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2023年9月24日日曜日

『ハルビンの詩がきこえる』(加藤淑子、加藤登紀子編、藤原書店、2006)と 『ハルビン新宿物語 ー 加藤登紀子の母 激動の半生記』(石村博子、講談社、1995)をつづけて読む。女性の視点による「20世紀前半のハルビン社会史」がそこにある




ロシアについて考えているうちに、ふたたび内村剛介氏の著作をひもとくことになるスターリン時代に11年間の監獄生活を送ることを余儀なくされた内村氏の原点は「ハルビン学院」にあり、その文章を読んでいると、必然的にハルビンそのものへと思考が向かう。

ハルビン(Harbin)という響きがいい。ハルビンは漢字で「哈爾浜」と書く。満洲にあった都市である。伊藤博文が暗殺されたのはハルビン駅である。

ハルビンは、もともと帝政時代のロシアが建設した都市だ。

「東方を制服せよ」という意味のウラジオストック(=ヴラジ・ヴォストーク)がロシアの東方進出を象徴する都市であるとすれば、ハルビンはもともと現地人の満州語の地名である。鉄道建設のために新規に開発されたロシアの都市であった。

植民地となった満洲。その満洲にあるハルビンは、おなじくロシアが開発した大連以上に日本人にとってはヨーロッパを感じさせる都市であった。

共産主義を意味する「赤系」のソ連から逃れてきた「白系」のロシア人が多く居住していたハルビン。ユダヤ人もふくめ、かれらの多くは「無国籍者」となっていた。

ハルビンといえば歌手の加藤登紀子である。加藤登紀子氏は、ハルビンに生まれて日本に引き揚げてきた人だ。そしてその母を描いた本である『ハルビン新宿物語 ー 加藤登紀子の母 激動の半生記』(石村博子、講談社、1995)は買ったまま、ずっと本棚にありつづけた。

その後、『ハルビンの詩がきこえる』(加藤淑子、加藤登紀子編、藤原書店、2006)の存在を知って、これも入手することにした。

そうだな、この機会にこの2冊を読んでしまおう。そう思った。いつまでも読んだつもりにしておいてはいけない。読まないままにしておいてはいけない。

まずは、『ハルビンの詩がきこえる』から先に読むことにした。内容は、加藤登紀子の母の手記である。91歳になった著書にとって、すみずみまで記憶のなかで生きているハルビン。まさに著者にとってハルビンは青春そのものだった。

本のカバーの内側に著者のことばがある。昭和10年は1935年、昭和21年は1946年である。


昭和10年から21年までのたった11年のハルビン。
でもそれはまさに二十代の私の青春そのものだった。
同じこの場所にその面影が消えてしまった今も、
私の心の中にはすべてがあざやかに刻まれている。
          ーーーーー 加藤淑子


京都の呉服屋に生まれ育った女性が、因習に縛られた狭い京都から自由をもとめて大陸へ。
ハルビン学院卒の男性と結婚にしてハルビンへの渡航、白系ロシア人の住居の一部に賃貸で入居を繰り返したことで、さまざまなロシア人の暮らしぶりを目の当たりにすることになる。

ここにあるのは、日常の「生活」(ジーズニ)、この記述がまさに貴重なのである。男性による「満洲もの」には描かれない世界。その他圧倒的多数の日本人とは違って、加藤夫妻はハルビンには日本的生活を持ち込まなかった。避暑を兼ねたダーチャの生活も含めて。だからこそ、加藤淑子氏の手記は「20世紀前半のハルビン社会史」としても貴重な内容なのである。




目 次
プロローグ
第1章 太陽は地平線を昇る 
 大地の夜明け/マリア・ニコラーエヴナの家/炊事場のロシア語レッスン/ハルビンでのお買い物/見知らぬ街での生活がはじまる/男の友情/お茶を飲む女たち/いつも音楽があった
(コラム) ウォトカの飲み方/サモワール 
第2章 チェリョームハの木陰で 
 サハロフの家/ロシア人のお祭り/ロシア語を習う/スンガリーで遊ぶ/ストラグスの家/ユシコフはマネキン屋/大和アパートへ/太陽島でのひと夏/父のハルビン訪問/スンガリーのダーチャで/トホール家の動物たち 
(コラム) ペチカ 
第3章 戦火しのびよる街 
 再び京都へ/祖母ハナとの暮らし/祖母ハナの死/トホール家の結婚パーティー/イワノフの家へ/ピアノのレッスン/義弟の結婚、そして召集/新町の家で/夫は露語教育隊/ハルビンへの帰郷/家をつくる若いロシア人夫婦/登紀子の出産/奉天は臨戦態勢/昭和19年年末の空襲/夫はいよいよ戦地へ/ソ連参戦 
(コラム) ハルビン学院/ハルビンという街 
第4章 今日を生きる野草の如く
 終戦の日/トラックに乗って収容所へ/略奪がはじまる/北方からの避難民/将校オサッチ /人形づくり/秋林(チューリン)のお針子になる/星輝寮をでる/ミシンで開業/中国式の食べ物/ソ連軍の撤退/ハルビンに残る?/引き揚げを決心/出発の日 ―― 9日6日/フローシャの最後のごはん/地平線の向こうに 
エピローグ(加藤登紀子) 
あとがき(加藤淑子) 
加藤淑子年譜(加藤淑子・加藤登紀子) 
図版出典一覧


その「生活」を乱したのは外部の状況であった。悪化する戦況は「内地」では大きな被害をもたらしていたが、大陸とのタイムラグが存在したのである。出産のたびにハルビンと京都を往復していた著者だが、昭和20年(1945年)の6月になってからハルビンに戻るのである。

だが、状況は突然やぶられることになる。米国ではなくソ連が侵攻してきたからだ。8月9日のことである。

ソ連軍によって占領されたハルビン、出征したまま帰ってこない夫。そんな状況のなかでも洋裁の技能を活かし、ユダヤ人の顧客たちから信頼されて生き抜いてゆく著者。ユダヤ人とロシア人の違いにかんする観察もさすがである。

戦後のハルビンでの生活も安定してきたが、最終的に日本への帰国を決意し、女手ひとつで3人の子をつれて脱出する命からがらの逃避行へ。手記はそこで終わっている。




『ハルビンの詩(うた)がきこえる』の帯には、作家のなかにし礼氏の推薦文が記されている。

「女たちの満州」
満州の歴史とは、実は女たちの物語なのである。
満州建国を夢見たのは男たちであったが、その夢破れたのちのあとかたづけはすべて女たちがやった。その一つの証言をここに見る思いがする。
加藤登紀子も私も、阿修羅のごとく戦った母によって守られ、日本に流れついた命なのだということをあらためて痛感する。


満洲からの引き上げを描いた『赤い月』の作者だけに、まさにそのとおりだと思う。これに付け加えることはなにもない。『流れる星は生きている』だけではないのである。


■『ハルビン新宿物語』は加藤淑子氏の「戦後」まで描く

『ハルビン新宿物語』は、1995年の出版から28年目にはじめて通読した。しかも、購入から22年もたっている、とは! 

2001年1月7日に amazon で購入していたことが「履歴」からわかった。さすが電子取引である。いまではまず目にすることもない「amazon.co.jp のしおり」がはさまっていたことに気がついた。新刊書として購入していたのだ。

amazon が日本に進出したのは、2000年11月のことである。そんな初期から利用していたわけである。まだ amazon は書籍中心の取り扱いであり、初期段階で利用者が多くなかったのでプロモーションの一環として「紙のしおり」がつけられたのであろう。




先に『ハルビンの詩がきこえる』を読み、ついで『ハルビン新宿物語』を読んだのは正解だった。

前者は加藤淑子氏の「青春時代」であり、後者はそれも含めた「戦後」まで描いているからだ。

女性の自立の物語でもある。洋裁の技能を活かして生計をたて、その後は夫が開いたロシア料理店スンガリーの切り盛りに追われることになる。スンガリーはハルビンを流れる川の名前である。スンガリーは松花江である。

先になかにし礼氏の文章を引いたが、加藤淑子氏の戦後もまた「夢破れた男のあとかたづけを」やることになったわけである。

「戦後日本」は「満洲時代」の遺産抜きにはありえないことは、戦後復興や新幹線の存在を知れば明らかである。そんな「男たちの世界」だけでなく、当然のことながら「女たちの世界」でもそうだったのである。

加藤登紀子氏の兄の加藤幹雄氏は一橋大学経済学部の出身で、わたしからみたら大先輩にあたる人だ。

1960年の安保闘争における挫折とその後の国際ビジネスマンとしての人生は、一橋大学卒業生の会である如水会の『如水会報』への本人の寄稿で知った。

その他の関連記事がないか検索していて、父親が京都で開いたロシア料理店キエフの経営を数年前に継いだことを知った。「住金副社長からロシア料理店経営へ 生涯現役モデルに」という記事がある。

加藤淑子氏は夫の遺骨をスンガリーに流すため、加藤幹雄氏ら子どもたちとともに1993年にハルビンを再訪している。『ハルビン新宿物語』の著者である石村博子氏も同行し、その記述が本書の最終章に書かれている。

そのことはまったく知らずに、わたしは1999年にハルビンを含めた満洲に旅している。大陸から引き揚げ者の家庭ではないが、満洲というものは学校の先生をつうじて子ども時代から聞き知っていた。そんなこともあり、どうしても自分の目で見て、自分で歩いて体感したかったのだ。

わたしが訪れたとき、ハルビンにはまだわずかながらロシアの痕跡をとどめていた。ハルビンのロシア料理店で食べたロールキャベツは美味かった。

そんな1999年のハルビン旅行のあと、2001年1月に『ハルビン新宿物語』を購入していたのであった。




目 次 
はじめに 加藤登紀子
Ⅰ章 敗戦―ハルビンで
Ⅱ章 自由への旅立ち 
Ⅲ章 焦土から、ふたたび
Ⅳ章 出会いと別れ―新宿 
終章 スンガリーの流れのように
おわりに 加藤淑子
あとがき 石村博子
関連略年表

著者プロフィール
石村博子(いしむら・ひろこ)
1951年、北海道生まれ。ノンフィクションライター。法政大学卒業。加藤淑子が切り盛りしたロシア料理店スンガリーで働いていたロシア人女性クセニアの息子ビクトル古賀を主人公にした『たった独りの引き揚げ隊 ― 10歳の少年、満州1000キロを征く』(角川書店、2009)など著書多数。


<ブログ内関連記事>

・・「この本でとくに興味深いのが、「物書く商社マン」であったロシア文学者で評論家の内村剛介氏(故人)の回想。(・・・中略・・・)シベリアで抑留され、ソ連の収容所に11年間も抑留されていた内村剛介の諸著作は、ロシアについて考えるためには必読書であり、ほんとうの知識人とはどういう存在かを身をもって教えてくれる存在だ。内村剛介氏は、日本に帰国後は総合商社の日商(のち合併して日商岩井)で、ロシア語を駆使して辣腕の商社マンとしてソ連貿易に携わっていた。大学教授に転身する前は、「物書く商社マン」として知られていたらしい。そんな話が読めたのもうれしい。」




・・『危機の宰相』 のもう一つのテーマは、満洲国の存在と戦後日本におけるその意味である


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