社会主義者であった山川菊栄の『覚書 幕末の水戸藩』(岩波文庫、1991 初版1974)と『武家の女性』(岩波文庫、1983 初版1943)を2冊つづけて読んだ。いずれも購入してから20年以上もたっているので、本は黄ばんでしまっている。 この時期の岩波文庫の紙質の問題でもある。
先に『尊皇攘夷-水戸学の400年』(片山杜秀、新潮選書、2021)を読んで、幕末の水戸藩の動きについて知らなければ、幕末から明治維新の歴史について深く知ることはできないと、あらためて悟ったからだ。そのからみでようやく読み始めることにした次第。
著者の山川菊栄(1990~1980)は、夫の山川均(1880~1958)とともに社会主義者であり、女性解放運動の思想家でもあった。 その菊栄の旧姓は青山で、青山氏は水戸藩士で、曾祖父も祖父も『大日本史』の編纂にもかかわった儒者でもあり、烈公・徳川斉昭や藤田幽谷・東湖とも親しく交わった人物であった。
『覚書 幕末の水戸藩』では、激動する水戸藩の状況が、母親など近親者や当時を知る古老など、さまざまな人物の記憶から呼び戻されたエピソードや手紙をつうじて、手に取るように縦横に語られる。じつに面白い読み物だ。
このあとつづけて『武家の女性』を読んだが、おなじ時代の水戸藩を女性の視点で描いたものになっている。タイトルは一般的な状況を連想させるが、中身は幕末の水戸藩そのものだ。幕末の水戸藩にかんしては、むしろ執筆と出版が30年先行する『武家の女性』ほうに詳しい記述がみられることもある。
『覚書 幕末の水戸藩』が政治を中心に経済についても語ったものであれば、『武家の女性』は、著者の生家の青山家もそうだったが、下級武士の家庭を描いた社会史ともいうべき作品で、社会経済に重点がある。わたしなら『女たちの幕末水戸藩』とでもタイトルをつけたいところだ。
『武家の女性』には、下級武士の倹約を旨としたつましい生活ぶりが具体的に描かれている。そうでなくても財政状況が厳しかった水戸藩の下級武士は、全国レベルからみても厳しい生活が強いられていたのである。傘張りの内職の話も実話として登場する。
夫婦と子どもを中心とした「核家族的」な下級武士の生活と、経済的に恵まれていたので「妻妾同居」が当たり前だった家老など上級武士との違い。それは、経済面だけでなく、倫理面にも現れているといっていいだろう。マルクス主義的にいえば、下部構造である生活形態が、上部構造である思考形態を規定していたわけだ。
経済的には上級武士と下級武士との格差が大きかったものの、実質的にはその中間層というべき存在が、もっとも苦しかったことも指摘されている。下級武士の生活は苦しかったが、余計な出費がないので、なんとかやりくりができたのであった。
そんな下級武士が「変革」の主体になったのは、当然といえば当然であることがおのずから理解されるのである。
それにしても、武士という存在の窮屈さよ、と読んでいて嘆息したくなる。
倫理性の高さは誇るべきだとしても、下級武士の末裔であるわたしとしても、そう思わざるを得ないのだ。窮屈な武士と自由闊達な町人の違い。が具体的なエピソードをつうじて語られている。
むしろ、武士と農民の近さと、そでにもかかわらず違いもあることにこそ注目すべきなのだ。水戸学においては、「尊皇思想」と「攘夷思想」だけでなく、「農本思想」が中核の一つをなしていたことにも注意を向ける必要があろう。
というわけで、山川菊栄の『覚書 幕末の水戸藩』と『武家の女性』は二部作として読むのがふさわしい。この2冊をつづけて読むことで、男たちの世界と女たちの世界の両面をあわせて、はじめて複眼的かつ立体的に幕末の水戸藩を捉えることが可能となるからだ。
尊皇攘夷思想の震源地となった水戸藩に始まった「維新革命」は、下級武士が主体となった革命であった。しかしながら、武士身分内の身分格差を背景に、藩論が二分して内ゲバ状態になって凄惨な殺し合いに陥った水戸藩は、結局のところ維新の果実を味わうことができなかった。そのことを、具体的な叙述をつうじてあらためて確認することになる。
著者の山川菊栄は社会主義者であったが、いわゆる「講座派」ではなく、「労農派」であったことは大きい。講座派がマルクス主義の歴史法則を強調した教条的な姿勢であったのに対し、労農派のほうはおなじマルクス主義に依りながらも、日本の現実から出発する姿勢をもっていた。
しかも、山川菊栄は、戦中には日本民俗学の柳田國男の影響をうけることになる。『武家の女性』は、柳田國男の力添えで出版されたことが「はしがき」に記されている。社会主義に対する弾圧が厳しいなか、その他多くの社会主義者と同様に、精神安定の拠り所を民俗学に求めたのであった。
山川菊栄による「社会史」ともいうべき本が、出版からすでに70年以上たった現在でも、読んでいてまったく違和感を感じないのはそのためだろう。今後も末永く読み続けられていくことは間違いない。
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