実娘の田中真紀子氏みずからの不始末によって、旧田中角栄邸が全焼というニュースを知る。 昨日(2024年1月8日)のこいとだ。
50年前(!)のリアルタイムで首相であった田中角栄を知っている世代としては、感慨深いものがある。時代の象徴がまたひとつ消え去ったか、と。
とはいえ、かたちあるものはかならず滅びる。それがこの世のことわりだ。諸行無常である。
(上掲写真の拡大)
上掲の写真は2年前の2022年3月に、雑司ヶ谷を散歩中に偶然知ることになった、在りし日の旧田中角栄邸の門。「田中」という表札だが、近くで見ると「田牛」に読めてしまう(笑)
旧田中角栄邸のはす向かいは、チャペル風の日本女子大学の「成瀬記念館」。目白通りをはさんだ対岸は日本女子大学のキャンパスが広がっている。
(日本女子大学の成瀬記念館 筆者撮影)
「目白」といえば「目白詣で」という表現があったように、かつては田中角栄邸を意味してたものだが、現在では目白といえば日本女子大学のことが連想されることでしょう。
田中は田中でも『なんとなくクリスタル』(1981年)の田中康夫あたりからの変化かな? 「なんクリ」と女子大生ブームは連動してバブル時代へとつながっていった。
その田中康夫も、その後、政治家になったな、と。 田中角栄は新潟県出身、田中康夫は長野県出身。新潟県と長野県は隣接している。しかも、おなじ雪国だ。
時代は移り変わる。時は過ぎゆく。諸行無常の響きあり。
PS 能登半島地震で輪島市の「永井豪記念館」が焼失
2024年辰年の元旦に「暴れ龍」による能登半島地震が発生したが、そのなかでも大きな被害を受けた輪島市は、日本を代表するマンガ家の永井豪氏の出身地である。
永井豪の画業を記念した「永井豪記念館」だが、震災後の火災で全焼してしまったことが、数日後に明らかになった。永井豪記念館には行ったことはないが、少年時代から永井豪のファンであるわたしも残念に思っている。
ところが、永井豪は以下のようなメッセージを出している。ダイナミックプロダクションの公式X(旧Twitter)でそれを知った。1月10日付けの投稿である。
私は現役のマンガ家ですので、もし失われていたとしても、いくらでも描いたり作ったりすることができると思っています。そのこと自体はたいしたことではありません。それよりも今は、輪島をはじめとする各地で被災されたみなさんが一日でも早く元の生活を取り戻せるよう、少しでもお手伝いができればと思っています。(・・・後略・・・)
天災と人災の違いはあるが、クリエーターとしてのすばらしい発言ではないか!
被災者が一日でも早く元の生活を取り戻せるよう、わたしも祈っている。
(2024年1月13日 記す)
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