バハイ教(=バハーイー教 Baha'i)については、耳にしたことはあっても、どういう宗教なのかについて知ることはほとんどない。そもそも、世界の三大宗教には含まれないので日本語のメディアで言及されることもほとんどない。
先日のことだが、『そして人生は続く あるペルシャ系ユダヤ人の半生(ブックレット《アジアを学ぼう》別巻⑬』(辻圭秀、風響社、2017)という本を読んでいて、1979年の「イラン革命」以降、バハイ教徒が弾圧されている事態について語られているのを読み、なぜバハイ教がイランで敵視されているのか関心を引き起こされた。
そこで、ずいぶん前に購入していながら積ん読状態になっていた『バハイ教(シリーズ世界の宗教)』(P. R. ハーツ、奥西峻介訳、青土社、2003)を読んでみることにした。こんな機会でもないと、読まないままになっていた可能性は高い。
なぜ世界和合と多様性の両立を目指すこの宗教は、イランで迫害されるのか? この謎が完全に解明されるかどうかわからないが、まずは読んでみた。
■バハイ教とはなにか その歴史と現在
バハイ教は、19世紀初頭にカージャール朝時代のペルシアのシーラーズで生まれた「新宗教」だ。わずか1世紀あまりで世界230国以上に拡がった世界宗教である。普及の度合いはキリスト教についでおり、2020年現在で全世界に信徒が800万人いるとされる。
バハイ教には前史がある。人類平等、男女平等を説いたバーブによるバーブ教である。このバーブ教じたいが最初の最初から迫害につぐ迫害の歴史をもっている。
バーブが、イランの国教であるシーア派の伝承である「隠れイマーム」が姿を消して、ちょどその1000年後に出現したとした使徒「マフディー」である、民衆からそう信じられるようになったことが、イランの宗教界に激震をもたらすことになった。シーア派の権威に真っ向から対立する存在となったからだ。
バーブは不信心者であるとして、シーア派の聖職者たちから激しく非難され、最終的にバーブは処刑されることになる。バーブに帰依する者が爆発的に増大していたからだ。
のちバーブ教を吸収したバハイ教の開祖バハーオッラーもまた迫害を受けている。勢力拡大を恐れた政府は弾圧を加えるが、地主階層出身で政府にもコネクションがあったバハーオッラーは過酷な投獄生活を送るが、最終的に追放刑となってオスマン帝国を転々とすることになった。
当時はオスマン帝国領であったパレスチナ北部のアッカの監獄に収容され、解放後はその地で暮らし、その地に葬られることになった。現在ではイスラエル北部のアッカはバハイ教の聖地になっている。
また、バハイ教の世界本部である万国正義殿がイスラエル北部のハイファにあるのは、そういった経緯があるようだ。当時はイスラエル独立前のことである。
ハイファはアッカとならんでバハイ教の「聖地」である。現在でもハイファは、ユダヤ系とアラブ系が共存して暮らしている寛容性の高い都市である。1990年代以降はロシアから移民もコミュニティをつくっている。その意味でも、バハイ教の世界本部の立地としてふさわしいかもしれない。
(原著第2版 写真はインドの首都ニューデリーの礼拝堂。「蓮の寺院」とよばれる)
教義の内容は、先にも触れたように、唯一の神のもとの人類平等、人種や民族の差別を撤廃し、男女平等を説き、世界平和の実現を願うという、いたって筋のとおった真っ当な内容だ。宗教であるが、道徳的な要素が濃厚である。自分自身が入信しようとは思わないが、すくなくとも外部から誹謗中傷するような教義ではまったくない。
バハイ教は、一桁の数字では最後にくる「9」を重視して「完全数」とし、19ヶ月で19日の太陽暦をもちいているなど、なかなか興味深いものがある。イランの太陽信仰や、ゾロアスター教の影響も受けているという。
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ところが、先にも触れたように、1979年の「イラン革命後」以降、その発祥の地であるイランで虐殺をともなう激しい迫害が行われてきた。
現在もなお弾圧はつづいており、アムネスティ・インタナショナルによれば、「逮捕、拷問、強制失踪、事業閉鎖、財産没収など過酷な差別や弾圧に加え、当局や国営メディアによるヘイトスピーチにさらされ、高等教育を受けることも禁じられている」のである。
シーア派を国教とするイランだが、スンニ派も含めたイスラームがが完全な市民権を認められた宗教である。その下にゾロアスター教、キリスト教、ユダヤ教の三宗教が「啓典の民」(=ズィンミー)として認められている。かつてのオスマン帝国とおなじである。
だが、シーア派の指導者であったホメイニ師はバハイ教を邪教と断じ、受け入れられないと発言している。イスラームから派生した新宗教であるバハイ教は、ムハンマドを最後の預言者であるとするイスラームの教義を否定しているからであろう。その点が絶対に容認されないのである。
さらにいえば、世界本部がイスラエルにある以上、イラン国内のバハイ教徒が巡礼するには困難がつきまとうだろうと容易に想像される。イランとイスラエルは敵対関係にあり、外交関係は断絶している。
日本では、ほとんど取り上げられることのないバハイ教だが、イランについて考えるうえで、無視できない要素である。
なぜなら、宗教マイノリティでありながら、現在でもイランには信徒が30万人ほどいるのである。イスラーム以外のなかでは最大の規模なのである。ゾロアスター教徒や、1万人弱となったユダヤ教徒よりも多いのだ。
不思議なことに『イランを知るための65章(エリア・スタディーズ)』(岡田恵美子他編著、明石書店、2004)では、項目としてバハイ教が取り上げられていないのだ。イランの現体制に忖度しているのか、それとも重要視していないのか。イラン関係者ではない外部の人間には理由は不明である。
本書はその意味でも、日本語で読めるほぼ唯一の解説書として有用だ。シリーズものの1冊だから出版が可能になったのであろう。もちろん、「世界宗教」としてのバハイ教について知っておく必要があることは言うまでもない。
目 次序文1 バハイ教とその信者2 バハイ教の基礎3 バハイ教の開祖バハーオッラー4 バハイ教の聖典5 バハイ教の流布6 バハイ教の信仰と礼拝7 バハイ共同体8 今日のバハイ教原註訳者あとがき文献一覧用語解説索引
著者プロフィールポーラ・R・ハーツ(Hartz, Paula R.)ミドルベリーカレッジ卒業。ノンフィクション作家、青少年向け書籍(推奨年齢12歳以上)の編集者として活躍。「シリーズ世界の宗教」(青土社)では、『ゾロアスター教』 『アメリカ先住民の宗教』『神道』『道教』が翻訳されている。日本語訳者プロフィール奥西峻介(おくにし・しゅんすけ)1946年生まれ。京都大学大学院卒業。現在、大阪外国語大学名誉教授。著書に『遠国の春』(岩波書店)のほか訳書多数。(各種情報から編集)。
PS 民芸運動にもかかわったバーナード・リーチは最終的にバハイ教に入信している。
「リーチは1940年、アメリカ人の画家・マーク・トビーとの交友を通じバハイ教に入信していた。1954年、イスラエルのハイファにある寺院を巡礼に訪れたリーチは、「東洋と西洋をより一つにするため東洋に戻り、バハーイ教徒として、またアーティストとして私の仕事により正直になろうと努力したいと思います」との感を強くしたという。」(Wikipediaより)
<関連サイト>
<ブログ内関連記事>
・・著者は文化人類学者で、アラブ人キリスト教徒の多い、イスラエルの港町ハイファでフィールドワークを行ってきた人。
(2023年11月13日 情報追加)
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