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2023年8月3日木曜日

美術展「スペインのイメージ  版画を通じて写し伝わるすがた」(国立西洋美術館)に行ってきた(2023年8月3日)― ステレオタイプな「スペインのイメージ」とスペイン人自身によるイメージの違いを知る

 


この美術展は、英語のタイトル IMAGED AND IMAGINED  SPAIN SEEN THROUGH PRINTS FROM JAPANESE COLLECTIONS の下線部にあるように、「日本の美術館の所蔵品である版画作品」から、「スペインのイメージ」の歴史的変遷をあぶりだそうとした試みだ。

したがって、海外からの出品はなく、すべてが日本の美術館に散在している版画作品の再構成展示といえる。もちろん、そのなかにはこの美術展を主催した国立西洋美術館の所蔵品も含まれる。

展示の構成は、以下のようになっている。

0. 導入 INTRODUCTION
1. 黄金世紀への照射:ドン・キホーテとベラスケス  REFLECTING ON TRADITION
2. スペインの「発見」 THE “DISCOVERY” OF SPAIN
3. 闘牛、生と死の祭典  BULLFIGHT, FESTIVAL OF LIFE AND DEATH
4. 19 世紀カタルーニャにおける革新  CATALONIA AND THE MODERNITY IN THE NINETEENTH CENTURY
5. ゴヤを超えて:スペイン20世紀美術の水脈を探る  BEYOND GOYA: FINDING THE UNDERCURRENTS OF 20TH-CENTURY SPANISH ART
6. 日本とスペイン:20 世紀スペイン版画の受容  JAPAN'S RECEPTION OF SPANISH MODERN PRINT


■スペインの「ステレオタイプなイメージ」

「スペインのイメージ」は、スペイン人自身がイメージしたものもあるが、その多くはフランスを中心とした西欧人がイメージした「ステレオタイプなイメージ」である。この対比が面白い。

フラメンコや闘牛といった「情熱の国スペイン」というのは、スペイン国外でつくられたものだ。フラメンコといえばカルメンだが、そのカルメンを主人公にした小説は、19世紀フランスの作家メリメによるもの。おなじくフランスの作曲家ビゼーがこれをもとに『カルメン組曲』をつくっている。

フランスを中心としたエキゾチックなステレオタイプなイメージは、誇張があるとはいえ、歴史的な要因もある。

「ピレネーの西はアフリカ」というのは有名なフレーズだが、歴史的経緯を考えればその通りで会った。ピレネー山脈があったからこそ、イスラーム勢力はイベリア半島から東には進出できなかったのであり、ピレネーを境にイスラーム勢力とキリスト教西欧が並立している状況は、中世をつうじて長きにわたってつづいたのである。

だからこそ、現在にいたるまでイスラーム建築の代表的存在である「アルハンブラ宮殿」がスペインを代表する観光スポットとなっているわけだし、コルドバのようにイスラーム的雰囲気を濃厚に残している都市もある。

このイスラーム建築とそのデザインにインスパイアされたのは19世紀の英国であった。英語圏では19世紀前半の米国人外交官で作家のワシントン・アーヴィングによる『アルハンブラ物語』が流通していた。

エキゾチックなイメージといえば、フランスのタバコの銘柄「ジタン」(gitanes)であろう。今回の美術展には「ジタン」の広告ポスター版画も展示されているが、フランス語の「ジタン」とはジプシーのことである。カルメン、フラメンコ、ジプシーという連想は、スペインでつくられたものではないのだ。

スペインが広く西欧世界に知られるようになったのは、19世紀初頭のナポレオン戦争によるスペイン占領以降のことだ。スペインの画家ゴヤの時代である。ゴヤが描いた戦争の悲惨さの作品は、20世紀のピカソにつながるものがある。

15世紀末には、スペインのカトリック化(=キリスト教化)が完成したが、「レコンキスタ」として知られるこの勢いはピレネー山脈を越える形ではなく、もっぱら大西洋を越えてアメリカ大陸に向かうことになった。フランス王国という強力な勢力があったため、ヨーロッパ域内ではオランダやイタリア南部を支配するにとどまったのであった。

その意味では、むしろ戦国時代末期の日本のほうが、ダイレクトにスペインとのかかわりをもったといえるかもしれない。太平洋地域ではフィリピンに拠点を置いたスペインは、ヌエバ・エスパーニャ(=メキシコ)を中継点にして中国貿易を行っていたのである。キリスト教に対する禁教政策が実行されるまで、日本はスペインとの関係を維持していた。


■ありのままのスペインのイメージを知るには

さて、美術展の話題に戻れば、ステレオタイプなイメージがいかに形成されてきたかを見ることによって、ありのままのスペインのイメージとのギャップを考えるいい機会になると思う。ベラスケス、ゴヤ、ピカソ、ダリといった画家たちの作品の、一筋縄ではいかない魅力はどこからくるものであるのか。

わたし自身は、過去2回スペインに行っているが、いずれも暑い、いや熱い時期だった。スペインはマドリードだけではない。個性豊かな地方都市こそ面白い。そこにはステレオタイプなスペインではない、多様性に富んだほんとうのスペインがある。




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2016年10月21日金曜日

『イメージとマネージ-リーダーシップとゲームメイクの戦略的指針-』(集英社、1996)-平尾誠二氏のあまりにも早い死を悼む(2016年10月20日)


昨日(2016年10月20日)、ラグビーの平尾誠二氏が53歳の若さで亡くなったことを知った。衝撃的なニュースだった。ショックだ。同世代としては他人事ではない。いや、学校は違うが同学年なのだ。

ひさびさに平尾誠二氏の著書を引っ張り出してきて、パラパラとめくってみた。『イメージとマネージ-リーダーシップとゲームメイクの戦略的指針-』(集英社、1996)。いまからちょうど20年前に出版された本だ。 編集工学の松岡正剛氏との二人の京都人による対話を読むと、平尾誠二氏が選手として優秀だっただけでなく、いかに知的な人であったかがわかる。

この本から平尾氏の発言を中心に抜き書きをしておこう。

平尾 そう、合理的です。流れに従っている。われわれはつい彼らの爆発力に目を奪われますが、実は理屈にあっている。無理がない。流れが正確につかまえられているんです。(P.78)


平尾 イメージがものすごく鮮明だから断定的に物事が言える。(P.121)


平尾 リーダーとして求められることは、物事の本質を見抜けるか、見抜けないかということですね。いろんなものがあるなかで何がいちばん大事なのか、それをある程度はずさないで言えるかが大事だと思います。
(・・中略・・)
松岡 構想力と判断力と理解力でしょうね。もうひとつ大事なことはプロセスを説明できるということ。これからの時代はとくにプロセスを共有することが求められるでしょう。(P.122)


松岡 ところで、バイブレーションを伝える意味で関西弁というのも大きな役割をはたしているんじゃないですか。
平尾 たしかに関西弁というのは、標準語とくらべると、入り込み方が違いますね。ぼくの感じとしてですが、言葉の浸透度が違う。
(・・中略・・)
やっぱりスピード感が違いますね。標準語は理屈っぽいというか、説明をしようとしても、「そんなことはハナからわかってるこっちゃ」というのが、われわれ関西人みんなの感想なんですよ(笑)
(・・中略・・)
ぼくら試合前のしゃべりは瞬発力でしょう。これで一気にテンションを上げていくという世界ですから、これで間延びするとよくないんですよ。関西弁で「ほな、行くでえ」でいいわけです。この言葉に全部凝縮されている感じがある。(P.134~137)


平尾 ぼくは臆病なんでしょうね。何をするにも注意深くて慎重だったしね。でも「怖がり」というのは、けっして悪いことじゃないと思うんです。というのは、何か怖いことが先にあると予測できるからそう思うんですよ。
松岡 その指摘はこの対話中の白眉です。
平尾 だから、怖いと思わないのは無神経というか、思慮深くないことにつながってくると思うんですよ。
松岡 そうそう。大賛成。 (P.149)


平尾 結論からいうと、体でおぼえなきゃダメだと思っているんです。体で覚えるというのは、頭を使わないことじゃないんですよ。体でおぼえるのは無意識的な反応だと思うんです。そこまでもっていかないとダメだということですね。 
(・・中略・・)
ぼくが最近思ってきたのは、体で反応していくということで、これはある種の「超人的な速さ」でないとダメだと思うのです。 (P.162~163)


松岡 (ラグビーが)ぼくがもうひとつ編集的だと思うのは、楕円形のボールによって生まれるイレギュラーなバウンドによってノンリニア(非線形的)な思考が生まれやすいではないかということです。 (P.191)


平尾 すごい戦術とか戦略とか考えついたとします。でも、それだけではまだやるべきことの20パーセントにしか過ぎない。それを仲間にどう説明して、自分のイメージどうりに実現できるか、そこが大事なんだよと。 (P.213)


平尾 ラグビーもそうですが、近代スポーツ、ようするに輸入してきたスポーツは、基本的には日本に適さないところがあるかもしれない。そこをどう考えるか。
世界と日本のラグビーの違いは、闘争心なんです。それがチームとしてのもつ闘争心ではなくて、個人がもつ闘争心に圧倒的な違いがあります。そこをどうするかというのは、すごく難しい。
(・・中略・・)
問題はチームプレーのなかにおける個人なんです。どうしてもチームがからむと甘いものが出てくる。 (P.223)


とくに印象的なのは、チームと個人の関係だろう。チームスポーツとチームワークの意味について深く考えさせられるのは、つねに試合という実践の場において考える人であったからだ。

わたし自身はラガーはないし、とくにラグビーファンというわけではないが、ラグビーといえば平尾誠二という連想があっただけに残念でならない。

53歳という短い人生を走り抜いた平尾氏のご冥福を祈ります。合掌。






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書評 『日本力』(松岡正剛、エバレット・ブラウン、PARCO出版、2010)-自らの内なる「複数形の日本」(JAPANs)を知ること

書評 『脳と日本人』(茂木健一郎/ 松岡正剛、文春文庫、2010 単行本初版 2007)

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英連邦と英国起源の近代スポーツであるラグビー

「近代スポーツ」からみた英国と英連邦-スポーツを広い文脈のなかで捉えてみよう!
・・ラグビーは英国生まれのスポーツ。上流階級のスポーツであるラグビーと中流以下のスポーツであったサッカーとの違い

映画 『インビクタス / 負けざる者たち』(米国、2009)は、真のリーダーシップとは何かを教えてくれる味わい深い人間ドラマだ

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について
・・英国仕込みのジェントルマン


スポーツと知性、アタマとカラダ

コトバのチカラ-『オシムの言葉-フィールドの向こうに人生が見える-』(木村元彦、集英社インターナショナル、2005)より

書評 『「言語技術」が日本のサッカーを変える』(田嶋幸三、光文社新書、2007)-「論理力」と「言語力」こそ、いま最も日本人に必要なスキル

書評 『外国語を身につけるための日本語レッスン』(三森ゆりか、白水社、2003)-日本語の「言語技術」の訓練こそ「急がば回れ」の外国語学習法!

『Sports Graphic Number (スポーツ・グラフィック ナンバー) 2011年3月10日号 特集:名将の言葉学。-2011年のリーダー論-』

書評 『采配』(落合博満、ダイヤモンド社、2011)-ビジネス書の域を超えた「人生の書」になっている

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2015年12月1日火曜日

つたのからまるチャペル? ― なぜか欧米イメージがまとわりついているが、ツタは日本に自生する植物である



「ツタのからまる」のはチャペルではなく、じつは空き家となった民家です(笑)

ペギー葉山の名曲 「学生時代」(1964年)の歌いだしのイメージがあって、どうしても「ツタのからまる」建物は洋館、つまり西洋風の建築物という根強いイメージがわたしのなかにある。しかも紅葉に色づく「秋の日の図書館」である。

じっさいに「学生時代」で歌われているのはチャペル、キリスト教の礼拝堂である。この歌に登場するチャペルはペギー葉山の母校である青山学院大学のものであるらしい。青学は、プロテスタント系のミッションスクール。メソジスト派である。

さらに日本でも有名な「アイビー・リーグ」(Ivy League)というものがある。アメリカ東部の名門私立大学の総称で、ハーバードやイェール、プリンストンなど6大学をさしている。ツタのからまる建物がある美しいキャンパスというイメージがついてまわるのだが、そんなこともあって、ツタというとどうしても欧米風のイメージが強いのだ。





だが、「ツタ」は日本語である。「蔦」という漢字があてられている。このように、北米だけでなく、日本を含めた東アジアに自生している植物なのだ。一説によれば、他の植物や岩に「つたって」伸びるから「つた」なのだとか。この語源が正しいのかどうかはわからない。

念のために『岩波古語辞典 補訂版』(大野晋他編、岩波書店、1990)で「つた」を引いてみると以下の記述がある。

つた【蔦】 蔓(つる)性の木質の多年草。秋の紅葉が賞美された。「這う--の別れし来れば」<万135>。「常盤木(ときはぎ)に這ひまじれる--の色など」<源氏総角>

なんと、『万葉集』や『源氏物語』にも用例があるではないか! 

たしかに、「蔦屋書店」というのもあるし、そもそもこの屋号は江戸時代の出版人・蔦屋重三郎から取ったものであった。藤(ふじ)もそうだが、日本には蔓性の自生植物が多い

「ツタ」は英語でアイビー(ivy)という、ということはつまり「ツタ」は日本語なのだが、どうしても欧米風のイメージが固定化してしまっているのは、もしかするとわたしだけではないのではないかと思う。

「つた」がからむのは、あくまでも洋館や洋風建築であって、日本家屋にからまる「つた」は記憶にない。いや、見たとしてもそれを「ツタ」と認識していないだけかもしれないが・・・。

固定観念というイメージはじつに怖いものだ。あらためてそう思った晩秋の一日であった。




<関連サイト>

ペギー葉山 学生時代 (YouTube)
・・歌われているのは一番の歌詞と三番の歌詞のみ

ペギー葉山の「学生時代」(歌詞)
・・発表は1964年(昭和39年)。とくに二番の歌詞に注目


<ブログ内関連記事>

書評 『ミッション・スクール-あこがれの園-』(佐藤八寿子、中公新書、2006)-キリスト教的なるものに憧れる日本人の心性とミッションスクールのイメージ
・・「学生時代」で歌われるチャペル、讃美歌、十字架といったイメージは明治時代以降の日本人、とくに女性のあいだでは好意的に捉えられてきた

書評 『「結婚式教会」の誕生』(五十嵐太郎、春秋社、2007)-日本的宗教観念と商業主義が生み出した建築物に映し出された戦後大衆社会のファンタジー
・・キリスト教的なるものという西洋への憧れは依然として日本女性のなかにポジティブなイメージとして健在

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティグ」を考えるヒントに

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された
・・日本人は骨の髄まで、いや唱歌=讃美歌の旋律をつうじて、脳髄の隅々まで洗脳されてしまっているのである。これは不可逆な流れであり、もはや手遅れ(?)というべきか

Season's Greetings (2015年12月24日)-なぜヒイラギがクリスマスと結びついているのか?


書評 『代官山 オトナ TSUTAYA 計画』(増田宗昭、復刊ドットコム、2011)-「リアル店舗」における「レコメンド」の意味について考える

ウィステリアとは日本の藤(ふじ)のこと-アメリカでは繁殖力の強い「外来種」として警戒されているとは・・・

街路樹のプラタナスもまた紅葉する

枯葉 Les feuilles mortes
・・フランスの有名なシャンソン

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2015年1月12日月曜日

「近代化=西欧化」であった日本と日本人にとって、ヒツジのイメージはキリスト教からギリシア・ローマ神話にまでさかのぼって知る必要がある

(「良き羊飼い=キリスト」 4世紀ローマ wikipediaより)


「近代化=西欧化」であった日本と日本人にとって、ヒツジは西欧イメージと密接に結びついている。

ヒツジは、中国大陸から中近東にかけてのユーラシア、さらには西欧に至るまで当たり前のように存在するのだが、日本に定着したのは明治維新による「近代化=西欧化」の時期以降のことにすぎないからだ。

だから、どうしてもヒツジから連想するイメージは西欧的なものとなりがちだ。まずは羊毛生産とと皮革生産のために飼育が始まったのであり、マトンやラムなどの食肉として意識されるようになってから、そう年月がたっているわけでもない。

日本国内の飼育地はアメリカの影響の強い北海道が中心であり、輸入元はもともと英国の植民地であったオーストラリアやニュージーランドである。したがって、どうしてもアングロサクソン圏の連想が強い。概して家畜というものは、動物園でも見かけることもあまりない。

さらにいえば、かつては日本の食卓でも一時期はよく食べられたマトンは、臭いがキツイという理由で本州ではほとんど目にすることがなくなり、スーパーなどの食肉店で入手可能なのは子ヒツジの肉であるラム肉に限られている。そのラム肉でさえ、牛豚鶏と比べればマージナル(=周辺的)な存在に過ぎない。

インテリアとして導入された羊毛つきの皮革であるムートンも、かつてほどポピュラーではなくなったようだ。日本人は畳の生活からフローリングという木の床の生活にライフスタイルを変えたが、床に敷いた絨毯に座る遊牧民スタイルは定着しなかった。朝鮮半島のオンドル部屋のような床暖房でもない限り、床の絨毯に直接座るのは子どもくらいなものだろう。

北海道はさておき、ヒツジは日本人の日常にはない。だから、どうしてもイメージというアタマのなかだけの観念的な存在であるのは仕方あるまい。


「西洋文明におけるヒツジのイメージ

「迷える羊」(=ストレイ・シープ)、「生贄のヒツジ」、「良き羊飼い」(=グッド・シェパード)、「神の子ヒツジ」(=アグネス・デイ)、など、ヒツジにまつわる表現やイメージは、日本の場合、もっぱら英語をつうじて日本語世界に入ってきたものが大半だ。キリスト教聖書の日本語訳をつうじて。

だが、ヒツジといっても、すくなくともヒツジ(sheep)と子ヒツジ(lamb)の区分は絶対に必要である。『羊たちの沈黙』というホラー映画があるが、原題は The Silence of the Lambs である。だから正確に訳せば「羊たち」ではなく「子羊たち」としなければ、この映画のタイトルが示唆するものを感じ取ることができないのである。

子ヒツジ(lamb)が成長すればヒツジ(sheep)となるのは、魚でいえばハマチが成長してブリになるのと似ている。日本人が厳密にハマチとブリを区別しているのと同様、西欧世界においては子ヒツジとヒツジは厳密に区別しなくてはならないのだ。

西欧世界においてヒツジがいかなるイメージとして捉えられてきたかを知るには、『イメージ・シンボル辞典』(アト・ド・フリース、山下圭一郎他訳、大修館書店、1984)の項目を調べてみるのがよい。オランダの英文学者が英語で執筆した辞典の日本語訳である。出版されてからすでに30年以上たっているが、内容的には古さはない。


ヒツジ関連の項目としては、「sheep」(ヒツジ)、「lamb」(仔ヒツジ)、「shepherd」(羊飼い)、「ram」(雄ヒツジ)の4つがとりわけ重要である。ヒツジが日常生活にない日本語人からすればヒツジでまとめてしまえばいいではないかという気もするが、それぞれ別個の項目として立てられていることに注意を払う必要があるのだ。

以下、それぞれの項目について、主要部分を抜き書きして引用しておこう。項目の説明は、キリスト教とギリシア・ローマ神話という西洋文明の基礎をなす二本柱にかかわるものである。エジプト神話への言及もあるのは、ギリシア世界の背後には地中海の対岸にあるエジプト文明があるからだ。

sheep ヒツジ

1. 春を表す:雄ヒツジの角で表される白羊宮(物事の始まりと火を表す ⇒Aries)と関連する
2. 無垢、単純、上品、誠実を表す
 a アベルと関連する。遊牧民アベルのヒツジは農耕民カインに殺された
 b 最後の審判の日には、右手に置かれたヒツジは神の祝福を受け、左手に置かれたヤギは永遠の罰を受ける、とされる(『マタイ』25:33)
 c オオカミの反対物
3. 愛情、慈悲を表す: ヒツジは強者にその肉を与え、弱者にもその乳を与え、こごえる者にはその羊毛を与える
4. 生贄(いけにえ)として捧げられる
 a 白いヒツジ(ヒツジに限らず動物一般)は空の神々への生贄として祭壇に捧げられ、黒いヒツジは冥界の神々への生贄として側溝の中に捧げられる
 b 黒いヒツジは嵐の神に捧げられ、白いヒツジはおだやかで船旅にふさわしいゼピュルス(=西風)に捧げられた(『アエネイス』3:120)
 c キリスト教では、キリストを表す
5. 群居性、指導者への(盲目的な)追従を表す
6. 無力を表し、流浪するイスラエル人のたとえに使われる
7. 頑迷、愚昧であることはよく知られている
8. 踏み迷うことを表す
9. 雲を表す
10. 予言能力をもつ。占いと天候予知に使用された
11. 「高利貸し」Usuryの持ち物(イコン)
12. イブの持ち物。楽園追放後、イブはヒツジの毛を紡がなくてはならなかった」
13. 歯を表す
14. 羊毛の刈り込みは昔から重要な祭りである
15. ヒツジの皮
16. ヒツジの腸は、楽器の弦に使われることから(人の心をなごませる)音楽を表す
17. 【民間伝承】
 a 清浄(神聖)を表す:クリスマス(ときに復活祭)にヒツジは夜明けとともに起き、東に向かって3度頭をたれる
 b ヒツジの群れに出会うことは幸運のしるしであるが、人はその群れの中を通り抜けてはならない
 c 魔術に関連する。たとえば、小枝を突き刺したヒツジの乾いた心臓は、愛のまじないに使われる
 d 天気を予言する。ヒツジが落ち着きなくしきりに鳴くと、激しい雨が降る
 e ヒツジの体のいくつかの部分、たとえば頭部からとったT字形の小さな骨、ウマの首あてに吊される皮の小片などは、安全のお守りになる


lamb 仔ヒツジ

1. 可憐さ、寛大さ、従順さを表す
2. おとなしさ、弱さを表す
3. 無邪気さを表す
 a. オオカミとライオンの反対
 b. キリストを表す。『イザヤ』(53:7)では、キリストは毛を刈られるときにじっとおとなしくしている仔ヒツジにたとえられている。ヨハネは殉教に際し、キリストを「世の罪を取り除く神の仔ヒツジ」と述べている(『ヨハネ』1:29)。地下墓地では、キリストは12頭の仔ヒツジの使徒にとりかこまれている
4. 生贄(いけにえ)に供される。旧約では1日に2回供される。また復活祭用の仔ヒツジもある
5. 節制を表す
6. トラが神の怒りを表すのに対して神の愛を表す
7. 陽気さを表す
8. (ローマ神話の)ユノ、(白と黒の仔ヒツジを捧げられる)ヘカテ、またアフロディテのような太女神に捧げられる。水夫たちが海難に遭遇すると、白い仔ヒツジを生贄にする。すると、ゼウスの息子カストルとポリュデウケスが(海の女神アフロディテに捧げられた)スズメを連れ、水夫たちを救うために順風に乗ってやってくる
9. ヘルメスとディオニュソスに捧げられる。ディオニュソス祭ではディオニュソス(=豊穣)を解放するために冥界の神々に仔ヒツジが生贄として供される
10. 【紋章】 忍耐と温順を表す
11. 【民間伝承】 
 a 魔女や妖術師は仔ヒツジ(ないしはハト)には姿を変えることはできない
 b 復活祭の朝、日の出時に岡にのぼると、太陽の中に旗をもった仔ヒツジを見ることができる
 c 黒い仔ヒツジのいないヒツジの群れは繁殖しないだろう。しかし2頭以上いるのはよくない
 d 悪い前兆:仔ヒツジが異常に増えると、戦争の前兆となる 


shepherd 羊飼い

1. 羊飼いであるか、羊飼いにたとえられる神々:アヌビス(エジプト)、アッティス(フリュギア)、パリス、タンウーズとマルドゥック(バビロニア)、ヘルメス(ギリシア)、アポロ、ヤハウェ(『イザヤ』40:11を参照)
2. 捨てられた神々や英雄たちは羊飼いによって発見されたり、育てられたりした。たとえば、(一説によればイダ山の羊飼いったいに育てられた)ゼウス、ロムルス、キュロス、キリスト、(彼が石=ほら穴から生まれたとき羊飼いが見守っていたといわれる)ミトラ
3. 遊牧民のあいだでは羊飼いの長は、王にして聖職者である。たとえば、ダビデ、モアブの王メシア(『列王記 下』3:4)、ヨセフ(選ばれた者であることを示す色彩豊かなマントをまとっている)など、そのためフブライ人にとっては、一般に羊飼いは指導者を表すようになった。たとえば、モーセ、ダビデ、キュロス、メシア、羊飼いと隠者は同じような服装をしていた
4. ヒツジを連れた神々:牧神パン、ヘルメス(「雄ヒツジを連れた者」)、エンディミオン、アリスタイオス、キリスト
5. 昔から知恵の守護者とされた。羊飼いがデルフォイの最初の神託を聞いた(プルタルコス『神託の衰退』)
7. 霊魂の導師、すなわちヒツジの魂を死者の国に送る案内人を表す。ヘルメスもキリストも霊魂導師の役割をはたす
8. 田園詩にでてくる(とくに一目惚れをする)木訥な恋人
9. (省略)
10. (省略)
11. 【連結語句】 
 a 「羊飼いの杖」:エジプトでは(王の)権力を表す。キリスト降誕のエンブレム。また、司教のもつ牧杖との関連から、精神的導師のエンブレム
 b 「羊飼いの娘」:ジャンウ・ダルクがそうである
 c 「羊飼いの祭典」:(バビロンでは)春分に行われる
 d 「羊飼いの笛」:牧神パンの笛のことで、風を表す
 e 「羊飼いの星」:金星


ram 雄ヒツジ

1. 聖(太陽)王または神のエンブレムで豊穣、復活を表す。雄ウシの神々は雄ヒツジの神々とも重なる傾向がある
 a 元来、太陽王は羊皮を身にまとっていることが多かった。のちには雄ヒツジをもって白羊宮の支配(=春)を表すようになった
 b 祭司には白く、犠牲者には黒かった「羊毛」が、ゼウスの手では金色に変わった。「金羊毛」
 c ディオニュソスはヘラの怒りを逃れて雄ヒツジに変身した
 d 春になって美の三女神(=豊穣)をほら穴(=地下界、冬のすまい)から連れ出すヘルメスは雄ヒツジをともなう姿で描かれることが多い
 e ヤヌス神はときに(たとえばローマでは)羊頭で、1つの角が前方に他の角が後方に向いている
 f ポセイドンおよびエロースへの供え物
 g アブラハムとイサクの物語では太陽英雄(イサク)の身代わりの生贄となる
 h 「ヒツジの群れ」の「導き手」であるとともに、生贄のヒツジでもあるキリストを表す(中世ではヒツジの角が「荊冠」の表象であると信じられた)
2. エジプトなどでは一角獣の異形として魂を表す
3. 創造神のエンブレムで、猛々しく道を切り開くものを表す
4. 風を表す:エジプトでは風は羊頭または羊身で描かれた
5. 犠牲に供されるものとして平和を、またその猛々しさからは戦いを表す
6. 牡牛座の雄ヒツジとしてペルシアの象徴
7. エジプトでは湾曲した角をもつヒツジはアモン、波形の角のヒツジはクヌム、ヘルシェフ、またはアルサベスを表す
8. 天敵はゾウ
9. 【紋章】
 a 忍耐、節制、和解を表す
 b ヒツジを飼う権利を表す
 c 指導者を表し、公爵のエンブレム
10. 「雄ヒツジの角」にかんしては shofar を見よ
11. 【民間伝承】 魔女に関連:雄ヒツジは(ヤギと同様)「悪魔」の化身であるので、しばしば魔女がこれに乗っている
12. 【童謡】 (省略)



こうやって見てくると、キリスト教以前にギリシア・ローマ神話があり、さらにその前にはエジプト神話があって、ヒツジのイメージが西欧世界で形成されていったことがわかる。基本的に遊牧とヒツジに依存した経済構造が共通していたわけであるが、東洋世界とは異なるイメージが西欧で発展したいったのは、ギリシア文明とキリスト教の融合に求めることができるだろう。

(牧神としてのヘルメス ギリシア神話からキリスト教へ wikipediaより)



西欧世界におけるヒツジは「牧畜段階」と対応

西欧思想史を、メタファーとしての動物イメージで解説したのが、 『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976) である。このブログでもすでに取り上げたが、とくにヒツジの位置づけを知るために、再度取り上げてみたい。

メタファーとしての動物イメージは、①シカ、②ヒツジ、③ウマ(あるいはウシ)で表現される。それぞれ意味するところは以下のとおりである。

①シカ: 人類の「狩猟段階」における動物シンボル
②ヒツジ: 「牧畜段階」における動物シンボル
③ウマ(あるいはウシ): 「農業段階」における動物シンボル

ヒツジは、家畜化された動物の代表であり、群れの存在のヒツジと羊飼いのイメージが、キリスト教のもとにおいては聖界と俗界の両面にわたっての支配のメタファーとして機能したのである。「良き羊飼い」とはキリストのことを意味するようになった。

このメタファーは、旧約聖書と新約聖書のヘブライ的世界観だけでなく、古代ギリシアの世界観と共通するものであった。羊と羊飼いのメタファーにおいて、ヘブライズムとヘレニズムが融合しているのである。ヘブライズムはヘブライ語の旧約聖書、ヘレニズムは古代ギリシアをベースにしたギリシア語の新約聖書に代表される世界である。

初期キリスト教の「ヒツジと羊飼い」のメタファーから、「ブドウ栽培」という耕作メタファーに移行することによって、ヨーロッパでのキリスト教布教がスムーズに進んだことが『思想としての動物と植物』で説明されている。


***********

以上、西欧文明におけるヒツジのイメージについてざっと整理しておいた。だが、ヒツジは西洋だけでなく、中東から中国大陸に至るユーラシア大陸全体で飼育されてきた存在である。

まずは、西欧文明におけるヒツジのイメージを把握してくことは、「近代化=西欧化」を経験した日本人にとっては、必要不可欠の「教養」といっていいかもしれない。

そのうえで、漢字に表現されたヒツジ(=羊)の意味を知ることが、西洋世界と東洋世界をともに把握することにつながるのである。





<関連サイト>
 
・・『新共同訳聖書』でも『口語訳聖書』でも語句検索が可能



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西欧文明とヒツジ

西欧文明の根幹をなすキリスト教とヒツジの関係を考えるには、まずは『コンコルダンス』を開いてみることだ

書評 『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976)-具体的な動植物イメージに即して「西欧文明」と「西欧文化」の違いに注目する「教養」読み物
・・西欧文明におけるヒツジのイメージについて。家畜化された動物の代表として羊。群れとしての存在の羊と羊飼いのイメージが、キリスト教のもとにおいては聖界と俗界の両面にわたっての支配のメタファーとして機能

フランスの童謡 「雨が降ってるよ、羊飼いさん!」(Il pleut, Il pleut, bergère)を知ってますか?


ギリシア神話

ヘルメスの杖にからまる二匹の蛇-知恵の象徴としての蛇は西洋世界に生き続けている


食肉としてのヒツジ

サッポロビール園の「ジンギスカン」を船橋で堪能する-ジンギスカンの起源は中国回族の清真料理!?

書評 『食べてはいけない!(地球のカタチ)』(森枝卓士、白水社、2007)-「食文化」の観点からみた「食べてはいけない!」
・・羊と羊肉についての記述がこの本にはある


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2014年8月4日月曜日

書評『思想としての動物と植物』(山下正男、八坂書房、1994 原著 1974・1976)-具体的な動植物イメージに即して「西欧文明」と「西欧文化」の違いに注目する「教養」読み物



かつて中公新書から出版されていた、イメージから哲学にアプローチするテーマの二部作を合冊版として復刊したものである。それぞれ、『動物と西欧思想』(中公新書、1974)『植物と哲学』(中公新書、1976)である。

思想関連や哲学関連の本を読み慣れていない人にとっては、そこにでてくる抽象概念に難解な印象を受けて取っつきにくい、あるいは最初から食わず嫌いで敬遠してしまうことも多いだろう。

だが、西欧思想の根幹をなすキリスト教も、東洋思想の根幹をなす仏教も儒教も、人間が生み出した思想表現である以上、人間が生きてきた自然環境とのかかわりから大きな影響を受けていることはいうまでもない。そういった環境から受けてきた影響をイメージを介して抽象化したものが思想であり、哲学と考えれば取り組みやすくなるのでないかというのが著者の基本姿勢である。

一言でいえば、具体から抽象へという思考の流れを、再体験してみるということだ。具体的な事物に即してみることで、思想家や哲学者が使用しているコトバが、暗黙のうちに依存しているイメージがわかってくる。そういう観点で抽象的な思想や哲学をみれば、おのずから西欧文明の特質も限界も見えてくるということである。

とくに哲学との関係でいえば、「第2部 植物と哲学」が東西思想をほぼすべての項目にわたって比較しているので、西欧特有の思想、東洋特有の思想といった相違点でなく、意外と共通点が多いことが理解されるだろう。

新版のカバーにも描かれている「人間は逆立ちした植物だ」(プラトン)と「植物は逆立ちした人間だ」(アリストテレス)という命題が興味深い。植物は栄養を根っこから取り入れ、すみずみまでゆきわたらせるのだが、前者の命題は天上世界への志向性のつよいプラトンらしいもので、後者の命題は、生物学を中心とし地上中心的な現実主義的志向を示したアリストテレスらしい。この両者が西欧哲学の原点にある。

キリスト教神学の発展においては、まずはプラトン哲学が大きく利用され、中世においてイスラーム経由でアリストテレス哲学が導入されて強化されたのである。

とはいえ、正直いってこの「第2部 植物と哲学」はあまり成功しているとはいえない。あまりにもディテールに入り込んでしまっているので、哲学というよりも、たんなる知識の羅列に終わってしまっているという印象がつよく、読んでいてわずらわしい。

また、1976年という執筆された時代の制約のため、現時点からみるとあまり賛同できない主張も少なくない。1973年に高度成長が終わり、世界全体にも「成長の限界」などペシミズムが充満していた時代である。

(筆者所蔵の原著二冊)

これに対して「第1部 動物と西欧思想」にほうがテーマ性が明確に打ち出されているためはるかに面白いだけでなく、基本的枠組みは初版が出版されてから40年たっている現在でも新鮮である。西欧思想史を、メタファーとしての動物イメージによって三段階に区分するという構成が明確だからだ。

三段階は、①鹿、②羊、③馬(あるいは牛)、で表現される。

①鹿: 人類の「狩猟段階」における動物シンボル
②羊: 「牧畜段階」における動物シンボル
③馬(あるいは牛): 「農業段階」における動物シンボル

もちろんこれは西欧世界に適用したケースであって、人類史全体に普遍的なものではないことに注意しておきたい。

基本的にカバーされるのは古代から中世までの西洋史だ。古代と中世に西欧文明の核となる要素が形成された。この核をもとに大きく脱皮して跳躍したのが、いわゆる「西欧近代」である。

普遍的な「文明」を生み出した西欧が、じつはいかなる風土や環境にあったのか、「文明」からは切り落とされがちな「文化」の側面にも十分な目配りをすることによって、西欧文明の普遍性とその限界が明確になる。

まずは、「Ⅰ章 角のある神と魔女」で野生動物としての鹿を取り上げ、結局のところ家畜化できなかった鹿と人間のかかわりを、聖書や古代ギリシアと古代ローマ、英語を中心としてドイツ語、フランス語の語源を跡づけながら論じている。

キリスト教が普及していくなかで、ケルトやゲルマンの神々がキリスト教によって選別され、許容可能なものは吸収され、そうでないものは排除され撲滅された。これは601年に教皇グレゴリオ一世によって採用された「布教地における慣習順応」(accomodatio)によるものである。

だが、排除された神々は悪魔として西欧人の心性の奥底に生き残る。悪魔に角が生えているのは、鹿を神としてしていた古代信仰の名残りである。

「Ⅱ章 羊イメージ群とキリスト教」では、家畜化された動物の代表として羊を取り上げ、群れとしての存在の羊と羊飼いのイメージが、キリスト教のもとにおいては聖界と俗界の両面にわたっての支配のメタファーとして機能したことを明快に説明している。このメタファーは、旧約聖書と新約聖書のヘブライ的世界観だけでなく、古代ギリシアの世界観と共通するものであった。羊と羊飼いのメタファーにおいて、ヘブライズムとヘレニズムが融合しているのである。

「Ⅲ章 牛馬イメージと西ヨーロッパ世界」では、西欧における「農業革命」の結果、馬の食糧となる穀物生産能力が大幅に向上し、耕作に使用する馬が牛にかわって重要な役割を占めるにいたったこと、農業における馬の使用と同時に騎士階級にとっての馬が両立したのが西欧世界であったことが指摘される。

「Ⅳ章 馬から機械へ」では、動力源の変化が、馬から機械への転換を促し、その移行期においては馬のメタファーが使用されていたことが指摘されている。馬力(horse power)という英単語が端的にその事情を表現している。

もともとの新書版の紙数の関係からか、やや尻つぼみになっているのが残念だ。西欧を中心にして日本や中国にも目配りしているのはいいのだが、生態系の観点からはむしろ中近東を含んだユーラシア大陸の宗教であるイスラームについてもっと深く言及すべきであったろう。だが、これまた時代の制約があろう。1974年時点ではまだイスラームに対する知的関心は始まったばかりであった。

「第1部 動物と西欧思想」の「Ⅱ章 羊イメージ群とキリスト教」を読んだうえで、「第2部 植物と哲学」を読むと、初期キリスト教の「羊と羊飼い」のメタファーから、「ブドウ栽培」という耕作メタファーに移行することによって、ヨーロッパでのキリスト教布教がスムーズに進んだことが理解できる。

また、10世紀以降の森林の開墾が穀物生産を活発にさせる道を切り開いた。この中心として活動したのがベネディクト派系列の修道院である。いわゆる「開発主義」の元祖というべきであろう。

「第2部」はバラして「「第1部」に再編集したほうが、『動植物と西欧思想』として「第1部」のテーマを補強することになって、読み物としてもさらに面白いものになっただろうにと惜しまれるのである。

西欧世界におけるイメージについては、原著出版後には 『イメージ・シンボル辞典』(アト・ド・フリース、山下共一郞他訳、大修館書店、1984)などが翻訳出版されているので、個々の項目については的確な知識を得ることができるが、メタファーとして使用されてきた動植物イメージを思想の流れとしてたどることができるので、とくに「第1部」は現在でも興味深い内容だろう。



「第1部」は英語学習者にとっても「教養」を深めるうえで大いに役に立つはずだ。英語をその語源にまでさかのぼり、しかも西欧思想のエッセンスを知るための教養読み物としては価値があるといえるだろう。全編にわたって詳細に英語を中心に、ドイツ語、フランス語、ラテン語、ギリシア語が原つづりのままでてくるので、西欧語としての発想の共通性を知ることができる。

原著出版から40年後の現在は、すでに「工業時代」から「情報文明」に移行している。「情報時代」のメタファーは、はたして動植物イメージで表現可能か(?)という疑問もわいてくる。メタファーとしての動植物イメージは、もはや使い尽くしてしまったのではないか、と。

いまではもう手垢のついた表現になってしまったが、一時期さかんにクチにされたのが「ドッグイヤー」(dog year)という表現だ。技術進歩のスピードが人間の寿命ではかるよりも犬の寿命のスピードではかったほうがより正確だという趣旨によるものだ。

現代社会では、動植物も身の回りのものではなく、原生生物アメーバや動植物両方の特性を備えた粘菌、あるいはウイルスなどの細菌、そしてまた遺伝子としての DNA がメタファーとして多用されるようになっているのかもしれない。

現代は「生物学の時代」といわれているが、実態は分子生物学と遺伝子工学に代表される生物物理学の時代なのである。わたしが本書の続編を書いて再編集するなら、そんなメタファーを解説した内容になるだろうか。

こんなことを考えてみるのも面白い。





目 次

第1部 動物と西欧思想
 序章 思想とイメージ
 Ⅰ章 角のある神と魔女
 Ⅱ章 羊イメージ群とキリスト教
 Ⅲ章 牛馬イメージと西ヨーロッパ世界
 Ⅳ章 馬から機械へ
 結び 動物と革命思想
第2部 植物と哲学
 序章 農業段階の哲学
 Ⅰ章 植物と人間のアナロジー-観念論的場面で (1)
 Ⅱ章 人間の歴史と植物イメージ-観念論的場面で (2)
 Ⅲ章 哲学・宗教と植物イメージ-観念論的場面で (3)
 Ⅳ章 宇宙における植物と人間の位置-存在論的場面で
 結び エコロジーの思想史的意義
参考文献


著者プロフィール
山下正男(やました・まさお)
1931年、京都市生まれ。京都大学文学部哲学科卒業。同大学人文科学研究所教授を経て名誉教授。専攻課題は論理と数理の比較思想史的研究。著書にはこのほか『思想の中の数学的構造』など。





PS キリスト教に吸収され、あるいは排除された古代ケルトや古代ゲルマンの神々

このテーマについては、ユダヤ系ドイツ人の詩人ハインリヒ・ハイネの『流刑の神々・精霊物語』(小澤俊夫訳、岩波文庫、1980)を読むといいだろう。

この本にインスパイアされて柳田國男は民俗学研究を本格的に進めることになったこともアタマのなかにいれておくといい。柳田國男はこの本をフランス語訳(?)で読んだらしい。

こういった近代初期までに排除され「撲滅」されたはずの古代ゲルマンの神々が蘇生され、猛威を振るったのが第一次世界大戦敗戦後のドイツであり、最終的にナチスによる欧州破壊にまで行き着くことになることは、まさかハイネも予測できなかったことであろう。

キリスト教によって鍛えられた「西欧文明」と、キリスト教がそのなかに取り込み、あるいは排除し抑圧してきた古代の神々もその要素である「西欧文化」の違い。キリスト教の支配力が弱体化するにつれて、古代的なものが復活してきたのは当然といえば当然であった。



<ブログ内関連記事>

書評 『ヨーロッパとは何か』(増田四郎、岩波新書、1967)-日本人にとって「ヨーロッパとは何か」を根本的に探求した古典的名著

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!

書評 『正統と異端-ヨーロッパ精神の底流-』(堀米庸三、中公文庫、2013 初版 1964)-西洋中世史に関心がない人もぜひ読むことをすすめたい現代の古典

アッシジのフランチェスコ 総目次 (1)~(5)

映画 『シスタースマイル ドミニクの歌』 Soeur Sourire を見てきた

「祈り、かつ働け」(ora et labora)

修道院から始まった「近代化」-ココ・シャネルの「ファッション革命」の原点はシトー会修道院にあった


キリスト教と動物の関係

「近代化=西欧化」であった日本と日本人にとって、ヒツジのイメージはキリスト教からギリシア・ローマ神話にまでさかのぼって知る必要がある

西欧文明の根幹をなすキリスト教とヒツジの関係を考えるには、まずは『コンコルダンス』を開いてみることだ

書評 『動物に魂はあるのか-生命を見つめる哲学-』(金森修、中公新書、2012)-日本人にとっては自明なこの命題は、西欧人にとってはかならずしもそうではない


近代以後の西欧思想

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ

書評 『現代オカルトの根源-霊性進化論の光と闇-』(大田俊寛、ちくま新書、2013)-宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」


■植物でも動物でもない粘菌という存在

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む

(2015年9月13日 情報追加)


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