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2015年1月12日月曜日

「近代化=西欧化」であった日本と日本人にとって、ヒツジのイメージはキリスト教からギリシア・ローマ神話にまでさかのぼって知る必要がある

(「良き羊飼い=キリスト」 4世紀ローマ wikipediaより)


「近代化=西欧化」であった日本と日本人にとって、ヒツジは西欧イメージと密接に結びついている。

ヒツジは、中国大陸から中近東にかけてのユーラシア、さらには西欧に至るまで当たり前のように存在するのだが、日本に定着したのは明治維新による「近代化=西欧化」の時期以降のことにすぎないからだ。

だから、どうしてもヒツジから連想するイメージは西欧的なものとなりがちだ。まずは羊毛生産とと皮革生産のために飼育が始まったのであり、マトンやラムなどの食肉として意識されるようになってから、そう年月がたっているわけでもない。

日本国内の飼育地はアメリカの影響の強い北海道が中心であり、輸入元はもともと英国の植民地であったオーストラリアやニュージーランドである。したがって、どうしてもアングロサクソン圏の連想が強い。概して家畜というものは、動物園でも見かけることもあまりない。

さらにいえば、かつては日本の食卓でも一時期はよく食べられたマトンは、臭いがキツイという理由で本州ではほとんど目にすることがなくなり、スーパーなどの食肉店で入手可能なのは子ヒツジの肉であるラム肉に限られている。そのラム肉でさえ、牛豚鶏と比べればマージナル(=周辺的)な存在に過ぎない。

インテリアとして導入された羊毛つきの皮革であるムートンも、かつてほどポピュラーではなくなったようだ。日本人は畳の生活からフローリングという木の床の生活にライフスタイルを変えたが、床に敷いた絨毯に座る遊牧民スタイルは定着しなかった。朝鮮半島のオンドル部屋のような床暖房でもない限り、床の絨毯に直接座るのは子どもくらいなものだろう。

北海道はさておき、ヒツジは日本人の日常にはない。だから、どうしてもイメージというアタマのなかだけの観念的な存在であるのは仕方あるまい。


「西洋文明におけるヒツジのイメージ

「迷える羊」(=ストレイ・シープ)、「生贄のヒツジ」、「良き羊飼い」(=グッド・シェパード)、「神の子ヒツジ」(=アグネス・デイ)、など、ヒツジにまつわる表現やイメージは、日本の場合、もっぱら英語をつうじて日本語世界に入ってきたものが大半だ。キリスト教聖書の日本語訳をつうじて。

だが、ヒツジといっても、すくなくともヒツジ(sheep)と子ヒツジ(lamb)の区分は絶対に必要である。『羊たちの沈黙』というホラー映画があるが、原題は The Silence of the Lambs である。だから正確に訳せば「羊たち」ではなく「子羊たち」としなければ、この映画のタイトルが示唆するものを感じ取ることができないのである。

子ヒツジ(lamb)が成長すればヒツジ(sheep)となるのは、魚でいえばハマチが成長してブリになるのと似ている。日本人が厳密にハマチとブリを区別しているのと同様、西欧世界においては子ヒツジとヒツジは厳密に区別しなくてはならないのだ。

西欧世界においてヒツジがいかなるイメージとして捉えられてきたかを知るには、『イメージ・シンボル辞典』(アト・ド・フリース、山下圭一郎他訳、大修館書店、1984)の項目を調べてみるのがよい。オランダの英文学者が英語で執筆した辞典の日本語訳である。出版されてからすでに30年以上たっているが、内容的には古さはない。


ヒツジ関連の項目としては、「sheep」(ヒツジ)、「lamb」(仔ヒツジ)、「shepherd」(羊飼い)、「ram」(雄ヒツジ)の4つがとりわけ重要である。ヒツジが日常生活にない日本語人からすればヒツジでまとめてしまえばいいではないかという気もするが、それぞれ別個の項目として立てられていることに注意を払う必要があるのだ。

以下、それぞれの項目について、主要部分を抜き書きして引用しておこう。項目の説明は、キリスト教とギリシア・ローマ神話という西洋文明の基礎をなす二本柱にかかわるものである。エジプト神話への言及もあるのは、ギリシア世界の背後には地中海の対岸にあるエジプト文明があるからだ。

sheep ヒツジ

1. 春を表す:雄ヒツジの角で表される白羊宮(物事の始まりと火を表す ⇒Aries)と関連する
2. 無垢、単純、上品、誠実を表す
 a アベルと関連する。遊牧民アベルのヒツジは農耕民カインに殺された
 b 最後の審判の日には、右手に置かれたヒツジは神の祝福を受け、左手に置かれたヤギは永遠の罰を受ける、とされる(『マタイ』25:33)
 c オオカミの反対物
3. 愛情、慈悲を表す: ヒツジは強者にその肉を与え、弱者にもその乳を与え、こごえる者にはその羊毛を与える
4. 生贄(いけにえ)として捧げられる
 a 白いヒツジ(ヒツジに限らず動物一般)は空の神々への生贄として祭壇に捧げられ、黒いヒツジは冥界の神々への生贄として側溝の中に捧げられる
 b 黒いヒツジは嵐の神に捧げられ、白いヒツジはおだやかで船旅にふさわしいゼピュルス(=西風)に捧げられた(『アエネイス』3:120)
 c キリスト教では、キリストを表す
5. 群居性、指導者への(盲目的な)追従を表す
6. 無力を表し、流浪するイスラエル人のたとえに使われる
7. 頑迷、愚昧であることはよく知られている
8. 踏み迷うことを表す
9. 雲を表す
10. 予言能力をもつ。占いと天候予知に使用された
11. 「高利貸し」Usuryの持ち物(イコン)
12. イブの持ち物。楽園追放後、イブはヒツジの毛を紡がなくてはならなかった」
13. 歯を表す
14. 羊毛の刈り込みは昔から重要な祭りである
15. ヒツジの皮
16. ヒツジの腸は、楽器の弦に使われることから(人の心をなごませる)音楽を表す
17. 【民間伝承】
 a 清浄(神聖)を表す:クリスマス(ときに復活祭)にヒツジは夜明けとともに起き、東に向かって3度頭をたれる
 b ヒツジの群れに出会うことは幸運のしるしであるが、人はその群れの中を通り抜けてはならない
 c 魔術に関連する。たとえば、小枝を突き刺したヒツジの乾いた心臓は、愛のまじないに使われる
 d 天気を予言する。ヒツジが落ち着きなくしきりに鳴くと、激しい雨が降る
 e ヒツジの体のいくつかの部分、たとえば頭部からとったT字形の小さな骨、ウマの首あてに吊される皮の小片などは、安全のお守りになる


lamb 仔ヒツジ

1. 可憐さ、寛大さ、従順さを表す
2. おとなしさ、弱さを表す
3. 無邪気さを表す
 a. オオカミとライオンの反対
 b. キリストを表す。『イザヤ』(53:7)では、キリストは毛を刈られるときにじっとおとなしくしている仔ヒツジにたとえられている。ヨハネは殉教に際し、キリストを「世の罪を取り除く神の仔ヒツジ」と述べている(『ヨハネ』1:29)。地下墓地では、キリストは12頭の仔ヒツジの使徒にとりかこまれている
4. 生贄(いけにえ)に供される。旧約では1日に2回供される。また復活祭用の仔ヒツジもある
5. 節制を表す
6. トラが神の怒りを表すのに対して神の愛を表す
7. 陽気さを表す
8. (ローマ神話の)ユノ、(白と黒の仔ヒツジを捧げられる)ヘカテ、またアフロディテのような太女神に捧げられる。水夫たちが海難に遭遇すると、白い仔ヒツジを生贄にする。すると、ゼウスの息子カストルとポリュデウケスが(海の女神アフロディテに捧げられた)スズメを連れ、水夫たちを救うために順風に乗ってやってくる
9. ヘルメスとディオニュソスに捧げられる。ディオニュソス祭ではディオニュソス(=豊穣)を解放するために冥界の神々に仔ヒツジが生贄として供される
10. 【紋章】 忍耐と温順を表す
11. 【民間伝承】 
 a 魔女や妖術師は仔ヒツジ(ないしはハト)には姿を変えることはできない
 b 復活祭の朝、日の出時に岡にのぼると、太陽の中に旗をもった仔ヒツジを見ることができる
 c 黒い仔ヒツジのいないヒツジの群れは繁殖しないだろう。しかし2頭以上いるのはよくない
 d 悪い前兆:仔ヒツジが異常に増えると、戦争の前兆となる 


shepherd 羊飼い

1. 羊飼いであるか、羊飼いにたとえられる神々:アヌビス(エジプト)、アッティス(フリュギア)、パリス、タンウーズとマルドゥック(バビロニア)、ヘルメス(ギリシア)、アポロ、ヤハウェ(『イザヤ』40:11を参照)
2. 捨てられた神々や英雄たちは羊飼いによって発見されたり、育てられたりした。たとえば、(一説によればイダ山の羊飼いったいに育てられた)ゼウス、ロムルス、キュロス、キリスト、(彼が石=ほら穴から生まれたとき羊飼いが見守っていたといわれる)ミトラ
3. 遊牧民のあいだでは羊飼いの長は、王にして聖職者である。たとえば、ダビデ、モアブの王メシア(『列王記 下』3:4)、ヨセフ(選ばれた者であることを示す色彩豊かなマントをまとっている)など、そのためフブライ人にとっては、一般に羊飼いは指導者を表すようになった。たとえば、モーセ、ダビデ、キュロス、メシア、羊飼いと隠者は同じような服装をしていた
4. ヒツジを連れた神々:牧神パン、ヘルメス(「雄ヒツジを連れた者」)、エンディミオン、アリスタイオス、キリスト
5. 昔から知恵の守護者とされた。羊飼いがデルフォイの最初の神託を聞いた(プルタルコス『神託の衰退』)
7. 霊魂の導師、すなわちヒツジの魂を死者の国に送る案内人を表す。ヘルメスもキリストも霊魂導師の役割をはたす
8. 田園詩にでてくる(とくに一目惚れをする)木訥な恋人
9. (省略)
10. (省略)
11. 【連結語句】 
 a 「羊飼いの杖」:エジプトでは(王の)権力を表す。キリスト降誕のエンブレム。また、司教のもつ牧杖との関連から、精神的導師のエンブレム
 b 「羊飼いの娘」:ジャンウ・ダルクがそうである
 c 「羊飼いの祭典」:(バビロンでは)春分に行われる
 d 「羊飼いの笛」:牧神パンの笛のことで、風を表す
 e 「羊飼いの星」:金星


ram 雄ヒツジ

1. 聖(太陽)王または神のエンブレムで豊穣、復活を表す。雄ウシの神々は雄ヒツジの神々とも重なる傾向がある
 a 元来、太陽王は羊皮を身にまとっていることが多かった。のちには雄ヒツジをもって白羊宮の支配(=春)を表すようになった
 b 祭司には白く、犠牲者には黒かった「羊毛」が、ゼウスの手では金色に変わった。「金羊毛」
 c ディオニュソスはヘラの怒りを逃れて雄ヒツジに変身した
 d 春になって美の三女神(=豊穣)をほら穴(=地下界、冬のすまい)から連れ出すヘルメスは雄ヒツジをともなう姿で描かれることが多い
 e ヤヌス神はときに(たとえばローマでは)羊頭で、1つの角が前方に他の角が後方に向いている
 f ポセイドンおよびエロースへの供え物
 g アブラハムとイサクの物語では太陽英雄(イサク)の身代わりの生贄となる
 h 「ヒツジの群れ」の「導き手」であるとともに、生贄のヒツジでもあるキリストを表す(中世ではヒツジの角が「荊冠」の表象であると信じられた)
2. エジプトなどでは一角獣の異形として魂を表す
3. 創造神のエンブレムで、猛々しく道を切り開くものを表す
4. 風を表す:エジプトでは風は羊頭または羊身で描かれた
5. 犠牲に供されるものとして平和を、またその猛々しさからは戦いを表す
6. 牡牛座の雄ヒツジとしてペルシアの象徴
7. エジプトでは湾曲した角をもつヒツジはアモン、波形の角のヒツジはクヌム、ヘルシェフ、またはアルサベスを表す
8. 天敵はゾウ
9. 【紋章】
 a 忍耐、節制、和解を表す
 b ヒツジを飼う権利を表す
 c 指導者を表し、公爵のエンブレム
10. 「雄ヒツジの角」にかんしては shofar を見よ
11. 【民間伝承】 魔女に関連:雄ヒツジは(ヤギと同様)「悪魔」の化身であるので、しばしば魔女がこれに乗っている
12. 【童謡】 (省略)



こうやって見てくると、キリスト教以前にギリシア・ローマ神話があり、さらにその前にはエジプト神話があって、ヒツジのイメージが西欧世界で形成されていったことがわかる。基本的に遊牧とヒツジに依存した経済構造が共通していたわけであるが、東洋世界とは異なるイメージが西欧で発展したいったのは、ギリシア文明とキリスト教の融合に求めることができるだろう。

(牧神としてのヘルメス ギリシア神話からキリスト教へ wikipediaより)



西欧世界におけるヒツジは「牧畜段階」と対応

西欧思想史を、メタファーとしての動物イメージで解説したのが、 『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976) である。このブログでもすでに取り上げたが、とくにヒツジの位置づけを知るために、再度取り上げてみたい。

メタファーとしての動物イメージは、①シカ、②ヒツジ、③ウマ(あるいはウシ)で表現される。それぞれ意味するところは以下のとおりである。

①シカ: 人類の「狩猟段階」における動物シンボル
②ヒツジ: 「牧畜段階」における動物シンボル
③ウマ(あるいはウシ): 「農業段階」における動物シンボル

ヒツジは、家畜化された動物の代表であり、群れの存在のヒツジと羊飼いのイメージが、キリスト教のもとにおいては聖界と俗界の両面にわたっての支配のメタファーとして機能したのである。「良き羊飼い」とはキリストのことを意味するようになった。

このメタファーは、旧約聖書と新約聖書のヘブライ的世界観だけでなく、古代ギリシアの世界観と共通するものであった。羊と羊飼いのメタファーにおいて、ヘブライズムとヘレニズムが融合しているのである。ヘブライズムはヘブライ語の旧約聖書、ヘレニズムは古代ギリシアをベースにしたギリシア語の新約聖書に代表される世界である。

初期キリスト教の「ヒツジと羊飼い」のメタファーから、「ブドウ栽培」という耕作メタファーに移行することによって、ヨーロッパでのキリスト教布教がスムーズに進んだことが『思想としての動物と植物』で説明されている。


***********

以上、西欧文明におけるヒツジのイメージについてざっと整理しておいた。だが、ヒツジは西洋だけでなく、中東から中国大陸に至るユーラシア大陸全体で飼育されてきた存在である。

まずは、西欧文明におけるヒツジのイメージを把握してくことは、「近代化=西欧化」を経験した日本人にとっては、必要不可欠の「教養」といっていいかもしれない。

そのうえで、漢字に表現されたヒツジ(=羊)の意味を知ることが、西洋世界と東洋世界をともに把握することにつながるのである。





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2014年8月4日月曜日

書評『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976)-具体的な動植物イメージに即して「西欧文明」と「西欧文化」の違いに注目する「教養」読み物



かつて中公新書から出版されていた、イメージから哲学にアプローチするテーマの二部作を合冊版として復刊したものである。それぞれ、『動物と西欧思想』(中公新書、1974)『植物と哲学』(中公新書、1976)である。

思想関連や哲学関連の本を読み慣れていない人にとっては、そこにでてくる抽象概念に難解な印象を受けて取っつきにくい、あるいは最初から食わず嫌いで敬遠してしまうことも多いだろう。

だが、西欧思想の根幹をなすキリスト教も、東洋思想の根幹をなす仏教も儒教も、人間が生み出した思想表現である以上、人間が生きてきた自然環境とのかかわりから大きな影響を受けていることはいうまでもない。そういった環境から受けてきた影響をイメージを介して抽象化したものが思想であり、哲学と考えれば取り組みやすくなるのでないかというのが著者の基本姿勢である。

一言でいえば、具体から抽象へという思考の流れを、再体験してみるということだ。具体的な事物に即してみることで、思想家や哲学者が使用しているコトバが、暗黙のうちに依存しているイメージがわかってくる。そういう観点で抽象的な思想や哲学をみれば、おのずから西欧文明の特質も限界も見えてくるということである。

とくに哲学との関係でいえば、「第2部 植物と哲学」が東西思想をほぼすべての項目にわたって比較しているので、西欧特有の思想、東洋特有の思想といった相違点でなく、意外と共通点が多いことが理解されるだろう。

新版のカバーにも描かれている「人間は逆立ちした植物だ」(プラトン)と「植物は逆立ちした人間だ」(アリストテレス)という命題が興味深い。植物は栄養を根っこから取り入れ、すみずみまでゆきわたらせるのだが、前者の命題は天上世界への志向性のつよいプラトンらしいもので、後者の命題は、生物学を中心とし地上中心的な現実主義的志向を示したアリストテレスらしい。この両者が西欧哲学の原点にある。

キリスト教神学の発展においては、まずはプラトン哲学が大きく利用され、中世においてイスラーム経由でアリストテレス哲学が導入されて強化されたのである。

とはいえ、正直いってこの「第2部 植物と哲学」はあまり成功しているとはいえない。あまりにもディテールに入り込んでしまっているので、哲学というよりも、たんなる知識の羅列に終わってしまっているという印象がつよく、読んでいてわずらわしい。

また、1976年という執筆された時代の制約のため、現時点からみるとあまり賛同できない主張も少なくない。1973年に高度成長が終わり、世界全体にも「成長の限界」などペシミズムが充満していた時代である。

(筆者所蔵の原著二冊)

これに対して「第1部 動物と西欧思想」にほうがテーマ性が明確に打ち出されているためはるかに面白いだけでなく、基本的枠組みは初版が出版されてから40年たっている現在でも新鮮である。西欧思想史を、メタファーとしての動物イメージによって三段階に区分するという構成が明確だからだ。

三段階は、①鹿、②羊、③馬(あるいは牛)、で表現される。

①鹿: 人類の「狩猟段階」における動物シンボル
②羊: 「牧畜段階」における動物シンボル
③馬(あるいは牛): 「農業段階」における動物シンボル

もちろんこれは西欧世界に適用したケースであって、人類史全体に普遍的なものではないことに注意しておきたい。

基本的にカバーされるのは古代から中世までの西洋史だ。古代と中世に西欧文明の核となる要素が形成された。この核をもとに大きく脱皮して跳躍したのが、いわゆる「西欧近代」である。

普遍的な「文明」を生み出した西欧が、じつはいかなる風土や環境にあったのか、「文明」からは切り落とされがちな「文化」の側面にも十分な目配りをすることによって、西欧文明の普遍性とその限界が明確になる。

まずは、「Ⅰ章 角のある神と魔女」で野生動物としての鹿を取り上げ、結局のところ家畜化できなかった鹿と人間のかかわりを、聖書や古代ギリシアと古代ローマ、英語を中心としてドイツ語、フランス語の語源を跡づけながら論じている。

キリスト教が普及していくなかで、ケルトやゲルマンの神々がキリスト教によって選別され、許容可能なものは吸収され、そうでないものは排除され撲滅された。これは601年に教皇グレゴリオ一世によって採用された「布教地における慣習順応」(accomodatio)によるものである。

だが、排除された神々は悪魔として西欧人の心性の奥底に生き残る。悪魔に角が生えているのは、鹿を神としてしていた古代信仰の名残りである。

「Ⅱ章 羊イメージ群とキリスト教」では、家畜化された動物の代表として羊を取り上げ、群れとしての存在の羊と羊飼いのイメージが、キリスト教のもとにおいては聖界と俗界の両面にわたっての支配のメタファーとして機能したことを明快に説明している。このメタファーは、旧約聖書と新約聖書のヘブライ的世界観だけでなく、古代ギリシアの世界観と共通するものであった。羊と羊飼いのメタファーにおいて、ヘブライズムとヘレニズムが融合しているのである。

「Ⅲ章 牛馬イメージと西ヨーロッパ世界」では、西欧における「農業革命」の結果、馬の食糧となる穀物生産能力が大幅に向上し、耕作に使用する馬が牛にかわって重要な役割を占めるにいたったこと、農業における馬の使用と同時に騎士階級にとっての馬が両立したのが西欧世界であったことが指摘される。

「Ⅳ章 馬から機械へ」では、動力源の変化が、馬から機械への転換を促し、その移行期においては馬のメタファーが使用されていたことが指摘されている。馬力(horse power)という英単語が端的にその事情を表現している。

もともとの新書版の紙数の関係からか、やや尻つぼみになっているのが残念だ。西欧を中心にして日本や中国にも目配りしているのはいいのだが、生態系の観点からはむしろ中近東を含んだユーラシア大陸の宗教であるイスラームについてもっと深く言及すべきであったろう。だが、これまた時代の制約があろう。1974年時点ではまだイスラームに対する知的関心は始まったばかりであった。

「第1部 動物と西欧思想」の「Ⅱ章 羊イメージ群とキリスト教」を読んだうえで、「第2部 植物と哲学」を読むと、初期キリスト教の「羊と羊飼い」のメタファーから、「ブドウ栽培」という耕作メタファーに移行することによって、ヨーロッパでのキリスト教布教がスムーズに進んだことが理解できる。

また、10世紀以降の森林の開墾が穀物生産を活発にさせる道を切り開いた。この中心として活動したのがベネディクト派系列の修道院である。いわゆる「開発主義」の元祖というべきであろう。

「第2部」はバラして「「第1部」に再編集したほうが、『動植物と西欧思想』として「第1部」のテーマを補強することになって、読み物としてもさらに面白いものになっただろうにと惜しまれるのである。

西欧世界におけるイメージについては、原著出版後には 『イメージ・シンボル辞典』(アト・ド・フリース、山下共一郞他訳、大修館書店、1984)などが翻訳出版されているので、個々の項目については的確な知識を得ることができるが、メタファーとして使用されてきた動植物イメージを思想の流れとしてたどることができるので、とくに「第1部」は現在でも興味深い内容だろう。



「第1部」は英語学習者にとっても「教養」を深めるうえで大いに役に立つはずだ。英語をその語源にまでさかのぼり、しかも西欧思想のエッセンスを知るための教養読み物としては価値があるといえるだろう。全編にわたって詳細に英語を中心に、ドイツ語、フランス語、ラテン語、ギリシア語が原つづりのままでてくるので、西欧語としての発想の共通性を知ることができる。

原著出版から40年後の現在は、すでに「工業時代」から「情報文明」に移行している。「情報時代」のメタファーは、はたして動植物イメージで表現可能か(?)という疑問もわいてくる。メタファーとしての動植物イメージは、もはや使い尽くしてしまったのではないか、と。

いまではもう手垢のついた表現になってしまったが、一時期さかんにクチにされたのが「ドッグイヤー」(dog year)という表現だ。技術進歩のスピードが人間の寿命ではかるよりも犬の寿命のスピードではかったほうがより正確だという趣旨によるものだ。

現代社会では、動植物も身の回りのものではなく、原生生物アメーバや動植物両方の特性を備えた粘菌、あるいはウイルスなどの細菌、そしてまた遺伝子としての DNA がメタファーとして多用されるようになっているのかもしれない。

現代は「生物学の時代」といわれているが、実態は分子生物学と遺伝子工学に代表される生物物理学の時代なのである。わたしが本書の続編を書いて再編集するなら、そんなメタファーを解説した内容になるだろうか。

こんなことを考えてみるのも面白い。





目 次

第1部 動物と西欧思想
 序章 思想とイメージ
 Ⅰ章 角のある神と魔女
 Ⅱ章 羊イメージ群とキリスト教
 Ⅲ章 牛馬イメージと西ヨーロッパ世界
 Ⅳ章 馬から機械へ
 結び 動物と革命思想
第2部 植物と哲学
 序章 農業段階の哲学
 Ⅰ章 植物と人間のアナロジー-観念論的場面で (1)
 Ⅱ章 人間の歴史と植物イメージ-観念論的場面で (2)
 Ⅲ章 哲学・宗教と植物イメージ-観念論的場面で (3)
 Ⅳ章 宇宙における植物と人間の位置-存在論的場面で
 結び エコロジーの思想史的意義
参考文献


著者プロフィール
山下正男(やました・まさお)
1931年、京都市生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。同大学人文科学研究所教授を経て名誉教授。専攻課題は論理と数理の比較思想史的研究。著書にはこのほか『思想の中の数学的構造』など。





PS キリスト教に吸収され、あるいは排除された古代ケルトや古代ゲルマンの神々

このテーマについては、ユダヤ系ドイツ人の詩人ハインリヒ・ハイネの『流刑の神々・精霊物語』(小澤俊夫訳、岩波文庫、1980)を読むといいだろう。

この本にインスパイアされて柳田國男は民俗学研究を本格的に進めることになったこともアタマのなかにいれておくといい。柳田國男はこの本をフランス語訳(?)で読んだらしい。

こういった近代初期までに排除され「撲滅」されたはずの古代ゲルマンの神々が蘇生され、猛威を振るったのが第一次世界大戦敗戦後のドイツであり、最終的にナチスによる欧州破壊にまで行き着くことになることは、まさかハイネも予測できなかったことであろう。

キリスト教によって鍛えられた「西欧文明」と、キリスト教がそのなかに取り込み、あるいは排除し抑圧してきた古代の神々もその要素である「西欧文化」の違い。キリスト教の支配力が弱体化するにつれて、古代的なものが復活してきたのは当然といえば当然であった。



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「近代化=西欧化」であった日本と日本人にとって、ヒツジのイメージはキリスト教からギリシア・ローマ神話にまでさかのぼって知る必要がある

西欧文明の根幹をなすキリスト教とヒツジの関係を考えるには、まずは『コンコルダンス』を開いてみることだ

書評 『動物に魂はあるのか-生命を見つめる哲学-』(金森修、中公新書、2012)-日本人にとっては自明なこの命題は、西欧人にとってはかならずしもそうではない


近代以後の西欧思想

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ

書評 『現代オカルトの根源-霊性進化論の光と闇-』(大田俊寛、ちくま新書、2013)-宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」


■植物でも動物でもない粘菌という存在

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む

(2015年9月13日 情報追加)


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