2012年のロンドン・オリンピックもいよいよ最終日を迎えている。
今回もさまざまなドラマが繰り広げられたが、たしかに黒人選手の活躍はあいかわらず多いという印象をもっている人もすくなくないと思う。
しかし種目ごとに詳細に見ていくと、すべての種目で黒人選手のプレゼンスが、かならずしも大きなものではないことに気がつく。
陸上短距離では、ジャマイカのボルト選手が圧倒的な強さを示していた。過去にもカール・ルイスなどの選手がいたことも思い出す。マラソンでもアフリカ勢がつよいのはいつものことだ。
しかし、水泳では黒人選手はほとんど見ない。チームスポーツでも、ブラジルにはサッカーでもバレーボールでも黒人選手は多いが、それ以外の種目ではかならずしもそうではない。
バスケットボールのアメリカ代表チームには黒人選手が圧倒的に多いが、それ以外の種目はかならずしもそうではない。
つまり、黒人選手が圧倒的につよいというのはあくまでも印象論であって、ステレオタイプ的なものの見方に過ぎないかもしれないのだ。
本書を読むと、実際のところ、スポーツ種目のなかで黒人選手のプレゼンスが圧倒的に大きいのは、バスケットボール、アメリカンフットボール、陸上競技の3つなのだという。
黒人選手は生まれながらにして運動神経がすぐれているから選手として優秀だという語りは、1930年代以降に優勢となったものらしい。
「不可視」の存在であった黒人アスリートが、1930年代にはさまざまな理由によって、目に見える形で無視できない存在になったためだというのだ。そしてこの語りは、現在にいたるまで続いているのだ、と。
本書ではあまり強調されていないが、同時代のナチス・ドイツではアメリカ発の「人種理論」や「優生学」がいかに破壊的な働きをしたかを知っていれば、聞き捨てならないものを感じるのである。
本書は、近代スポーツの中心となったアメリカに重点をおいて、人種とスポーツの関係を歴史的、社会科学的に跡づけた好著である。
ある特定のスポーツ種目がなぜ黒人選手のプレゼンスが大きいのか、それはスポーツの特性からだけではなく、そのスポーツ種目が誕生以来たどってきた歴史的、スポーツ文化的な背景をコンテクスト(文脈)として捉えないと理解できないということを示している。
スポーツはさまざまな見方が可能だが、「人種とスポーツ」という「常識」を疑って見ることも大事なことを教えてくれる本である。
スポーツの一つの見方として読めば、視野が広がることを覚えるだろう。
目 次
はしがき
序章 黒人と身体能力―生まれつき優れているのか
第Ⅰ章 「不可視」の時代-南北戦争以後~20世紀初頭
第Ⅱ章 人種分離主義体制下-20世紀初頭~1920年代
第Ⅲ章 「黒人優越」の起源-身体的ステレオタイプ成立と1930年代
第Ⅳ章 アメリカンスポーツ界の人種統合-すべてはベースボールから始まった
第Ⅴ章 台頭から優越へ-メダル量産と黒人選手比率の激増
第Ⅵ章 水泳、陸上競技と黒人選手-「黒人」としての特質なのか
終章 「強い」というリアリティ-歴史、環境、多様性
あとがき
図版出典一覧
参考文献
川島浩平(かわしま・こうへい)
1961(昭和36)年東京都生まれ。1985年筑波大学第二学郡比較文化学類卒業。1987年米国ブラウン大学大学院史学部入学。1992年ブラウン大学大学院より博士号取得。共立女子大学研究助手などを経て、1998年武蔵大学人文学部助教授、2003年より武蔵大学人文学部教授。専攻アメリカ研究。著書『都市コミュニティと階級・エスニシティ』(御茶の水書房、2002年)アメリカ学会・清水博賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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(2014年2月14日 情報追加)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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