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2016年9月20日火曜日

いちじく(無花果)はナマよりもドライフルーツがいい

(農家で栽培されているいちじく 筆者撮影)


秋は「いちじく」の季節である。大きな生いちじくが、パックに入って店頭に並んでいるのを目にする季節である。 

干しいちじくは大好きなのだが、生いちじくは子どもの頃から苦手だ。自宅にいちじくの木があったので食べてみたことはあるが、どうも好きになれなかった。生いちじくの食感があまり好きではないし、匂いもあまり好きではない

この生いちじくを大好きな動物がいる。それはスズメバチだ。いちじくが熟れてくると、なぜか大きなスズメバチが現れる。果実をむさぼるように食べている。じつに危険きわまりない。

いちじくは漢字で無花果と書く。その意味は何かというと、花が咲かないのに実がなるように見えるからだ。簡単にいってしまえば、いちじくの果実のなかに花があり、それがだんだんと肥大化していって熟れる、ということになる。

古代インドのブッダのコトバにはこうある。 「5 無花果(いちじく)の樹の林の中に花を探し求めて得られないように、諸々の生存状態のうちに堅固なものを見いださない修行者は、この世とかの世とをともに捨て去る。──蛇が脱皮して旧い皮を捨て去るようなものである。(『スッタニパーダ』 蛇の章 より

いちじくの花は実のなかにあるのだから、探したってみつかるはずがない。




いちじくの果実の形は●●に似ている。いや、●●がいちじくの形ににているから、そういうネーミングの商品となったのであろう。どう考えても、その商品のほうが時代は新しいはずだ。

いちじくといえば、葉っぱもまた独特の形である。いちじくの葉っぱをもぎると、茎から白い乳液がでてくる。匂いも甘い。

「いちじくの葉っぱで隠す」というフレーズは子どもでも知っているだろう。これは旧約聖書にもさかのぼるものだ。アダムとイブである。知恵のリンゴを食べた男女は、裸を恥ずかしいと感じるようになり、というお話だ。

このようにいちじくは、古代からの栽培植物である。原産地はアラビア半島南部だという。

中学生の頃、古代ギリシアにはまっていたことがある。ギリシア神話から始まり、岩波文庫に収録されていたヘロドトスの『歴史』や、ギリシア悲劇やギリシア喜劇など読んでいたが、アリストパネスの喜劇のなかに、干しいちじくが何度も登場することに強い印象を受けた。保存がきき、持ち運びもできる。いちじくは生だけではなく、干した状態でも食べるのか、と。


(トルコ産の干しいちじく)


当時は日本で販売されているドライフルーツといえば、昔からある干し柿は別にして、カリフォルニア・レーズンが中心で、たまに国産の干しリンゴや干しスモモを目にするくらいだったろうか。40年くらい前(?)には、干しいちじくは日本で見たことはなかったし、食べたこともなかった

生まれてはじめて干しいちじくを食べたのは、カリフォルニアのサンフランシスコである。27歳のときだった。店頭で見つけて購入しさっそく食べてみたら、これがじつにうまかった! 甘みが凝縮されていて歯ごたえもいいそれ以来、ドライフルーツとしての干しいちじくは好物である。現在の日本では、もっぱらトルコ産の干しいちじくが流通している。

干しいちじくで赤ワインを飲む。これは密かな楽しみなのだ。




<関連サイト>

高血圧・動脈硬化にも効果?イチジクとワインの合せ技が凄かった (MAG2NEWS、ライフ2016年9月30日)

(2016年10月7日 項目新設)


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はじけるザクロ-イラン原産のザクロは東に西に

『ブッダのことば(スッタニパータ)』は「蛇の章」から始まる-蛇は仏教にとっての守り神なのだ

「無憂」という事-バンコクの「アソーク」という駅名からインドと仏教を「引き出し」てみる


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2016年2月11日木曜日

書評『私はガス室の「特殊任務」をしていた-知られざるアウシュヴィッツの悪夢-』(シュロモ・ヴェネツィア、鳥取絹子訳、河出書房新社、2008)-体験者のみが語ることのできる第一級の貴重な証言


先日(2016年1月28日)、日本で公開された映画『サウルの息子』(2015年、ハンガリー・ドイツ)を見たことをキッカケに、買ったまま読んでいなかった『私はガス室の「特殊任務」をしていた-知られざるアウシュヴィッツの悪夢-』をはじめて通読してみることにした。原作とはされていないが、おそらく監督はこの本も参照しているに違いないと思ったからだ。

著者は、ギリシアのテッサロニキ居住のユダヤ系コミュニティに暮らしていたイタリア系ユダヤ人。第二次大戦中にギリシアがドイツによって占領されたのち、強制労働を強いられたのち集団でアウシュヴィッツに送られることになった。

この本は、絶滅収容所を生き残った著者が、解放から52年後にインタビューで語ったなまなましい証言の記録である。原著はフランスで2007年に出版された Sonderkommando : Dans l'enfer des chambres à gaz(=『ゾンダーコマンド:ガス室地獄のなかで』)である。

この本が他のアウシュヴィッツ体験本と違うのは、著者が「特殊任務」についていたことにある。「特殊任務」とは、ドイツ語のゾンダーコマンド(Sonderkommando)のことである。映画でもハンガリー系ユダヤ人以外にもギリシア系ユダヤ人の「特殊任務」が登場するが、当時まだ25歳の著者もまたその一人だったのだ。

読み始めてから、はじめてこの本のもつ重要性に気がついた。アウシュヴィッツ絶滅収容所の体験記は数々あるが、「特殊任務」体験者のものを読んだことはなかったからだ。

映画 『サウルの息子』(2015年、ハンガリー・ドイツ)を見てきた(2016年1月28日)-絶滅収容所でゾンダーコマンド(=特殊任務)を遂行していたハンガリー系ユダヤ人の「人間性」を維持するための戦いは・・・ に書いておいたことをここに繰り返しておこう。映画に登場する「特殊任務」を文字化したものだ。

特殊任務の内容とは、収容所のナチス親衛隊SS将校たちの指揮のもと、同胞のユダヤ人たちをガス室に送り込み、遺体を焼却炉で焼き、遺灰を川に捨てるという作業である。断末魔の苦しみの声を聞き、死臭を嗅ぎ、所持品を奪い取るという、きわめて非人間的な行為である。収容所のドイツ人は自ら手を汚さずに、汚れ仕事をユダヤ人に押し付けていたのだ。

だが、映画に描かれていたものは、じっさいの「特殊任務」のリアルをすべて再現したものではないことが本書を読むとわかるのである。あまりものおぞましさに、あえて映像化していないものがあるのだ。映像化をためらったというべきだろう。

著者の証言から引用していおこう。

これはいままで一度も話したことがありません。本当に重くて悲しい話なので、ガス室で見たことを話すのは辛くて仕方がない。人体組織の抵抗力で目が眼窩(がんか)から飛び出した人もいました。身体じゅう出血している人もいれば、自分や他人の排泄物で汚れている人もいました。恐怖とガスの効力で、犠牲者は身体の中のものを全部排出することが多いのです。なかには全体が赤くなった身体もあれば、真っ青なものもあって、みんな違っていました。でも、みんな苦しんで死んでいました。普通の人はガスが注入されて、はい終わりと考えるでしょう。でも、なんという死か!・・・・・・」(P.102)

映像のチカラを借りなくてもイマジネーションできるはずだろう。あまりにもリアルな証言が、これでもかこれでもかと続いている。

さらには、女性の死体から髪の毛を切り取り、死体のクチをこじあけて金歯・義歯を抜くこともまで「特殊任務」のユダヤ人たちがやらさていたことも証言されている。ガス殺以外の汚れ仕事はすべては「特殊任務」が行う仕事だったのである。

おなじく「特殊任務」についていたフランス系ユダヤ人の画家ダヴィッド・オレールが解放後に描いたデッサン画が多数挿入されているが、写真以上のリアリティを感じさせるものがある。

「特殊任務」についていたユダヤ人たちも抹殺される運命にあったのだが、収容所での反乱などがキッカケとなり焼却棟が解体されることになる。そのおかげで、著者もまた奇跡的に生き残ることできた。

そんな著者がようやく語ることができるようになったのは解放から47年たった1992年になってからのことだという。イタリアでも反ユダヤ主義が増えてきたことに危機感をもったからだ。

本書には、著者みずから体験したこと、自分の目で見たこと以外は語られていない。隠蔽も誇張もないリアルな証言である。その意味では第一級の証言である。想像を越えた悲惨な状況をあえて語ることにした著者の勇気と、証言を引き出したインタビュアーには敬意を表したい。



ドイツ占領下のギリシアから強制収容所に送られたユダヤ人

著者はギリシア在住のイタリア系ユダヤ人であった。1492年のスペイン追放で難民となり、イタリアを経てギリシアに定住することになったユダヤ人の末裔である。

移住当時のギリシアはオスマン・トルコ帝国領であったが、同時代の欧州とは違って、トルコは異教徒にも寛容な帝国であった。

独立後のギリシアが第二次大戦中にドイツに占領されたことは、ギリシア国民にとっては大きな災難であったが、とりわけユダヤ人にとっては過酷なものとなったのである。スペイン追放から約450年後には、はるかに上回るスケールの迫害の犠牲者となったからだ。

ギリシア系ユダヤ人はスペインから移住したこともあってスペイン語方言のラディーノ語を母語として使用していた。著者自身はギリシア語も話していたようだが、母親はギリシアにいながらギリシア語は解しなかったようだ。

映画『サウルの息子』の主人公はハンガリー系ユダヤ人だが、おなじユダヤ人といってもハンガリー系とギリシア系とのあいだでは、日常的に使用する言語が違うので意思疎通は容易ではなかったようだ。著者は収容所に入れられてからドイツ語を覚えたという。かつてオーストリア=ハンガリー二重帝国であったハンガリーではドイツ語も使用されていた。

そんなことも、著者の証言から知ることができることも付記しておこう。そういったディテールにかんする証言もまた、本書のリアリティを高めている。

 


目 次

序文 シモーヌ・ヴェイユ(ショアー記念財団会長)
本書によせて ベアトリス・プラスキエ(インタビュアー)

まえがき
第1章 収容前-ギリシャでの生活
第2章 アウシュヴィッツでの最初の一か月
第3章 特殊任務部隊-焼却棟
第4章 特殊任務部隊-ガス室
第5章 反乱と焼却棟の解体
第6章 強制収容所-マウトハウゼン、メルク、エーベンゼー

歴史のノート-ショアー、アウシュヴィッツ、そして特殊任務部隊(マルチェッロ・ペゼッティ)
ギリシャのイタリア系ユダヤ人-大失策の小史(ウンベルト・ジェンティローニ)
ダヴィッド・オレールについて
訳者あとがき



著者プロフィール

シェロモ・ヴェネツィア(Shlomo Venezia)
1923年、ギリシャのテッサロニキ生まれのイタリア系ユダヤ人。21歳のときにアウシュヴィッツ=ビルケナウに強制収容され、特殊任務部隊で同胞の遺体処理という地獄の体験をする。本来なら収容所解放前に抹殺される運命だったが、奇跡的に逃れて生き延びた数少ない生存者のひとり。1992年からこの惨劇を広く伝えるために講演活動を始め、現地へも研究者や政治家などとともに50回近く訪れている。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)

翻訳者プロフィール

鳥取絹子(とっとり・きぬこ)
1947年、富山県生まれ。フランス語翻訳家、ジャーナリスト。お茶の水女子大学卒業。翻訳書多数。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<ブログ内関連記事>

映画 『サウルの息子』(2015年、ハンガリー・ドイツ)を見てきた(2016年1月28日)-絶滅収容所でゾンダーコマンド(=特殊任務)を遂行していたハンガリー系ユダヤ人の「人間性」を維持するための戦いは・・・

書評 『プリーモ・レーヴィ-アウシュヴィッツを考えぬいた作家-』(竹山博英、言叢社、2011)-トリーノに生まれ育ち、そこで死んだユダヤ系作家の生涯を日本語訳者がたどった評伝
・・イタリア系ユダヤ人でアウシュヴィッツ生き残りの作家は、最後は自殺してしまう

書評 『毒ガス開発の父ハーバー-愛国心を裏切られた科学者-』(宮田親平、朝日選書、2007)-平時には「窒素空中固定法」で、戦時には「毒ガス」開発で「祖国」ドイツに貢献したユダヤ系科学者の栄光と悲劇
・・「(ハーバーの)没後のことであるが、みずから開発した農薬の殺虫剤チクロンBが、ナチスの絶滅収容所において同胞のユダヤ人の命を抹殺することに使用されるとは、よもや想像だにしなかったであろう。」

鎮魂!「日航機墜落事故」から26年 (2011年8月12日)-関連本三冊であらためて振り返る
・・「『墜落遺体-御巣鷹山の日航機123便-』(飯塚訓、講談社+α文庫、2001 単行本初版 1998)は、事件調査の立場から行われた警察による「遺体確認」の記録である。事故で亡くなったのは520人、しかし墜落事故による遺体はバラバラの断片になってしまったものも多い。 大規模事故における危機管理、真夏の猛暑日の連続のなかでおこなわれた遺体収容作業と遺体確認作業のすさまじい日々・・」  自然死や事故死とは違うのがアウシュヴィッツのガス室から引き出される遺体。死体そのものはまさにモノであるが・・・。

書評 『猟奇博物館へようこそ-西洋近代の暗部をめぐる旅-』(加賀野井秀一、白水社、2012)-猟奇なオブジェの数々は「近代科学」が切り落としていった痕跡 
・・「フランス革命もその渦中においては、さまざまな猟奇的副産物(!)を生み出していることに留意しなくてはならない。蝋人形館で有名なマダム・タッソーは、マリー・アントワネットをはじめギロチンで斬首された人々の血のしたたる生首から、蝋(ワックス)で型どりして蝋人形をつくっていた女性なのである!」

書評 『物語 近現代ギリシャの歴史-独立戦争からユーロ危機まで-』(村田奈々子、中公新書、2012)-日本人による日本人のための近現代ギリシア史という「物語」=「歴史」
・・「バルカン半島の先端に位置し、ヨーロッパ大陸とアジア大陸の接点に位置するという地政学上の重要性が、この小国の運命をつねに翻弄してきたギリシア」。第二次大戦中のドイツによる占領についても扱われている。


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2013年2月28日木曜日

エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた(2013年2月26日)― これほどの規模の回顧展は日本ではしばらく開催されることはないだろう



エル・グレコ展(東京都美術館)にいってきた。文字通り、国内最大の規模のエル・グレコ展である。今回は大阪についで東京で開催される。今回のエル・グレコ展は、没後400年を記念したものだ。

かつて、東京で開催されたエル・グレコ展に行ったが、それからどれくらいの時間がたっただろうか。正確な日付がわからないが、じつにひさびさである。この規模の回顧展は、今後も最低10年以上は日本で開催されることはないだろう。

わたしはカトリックでもキリスト教徒ではないのだが、なぜかエル・グレコは好きで、むかしからいろいろ見てきた。倉敷の大原美術館は3回、エル・グレコが「終の棲家」と決めたスペインのトレドには1991年に1回、マドリーのプラド美術館は1991年と1999年に2回訪れてエル・グレコ作品を堪能してきた。

うねるような大胆でダイナミックな構図、光と影の巧みな処理、宗教画でありばがら官能的でもあるマリア像・・・。カトリックやキリスト教徒ではなくても、圧倒的な迫力に魅せられるのは、宗教画の域を超えて美術作品として絶対的なものがあるからだろう。




日本人の多くがスペイン的だと思っている「光と影のコントラスト」もエル・グレコの特徴である。ベラスケス、ゴヤとつづいてゆくものだが、エルグレコはスペイン人として生まれたのではない。ギリシア人としてクレタ島に生まれた人である。

本名はドメニコス・テオトコプーロスという。いかにもギリシア人といった名前である。日本人にとってはじつに覚えにくい名前だ。わたしもすぐに忘れてしまう。

これはスペイン人も同じだったのだろう。エル・グレコはスペイン語で「ギリシア人」という意味だ。定冠詞の el をつけることによって「そのギリシア人」と特定の人を指す。英語でいえば The Greek である。『その男ゾルバ』(1964年)という映画があるが、英語のタイトルは Zorba the Greek である。当時のスペインでは、エル・グレコ(=ギリシア人)といえば、かの有名な画家のことを意味するほど有名だったということだろう。



エル・グレコの時代は地中海の覇者スペインの絶頂期であった

エル・グレコ(1541~1614)が活躍したのは1600年前後、大航海時代にあたる。第一次グローバリゼーションの字時代である。スペインはドンキホーテの作者セルバンテスの時代、英国のシャイクスピアの時代である。日本でいえば、まさに戦国時代末期、信長・秀吉・家康の時代である。

1492年に完結したレコンキスタによってイスラーム教徒、そしてユダヤ人が追放されて「純化」(・・現在風にいえばエスニック・クレンジングとなる)されてからのスペインは絶頂期を迎えることにあんる。

そして、16世紀初頭にドイツではじまった「宗教改革」に対抗するカトリック勢力の一大中心地として
「対抗宗教改革」(Counter-Reformation)を推進したのもまたスペインであった。1545年のトリエント公会議において、カトリックの伝統的な信心である贖宥、巡礼、聖人や聖遺物への崇敬、聖母マリアへの信心などが霊的に意味のあるものとして再び認めらたことが、エルグレコの宗教画の背景にあることをまずは押さえておきたい。美術史的にいえばバロック、そしてマニエリスムの時代である。

この時代はまた、スペインのハプスブルク家統治下の地域においては、厳しい異端審問が実行された時代でもある。フェリペ二世時代の統治下で絶頂期であったが、ユダヤ人追放による悪影響は知らず知らずのうちにスペインをむしばんでいた。絶頂期はまた衰退期のはじまりでもあるのだ。

20世紀最高の歴史家といわれるフェルナン・ブローデルの大著 『地中海』 の正式タイトルは 『フェリペ二世時代の地中海と地中海時代』 という。それはエル・グレコの時代でもある。


(16世紀半ばの地中海世界 右からクレタ島⇒ヴェネツィア⇒ローマ⇒スペイン)


さきにも書いたようにエル・グレコはギリシア人である。クレタ島はいまではギリシアであるが、当時はヴェネツィア共和国の統治下にあった。ヴェネツィアとトルコの中間地点にあるクレタ島は交通の要衝としてヴェネツィア共和国にとっては死活的な意味をもっていたのである。

わたしは1992年にクレタ島を訪れたことがあるが、北はギリシア、南はエジプトを結ぶ交通の要衝として古代から独特のポジションを占めていたことにも注目しておきたい。ギリシアといっても、北部の山岳地帯とは違う、地中海のなかに位置する多文化の交差点なのである。

そんなクレタ島に生まれ、ヴェネツィア、ローマを経てスペインに渡ったエル・グレコはまさに「地中海人」というべきだろう。20世紀でいえば、スペイン語の歌も歌うギリシアの歌姫ナナ・ムスクーリをわたしは想起する。

東方正教のクレタ島でイコン(聖画)職人としてキャリアを開始したエル・グレコだが、ギリシア語を母語としながらも、終の棲家となったスペインではスペイン語で読み書きしていたようだ。今回の展示資料に、書き込みされた蔵書の写真があったが、書き込みはスペイン語によってなされていた。

ギリシア人ならギリシア正教徒だろうが、なぜカトリック世界を描き続けたのかという疑問は前々から抱き続けてきたのだが、正教徒からカトリックに改宗したと考えるのが理にかなっている。これは、今回の美術展のカタログに収録されら論文を読むと納得がいく。

ヴェネツィア共和国領のクレタ島からヴェネツィアに向かうのは自然なことである。ヴェネツィアでのルネサンス絵画の修業後、ローマでも修行をしている。当時のローマは、1517年のローマ劫掠で破壊されたのちのローマである。エル・グレコはスペイン領となっていた南イタリアにはいかずに、そのままスペインに移動している。



■美術展について

エル・グレコの作品は、同時代の日本の仏教美術と同様、あくまでも信仰目的のために制作されたのであり、この当時のスペインの対抗宗教改革時代のカトリック近代化についての理解を抜きにして理解はむずかしい

その意味では、純粋に絵画を鑑賞するだけでなく、作品につけられたキャプションをよく読むといい。それが、「見えないもの」を描いて可視化したエル・グレコの世界を理解するための糸口の一つとなる。

逆にいえば、キリスト教、とくにカトリック世界の入門としてもおおいに役にたつ美術展といえるだろう。エル・グレコは聖書の物語世界を、いまそこにある人たちを描くような手法で可視化したのである。

もちろん、画科としての技量の高さと、クレタ時代、ヴェネツィア時代、ローマ時代、そしてトレド時代とその変遷についての展示は面白い。

また、同時代人のパトロンに支持された肖像画家としての人気の高さ、年譜によれば支払いをめぐっての依頼主との訴訟の多さ、内縁の妻(・・カトリックなのに?)がモデルともいわれる肖像画の存在など、エル・グレコの知られざる側面と、絵画の技量のずば抜けた高さを実感することもできる。

教会インテリアの装飾プランナーとしてのエル・グレコについても知ることができるのは、今回の美術展の啓蒙的な側面でもある。

マドリーのプラド美術館やトレドに存在する作品だけでなく、世界各地の美術館からあつめられた作品を堪能することができるが、今回のクライマックスは、エル・グレコ晩年の大作 「無原罪のお宿り」(1607~13年)である(・・上掲のポスターに採用されているもの)。

高さ3メートルを超えるこの祭壇画は本来は教会堂で拝むべきものだが、「美術品」として鑑賞することがいまは可能となった。ぜひ、さまざまな角度から「見上げて」いただきたい。

こんな大規模なエルグレコ展は、今後は日本ではなかなか開催されることもないと思われるので、カタログを購入しておくことを薦めたい。2,400円とやや高価ではあるが、目録としてだけでなく、収録された研究論文も読みごたえがある。

繰り返すが、これほどの規模の回顧展は、日本での次回の開催がいつになるかはわからない。ぜひ万難を排してでも見に行くことを薦める次第である。


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<関連サイト>

エルグレコ展(没後400年)
-大阪展: 2012 年10月16日(火)~12月24日(月・休) 国立国際美術館
-東京展: 013年1月19日(土)~4月7日(日) 東京都美術館

大原美術館のエル・グレコ「受胎告知」の解説


<ブログ内関連記事>

ひさびさに倉敷の大原美術館でエル・グレコの「受胎告知」に対面(2012年10月31日)

聖なるイメージ-ルブリョフのイコン「三位一体」、チベットのブッダ布、ブレイクの版画
・・ルブリョフ(1360年頃~1430)は、エルグレコより1世紀前にモスクワで活躍したイコン画家。エル・グレコが若き日に製作に従事していたイコンはビザンツ風だろうが、イコン画家から出発した点は押さえておきたい


バロック美術

『カラヴァッジョ展』(国立西洋美術館)の初日にいってきた(2016年3月1日)-「これぞバロック!」という傑作の数々が東京・上野に集結!
・・・・同時代人だがカラヴァッジョ(1571~1610)より30歳年上のエル・グレコ(1541~1614)

「グエルチーノ展 よみがえるバロックの画家」(国立西洋美術館)に行ってきた(2015年3月4日)-忘れられていた17世紀イタリアのバロック画家がいまここ日本でよみがえる! 
・・同時代人だがカラヴァッジョ(1571~1610)より20歳若いグエルチーノ(1591~1666)


カトリック関連

「免罪符」は、ほんとうは「免罪符」じゃない!?
・・受胎告知は英語で Announcement であり、これは理解しやすいカトリック要語。ちなみに、森鴎外訳で有名なアンデルセンの『即興詩人』の主人公アヌンツィアータは受胎告知の意味。




スペイン関連



オペラ 『ドン・カルロ』(ミラノ・スカラ座日本公演)
・・舞台設定はフェリペ二世(・・オペラはイタリア語版なのでフィリッポ二世)統治下のスペイン王国

書評 『歴史入門』 (フェルナン・ブローデル、金塚貞文訳、中公文庫、2009)-「知の巨人」ブローデルが示した世界の読み方
・・大著『フェリペ二世時代の地中海』の著者フェルナン・ブローデル


ギリシア関連

書評 『物語 近現代ギリシャの歴史-独立戦争からユーロ危機まで-』(村田奈々子、中公新書、2012)-日本人による日本人のための近現代ギリシア史という「物語」=「歴史」
・・当時ヴェネツィア共和国領であったクレタ島生まれのエル・グレコ。クレタ島の歴史についても解説あり


■初期近代(アーリー・モダン)

世界史は常識だ!-『世界史 上下』(マクニール、中公文庫、2008)が 40万部突破したという快挙に思うこと

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

書評 『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)-「西欧主導のグローバリゼーション」の「最初の500年」を振り返り、未来を考察するために

(2015年7月9日、2016年4月17日 情報追加)


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2012年12月21日金曜日

書評『ユーロ破綻 ー そしてドイツだけが残った』(竹森俊平、日経プレミアシリーズ、2012)ー ユーロ存続か崩壊か? すべてはドイツにかかっている


単一共通通貨ユーロが破綻する可能性など、ユーロが導入された1999年にはいったい誰が考えただろうか? しかし約10年後の2008年のリーマショック以降、経済危機はアメリカから欧州に波及し、ユーロは小国ギリシアに翻弄されつづけてきた。

今週火曜日(2012年12月18日)のことだが、ギリシア国債の格付けが6段階(!)引き上げられたというニュースが流れていた。大手格付け会社S&P(=スタンダード・アンド・プアーズ)が、ギリシア政府が新たな債務削減策を実施し、ユーロ圏からの支援が継続されることになったためだという。

具体的にいうと、SD(Selective Default:選択的債務不履行)から、シングルBマイナス(Single-B-Minus)への格付け向上である。SDは、債務不履行を意味するデフォルト(D)より一つ上なので、つい最近まではギリシアはほとんどデフォルト状態すれすれであったということだ。

だが、Bの格付けは、「現時点では債務を履行する能力を有しているが、BBに格付けされた発行体よりも脆弱である。事業環境、財務状況、または経済状況が悪化した場合には債務を履行する能力や意思が損なわれやすい」(wikipediaの説明より)なので、けっして安定したわけではない。

じっさいにギリシア政府がどこまで緊縮財政をやりぬくか次第なのだが、はたしてそれが完遂できるかどうかは、当事者にもステークホールダーにも確信をもって断言することはできないだろう。

国債とは英語でいえばソブリン・ボンド(Sovereign Bond)のことだ。ソブリンとは主権国家の「主権」を意味する。だが、共通通貨ユーロの加盟国であるギリシアには、究極の国家主権である通貨発行権はいまやない国家として独自の通貨はもてないのである。

にもかかわらず、ギリシアだけでなくその他のユーロ加盟国も、財政主権など通貨発行権以外の主権を有したままの中途半端な状態になっている。これが、ユーロ設計の問題点なのだ。設計ミスといっていいだろう。統一ドイツが強大化することを抑制するために、知っていたうえで見切り発車したのか?

小国ギリシアに端を発した財政問題は、いまや欧州の大国スペインにも飛び火し「ユーロ破綻」危機は深刻化している。いわゆる PIGS と呼ばれるポルトガル、イタリア、ギリシア、スペインといった南欧諸国はいずれも財政危機状態にある。

その最大の原因は、本書のキーワードである「資本逃避」(capital flight)にある。カネは不安定なところから安定しているところに逃避する性格をもっている。

資本は不安定な PIGS(ポルトガル、イタリア、ギリシア、スペイン)から、経済が安定しているドイツやオランダへと逃避が続いている。債権国の代表であるドイツにはカネが集まる一方、経済が弱体化している南欧諸国は債務国となっている。つまり、欧州は債権国と債務国に完全に二分化しているのである。

このような状態のなか、ドイツが獲るべき選択肢は限られている。しかし、弱小国救済に反対する国内世論はきわめてつよく、政治家がたとえ問題構造を理解していても、原発廃止に見られたように、まったく民意を無視することができない状態にある。ドイツ自身がジレンマ状態にあるのだ。

詳細は本文を読んでいただきたいが、この本は現在の「ユーロ破綻」危機がなぜ発生したかを、1929年の大恐慌との対比をつうじて、懇切丁寧に解説したものだ。

第2章のタイトルにあるように、危機は(1929年と同じく)今回もアメリカから欧州へと波及したのであり、第3章のタイトルにあるとうに危機は(欧州の)周辺から始まったのである。

噛んで含めるように、いま国際経済の現状がどうなっているのかを教えてくれる本である。素直に最初から読んでいくと理解できるとうに書かれている。目次を紹介しておこう。

プロローグ
第1章 大恐慌の神話
第2章 危機は今回もアメリカから欧州へ
第3章 危機は周辺から始まる
第4章 インフレに群がるマネー
第5章 ギリシャ債務不履行の政治経済学
第6章 苦悩するリーダー国ドイツ
第7章 危機拡大の構造
第8章 ユーロ分裂のシナリオ

いい意味でも悪い意味でも、いまやドイツは欧州の中核にある。ドイツがいかなる行動をとるかによってユーロの運命は決まるのである。破綻か、それとも・・・。そのドイツの苦悩と野望がいかなる意思決定につながっていくのか注視せざるをえない。

ただ単に欧州だけの問題ではなく、世界経済全体に波及する問題なのである。もし、一国でも政府債務不履行によってユーロを離脱するようなことが発生すると・・・・。

世界は金融だけでなく、サプライチェーンによって製造業も小売業もみな、きわめて複雑につながっているのである。影響がいかなるかたちでネットワーク全体に及ぶか、考えただけでも恐ろしい。いわゆるシステミック・リスクは金融だけではないのだ。

実体経済にまで及ぶその怖さについては、ぜひプロローグを熟読していただきたい。読めば背筋が凍るのを感じるはずだ。

願わくば大恐慌の到来しないことを!





著者プロフィール  

竹森俊平(たけもり・しゅんぺい)
慶応義塾大学経済学部教授。1956年東京生まれ。1981年慶應義塾大学経済学部卒業。1986年同大学院経済学研究科修了。同年同大学経済学部助手。1986年7月米国ロチェスター大学に留学、1989年同大学経済学博士号取得(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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