先日のことだが、『老人の美しい死について』(朝倉喬司、作品社、2009)という本を読んだ。『「現代思潮社」という閃光』でその存在を知った本だ。
帯にあるように、「人生の終末に、あえて自ら死を選んだ三人の老人-市川団蔵8世(歌舞伎役者・享年84歳)、木村セン(農婦・享年64歳)、岡崎次郎(マルクス学者・享年79歳)」の人生の始末の付け方を描いた作品である。同一テーマを軸にした評伝集といっていいのかもしれない。
帯にはさらにこうある。「自らの仕事を "天職" と心得て、心に秘めた強い意志をもって生き抜かれた果ての自死。明治人の "美しき生と死" を通して、現在のあり方を問う。」。
これ以上、くだくだ書き加える必要はないだろう。 市川団蔵8世は鳴門海峡に身を投じ、無名の農婦の木村センは自宅で首をくくり、岡崎次郎は夫婦で旅に出てそのまま行方不明のまま現在に至っている。
とりあげられた3人のうち、私が知っていた名前は、かろうじて岡崎次郎くらいだ。『資本論』の翻訳を天職として、よみやすい翻訳にするために一生をかけて3度訳し直した学者である。
自分の人生は自分で「始末」するという思想とその実践。そして、それは美意識の問題でもある。
倫理は「真善美」の三要素で構成されるが、「美しい」ということは、日本人にとっては、もっとも重要な倫理である。「美意識」は生き方の問題でもある。美しくあるためには、キレイでなくてはならない。清浄にもつながる意識である。
取り上げられた3人には、「自死」を選んで実行した明治生まれの日本人という以外に、なんら共通点はない。 生きづらさに命を絶った青少年の「自殺」ではない。志破れた果ての「自決」でもない。人生の終末にいたってのそれは「自死」というべきなのである。
著者はまったく言及していないが、私の愛読書でもある、フランス人思想家モーリス・パンゲの『自死の日本史』という名著を想起する。パンゲ氏は「自死」をフランス語で la mort volontaire としている。「意志による死」という意味だ。
元新左翼の活動家でノンフィクション作家の著者は、この本を書いた時点で66歳。ネットで調べたら、その翌年に67歳で亡くなっている。自宅で亡くなっているのが発見されたという。多作の人であったようだが、この本が最後の本というわけではないようだ。
私自身については、いますぐ死ぬということはなさそうだが(・・といっても、これだけは自分でコントロールできるものではない)、どういう形で人生に「始末」をつけるかについては考えておきたいものである。それは「自死」ではなくとも、「意志」の問題であることに変わりはない。
誰の発言が記憶に定かではないが、「よく死ぬことは、よく生きること」であるのだから。
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