴチックは引用者=さとう によるもの)
The Japanese sense of beauty as actualized in innumerable works of art, both linguistic and non-linguistic, has often been spoken of as something strange to, and remote from, the Western taste.It is, in fact, so radically different from what in the West is ordinarily associated with aesthetic experience that it even tends to give an impression of being mysterious, enigmatic or esoteric.
This state of affairs comes from the fact that there is a peculiar kind of metaphysics, based on a realization of the simultaneous semantic articulation of consciousness and the external reality, dominating the whole functional domain of the Japanese sense of beauty, without an understanding of which the so-called 'mystery' of Japanese aesthetics would remain incomprehensible.The present work primarily purports to clarify the keynotes of the artistic experiences that are typical of Japanese culture, in terms of a special philosophical structure underlying them.
It consists of two main parts:(1) Preliminary Essays, in which the major philosophical ideas relating to beauty will be given a theoretical elucidation, and(2) a selection of Classical Texts representative of Japanese aesthetics in widely divergent fields of linguistic and extra-linguistic art such as the theories of waka-poetry, Noh play, the art of tea, and haiku.
The second part is related to the first by way of a concrete illustration, providing as it does philological materials on which are based the philosophical considerations of the first part.
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