「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2024 禁無断転載!



2024年1月29日月曜日

書評『法華宗の芸術』(高橋伸城、第三文明社、2021)ー 近世日本美術史の知られざる「法華衆の系譜」をさぐった美術本

 

『法華宗の芸術』(高橋伸城、第三文明社、2021)を読了。近世の日本美術史において、日蓮と法華経の教えを奉じる「法華衆」が意味するものを探求したアート本だ。  

先週金曜日(2024年1月26日)におとづれた「特別展 本阿弥光悦の大宇宙」(国立博物館・平成館)の会場で本書を購入したのは、本阿弥光悦が日蓮宗の熱心な宗徒であり、宗教をおなじくする職能ネットワークの中心にいた人であることを詳しく知ったからだ。 

本書の第1部に取り上げられているアーチストは、本阿弥光悦、俵屋宗達、狩野永徳、長谷川等伯、楽道入、狩野探幽、尾形光琳、尾形乾山、葛飾北斎、歌川国芳、河鍋暁斎、神坂雪佳、速水御舟と、17世紀初頭から20世紀まで及んでいる。 

このうち「琳派」という概念を定着させた神坂雪佳以外は、みな法華経信仰につらなる人びとであることを知った。日本美術史にこういう系譜が見いだされるのか、と。 

考えてみれば、「平家納経」という豪華絢爛な美術作品はすでに平安時代末期にもあったな、と。カラフルなビジュアルの背景に法華経を書写した巻物のことだ。国宝である。

とはいえ、本書でとりあげられた本阿弥光悦以降の近世の諸作品には、信仰や思想がダイレクトに表現されているわけではない。その点が、「わびさび」の日本美術との違いであるようだ。

禅宗をバックグラウンドにした禅画や水墨画浄土真宗などを背景にしたポピュラーアート とは違い、作品から日蓮の教えや法華経の世界観を読み取ることは難しい。

美術史を専攻した著者は、以下のように指摘している。わたしなりに要約しておこう。 

「いまここ」の目の前にある「万物」に寄せる関心、「現世志向」であることは法華経信仰からくるものだが、それにもかかわらず造形においては制約条件とはならなかったこと。そいうった特性があるため、日本はもとより海外でも受け入れられたのであろうと、

本書は「第三文明社」という出版社からもわかるように、もともとは「聖教新聞」の連載を単行本にしたものだという。著者自身も創価大学の出身だとプロフィールにある。

 だが、こういったプロフィールで安易な判断しないほうがいい。本書で紹介されている「法華衆の芸術」の具体的な作品に表現されているとおり、広く外に向かって開かれた姿勢と記述が、最初から最後まで一貫しているからだ。 

著者の問題関心と出発点が法華経信仰にあるのだとしても、けっして狭い宗派に制約された発想や記述ではない。だからこそ、読んでいて発見があるだけでなく、大いに耳を傾けたくなるものがあるのだといえよう。 

日蓮や法華経信仰に親しく接してきたわけではない、わたしのような人間が読んでも、大いに目を開かれるものがあった。

近世の日本美術を見る際の「あらたな視点」を手に入れることができたのは、最大の収穫であった。読む価値のある1冊である。 


画像をクリック!


目 次
はじめに
第1章 法華衆とその作品
 本阿弥光悦 ー 法華芸術の“プロデューサー”
 俵屋宗達 ー「琳派」の光源
 狩野永徳 ー 天下人に愛された絵師
 長谷川等伯 ー 桃山画壇の雄
 楽道入 ー 型のなかで型を破る
 狩野探幽 ー 江戸狩野派の礎を築く
 尾形光琳 ー「琳派」の大成者
 尾形乾山 ー 誇り高き陶工
 葛飾北斎 ー 変わり続けた絵師
 歌川国芳 ー 奇想天外の絵師
 河鍋暁斎 ー 即興の名手
 神坂雪佳 ー いまにつながる「琳派」
 速水御舟 ー 世界的な大芸術を
第2章 西洋との出会い
 西洋に広がった法華芸術
 「北斎」から「HOKUSAI」へ
第3章 「法華衆の芸術」をめぐって 
 対談 宮島達男(現代美術家) 
 インタビュー 河野元昭(東京大学名誉教授)
おわりに 
法華衆関連年表

著者プロフィール
高橋伸城(たかはし・のぶしろ)
1982年、東京都生まれ。ライター・美術史家。創価大学を卒業後、英国エディンバラ大学大学院で芸術理論、ロンドン大学大学院で美術史学の修士号を取得。帰国後、立命館大学大学院で本阿弥光悦について研究し、博士課程満期退学。



PS 「琳派」が「印象主義」(impressionism)だとすれば、「禅画」は「表現主義」(expressionism)か?

西洋人は浮世絵や琳派の作品に「印象派」を見て取ったようだ。

・・ドラッカーは禅画や水墨画を日本の「表現主義」とみなしていた。
「青年期まで過ごしたウィーンやフランクフルトなどで接していた、第一次世界大戦と同時代の「ドイツ表現主義」が実現できず終わったことを、すでに江戸時代の日本人が禅画で実現していたというドラッカーの発言もまた興味深い。日本文明の根底の一つを形成している、禅仏教的な知覚による直観的把握について語っているわけだが、西洋美術との比較で禅画を見直してみるのも、一つの鑑賞方法であろう。」
・・「琳派」が「印象主義」(impressionism)だとすれば、「禅画」は「表現主義」(expressionism)となろうか? 


<関連サイト>



「・・美術史において、すべてを宗教という観点から考察することはむろん間違っている。しかし、それをまったく無視して、芸術家の天賦の才や血のにじむような努力、あるいは社会環境に因縁を求めることも正しい方法とはいえないであろう。なぜなら、宗教はそれらを創り出す最も重要な要素だからである。」


<ブログ内関連記事>












(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!








end