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2025年3月28日金曜日

「地下鉄サリン事件」に対する警察と自衛隊の取り組みを一次資料で知る ー『地下鉄サリン事件はなぜ防げなかったのか ー 元警察庁刑事局長 30年後の証言』(垣見隆、手塚和彰他編著、朝府新聞出版、2025)と『「地下鉄サリン事件」自衛隊戦記 ー 出動隊指揮官の戦闘記録』(産経NF文庫、2025)

 

 「地下鉄サリン事件」から30年。1995年3月20日から30年。時間がたつのはあまりにも早い。30年といえば一世代である。 

関西では阪神大震災、関東ではオウム事件。大規模自然災害に宗教テロ。「記憶」の風化は避けられないが、一方では30年もたてば、明らかになってきたことも少なくない。知られざる「記録」が発見され、記憶が消えないうちに記録となる。 

1995年は、日本社会の底が抜けてしまった年として回顧されることになるだろう。 



■オウム事件に対する「警視庁」の対応の真相


事件当時の「警察庁」の責任者に対する聞き取りである。いわばオーラルヒストリーとしての一次資料ということになる。 

ここで「警察庁」とカッコ書きにしたのは、事件が発生した東京都は「警視庁」の管轄が、全国の「都道府県警」を束ねるのが「警察庁」であることが、なにを意味しているのかを知る必要があるためだ。 

現在では事件のかんする時系列が明らかになっているが、リアルタイムでは日本各地で起こった事件が、点と線で結ばれていなかったため、捜査に支障を来していたのである。面で行うべき広域捜査が難しかったのだ。 

戦前は、組織上は内務省の下にあった警察は一元的に捜査をコントロールできたが、「戦後改革」のもとで内務省が解体され、地方自治の観点から都道府県単位に責任権限が委譲された。そのために発生したデメリットである。日本社会の問題点が露わになった事件でもあったのだ。 

興味深いのは、当時は警察庁刑事局長だった垣見氏が、捜査計画を策定するにあたって、まずは先行事例を調査したという回想である。

戦前の宗教がらみの事件といえば、なんといっても1921年と1935年の二度にわたって実行された「大本事件」となる。 

一般には「宗教弾圧」として理解されている大本教への強制捜査と教団施設の徹底破壊であるが、一般的な理解と捜査を担当した警察の立場はだいぶ違うことがわかる。

「大本事件」においても、特高による内偵にもとづいて捜査計画を策定し、強制捜査を実行しているのだ。この関連資料はぜひ見てみたいものだ。 

ジャーナリストの江川紹子さん(・・高校の先輩でもある)は、YouTube番組のインタビューのなかで、それでも垣見氏はまだ語っていないことがあるのではないか、と言っていた。

 「オウム事件」の全容が完全に明らかになるのは、まだまだ時間がかかりそうだ。 


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目 次
巻頭言 手塚和彰
第1章 松本サリン事件 1994年6月~10月 
第3章 対オウム作戦の立案 1994年9月末~121 
第3章 事件の続発と態勢構築 1995年1月~3月 
第4章 地下鉄サリン事件 1995年3月20・21日 
第5章 教団拠点の大捜索 1995年3月22日~3月中 
第6章 國松長官狙撃事件 1995年3月30日~5月 
第7章 麻原逮捕およびその後 1995年5月~1996年8月 
第8章 オウム事件全体の評価(1)― なぜ早期に捜索できなかったのか 
第9章 オウム事件全体の評価(2)― 30年後に振り返る
付掲/事件の時系列表
垣見隆とオウム捜査 ー ある警察官僚の出処進退(五十嵐浩司)
垣見証言の意義(吉田伸八)
終わらない事件と本書の位置 ー 後記にかえて(横手拓治)
参考文献

著者プロフィール
垣見隆(かきみ・たかし)
1942(昭和17)年12月、静岡県浜松市生まれ。1965年、東京大学法学部卒業後、警察庁入庁。警視庁神田警察署長、福井県警察本部長、警察庁刑事局長、警察大学校長などを経て、1996(平成8)年、警察庁退職。1999年、弁護士登録。現在、第一東京弁護士会所属弁護士(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


■「サリン事件」に対する自衛隊の対応とその教訓

警察は事件捜査を行うが、警察だけでは対応できないのではないかという議論が警察内部でなされていたようだ。そのため自衛隊に頭を下げて協力を依頼したということを、垣見氏は語っている。 

強制捜査にあたって、毒ガス対策として必要な防護服を自衛隊から借りたことがあげられる。これは「地下鉄サリン事件」が発生する前のことである。 

そして、オウムと銃撃戦になった場合を想定して自衛隊の出動準備が行われていたことだ。いわゆる「治安出動」である。実際にはオウムは銃撃戦で応酬してくることはなかったが、その事実は知っておいたほうがよさそうだ。 

実際に自衛隊が大車輪で活動したのは、「地下鉄サリン事件」における除染作業であった。世界ではじめて発生した「化学兵器テロ」である。 陸自の化学防護隊がクローズアップされているが、責任者として指揮をとったのは、陸上自衛隊第32普通科連隊長であった福山隆氏であった。化学防護隊との共同作業である。 

その体験記で一次資料ともいうべき『「地下鉄サリン事件」自衛隊戦記 ー 出動隊指揮官の戦闘記録』(産経NF文庫、2025)を読んだ。初版は2009年の改訂版。ノンフィクション系の読み物として面白く読める本でもある。  

都心では高層ビルによる電波障害があって無線がつかいにくいこと、30年前には携帯電話も普及していなかったため、軍隊にとって最重要の通信に苦労したことなど、当事者ならではのリアルの話も多い。 

連隊長自身は除染現場には出動していないので、実際に出動し現場で活動した隊員たちの証言が複数収録されている。記録写真や映像からだけではわからない、当事者の心理状態までわかる。

圧巻とういうべきなのは「第8章 幻の作戦計画」であろう。「最悪の事態の備え」て秘密の作戦計画が策定されていたというのだ。 

先にも見たように、「治安出動」が実行に移されることはなかったが、オウム真理教によるクーデターは未遂に終わったものの、けっして絵空事ではなかったのである。 

問題は、米国はこの事件から多くの教訓を引き出しているのに対して、日本全体では教訓が十分に活かされているとは言い難いという指摘がなされていることにある。政府も防衛省も「公刊戦史」としてまとめていないのである。 

ただし、東京都では石原元都知事のもとで教訓が活かされているというのが、数少ない救いというべきだろうか。2011年3月11日の「東日本大震災」の際にその教訓は活かされたことは記憶にあたらしい。


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目 次
《カラー写真集》自衛隊 "3・20" 出動記録
まえがき
第1章 第32普通科連隊 
第2章 大震災と防災訓練デモ 
第3章 事件発生 
第4章 留守部隊の奮闘 
第5章 出動準備 
第6章 出陣 
第7章 除染現場の闘い 
第8章 幻の作戦計画 
第9章 事件から得た戦訓
資料1 「地下鉄サリン事件2」の概要
資料2 神経剤とはなにかーサリンを中心に
資料3 陸上自衛隊の化学科部隊
資料4 除染隊出動記録ビデオより
あとがき
【特別掲載】地下鉄サリン事件の現場で(芹沢伸生 当時産経新聞写真部記者) 

著者プロフィール
福山隆(ふくやま・たかし)
1947年(昭和22年)、長崎県上五島・宇久島生まれ。佐世保北高から1970年(昭和45年)、防衛大学校(14期生)卒業。幹部学校指揮幕僚課程、外務省安全保障課出向、陸上幕僚監部防衛班・広報室、韓国防衛駐在官、第32普通科連隊長(地下鉄サリン事件時、除染隊派遣の指揮を執る)、陸幕調査第2課長(国外情報)、情報本部初代画像部長(衛星情報)、第11師団(札幌)副師団長、富士教導団長、九州補給処長などを歴任し2005年(平成17年)春、西部方面総監部幕僚長・陸将で退官。同年6月から2年間、ハーバード大アジアセンター上級客員研究員。現在、広洋産業株式会社顧問。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



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2024年2月22日木曜日

書評『霊能一代(増補改訂版)』(砂澤たまゑ、二見書房、2024)ー 「霊能者」の聞き語りだがタイトルから連想されるような「オカルト本」ではない

 

 『霊能一代(増補改訂版)』(砂澤たまゑ、二見書房、2024)という本を読んだ。  amazonでレコメンドされて、はじめてその存在を知った本だ。

まだ出版されたばかりなのに、レビューの数と熱度が高い。いずれもやらせレビューではない。これは読まねばなるまいと、勝手に決めてすぐにポチ。どうしても、この手のタイトルに惹かれるものがあるのだ。なぜか「引き寄せ」てしまう。いや、AIの解析結果のレコメンドに過ぎないのだが(笑) 

内容は、帯に書いてあるとおりだ。「伏見稲荷のオダイが辿った数奇な運命の物語。希有な霊能者が語るお稲荷さんの不思議な力と神秘体験の数々・・・」。 いかにも読みたくなるコピーだな。

「オダイ」とは「お代」神さまの代わりに、神さまのことばをとりつぐ霊能者のことだ。具体的にいえば、「稲荷大神様」の「行者」(ぎょうじゃ)である。 伏見稲荷といえば、京都の伏見稲荷である。

本人もなぜそのような人生を送ることになったのかわからない、と語っているように、自分の意思とは関係なく、神さまに選ばれてしまったのだから仕方がないのだ。 

最終的に覚悟を決めて、その道に進むことになったが、それはもう厳しい修行の道であったことが語られている。塩水だけの「百日断食」なんて、まずふつうの人には不可能だろう。

 この本は、長年にわたってオダイから聞き取りを行ってきた翻訳著述業に従事する内藤賢吾氏が、聞き書きの内容を整理し、構成と執筆を行って2004年にでた原本の「増補改訂版」である。 

「第一部 神様に導かれて歩んだ」と「第二部 信者さんたちとともに歩んだ道」の二部構成になっている。 

20年後の「増補改訂版」では、出版にいたる経緯をまとめた内藤氏による「まえがき」と「追記」、「あとがきに代えて」が加えられている。なによりも内藤氏による「註」に意味がある。著者の語りの記憶違いなどを、できるかぎり事実関係の検証を行っているからだ。 

通読してみて思うのは、タイトルから連想されるような「オカルト本」ではない、ということだ。激動の日本近現代史を生きたひとりの女性のライフストーリーである。それがたまたま「霊能者」であったということに過ぎない。そんな読み方も可能だろう。 

とはいえ、そんな霊能者の言うこと(・・いやいや違う、霊能者の口をつうじて神さまが言うことだ)に耳を傾ける悩める人たちが、熱心な信者になっていったということ。その意味では、ごくごく普通の日本人の精神世界を描いているともいえる。

社会の表層がいかに「近代化」しようが、深層にある日本人の精神世界は連綿としてつづいている。「稲荷信仰」は現在なお根強い人気がある。「商売の神さま」というだけの存在ではない。 

語り手である著者が本拠地にしていたのが京都府の福知山だ。わたしは福知山にはそれほど土地勘はないが、聞き語りになんどもでてくる舞鶴は生まれ故郷なので、なんだか親近感を感じるものがあった。

著者が語っているのは、「信じる者は救われる」ということに尽きる。そのためには、「素直な心」が重要だと説いている。 

「素直な心」といえば「経営の神さま」となった松下幸之助が残したことばを想起するが、本書によれば幸之助翁は若き日に伏見稲荷で熱心に行(ぎょう)を行っていたらしい。 なるほどそういうことだったのか。著者の砂澤たまゑは、実際に何回か直接会っているという。

また、痔の治療薬であるボラギノールは、福知山出身者の創業者が、悩み多き若き日に伏見稲荷に籠もっていたときに思いついたのだという。福知山で活動していた著者ならではの話だ。

ただし、本書全体をつうじて著者が語るところに耳を傾けるかどうかは、読者次第であることは言うまでもない。 


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目 次
増補改訂版まえがき 
復刊に至るまでの奇妙な出来事 
はじめに 
第一部 神様に導かれて歩んだ 
第二部 信者さんたちとともに歩んだ道 
おわりに 
増補改訂版『霊能一代』の註 
【追記】最晩年の砂澤
増補改訂版のあとがきに代えて 砂澤は「生きていた」 


著者プロフィール
砂澤たまゑ(すなざわ・たまえ) 
1922年、兵庫県朝来郡和田山村(現在の朝来市)に生まれる。稲荷信仰の行者(オダイ)。稲荷神など神の声が聞こえる稀代の霊能者だった。若いころから厳しい行をおこない、京都府福知山市の内記稲荷神社を世話しながら神様を祀っていた。独力で京都・伏見稲荷大社の支部である三丹支部を立ち上げ、多くの信者を集めた。2009年9月11日に逝去。2021年9月、第13代・伏見稲荷大社名誉宮司の故・坪原喜三郎氏とともに同社内の霊魂社に合祀される。(書籍カバーおよび出版社の書籍サイトより)



PS 『お稲荷さんと霊能者』(内藤憲吾、河出文庫、2021)

『お稲荷さんと霊能者』(内藤憲吾、河出文庫、2021)を読むと、『霊能一代(増補改訂版)』(砂澤たまゑ、二見書房、2024)成立の経緯がよくわかる。

『霊能一代』が内藤氏のよる聞き書きであることは同書にも記されているが、『お稲荷さんと霊能者』にはその事情がより詳細に記されているので、あわせ読むといいだろう。

不思議な現象に翻弄されながらも、次第次第に霊能の世界に目覚めていく著者の体験記でもある。1995年に会社を辞めてフリーになってから、著者が霊能者の口をつうじて語られる神さまのお導きで生き延びてこられたのである。

それが著者自身の実感であり、主観的だとはいえ、著者にとっての「真実」なのだということも。まこと「信じる者は救われる」のである。「素直な心」がいかに大切なことであることか。   (2024年3月5日 記す)


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2024年2月21日水曜日

『ジョブズの料理人 ー 寿司職人、スティーブ・ジョブズとシリコンバレーの26年』(日経BP社出版局編、日経BP、2013)を読んでいると思うのは、亡くなってから13年なるジョブズがまだまだ「過去の人」ではないということだ




この本のことは2013年の時点で知っていたが、つい最近ひさびさにamazonでその存在を思いだした。取り寄せてさっそく読んでみたが、じつに面白い。まるでジョブズがまだ生きていて、目の前にいるかのような気がしてくる。 

「ジョブズの料理人」とはカリフォルニア州はシリコンバレーのパロアルト(Palo Alto)で寿司屋、その後に会席料理店を経営していた日本人職人の佐久閒俊雄氏のこと。寿司職人として米国に渡った最初の世代の人だ。まずはハワイに、そして本土の西海岸のカリフォルニアへ。

本書は、その「ジョブズの料理人」の聞き語りを活字化したものである。 

寿司屋がほかの料理店と違うのは、カウンター越しにお客さんと直接会話ができること。

常連客の一人がジョブズだったことから、ジョブズ自身やその日本料理とのつきあい、その他シリコンバレーの起業家たちや投資家たちの面々が回想される。米国の日本料理普及の歴史もまた。

ベジタリアンと見なされがちなジョブズだが、寿司ネタのトロもハマチも食べていたので、ヴィーガンではなかったことがわかる。とはいえ、生魚を食べることができるようになるまで時間がかかったようだ。

ジョブズが亡くなってから、すでに13年になる。その2年後の2013年の出版時点で読んでおけば、もっと楽しめただろうという気もするが、かならずしもそうではない。 

すでに日本の学習マンガの世界では「偉人伝」のひとりになっているジョブズだが、まだまだ「過去の人」にはなっていないことが実感されるだろう。  まだ読んでない人がいたら、『ジョブズの禅僧』とあわせて読んでみるといいと思う。  


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目 次 
はじめに(外村仁*)
第1章 さようならスティーブ、さよなら桂月 
第2章 シリコンバレーで旨い寿司を食わせよう! 
第3章 「自分でやる」のがスティーブ流 
第4章 「天才」の素顔 
第5章 妙なヤツラがやってきた 
第6章 桂月は景気のバロメーター 
第7章 会席料理へのチャレンジ 
第8章 スティーブからの誘い 
第9章 26年続けられた理由
あとがき(佐久閒惠子)
年表
       
* 外村仁:アップル社でマーケティングを担当。ジョン・スカリーからスティーブ・ジョブズまで5 年間 で4 人の CEO に仕えた。

取材協力 
佐久間俊雄(さくま・としお) 
福島県出身。15 歳から寿司の修行を始める。1979 年に渡米後、1985 年カリフォ ルニア州パロアルトに最初の店「スシヤ(鮨屋)」を開店。1994 年に「トシズ・ スシヤ」、2004 年には会席料理の専門店「桂月」を開店する。シリコンバレーの 起業家、投資家をはじめ地元の人に親しまれる。2011 年10 月に桂月を売却。現在 シリコンバレー在住。 

佐久間恵子(さくま・けいこ)
沖縄県出身。ハワイ大学経営学科卒業(Bachelor of Business Administration)。 米国公認会計士取得。4大会計事務所勤務を経て、夫俊雄と共に16 年間、和食店 の経営に携わる。現在はシリコンバレーで会計事務所に勤務。
(経歴は出版社の書籍サイトより出版当時2013年のもの)

 


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2023年10月11日水曜日

書評『セカンドハンドの時代 ― 「赤い国」を生きた人びと 』(スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチ、松本妙子訳、岩波書店、2016)― 「未来」が失なわれた社会では、人びとは「過去」に「ユートピア」を求めることになるが・・・

 


ずしりと重い、600ページを越える大冊。それにもまして、ここに収められた多様な声のそれぞれが重いのだ。一言で要約することなどできない多様な声、声、声複数の声は、それぞれが固有の声であり、しかし時代の声としてひとつのものでもある。

社会主義体制の70年。そして改革への期待と失望、裏切られ感。戦争に負けたわけではないのに、崩壊した社会主義体制。

この大著は、聞き書きによる「内側からみた社会主義体制70年の証言」である。外側からみたら全体像は見えるが、内側から見ないと人びとの思いまではわからない。

ソ連崩壊がもたらしたものは、そのなかで生きてきた「ソ連人」(ホモ・ソビエティクス)にとっては解放であったと同時に失望であり、無慈悲なまでも切り捨てであった。内戦にはならなかったが、のちのユーゴ紛争でつかわれるようになった「民族浄化」ともいうべき虐殺さえ発生している。

うまく適応できなかった人だけではない。成功した人もまた心に抱えるものがある。心に、内面に抱え続けてきた、ことばにならない思いをなんとかことばにしようともがく人たち。魂の底から絞り出された声、届くか届かないかわからなくても声に出さずにはいられない重い。

こんな多くの声を聞き出し、聴き取った著者は、ジャーナリストの域を超えて、セラピストのような印象さえ受ける。

ただひたすら寄り添い、語るにまかせる。そのことじたいが、いかに大変なことか。だが、この聞き取りという行為をつうじて、癒やされた人も少なくないのではないか。そんな気がする。




『セカンドハンドの時代』というのは、全体の2/3以上を読んできて、ようやく実感されてきた。

時代が変わると期待したにもかかわらず、期待は裏切られ、どん底まで落とされた人たちがなんと多かったことか。やってきたのは新たな時代ではなく、おなじことの繰り返し。使い古しの過去。セカンドハンドの時代。

ロシア語の原題は、Время секонд хэнд である。英語の「セカンドハンド」をキリル文字表記した секонд хэнд がそのままつかわれている。ソ連崩壊後にやってきた時代を象徴的に表現したものといえるかもしれない。

激変をもたらしたソ連崩壊は、激変が終わってみると、また元の昔の状態に戻っている。それは社会主義以前の時代であり、社会主義時代そのものでもある。いや、それは似ているだけで、ほんとうは違う。状況は厳しくなる一方だ。

『セカンドハンドの時代』は、フランスでは2013年メディシス賞、ロシアでは2014年ボリシャーヤ・クニーガ賞(読者投票部門で1位)、ポーランドでは2015年リシャルト・カプシチンスキ賞を受賞している。 読者から受け入れられているのだ。


■かつてソ連ではロシア語が「共通言語」であった

ベラルーシのジャーナリストで作家のアレクシエーヴィチ氏は、2015年にノーベル文学賞を受賞している。

父親はベラルーシ人、母親はウクライナ人。典型的な「ソ連人」であったといえよう。

ソ連時代に生まれ育った人であるからこそ、共通言語であったロシア語で取材活動が可能となったのである。「支配言語」であったとはいえ、ソ連全域でロシア語でのコミュニケーションが可能であった。


『セカンドハンドの時代』は著者のいう「ユートピア五部作」の最後となる作品で集大成なのだという。

「ユートピア五部作」とは、『戦争は女の顔をしていない』『ボタン穴から見た戦争 ー 白ロシアの子供たちの証言』『亜鉛の少年たち』『チェルノブイリの祈り』そして『セカンドハンドの時代』の5つの作品である。

日本でも『戦争は女の顔をしていない』を原作にしたマンガがベストセラーになっていることもあって(続刊が継続中)、よく知られた作家になっているアレクシエーヴィチ氏。

1940年代前半の独ソ戦を女性視点で描いた『戦争は女の顔をしていない』、子どもの視点で描いた『ボタン穴から見た戦争』である。この2作はいまだ読んでないが、1980年代のソ連社会を描いた『亜鉛の少年たち』(・・ただし、増補版になる前の『アフガン帰還兵の証言』)と『チェルノブイリの祈り』はすでに読んでいる。

いずれもナマの声で構成されており、その響きは重い。1980年代に20歳台を過ごしたわたしには、とりわけそう感じられる。


■「未来」が失なわれた社会では、人びとは「過去」に「ユートピア」を求めることになるが・・・

『セカンドハンドの時代』には、三世代にわたるソ連人の声が収められている。

ソ連崩壊によって絶望して死を選んだ自殺者たち、その本人と残された家族、ラーゲリに収容された経験者と収容所の管理者、元兵士、ソ連時代の生活基盤が崩壊したインテリ層、地下鉄の爆破テロ被害者、旧ソ連の各地からきた難民たち。街頭のかわされる声、台所でかわされる声。

読んでいると、なんとも言いようのない気分になってくる。正直いって疲れてくる。連続して読み続けることができないのは、それぞれの人が語ることばがあまりにも重いからだ。しかも、それは複数の声であり、異なる声が重なり合い重層的になることで、見えてくるものがる。

これがソ連の現実であったのであり、ロシアの現実なのである。現実が酷いから、よけいに過ぎ去ったソ連時代の過去が「ユートピア」として美化されているのかもしれない。

だが、人びとの「感情」こそ大事なのだ。歴史書に残ることのないのが「感情」。その時代を生きた人びとの「感情」。その時代に生きた人たちが、どう思って生きていたのか。声なき声。

ソ連崩壊が生み出した無秩序。激しい憎悪。ゴルバチョフの「ペレストロイカ」に期待して失望させられ、「クーデター」の危機を乗り越えたエリツィンに期待して失望させられた人びと。激変をなんども体験しているロシア、しかし本質的になにも変化していないロシア

すべてが終わり新しい時代が始まるという「終末」の待望。だが、「黙示録」(アポカリプス)に求めた慰めは、無限に循環する「空」(くう)の魅力にとって代わられることになる。それぞれ新約聖書と旧約聖書のメタファーである。前者は『ヨハネの黙示録』、後者は『伝道の書』の「空の空なるかな」だ。

だからこそ、ソ連時代を懐かしみ、とくに「ブレジネフ時代」を懐かしむ気持ちはわからなくない

冷戦状況がデタントによって均衡していたブレジネフ時代は、停滞していたとはいえ、ロシア史においては、まれなほど平穏な時代であったのだ。自由は制限されていたが、極端な貧富の差はなく、民族差別もない(はずの)平等な社会であった。

読んでいて想起したのは『ヒルビリー・エレジー』である。米国の東南部で再生産される「貧困の無限ループ」ソ連崩壊後の旧ソ連もまた、その状態に陥っている。しかも、ロシアは500年以上にわたって「農奴制」がつづいた社会である。ソ連時代もまたその延長線上にあった。

そんな状況で待望されるのは、強権的なまでに強いリーダーである。右派的なリーダーである。米国ではトランプが大統領として登場した。ロシアではスターリンのようなリーダーが待望され、プーチンの支持が高止まりしている。米国においても、ロシアにおいても、そんな状況にあるのは、けっして理解できないことではない。

だが、そういうリーダーを選び出して支持した国民は、それぞれ期待が裏切られ、失望することになるのだろう。イソップの有名な寓話にあるが、ひたすら強い王を待望しつづけたカエルたちの末路のように。

歴史はそのまま繰り返すことはないが、「使い古しの過去」が手を変え品を変え繰り返されることになる。「セカンドハンドの時代」とはそういうことか。なるほどそうだなと思わざるをえない。


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目 次 
共犯者の覚え書き
第1部 黙示録(アポカリプス)による慰め
 街の喧騒と台所の会話から(1991~2001)
 赤いインテリアの十の物語
第2部 空(くう)の魅力
 街の喧騒と台所の会話から(2002~2012)
 インテリアのない十の物語
庶民のコメント
訳者あとがき
関連地図/関連年表/人名注


著者プロフィール
アレクシエーヴィチ,スヴェトラーナ(Светлана Алексиевич)
1948年ウクライナ生まれ。国立ベラルーシ大学卒業後、ジャーナリストの道を歩む。綿密なインタビューを通じて一般市民の感情や記憶をすくい上げる、多声的な作品を発表。戦争の英雄神話をうち壊し、国家の圧制に抗いながら執筆活動を続けている。2015年ノーベル文学賞受賞。

日本語訳者プロフィール
松本妙子(まつもと・たえこ) 
1973年早稲田大学第一文学部露文科卒業。翻訳家。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの



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