『佐久間象山 上・下』(松本健一、中公文庫、2015)を読了。帯によれば、著者が「病床で手を入れた最後の本」だという。原本は『評伝 佐久間象山』というタイトルで2000年に出ている。
文庫化されて購入してから8年、積ん読のままだった。先日ようやく陽明学の山田方谷(やまだ・ほうこく)の評伝を読んだこともあり、「佐門の二傑」と呼ばれたライバルの佐久間象山も読まねばなるまいと思って、ついに読むことにした次第。
読み応えのある評伝であった。上下あわせて700ページ近いボリュームだが、まったく飽きさせない。
「革命思想家」であったと著者がいう象山の生涯を描いて、この作品を越えるものはなかろう。
明治維新後の殖産興業と富国強兵路線を先取りし、その見取り図を描いた先覚者である。朱子学者として出発し、「格物究理」(=格物致知)から西欧の科学と技術の「理」を「究」めようとした洋学者でもあった。
(『省諐録』のなかで「詳証術」=数学の重要性を説く象山)
尊王も攘夷も超えた次元での「日本」を想定していた愛国者であり、最期はテロの嵐が吹き荒れた幕末の京都で、長州攘夷派による凶刃に倒れている。 愛弟子であった吉田松陰の弟子達によるものだけに、なんとも皮肉な話である。
山田方谷とのからみでいえば、昌平黌では朱子学を講じながらも、陽明学への傾斜を隠さなかった儒者の佐藤一斎。その陽明学の側面に大きな影響を受けたのが方谷であれば、徹底的に朱子学にこだわったのが象山であった。 その意味では、象山にとっての佐藤一斎は反面教師であったようだ。
プライドのきわめて高い象山は、朱子学については自分でやるから教わる必要はない、文章については一斎に学ぶべきものがあるとして実行していたという。象山らしいエピソードである。
(文庫版の帯)
そんな象山を代表するものとして著者が引き出し、本書を貫く主要旋律となるがのが、帯にも引用されている、つぎの2つのフレーズである。
●「夷の術を以て夷を制す」●「宇宙に実理は二つなし」
あくまでも愛国者の立場から、「夷」(=西欧)の技術でもって「夷」(=西欧)を制するとする。地球が一体化した時代に真理は一つしかないとする。東洋だろうが西洋だろうが、真理は一つである。だから、西洋の技術を徹底的に身につけることで、他者に侮られない強い自分をつくることができるのだ、というのが趣旨である。
象山といえば、「東洋道徳・西洋芸術」(・・ここでいう芸術とは技術のこと)がよく知られている。のちに「和魂洋才」という通俗的なフレーズで一般に知られることになるが、著者はそれでは象山をつかみきれないとする。だから、先の2つのフレーズなのだ。 とくに後者の「宇宙に実理は二つなし」は、象山の思想の歴史的意味を考えるうえできわめて重要である。
もともと朱子学者であった象山は、アヘン戦争(1840年)の衝撃のなかで「夷の術を以て夷を制す」を歩むことになる。34歳ではじめてオランダ語を学び、たった2ヶ月でマスターしたという猛烈ぶりだ。
佐久間象山といえば、愛弟子の吉田松陰を黒船に密航させようとして失敗したことでも知られているが、その本意は「夷の術を以て夷を制す」にあったのである。間者として米国に送り込んで敵情を知る。「敵を知り己を知れば・・」の孫子の兵法である。あくまでも軽挙妄動を戒めていた。
「宇宙に実理は二つなし」は、もう一人の愛弟子であった長岡藩士の小林虎三郎が帰郷する際にあたえた文章にでてくるという。小林虎三郎は「米百俵」の人である。かれは吉田寅次郎(=松陰)と並んで象山門下の「両虎」と呼ばれていたという。
(象山の『省諐録』は明治4年に勝海舟の尽力で出版された)
佐久間象山については、ずいぶん昔から親しくその名前を知っていた。たぶん勝海舟の『氷川清話』を中学生のときに愛読していた以来のことだろう。
だが、あくまでも蘭学者(=洋学者)としての興味に限定されていたように思う。 今回、松本健一氏による評伝を通読して、朱子学者として出発したその生涯をはじめてくわしく知った。
(中学時代に購入した岩波文庫の『省諐録』 もちろん読みこなせるはずもなかったが・・)
象山の『省諐録』(せいけんろく)は昔から読んできたが、松本健一氏の本書はその注釈書にもなりうる。 逐条解説というわけではないが、重要な文章を取り上げて論じているからだ。
引用された象山の文章にのほぼすべてに現代語訳がなされている。ややうっとおしい感もなくはないが、漢文訓読体になれていない人には、大いに助けとなるだろう。
明治維新から150年、途中にはさまざまな紆余曲折があったものの、基本的に佐久間象山が見通していた道を歩いてきた日本。
あらためて佐久間象山という思想家について知ることは、日本の行く末について考えるためにも重要ではないか。
目 次序章 象山暗殺第1章 宇宙に実理は二つなし第2章 非常の時、非常の人第3章 『省諐録』第4章 異貌のひと第5章 東アジア世界図の中に第6章 夷の術を以て夷を制す第7章 黒船来航第8章 開国第9章 幽閉生活のなかで第10章 再び幕末の動乱へ第11章 統一国家のために終章 人事の尽くるところ佐久間象山人間関係図
著者プロフィール松本健一(まつもと・けんいち)日本の評論家、思想家、作家、歴史家、思想史家。麗澤大学経済学部教授。 中国日本語研修センター教授、麗澤大学経済学部教授、麗澤大学比較文明文化研究センター所長、一般財団法人アジア総合研究機構評議員議長、東日本国際大学客員教授、内閣官房参与(東アジア外交問題担当)などを歴任した。主な著書に『近代アジア精神史の試み』(岩波現代文庫、アジア・太平洋賞受賞)、『日本の近代1 開国・維新』(中公文庫、吉田茂賞)、『評伝北一輝 全五巻』(中公文庫、毎日出版文化賞・司馬遼太郎賞)など多数。2014年没。(本データは『「孟子」の革命思想と日本』2014年が刊行された当時に掲載されていたものに wikipedia 情報で加筆)
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・・冒頭に米国の思想家エマソンの一節が引用されている。
Trust thyself : every heart vibrates to that iron string. ――Emerson.
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