幕末に非業の死を遂げた「先覚者」は、佐久間象山や坂本龍馬など数知れない。
赤松小三郎という人もまた、非業の死を遂げた先覚者である。そのことは『幕末の先覚者 赤松小三郎 ー 議会政治を提唱した兵学者』(安藤優一郎、平凡社新書、2021)という本で知った。
おお、そんな人がいたのか! まったく知らなかった。
赤松小三郎(1831~1867)は、信州の上田藩に生まれた下級武士。数学が得意で、遊学先の江戸で内田五観(いつみ)の私塾「瑪得瑪第加」(マテマチカ)で数学を研鑽、さらにオランダ語を習得し、のちには英語も身に付けた。勝海舟の従者として長崎で海軍伝習所でさまざまなことを学んでいる。
だが、よく似た経歴をもつ福澤諭吉(1835~1901)とは違って、「万延元年遣米使節」には加われず、米国に渡航することはできなかった。すでに勝海舟の従者ではなかったからだ。「福澤諭吉」になりそこねてしまったのだ。
その後は、さまざまな紆余曲折があったが、横浜に駐留する英国陸軍部隊(*)の大尉からナマの英語と英国の歩兵操典を学び、英国式兵学者として身を立てる途が開ける。
(*)英国は居留地における自国民の権益を守るため、幕府の許可のもとフランスとともに陸軍部隊を駐留させていた。「英仏横浜駐屯軍」という。生麦事件など攘夷派によるテロが横行してきたことが背景にある。駐留期間は、1863年(文久2年)から1875年(明治8年)に及んだ。その規模は、英軍は1000人強、フランス軍は300人レベルであった。国家主権の観点から、日本の要求によって1875年に全面撤退することとなった。
「第2次長州征伐」に参加した上田の藩士として京都に駐留した小三郎は、帰国要請をかわしながら京都で兵学塾を開く。上田藩という小藩ではなく、日本全体を変革したい、そんな大きな野心を抱いていたからだ。 ちなみに、福澤諭吉も英語から「雷銃操法」「兵士懐中便覧」「洋兵明鑑」などを翻訳していることを付け加えておこう。
英語から翻訳した『英国歩兵操典』が評判となり、教えを請う者が続出。薩摩藩や会津藩などからも招聘され、教官として訓練にあたることになる。
だが、これが「あだ」になったのだ。変転きわまりない情勢のなか、昨日の友は今日の敵となる。
同盟を結んでいた薩摩藩と会津藩だが、関係が険悪化する。薩摩藩が倒幕に政策を転換し、長州と組むことで京都の治安維持にあたっていた会津藩を裏切ったのである。
軍事教官として双方に密接にかかわっていた赤松小三郎は、薩摩藩から幕府のスパイ扱いされ、抹殺されることになってしまったのだ。
斬ったのは、人斬り半次郎こと中村半次郎(のちの桐野利秋)である。護身用のピストルを抜く暇もなく、叩き斬られたのであった。薩摩示現流の遣い手を前にしては、ピストルなどなんら用をなさなかったわけだ。暗殺の背後関係については不明なままだというが、薩摩藩の統一意思であることと考えるべきだろう。
福澤諭吉の『西洋事情』にもインスパイアされ、議会制度の建白書を幕府にも提出(・・慶喜も目を通したらしい)し、なんとか内戦を回避したと願って奔走していたのだが・・。
時代に先駆けた「先覚者」は非業の死を遂げる。36歳で死んだ赤松小三郎もまた、その例外ではなかった。
幕府を倒す原動力になった薩摩藩の陸軍を教練した、「恩人」ともいうべき人物を葬り去った薩摩藩。非情なものである。存在すら知られることなく100年以上も経過していたのである。それだけ、薩摩藩による隠蔽工作が成功していたということだろう。
相楽総三もそうであるが、名誉回復をはかる動きが出てきているのである。消し去ってしまったはずの薩摩藩の「黒歴史」に、ふたたび光が当たり始めている。
数学と英語が得意なこの人物は、もうすこし遅く生まれていたら、どんな分野であっても間違いなく成功を収めたことだろう。現代に生まれていたら、難関大学も突破しているはずだ。生まれる時代は、自分には選べない。
とはいえ、こんな人物がいたのだということは記憶にとどめておきたい。
目 次プロローグ ― 幕末史から消されていた憂国の志士第1章 上田藩に生まれる ― 学問に励む日々第2章 勝海舟との出会い ― 長崎での日々第3章 英式兵制と横浜居留地 ― 内戦の勃発第4章 幕末政局の舞台・上方に向かう ― 薩摩藩の接近第5章 憂国の志士として奔走する ― 雄藩の合従連衡第6章 非業の死 ― 小三郎が夢見た新国家エピローグ ― 赤松小三郎の遺産赤松小三郎関連年表参考文献
著者プロフィール安藤優一郎(あんどう・ゆういちろう)1965年千葉県生まれ。早稲田大学教育学部卒業、同大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。文学博士。JR東日本「大人の休日倶楽部」など生涯学習講座の講師を務める。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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