『日本をダメにしたB層の研究』(適菜収、講談社+α文庫、2015)は、徹底した「近代」批判の書である。2102年に出版された単行本が文庫化されたのを機会に読んでみた。
ゲーテとニーチェという18世紀から19世紀にかけて生きた二人のドイツ人が残した文章を使って、劣化しつづける日本の現状をこれでもかと執拗に叩く。近代啓蒙主義の申し子ともいうべき左派(・・リベラル派を含む)だけでなく、保守を偽装する(!)右派もぶった切る姿勢がじつに痛快だ。
この本の面白さは、毒をもった面白さである。そしてその毒は、ストレートに効く毒だ。当たり前のことを当たり前と言い切ること。これは「王様は裸だ」と叫んだ子どもにはできても、空気を読むことに慣れきった日本人にはできない芸当だ。いまや子どもたちですら空気を読むことを強いられるのが劣化する日本の現状である。
「B層」(ビーそう)とは、著者の造語ではない。郵政改革にかんして、小泉政権(当時)の主な支持基盤として想定されたターゲット層のことだ。「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」である。内閣府から広報宣伝戦略を受注した広告会社の有限会社スリードが「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案) 」において定義した(・・リンク先に原本のコピーがアップされている)。
いまから10年前の2005年に発表されたレポートだが、マーケティング戦略を政治に応用した内容である。縦軸を EQ も含んだ IQ軸、横軸を「構造改革」の是非として4象限のマトリックスで分類したものだ(下図参照)。ある意味では教科書的でオーソドックスなポートフォリオ分析手法による分類である。
●「A層」: エコノミストを始めとして、基本的に民営化の必要性は感じているが、これまで、特に道路公団民営化の結末からの類推上、結果について悲観的な観測を持っており、批判的立場を形成している。「IQ」が比較的高く、構造改革に肯定的。構成財界勝ち組企業、大学教授、マスメディア(テレビ)、都市部ホワイトカラーなど
●「B層」: 郵政の現状サービスへの満足度が極めて高いため、道路などへの公共事業批判ほどたやすく支持は得られない。郵政民営化への支持を取り付けるために、より深いレベルでの合意形成が不可欠。マスコミ報道に流されやすく「IQ」が比較的低い、構造改革に中立的ないし肯定的。構成主婦層、若年層、シルバー(高齢者)層など。具体的なことは分からないが小泉総理のキャラクター・内閣閣僚を支持する。
●「C層」: 構造改革抵抗守旧派。「IQ」が比較的高く、構造改革に否定的。
●「D層」: 「名無し層」「命名無し層」と呼ばれることも多い。「IQ」が比較的低く、構造改革に否定的。構成既に失業などの痛みにより、構造改革に恐怖を覚えている層
マーケティング戦略が戦略である以上、ターゲット層をあぶりだして明確な戦略を想定することが求められるわけだが、このレポートが発表されてから10年後の2015年から振り返ると、じつによくできた分類だと思うのである。
ただし著者はマーケティングを行いたいわけではない。あくまでもこの枠組みを使って、劣化する大衆社会日本の現状をあぶりだすことを行うのである。だからこそ、縦軸のIQ軸をそのままにして、横軸を「近代的価値」を是とするか非としたマトリックスに簡略化している(下図参照)。
「B層」とは、近代的価値に肯定的だが、IQがそれほど高いわけではない層のことになる。著者のいう近代的価値には、グローバリズム、普遍主義、改革・革新・革命などが含まれる。
著者自身の表現を引用しておこう。
深部を読み取れば「近代的諸価値を肯定するのか、警戒するのか」と読み替えることもできる。そうすると、B層は《近代的諸価値を妄信するバカ》《改革バカ》ということになります。
平等主義や民主主義、普遍的人権などを信じ込んでいる人たちですね。
重要な点は、B層が単なる無知ではないことです。
彼らは、新聞を丹念に読み、テレビニュースを熱心に見る。そして自分たちが合理的で理性的であることに深く満足している。
その一方で、歴史によって培われてきた 《良識》 《日常生活のしきたり》 《中間の知》 《教養》 を軽視するので、近代イデオロギーに容易に接合されてしまう。
なにを変えるのかは別として、《改革》 《変革》 《革新》 《革命》 《維新》といったキーワードに根無し草のように流されていく。彼らは、権威を嫌う一方で権威に弱い。テレビや新聞の報道、政治家や大学教授の言葉を鵜呑みにし、踊らされ、騙されたと憤慨し、その後も永遠に騙され続ける存在がB層です。(文庫版 P.58~59)
徹底した近代批判である。近代が生み出した「大衆」という存在。かれらは前近代社会の無知な「民衆」ではない。もちろん、「大衆」=「B層」ではないが、近代が生み出した近代的価値を無意識のうちに内在化し、自覚症状をまったくもたない人たちのことであるといっていいだろう。
上掲のマトリックスでは、A層からD層にいたるまで同じ大きさの円で表現されているが、これはあくまでも質的な概念を可視化したものであって、量的な観点からみれば、あきらかに「B層」がボリュームゾーンであることは間違いない。大衆の大衆たるゆえんである。多数派を占める「大衆」こそB層と重なるのである。だからポピュリズム(=大衆迎合)政治がものを言うのである。
著者が「近代的価値」を無意識に体現する人たちとして、なにを具体的に叩いているかは「目次」を見てみればいいだろう。とくにポピュリズム志向の政治家を徹底的に叩いているほか、文化人や評論家なども俎上にあげられている。ただし、著者の趣味嗜好にもとづく批判もあり、かならずしも同意しがたいものもあるが、あらかた著者の批判にはうなづけるものがある。
未来に理想のユートピアを想定する左派も、過去に理想のノスタルジーを想定する右派も、ともに現実主義とは遠い存在だ。著者による「偽装保守」という表現は、じつに巧みなものだ。保守は、よりよい世界の実現を目指しながらも、確実に一歩一歩前進する姿勢のことであり、現実主義と言い換えてもいいだろう。維新や革命とは正反対の立ち居地にある。「偽装保守」とは「偏狭な復古主義者」としての右派のことであるが、そのなかにはきわめて悪質なデマゴーグもいる。
著者の立ち居地は、一方の極に立って他方の極を叩くというものではなく、俯瞰的な立場から両極をともに叩くという姿勢だ。そのため、批判対象である「B層」からは上から目線の物言いだという批判が出てくるのであろう。
ゲーテやニーチェに仮託して語るという著者の姿勢は、たしかに両者ともに知的巨人であるから上から目線となるのは仕方がないかもしれない。だが、基本的には過去から現在を照射するという視線であることに注意しておきたい。時の試練を経て生き残った思想は、現代人が思っている以上に強靭である。とくにこの二大巨人は近代のなかで格闘した人たちだ。
それが古典というものがもつ意味でありパワーである。古典を読み込んでそれを現実解釈の武器とすること、それがただしい教養の活用法である。
著者が本文で言及しているゲーテとニーチェ以外の思想家たちの著作は、参考文献として一括して紹介されているので、強靭な精神と思索力を身につけたい人は、チャレンジしてみるのがいいのではないかと思う。さしあたっては、著者自身のデビュー作ともいうべきニーチェの名著の新訳 『キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』(講談社+α新書、2005)が読みやすくて面白いと思う。
古典的名著を読むことは、自分で考え、自分で行動するために必要な基礎的能力が鍛えられるはずだ。
目 次
B層用語辞典
文庫版はじめに 参加したがる時代
第1章 B層とはなにか?
知らないことは言わないほうがいい
偽史はこうしてつくられる
モーニング娘。と価値の混乱
小林秀雄と<コスパバカ>
B層とはなにか?
B層は単なる無知ではない
B層は陰謀論が好き
大衆とB層との違い
反原発デモと坂本龍一
<参加>の気分が重要
神奈川県を独立国にする?
現代人の未来信仰
第2章 今の世の中はなぜくだらないのか?
B層が行列する店
氾濫するB層鮨屋
デブブームは不健康ブーム
エリック・クラプトンのビジネスに学ぶ
口パクを擁護する
自由になれない理由
B層を利用する英会話ビジネス
<国際人>など存在しない
数学を悪用しない
保守を偽装する人
大学教授の学力崩壊
人権派が政治をダメにする
人権思想はテロの根源
第3章 今の政治家はなぜダメなのか?
安倍晋三が進める国の解体
大衆社会のパッケージ
民主党の三年間とはなんだったのか?
小沢一郎の正体
土井たか子と小沢の売国活動
ポピュリズムはなぜ暴走したのか
ファミコン世代が国を滅ぼす
橋下徹というデマゴーグ
或阿呆の一生
卑劣な人間のパフォーマンス
亡国の船中八策
平気で嘘をつく人たち
伝統文化を破壊する人々
悪人は悪人顔をしている
第4章 素人は口を出すな!
国民は成熟しない
誰もが参加したがる時代
全体主義のロジック
オーウェルと言葉の破壊
民主主義はキリスト教カルト
「民意は悪魔の声である」
おわりに 新しいものはたいてい「嘘」
参考文献
解説(中川淳一郎)
著者プロフィール
適菜 収(てきな・おさむ)
1975年山梨県生まれ。作家。哲学者。早稲田大学で西洋文学を学び、ニーチェを専攻。卒業後、出版社勤務を経て現職。著書に、ニーチェの代表作「アンチクリスト」を現代語にした「キリスト教は邪教です!」(講談社+α新書)「はじめてのニーチェ」(飛鳥新社)「ゲーテに学ぶ賢者の知恵」(だいわ文庫)「ゲーテの警告 日本を滅ぼす『B層』の正体」(講談社+α新書)「ニーチェの警鐘 日本を滅ぼす『B層』の害毒」(講談社+α新書)「世界一退屈な授業」(星海社新書)などがある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
<関連サイト>
「B層」=比較的IQの低い、騙されやすい人間たち、の特徴を細かく解説しながら、多くのB層に支持された民主党がかくも無様に崩壊した理由、そしてまた懲りもせず橋下徹こそ日本国首相にもっともふさわしいという今日の世論調査の結果に現れるB層の「勘違い」の害毒
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33886
2012年10月26日(金) 『日本をダメにしたB層の研究』著者:適菜収 なぜ日本人は「参加」したがるのか? 【前篇】
広告会社の有限会社スリードが「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案) 」(原本コピー)
<ブログ内関連記事>
■踊らされる「B層」
書評 『普通の家族がいちばん怖い-崩壊するお正月、暴走するクリスマス-』(岩村暢子、新潮文庫、2010 単行本初版 2007)-これが国際競争力を失い大きく劣化しつつある日本人がつくられている舞台裏だ
・・食生活に端的に現れる「B層」性
書評 『外食の裏側を見抜く-プロの全スキル、教えます。』(河岸宏和、東洋経済新報社、2014)-「食の安全」の盲点となりがちな「外食チェーン店」を含めて考えなくては画竜点睛を欠く
・・食にみる「B層」の実態は外食チェーン店。コスパ(=コストパフォーマンス)のみを重視する客は自分が食べているものが価値なきものであることに無自覚
「恵方巻き」なんて、関西出身なのにウチではやったことがない!-「創られた伝統」についての考察-
・・踊らされるのは「B層」。マーケティングの餌食となっている
書評 『夢、死ね!-若者を殺す「自己実現」という嘘-』(中川淳一郎、星海社新書、2014)-「夢」とか「自己実現」などという空疎なコトバをクチにするのはやめることだ
・・いかに「B層」がマーケティング対象として食い物にされているか
■近代啓蒙主義のなれの果て
書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・近代啓蒙主義の申し子である左派リベラル知識人たちが戦後日本に撒き散らした害悪を総括
「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ
・・左も右もすでに終わっている存在
「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想
・・もはや三島由紀夫の予言などはるかに取り越してしまっているのか?
■ゲーテという存在
銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩
ルカ・パチョーリ、ゲーテ、与謝野鉄幹に共通するものとは?-共通するコンセプトを「見えざるつながり」として抽出する
「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」
・・ゲーテとニーチェの二人から大いにインスパイアされたのがルドルフ・シュタイナーというドイツの思想家であることはあまり知られていない
(2015年11月14日 情報追加)
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(2022年12月23日発売の拙著です)
(2022年6月24日発売の拙著です)
(2021年11月19日発売の拙著です)
(2021年10月22日発売の拙著です)
(2020年12月18日発売の拙著です)
(2020年5月28日発売の拙著です)
(2019年4月27日発売の拙著です)
(2017年5月18日発売の拙著です)
(2020年5月28日発売の拙著です)
(2019年4月27日発売の拙著です)
(2017年5月18日発売の拙著です)
(2012年7月3日発売の拙著です)
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