(心の経営 Soul Management)
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「個人主義」社会中国で会社に求心力をもたせることは可能か
「宗族」(そうぞく)を社会構成の基本原理とする
中国人は、自分と家族と宗族(=一族)以外はいっさい関心がない。西洋型とは異なるが「個人主義」が社会の根本にある。
そんな個人主義社会で、従業員を「家族」として扱う「稲盛哲学」が受け入れられているのを見ると、なんだか不思議な感覚を覚える。
人間関係を中心に動くことは日本人と同じだが、中国人のロイヤルティは基本的に会社には向かないのである。つまり
会社への所属意識はないということだ。その点でドライである。
「経営家族主義」というのは、「昭和時代」に生まれ育ってその「空気」を知っているわたしのような日本人にはかならずしも奇異には映らないが、平成生まれの日本人や、中国人にとっては信じられないものかもしれない。
しかし、『未来世紀ジパング』でも紹介されていたように、成都の不動産会社の従業員大集会は実際に開催されたものであり、
熱狂的な稲盛ファンが増殖中であることも否定できない事実なのだ。アイドルのコンサートのようだというコメントも可能だが、なんだか
「文化大革命」時代の紅衛兵の大集会を想起させるものもある。
(「稲迷」とは稲盛ファンの意味。不動産会社の大集会 番組サイトより)
番組で取り上げられていたのは、不動産業やエステ・チェーンといった
サービス業のオーナー企業であった。
顧客との直接の接点が多い、こういった業種から中国企業が変わっていくのだろう。顧客からのレスポンスがダイレクトなだけに、いったん好循環が形成されれば、さらにクチコミで評判が拡がっていくことが期待されるわけだ。
「稲盛哲学」は「拝金社会主義中国」を変えることができるか? という問いを立てた。
もちろん
中国企業から中国社会を変えていくことに期待されるが、
日本でもそうであるように「稲盛哲学」は中堅中小企業を中心とするオーナー企業に限定されるのではないかと考えられる。
中国には国有企業というきわめて強固な岩盤が存在する以上、意識変革はそう簡単にいくものではないだろう。また、かつて中国で広く学ばれた松下幸之助流の日本型経営は、グローバル経営のもとアメリカ流の資本主義経営に取って変わられていることも事実である。
だが、
変化というものは、「域値」を超えると爆発的になる。「
稲盛哲学」が「拝金主義に染まった中国企業」を変えていけば、中国社会を変えることにもつながる可能性はある。大いに期待したいものである。
グローバル化は海外から国内に押し寄せてくる津波のように感じている日本人が多いと思うが、
「稲盛哲学」のように日本から海外に拡がっていくのもまたグローバル化だということを知るべきであろう。「鑑真は日本に漢文を教え、稲盛は中国に哲学を教える」というコトバが成都の不動産会社の大集会の垂れ幕にあった。
日中関係が悪化しようがしましが、それとこれとは関係ないということ。よいものはよいよいものは受け入れるという
中国人の姿勢は、ある意味ではプラグマティズムそのものだ。おおいに結構なことではないか!
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なぜ中文版の『活法』は日本語版よりも売れているのか?
ビジネス関係のブログであれば以上で終わりにしても良かったかもしれない。あるいはまた、京セラで実践されてきた
「アメーバ経営」についても触れておいたほうがよかったかもしれない。
だが、こちらのブログは、「"思索するビジネスマン" が惜しみなく披露する「引き出し」の数々。ビジネスを広い文脈のなかに位置づけて、重層的かつ複眼的に考える」といううたい文句を標榜している。より広い側面から「稲盛哲学」について考えてみたい。
なぜ「稲盛哲学」が中国で熱狂的に受け入れられているのか?
このテーマを考えるには
「稲盛哲学」が「経営哲学」に収まりきらないものをもっていることに触れておかねばならない。
(わたしが購入して読んだ2013年6月発行の第88刷)
稲盛和夫氏の『生き方 ― 人間として一番大切なこと』(サンマーク出版、2004)を読んだ方は納得していただけると思うが、稲盛哲学は道徳性や倫理性のきわめてつよい「経営哲学」であるだけでなく、
宗教的というかスピリチュアルな印象のつよい「心の哲学」である。
「魂の哲学」と言ってもいいだろう。
稲盛氏じしんが
「魂を磨くいていくことが、この世を生きる意味」だと説いておられる。ちなみに中文では「人生的意义在于修炼灵魂」となっており、「魂」の文字がそのままつかわれている。
稲盛氏の私塾である「盛和塾」の塾生である中小企業の経営者たちにむけた
『経営者とは ― 稲盛和夫とその門下生たち』(日経トップリーダー編、2013)のなかで、稲盛氏は孫引きではあるが
哲学者・井筒俊彦の発言を読んで大いに感じるものがあったと語っている。イスラーム哲学の研究者として世界的権威であった
井筒俊彦だが、みずからをプラトニストと規定していた「魂の哲学」を追求した人 でもあった。
日本でも刊行以来10年で100万部を突破している『生き方』は、企業経営者のワクを超えて一般人にも読まれている。その理由は
有限の人生のなかで自分が「存在」する意味と何をなすべきかについて、実践活動をつうじた思索をわかりやすいコトバで語っているからだろう。
『生き方』はあくまでも日本人向けに書かれた本なので、登場する事例や歴史上の人物もみな日本人である。
だが、
中文版の『活法』はオリジナルの『生き方』より先に100万部を突破しているのである。中国の読者に熱狂的に受け入れられているのは、
日本人読者が感じる以上のものがそこにあるからはないだろうか。
■中国人の「精神的空虚」と「精神的飢餓」状態
昨年(2013年)10月にNHKで放送された2つの特集番組が、その理由の一端を与えてくれると思う。
NHKスペシャル 中国激動 "さまよえる"人民のこころ (2013年10月13日放送)と
中国で拡大するキリスト教 (NHKワールドWAVEまるごと 2013年10月21日)である。
番組紹介文の一部をここに掲載しておこう。(*太字ゴチックは引用者=さとう)
NHKスペシャル 中国激動 "さまよえる"人民のこころ (2013年10月13日放送)
経済的な成功に代わる新たな“心のより所”を模索し始めた中国の人々の内面に迫る。
今、人々の間で急速に求心力が高まっているのが、2500年の伝統を誇る中国生まれの“儒教”だ。「他人を思いやる」、「利得にとらわれない」ことを重要視する儒教にこそ、中国人の心の原点があるとして、儒教学校の設立や、儒教の教えを経営方針に掲げる企業が続出。現代風にアレンジした新興グループまで登場し、中国全土に儒教ブームが広がろうとしている。国も、かつては弾圧の対象でもあった儒教を認め、支援することで人々の心を掌握しようとしている。拝金主義の夢から覚め、「心の平安」を求める人々――。次なる時代へと向かおうとする中国の姿
中国で拡大するキリスト教 (NHKワールドWAVEまるごと 2013年10月21日)
高尾 「習近平体制発足から1年。これまでのような高い経済成長が難しくなる中、中国は今、“宗教”という新たな課題に向き合わざるをえなくなっています」。 黒木 「物質的に豊かになる一方で、激しい競争社会に疲れ、宗教に心のよりどころを求める人々が増えています。最も信者を増やしているのが、キリスト教です。中国には、以前から政府の管理下にある公認の教会がありましたが、今、急増しているのは、政府の公認を受けない"家庭教会" と呼ばれる教会です。現地で取材しました」 (参考) YouTubeに動画あり(いつ削除されるかわからない)。
プライドが高いがゆえに傷つきやすく、脆弱な性格をもっていることも指摘される中国人が、欧米や日本という先進国に対する精神的劣等感の裏返しとして「反日」に走るのは、捌け口を外部に求めたものである。だが、それ以上に拡がっている精神的飢餓状況にこそ注目しなければならない。
アメリカ型の弱肉強食の競争社会のなかでストレスをため、心が折れそうになっている中国人は、いったいなにを心の支えとしたらよいのか。その答えが儒教回帰であり、キリスト教への入信ということなのだろう。
民衆支配の学としての
儒教が社会の安定を上から行うものであるとすれば、
個人の精神的安定を下からもたらすものは基督教(=キリスト教)であるといってよい。
儒教が中国で生まれた伝統的な教えであるとすれば、
キリスト教はアメリカ映画などで親しんできた都会的で近代的なイメージをもった宗教であるともいえる。
儒教があくまでも「集団のなかの個」の生き方であるのに対し、
キリスト教、なかでもプロテスタントは「個」そのものの生き方を問うものである。