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2024年4月22日月曜日

書評『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆、集英社新書、2024)ー「仕事と直接関係のない本」を読むのがなぜ難しいのかと言い換えるべき

 

『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(三宅香帆、集英社新書、2024)という本を読んだ。出版されたばかりの新刊である。  

「なぜ働いていると本が読めなくなるのか」というのは、ずいぶん昔のことではあるが、自分も学校を卒業して働き始めてから痛切に感じた問題(・・疑問というよりも問題として、だ)であったので、自然と関心が向かったのだ。 

著者は1994年生まれの「文芸評論家」。文学部で修士課程を卒業後にIT企業に3年勤務したが、会社を辞めたあと、ようやく本が読めるようになったという。ただし、この人の場合、読むのは本人の「専門」と直結した、いわゆる「文芸書」であって、自己啓発書を含んだビジネス書ではない。 

明治時代以降の「読書史」と「労働史」を交差させた考察は、読んでいてなかなか面白い。上から目線と受け取られるかもしれないが、若い世代の著者なのに、よく調べて、よく考察して書いているな、と。 

読んでいると、教養を求めて、知識を求めて飢えていた階層と世代の意識が手に取るようにわかる。この著者のすぐれた点は、女性たちがその担い手であった、1980年代のカルチャーセンターブームもきちんと取り上げて論じていることだ。この点はふつう欠落している視点だからだ。


■問題は「仕事に直接関係ない本」が読めなくなることだ

自分の20歳台もそうだったが、大学卒業前に予期していたとおり、たしかに「働き始めて本が読めなくなった」。それは、あまりにも多忙だったからであり、しかも読む本の大半が仕事関連のものとなったためだ。 

とはいえ、厳密にいうと「本が読めなくなった」のではなく、「仕事と直接関係ない本が読めなくなった」のである。それはタイムマネジメントの問題だけではない。モチベーションの問題でもある。モチベーションの強度の問題だ。

その「趣味」がどこまで好きなのか、それがなければ生きていけないほど自分にとって重要なものなのか、ということだ。

一般的にいって、20歳台は仕事を覚える時期だから「仕事に直接関係ない本」が読めなくても仕方がない。言い方はキツくてつれないかもしれないが、それはもうあきらめるしかないだろう。 

「仕事に直接関係ない "本"」を「仕事に直接関係ない "趣味"」と言い換えれば、まさに著者の言うとおりだ。1994年生まれでデジタルネイティブ世代なら、なおさら深刻な問題かもしれない。人生からスマホを遠ざける習慣がそもそもないからだ。 

むしろ問題は、ある程度まで仕事ができるようになって、ワークとライフの関係が落ち着いてきてから、過去に自分がもっていた「趣味」、つまり「仕事に直接関係ない本」を読む習慣を復活させ、それを持続可能(サステイナブル)なものとすることができるか、にあるのではないだろうか? 

そういう論点になると、それはすでに「自己啓発書」の領域になってしまうので、著者の意図から離れてしまうのだろう。 



■時代状況の問題であるが、モチベーションの強度にかんしては個人差も大きい

先にも書いたように、「読書史」と「労働史」の交差という観点から読めば、本書はなかなかの労作である。 

とはいえ、著者の問題提起と分析は面白く感じたものの、著者による「情報と知識の違い」のとらえ方には違和感を感じるし、そもそも「文芸書」などほとんど読まないわたしには響かない点も多々ある。 

さらにいえば、勤め人ではなくフリーで働いている人や、子育て終了後の女性やリタイア層のように、自分の時間を比較的フレクシブルにつかえる人には、そもそも関係ない話であろう。 

繰り返しになるが、やはり思うのは「本が読めなくなった」のは、人生においてなにに重点を置き、なにを優先順位に置くのかという「本人の価値観」の問題と、「モチベーションの強度」の問題なのではないか、と。

たしかに時代状況の問題もあるが、仕事と趣味の二分化はあまりにも硬直的であるし、社会に責任や解決策を求めない方が現実的ではないかと思うのだが、いかがだろうか。

それが証拠に、著者自身も自分が「読みたい本」を読むために仕事を辞めているではないか! そこに説得力の弱さを感じてしまうのだ。

読みたい本を読む」(=「やりたい趣味をやる」)ために会社を辞める、もちろんそれも個人による「選択肢」の1つである。

とはいえ、誰にでも可能な選択肢というわけではない・・・


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目 次
まえがき 本が読めなかったから、会社をやめました 
序章 労働と読書は両立しない? 
第1章 労働を煽る自己啓発書の誕生 ― 明治時代 
第2章 「教養」が隔てたサラリーマン階級と労働者階級 ― 大正時代 
第3章 戦前サラリーマンはなぜ「円本」を買ったのか? ― 昭和戦前・戦中 
第4章 「ビジネスマン」に読まれたベストセラー ― 1950~60年代 
第5章 司馬遼太郎の文庫本を読むサラリーマン ― 1970年代 
第6章 女たちのカルチャーセンターとミリオンセラー ― 1980年代 
第7章 行動と経済の時代への転換点 ― 1990年代 
第8章 仕事がアイデンティティになる社会 ― 2000年代 
第9章 読書は人生の「ノイズ」なのか? ― 2010年代 
最終章 「全身全霊」をやめませんか 
あとがき 働きながら本を読むコツをお伝えします

著者プロフィール
三宅香帆(みやけ・かほ)
文芸評論家。1994年生まれ。高知県出身。京都大学大学院人間・環境学研究科博士前期課程修了(専門は萬葉集)。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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