昨夜(2026年1月2日)の雪が積もって路面凍結状態。この状態では遠出はしたくないな。ということで、今年も初詣は近所の「高根神明社」に。
初詣はどこでも祈っても問題はない。どの神社だろうが仏閣だろうが、究極的には一つの絶対者につながっているから。アドヴァイタ(不二一元論)である。
けさの神明社は、祭礼以外はいつでもそうだが、参拝客はほとんどいないので、静かなのがいい。人混みは嫌いだ。
(神明社の本殿)
現在では宅地開発されているが、江戸時代は幕府の直轄領だった土地。旗本たちによって分有されていた土地で、年貢の取り立ては代官が庄屋から行っていた。
その昔の平安時代には、伊勢神宮に寄進された御厨(みくりや)であった。荘園の境界領域に設置されたのが神明社。現在の社殿はあたらしいが、歴史は古そうだ。
現代にまでつづく江戸時代の庶民信仰を反映しているのだろう、境内には「富士塚」があり、その周りには「出羽三山」(=月山/湯殿山/羽黒山)参拝を記念する石碑や、「庚申講」の石碑が並んでいる。明治維新以前の神仏習合のなごりだな。
(出羽三山参拝記念碑)
神明社前の坂を下っていくと「馬頭観音」の石碑がある。馬頭観音は馬頭観世音の略称。馬頭の形をした観音様。幕府直轄の「牧」の近くだけに、この地域は馬とのかかわりが深い。近くには乗馬センターもある。
(馬頭観音の石碑群)
さらに、そのはるか昔、大陸から馬が導入されるはるか以前、それは稲作以前の狩猟採集時代のことであるが、船橋市初の国指定史跡となった「取掛西貝塚」がある。
(取掛西貝塚)
「縄文海進時代」には水位が高かったので、縄文遺跡はすべて高台の上にある。船橋市は高低差の大きな土地であり、いわば水のないリアス海岸のようなのだ。
(取掛西貝塚から崖下を眺める)
しかも、縄文遺跡はし太陽が昇る方向を向いている。太陽信仰が発生してくるわけだ。船橋大神宮の通称で知られる意富比神社は、太陽神であるアマテラスを祀る伊勢神宮の系列であるが、もともとは地場の太陽信仰を核にした神社であったらしい。
(取掛西貝塚に向かって坂を登る)
というわけで、初詣を兼ねて超高速の時間旅行を楽しんだ次第。
名所旧跡などない皆無の地域だが、深掘りすればなかなか面白い。歴史の重層性を感じるには、どんな土地であっても近場を散歩するだけで十分だ。遠出する必要などないのである。
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