昨年2013年12月23日、
自動小銃AK47の発明者カラシニコフが死去したというニュースが流れた。
カラシニコフとは世界でもっとも有名な自動小銃 AK47 の開発者の名前である。
人名が製品名となった事例でもある。
自動小銃のカラシニコフが人の名前であることを知らなかった人もいるかもしれない。社会主義イコール集団主義と思い込んでいるからだろう。
戦闘機スホーイや大型輸送機アントノフなど、ソ連時代に開発された兵器には開発者の個人名がついている。じつは
ソ連は突出した個人を優遇したエリート主義の国でもあったのだ。
カラシニコフというと、いまから十数年前、すでにソ連崩壊後のことだが、ロシア関連の仕事をしたとき、一緒に仕事をしていたカラシニコフという名前のロシア人男性に聞いたことがある。
わたし:「あのカラシニコフか?」
カラシニコフ氏:「そうだ。だが親族ではない」
まあ、そんなことも思い出したニュースであった。
カラシニコフについて簡単に入手できる関連書を紹介しておこう。
●『カラシニコフ自伝-世界一有名な銃を創った男-』(エレナ・ジョリー聞き書き、山本和子訳、朝日新書、2008)
●
『カラシニコフ Ⅰ・Ⅱ』(松本仁一、朝日文庫、2008 単行本初版 2004/2006)
前者は、
ミハイル・カラシニコフ(1919~2013)の娘と親しい女性ジャーナリストが聞き出したロングインタビューの記録。フランスで2004年に出版されたもの。ソ連史そのもののような開発者の人生と開発品について自らが語った貴重なドキュメント。価値判断抜きで、
開発ストーリーと開発者のライフストーリーを楽しめる本だ。
後者は朝日新聞の中東アフリカ担当で現地経験も長い記者が新聞連載をまとめたもの。Ⅰではアフリカのテロと紛争におけるカラシニコフがテーマ。
カラシニコフ氏へのインタビューも収録されている。Ⅱでは麻薬と武器がからむコロンビアと(中国の人民解放軍系の武器メーカーの関与) アフガニスタンとイラクという大英帝国の負の遺産である「人工国家」がテーマとなる。
この3冊を読めば、カラシニコフ氏が開発した自動小銃がいかなる経緯を経て完成したか、そして開発者の預かり知らぬところで拡散し、問題を起こしていることを知ることができる。
まずはカラシニコフ氏による「開発」そのものについて簡単にみておこう。
■
カラシニコフ氏による「開発」とは?
カラシニコフという自動小銃は、
それをつかう人にとっては「ユーザーフレンドリー」なマシンだといえる。
殺傷兵器をユーザーフレンドリーとは不謹慎ではないか(!)とお叱りを受けそうだが、
価値判断を棚に置いて技術という側面から見れば、自動小銃としてのカラシニコフが個人能力を拡張したマシン(機械)であるということは否定できない。
その点においては
パーソナルコンピュータ(PC)というマシン(機械)と共通しているのである。
Ak47 が文字通りの「武器」であるなら、PCは比喩的な意味で「武器」であった。
機械いじりが大好きで、ピストルを分解して目覚めてしまったカラシニコフという「ソ連人」は、独ソ戦の最中に自動小銃の開発の没頭し、
第二次大戦後の1947年に完成した自動小銃はソ連軍の正式銃器として採用され量産体制が開始されることになる。
AK47の「47」とは1947年の略称。
AKとはロシア語で「アフタマート・カラーシニコヴァ」(ローマ字表記で Avtomat Kalashnikova)の頭文字をとった略称である。英語でいえば、Automatic Kalashnikov 47 となろう。
カラシニコフはそれまで存在した銃器を敵軍のドイツのものもふくめて徹底的に研究し、
「使い勝手の良さ」を追求する設計思想のもと最終的にAK47に到達する。
だから、まったくあたらしいコンセプトによる
「発明」ではない。だが、徹底的に改良につぐ改良を加えた末に到達した
「開発」ということはできるだろう。
マシンガンは、使用後は分解して掃除することがメンテナンスのために不可欠だが、
部品点数を徹底的に絞り込むことによって使用者の負担を減らした。これは
モジュール化にもつながる発想だ。
もっとも重要なポイントは、
どんな過酷な状況でも簡単に故障しないことにある。このためにカラシニコフが採用したのは、それまでの常識であった
精密性の真逆の発想であった。
『カラシニコフⅠ・Ⅱ』の著者・松本仁一氏の表現を借りれば「スカスカ設計」である。ゴミが入らないように密閉性を追求してきた発想ではなく、部品と部品のあいだに空間をおくことでゴミが入っても作動するようにした。これがイノベーションととなったのである。
若き日のカラシニコフ氏は、スターリン時代にシベリアに強制移住させられた家族としての過酷な人生を生き抜いた人だ。
天職としてつかんだ銃器設計も、至れり尽くせりの環境のなかで行われたわけではない。この点もまた、ガレージから生みだされたジョブズとウォズニアックのアップル誕生物語を想起させるものがある。日本の本田宗一郎もまた同類のエンジニアであったといえるだろう。
両者に共通するのは、
人間の個人能力を拡張するマシン開発のビジョンと不屈の情熱。
カラシニコフはドイツとの戦いを、
ジョブスたちは巨人IBM との戦いをミッション(使命)として開発の没頭していた。1940年代のソ連のシベリアと1970年代のアメリカのカリフォルニアが交差するが、本質においては同じなのだ。まさに
エンジニア魂ここにあり!
『カラシニコフ自伝』はフランスの女性ジャーナリストによる聞き書きの「自伝」だが、たまたまカラシニコフ氏の娘と親しい関係にあったから実現したのだという。原著のタイトルは Ma Vie en Rafales(ライフル人生)。ピアフのシャンソン La Vie en Rose(バラ色の人生)にかけたものか。
カラシニコフ氏の人生は、まさに「生きたソ連史」そのもののような人生である。「ロシア革命」後の混乱、「富農」のレッテルを張られてのシベリア送り、スターリンによる大粛清、独ソ戦で負傷。
AK47開発の歴史は失敗に次ぐ失敗であったこと、それでもあきらめずにすいに栄冠を勝ち取り、開発の功績により「労働英雄」になる。
武器開発者であるため、ロシア中部ウドムルト共和国イジェフスク市という「閉鎖都市」での人生であった。経済的には大成功とというものではないが、ソ連のなかでは恵まれた生活を保障されていたわけであり、なによりも開発者としての名誉に包まれたものであった。だが、ほんとうのことはクチにはできなかった。ソ連崩壊後に行われた著者によるインタビューは、その思いを吐露する機会になったようである。
インタビューが行われた2004年時点で84歳であったカラシニコフ氏は、みずから開発したAK47を誇りこそすれ悔いはいっさいないようである。みずからの預かり知らぬところで「拡散」したAK47だが、もちろん武器である以上、功罪がつきまとうのは当然だ。
銃器もまた「諸刃の剣」という本質は同じである。
「ユーザーフレンドリー」のカラシニコフの功罪の「罪」の最たるものは、子どもでも操作が容易で簡単に故障しないということに起因している。この点については
『カラシニコフⅠ・Ⅱ』を読む必要がある。
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自動小銃としてのカラシニコフの「拡散」がもたらしたもの
カラシニコフことAK47は、
1947年にソ連軍に正式採用されてからすでに67年もたっているのにかかわらず、現在にいたるまでもっとも人気が高い自動小銃である。
スミソニアン博物館の銃器の歴史の専門家エゼルは「銃器の分野において、ソ連で偉大な発明fが生まれた。カラシニコフの銃は、おそらく2025年、ひいてはそれを超えるまで使われるだろう」と述べているそうだ。
ではなぜカラシニコフが世界中に拡散したのか?
カラシニコフ拡散は核拡散に比すことができると『カラシニコフ』の著者・松本仁一氏は指摘している。たしかに自動小銃の拡散は大量破壊兵器の拡散に比すことができるものだ。
だが、わたしは先にみてきたように
パーソナルコンピューター(PC)以降の情報技術(IT)のアナロジーで考えたほうが、カラシニコフが世界中に拡散した理由を理解しやすいのではないかと思う。
操作の容易さ、故障しない(上記に共通)はすでに確認したが、
「拡散」の原因となったのはソ連がそのメインプレーヤーであった「冷戦構造」にある。
操作が簡単で過酷な状況でも簡単に故障しないからこそ、カラシニコフことAK47は世界中に拡散してしまったのである。もともとはソ連軍の武器だったのだが、
冷戦構造のなかソ連の衛星国に「フリーライセンス」で製造技術が無償供与され、しかも
その後は「違法コピー」によって「海賊版」が製造され、密輸によってとして拡散していったのである。
武器を使うものと武器を買うものはかならずしもイコールではない。武器を買うのは、使用者よりも使用させたいものである。
紛争当事国においてカラシニコフが拡散したのは、それを使わせたい勢力が存在するからだ。そしてそういった存在が消えることがない。まことにもって残念なことである。
開発者の思惑とは関係なく世界中に拡散してしまったカラシニコフことAK47。その結果、ソ連の援助を受けた紛争当事国では、紛争をエスカレートさせる大きな原因となってしまっている。