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2023年3月27日月曜日

「セイコーミュージアム銀座」で時計の歴史を知る(2023年3月25日)ー 「企業ミュージアム」はパブリック・コミュニケーションとしてすばらしい取り組みだ

 
銀座といえば4丁目の交差点にある和光本館の時計塔が有名だが、そのおなじ銀座4丁目に「セイコーミュージアム銀座」がある。以前は墨田区にあったものが、2年前の2020年に銀座の一等地に移転したのである。 

先日(2023年3月24日)のことだが、移転後の「セイコーミュージアム銀座」にはじめて行ってきた。墨田区にあった時代にその近くまで行ったことがあるが、その日はあいにく定休日だった。  

「入場無料」だが「完全予約制」なので、事前にウェブサイトから予約しておく必要があるのは、スペースが狭いから収容可能人数に限りがあるためだ。これは実際に訪問してからわかった。 

受付で名乗ると「佐藤さま、お待ちしておりました」と、なんだか高級ホテルのような接客である。さすが銀座だな。簡潔だが丁寧な説明を受けてから、さっそく視察に入る。 

ミュージアムは、地下1階から5階まで時計の歴史と服部時計店(=精巧=セイコー)の歴史を、具体的なモノ、つまり時計の実物の展示をつうじて知ることができる。

5階から1階ずつ下りながら見ていく。各階ごとのスペースは狭く、しかも移動手段がエレベーターしかないのは不便であるが、それは仕方ない。なんせ銀座の一等地なのだから。

個人的に関心があるのは、当然のことながら「機械時計」の歴史である。13世紀に生み出された機械時計は、まさに中世ヨーロッパのキリスト教文明の産物。修道院における祈りの時間を正確に知り、告知するのが目的であった。天体の動きを歯車の回転で表現する機械時計は、イスラーム文明の産物ではないのである。 

(3階は「和時計」を中心に展示 筆者撮影)

このミュージアムでも、「和時計」のコレクションが充実している。近代日本の時計産業は、まさに創業者である企業家の服部金太郎によって始まったものだが、その前史として江戸時代の「和時計」があったからだ。 

東京にある「和時計」のコレクションは、これで3つ見たことになる。谷根千にある私設の「大名時計博物館」、そして上野の「国立科学博物館」、そしてこの「セイコーミュージアム銀座」である。 

機械時計による物理的時間を、季節によって昼夜の時間が変化する「不定時法」に変換する技術を織り込んだ「和時計」。 

明治維新後の「西欧近代化」のなか、太陽暦と定時法の採用によって、ガラパゴス化して無用となってしまった「和時計」だが、日本人の創造性の重要な証拠として捉える必要があるのだ。 



ミュージアムでは、その「和時計」について記したパンフレットが無料で入手できる。ただし、日本語版はなく英文版のみである。題して "The World of Japanese Traditional Clock" 。なかなか充実している。訪問客は、かなりの割合で外国人観光客が多いからだろうか。 

その前を通りかかったから、ちょっと寄ってみたというわけにはいかないが、事前予約さえしておけば確実に観覧できる時計の歴史と、日本における時計産業について知ることのできる「企業ミュージアム」であった。 

企業広報のパブリック・コミュニケーションとしては、すばらしい取り組みというべきであろう。銀座の一等地にありながら、直接収益を生み出すわけではない施設にお金をかけているのだから。





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2015年9月15日火曜日

書評『自動車と私 ― カール・ベンツ自伝』(カール ベンツ、藤川芳朗訳、草思社文庫、2013 単行本初版 2005)― 人類史に根本的な変革を引き起こしたイノベーターの自伝



『自動車と私  ―  カール・ベンツ自伝』(カール ベンツ、藤川芳朗訳、草思社文庫、2013)は、いまから90年前の1925年に、当時80歳の「自動車の父」が発明のプロセスについて語った自伝である。

原題の直訳は、『あるドイツ人発明家の人生行路』というシンプルなものだ。人類史に根本的な変革を引き起こしたイノベーターでありながら、このそっけないタイトル。昔かたぎのドイツ人らしく、実直で飾り気のない、しかも謙虚な人柄がにじみでている。

いまから130年前の1886年になされたカール・ベンツによる自動車の実用化は、まさに人類史において革命的な変化をもたらした技術上の発明である。ただ単に技術史上におけるだけでなく、人間生活すべてを変革したといっていい。それは自動車を意味するオートモービルというコトバに集約されている。自動車は、人間に陸上移動の自由(モビリティ)をもたらした。そしてその延長線上に空への飛翔がある。

カール・ベンツ自身の表現を引用しておこう。

重い地面から自分を引き離し自由にしようという努力、空間の奴隷から空間の支配者になりたいという努力のうちに、発明家が世代から世代へとつづき、数千年にわたる文明の発展を実現した。
橇(そり)やコロを使った輸送手段が考え出され、それから手押し車、二輪馬車、そして四輪馬車へと発展していった。しかしそこで文明は停滞し、数千年のあいだ人間がため息をつきながら、あるいは家畜があえぎながら、車を引く時代がつづいた。卓越した発明家たちが、家畜の代わりに機械が引く車の開発に取り組んだが、成功にはいたらなかったのである。
この状況に変化が訪れたのは蒸気機関が発明されたのちのことであった。・・・(P.194)

蒸気機関から内然機関へ。蒸気機関車から、さらには軌道を要しない自動車の発明へ。自動車の実用化は、カール・ベンツというビジョナリーで強固な意志をもった、類まれな発明家にして起業家の「手」によってなされたのである。しかも、ほぼすべての部品から設計し、じっさいに自分の手で作ったのである。

ここで「手」というコトバをつかったのは、カールベンツ自身が自伝のなかで何度も、手仕事の重要性について語っているからである。もともとは鍛冶屋という職人の家系に生まれた人なのだ。アタマだけではなく手の重要性について語っているのがじつに印象的だ。

父親が早く亡くなったために母子家庭で育ったカールは、母親の希望でギムナジウムに通ったものの(・・この自伝によれば19世紀前半にはリツェリウムと呼ばれていたらしい)、生来の実験好き、工作好きが高じて、職人の世界に入ってマイスター(=親方)について修行もしている。当時はまだ工科大学はなかったからだ。工科大学(=ポリテクニーク)というコンセプトは、19世紀初頭のナポレオン時代のフランスで生まれたものだ。

戦後日本の天才技術者で起業家の本田宗一郎にも『私の手が語る』という本がある。本田宗一郎もまた鍛冶屋のせがれで、自動車の修理工からはじめて、ついには自分の自動車会社をつくった人だ。ものづくりには、アタマと手の両方が重要なのである。

カール・ベンツがすごいのは、まったくのゼロからというわけではないが、全体構想から部品にいたるまで、ほぼすべてを独力で実現したことにある。ディファレンシャル・ギア、ラジエーター、ステアリング装置など、現在でも自動車に絶対必要な技術はすべて彼の発明になる。まさに自動車の原型をつくた人であることが、この自伝に詳細に書かれている。

この自伝はまた19世紀後半の生きた同時代史でもある。1844年生まれのカール・ベンツは、ドイツのナショナリズムの勃興期を体験した人である。1871年のドイツ統一の話は出てこないが、母親の世代が語っていたという、祖国の蹂躙者であるナポレオンの見方には、いわゆる狭義の知識階級とは違うものが感じられる。

19世紀がいかに革命的な世紀であったかは、自動車をはじめて見た人々の反応に現れているといっていいだろう。「馬のない車」に驚き、おののいた人たちの反応が、自動車が当たり前に存在する現在から見ると、じつに不思議な印象を受ける。

私の思い出の宝箱からいくつかおしゃべりをしてみたいと思う。まずは自動車がはじめて出現したころ、見慣れぬ乗り物が人間にも動物にもどれほど異様な印象をあたえたか、思い浮かべていただかなければならない。馬は新しい競争相手に愛情も理解も示さず、恐ろしがってすぐさま逃げ出そうとした。また、それまで自動車など見たこともなかった村に入ると、子供たちは飛び上がり、大声でわめいた。「魔女の車だ!魔女の車だ!」そして一目散に家に帰って中に飛び込むと、扉を閉めて閂(かんぬき)をかけた。・・(以下略)・・(P.131)

あたらしい技術の出現は、つねに人々を驚かせ不安を抱かせるが、自動車もまたっそうだったのだ。この回想から、自動車が馬車の延長線上にあり、自動車とは「馬のない車」ということの意味がよく理解できる。

この自伝を読んでいて意外だったのは、ドイツで発明された自動車だが、初期段階の工業化においてはフランスやアメリカの後塵を拝する結果になったというくだりだ。スピードよりも安全性、信頼性を重視したと本人が語っているが、これが現在にいたるドイツ車のゆるぎない評判をつくりだしていることは言うまでもない。自動車王国となっている日本だが、高級車の分野では圧倒的な存在のドイツには、かないそうもないのは事実である。

自動車が発明されてから130年、現在では自動車という機械(マシン)のない世の中など考えられない。発展途上国を除けば、先進国ではアメリカの正統派アーミッシュのように現在でも自動車を拒否して馬車をつかう人たちもいるが、ごく限られた少数派である。エネルギー問題のからみから、自動車のない世の中を切望する声も増え始めているが、自動車に代表される機械文明が終わることは現時点では考えにくい

2000年代に入ってからは、電気自動車(EV)、2010年代には無人運転の実用化にむけての競争が激化している。19世紀後半に馬車から馬が消え、21世紀前半には自動車から運転手が消えることになる。燃料にかんしてはガソリンや軽油などの石油製品からエネルギーとしての電気へ、と。だが、自走式の四輪という自動車の本質そのものに大変化が生じるわけではない。そう考えると、あらためてカール・ベンツによる自動車の実用化が革命的な変化であったことが実感される。

ドイツ南部の都市シュトゥットガルト駅の駅舎にはベンツのマークが掲げられている(・・後述の<付記>を参照)。シュトゥットガルトのメルセデス・ベンツ博物館を訪れると、自動車文明はカール・ベンツから始まることが具体的なモノをつうじて実感することができるはずだ。わたしは2007年に訪れた際に、そう実感した。

カールベンツは、まさに「技術で世の中を変え」た人物であった。






目 次

原出版社によるまえがき
  
村の鍛冶屋の炎に照らされて
父と母
幼年時代のカール
夏休みの楽しみ
ギムナジウム時代
「若いころはおいらも怖いもの知らずで、途轍もない目標を心に秘め、つぶらな瞳で人生を覗いていたものさ」
遍歴時代
ボーン・シェイカー型自転車に乗って
自分の家と作業場
生涯で最高の大晦日
抵抗に遭う
新しい二サイクル・エンジン
製図板の自動車から生きている自動車へ

初めての走行
最初の新聞記事
自動車の未来をめぐる戦い
警察が新しい車の前に立ちはだかる
世界へ乗り出そう!
新発明の車、1888年のミュンヒェン博覧会で金メダルを受賞
最初の買い手がフランス、イングランド、アメリカから訪れる
三つの部分からなる車軸の開発
最初のころどんな騒ぎがあったか
ドイツとハンガリーとボヘミアからの最初の買い手
忘れるな、自分がドイツ人であることを
ドイツの自動車産業の興隆
文化財としての自動車
自動車の《発明者》
80歳の誕生日(1924年11月26日)
スポーツの楽しみ
ミュンヒェンの祝賀会
回想と展望
フィナーレ
 
訳者あとがき
カール・ベンツ略歴年表


著者プロフィール

カール・ベンツ(Karl Benz)
1844年生まれ。1886年にエンジン駆動車(モートーア・ヴァーゲン)の特許を取得し、自動車を初めて実用化した発明家。ディファレンシャル・ギア、ラジエーター、ステアリング装置など、自動車に必要不可欠なあらゆる装置を発明し、現在まで使われる自動車技術を完成させた。また自動車メーカー、ダイムラー・クライスラー社の創立者の一人でもあり、その名前は高級車「メルセデス・ベンツ」にいまも残る。1929年没 。

翻訳者プロフィール

藤川芳朗(ふじかわ・よしろう)
1968年、東京都立大学大学院修了。現在、横浜市立大学教授。訳書にフリードマン『評伝へルマン・ヘッセ―危機の巡礼者(上・下)』、クローカー『グリムが案内するケルトの妖精たちの世界(上・下)』(以上、小社刊)、ベンヤミン『モスクワの冬』(晶文社)、クリストフ編『マリー・アントワネットとマリア・テレジア秘密の往復書簡』(岩波書店)、ダンカー『盗賊の社会史』(法政大学出版局)などがある。(出版社サイトより)


<付記> メルセデス・ベンツ博物館について

ドイツ南部の都市シュットッツガルトは、駅舎のてっぺんにベンツのロゴが飾られているくらい、メルセデス・ベンツの町である。


(シュトゥットガルト駅の駅舎 筆者撮影)


そのシュットゥットガルトには、メルセデス・ベンツ博物館(Mercedes-Benz Museum)がある。

いわゆる企業ミュージアム(=企業博物館)であるが、本書にあるように、カール・ベンツによる自動車の実用化が世界初めてのことだったこともあり、一企業の枠組みを超えた自動車そのものの博物館としての存在意義のあるものだ。


(メルセデス・ベンツ博物館 筆者撮影) 


わたしは2008年に訪れることができたが、見学はまずは最上階かららせん状に時代を下っていく構成になっている。もちろん頂点に展示されているのは、1886年のベンツ車

だがじつは、そのまえに馬車の展示と、馬の剥製の展示がある。自動車は馬車の延長線上にあることが、実物展示で示されているのだ。



(カールベンツによる自動車第一号の実物 筆者撮影)


ところで、日本ではメルセデス・ベンツのことを略して「ベンツ」というが、ドイツでは「メルツェデス」と呼ばれる。アメリカでは英語読みでマーシーディスという。

「メルセデス」(=メルツェデス)は、当時ダイムラー車のディーラーを経営していたハプスブルク帝国の領事で、ユダヤ系ドイツ人のエミール・イェリネックの娘の名前から採られたものだ。1899年に命名されたもので、きわめてスペイン語風の響きをもつ名前だ。

ドイツを代表する自動車メーカーのダイムラーとベンツが合併した結果、メルセデスベンツとなり、現在に至っている。

この件については本書には記述はないのは、カール・ベンツ没後のことだからである。

(2015年9月24日 記す)
 



<ブログ内関連記事>

自動車は「馬のない車」

書評 『馬の世界史』(本村凌二、中公文庫、2013、講談社現代新書 2001)-ユーラシア大陸を馬で東西に駆け巡る壮大な人類史
・・「英国ではイタリアの馬術書の影響が深まるにつれて management(マネジメント)というコトバが生まれたという事実だ。 英語の management はイタリア語の maneggiare から派生したそうだが、もともとはラテン語の manus(手)に由来するという。management とは馬を手で扱うことを意味したのだそうだ。経営は馬の世話から始まったのだ!」

書評 『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976)-具体的な動植物イメージに即して「西欧文明」と「西欧文化」の違いに注目する「教養」読み物

ミャンマーではいまだに「馬車」が現役だ!-ミャンマーは農村部が面白い


西欧における機械文明

書評 『ねじとねじ回し-この千年で最高の発明をめぐる物語-』(ヴィトルト・リプチンスキ、春日井晶子訳、ハヤカワ文庫NF、2010 単行本初版 2003)-「たかがねじ、されどねじ」-ねじとねじ回しの博物誌
・・機械に欠かせない部品としてのねじ

『西洋事物起原 全4巻』(ヨハン・ベックマン、特許庁技術史研究会訳、岩波文庫、1999~2000)は、暇つぶしにパラパラとやると雑学に強くなれる本


技術で世界を変えてきたイノベーター

書評 『グラハム・ベル空白の12日間の謎-今明かされる電話誕生の秘話-』(セス・シュルマン、吉田三知世訳、日経BP社、2010)
・・電話もまた革命的な変化をもたらした人類史上の一大発明

書評 『「できません」と云うな-オムロン創業者 立石一真-』(湯谷昇羊、新潮文庫、2011 単行本初版 2008)-技術によって社会を変革するということはどういうことか?
・・技術で世の中を変える創業経営者


自動車文明とモータリゼーション

梅棹忠夫の幻の名著 『日本探検』(1960年)が、単行本未収録の作品も含めて 2014年9月 ついに文庫化!
・・「⑥ 「名神高速道路」は、モータリゼーションという「近代化」について、道の文明史の視点で書かれたものだ。」


ドイツの製造業

書評 『あっぱれ技術大国ドイツ』(熊谷徹=絵と文、新潮文庫、2011) -「技術大国」ドイツの秘密を解き明かす好著
・・ドイツ人の「テュフトラー精神」について

「ポルシェのトラクター」 を見たことがありますか?

(2015年9月28日 情報追加)


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2015年7月4日土曜日

「ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ ー 書物がひらくルネサンス」(印刷博物館)に行ってきた(2015年7月1日)ー 15世紀に設立された世界最古の図書館の蔵書を実物展示


「ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ-書物がひらくルネサンス-」(印刷博物館)に行ってきた(2015年7月1日)。バチカン図書館蔵書のハイライトともいうべき貴重な稀覯書を実物展示した企画展である。
    
企画展のタイトルが、「バチカンⅡ」(=バチカン第二公会議)を想起させるようなものとなっているのは、2002年に行われた企画展「ヴァチカン教皇庁図書館展-書物の誕生、写本から印刷へ」の続編のためだ。残念ながら13年前の企画展には行ってない。

ヴァチカン図書館(Biblioteca Apostolica Vaticana)は、1448年にローマ教皇ニコラウス5世の写本コレクションをもとに誕生した、世界最古の図書館の一つ。現在では110万冊(!)以上のコレクションを誇る。印刷博物館とは2002年の第一回企画展以来の関係であり、このほか図書館蔵書の電子化がNTTデータによって行われていることは、意外と知られていないかもしれない。

(バチカン図書館システィーナホール wikipediaより)

印刷博物館は、印刷業者のクラスターとなっている東京都文京区小石川にあるトッパン印刷の企業ミュージアムである。印刷に特化したミュージアムとして2000年に開館したものだ。文京区に住んでいた頃、一度訪問したことがあるので、今回の訪問はひさびさであった。

印刷博物館の現在の館長は、西洋史家の樺山紘一氏。東大退官後は、国立西洋美術館館長を経て印刷博物館館長に。このキャリアパスは、歴史学者としてはたいへんよいのではないかと思う。博識の教養人であり、かつ実務能力を買われたものであろう。

全体で4部構成の展示となっている。バチカン図書館は、当然のことながら聖書やその注解をはじめとしたキリスト教関連の図書が中心だが、ルネサンスの時代背景のなか、人文主義的な観点から古代の図書も多く収集されている。

 (聖書関連 チラシの裏より 以下同様)


バチカン図書館が設立されたのは15世紀後半、その後の人文主義の活発化のなか、16世紀には「宗教改革」の動きが始まる。このなかで発達したのがグーテンベルクによる活版印刷と書籍の普及である。

ほぼ同時にはじまったカトリック側の「対抗宗教改革」の動きが活発化する。「トリエント公会議」(1545~1563)においてカトリック側が公式にさだめたラテン語訳のヴルガータ聖書のほか、プロテスタント側のルター訳聖書も蔵書のなかにあるのは、さすがバチカン図書館は徹底しているな、と感心させられる。このほか「禁書」とされたエラスムスの著書も展示されている。

ちなみにトリエント公会議の決議内容は、20世紀後半の第二バチカン公会議まで300年にわたって効力をもちつづけた。


日本人にとっては、なんといってもキリシタン関係の図書が実物展示されているのはうれしいことだ。イエズス会の宣教師が日本に持ち込んだ印刷機で刊行した、いわゆる「きりしたん版」の図書が展示されている。いわゆるカテキズムである『どちりいな・きりしたん』や、天正少年使節がヴェネツィア共和国政府に送った感謝状など興味深い。

(左は少年使節の感謝状 右は『どちりいな・きりしたん』)

だが、ほんとうに見たかったのは「裏バチカン図書館展」だ。「異端審問」の歴史も長いバチカンによる「禁書目録」。バチカン図書館が所蔵する「禁書」の展示は無理だとしても、「禁書目録」のリストに掲載されている稀覯書を、各地の図書館から集めて一同に展示したら面白いのではないかと思う。

まあそんな個人的な感想はさておき、西洋文明が生み出した活版印刷の歴史を実物をつうじて見ることのできる貴重な企画展であるといえよう。日本のNTTデータによるバチカン図書館蔵書の電子化プロジェクトが進行中とはいえ、電子化されるのは110万冊の蔵書のうち約1%にすぎない。

紙に印刷された本の価値が、そう簡単に消えてしまうものではないのである。中身もさることながら、西洋文明が生み出した、モノとして本についても理解を深めるよい機会となるだろう。





<関連サイト>

ヴァチカン教皇庁図書館展Ⅱ 特別ページ(FLASHコンテンツ)

ヴァチカン教皇庁図書館展書物の誕生:写本から印刷へ
・・2002年4月23日(火)~2002年7月21日(日)に開催されたもの。残念ながらこの企画展には行っていない

「バチカン図書館の扉」:テレビ東京 バックナンバー
・・2015年4月より放送中。バックナンバーの動画あり

バチカン図書館 コレクション・リスト (公式サイト 日本語版)
・・「バチカン図書館が所有する手稿のリストです。 これらは既に電子化が完了しており、このサイトのビューアを通してページを閲覧することが出来ます。」 バチカン図書館蔵書の電子化プロジェクトは、NTTデータによるもの。英語とイタリア語のほか、日本語のサイトがあるのはそのためだ。

バチカンとNTTデータ、想像を絶する交渉の舞台裏 (日経コンピュータ、 2014年6月11日)
・・2014年3月、図書館と日本のNTTデータとの間で、古い蔵書や文献の電子データ化作業の契約が結ばれ、2018年までに1万5000点の文献が電子化される予定である。

(印刷博物館エントランス 筆者撮影)


<ブログ内関連記事>

バチカン関連

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える

書評 『バチカン株式会社-金融市場を動かす神の汚れた手-』(ジャンルイージ・ヌッツィ、竹下・ルッジェリ アンナ監訳、花本知子/鈴木真由美訳、柏書房、2010)

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯
・・進化論を主張した著者は「禁書目録」に加えられた

書評 『正統と異端-ヨーロッパ精神の底流-』(堀米庸三、中公文庫、2013 初版 1964)-西洋中世史に関心がない人もぜひ読むことをすすめたい現代の古典


■「紙の本」と「図書館」(ライブラリー)

書評 『そのとき、本が生まれた』(アレッサンドロ・マルツォ・マーニョ、清水由貴子訳、柏書房、2013)-出版ビジネスを軸にしたヴェネツィア共和国の歴史

「東洋文庫ミュージアム」(東京・本駒込)にいってきた-本好きにはたまらない!
・・バチカン図書館には及ばないが、それでも個人蔵書をベースに発展した専門図書館としては世界有数

「マリーアントワネットと東洋の貴婦人-キリスト教文化をつうじた東西の出会い-」(東洋文庫ミュージアム)にいってきた-カトリック殉教劇における細川ガラシャ
・・『どちりな・きりしたん』について

書評 『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』(ウンベルト・エーコ、ジャン=クロード・カリエール、工藤妙子訳、阪急コミュニケーションズ2010)-活版印刷発明以来、駄本は無数に出版されてきたのだ

書評 『脳を創る読書-なぜ「紙の本」が人にとって必要なのか-』(酒井邦嘉、実業之日本社、2011)-「紙の本」と「電子書籍」については、うまい使い分けを考えたい

書評 『「紙の本」はかく語りき』(古田博司、ちくま文庫、2013)-すでに「近代」が終わった時代に生きるわれわれは「近代」の遺産をどう活用するべきか


企業ミュージアム

「もの知りしょうゆ館」(キッコーマン野田工場)の「工場見学」にいってみた。「企業ミュージアム化」が求められるのではないかな?


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2010年10月4日月曜日

「もの知りしょうゆ館」(キッコーマン野田工場)の「工場見学」にいってみた。「企業ミュージアム化」が求められるのではないかな?





 昨日(2010年10月3日)、キッコーマン野田工場の工場見学にいってきた。「もの知りしょうゆ館」という名称のもと、企業博物館的要素の強い、観光客向けの見学コースが設定されている。


「大人の社会科見学」としての「工場見学」

 最近は、工場見学が流行りらしい。テレビの報道番組でもときどき取り上げられている。

 従来は子供向きであった「社会科見学としての工場見学」、最近は、「大人の社会科見学」は、けっして珍しいものではなくなっている。子供連れの家族というわけでは必ずしもなく、大人が大人の関心から工場見学にいくのも増えているらしい。

 私の場合は、仕事柄、クライアント企業の工場を魅せてもらうことが多かったので、一般見学を前提としない工場も、内外を問わずかなりの量を見てきた。

 企業博物館タイプの工場見学についても、昨年の秋にキリンビールの横浜工場に団体で「大人の工場見学」にでかけたほか、長野県小諸のマンズワイン工場見学(・・ちなみにマンズワインは山梨県勝沼のワイナリーが観光地としては有名。マンズワインは現在キッコーマン傘下)に出かけている。

 食品は、もっとも消費者に近い一般消費財であるので、一般見学を前提とした工場見学ツアーは多くの会社で実施している。工場見学は広報のなかでも双方向性で費用対効果の高いものであるからだ。
 工場見学の終わりにお土産をもらっても、持って帰って食べてしまえば場所をとらないというのも好ましい。しかも、お土産は無料の試供品のようなものだから、顧客サービスとしての位置づけはもちろん、新たな顧客開拓の意味合いももつ。
 工場見学者にとって、売店でお土産を買うのも楽しみの一つである。

 今回「もの知りしょうゆ館」にでかけた直接のキッカケは、下総航空基地の一般公開で千葉県柏市までいったので、ついでに千葉県野田市まで足を伸ばしたということである。東武野田線の新親鎌ヶ谷駅から野田市駅までは40分かかり、しかも柏駅で乗り換えなければならない。埼玉県と
県境に近い野田市までいく用事はあまりない。

 私にとっては、醤油工場見学は長年の懸案事項であった。


東武野田線の野田市駅前はキッコーマンの「企業城下町」。利根川流域の野田は江戸時代以来の醤油の一大生産地帯

 東武野田線の野田市駅で下車。ここはキッコーマンの「企業城下町」である。

 利根川流域で物流の観点から一大消費地の江戸に近いこの地は、同じく利根川河口の銚子と並んで醤油製造の一大生産地であった。野田の醤油産業にrついては、『野田の醤油史』(市山盛雄、崙書房ふるさと文庫、1980)という、千葉県の地方出版の本が参考になる。この本は帰りの電車のなかでざっと目を通したが、概略をつかむことができる。ちょっと入手しにくいのが難点だが。


 野田市駅は、キッコーマンの工場以外、これといってめぼしいものはない。ここで昼飯を食べようと思ったが、コンビニしかなく、ファストフードもないので断念、とりあえず工場見学にいってから考えることとした。工場までは駅から徒歩3分。


「もの知りしょうゆ館」の工場見学

 事前に予約すれば、計60分のガイド付き工場見学ツアーがあるが、団体客と一緒に行動するのもうっとおしいので、単独で回ることにした。個人客は予約がなくても見学することはできる。

 ちょうど時間があっていたので、醤油製造の映画15分を見てから、自由に見学する。
 醤油醸造の製造工程そのものは、映画を見れば十分に理解できる。基本的に発酵食品である醤油は、発酵のプロセスそのものは生物にまかせるので製造プロセスはそれほど複雑ではない。複雑なことはすべてこうじ菌がやってくれる。単純な食品であるだけに、難しいのは材料の選定である。

 醤油たまりを布で絞る工程が以前は人手に頼らなければならないので大変だったようだが、現在では完全に自動化されているので、工場見学としてはそれほど面白いものではない。


 あっという間に見終わってしまうが、途中に醤油を使ったカフェがあるので、ここで軽く昼食をとった。醤油の効き比べようの木綿豆腐は無料、これに醤油生うどん150円を食べる。関東の濃い口醤油のうどんは、私にがちと濃すぎてイマイチであった。

 お土産は卓上の Kikkoman の醤油差し。どこの食堂でも置いてある、瓶入りの醤油である。


 せっかくの機会なので、売店で数量限定という「亀甲萬 御用蔵醤油」(527円)を買って帰る。伝統的醸造方法で醸造された「昔ながらの醤油」。さっそく今夜使ってみたが、関東の濃い口醤油そのもの、という感じの醤油であった。

 ちなみにキッコーマンのロゴマークは、この六角形の亀甲(きっこう:亀の甲羅)のなかに萬(まん:万)の字を象(かたど)ったものだ。「鶴は千年、亀は万年」にあやかったものだと、説明映画のなかで語られていた。

 日曜日だったので製造装置は止まっていたのが残念だが、百聞は一見にしかず、だ。
 今回は仕事ではなく、「大人の社会科見学」として、訪問してみた。


世界最大の醤油メーカーには「企業ミュージアム化」が必要なのでは?

 ただ、「もの知りしょうゆ館」は、企業博物館としての要素が弱いのが残念であった。なんせ醤油は江戸時代以来の伝統産業であるのだから、もっと江戸時代の醸造道具などの民俗学的な展示が欲しかったところだ。現在、展示されているものはごくわずかである。

 東京農大の大学ミュージアム「食と農の博物館」には、日本酒の醸造関係の資料が多数収集されて展示されている。

 日本を代表するというより、世界を代表する醤油メーカーのキッコーマンには、醤油にかんしては世界一のミュージアムを目指してほしいものだ。ただ単に野田の醤油造りだけでなく、銚子や、その起源である紀州を含めた関西の醤油造り、さらには中国のたまり醤油、タイのナンプラーやベトナムのヌクマムに代表される東南アジアの魚醤など、世界の醤油づくりをすべてカバーしたミュージアムが。

 売店には、醤油関係の書籍が一冊もなかったのは、企業ミュージアムとしての意識が欠けていることを示しているのだろうか。
 食品産業のリーダーとして、さらにワンランク上の企業を目指すためには、学芸員もそろえた企業ミュージアム化が必要あると私は思う。それまもた、企業の社会貢献の一つのあり方である。

 




<関連サイト>

「もの知りしょうゆ館」工場見学(キッコーマンのサイト)


<ブログ内関連記事>

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・・「大学博物館」あるいは「大学ミュージアム」(の不在)について考えてみる

味噌を肴に酒を飲む

「まめバス」というコミュニティバスが千葉県野田市にはある-ユニークな外装のミニバスは一見の価値あり

「櫻木神社」という神社が千葉県野田市にある-すべてを「桜花」の意匠で統一した見事なまでの一貫性

(2015年12月7日、2017年5月2日 情報追加)




(2012年7月3日発売の拙著です)








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