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2023年1月19日木曜日

書評『生き方としての哲学』(ピエール・アド、小黒和子訳、法政大学出版局、2021)ー 西洋文明のまっただ中で育ったフランス人哲学者が「古代哲学」に見いだしたもの

 

「生き方としての哲学」とは、じつに魅力的なタイトルではないか! 原著のタイトルは、La philosophie comme maniere de vivre という。「生きる様式」。日本語タイトルには珍しく、ほぼ直訳である。 

ピエール・アド(Pierre Hadot 1922~2010)は、古代哲学研究家で哲学者。30歳で教会から離れるまでカトリックの司祭だった人だ。つまり、西洋文明にまっただ中で、西洋文明にどっぷり漬かって育ったフランス人である。 「第2バチカン」以前だからなおさらである。

だが、感性レベルにおいてはキリスト教的ではないもの、キリスト教とは相容れないものを子ども時代からもっていたようだ。そんな哲学者が、古代ギリシアや古代ローマの「古代哲学」に見いだしたものは、西洋の近代哲学のように体系化を目的とする哲学ではなく、「哲学をつうじて人間を育成」するスタイルのものであった。それが著者のいう「生き方としての哲学」である。 

ソクラテスの哲学、すなわちその生涯そのものに体現されているのが「生き方としての哲学」であり、ストア派やエピクロス派の哲学には「精神の修練」が方法論として実践されていたのであった。 

ピエール・アドの名前を初めて知ったのは、フランスの哲学者ミシェル・フーコーの晩年の著作を通じてである。アドによる「精神の修練」(exercise spirituelle)ということばと概念を知ったのも、そのときだった。 

『超訳 自省録 よりよく生きる』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2019)を作成する際に、大いに役立ったのが「精神の修練」についてのフーコーの言及であった。参考文献に上げてあるので、気づいている人もいるかもしれないが。 

ストア派の哲学者であった皇帝マルクス・アウレリウスにとって、「書く」ことは「スピリチュアル・エクササイズ」(精神修行)であるとして援用したが、3年前のその時点では、まだピエール・アドの翻訳がなかったので、時間的制約もあって参照できなかったのだ。 

江戸時代の日本人の「修養」をめぐる思想を考察した『修養の思想』(西平直、春秋社、2020)を読んだあとでは、「精神の修養」としておいたたほうが良かったかもしれないと思う。哲学を通じて「自己を養い」、「他者への共感を養う」という含意があるからだ。 

ようやく2021年になって日本語版がでた『生き方としての哲学』は、フランス人と米国人の2人の哲学者との対話録である。哲学者アドの半生をたどりながら、古代哲学に見いだした「生き方としての哲学」と「精神の修練としての哲学」について、さまざまな形で語られる。 

そうして見いだされた古代ギリシアや古代ローマの哲学は、むしろキリスト教の影響を受けなかった時代の東洋哲学ときわめて近いものであることを感じるのである。過去でも未来でもなく「現在というこの瞬間」こそ大事なのだという哲学。仏教哲学にも近いものがある。 

現代日本人を含めた東洋人にとっては、「人生哲学」という表現に見られるように、「生き方」そのものが「哲学」であることは当たり前のように響く。 

だが、西洋文明のまっただ中において、古代哲学においては「生き方」が「哲学」であったことを、欧米の一般読者に示した哲学者アドの功績はきわめて大きい。この哲学者は、西洋世界を一歩もでたことはなく、しかもインド哲学や中国哲学の研究者ではないのである。 

さらにいえば、欧米の読者だけでなく、日本人読者にとっても、人生哲学もまた哲学なのだという安心感をあたえてくれる。その意味では心強いものを感じるのである。 

この本は、西洋哲学史の読み換えにもなりうる内容の本である。もちろん、著者がそう言明しているわけではないが、古代ギリシアと古代ローマの哲学を、かならずしも西洋近代哲学の枠組みのなかだけで理解する必要がないことを示していることになるからだ。 

その点では、古代ギリシア哲学を「東洋哲学」の枠組みのなかでとらえていた、イスラーム哲学研究の世界的権威で哲学者であった井筒俊彦の『神秘哲学 古代ギリシアの部』とあわせて読むべき本であろう。 

すでに亡くなってから10年以上もたっており、遅きに失した感がなきにしもだが、ピエール・アドの著作は、もっともっと日本語訳してほしいもである。 



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目 次
はじめに 
第1章 教会の法衣のもとで
第2章 研究・教育・哲学 
第3章 哲学の言述 
第4章 解釈・客観性・誤読 
第5章 合一体験と哲学的生 
第6章 精神の修練としての哲学 
第7章 生き方としての哲学、知の探求としての哲学 
第8章 ソクラテスからフーコーまで―ひとつの長い伝統 
第9章 受け入れがたいもの? 
第10章 いま在ることがわれわれの幸福 
結びとして 
訳注/訳者あとがき/人名索引 


著者プロフィール
ピエール・アド(Pierre Hadot)
1922年生。パリのカトリック家庭に生まれ、神学教育を受ける。15歳で高等神学校に進級、22歳で司祭の資格を得たのち、ソルボンヌで神学・哲学・文献学を学ぶ。27歳でCNRS(フランス国立科学研究センター)の研究員となり、宗教界を離れて哲学の道を選ぶ。文献学の研究を土台として、古代ギリシア思想と新プラトン主義、とくにプロティノス研究で著名となる。1963年には EPHE(高等研究実習院)のディレクター、1982年にはミシェル・フーコーの推薦もありコレージュ・ド・フランスの教授に就任。2010年没 

日本語訳者プロフィール
小黒和子(おぐろ・かずこ) 
東京女子大学文理学部英米文学科卒業。米国ワシントン大学大学院修士課程修了。元東京女子大学助教授、元早稲田大学非常勤講師
(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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