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2009年12月13日日曜日

書評『帰還せず-残留日本兵 60年目の証言-』(青沼陽一郎、新潮文庫、2009)-日本に「帰還しなかった」元日本兵たちの人生の軌跡を丹念にインタビューした、きわめて良質なノンフィクション



日本に「帰還しなかった」元日本兵たちの人生の軌跡を丹念にインタビューした、きわめて良質なノンフィクション■  


 副題に「残留日本兵 60年目の証言」とある。この副題にすべてが表現されているといってよい。

 「大東亜戦争」で「南方」(・・現在の東南アジア)に有無もなく行かされた日本人兵士たちは、なぜ日本へ帰還せず、現地に残留したのか?

 この疑問を戦後60年目にあたる年に、残存する14人すべてと面会し、じっくりと話を聞き取り、再構成したノンフィクションである。

 残留した元日本兵には、将校はいっさい含まれない。現場で苦労した下士官と兵、そして民間人であった軍属である。

 地域は、ビルマ(=ミャンマー)とタイ、インドネシア、そしてベトナムにわたる。

 証言を聞き取った14人は、それぞれ出身地も違うし、何よりも現地に残留した理由もそれぞれ異なっている。

 重要なのは、「帰還せず」ということだ。「帰還できなかった」わけではない。消極的な理由であろうが、積極的な理由であろうが、みな自らの意志で現地に残ったのである。


 まったくの私事(わたくしごと)ではあるが、この本に登場する14人の証言者のうちの一人である、インドネシア・ジョグジャカルタ在住の田中幸年さんとは、実は一度お会いしたことがある。

 田中さんの経営するロッジに泊めていただき、日本語でいろいろ親しくお話をさせていただいたこと、田中さん最愛のインドネシア人の奥様にもお目にかかったことを、いま懐かしく思い出している。

 著者の青沼陽一郎氏が、田中幸年さんにインタビューをした時から10年近く前のことではなかったかと思う。

 こういう個人的な経験があって、私は「現地残留日本人」の存在を知ったのだが、一般にはあまり知られていないのではないだろうか。

 だからそんな意味でも、著者の情熱によって、生存者の証言が集められたことは、まことにもって意義のある仕事になったと思うのである。


 本書をよんで、ここに登場する14人の個々の人生の軌跡に思いをはせれば、日本人として何か思うところがあるはずだ。

 きわめて良質なノンフィクションである。


■bk1書評「日本に「帰還しなかった」元日本兵たちの人生の軌跡を丹念にインタビューした、きわめて良質なノンフィクション」投稿掲載(2009年12月12日)
■amazon書評「日本に「帰還しなかった」元日本兵たちの人生の軌跡を丹念にインタビューした、きわめて良質なノンフィクション」投稿掲載(2009年12月12日)



PS 読みやすくするために改行を増やした。なお、2014年8月に小学館文庫から「再刊」されていることを付記しておく。(2015年1月27日 記す)





<書評への付記>

 インドネシアのジャワ島中部にある古都ジョグジャカルタ(通称ジョグジャ)の田中さんは、本文にも詳述されているように、軍人ではなく民間人としてインドネシアで仕事をしていた人である。

 成田発ジャカルタ行きのガルーダ・インドネシア航空で座席を隣り合わせた人が、偶然にも田中幸年さんの息子さんだったのだ。インドネシアがまだ「1997年のアジア金融危機」に見舞われる前、スハルト時代の話である。

 隣の席の人から英語で話しかけられ、機内誌の記事をさして写真は自分の父親だというのだ。そんなことで親しくなった息子さんの誘いで、その日のうちにジャカルタから便を乗り継いでジョグジャカルタまで行くことになった。その日が、まさに田中幸年さんの誕生日だったのだ。というわけで田中さんの誕生パーティにまで招いていただき、インドネシア式の誕生会を体験することになったのである。その日はロッジにも宿泊させていただいた。インドネシアとは思えないような、高原リゾートにあるロッジである。

 こういう偶然も人生では起こるものである。

 翌日はホテルに移って世界三大仏教遺跡の一つであるボロブドゥール見学を行った。田中さんにはホテルまで案内していただき部屋も確認していただき、たいへんお世話になった。この場を借りて、今は亡き田中さんに感謝するとともに、インドネシアの土となった田中さんのご冥福をお祈りする。

 こういう人生もあるのだ、と日本人なら知っておきたいものである。

 戦後、自由に海外渡航できるようになってから出国し、海外で活躍する日本人も多い。ガンとの闘病の末亡くなった柳原和子氏の『「在外」日本人』(講談社文庫、1998 原本 1994)は、自らの意志で海外での人生を選んだ人たち108人をインタビューしてまとめた記録だが、本書とあわせて読むことを推奨したい。



 この視点をもっていると、「残留日本人」の人生が戦争のもたらした悲劇だ、とかいった一方的な価値判断にとらわれる弊害から自由になることができる。

 『帰還せず』の著者が引き出した証言は、かなりの程度まで証言者のホンネに近いのではないか、と思うのである。人生は、良くも悪くも、そうそう自分が思ったようにいくものではないからだ。偶然に左右される要素が大きいのである。人間から見たら偶然でも、神様からみたら必然だ。人生とは実に偶然の積み重ねである。日本人はこれをさして"縁"(えん)といってきた。これは日本にいようが、海外にいようが同じではないだろうか。

 日本人だから日本にいなければならない、とはいえないだろう。世界中どこにいても、良くも悪くも日本人、こう思うことが精神衛生上よいのではないか。



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