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2016年1月15日金曜日

フランスの女優イサベル・アジャーニが歌う「ボウイのように美しい」(Beau oui comme Bowie)-追悼デビッド・ボウイ(1947~2016)


デビッド・ボウイ(David Bowie)が亡くなったというニュースには驚かされた。2016年1月10日に、69歳の誕生日に亡くなった。18ヶ月にわたるガンとの闘病の末だったという。

驚いたのは、ボウイが69歳(!)だったというそのことに対してである。いつまでも老けない美貌の持ち主だと思い込んでいたのは、自分の勝手なイメージだったのだ。たしかに、自分自身も年をとったなあという実感も、このニュースを知って感じたのであった。

特別に熱心なファンだったわけではないので、ボウイについてなにか発言するのはちょっと気が引けるが、ちょっと変わった切り口から書いておきたいと思ったので書いておこう。

フランスの女優イサベル・アジャーニが歌う「ボウイのように美しい」(Beau oui comme Bowie)という曲がある。ここでいうボウイとは、もちろんデビッド・ボウイのことだ。

イサベル・アジャーニといえば現代フランスを代表する女優(・・じつは、わたしの一番の好みの女優)で、いまではカトリーヌ・ドヌーヴなどと並んでフランス映画界における大御所的な存在だが、かつてフランスの女優たちに歌わせる企画のシリーズものCDがあって、カトリーヌにもイサベルにも一枚づつアルバムが割り当てられている。イサベルのアルバム名は Isabelle Adjani, Pull marine, (Philips) である。

かつて1980年代後半によく聴いていたアルバムだが、そのなかに Beau oui comme Bowie という曲があることを思い出したので、ひさびさに引っ張り出してきた。CDには、1983年の発売と書いてある。そう、この1983年とは、ボウイの「レッツ・ダンス」が大ヒットした年でもあった。また、『戦場のメリークリスマス』で英国人将校役として主演した年でもある。

Beau oui comme Bowie は日本語に直訳すれば「美しい、そう、ボウイのように」となるが、フランス語をそのまま音声にしたがって素直に読めば「ボ・ウイ・コム・ボウイ」となる。つまり、「ボウイ」にひっかけたダジャレというわけだ(笑) フランス語でもダジャレがある、ということ。

フレンチ・ポップスの曲なので、もちろんデビッド・ボウイのカバー曲ではない。作詞作曲が才人のセルジュ・ゲンズブールによるものといえば、なんとなくわかるのではないかな? すでに亡くなっているが、いま風にいえば「ちょい悪オヤジ」を絵に描いたような存在であった。

歌詞のなかにオスカー・ワイルドとかドリアン・グレイとかでてくるので、わかる人にはわかるはずだ。Isabelle ADJANI - Beau oui comme Bowie (Serge Gainsbourg) をクリックして聴いてみるといいだろう。

イサベル・アジャーニのCDは、いまからすでに33年前のアルバムである。それにしても、ずいぶん昔のことになっていまっているのだなあと感じるばかりだ。自分のなかで時間は止まってしまっているのか・・・・。しかし、人間は確実に年を取る。

デビッド・ボウイ氏のご冥福を祈ります。合掌。





<関連サイト>

・・イサベル・アジャーニが歌う(フランス語)

[FT]独創貫いたデビッド・ボウイを悼む(社説) 2016/1/12

David Bowie's love affair with Japanese style 12 January 2016 (BBC)
・・山本寛斎との関係について



<ブログ内関連記事>

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督
・・デビッド・ボウイが主演した映画

映画 『ノーコメント by ゲンスブール』(2011年、フランス)をみてきた-ゲンズブールの一生と全体像をみずからが語った記録映画
・・「ボウイのように美しい」(Beau oui comme Bowie)の作詞作曲した才人ゲンズブール

月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2011年1月号 特集 「低成長でも「これほど豊か」-フランス人はなぜ幸せなのか」を読む

『恋する理由-私が好きなパリジェンヌの生き方-』(滝川クリステル、講談社、2011)で読むフランス型ライフスタイル

滝川クリステルがフランス語でプレゼンした理由



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2013年8月3日土曜日

映画『ノーコメント by ゲンスブール』(2011年、フランス)をみてきた ー ゲンズブールの一生と全体像をみずからが語った記録映画


映画 『ノーコメント by ゲンスブール』(2011年、フランス)をみてきた。セルジュ・ゲンズブールが自らを語ったドキュメントフィルムを編集した記録映画である。

特別ロードショーとして上映していた bunkamura ル・シネマの映画内容紹介文を掲載しておこう。

GAINSBOURG BY GAINSBOURG: AN INTIMATE SELF-PORTRAIT
© Zeta Productions/ARTE France Cinéma/Ina/2011

"愛されたくないが愛されたい。そう、それが私なのだ。"
作詞作曲家/シンガー/画家/映画監督/小説家/カメラマン、と多彩な顔を持ち異彩を放った才人セルジュ・ゲンスブール(1928/4/2-1991/3/2)。没後20年を過ぎてもなお、多くの人々を魅了する。今作は、ゲンスブールがテレビやラジオなどで語った発言から未発表のコメントなど、20代から60代まで40年に及ぶ期間のゲンスブールが自身の内面を語った録音テープを元に構成された決定版ドキュメンタリーだ。ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキンをはじめ、愛娘シャルロット、バンブー、アンナ・カリーナ、ジュリエット・グレコ、ヴァネッサ・パラディといった女性たちの映像も彩りを添えている。監督は、旧ソ連のトランペッター、エディ・ロズナーについてのドキュメンタリーでエミー賞を受賞したピエール=アンリ・サルファティ。

セルジュ・ゲーンズブールは永遠の不良中年いま風にいえば「ちょいワルおやじ」を絵に描いたような存在だ。亡くなってからすでに22年たつが、いま若い人のあいだで人気が高まってきているという。反体制的な言辞を吐いてきたが、フランスの音楽産業のインサイダーであり、数々のヒットを飛ばし、多くの女性歌手をプロデュースしてきた。

(「ゲンズブールと女たち」というCDのジャケット)


セルジュ・ゲンズブールといったら、なんといってもジェーン・バーキンの名前が想起される。ロシア系ユダヤ人のセルジュと英国人のジェーンのカップル。フランスでもパリならではの組み合わせだ。

ひっきりになしにタバコを吸うセルジュ・ゲンズブールだが、タバコには寛容なヨーロッパも現在では禁煙エリアが増大しておりゲンズブールのようなアーチスト系の人間には生きづらい世界となっている。その意味では1991年に亡くなったのは幸せなことかもしれない。


セルジュとはロシア語ならセルゲイのこと、ロシア系ユダヤ人である。父親はパリのダンスホールでピアノ弾いていた。母親はスラブ系。現在はウクライナ領の黒海沿岸の都市オデッサにルーツがあるようだ。おなじくユダヤ系のセルゲイ・エイゼンシュテイン監督による『船艦ポチョムキン』の舞台である。

本名はリュシアン・ギンズブルグ。スラブ系を強調するためにセルジュという芸名にしたらしい。ギンズブルグはフランス風にゲンズブールに変えた。

イタリアには女流作家のナタリア・ギンズブルクとその息子で歴史家のカルロ・ギンズブルク、アメリカにはビートニク詩人のアレン・ギンズバーグという有名人があいるがいずれもユダヤ系だ。

ギンズブルグ(Ginsburg)はロシア系ユダヤ人にはきわめて多い名字である。ペテルブルクの富裕な銀行家にあやかってその名字にしたユダヤ系の人が多いらしいと B.C.Kaganoff の A Dictionary of Jewish Names and Their History にはある。ドイツのバイエルン州の都市名からきているようだが、直接は関係ないようだ。

1928年フランスに生まれたユダヤ人の運命についてはあえて語るまでもないが、ドイツに占領されたフランスではユダヤ人に「黄色い星」を衣服に縫い付けることが強要されたことは、彼自身が子ども時代の回想のなかで語っているとおりだ。

絵に描いたような鉤鼻、ステレオタイプのユダヤ人像そのものである。中年になってからは味のある個性的な顔立ちになったが、若い頃は正直いって醜男であったことは否定できまい。


独自世界を形成していたエンジニアで作家のボリス・ヴィアンのシャンソンと出会って音楽の世界で生きていくことを決意する。ボリス・ヴィアンが死ぬ3カ月前のことであったが、その影響が大きなものであったことはボリス・ヴィアン好きにとってはうれしいことだ。ボリスもまたロシア風だが、これは父親がつけた名前らしい。

セルジュ・ギンズブールほどフランス的な人もいないだろう。徹底した個人主義者で反体制派、そしてインテリでサブカルチャー。ある種の日本人のイメージのなかにあるフランスを体現したオトコであった。

1968年の「5月革命」のさなかのパリで、極右の妨害にあってジャマイカのレゲエ歌手たちが出演を尻ごみしているなかでゲンズブールがフランス国歌「ラ・マルセイエーズ」をアカペラで歌いあげるシーンは必見だ。極右も黙らせてしまったというこのパフォーマンスは、じつに雄々しく、あまりにもカッコよすぎる。

セルジュ・ゲンズブールというと、みずから作詞作曲しジェーン・バーキンとデュエットした「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」("Je t'aime … moi non plus" 英語だと "I love you… me neither"という意味) が有名だが、そういったセクシーでワイセツすれすれのイメージだけで理解していてはじつにもったいない。

セルジュ・ゲンズブールというオトコの全体像を自らの語りで描いたこの伝記映画は、個人史でありフランス現代史そのものでもある。見る価値のある映画だ。



<関連サイト>

『ノーコメント by ゲンスブール』 公式サイト
8月3日からアップリンクにて上映

Jane Birkin et Serge Gainsbourg - Je T'aime,...Moi Non Plus(「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ)

Serge Gainsbourg - La Javanaise Live au Zénith (1988) (この映画のなかでも何度も流れる「ラ・ジャヴァネーズ」)


<ブログ内関連記事>


・・ジェーン・バーキンが自ら作詞し歌う "Aung San Suu Kyi" は YouTube にて視聴できます。http://www.youtube.com/watch?v=xeP-PkEcf-g






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2013年7月28日日曜日

映画『最後のマイ・ウェイ』(2011年、フランス)をみてきた ー いまここによみがえるフランスの国民歌手クロード・フランソワ


映画 『最後のマイ・ウェイ』(2011年 フランス)をみてきた。オリジナルのタイトルは Cloclo: la fabuleuse histoire de Claude François(クロクロ-クロード・フランソワの驚くべき物語)。

フランク・シナトラが英語で歌い世界的に爆発的ヒットとなった『マイ・ウェイ』は、じつはフランス語のポップスがオリジナルであった。その曲をつくり歌ってフランスでヒットさせたクロクロことクロード・フランソワ(1939~1978)のヒューマン・ドラマを描いた伝記的映画がこの作品である。

"The Voice" といわれていた美声の米国人エンターテイナーであったシナトラにあこがれていたフランスの歌手クロード・フランソワ。その彼がみずからつくりフランスでヒットさせた曲をシナトラがとりあげ、英語の『マイ・ウェイ』として歌い世界的なヒット曲となる。

フランス語のオリジナルは、『コム・ダビチュード』(Comme d'habitude)(1967年)という曲だ。日本語だと「いつものように」。男女のすれ違いの恋愛を描いたものだ。

この曲にポール・アンカがシナトラのために英語の歌詞を書いた「マイ・ウェイ」は、「わが人生に悔いなし」というテーマになっている。フランス語のサビである comme d'habitude (いつものように)は、英語歌詞では  And did it my way (オレはオレ流で生きた)となる。


フレンチポップスといえばシルヴィー・ヴァルタン、セルジュ・ゲンズブールとジェーン・バーキンなどが思い浮かぶ。シャンソンがいまでもインテリ好みのものだとすれば、フレンチポップスは戦後アメリカのジャズやポップスの影響を受けたエンターテインメント性のつよいフランスの大衆音楽である。

日本でもそのむかし奇抜なファッションで有名であったミシェル・ポルナレフが人気があった。『シェリーに口づけ』の歌手かと思い出す人も少なくないだろう。だが愛称クロクロことクロード・フランソワは日本ではそれほど有名ではなかったのではないかと思う。すくなくとも大衆レベルでの知名度は日本ではなかったと思う。

「マイ・ウェイ」(1969年)のオリジナルが、フレンチ・ポップスで歌手がクロード・フランソワによるものだとわたしが知ったのは、いまから20年くらい前のことだ。

Un homme et la femme: Les plus grandes chansons d'amour (男と女-よりすぎりのフランス語の愛の歌) というフランスから輸入されたCDに収録されていてのを聴いてはじめて知ったのであった。このCDはたしかいまは亡き新宿のヴァージン・メガストアで購入したのだと記憶している。

だからこそ、クロード・フランソワの人生が映画化されて日本で公開されることを知って、上映が待ち遠しい思いであった。




クロード・フランソワの人生

1960年代から1970年代にかけて、浮き沈みの激しい芸能界で18年のキャリアを、つねに全力疾走によって走り抜けたスーパースター

自分が歌いたい曲だけでなく、マーケティングの観点からその時代のアメリカの最先端の流行、たとえばブラックミュージックやディスコなどを果敢に取り入れ、歌手以外にもさまざまな関連ビジネスに手を出し、作詞、作曲、音楽プロデューサー、出版などつごからつぎへと事業を拡大していく。

1939年生まれで裕福な生活を送っていたエジプト時代への郷愁、1956年のスエズ運河国有化によってエジプトから脱出した一家は困窮した生活に、人生を変えるため音楽の道に賭けるも最初の曲は鳴かず飛ばず、しかしあきらめずに努力しついにスターダムへ、そして父親との葛藤と死後の和解。

エジプトというフランスにとっては植民地ではない海外で生まれ育ったこともあり、余計にフランス人意識がつよいのだろう。ジョニーなどといったアメリカ風の芸名にすることは断固拒否している。いかにもフランス的なクロードという名前で押し通したからこそ、フランスの国民歌手としてフランス人に受け入れられのだろう。

しかし、これからフランス語圏というローカルマーケットから、音楽の分野では英語圏が支配している世界マーケットへむけて飛翔しようとしたまさにその矢先、1978年に不慮の事故で39歳で急死する波乱万丈で悲劇的な人生。

フランス映画の黄金時代はすでに過ぎ去った過去のことだが、この2011年制作の映画はパワフルでエモーショナルなヒューマン・ドラマである。フランス映画の再生も始まったといっていいのだろうか。

大きすぎる野心とエゴイズム、その裏腹につきまとう不安と孤独、ときに襲ってくる自信喪失、トラブルつづきの私生活とつかの間の安息。アイドル歌手フランス・ギャルとの恋愛。まさにドラマのてんこ盛りのような人生である。その伝記映画が面白くないわけがないのだ。

だから日本公開タイトルに「マイ・ウェイ」の文字が入るのはまことにもって適切だ。クロード・フランソワの人生は「マイ・ウェイ」の英語歌詞そのものだといっても言い過ぎではないからだ。

この映画は、なによりもエンターテインメント作品としてこの波乱万丈のヒューマン・ドラマを楽しむことができるし、クロード・フランソワというフランスの国民歌手とフランスのサブカルチャー、そしてかれが活躍した1960年代から1970年代のフランス社会を知ることもできる作品になっている。




クロード・フランソワとエルヴィス・プレスリー

たしかにそれほどハンサムというわけでもないし、背も高くないのだが、独特のオーラがあったことは、上記のビデオを見ていただければ理解していただけると思う。

この映画で主人公を演じたジェレミー・レニエがクロード・フランソワに瓜二つなのはほんとうに驚きだ。

映画のラストに近い場面に、オペラ劇場であるロンドンのアルバートホールで「マイウェイ」を英語で熱唱するシーンがある。英語の「マイ・ウェイ」の歌詞の内容がクロード・フランソワの人生とシンクロすることを感じながら聴いていると、見ているわたしも胸にじーんとくるものがきた。

映画の場面ではなく、クロード・フランソワが英語で歌う「マイ・ウェイ」の映像を紹介しておこう。 Claude François - My way (En anglais) + Paroles それほどうまい英語ではないが、味のある歌いぶりである。

「マイ・ウェイ」は大御所フランク・シナトラが歌って世界的なヒットになったが、わたしはエルヴィス・プレスリーによるカバーが大好きだ。エルヴィス自身も自分が大好きな歌の一つだといっているのが「マイ・ウェイ」だ。

人生を演劇にたとえた英語の歌詞は大御所フランク・シナトラのためにポール・アンカが書いたもだが、人生の終わりに近い時期に自分の人生を振り返って感慨にふける内容の英語歌詞は、まだ40歳前後であったクロード・フランソワやエルヴィスが歌うと、また異なる感慨を聴いていて抱くのである。

調べてみてわかったが、1977年にエルヴィスが42歳の若さで去ったあとを追うかのように、1978年にクロード・フランソワも39歳で去っている。クロード・フランソワ(1939~1978)と同様、エルヴィス(1935~1977)もまた、短い人生を全力疾走で駆け抜け、若くして世を去ったのである。

映画ではエルヴィスについてはいっさい言及されないが、同時代のこの二人のスーパースターの人生を重ね合わせてみるのは決して間違いではないと思うのだ。ブラック・ミュージックの大きな影響を受けていた点も二人に共通することである。

「神々に愛されし者は短命に終わる」という格言が西欧にある。現代の神々は一般大衆というファンであるとすれば、そのとおりなのかもしれない。








<関連サイト>

『最後のマイウェイ』 公式サイト
・・日本語版ネレーションの海老蔵は声はいのだが、やや耳に付くことも否定できない

Cloclo: la fabuleuse histoire de Claude François
フランス版トレーラーはシンプルに『コム・ダビチュード』の歌声のみ

Cloclo Movie US Trailer アメリカ版トレーラー(英語字幕つき)

Cloclo (film 2012) wikipediaフランス語版

Cloclo - Le film (フランス版 facebookページ)


「いつものように」(コム・ダビチュード)
Claude François - Comme d'habitude (My way)


マイウェイ英語バージョン
 エルヴィス Elvis Presley - My Way
 フランク・シナトラ Frank Sinatra, My Way

 クロード・フランソワ Claude François - My way (En anglais) + Paroles 

elvis-cloclo my way sous titres (フランス人が作成したらしい映像 エルヴィスとクロクロの夢の顔合わせコンピレーション フランス語字幕つき)


1997年の出版で内容的には古いがフレンチ・ポップスについてまとまった文献といえば、ペヨトル書房から出版された『Ur (ウル)12号 特集:フレンチ・ポップス』(1997年)が参考になるだろう。このほかの情報はネット情報を検索していただきたい。





<参考> Comme d'habitudeの 英語版 My Way とフランス語版の歌詞
My Way

Songwriters: JACQUES REVAUX, CLAUDE FRANCOIS, GILLES THIBAUT, PAUL ANKA

And now the end is near
So I face the final curtain
My friend, I'll say it clear
I'll state my case of which I'm certain

I've lived a life that's full
I've traveled each and every byway
And more, much more than this
I did it my way

Regrets, I've had a few
But then again, too few to mention
I did what I had to do
And saw it through without exemption

I planned each charted course
Each careful step along the byway
Oh, and more, much more than this
I did it my way

Yes, there were times, I'm sure you knew
When I bit off more than I could chew
But through it all when there was doubt
I ate it up and spit it out
I faced it all and I stood tall
And did it my way

I've loved, I've laughed and cried
I've had my fails, my share of losing
And now as tears subside
I find it all so amusing
To think I did all that
And may I say, not in a shy way
No, oh no not me,
I did it my way

For what is a man, what has he got
If not himself, then he has not
To say the words he truly feels
And not the words he would reveal
The record shows I took the blows
And did it my way 
The record shows I took the blows
And did it my way

(出典: http://www.lexilogos.com/claude_francois/my_way.htm



Comme d'habitude

Je me lève
Et je te bouscule
Tu n'te réveilles pas
Comme d'habitude

Sur toi
Je remonte le drap
J'ai peur que tu aies froid
Comme d'habitude

Ma main
Caresse tes cheveux
Presque malgré moi
Comme d'habitude

Mais toi
Tu me tournes le dos
Comme d'habitude

Alors
Je m'habille très vite
Je sors de la chambre
Comme d'habitude

Tout seul
Je bois mon café
Je suis en retard
Comme d'habitude

Sans bruit
Je quitte la maison
Tout est gris dehors
Comme d'habitude

J'ai froid
Je relève mon col
Comme d'habitude

Comme d'habitude
Toute la journée
Je vais jouer
A faire semblant
Comme d'habitude
Je vais sourire
Comme d'habitude
Je vais même rire
Comme d'habitude
Enfin je vais vivre
Comme d'habitude

Et puis
Le jour s'en ira
Moi je reviendrai
Comme d'habitude

Toi
Tu seras sortie
Pas encore rentrée
Comme d'habitude

Tout seul
J'irai me coucher
Dans ce grand lit froid
Comme d'habitude

Mes larmes
Je les cacherai
Comme d'habitude

Mais comme d'habitude
Même la nuit
Je vais jouer
A faire semblant
Comme d'habitude
Tu rentreras
Comme d'habitude
Je t'attendrai
Comme d'habitude
Tu me souriras
Comme d'habitude

Comme d'habitude
Tu te déshabilleras
Oui comme d'habitude
Tu te coucheras
Oui comme d'habitude
On s'embrassera
Comme d'habitude

Comme d'habitude
On fera semblant
Comme d'habitude
On fera l'amour
Oui comme d'habitude
On fera semblant
Comme d'habitude

(出典: http://www.lexilogos.com/claude_francois/my_way.htm )




<ブログ内関連記事>

映画 『シスタースマイル ドミニクの歌』 Soeur Sourire を見てきた
・・フランス語圏のベルギーで修道女が歌って大ヒットとなった「ドミニクの歌」(1963年)にまつわる秘話。このレコードもクロード・フランソワのデビュー曲と同様にフィリップスから

「特攻」について書いているうちに、話はフランスの otaku へと流れゆく・・・

書評 『東京裁判 フランス人判事の無罪論』(大岡優一郎、文春新書、2012)-パル判事の陰に隠れて忘れられていたアンリ・ベルナール判事とカトリック自然法を背景にした大陸法と英米法との闘い

月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2011年1月号 特集 「低成長でも「これほど豊か」-フランス人はなぜ幸せなのか」を読む

『恋する理由-私が好きなパリジェンヌの生き方-』(滝川クリステル、講談社、2011)で読むフランス型ライフスタイル

Vietnam - Tahiti - Paris (ベトナム - タヒチ - パリ)

由紀さおり世界デビューをどう捉えるか?-「偶然」を活かしきった「意図せざる海外進出」の事例として


(2021年3月5日 情報追加)


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