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2022年12月3日土曜日

ヴォルテールとシャトレ夫人、そしてラヴォアジェ夫妻 ― 18世紀フランスの科学と科学者たちの関係性は「複眼的」に見る必要がある

 
18世紀を代表する人物であるベンジャミン・フランクリンについて考えるため、18世紀の自然科学(といっても当時は自然哲学といっていた)関連の本をいろいろ読み込んでいた。 

18世紀が興味深いのは、いまだ「科学者」(サイエンティスト)ということばも概念もなかったこの時代、「女性科学者」が存在感を示していたという事実だ。 

そのなかでも18世紀フランスのシャトレ侯爵夫人とラヴォアジエ夫人の2人は特筆すべき存在だろう。 

物理学の分野で活躍したシャトレ侯爵夫人の最大の功績は、ニュートンの主著『プリンキピア』をラテン語からフランス語に完訳し、数学的注釈を加えたことにある。この翻訳は、現在でもフランスでは唯一の完訳であるという。 

エミリー・デュ・シャトレは、哲学者ヴォールテールと18年にわたって愛人関係にあり、いっしょに暮らしながら旺盛な知的活動を行っている。18世紀フランスの上流階級のあいだでは、男女ともに複数の愛人関係をもつことは当たり前だったようだ。結婚はあくまでも家名と資産を維持するためにものであり、しかも子育ては乳母任せであった。 

ラヴォアジエ夫人は、徴税請負人で化学者であったラヴォアジエの夫人であった。14歳で結婚したマリー・ラヴォアジエは、夫の活動を知的な側面からの協力者であり、ラヴォアジェによる「化学革命」に大いに貢献している。『化学原論』の銅版画による精密な挿図はマリーによるものだ。 

もともとヴォルテール好きなこともあって、『寛容論』や『哲学書簡』、『カンディード』などの作品を断続的に読んできたが、ヴォルテールの評伝はいままで読んだことがなかった。そこでまず『「知」の革命家ヴォルテール 卑劣なやつを叩きつぶせ』(小林善彦、つげ書房新社、2008)という本を読んでみた。なかなか面白い本であった。  

つぎに『火の女シャトレ侯爵夫人 18世紀フランス、希代の科学者の生涯』(辻由美、新評論、2004)という本を読んだ。ヴォルテールお生涯において、シャトレ侯爵夫人の存在はきわめて大きなものがあったからだ。  

ところが、男性の研究者によるヴォルテールの評伝と、女性の翻訳家によるシャトレ侯爵夫人の評伝をつづけて読んでみると、視点のあり方によって、ずいぶんと印象が異なることに驚くことになった。 

もちろん、男性と女性の視点、それぞれが書いている対象への愛着の違いが存在するのは当然だが、とくに印象に残ったのは、シャトレ侯爵夫人(というよりも、エミリー・デュ・シャトレ)にとってのヴォルテールの存在と、ヴォルテールにとってのエミリーの存在は、かならずしも一致しないし、明らかなズレもあるということだ。 


「ジェンダーと科学」というテーマは、じつに興味深いだけでなく、2020年代の現在においてもアクチュアルな問題でもあることは言うまでもないだろう。なぜ、とくに日本においては、女性科学者が少ないのがなぜかを知り、この問題の解決のために不可欠な前提として、18世紀の状況を知る必要がある。 

エミリー・デュ・シャトレとマリー・ラヴォアジェは、18世紀フランスの女性科学者として突出した存在だが、この2人には共通点と相違点がある。細かい点についてはここでは省略するが、興味のある人は、ぜひ読むことを勧めたい本だ。 

エミリーとヴォルテールとエミリーの関係性について見た以上、マリーとアントワーヌ・ラヴォアジエの関係性についても関心をもって当然だろう。化学者としてのラヴォアジェは「質量保存の法則」で近代化学への道筋を切り開いた人であるからだ。 

そこで、『ラヴォアジエ(人と思想101』(中川鶴太郎、清水書院、1991)という本を読んでみたら、これは予想外に面白い本だった。  

化学研究者であった著者の遺著ともいうべき本だが、近代化学の前史である錬金術と、近代を生み出した中世ヨーロッパの技術について概観したうえで、ラヴォアジエの科学史における位置を、かれが生きた時代を背景に描いている。 

ラヴォアジエは2つの革命を体験した人物だ。まずはみずからが主導した『化学革命』、そしてそのなかに巻き込まれた「フランス革命」。本業が徴税請負人であったかれは、断頭台の露と消えたのである。ロベスピエール失脚の2ヶ月前のことであった。 

『ラヴォアジエ(人と思想101)』では、主役はあくまでもアントワーヌ・ラヴォアジェであり、マリー・ラヴォアジェは脇役にすぎない。『「知」の革命家ヴォルテール』では、主役はあくまでもヴォルテールであって、エミリー・デュ・シャトレは脇役に過ぎない。 

だが、主役と脇役の関係性は、あくまでも相対的なものだ。誰に焦点をあてるのか、どういう視点で描くかによって、その結果として示されるイメージは大きく違ったものとなる。 

18世紀フランスにかんする4冊の本をつづけて読んでみて、あらためてつくづく思うのは、本というものは1冊読んだだけでは危険であり、バイアスをできるだけミニマムにするためには複数の本をまとめて読んで、かつ内容を付き合わせてみる必要があるのだ。

 一言でいえば、「複眼的」に見ることが必要だということになるだろう。日頃から複眼的であることは意識しているが、あらてめてその必要性を痛感したのであった。 



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2014年5月31日土曜日

書評『西欧の植民地喪失と日本 ― オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所』(ルディ・カウスブルック、近藤紀子訳、草思社、1998)― オランダ人にとって東インド(=インドネシア)喪失とは何であったのか



原著のタイトル Het Oostindisch Kampsyndroom を直訳すると『蘭領東印度シンドローム』となるらしい。1992年にオランダで出版された570ページを超える大著だそうだ。

本書は、そのなかから、とくに日本に関連する14章を選んで、再編集した日本語版だ。『西欧の植民地喪失と日本 ー オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所』というタイトルは日本語版オリジナルである。

つい最近、この本の2年後に出版された『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000)という現代オランダ文学を読んだ。ともに、第二次大戦前のオランダ領東インド(=現在のインドネシア)に生まれ、その地で少年時代を過ごした著者の体験をベースにしたものだ。

2000年が日蘭交流400周年であったためだろう、オランダ関係の本が多数出版されているが、この本もその一冊である。わたしはこの本を出版後の1999年に読んでいるが(・・自分がもっている本にそう記録してあるのでトレースできる)、15年後の2014年にに再読して思うのは、内容についてほとんどなにも覚えていなかったという、わたしにとっては衝撃的な事実だ。

15年前は、インドネシア独立は日本のおかげだという考えに支配されていたためだろうか。どうも、この本をオランダ人による贖罪の書のように捉えていたのかもしれない。読みの浅さには恥じ入るばかりである。





■オランダの「反日」もまた「被害者意識」からくるもの

いわゆる「自虐史観」という表現が日本でつかわれるようになったのは冷戦構造崩壊後のようだが、本書にも自虐史観っぽい側面があることは否定できない。だが、ほんとうは「自虐」ではなく、「自省」なのだ。

オランダの世論を知る立場にはないからわからないが、冷戦構造が崩壊した1992年頃は、第二次世界大戦終了から約半世紀にあたる時期であり、同様にステレオタイプな通説を否定する議論が出始めたのかもしれない。

日本とは真逆の世論だが、オランダの世論は「植民地喪失」の原因となった日本による占領と4年間の軍政には全面的に否定的な立場が通説であったようだ。それほど「植民地喪失」という事実は、オランダ人にとっては受け入れがたいことだったようだ。満洲などの植民地を喪失した日本人とはまったく違うのである。

一言でいえば、オランダ社会には根強い「反日意識」が底流に存在するようだ。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」というあれである。ただし、「反日」といっても中国や韓国のそれと大きく異なるのは、オランダは植民地だったのではなく、日本のせいで植民地を喪失したという身勝手な被害者意識である。 

昭和天皇が訪欧した際に、英国やオランダで厳しい出迎えを受けたことは、日本人に世の中の現実を知らしめてくれる衝撃的な事件であった。このことを覚えている人は、ある一定上の年代層だろうが、若い世代も、「事実」として価値判断抜きで知っておく必要がある。ロイヤルファミリーどうしの関係と一般市民の意識とはイコールではない。


■オランダと日本とのあいだのパーセプションギャップ

オランダについては、もっぱら「鎖国」時代の唯一の通商相手であることばかりが日本の教科書で強調され、戦後のオランダはチューリップと風車のイメージでしか一般には語られてこなかった。あとは画家ゴッホと浮世絵の関係などだろうか。「格闘技大国」オランダというイメージを持っている人もいるだろう。

ビジネス界では、日本にとって経済的にみればオランダよりもインドネシアのほうがはるかに重要であり、デヴィ・スカルノ夫人の存在を持ち出すまでもなく、日本とインドネシアの関係は切っても切れない関係であったことも、植民地からインドネシアを解放した日本軍は賞賛されこそすれ、非難される筋合いはない、というコンセンサスがあったのではないだろうか。

そんなこともあって、オランダにとって東インド(=インドネシア)という植民地を喪失したことの意味を、なかなか日本人は想像することができないようだ。どうも、日本人が満洲を喪失したのとは同列で論じることはできない、被害者意識やトラウマのようなものかオランダ社会には長く存在したようだ。

オランダが東インドに進出したのは16世紀から。ちょうどその頃、日本との貿易をつうじた関係が開始されたわけだが、オランダは東インド会社という半官半民の植民会社をつうじてジャワ島のバタヴィア(=現在のジャカルタ)を中心にして日本貿易を行っていたのである。だからオランダと東インドは、なんと4世紀以上わたる関係があったわけだ。

日本による軍政はたった4年であり、400年に及ぶ日蘭関係のなかの、たった1%に満たない期間であったが、日本側とオランダ側ではまったく異なるとらえ方がされている。

日本人は健忘症の傾向があるとはいえ、その後の敗戦と復興のどさくさで、日本国民はそれどころではなかったことが第一にあげられよう。

オランダもまた、第二次大戦中はドイツに占領され、国土が荒廃したことは日本と同じであったのだが・・・。


■著者ルディ・カウスブルック氏の立ち位置と「自省」という行為

本書の著者ルディ・カウスブルック氏は、1929年にオランダ領東インドに生まれ、少年時代には日本軍の民間人抑留所で厳しい抑留生活を送った人である。

同じような立場にあった人たちが、第二次大戦後の植民地喪失後のオランダで、日本を糾弾する言論活動を続けていたなか、さまざまな資料とみずからの体験をもとに、オランダ人にとっての植民地、植民地の住民であったインドネシア人、そして日本について、冷静な反省を行った記録である。だから、「自虐」ではなく、「自省」の記録なのである。それは知的でかつ、誠実な行為といえよう。

この「自省」という行為は「理性」に基づくものであり、決まり文句とステレオタイプな見解に真っ向から反論することである。だが、それを活字として世に問うことは、さすがにヨーロッパであるとはいえ、かなりの勇気をともなうものであったに違いない。あの自由なオランダですら、ある種の「空気」が支配する社会であることが本書の記述からうかがわれるのだ。

著者の記述にみられるように、同じ事実であっても、インドネシア国民から見れば「独立」だが、オランダから見れば「喪失」であるという、立場によってまったく異なる意味である。

そして日本はたった4年間の軍政であったとはいえ、被統治者であったインドネシア人の民族意識を高め、結果としてオランダによる植民地の終わりを早めたことは否定できない。日本の敗戦後オランダは戻ってきてふたたび圧政を敷いたが、ほどなくして植民地からの撤退を余儀なくされることになる。日本占領時代に、オランダへの帰属意識は一掃されていたからである。

著者の立場は、いわば「複眼的」といってよいものであろう。いや、日本語の『きけわだつみの声』にまで目を通し、内容について言及する姿勢からうかがわれるのは、「複眼的視点」を超えた「三点測量」(トライアンギュレーション)とでもいうべき視点が感じられる。

日本人でもこのような三点測量(トライアンギュレーション)で見ることのできる人は、そう多くはあるまい。なによりも日本人に求められのは、相手の立場に立ったイマジネーションであるとつよく思うのである。


(原著カバーは著者が収容されたスマトラ島の収容所)


■オランダのオランダ人と植民地のオランダ人は同じか?

オランダ人植民者たちが東インドの現地人に対してとった過酷な態度。こういう態度で接してからこそ、独立運動を誘発し、日本軍による占領によって独立への流れが加速したことは否定でのできない事実である。

本書の記述によれば、1929年にはオランダの現地人への過酷な態度はアメリカから非難を受けているし、欧州の植民地帝国であった英国もフランスも、この時点においては、「道徳的」とはほど遠い状況であったが、オランダより植民地経営は巧妙であったようだ。

大英帝国の「分割統治策」は現在でも「負の遺産」として大きな禍根となっているが、それでも植民地経営においては、きわめて有効なものであったことは否定できない事実ではある。なによりも証拠に、ごく一部の国を除いては、旧英国植民地はほとんどが英連邦に加盟している。

本書には言及はないが、南アフリカの支配者であるブール人(=ボーア人、アフリカーナー)もまたオランダ系であったことを想起すべきかもしれない、そう考えることに意味があるのではないか。以下の記述を読んでみてほしい。

そして非ヨーロッパ世界にかんするかぎり、プロテスタンティズムの与えた影響はあまりないか、あっても望ましくないものであった。というのもプロテスタンティズムの予定説は、選民思想と結びついて、ヨーロッパ人以外を「人間」として認めない方向に向かったからである。・・(中略)・・北米大陸のインディアンの場合に明らかなように、プロテスタントは彼らを人間として認めず、殺戮、殲滅をもって恥じないどころか、それを神の摂理の名のもとに正当化したのである。地球上で最後まで公式にアパルトヘイト(人種隔離)政策を維持しつづけたのがオランダ系カルヴァン派の子孫の建国した南アフリカ共和国であったのは、偶然ではない。(『宗教改革とその時代(世界史リブレット)』(小泉徹、山川出版社、1996) P.85~86 より引用 太字ゴチックは引用者=さとう)


昨年アパルトヘイト廃止の闘志であったネルソン・マンデラ元大統領がお亡くなりになったが、アパルトヘイトはなんと1991年(!)まで撤廃されなかったのである。

もちろんオランダ系移民が建国した共和国であった南アフリカの状況と、オランダ王国の直轄領となったオランダ領東インドを同列で論じることに無理はあるかもしれないが、植民者の現地人への態度はある程度まで似たようなものがあったと言っても過言ではないように思う。

オランダ領東インドの末期から、日本による軍政を経てインドネシア独立に至るまでの歴史については、『インドネシ民族意識の形成(歴史学叢書)』(永積昭、東京大学出版局、1980)という知られざる(?)名著がある。ぜひ機会があれば読んでいただきたいと思う。

フランス人は『ラマン』や『インドシナ』といった映画で植民地時代のベトナムをノスタルジックに語る映画を作成してきた。大英帝国崩壊後の英国人も、大英帝国消滅という「受け入れたくない現実」を受け入れるために苦闘してきたことは、比較的知られているようだ。

だが、オランダからはそういう映画は日本に来ないし、オランダが植民地を喪失して「小国」となったという事実すら日本人の常識とはなっていないようだ。

植民地消失がそのまま衰退につながらなかった日本だが(・・なんせ「戦後」に人口が5,000万も増えて、人口規模が1.5倍になったのだ!)、さすがに少子化により人口減少が顕在化し、国民一般に衰退が感じられるようになってきている。

縮小する母国の現実をいかに受け入れるか、オランダの事例もまた日本人にとっては研究に値するものではないかと、2014年のいま感じるようになっている。

重要なことはバランスのとれた「ものの見方」。夜郎自大にならず、卑屈にも自虐的にもならず、「事実」を「事実」として受け取り、とるべきアクションを冷静に検討し、そして行動に移すという、冷めた知性をにもとづいた言動を行っていきたいものだ。


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目 次

序文-憂いと哀れみ
オランダ領東インドの日本化
無人地帯の予言者
沈思一千年の美
きけわだつみのこえ
決まり文句と暗示
山の人間
あるギリシャ悲劇
デリの大地
鮫
太平洋のポンペイ
ボーフェン-ディグルの十五年間
神々の黄昏-オランダ領東インドの没落
日本茶に塩入れて
訳者あとがき
原註および訳註
参考文献
関連年表


著者プロフィール

ルディ・カウスブルック(Rudy Kousbroek)オランダの著名な評論家、エッセイイスト。コラムニスト。哲学博士。1929年、旧蘭領東インド(現インドネシア)生まれ。1942年オランダ軍降伏により、スマトラ島の日本軍民間人抑留所に収容される。1946年オランダに引き揚げる。アムステルダム大学で数学・物理学を専攻。同時に有名な文学運動 "五十年代派" に参加。パリに移る(1950~1990年)。1953年、処女短編「南回帰線時代を葬る」を発表。1968年、エッセイ集『パリ1968年革命について』。1975年、全作品によって、オランダの最高の文学大賞であるP.C.ホーフツ賞を受賞。1995年には『蘭領東印度シンドローム』(本訳書)、さらに自伝的エッセイ『再び生国の土を踏んで』はベストセラーに。その他、哲学的エッセイな多数の作品がある。(カバー記載の情報より)。

訳者プロフィール

近藤紀子(こんどう・のりこ)
翻訳家。1941年、山梨県生まれ。1963年、東京外国語大学インドネシア語科卒業。六四年オランダ政府給費生としてライデン大学に留学。オランダ近代文学を専攻する。以来ライデン市に在住、紀子ドゥ・フローメン(De Vroomen)の名前で日本文学の紹介につとめる。翻訳書に大江健三郎『みずから我が涙をぬぐいたまう日』『芽むしり仔撃ち』『万延元年のフットボール』、大岡信『遊星の寝返りの下で』、安部公房『短編集』、オランダ語から日本語への訳書として『西欧の植民地喪失と日本』(草思社刊)、著書として『連句・夏の日』『大江源三郎・文学の世界』などがある。(カバー記載の情報から)。



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■オランダ領東インドと日本

書評 『五十年ぶりの日本軍抑留所-バンドンへの旅-』(F・スプリンガー、近藤紀子訳、草思社、2000 原著出版 1993)-現代オランダ人にとってのインドネシア、そして植民地時代のオランダ領東インド
・・『西欧の植民地喪失と日本-オランダ領東インドの消滅と日本軍抑留所-』の2年後に日本で翻訳出版された。ともに健忘症の日本人への警鐘と受け取りたい。重要なことはバランスのとれた「ものの見方」。夜郎自大にならず、卑屈にも自虐的にもならず・・

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督
・・日本占領時代のジャワ島の捕虜収容所が舞台

スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929年)
・・「第二次大戦中、軍属として海軍に徴用され、インドネシアのジャカルタで通訳官として海軍に勤務していた鶴見俊輔」の「お守りことば」というフレーズを紹介してある


■オランダと植民地

「無憂」という事-バンコクの「アソーク」という駅名からインドと仏教を「引き出し」てみる
・・熱帯植物園で有名なインドネシアのボゴールは、オランダ植民者にとっての「夏の避暑地」として建設されバウテンゾルグ(無憂)と命名された

書評 『ニシンが築いた国オランダ-海の技術史を読む-』(田口一夫、成山堂書店、2002)-風土と技術の観点から「海洋国家オランダ」成立のメカニズムを探求
・・オランダにとっての東インドとは?

なぜ「経営現地化」が必要か?-欧米の多国籍企業の歴史に学ぶ
・・・グローバルビジネスの原型である「オランダ東インド会社」についての記述あり  「「植民地」における企業経営の経験が非常に大きいと思われます。 英領インドにおける英国の東インド会社(East India Company)、蘭領東インド(=現在のインドネシア)におけるオランダの東インド会社が典型的な事例です。英国とオランダの双方に本社のある、エネルギーのロイヤル・ダッチ・シェル(Royal Dutch Shell)や、食品のユニリバー(Unilever)のような英蘭系グローバル企業は、その最右翼というべきでしょう。 要は、限られた駐在員ですべてをこなすのは不可能なので、「二重支配体制」を創り上げたのです」


■17世紀以降のオランダ

「フェルメールからのラブレター展」にいってみた(東京・渋谷 Bunkamuraミュージアム)-17世紀オランダは世界経済の一つの中心となり文字を書くのが流行だった
・・フェルメールとスピノザをつなぐものは光学レンズであった

書評 『チューリップ・バブル-人間を狂わせた花の物語』(マイク・ダッシュ、明石三世訳、文春文庫、2000)-バブルは過ぎ去った過去の物語ではない!
・・17世紀オランダの「バブル経済」

書評 『学問の春-<知と遊び>の10講義-』(山口昌男、平凡社新書、2009)-最後の著作は若い学生たちに直接語りかけた名講義
・・「1920年代から1930年代にかけて全盛期を迎えたオランダのライデン学派という知的サークルのなかから生まれてきたのが『ホモ・ルーデンス』(ホイジンガ)という比較文化論の傑作。山口昌男がフィールドワークの地として選んだインドネシアの島々は、かつてオランダの植民地であり、戦時中は日本に占領されていたことも語られる。その意味では、中心であるジャワではない、辺境のインドネシアについて知ることもできる内容である。ブル島、アンボン島、フローレス島・・・。さきに独立した東チモール以外はほとんどだれも知ることない島ばかりだ」


■日本にとってのオランダ

幕末の佐倉藩は「西の長崎、東の佐倉」といわれた蘭学の中心地であった-城下町佐倉を歩き回る ③
・・蘭学とオランダ語書籍がなぜ佐倉に集積しているのか?

書評 『オランダ風説書-「鎖国」日本に語られた「世界」-』(松方冬子、中公新書、2010)-本書の隠れたテーマは17世紀から19世紀までの「東南アジア」


■ヨーロッパによる植民地支配

コンラッド『闇の奥』(Heart of Darkness)より、「仕事」について・・・そして「地獄の黙示録」、旧「ベルギー領コンゴ」(ザイール)
・・ベルギー領コンゴという「闇の奥」

会田雄次の『アーロン収容所』は、英国人とビルマ人(=ミャンマー人)とインド人を知るために絶対に読んでおきたい現代の古典である!
・・英国人を代表とする西欧人(=白人)のアジア人に対する蔑視が鮮明に表現された名著


■「ものの見方」

書評 『知的複眼思考法-誰でも持っている創造力のスイッチ-』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)

書評 『座右の日本』(プラープダー・ユン、吉岡憲彦訳、タイフーン・ブックス・ジャパン、2008)-タイ人がみた日本、さらに米国という比較軸が加わった三点測量的な視点の面白さ

書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある
・・欧州諸国は植民地支配について謝罪はいっさいする姿勢は見せないとはいえ、それ以外の点にかんしては「倫理的優位性」を示すことが国際社会における生き残りの条件であることを示している


■その他-本論との関係で

「われわれは社会科学の学徒です」-『きけわだつみのこえ 第二集』に収録された商大生の手紙から


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2013年11月24日日曜日

書評『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)- 実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」


TV番組のコメンテーターとしてのおなじみの、元外交官の論客による渾身の中国論。新書本ながら内容の充実した一冊である。

中国を論じるということは、当然のことながら日本の行く末について論じることである。

日中の軍事衝突の可能性ばかりがマスコミでは取り上げられているが、いま実際に進行中なのは、見えないところでエスカレートしつつある「サイバー戦」というかたちの米中衝突である。

米中がリアルの戦争で全面衝突する事態は、米中ともに衝突は回避したいという思惑がある以上、現実的な可能性としては大きくないだろうが、偶発的な衝突が日本を巻き込んだ形で本格的な戦争に発展する可能性がゼロだとは言い切れない。

もしそうなったとき、中国はいかなる「結末」を迎えることになるのか、著者はアタマの体操と称して、シナリオ思考を試みている。これくらいの蛮勇は必要だろう。現役の外務官僚が公表することはできないからだ。

「中国統一・独裁温存」から「中国漢族・少数民族完全分裂」という7つの精緻なシナリオが面白い。それにもまして、シナリオ思考の前提にいたる著者の思考が深みがあって興味深い。現実主義者の中国論、東アジア論としてじつに読み応えのある一冊だ。

以下、わたしが面白いと感じたポイントについて私見をまじえながら紹介したいと思う。


■「脆弱性」と「トラウマ」というキーワードで中国と中国人をみる

日本人からみてもっとも理解しがたいのは、なぜ中国が中国本土以外にも膨張姿勢を続けているかということだ。しかも海洋で軍拡を続ける姿勢は、「海洋国家」日本にとっては脅威そのものである。尖閣諸島だけではなく沖縄まで対象に入っていると懸念されるからだ。

著者は、中国が膨張姿勢をとりつづける理由を「中華思想」などの文化論における固定観念には依存しない。これが本書の特長だ。

まず基本的な著者の歴史観は、ダイナミックな動態的な変動のプロセスで中国をみるものである。中国が弱体化すれば周辺諸民族は息を吹き返し、中国が強大化すれば領土拡張し少数民族が圧迫される。

つまり中国とはユーラシア大陸のに展開する「大陸国家」なのであり、日本がそのひとつである「海洋国家」とは根本的に異なる存在なのだ。大陸国家は海洋国家とは異なるロジックで衰亡するのである。

そう考えると、著者も言うように、中国はどうも海洋国家としては常識の「海洋自由の原則」などが感覚的に理解できていない節がある。中国が勝手に海に線引きする「第一列島線」や「第二列島線」の発想そのものが、また中国が公海上空に勝手に設定した「防衛識別圏」が、日本からみれば侵略的に映るのはそのためだ。

(中国が勝手に線引きしている「第一列島線」と「第二列島線」 wikipedia より)

著者は、中国が膨張姿勢をとりつづける理由を、いわゆる「西洋の衝撃」(Western Impact)を植民地化という形でプライドを傷つけられたトラウマに見ている。いわば漢民族全体の精神分析であるが、おなじく「西洋の衝撃」をうけながらも、からくも植民地化を回避し、いちはやく近代化=西欧化をなしとげ、むしろ「西欧列強」の一員として中国大陸に軍事的進出を行った過去をもつ日本人にはなかなか理解しにくい。

そもそも「面子」(メンツ)を気にするということ自体、限りなくジコチューに見える中国人が、じつはプライドが高いがゆえに傷つきやすく脆弱な性格をもっていることを示しているという著者の指摘は、まさに慧眼(けいがん)というべきだ。中国人は、けっして打たれづよい存在ではないようだ。

著者が指摘する「脆弱性」というキーワードを認識のベースに置くと、さまざまなことが見えてくる。

「改革開放」以後、経済発展路線に大きく舵を切った中国であるが、発展している地域は太平洋岸の沿海部に集中している。

江戸後期の日本の警世家・林子平ではないが、沿海部は海からの攻撃に対しては脆弱だ。冷戦時代に毛澤東が内陸部の重慶にあえて工業地帯を建設したのは、米国からの核攻撃を受けても生き延びるための戦略であったことを想起する。

攻撃の可能性があるのは、なんといっても米国海軍からだと中国はみているようだ。じっさいに米中戦争の危険が高まっているということではなく、潜在的にその可能性があると認識していることが重要なのだ。いわゆる「仮想敵国」である。しかも米国海軍の基地は日本列島に存在している。中国にとっては、いまそこにある脅威と捉えていても不思議ではない。

中国にとっては米国の存在は、日本にとっての米国とは大きく異なるようだ。米国は中国を植民地化したわけではないが、中国にとって立ちはだかる最後に残る「西欧列強」が米国という存在なのだ。

かつての植民地をすべて回復した現在(・・台湾は脇に置いておく)、もはや中国が受けたトラウマは癒えたのではないかと思うのは、米国の同盟国として過去50年以上を過ごしてきた日本人の発想に過ぎないようだ。


■中近東関連のキャリアも長い外交官としての「複眼的な」知見が得難い

中国の専門家による中国論は、それこそ汗牛充棟(かんぎゅうじゅうとう)というべきほど大量に発信されているが、いずれも帯に短したすきに長しというか、あまりにもポジショントーク的性格がつよすぎるのが難点である。

著者が凡百の論者たちと異なるのは、職業上のバックグラウンド、すなわち外交官としてのキャリアがもたらしたものも少なからずあることが推察される。

中近東関連の勤務が長いことは、今回はじめて著者プロフィールをみてわかった。宮家氏の「複眼的思考」の背景には、中国のみならず中近東があったわけだ。もしかすると、外務省が組織的に育成したのかもしれない。

さらにいえば米国も熟知しているわけであり、中国を日本からの視点、米国からの視点、そして中近東からの視点と、まさに複眼的かつ複合的に見ることができるポジションにいるわけである。

従来の「東アジア」「中東」といった縦割りの外交・安保政策立案プロセス自体も変える必要がある。いまや中東と東アジアは一つの「戦域」となりつつある。米軍が二正面作戦を戦えない以上、日本の東アジア政策と中東政策は一体となるべきなのだ。(P.243~244)

このさりげない文言は本書の主要テーマではないが、中国だけでなく中東も熟知する外交官経験をもっている著者の手前味噌と捉えるべきではない。

シーレーン防衛がもつ日本の経済安全保障にとってもつ死活的な意味を考えれば、中近東から米国まで至る、いわゆる「インド・太平洋」(Indo-Pacific)全体を安全保障の視野にいれたきわめて重要な発言だ。

また、経済専門家のワナを回避できるのは、複眼的思考と幅広い教養のたまものだ。「専門バカ」の危険を語って余りない。

中国のような開発途上国においては政治と経済は不可分の政治経済学状態であり、自由主義市場経済を前提に予測を行うエコノミストたちが政治音痴であるとして一刀両断し、専門家のワナにはまっている中国研究者たちの盲点を突く姿勢には大いに共感を覚える。


■現実に影響を与えるものでなければ責任ある言論ではない

著者はみずからを「保守派」としているが、「保守派」というよりも「現実派」というべきだろう。

ビジネスパーソンに限らず外務官僚であっても、実務に従事する者はみな現実派たらざるをえない。その枠組みのなかで、いかにみずからの立ち位置を確保してリーダーシップを発揮するかが求められているわけである。

著者は中国は経済的に息詰まる局面を迎えるという予想のもと、さまざまなシナリオを想定して中国の行く末を考察するとともに、その状況に対して日本がいかに対処して、日本国憲法にうたわれている「国際社会において名誉ある地位を占める」という理念を実現するかと考える。

原理原則は、日本は海洋国家であって、大陸国家の中国とは根本的に異なる地政学的条件におかれていること。これは国際政治学者の高坂正堯(こうさか・まさたか)氏が『海洋国家日本の構想』(1965年)で明快に主張して以来、現実的にものを考える日本人の基本線になっている思考基盤である。

本書の帯には、現役の内閣総理大臣として安倍晋三氏による推薦文が掲載されている。「米国・中東も知る宮家氏の複眼的な分析力を信頼している」、とある。

一読して思うのは、安倍首相が宮家氏の見解をただしく理解しているのであれば、読者としてはそれ以上言うことはないということだ。最高指導者として政策として実行するかどうかは、その時の情勢と政治的な力学にかかっているからだ。

著者は最後の第8章の冒頭でこう言っている。

日本は東アジアのパワー・シフトを強(したた)かに生き残り、志を同じくする諸国とともに、その後の新たなる国際秩序づくりに参画することで、第二次大戦を真の意味での「歴史「としなければならないのである。(P.224)

これは、著者だけでなく、多くの日本国民が望んでいることだろう。日本国憲法にうたわれている「国際社会において名誉ある地位を占める」という理念の具現化である。

はたして日本は主体的な存在として歴史を切り開いていくことができるのか。著者の問いかけはしっかりと受け止めたいものである。





目 次

はじめに
序章 「戦闘」はすでに始まっている
第1章 沖縄の領有権は未解決だ-なぜいま中国は海軍力を増強しようとするのか
第2章 漢族の民族的トラウマ-「西洋文明の衝撃」への答えはいまだに出ていない
第3章 エコノミストたちの読み違い-経済が停滞するほど暴発の可能性は高まる
第4章 歴史が教える米中関係の「光と影」-ときには「相手の面子」を守ってやることも有効だ
第5章 米中サイバー戦の真実-日米の軍事基地がサイバー攻撃を受ける日
第6章 来るべき「第二次東アジア戦争」-はたして中国は民主化するか、それとも分裂するのか
第7章 日本は「中国の敗北」にどう向き合うか-大陸と一定の距離を置く「島国同盟」のススメ
第8章 第二次大戦を「歴史」にするために-日本はこの変化を「名誉回復のチャンス」と捉えよ
おわりに

著者プロフィール

宮家邦彦(みやけ・くにひこ)
1953年神奈川県生まれ。外交政策研究所代表。78年東京大学法学部を卒業後、外務省に入省。1976~1977年米ミネソタ大学、台湾師範大学、1979年カイロ・アメリカン大学、1981年米ジョージタウン大学で語学研修。1982年7月在イラク大使館二等書記官、1986年5月外務大臣秘書官、1991年10月在米国大使館一等書記官、1998年1月中近東第一課長、同年8月日米安全保障条約課長、2000年9月在中国大使館公使、2004年1月在イラク大使館公使、イラクCPA(連合国暫定当局)に出向、2004年7月中東アフリカ局参事官などを歴任(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。(*太字ゴチックは引用者=わたしによるもの)


<付論> 

Japan's Abe Seeks Friends in Asia—but Not China という 2013年11月21日付で Bloomberg BusinessWeek の記事に添付された地図。安部首相の2013年のアジア外遊を図示したものだ。



見事なまでに東南アジアと中国の周辺を集中的に訪問し、援助を約束していることがわかる。いわゆる「布石を打つ」」というやつだ。

いまそこにあるのは、中国との「影響力競争」。ハードパワーとソフトパワーの組み合わせである「スマートパワー」(ジョゼフ・ナイ教授)の実践とみることができるかもしれない。

「海洋国家」日本が生き残るためになにが必要か、この図から読み取りたいものだ。この図に中近東から日本までの海上の通商路である「シーレーン」を書きくわえれば、より戦略的な見取り図を得ることができる。さらにいえば、太平洋も右サイドに加えれば、日本がその中心に位置していることがわかる。だからこそ、この地域の戦略的意味がふたたび浮上してくるのである。

もちろん、いずれも「主権国家」だから、かならずしも日本が思うように動いてくれる保証はない。遠心力と求心力をどうバランスさせるか、これは外交の話だと済ませることなく、企業経営においてもインプリケーションを読み取ることも必要ではないだろうか。


PS 中国が勝手に設定した「防空識別圏」と日本の「防空識別圏」


上記の図は「中国、新防空識別圏で対策を修正-米軍機の飛行で」というタイトルの WSJ(ウォール・ストリート・ジャーナル)記事(2013年11月28日)に掲載されていたもの。

日本の「防空識別圏」はアメリカ占領軍が設定したものを独立回復後に引き継いだもの。つまりアメリカが設計した国際秩序であり、中国による思慮なき暴挙はアメリカに対する全面的な挑戦になるのである。 (2013年11月28日 記す)


PS2 「米国の安全保障環境認識と米軍配置状況」

報道によれば、沖縄の基地問題解決にメドがついたようだ。沖縄県知事がようやく「辺野古埋め立て」を承認するという(2013年12月25日)。自民党政権が長期化する見通しのもと、基地負担軽減策を評価したからだという。

おそらくそれだけでなく、「いまそこにある危機」を前にして、沖縄県知事としてもこれ以上反対をつづけることは国益に反するという世論の突き上げを感じているためだろう。沖縄県民も中国の脅威を体感するようになってきている。



上記の「米国の安全保障環境認識と米軍配置状況」という図は、『「普天間」交渉秘録』(守屋武昌、新潮文庫、2012)に付録としてつけられているものだ。

この図に編みかけで示されている「不安定の弧」のなかに、沖縄はまさにすっぱりと含まれているのだ。

今回の沖縄県知事の決断によって、国防体制が強化される見通しがついてきたのはじつに喜ばしい。しかし、沖縄県民がふたたび戦争の犠牲になることがないよう、日本は国家全体の意志として「いまそこにある危機」に対峙しなければらならないのだ。

もちろん戦争がいつ起こってもおかしくないという覚悟を国民一人一人がもつこともまたきわめて重要である。 (2013年12月26日 記す)




<関連サイト>

Kuni Miyake's Tenor of Tokyo (宮家邦彦氏のJBPress 英語版コラム)
・・「Former diplomat Kuni Miyake, an expert on China and Middle Eastern affairs, writes a weekly column on JBpress about politics and perceptions from key capitals including Tokyo, Beijing, Seoul and Washington in an effort to debunk myths and give readers a behind-the-scenes look into global politics.」

中国「太子党」でボロ儲けした米金融機関の手口(フォーサイト 会田弘継 2013年11月22日)
・・「いま「大戦略」を考えるときに、注目される言葉は「インド・太平洋(Indo-Pacific)だ。インド洋と西太平洋をまたぐと言う意味のこの言葉は、10年前にはほとんど使われていなかった。今やアメリカのアジア戦略を語るときには必須の言葉になってきている」。 米中をふんくんだ「大戦略」を考えるうえの好記事。

骨抜きにされた中国の防空識別圏(石 平、WEDGE  2013年12月17日)
・・日米による「防空識別圏」無力化と、中国側の面子(メンツ)をたててやった米国の振る舞いについて元中国人ならではの視点で書かれている好記事

周到に準備された防空識別圏-日本は2016年まで孤立状態が続く (イアン・ブレマー、インタビュアー=石黒千賀子、日経ビジネスオンライン 2013年12月20日)
・・イアン・ブレマー氏は、「コラム:2014年の10大政治リスク」(2014’s top 10 political risks)で、第1位を「米国の同盟危機」(America’s troubled alliances)としている。「安全保障面では、米国の最友好国であるイスラエル、英国、日本にとって選択肢はほとんどない・・」(For security partnerships, America’s closest allies — Israel, Britain, Japan and others — have few options.)と書いている。「海洋国家」日本の立ち位置がいかなるものか、よく考えてみる必要がある

ビッグデータ分析で、中国政府による検閲の中身が明らかに ゲイリー・キング米ハーバード大学教授に聞く (日経ビジネスオンライン 2014年2月4日)
・・中国政府によって削除される前に入手した膨大なネット書きこみ情報を「ビッグデータ」の手法で解析することにより、検閲手法と方針が明らかになった!
「分かったことは、中国政府が監視しているのは、とにかく「団体行動」であるということです。人を扇動したり、抗議行動に駆り立てたり、政府以外の人間が他人をコントロールしようとする発言は即刻検閲されます。・・(中略)・・中国政府は恐らく、特定の話題に関するソーシャルメディアを監視していて、特定の話題が盛り上がる様子を眺め、突然投稿者たちが1つの方向で議論を始めて明らかに「炎上」した時に動くようです。団体行動を実行に移しそうな炎上の仕方が見られると、すべての炎上した投稿を削除してしまうのでしょう。それが、政府寄りだろうが、反政府寄りだろうが、関係ない。団体行動の芽が見えたらとにかく取り締まる」

The American Public's Indifference to Foreign Affairs | Stratfor Geopolitical Weekly TUESDAY, FEBRUARY 18, 2014 (George Friedman)
・・アメリカは「衰退」しているのではない。第二次大戦時や冷戦時代とは異なり、アメリカを取り巻くコンテクストが変化したため、国民が外交にも内政にも「無関心」になったのだ、という趣旨。Stratfor主筆ジョージ・フリードマン論考。コンテクストは経営用語なら外部環境と言い換えていいだろう

中西輝政が語る 25年後の米中と日本がとるべき長期戦略 (WEDGE編集部、2014年04月22日)
・・「世界の覇権国としての米国の地位は、25年後も現在とさして変わらないだろう。一方、中国に起こり得る3つのシナリオとは…」

クリミアと尖閣は表裏一体 日米同盟の緊密化が世界秩序を維持する(中西輝政・京都大学教授、WEDGE、2014年5月22日)

中国は壊滅的打撃受け、今までの発展が水の泡に 米中開戦のシミュレーション、ランド研究所が公表 (渡部悦和・元陸将、JBPress、2016年8月23日)

(2016年8月23日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

書評 『中国外交の大失敗-来るべき「第二ラウンド」に日本は備えよ-』(中西輝政、PHP新書、2015)-日本が東アジア世界で生き残るためには嫌中でも媚中でもない冷徹なリアリズムが必要だ

書評 『それでも戦争できない中国-中国共産党が恐れているもの-』(鳥居民、草思社、2013)-中国共産党はとにかく「穏定圧倒一切」。戦争をすれば・・・
・・「戦争になったら、間違いなく中国共産党は滅びる。中国共産党=中華人民共和国である以上、「亡党亡国」となるのは必定なのである。」


■「大陸国家」中国の海洋進出

書評 『海洋へ膨張する中国-強硬化する共産党と人民解放軍-』(飯田将史、角川SSC新書、2013)-事実を淡々と述べる本書で正確な認識をもつことが必要だ

書評 『尖閣を獲りに来る中国海軍の実力-自衛隊はいかに立ち向かうか-』(川村純彦 小学館101新書、2012)-軍事戦略の観点から尖閣問題を考える

書評 『「普天間」交渉秘録』(守屋武昌、新潮文庫、2012 単行本初版 2010)-政治家たちのエゴに翻弄され、もてあそばれる国家的イシューの真相を当事者が語る
・・「不安定の弧」の中心でトラブルメーカーとなっているのが中国の海洋進出

書評 『続・100年予測』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、ハヤカワ文庫、2014 単行本初版 2011)-2011年時点の「10年予測」を折り返し点の2016年に読む
・・この本には面白い指摘がある。「中国は東西に4000キロの広がりをもち、14の国と国境を接している、海に面しているのは一方向だけで、北、西、南方を、事実上侵入不可能な障壁によって隔離された、太平洋の縁にはりつく細長い島と考えるとイメージしやすい」(P.251)


■中国経済の見通し

書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論
・・中国経済がかかえる問題を、短期・中期・長期で整理し、課題解決の可能性とその困難さについて中国での企業経営に精通したエコノミストが書いた本。中国にとって致命的なのは、人口減少がまもなく始まるという事実である

書評 『自由市場の終焉-国家資本主義とどう闘うか-』(イアン・ブレマー、有賀裕子訳、日本経済新聞出版社、2011)-権威主義政治体制維持のため市場を利用する国家資本主義の実態
・・中国は権威主義政治体制維持のために市場を離湯尾する「国家資本主義」

書評 『中国バブル崩壊』(日本経済新聞社編、日経プレミアシリーズ、2015)-現在進行形の事象を整理するために有用な本


■中国人の視点から中国を考える

ジャッキ-・チェン製作・監督の映画 『1911』 を見てきた-中国近現代史における 「辛亥革命」 のもつ意味を考えてみよう

ひさびさに宋文洲さんの話をライブで聞いてきた!-中国人の「個人主義」について考えてみる

書評 『チャイナ・ギャップ-噛み合わない日中の歯車-』(遠藤誉、朝日新聞社出版、2013)-中国近現代史のなかに日中関係、米中関係を位置づけると見えてくるものとは?
・・幼少時代を中国国民党支配下から中国共産党支配下の中国で過ごした著者は中国人の視点がいかなるものであるかを教えてくれる


書評 『拝金社会主義中国』(遠藤 誉、ちくま新書、2010)-ひたすらゼニに向かって驀進する欲望全開時代の中国人

「稲盛哲学」 は 「拝金社会主義中国」を変えることができるか?
・・「拝金社会」のもと心が折れそうになっている中国人が心のよりどころとするものはなにか?


■海洋国家日本と地政学上のポジション

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)
・・海は日本の生命線!

書評 『日本は世界4位の海洋大国』(山田吉彦、講談社+α新書、2010)
・・点と線ではなく、面、さらには体積をもった三次元で考えよ


・・米中関係の太さについての重要な指摘が行われている本である。あまり読まれていないのが残念だ。「2章 日米の宿命の関係 1. 同盟国から仮想敵国へ 2. 幻想のアジア 3. 米中同盟=日本の破滅 4. アメリカの日本観 5. 再び日米戦争論」は必読

書評 『大英帝国衰亡史』(中西輝政、PHP文庫、2004 初版単行本 1997)-「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか「考えるヒント」を与えてくれる本
・・「英国に対する挑戦者としてヨーロッパ大陸から急速に勃興し英国を脅かす存在となったドイツが、何かしら日本に対して挑戦者として急速に勃興してきた中国を想起させるものがある」

書評 『モンゴル帝国と長いその後(興亡の世界史09)』(杉山正明、講談社、2008)-海洋文明国家・日本の独自性が「間接的に」あきらかに


(2014年1月31日「春節」開始の日に情報追加)
(2015年1月23日、2016年7月20日 情報追加)




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2011年12月30日金曜日

「石光真清の手記 四部作」 こそ日本人が読むべき必読書だ ―「坂の上の雲」についての所感 (4)




三年間にわたって放送されたNHKスペシャルド 『坂の上の雲』 が先日ついに完結した。

あらためて日本と日本人の底力を感じた人も少なくないと思う。今年2011年に放送した第三部は意図したわけではないだろうが、「3-11」後に生きる日本人にあらためて自らの内なる勇気を再確認させたことになったのではないか。

ただ、日露戦争をささえたのは、主人公である秋山兄弟や東郷平八郎、そして乃木希典や児玉源太郎といった表舞台にたった軍人たちだけではない。

政治家は言うまでもないが、経済人もまた戦争遂行に死活的な意味をもつ軍費調達において多大な役割を果たしたことは 高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3) で書いたとおりだ。

しかしこういった指導者たちだけが戦ったのではない。『あゝ野麦峠』(山本茂実、1968)で克明に描かれたように、名もない女工さんたちが身を粉にして働いた絹織物が輸出されて貴重な外貨を稼ぎ、そのカネで海外から軍艦を買ったという事実も思い出さなくてはならないだろう。

司馬遼太郎が言う「まことに小さな国」だっただけではなく、「まことに貧しい国」であったわけだ。同時代の英国植民地のインドよりも、国際水準でみた労働コストは低かったのだ。その当時の日本は、まったくもって発展途上国だったのだ。

それを考えれば、自衛のための死にものぐるいの戦争だったとはいえ、身の丈を遙かに超えた無謀な戦争だったのである。

歴史というものは政治史や軍事史だけではない、こういった裏面史、あるいはオルタナティブな歴史をとりあげなくては、ほんとうの意味で全体像をつかんだことにはならない。

日露戦争の「成功者」であったはずの秋山真之は、司馬遼太郎は語らないが、日本海海戦のあと宗教に向かってしまったことは知る人ぞ知ることである。国家の命運が彼一人の頭脳にかかっているという重圧のもと、責任を果たしたあと虚脱状態になってしまったのであろうか。現代風にいえばバーンアウト(=燃え尽き)たということだろうか。

日露戦争においてはきわめて多数の死傷者がでただけではない、じつに多くの人たちが巻き込まれ、人生を翻弄されているのである。

この時代を知るためには、「失敗者」として生きることを余儀なくされた日本人についても知るべきだろう。



■日本人なら石光真清という明治人を知っておかねばならない





ここで取り上げる「失敗者」とは、石光真清(いしみつ・まきよ 1867~1942)のことである。

その長男である石光真人氏がまとめたのが『石光真清の手記 四部作』が 中公文庫から出版されている。 『城下の人』、『曠野の花』、『望郷の歌』、『誰のために』。

石光真清とは何をした人か? 一言で言えば、民間人にやつしてスパイ活動をおこなったインテリジェンス・オフィサーである。

わたしはこの四部作をいまから25年前に読んだが、じつに深い読後感を抱いたのであった。

司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読んだのはその後だが、司馬遼太郎は人生の明るい面しかみようとしない人だったのだなとつくづく思うのは、『石光真清の手記 四部作』をすでに読んでいたためでもあろう。

『城下の人』の文庫版のカバー裏に書かれた編者・石光真人氏の文章をそのまま引用しておこう。

私の父は明治元年に熊本城下に生まれ、稚児髷に朱鞘の刀をさして神風連、西南の役動乱のさなかをとび廻った。長ずるに及び軍人となり、やがては大津事件や日清戦争にあい、またロシア帝国の南下政策におびやかされる弱小国の一人として熱心にロシア研究を志し、ついに身をもって諜報活動にその一生を捧げる境涯に立ち至ったのである。 石光真人

まさに明治時代を生きぬいた日本人による手記なのである。

もともとは発表するためにつづったものではなく、死期にあたって著者みずからが焼却を図ったという。しかし幸いなことに、こうして整理編集されて、後の世に生きるわれわれも読むことができるのは、まことにもって幸いである。

内容は目次を一覧するのがいちばんだろう。

『城下の人』
夜明けの頃
神風連(しんぷうれん)
鎮台の旋風
熊本城炎上
戦場の少年たち
焦土にきた平和
父の死
自分の足で歩む道
東京
若い人々
天皇と皇后
出征の記
コレラと青竜刀
周花蓮
夢と現実
『曠野の花』
ウラジオストックの偽(にせ)法師
アムールの流血
異境の同胞たち
血の雨と黄金の雨
私のお願いとお君の願い
散りゆく人々
曠野の花
まごころの果て
哈爾浜(ハルビン)の洗濯夫
お花の懺悔録
めぐり逢いの記
お米の失踪
秘密計画
逃亡日記
お花の恩返し
人の運命と国の運命
志士と文士と密林の女
この日のために
『望郷の歌』
泥濘(ぬかるみ)の道
親友の死
老大尉の自殺
黄塵の下に
文豪と軍神
失意の道
海賊稼業創立記
二つの遺骨と女の意地
海賊稼業見習記
望郷の歌
家族
『誰のために』
大地の夢
弔鐘
長い市民の列
粉雪と銃声
日本義勇軍
生きるもの・生きざるもの
闇の中の群衆
三月九日の朝
亡命
野ばらの道
再起の歌
渡河
分裂
誰のために
残された道
解説-森銑三

明治維新の激動期から、日清日露の大戦を経て、シベリア出兵へと、ひたすら大陸での戦争、戦争とつづいていた時代の生活史でもある手記。日露戦争の前後や、ロシア革命後のシベリア出兵当時の満洲、極東ロシアの記述はじつに興味深い。

日本人、ロシア人、中国人、朝鮮人と、多くの民族が入り乱れていたのが大陸である。

軍人ではないが、軍の指揮下に入った民間人の軍事探偵として日露戦争の戦場にいた人物に中村天風もいた。だが、石光真清の人生は中村天風のような最終的な「成功者」とはあまりにも異なる。

日露戦争後も生きた石光真清の手記を読むことで、司馬遼太郎が描かなかった、描けなかった日本近代史を知る必要があると思うのだ。

明るい面だけみて暗い面を避けて通るのではなく、暗い面を見て知っていながらも明るく振る舞うことこそが、人間の生き様としては正しいのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

なお、編者の石光真人氏は、『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)も編集している。

賊軍とされて明治維新の敗者となった会津藩士たちとその家族は人生の辛酸をなめることになるが、柴五郎(1860~1945)は、新政府において最終的に陸軍中将まで出世している。石光真清とは友人関係があり、晩年もお互い行き来していたという。

だが、二人のあいだでは、日露戦争のことなど一度も話題になったことがないのだとか。明治の男というものは、そういうものだったのか。

『石光真清の手記 四部作』は一度、仲村トオル主演で連続ドラマ化されている。NHKの「BSドラマスペシャル・石光真清の生涯」(1998年)である。

わたしはこのドラマは見ていないのだが、ぜひ再放送してほしいものだと思う。『坂の上の雲』だけでは、複眼的なものの見方はできないからだ。


 (画像をクリック!)



<ブログ内関連記事>

NHK連続ドラマ「坂の上の雲」・・・坂を上った先にあったのは「下り坂」だったんじゃないのかね?

秋山好古と真之の秋山兄弟と広瀬武夫-「坂の上の雲」についての所感 (2)

高橋是清の盟友となったユダヤ系米国人の投資銀行家ジェイコブ・シフはなぜ日露戦争で日本を助けたのか?-「坂の上の雲」についての所感 (3) 

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門

『ある明治人の記録-会津人柴五郎の遺書』(石光真人編著、中公新書、1971)は「敗者」の側からの血涙の記録-この本を読まずして明治維新を語るなかれ!
・・「石光真清の手記 四部作」の編者である石光真人氏によるもう一冊の日本人必読書!

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む

『ピコラエヴィッチ紙幣-日本人が発行したルーブル札の謎-』(熊谷敬太郎、ダイヤモンド社、2009)-ロシア革命後の「シベリア出兵」において発生した「尼港事件」に題材をとった経済小説

『図説 中村天風』(中村天風財団=編、海鳥社、2005)-天風もまた頭山満の人脈に連なる一人であった

(2014年1月15日、3月28日 情報追加&再編集)


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