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2015年10月26日月曜日

書評『日本をダメにしたB層の研究』(適菜収、講談社+α文庫、2015)ー 徹底した「近代」批判の書は俯瞰的に左右両極を叩く



『日本をダメにしたB層の研究』(適菜収、講談社+α文庫、2015)は、徹底した「近代」批判の書である。2102年に出版された単行本が文庫化されたのを機会に読んでみた。

ゲーテとニーチェという18世紀から19世紀にかけて生きた二人のドイツ人が残した文章を使って、劣化しつづける日本の現状をこれでもかと執拗に叩く。近代啓蒙主義の申し子ともいうべき左派(・・リベラル派を含む)だけでなく、保守を偽装する(!)右派もぶった切る姿勢がじつに痛快だ。

この本の面白さは、毒をもった面白さである。そしてその毒は、ストレートに効く毒だ。当たり前のことを当たり前と言い切ること。これは「王様は裸だ」と叫んだ子どもにはできても、空気を読むことに慣れきった日本人にはできない芸当だ。いまや子どもたちですら空気を読むことを強いられるのが劣化する日本の現状である。

「B層」(ビーそう)とは、著者の造語ではない。郵政改革にかんして、小泉政権(当時)の主な支持基盤として想定されたターゲット層のことだ。「具体的なことはよくわからないが小泉純一郎のキャラクターを支持する層」である。内閣府から広報宣伝戦略を受注した広告会社の有限会社スリードが「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案) 」において定義した(・・リンク先に原本のコピーがアップされている)。

いまから10年前の2005年に発表されたレポートだが、マーケティング戦略を政治に応用した内容である。縦軸を EQ も含んだ IQ軸、横軸を「構造改革」の是非として4象限のマトリックスで分類したものだ(下図参照)。ある意味では教科書的でオーソドックスなポートフォリオ分析手法による分類である。




「A層」: エコノミストを始めとして、基本的に民営化の必要性は感じているが、これまで、特に道路公団民営化の結末からの類推上、結果について悲観的な観測を持っており、批判的立場を形成している。「IQ」が比較的高く、構造改革に肯定的。構成財界勝ち組企業、大学教授、マスメディア(テレビ)、都市部ホワイトカラーなど
●「B層」: 郵政の現状サービスへの満足度が極めて高いため、道路などへの公共事業批判ほどたやすく支持は得られない。郵政民営化への支持を取り付けるために、より深いレベルでの合意形成が不可欠。マスコミ報道に流されやすく「IQ」が比較的低い、構造改革に中立的ないし肯定的。構成主婦層、若年層、シルバー(高齢者)層など。具体的なことは分からないが小泉総理のキャラクター・内閣閣僚を支持する。
「C層」: 構造改革抵抗守旧派。「IQ」が比較的高く、構造改革に否定的。
「D層」: 「名無し層」「命名無し層」と呼ばれることも多い。「IQ」が比較的低く、構造改革に否定的。構成既に失業などの痛みにより、構造改革に恐怖を覚えている層

マーケティング戦略が戦略である以上、ターゲット層をあぶりだして明確な戦略を想定することが求められるわけだが、このレポートが発表されてから10年後の2015年から振り返ると、じつによくできた分類だと思うのである。

ただし著者はマーケティングを行いたいわけではない。あくまでもこの枠組みを使って、劣化する大衆社会日本の現状をあぶりだすことを行うのである。だからこそ、縦軸のIQ軸をそのままにして、横軸を「近代的価値」を是とするか非としたマトリックスに簡略化している(下図参照)。





「B層」とは、近代的価値に肯定的だが、IQがそれほど高いわけではない層のことになる。著者のいう近代的価値には、グローバリズム、普遍主義、改革・革新・革命などが含まれる。

著者自身の表現を引用しておこう。

深部を読み取れば「近代的諸価値を肯定するのか、警戒するのか」と読み替えることもできる。そうすると、B層は《近代的諸価値を妄信するバカ》《改革バカ》ということになります。
平等主義や民主主義、普遍的人権などを信じ込んでいる人たちですね。
重要な点は、B層が単なる無知ではないことです。
彼らは、新聞を丹念に読み、テレビニュースを熱心に見る。そして自分たちが合理的で理性的であることに深く満足している。
その一方で、歴史によって培われてきた 《良識》 《日常生活のしきたり》 《中間の知》 《教養》 を軽視するので、近代イデオロギーに容易に接合されてしまう
なにを変えるのかは別として、《改革》 《変革》 《革新》 《革命》 《維新》といったキーワードに根無し草のように流されていく。彼らは、権威を嫌う一方で権威に弱い。テレビや新聞の報道、政治家や大学教授の言葉を鵜呑みにし、踊らされ、騙されたと憤慨し、その後も永遠に騙され続ける存在がB層です。(文庫版 P.58~59)

徹底した近代批判である。近代が生み出した「大衆」という存在。かれらは前近代社会の無知な「民衆」ではない。もちろん、「大衆」=「B層」ではないが、近代が生み出した近代的価値を無意識のうちに内在化し、自覚症状をまったくもたない人たちのことであるといっていいだろう。

上掲のマトリックスでは、A層からD層にいたるまで同じ大きさの円で表現されているが、これはあくまでも質的な概念を可視化したものであって、量的な観点からみれば、あきらかに「B層」がボリュームゾーンであることは間違いない。大衆の大衆たるゆえんである。多数派を占める「大衆」こそB層と重なるのである。だからポピュリズム(=大衆迎合)政治がものを言うのである。

著者が「近代的価値」を無意識に体現する人たちとして、なにを具体的に叩いているかは「目次」を見てみればいいだろう。とくにポピュリズム志向の政治家を徹底的に叩いているほか、文化人や評論家なども俎上にあげられている。ただし、著者の趣味嗜好にもとづく批判もあり、かならずしも同意しがたいものもあるが、あらかた著者の批判にはうなづけるものがある。

未来に理想のユートピアを想定する左派も、過去に理想のノスタルジーを想定する右派も、ともに現実主義とは遠い存在だ。著者による「偽装保守」という表現は、じつに巧みなものだ。保守は、よりよい世界の実現を目指しながらも、確実に一歩一歩前進する姿勢のことであり、現実主義と言い換えてもいいだろう。維新や革命とは正反対の立ち居地にある。「偽装保守」とは「偏狭な復古主義者」としての右派のことであるが、そのなかにはきわめて悪質なデマゴーグもいる。

著者の立ち居地は、一方の極に立って他方の極を叩くというものではなく、俯瞰的な立場から両極をともに叩くという姿勢だ。そのため、批判対象である「B層」からは上から目線の物言いだという批判が出てくるのであろう。

ゲーテやニーチェに仮託して語るという著者の姿勢は、たしかに両者ともに知的巨人であるから上から目線となるのは仕方がないかもしれない。だが、基本的には過去から現在を照射するという視線であることに注意しておきたい。時の試練を経て生き残った思想は、現代人が思っている以上に強靭である。とくにこの二大巨人は近代のなかで格闘した人たちだ。

それが古典というものがもつ意味でありパワーである。古典を読み込んでそれを現実解釈の武器とすること、それがただしい教養の活用法である。

著者が本文で言及しているゲーテとニーチェ以外の思想家たちの著作は、参考文献として一括して紹介されているので、強靭な精神と思索力を身につけたい人は、チャレンジしてみるのがいいのではないかと思う。さしあたっては、著者自身のデビュー作ともいうべきニーチェの名著の新訳 『キリスト教は邪教です! 現代語訳『アンチクリスト』(講談社+α新書、2005)が読みやすくて面白いと思う。

古典的名著を読むことは、自分で考え、自分で行動するために必要な基礎的能力が鍛えられるはずだ。


 
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目 次 
 
B層用語辞典
文庫版はじめに 参加したがる時代
第1章 B層とはなにか?
 知らないことは言わないほうがいい
 偽史はこうしてつくられる
 モーニング娘。と価値の混乱
 小林秀雄と<コスパバカ>
 B層とはなにか?
 B層は単なる無知ではない

 B層は陰謀論が好き
 
 大衆とB層との違い

 反原発デモと坂本龍一
 <参加>の気分が重要
 神奈川県を独立国にする?
 現代人の未来信仰
第2章 今の世の中はなぜくだらないのか?
 B層が行列する店
 氾濫するB層鮨屋
 デブブームは不健康ブーム
 エリック・クラプトンのビジネスに学ぶ
 口パクを擁護する
 自由になれない理由
 B層を利用する英会話ビジネス
 <国際人>など存在しない
 数学を悪用しない
 保守を偽装する人
 大学教授の学力崩壊
 人権派が政治をダメにする
 人権思想はテロの根源
第3章 今の政治家はなぜダメなのか?
 安倍晋三が進める国の解体
 大衆社会のパッケージ
 民主党の三年間とはなんだったのか?
 小沢一郎の正体
 土井たか子と小沢の売国活動
 ポピュリズムはなぜ暴走したのか
 ファミコン世代が国を滅ぼす
 橋下徹というデマゴーグ
 或阿呆の一生
 卑劣な人間のパフォーマンス
 亡国の船中八策
 平気で嘘をつく人たち
 伝統文化を破壊する人々
 悪人は悪人顔をしている
第4章 素人は口を出すな!
 国民は成熟しない
 誰もが参加したがる時代
 全体主義のロジック
 オーウェルと言葉の破壊
 民主主義はキリスト教カルト
 「民意は悪魔の声である」
おわりに 新しいものはたいてい「嘘」
参考文献
解説(中川淳一郎)

著者プロフィール

適菜 収(てきな・おさむ)
1975年山梨県生まれ。作家。哲学者。早稲田大学で西洋文学を学び、ニーチェを専攻。卒業後、出版社勤務を経て現職。著書に、ニーチェの代表作「アンチクリスト」を現代語にした「キリスト教は邪教です!」(講談社+α新書)「はじめてのニーチェ」(飛鳥新社)「ゲーテに学ぶ賢者の知恵」(だいわ文庫)「ゲーテの警告 日本を滅ぼす『B層』の正体」(講談社+α新書)「ニーチェの警鐘 日本を滅ぼす『B層』の害毒」(講談社+α新書)「世界一退屈な授業」(星海社新書)などがある。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<関連サイト>

「B層」=比較的IQの低い、騙されやすい人間たち、の特徴を細かく解説しながら、多くのB層に支持された民主党がかくも無様に崩壊した理由、そしてまた懲りもせず橋下徹こそ日本国首相にもっともふさわしいという今日の世論調査の結果に現れるB層の「勘違い」の害毒
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/33886

2012年10月26日(金) 『日本をダメにしたB層の研究』著者:適菜収 なぜ日本人は「参加」したがるのか? 【前篇】

広告会社の有限会社スリードが「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略(案) 」(原本コピー)


<ブログ内関連記事>

踊らされる「B層」

書評 『普通の家族がいちばん怖い-崩壊するお正月、暴走するクリスマス-』(岩村暢子、新潮文庫、2010 単行本初版 2007)-これが国際競争力を失い大きく劣化しつつある日本人がつくられている舞台裏だ
・・食生活に端的に現れる「B層」性

書評 『外食の裏側を見抜く-プロの全スキル、教えます。』(河岸宏和、東洋経済新報社、2014)-「食の安全」の盲点となりがちな「外食チェーン店」を含めて考えなくては画竜点睛を欠く
・・食にみる「B層」の実態は外食チェーン店。コスパ(=コストパフォーマンス)のみを重視する客は自分が食べているものが価値なきものであることに無自覚

「恵方巻き」なんて、関西出身なのにウチではやったことがない!-「創られた伝統」についての考察-
・・踊らされるのは「B層」。マーケティングの餌食となっている

書評 『夢、死ね!-若者を殺す「自己実現」という嘘-』(中川淳一郎、星海社新書、2014)-「夢」とか「自己実現」などという空疎なコトバをクチにするのはやめることだ
・・いかに「B層」がマーケティング対象として食い物にされているか


近代啓蒙主義のなれの果て

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・近代啓蒙主義の申し子である左派リベラル知識人たちが戦後日本に撒き散らした害悪を総括

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ
・・左も右もすでに終わっている存在

「精神の空洞化」をすでに予言していた三島由紀夫について、つれづれなる私の個人的な感想
・・もはや三島由紀夫の予言などはるかに取り越してしまっているのか?


ゲーテという存在

銀杏と書いて「イチョウ」と読むか、「ギンナン」と読むか-強烈な匂いで知る日本の秋の風物詩

ルカ・パチョーリ、ゲーテ、与謝野鉄幹に共通するものとは?-共通するコンセプトを「見えざるつながり」として抽出する

「ルドルフ・シュタイナー展 天使の国」(ワタリウム美術館)にいってきた(2014年4月10日)-「黒板絵」と「建築」に表現された「思考するアート」
・・ゲーテとニーチェの二人から大いにインスパイアされたのがルドルフ・シュタイナーというドイツの思想家であることはあまり知られていない

(2015年11月14日 情報追加)


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2015年3月17日火曜日

書評『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)― 福澤諭吉の「脱亜論」から130年、いま東アジア情勢は「先祖返り」している



福澤諭吉の『脱亜論』(1885年=明治18年3月16日)が発表されてから130年になる。東アジアの国際環境が厳しさを増すなか『脱亜論』が甦ってきたというべきだろう。
   
すでに7年前の出版であるが、『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)という本が出版されているので、この機会にあらためて本書を紹介しておきたい。

著者の渡辺利夫氏は、韓国 ― ヴェンチャー・キャピタリズム』(講談社現代新書、1986)『社会主義市場経済の中国』(講談社現代新書、1994)などをつうじて、アジア経済にかかわるビジネスパーソンなら少なくとも名前くらいは知っているはずだし、開発経済学でこの人の名を知らなかったらモグリともいうべきパイオニア的存在の人だ。

厳しい言論統制を敷いていたシンガポールや、かつて戒厳令下にあった韓国や台湾などアジア諸国において、急速な経済発展をもたらした「開発独裁」というコンセプトを世に知らしめた功績は強調してもし過ぎることはない。

そんな渡辺利夫氏が拓殖大学学長に就任し、しかもこのような内容の本を書かれるとは思いもしなかったというのが、2008年に本書が出版されたときの感想である。

だがよくよく考えてみれば、拓殖大学は台湾統治を成功させた後藤新平以来の伝統をもつ大学だし、渡辺氏自身も福澤諭吉が設立した慶應義塾の出身であり、東南アジアも東アジアも経済を軸に熟知しているからこそ、『新 脱亜論』なるタイトルの本を発表するに至ったのだと深く納得した次第である。つよい危機感が背景にあるのだ。

たんに経済についてのみ語っていては済まない時代にわれわれは生きているのである。政治と経済は不可分の関係にある。「政治経済学」として捉えなくてはならないのだ。

内容は、福澤諭吉の時代からの日本近現代史を、著者なりに振り返って「再編集」したもの。書かれている歴史的事実そのものはべつに目新しいものではないが、『新 脱亜論』というタイトルによって「再編集」された、著者の一貫した史観にもとづく歴史叙述こそ読むべき内容となっているのである。

まずは目次をご覧になっていただきたい。日本は中国やロシアのような「大陸国家」ではなく、島国の「海洋国家」であるという地政学の認識が最重要であることが強調されている。そしてこれは、明治の先人たちのリアリズムに基づいた認識でもあったのだ。
      

第1章 先祖返りする極東アジア地政学
第2章 陸奥宗光の日清戦争-機略と豪気
第3章 朝鮮近代化最後の挑戦-金玉均と福澤諭吉
第4章 東アジア勢力確執の現実-果てしなきロシアの野望
第5章 日露戦争と日英同盟-海洋国家同盟成立の意味
第6章 韓国併合への道程-併合は避けられたか
第7章 台湾割譲と近代化-日本の統治がもたらしたもの
第8章 第一次世界大戦とワシントン体制-追い込まれる日本
第9章 中国とはいかなる存在であったか-分裂と挑発
第10章 海洋国家同盟か大陸国家提携か-日本の選択
第11章 「東アジア共同体」という錯誤-中国の地域覇権主義を見据えよ
第12章 日米海洋国家同盟を守る-自衛権とは何か
おわりに 


著者の思いは以下の一文に集約されている。

    
近代日本の先人たちは極東アジアの国際環境をいかに観察して行動して、日本の独立自尊を守ったのか。このことを日本の若者にどうしても伝えておきたい。


日本の地政学上のポジションは「海洋国家」。中国のような「大陸国家」でも韓国・朝鮮のような「半島国家」でもない。「海洋国家」としていかに厳しい国際環境のなかを生き抜いていくか。そのために学ぶべき先人たちのリアリズムに立脚した認識と意志決定を若者向けに描き下ろした内容である。
    
なぜ、福澤諭吉は『脱亜論』を書かなければならなかったのかについては、この本のとくに「第3章 朝鮮近代化最後の挑戦-金玉均と福澤諭吉」を読むと手に取るように理解できると思う。韓国併合による韓国近代化についての著者の筆致は、開発経済学者らしく冷静である。

厳しい国際情勢のなかでの「近代日本」の成功と手痛い失敗について本当のことを知りたい若者だけでなく、若者ではなくてもぜひ一読して、若者たちに薦めていただきたい本である。  


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目 次 (詳細)

第1章 先祖返りする極東アジア地政学 
ポストモダニズムの落とし穴
 「先祖返り」する極東地政学
 生存リアリズムの欠如-北朝鮮
 反米、反日、親北の制度化-韓国
 「侮日政策」の在処(ありか)-中国
 「ペトロステート」-ロシア
第2章 陸奥宗光の日清戦争-機略と豪気
 激怒する福澤諭吉
 華夷秩序への挑戦、日本の自衛
 尊皇攘夷と衛正斥邪
 清韓宗属関係の破壊を狙う陸奥
 天津条約-「李鴻章対日政策の一大錯誤」
 陸奥、開戦への決意
 帝国主義にめざめた清国の「東征論」
第3章 朝鮮近代化最後の挑戦-金玉均と福澤諭吉 
 「独立自尊」
 外国人からみた李氏朝鮮
 清韓宗属関係とは何か
 金玉均の登場
 朝鮮の独立自尊、福澤の政治的課題
 金玉均、福澤との邂逅
 壬午事変
 借款交渉進展せず
 国王高宗と金玉均
 甲申事変
 李朝近代化のラストチャンス
 日本滞在十年
 金玉均暗殺
 高まる反清感情
第4章 東アジア勢力確執の現実-果てしなきロシアの野望 
 ロシアに傾斜する朝鮮
 東学党の乱
 機先を制する日本
 日清戦争勝利
 三国干渉
 「他策なかりしを信ぜんと欲す」
 内閣弾劾上奏案
 閔妃暗殺
 ウィッテと李鴻章
 露清密約
第5章 日露戦争と日英同盟-海洋国家同盟成立の意味 
 ロシアの対清圧力
 小村、露清協約の廃棄への努力
 義和団事変と日本
 在清公使館付武官 柴五郎
 第一次小村意見書
 日英同盟成立
 ロシア、満洲から撤兵せず
 第二次小村意見書
 小村の開戦外交
 開戦へ
 戦費調達
 ポーツマスへの道
第6章 韓国併合への道程-併合は避けられたか 
 ポーツマス条約と韓国「自由処分」
 韓国の「保護国化」
 ハーグ密使事件
 韓国併合へ
 反日義兵闘争
 併合に対する韓国内の支持
 韓国併合と発展基盤の形成
第7章 台湾割譲と近代化-日本の統治がもたらしたもの 
 化外の地、化外の民
 牡丹社事件と台湾出兵
 洋務派官僚による台湾開発
 日清戦争と台湾割譲
 後藤新平
 米糖経済
 教育制度の拡充
 日本統治の終焉
第8章 第一次世界大戦とワシントン体制-追い込まれる日本 
 交流から凋落へ
 「黄禍」日本
 日本人移民排斥運動、ハリマンの満鉄買収計画
 ノックス満鉄中立化提議
 第一次世界大戦根の参戦
 対支二十一ヵ条は愚策だったか
 五・四運動と対中国世論強化
 ワシントン体制と日本の孤立化
第9章 中国とはいかなる存在であったか-分裂と挑発  
 四分五裂
 シベリア出兵に意義はなかったか
 なおつづく四分五裂
 「対支政策綱領」
 済南事件
 満洲事変へ
 満洲国建国から国際連盟脱退へ
 通州事件
 南京事件
 暴支膺懲
第10章 海洋国家同盟か大陸国家提携か-日本の選択 
 中国茫々
 佐藤鉄太郎の海洋国家思想
 日英同盟廃棄の慚愧
 「文明の生態史観」とアジア経済学
 文明の生態史観と現代
第11章 「東アジア共同体」という錯誤-中国の地域覇権主義を見据えよ 
 東アジア経済統合の時代
 共同体とは何か
 東アジア共同体は可能か
 中国の地域覇権主義をどうみるか
第12章 日米海洋国家同盟を守る-自衛権とは何か 
 集団自衛権-保有するが行使できない?
 個別的自衛権-これこそが問題である
 触らぬ神に祟りなし-非核三原則
おわりに 


著者プロフィール
渡辺利夫(わたなべ・としお)

拓殖大学学長。1939年山梨県甲府市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒。同大学院博士課程修了。経済学博士。筑波大学教授、東京工業大学教授を経て現職。おもな著書に『成長のアジア 停滞のアジア』(吉野作造賞)『西太平洋の時代』(アジア・太平洋賞大賞)『開発経済学の時代』(大平正芳記念賞)『神経症の時代』(開高健賞・正賞)などがある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




 <関連サイト>

中国、外国教材の実態調査に着手-「西洋的価値観」排除へ(ウォールストリートジャーナル日本版、2015年3月17日)
・・おろかな対応をとる中国共産党

新・脱亜論 「内なる中国」と闘え(平野聡・東京大学大学院教授、文藝春秋 SPECIAL 2015秋、2015年09月09)
・・「日本が近代国家として台頭したこと自体が、国際社会における権力と知識の偏在に風穴を開け、非西洋世界にも多種多様な言論を巻き起こし、独立と自由を鼓舞したことも事実である・・(中略)・・戦前の日本は、外交秩序と文明観の両面において、中国的な「神政府」の発想=価値の独占を否定しようとして、その実いつの間にか、自らの成功物語に基づく新たな「天下」志向、明治体制に組み込まれた価値の独占志向=日本国体論にとらわれ、かつての中国文明と全く同じ陥穽に陥ったものと考える。戦後の日本の平和で自由な国家としての歩みが、そのような「内なる中国」を自省して距離を置くものであったと信じたい。」(平野聡) 

(2015年9月9日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

「脱亜論」(福澤諭吉)が発表から130年(2015年3月16日)-東アジアの国際環境の厳しさが「脱亜論」を甦らせた

「海洋国家・日本」は大陸国家でも半島国家でもない

書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)-国家ビジョンが不透明ないまこそ読むべき「現実主義者」による日本外交論

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!
・・『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)には以下の記述がある。
「アジア太平洋問題に関する首相の私的懇談会が設置され、私も委員の一人に指名された。第一回の懇談会のゲストスピーカーとして梅棹忠夫氏が出席した。「日本が大陸アジアと付き合ってろくなことはない、というのが私の今日の話の結論です」と話を切り出して、委員全員が呆気に取られるというシチュエーションを私は鮮明に記憶している」(P.272)
「ユーラシア問題に深入りするな!」というのは、海洋国家日本にとって国是とすべきなのである。これが、日本近代史から引き出すべき最大の教訓の一つである。

書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ


書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・社会科学の分野では小室直樹と双璧をなすと、わたしが勝手に考えている湯浅赳男氏。この本は日本人必読書であると考えているが、文庫化されることがないのはじつに残念なことだ

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である

書評 『封建制の文明史観-近代化をもたらした歴史の遺産-』(今谷明、PHP新書、2008)-「封建制」があったからこそ日本は近代化した!
・・ライプツィヒ大学では歴史学者ランプレヒトの弟子であったウィットフォーゲル。上原専禄の師匠であった三浦新七はランプレヒトの高弟で助手をつとめていた。いろんなことが見えないところでつながっている


戦後日本を支配してきた悪しき思想風潮

書評 『革新幻想の戦後史』(竹内洋、中央公論新社、2011)-教育社会学者が「自分史」として語る「革新幻想」時代の「戦後日本」論
・・戦後日本を支配した「空気」がいかなるものであったか


東アジアの国際情勢

書評 『自由市場の終焉-国家資本主義とどう闘うか-』(イアン・ブレマー、有賀裕子訳、日本経済新聞出版社、2011)-権威主義政治体制維持のため市場を利用する国家資本主義の実態
・・「国家資本主義」の中国。資本主義と民主主義がイコールだという「近代」の常識を裏切るのが中国という「東洋的専制国家」

書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」

書評 『中国台頭の終焉』(津上俊哉、日経プレミアムシリーズ、2013)-中国における企業経営のリアリティを熟知しているエコノミストによるきわめてまっとうな論 

書評 『中国に立ち向かう日本、つき従う韓国』(鈴置高史、日本経済新聞出版社、2013)-「離米従中」する韓国という認識を日本国民は一日も早くもたねばならない

書評 『醜いが、目をそらすな、隣国・韓国!』(古田博司、WAC、2014)-フツーの日本人が感じている「実感」を韓国研究40年の著者が明快に裏付ける


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2015年3月16日月曜日

「脱亜論」(福澤諭吉)が発表から130年(2015年3月16日)-東アジアの国際環境の厳しさが「脱亜論」を甦らせた



明治時代初期の大ベストセラーでロングセラーであった『学問のすゝめ』の著者であり、慶應義塾の創設者である福澤諭吉は、戦後日本では基本的に「啓蒙思想家」として高く評価されてきた存在だが、一点だけ評価が真っ二つにわかれている論がある。それが「脱亜論」だ。
  
130年前の本日(=明治18年3月16日)、みずからが創設し主宰していた新聞の『時事新報』で発表された社説だ。内容は読んで字のごとく「脱亜」を説いたものである。脱亜とはアジアを脱するということ。より正確にいえば、「日本よ、東アジアの悪友とは縁を切れ!」という内容だ。
   
原文はカタカナまじりの漢文体でとっつきにくいが、内容はきわめてロジカルだ。以下に一部を抜粋しておこう。
   
    
「我日本ノ國土ハ亞細亞ノ東邊ニ在リト雖ドモ
其國民ノ精神ハ既ニ亞細亞ノ固陋ヲ脫シテ西洋ノ文明ニ移リタリ
然ルニ爰ニ不幸ナルハ近隣ニ國アリ
一ヲ支那ト云ヒ一ヲ朝鮮ト云フ」

(現代語私訳)
わが日本は、アジアの極東にあるといえども、その国民の精神はすでにアジアの古くて頑迷なものを脱して西洋文明に移っている。しかし不幸なのは近隣の二国である。そのひとつを支那(=中国)といい、もうひとつを朝鮮という)。
・・(中略)・・
惡友ヲ親シム者ハ共ニ惡名ヲ免カル可ラズ 我レハ心ニ於テ
亞細亞東方ノ惡友ヲ謝絶スルモノナリ
(現代語私訳)
わたしは心のなかで、東アジアの悪友を謝絶するのである)

「脱亜論」発表からすでに130年、日本は1970年前後には「西欧近代化」を完了、「先進国」のひとつとして長く国際社会に貢献してきた。しかし、隣国の二ヶ国は「近代化」には中途で失敗、中国など西欧の価値観の流入を拒否せよなどという始末である。中国も韓国(北朝鮮を含む)も、ともに「価値観を共有する」関係とは言い難い

もちろんわたしは、「脱亜論」に全面的に賛成である。なぜなら、日本は地理的にはアジアに位置しているが、本質的にアジアではないからだ。梅棹忠夫の『文明の生態史観』しかし、ドイツのウィットフォーゲルの『東洋的専制論』しかり、「大陸国家」の中国と島国の「海洋国家」の日本は異なるカテゴリーの文明だとしている。
      
実利にもとづく商売の点はさておき、国家間の関係については、まさに130年前に福澤諭吉が主張したことがそのままそくりあてはまるのではないかと、尖閣問題や慰安婦問題をはじめとする、中国と韓国の反日姿勢を考えれば、ここ数年の流れのなかでつよく思わざるをえないのである。 

ただし、重要なことは東アジアの範囲についてだ。地理的概念の東アジアの範囲に入るのは大陸国家の中国と半島国家の韓国・北朝鮮、そして日本である。それ以外の東南アジア諸国は、狭い意味の東アジアには含まれないことを強調しておく。
   
「脱亜論」発表から130年、あらためて福澤諭吉の先見の明に感心するばかりではないか。あるいは、東アジアの国際環境の厳しさが「脱亜論」を甦らせたというべきか。

厳しい国際環境のなか、日本も日本人も「独立自尊」の精神で生き抜いていかねばならない。


************

参考 『脱亜論』原文の一部

・・(前略)・・

我日本ノ國土ハ
亞細亞ノ東邊ニ在リト雖ドモ
其國民ノ精神ハ
既ニ亞細亞ノ固陋ヲ脫シテ
西洋ノ文明ニ移リタリ

然ルニ爰ニ不幸ナルハ
近隣ニ國アリ
一ヲ支那ト云ヒ
一ヲ朝鮮ト云フ

此二國ノ人民モ古來亞細亞流ノ政敎風俗ニ養ハルヽヿ(=こと)
我日本國ニ異ナラズト雖ドモ
其人種ノ由來ヲ殊ニスルカ
但シハ同樣ノ政敎風俗中ニ居ナガラモ
遺傳教育ノ旨ニ同シカラザル所ノモノアル歟、
日支韓三國相對シ
支ト韓ト相似ルノ狀ハ
支韓ノ日ニ於ケルヨリモ近クシテ
此二國ノ者共ハ
一身ニ就キ
又一國ニ關シテ
改進ノ道ヲ知ラズ

・・(中略)・・

我日本國ノ一大不幸ト云フ可シ
左レバ今日ノ謀ヲ爲スニ
我國ハ隣國ノ開明ヲ待テ共ニ亞細亞ヲ興スノ猶豫アル可ラズ
寧ロ其伍ヲ脫シテ
西洋ノ文明國ト進退ヲ共ニシ
其支那朝鮮ニ接スルノ法モ隣國ナルガ故ニトテ特別ノ會釋ニ及バズ
正ニ西洋人ガ之ニ接スルノ風ニ從テ
處分ス可キノミ
惡友ヲ親シム者ハ共ニ惡名ヲ免カル可ラズ
我レハ心ニ於テ
亞細亞東方ノ惡友ヲ
謝絶スルモノナリ

明治18年(1885年)3月16日


初出:『時事新報』明治18年(1885年)3月16日
底本:『時事新報』明治18年(1885年)3月16日
所蔵:国立国会図書館新聞資料室

原文の全体は、http://ja.wikisource.org/wiki/%E8%84%B1%E4%BA%9C%E8%AB%96 で閲覧可能。



<関連サイト>

新・脱亜論 「内なる中国」と闘え(平野聡・東京大学大学院教授、文藝春秋 SPECIAL 2015秋、2015年09月09)
・・「日本が近代国家として台頭したこと自体が、国際社会における権力と知識の偏在に風穴を開け、非西洋世界にも多種多様な言論を巻き起こし、独立と自由を鼓舞したことも事実である・・(中略)・・戦前の日本は、外交秩序と文明観の両面において、中国的な「神政府」の発想=価値の独占を否定しようとして、その実いつの間にか、自らの成功物語に基づく新たな「天下」志向、明治体制に組み込まれた価値の独占志向=日本国体論にとらわれ、かつての中国文明と全く同じ陥穽に陥ったものと考える。戦後の日本の平和で自由な国家としての歩みが、そのような「内なる中国」を自省して距離を置くものであったと信じたい。」(平野聡)

(2015年9月9日 項目新設)


<ブログ内関連記事>

書評 『新 脱亜論』(渡辺利夫、文春新書、2008)-福澤諭吉の「脱亜論」から130年、いま東アジア情勢は「先祖返り」している


福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!

福澤諭吉の『文明論之概略』は、現代語訳でもいいから読むべき日本初の「文明論」だ


日清戦争が勃発してから120年(2014年7月25日)-「忘れられた戦争」についてはファクトベースの「情報武装」を!
・・『脱亜論』は日清戦争勃発の9年前に発表されている

梅棹忠夫の『文明の生態史観』は日本人必読の現代の古典である!

書評 『「東洋的専制主義」論の今日性-還ってきたウィットフォーゲル-』(湯浅赳男、新評論、2007)-奇しくも同じ1957年に梅棹忠夫とほぼ同じ結論に達したウィットフォーゲルの理論が重要だ

書評 『日本近代史の総括-日本人とユダヤ人、民族の地政学と精神分析-』(湯浅赳男、新評論、2000)-日本と日本人は近代世界をどう生きてきたか、生きていくべきか?
・・社会科学の分野では小室直樹と双璧をなすと、わたしが勝手に考えている湯浅赳男氏。この本は日本人必読書であると考えているが、文庫化されることがないのはじつに残念なことだ

書評 『日本文明圏の覚醒』(古田博司、筑摩書房、2010)-「日本文明」は「中華文明」とは根本的に異なる文明である

(2018年2月2日 情報追加)


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2013年7月10日水曜日

書評『オウム真理教の精神史 ― ロマン主義・全体主義・原理主義』(大田俊寛、春秋社、2011)―「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ



「1995年」とはなにか? なぜ「1995年」が時代の区切りとなっているのか?

1995年は阪神大震災、そしてサリン事件とたてつづけに日本をゆるがすような大事件が発生した年である。

関西では大地震などおこるはずがないと思い込んで油断していたところに虚をつかれ、そのわずか2カ月後に東京でおきたサリン事件という未曽有の毒ガステロ事件によって、日本だけでなく世界が震撼することになった。

1995年は日本にとっては分水嶺となった年である。「3-11」が発生した2011年から時間がたつにつれて、ますますその感を深くしている。

ハルマゲドンを計画していたオウム真理教だが、麻原彰晃を除く中核メンバーたちのほとんどが、1962年生まれのわたしの世代とほぼ重なることは否定できない事実である。

「1999年に世界は滅亡する」というオカルト的な「妄想」は、1973年に出版された『ノストラダムスの大予言』というベストセラーによって日本中に拡散することとなったが、その1973年は石油ショックの発生によって高度成長時代が終焉した年でもある。その当時、小学生であったわたしの世代にとって、その「妄想」は受け入れる受け入れないは別にして、ほぼ「常識」となっていたたのである。

いわゆる「終末論」的な空気のなかで育った小学生たちが成長し、そのきわめてごく一部がオウム真理教に吸収されていったのであるが、こうした時代の「空気」を無視しては理解できないことだろう。いまから考えればまったくもって荒唐無稽な話であるが・・・。

そしてこの「空気」は、学生運動が挫折した以降の日本でも浸透をはじめていたアメリカ西海岸を中心としたカウンター・カルチャー・ムーブメントとも重なり合うものであった。その担い手は1970年代に20歳代であった人たちが中心であった。

ヨーガなどの東洋思想は、伝統的な仏教からストレートに延長線上のものというよりも、むしろアメリカからの「逆輸入」によるものと考えたほうがいい。それは、総称して「ニューエージ運動」(New Age Movement)と呼ばれていたもので、米国西海岸のカリフォルニアから入ってきた。

アップルの創業者スティーブ・ジョブズなどは、まさにその渦中で青春を送った人物であることは、若き日のインド放浪や、禅仏教やインド思想への傾倒ぶりからもうかがい知ることができるだろう。ビートルズのメンバーたちもまた同様だ。

1980年代後半のバブルに狂奔した時代、しかしすべての人がバブルに酔っていたわけではないバブルという時代になんとなく違和感を感じていた人は、わたしもふくめて少なくなかったはずだ。そのなかでもごく一部がオウム真理教のなかに吸い込まれていったと考えるべきなのだ。

そして1960年代世代に影響を与えたのが、先行者である1950年代世代であった。


1950年代生まれの宗教学者たちに対する根源的批判

オウム真理教の主要メンバーたちは、わたしと同世代の1960年代生まれであったが、中沢新一や島田裕巳などオウム真理教にかかわった宗教学者たちはいずれも1950年代生まれであり、ちょうど一世代上にあたる。

その世代におけるマイノリティは、同じ世代のマジョリティには影響力がなくても、そのひとつ下の世代には影響を与えるという構図がある。これはマンガやアニメ作品でも同様だ。同世代ではなく一つ上の世代からの影響は、健全な批判精神が目覚めるまでは無意識レベルのものとして受容される。もちろん、すべての人間がそうだとは言わないが。

著者の大田俊寛氏は1974年生まれの気鋭の宗教学者。1960年代世代であるオウム世代より一回り下の世代にあたる。中沢新一からは二世代下の世代にあたる。ある意味では、1960年代世代に対しても、1950年世代に対しても、ともに距離感をもって相対的に対象化できるポジションにあるといっていい。

本書は、オウム真理教的なものを批判するよりもむしろそれに加担した1950年代世代の宗教学者たちへの根源的な批判である。

著者は1995年をどう体験したか個人史については直接は語っていないが、当時19歳であったということは大学一年か二年であったということであり、すくなからぬインパクトを受けていることは想像可能だ。宗教学を専攻するのいたった動機の一部もそこにあるのかもしれない。

ウム真理教とは「近代」が生み出した闇である「ロマン主義・全体主義・原理主義」という宗教・哲学・政治思想が、20世紀末の日本で「合体」したものであった。結論はすでにこの本の副題に言い尽くされている。


ロマン主義・全体主義・原理主義という近代精神の鬼子

近代が生んだ「啓蒙主義」が救い取れなかった「死」という問題。これを救いあげたのがロマン主義であり、全体主義、そして原理主義であった。そしてその終着点がオウム真理教であったわけだ。

この本はアタマから順番に読んでいくといい。いっけん遠回りに見えるかもしれないが、読んでいくうちに、ぞれぞれの思想がオウム真理教にいかなる影響を直接的または間接的に与えていったかが追跡できるようになっているからだ。

最終章の「第5章 オウム真理教の軌跡」は、ある意味では事実関係に即しながらの「おさらい」となっている。答えはすでに出ているから、応用編といってもいいかもしれない。

本書を読んでいてつよく印象を受けるのは、ロマン主義・全体主義・原理主義という思想を生みだした地である西欧とアメリカとの違いである。

まずは、『オウム真理教の精神史』の帯文のウラに引用されたヒトラーの『わが闘争』の文章を見ておこう。

天地創造は終わっていない。少なくとも人間という生物に関するかぎり終わっていない。人間は超克されねばならぬものである。人間が神になる。人間は生成途上の神である。人間は自己の限界を乗り越えるべく、永遠に努力しなければならない。立ちどまり閉じこもれば、衰退して、人間の限界下に落ちてしまう。半獣となる。神々と獣たち。世界の前途は今日、そのようなものとしてわれわれの行く手にあるのだ

ナチスの思想に表明された思想は、まさにオカルトそのものである。これはヒトラーが第一次大戦から復員し、政治運動に目覚めてドイツのミュンヘンで一揆をおこし、逮捕された獄中で口述筆記した文章の一部である。

「近代の闇」が生み出したロマン主義・全体主義・原理主義という思想は、第二次大戦の惨禍だけではなく、ユダヤ人虐殺という形でぬぐいきれない汚点をヨーロッパ史に残した。このためヨーロッパではいまでもロマン主義・全体主義・原理主義という思想には警戒感がつよい

しかしながら、戦勝国であったアメリカでは逆に免疫がなかったためであろう、能天気なことにロマン主義・全体主義・原理主義という思想は「ニューエイジ」という思想に流れ込み、ひいては敗戦によってアメリカの影響を多大に受けてきた日本にも1970年代以降に流れ込んできたことはすでに見たとおりだ。

しかも、日本では「前近代的」な要素とアメリカ由来の「ニューエイジ」が合体した結果、「精神世界」という一分野ができあがることになる。そしてその延長線上にオウム真理教が位置づけられるというのが著者の結論だ。

オウム真理教なる現象がけっして日本仏教の内部から出てきたものではなく、むしろ近代思想の鬼子の終着点として形成されたという認識をもたなくてはならないのだ。

もちろん、それによって日本の仏教界が免責されるものではない。


■「近代」の鬼子であるロマン主義・全体主義・原理主義はその生命を終えたのか?

1991年にソ連は崩壊したが、ソ連はフランス革命をもたらした「啓蒙主義」の延長線上にあった人工国家であった。ソ連の崩壊は、「啓蒙主義」の死と捉えることも不可能ではあるまい。

はたして1995年のオウム真理教事件は「啓蒙主義」が生み出した鬼子である「ロマン主義・全体主義・原理主義」の死であったのだろうか?

いや、近代が生んだ「啓蒙主義」の申し子であるアメリカはまだまだ生きている。そのアメリカでは啓蒙主義の裏面で、近代の闇であるロマン主義・全体主義・原理主義は生き続けているのではないか? 

また、オウム真理教を生み出した日本だが、いまいかなる状況にあるといっていいのだろうか?

この本を読んでいて思ったのは、グローバリズムという大きな「不安」におびえる日本人は、そこにある種の「終末論」を感じているのではないかという疑問だ。

これからは英語ができないと生きていけないなどグローバリズムに乗っかってそれをあおる側も、あおられて不安と恐怖を感じている側も、いまだ「終末論」の枠組みで物語を語っているように思えてならないのだ。グローバル社会のなかで日本が消滅してしまうという終末論である。

グローバリズムによってフラット化し、「新自由主義」によって個人としてバラバラになってしまった日本人だが、2011年の「3-11」以降は「つながり」や「きづな」を求めてコミュニティを再編集するる方向も始まっている。「ロマン主義・全体主義・原理主義」によらない生き方への模索、そしてその芽はすでに生まれているととポジティブに捉えるべきかもしれない。もちろん、オカルト的発想が消えてなくなるとは思えないが。

本書が出版されたのは奥付によれば2011年3月20日とある。「3-11」の直後であるが、じっさいにはその時点では印刷は終わり配本も行われていたことだろう。「3-11」以後について、1974年生まれ世代の著者がどう捉えているのかぜひ知りたいところである。

本書は、宗教学や思想史についてある程度の基本的な知識をもっている人であれば復習をかねながら読んでいけるし、そうではない場合も懇切丁寧な説明がなされているので、アタマから順番に読んでいけば十分に理解できるように書かれている。

「アフター1995」に生きるわれわれは、逃げることなく「1995年」の意味について考え続けなくてはならないのだ。


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目 次

序章

  一九九五年を振り返って
  オウムに関する元信者の著作
  オウムに関するジャーナリストの著作
  オウムに関する学問的著作
  近代宗教としてのオウムについて考えるために

第1章 近代における「宗教」の位置

 1. そもそも「宗教」とは何か
  「つながり」を生きる人間
  虚構の人格-宗教の変遷
 2.キリスト教共同体の成立と崩壊
  「キリストの身体」の分有
  教皇主権から宗教改革へ
 3.近代の主権国家と政教分離
  王権神授説から社会契約論へ
  ホッブズの『リヴァイアサン』
  ルソーの『社会契約論』
  国家主権と政教分離-いくつかの問題点

第2章 ロマン主義-闇に潜む「本当のわたし」

 1.ロマン主義とは何か
  啓蒙主義-近代思想の二つの潮流(1)
  ロマン主義-近代思想の二つの潮流(2)
  社会の巨大化・流動化・複雑化
 2.ロマン主義の宗教論
  シュライアマハーの『宗教論』
  『宗教論』とオウムの教義の共通性
 3.宗教心理学
  ジェイムズの『宗教的経験の諸相』
  ユングによる「自己」の心理学
 4.神智学
  ブラヴァツキー夫人と神智学
  神智学の宇宙論・身体論・転生論
  不死の超人
 5.ニューエイジ思想
  ニューエイジ思想とは何か
  トランスパーソナル心理学
  ドラッグ神秘主義
  インドの導師たち
 6.日本の精神世界論におけるヨーガと密教
  本山博の超心理学
  桐山靖雄の阿含宗
  中沢新一のチベット密教研究

第3章 全体主義-超人とユートピア

 1.全体主義とは何か
  アーレントの『全体主義の起原』
  全体主義的体制の特色
 2.カリスマについての諸理論
  メスメリズム
  ニーチェの超人思想
  ウェーバーのカリスマ論
  群衆心理学
  精神分析のパラノイア論
  カリスマと群衆の交感
 3.ナチズムの世界観
  ヒトラーの『わが闘争』
  ユダヤ=フリーメーソン陰謀論-『シオンの賢者の議定書』
  アーリア人種論-人間とは生成途上の神である
  強制収容所と「生命の泉」
 4.洗脳の楽園
  グルジェフの「ワーク」
  ヤマギシ会の農業ユートピア
  孤独に耐えるか、全体に没入するか

第4章 原理主義-終末への恐怖と欲望

 1.原理主義とは何か
  「原理主義」概念の起源とその一般化
  近代に原理主義が興隆する理由
 2.アメリカのキリスト教原理主義
  ハル・リンゼイの『今は亡き大いなる地球』
  ブランチ・ダビディアン
 3.日本のキリスト教原理主義
  中田重治の日ユ同祖論
  酒井勝軍と竹内文書
  宇野正美のユダヤ陰謀論
  武田崇元の霊学的終末論
 4.ノストラダムスの終末論
  五島勉の『ノストラダムスの大予言』
  川尻徹の『滅亡のシナリオ』 

第5章 オウム真理教の軌跡

 1.教団の設立まで
  松本智津夫の生い立ち-あらかじめ奪われた光
  宗教遍歴の時期
 2.初期のオウム教団
  『トワイライトゾーン』のインタビュー
  神仙民族とヒヒイロカネ
  『超能力「秘密の開発法」』
  『生死を超える』
 3.オウム真理教の成立と拡大
  オウム真理教への改称
  『イニシエーション』
  日本シャンバラ化計画
  どのような人がオウムに入信したか
  出家修行の実態
 4.「ヴァジラヤーナ」の開始
  真島事件と田口修二殺害事件
  終末論の進化
  坂本弁護士一家殺害事件
 5.国家との抗争
  衆院選の敗北
  ボツリヌス菌散布計画と石垣島セミナー
  シャンバラ国の建設-波野村と上九一色村
  ロシア進出と本格的武装化
  「洗脳」と「脱洗脳」の相克
  省庁制と真理国基本律
  サリンの開発と散布
  11月→戦争
 6.オウムとは何だったのか
  「人は死ぬ、必ず死ぬ、絶対死ぬ」
  日本の問題
 
おわりに
主要参考文献
索引


著者プロフィール

大田俊寛(おおた・としひろ)
1974年生。専攻は宗教学。一橋大学社会学部卒業、東京大学大学院人文社会系研究科基礎文化研究専攻宗教学宗教史学専門分野博士課程修了。博士(文学)。現在、埼玉大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。

<関連サイト>

オウム事件から「何も学ばなかった」日本の学者たち-宗教学者・大田俊寛氏インタビュー(BLOGOS編集部  2012年07月11日)

アニメ 『バビル二世』(1973年) (YouTube)
・・私より世代が下の大田俊寛氏は触れていないが、1962年生まれのわたしと同じ世代が12歳の頃、熱狂的にはまっていたTVアニメが『バビル二世』だ。とくにED(エンディング)のテーマ曲の歌詞がすごい! まさに1973年なわけだ。歌はアニキこと水木一郎の絶唱!


The “Mind Control Fantasy” in Japan After Aum Shinrikyo. (1~5)
オウム事件後の日本における「マインド・コントロール幻想」

1.オウム真理教の学術的研究

2.MKウルトラとその影響

3.オウムが抱いた「マインド・コントロール」の夢

4.反カルト運動

5. ディプログラミングに対する誤解


Toshihiro Ota profile
A Japanese scholar reflects on the strange success in Japan of discredited theories about “brainwashing” allegedly practiced by “cults.” by Toshihiro Ota* 

*A paper presented at the symposium organized by the Institut français de recherche sur l’Asie de l’Est (IFRAE) in Paris, March 20, 2025, “L’héritage de l’affaire Aum à la société japonaise: 30 ans après les attentats au gaz sarin du métro de Tokyo.” 




(2025年9月24、26日 情報追加)


<ブログ内関連記事>

書評 『現代オカルトの根源-霊性進化論の光と闇-』(大田俊寛、ちくま新書、2013)-宗教と科学とのあいだの亀裂を埋めつづけてきた「妄想の系譜」 ・・『オウム真理教の精神史』と重なる部分もあるが、戦後日本のサブカルチャーに英米オカルティズムが与えた深い影響を知ることができる好著

書評 『スイス探訪-したたかなスイス人のしなやかな生き方-』(國松孝次、角川文庫、2006 単行本初版 2003)
・・「サリン事件」当日のわたし自身の経験については<付記>に記してある


「高度成長」後=「近代の終焉」後の日本社会

マンガ 『レッド 1969~1972』(山本直樹、講談社、2007~2014年現在継続中)で読む、挫折期の「運動体組織」における「個と組織」のコンフリクト
・・閉鎖的組織が生み出す悲劇はカルトに共通する

書評 『ゼロ年代の想像力』(宇野常寛、ハヤカワ文庫、2010 単行本初版 2008)-「アフター1995」の世界を知るために

書評 『現代日本の転機-「自由」と「安定」のジレンマ-』(高原基彰、NHKブックス、2009)-冷静に現実をみつめるために必要な、社会学者が整理したこの30数年間の日本現代史


大田俊寛氏が批判する先行世代の宗教学者たち

書評 『アースダイバー』(中沢新一、講談社、2005)-東京という土地の歴史を縄文時代からの堆積として重層的に読み解く試み

書評 『緑の資本論』(中沢新一、ちくま学芸文庫、2009)-イスラーム経済思想の宗教的バックグラウンドに見いだした『緑の資本論』

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む


宗教なき時代である近代と宗教の関係

・・ただし佐藤優の「近代」認識には問題がある。彼の理解はあくまでもプロテスタント神学のものであり、日本の現実にあてはまめるには無理があることに留意する必要がある。わたしは、特定の宗教の立場にはない大田俊寛氏の理解のほうがはるかに腑に落ちるものがあると考える

『「経済人」の終わり』(ドラッカー、原著 1939)は、「近代」の行き詰まりが生み出した「全体主義の起源」を「社会生態学」の立場から分析した社会科学の古典
・・「第4章の「キリスト教の失敗」については、全体のなかではちょっと異質な感じのする章である。背景となる文脈はいまひとつ読みにくいということがある。・・(中略)・・知的エリートたちが「経済人」モデルの問題点を解決するためにキリスト教倫理に戻ってきたのに対し、一般大衆は慣習以上の関心をキリスト教に対しては抱いていなかったということが指摘されているのだ。つまり、キリスト教はすでにヨーロッパにおいて熱情を失っていたことであり、そのために宗教的な熱情をともなう「全体主義」に引き寄せられたという分析だ」 本書とあわせて読んでおきたい名著

書評 『ドアの向こうのカルト-九歳から三五歳まで過ごした、エホバの証人の記録-』(佐藤典雅、河出書房新社、2013)-閉鎖的な小集団で過ごした25年の人生とその決別の記録


■キリスト教と進化論

書評 『神父と頭蓋骨-北京原人を発見した「異端者」と進化論の発展-』(アミール・アクゼル、林 大訳、早川書房、2010)-科学と信仰の両立をを生涯かけて追求した、科学者でかつイエズス会士の生涯
・・古生物学者で北京原人の発見者の一人でもあったイエズス会司祭は、キリスト教と進化論を融合させた思想ゆえにバチカンから破門された


東洋思想の世界的影響拡大


合気道・道歌-『合気神髄』より抜粋

(2014年6月18日、8月14日、2015年7月25日、2017年8月31日 情報追加&再編集)


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