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2019年4月11日木曜日

書評『私のヴァイオリン ― 前橋汀子回想録』(前橋汀子、早川書房、2017)― 冷戦時代のソ連と米国をともに体験し世界中で活躍してきた「魂のヴァイオリニスト」の回想録

(カバーの写真は、21歳の著者)


『私のヴァイオリン  ―  前橋汀子回想録』(前橋汀子、早川書房、2017)は、演奏活動55周年を記念して出版された
「魂のヴァイオリニスト」の回想録だ。

エキゾチックな美貌だけでなく、その演奏は単なる技巧をはるかに越えた「魂のヴァイオリニスト」といって過言ではない。わたしも前橋汀子氏のヴァイオリンに大いに魅了されてきた一人だ。

技巧にかんしては世界トップレベルの演奏家を輩出してきた日本だが、前橋汀子氏のようなヴァイオリニストは、残念ながら希有な存在と言わねばならない。前橋氏自身も、自分が「追い求めてきたものと、いまの世の中が求めているものとが必ずしも一致しなくなってしまったような気がします」と、「エピローグ」のなかでつぶやいている。

わたしは、バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタ&パルティータ全集」を繰り返し、繰り返し何度も聴きこんできた。いろいろ聴き比べもしてみたが、前橋汀子以外にはないという結論に達している。まさに入魂のレコーディングである。

近年は、日本におけるクラシック音楽の裾野を拡げるために、ヴァイオリン小曲集を中心にしたコンサートにも何度も開催しており、わたしも何度か聴きに行っている。
ライブの演奏に如くものはないからだ。

そんな「魂のヴァイオリニスト」がいかにしてできあがったのか、その知られざる生涯が本書で明らかにされている。分量的にはかならずしも多くないが、日経新聞の名物連載「私の履歴書」のようなスタイルだといっていいだろう。この本に書かれたことは、本人にしか書けないことだし、書かれていないことは本人の意志によるものだろう。

冷戦時代のソ連と米国をともに体験し、その後はスイスに居を定め、日本に拠点を移してからも世界中で活躍してきた前橋汀子氏。なによりも興味深く読んだのは、1960年にレニングラード音楽院(ソ連崩壊後の現在はサンクトペテルブルク音楽院)に留学していた17歳からの3年間の記録であった。

そもそもソ連に行きたい(!)なんて人は、当時の日本では共産主義者や社会主義者以外にはいなかった時代のことだ。最初に教えを受けた教師が亡命ロシア人の小野アンナだったからだ。さらにソ連が生んだ巨匠ダヴィッド・オイストラトフの来日演奏会を1955年に聴く機会を得たことなどが重なって、ソ連へのあこがれが形作られたようだ。イデオロギー的なものとはまったく無縁であった。

だが、実際のソ連の現実はといえば、欠乏していたのは自由だけでなく、また物資も慢性的に欠乏していた。あこがれが実現したレニングラードの留学生活であったが、なかなか大変であったようだ。

そんな1960年代前半、しかも米ソのあいだでキューバ・ミサイル危機があった時代のことだった。ただし、本人はそんなことはつゆ知らず、ひたすら音楽の勉強に専念していたのであった。音楽院は、あくまでも音楽家として食べていくための人材を育成することが目的なのである。

前橋汀子氏の軌跡が面白いのは、ソ連留学から帰国したあと、こんどは米国のジュリア-ド音楽院にあこがれてニューヨークへの留学を実現させたことにある。当時のソ連ではクラシック音楽は、古典音楽しか教育されていなかったからだ。ある意味、ソ連(ロシア)が後進国として基本に忠実であったためだろう。

ジュリアード音楽院とニューヨークで体験したのは、およそソ連とは異なる自由の国のあり方であった。卒業後は米国でプロのヴァイオリニストとして活躍していたが、米国の競争社会に息詰まる思いをして、今度はスイスへ。

前橋汀子というと、どうしてもその原点であるソ連(ロシア)というイメージがつきまといがちだが、米国を経て欧州で本格的に修行したこともまた大きな財産になっていることは間違いない。




それにしても本書を読んでいて興味深いのは、ソ連であろうが米国であろうが欧州であろうが、どこにいってもクラシック音楽の世界はユダヤ人が活躍している世界であることだ。レニングラード音楽院時代のルームメイトのラトビア人も、師匠たちもみなユダヤ系であった。

この回想録で、はじめてダヴィッド・オイストラフの名前を知ったが、彼もまたウクライナのオデッサ生まれのユダヤ系であった。オデッサは、ユダヤ系音楽家を多数輩出している。オイストラトフについては、この本を読むまで私は知らなかったが、演奏を聴いてみると、前橋汀子が影響を受けた理由がよくわかった。

この回想録は、先にも書いたように日経新聞の「私の履歴書」みたいな感じで、分量もそれくらいなのだが、本当のことを言うと、もっとたくさん語ってほしかった。まだまだエピソードはたくさんあるはずだからだ。

まあこれは、いつの日かノンフィクション作家によって書かれるであろう「評伝」に期待したいと思う。


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目 次 
プロローグ
第1部 生い立ち
 第1章 ヴァイオリンを始める
 第2章 ソ連に行きたい
第2部 ソ連時代
 第1章 ソ連で一から
 第2章 ソ連を生き抜く
 第3章 最高の教育を受ける
 第4章 病に倒れる
第3部 ニューヨーク時代
 第7章 ジュリアード音楽院
 第8章 チャンスを勝ち取る
第4部 スイス時代
 第9章 シゲティに師事する
第5部 日本を拠点に
 第10章 運命
エピローグ
謝辞




著者プロフィール
前橋汀子(まえはし・ていこ)
日本を代表するヴァイオリニスト。2017年に演奏活動55周年を迎えた。その演奏は優雅さと円熟味に溢れ、多くの聴衆を魅了してやまない。国内外で活発な演奏活動を展開し、世界の第一線で活躍するオーケストラや音楽家との協演を重ねている。近年、小品を中心とした親しみやすいプログラムによるリサイタルを全国各地で展開、好評を得ている。2004年日本芸術院賞受賞、2007年第37回エクソンモービル(現・東燃ゼネラル)音楽賞洋楽部門本賞を受賞。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。




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「前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol.9」(2013年7月14日)にいってきた-前橋汀子は日本音楽界の至宝である!


「前橋汀子 アフタヌーン・コンサート Vol. 7」(2011年7月30日) にいってきた-低価格のコンサートを開催すること意味について考えてみた

書評 『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる-21世紀の教養を創るアメリカのリベラルアーツ教育-』(菅野恵理子、アルテス、2015)-音楽は「実学」であり、かつ「教養」でもある


書評 『オーケストラの経営学』(大木裕子、東洋経済新報社、2008)-ビジネス以外の異分野のプロフェッショナル集団からいかに「学ぶ」かについて考えてみる


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2018年12月4日火曜日

JBPress連載コラム第40回目は、「Queenフレディも信者だったゾロアスター教の教え 超マイノリティだが、今も生きている古代宗教」(2018年12月4日)


JBPress連載コラム第40回目は、「Queenフレディも信者だったゾロアスター教の教え 超マイノリティだが、今も生きている古代宗教(2018年12月4日)
⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54819

クイーンやフレディー・マーキュリーのファンなら当然しっているはずですし、映画をみた人なら気がついていると思いますが、クイーンのフレディー・マーキュリーは「ゾロアスター教徒」の家庭に生まれ育ち、そして「ゾロアスター教徒」として死んだ人でした。 
  
拙著『ビジネスパーソンのための近現代史』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017年)では、「ロックバンドの『クイーン』のフレディ・マーキュリーはインド出身のパルシー(=ゾロアスター教徒)であった」(P.336)と書いております。 

「パルシー」という表現は映画にもでてきますが、インドのゾロアスター教徒のこと。なぜ自分たちのことを「パルシー」(=ペルシア人)とよぶのか、ゾロアスター教徒たちの苦難の歴史をひもといてみましょう。 

おかげさまで、今朝の公開以来よく読まれているようです(^^)/ さすがいま旬ですからね。みなさまもぜひご一読を!!

次回のコラム公開は、12月18日(火)です。お楽しみに!





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(2021年6月19日 項目新設)


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・・スーパースターの成功とその代償としての孤独、父親への反発と和解・・・。『ボヘミアン・ラプソディ』とよく似たテーマは、どこの国でもある

追悼 エルヴィス逝って40年(2017年8月16日)-「ゴスペルを愛してやまなかったエルヴィスの内奥を本当に理解しない限り、エルヴィスをありのまま愛することはできない・・・・」
・・エルビスもまた、クロード・フランソワの代表作「コム・ダビチュード」の英語カバー「マイ・ウェイ」を歌っている

レナード・コーエン(Leonard Cohen)の最新アルバム Old Ideas (2012)を聴き、全作品を聴き直しながら『レナード・コーエン伝』を読む


■インドとペルシア

書評 『インド 宗教の坩堝(るつぼ)』(武藤友治、勉誠出版、2005)-戦後インドについての「生き字引的」存在が宗教を軸に描く「分断と統一のインド」

作家・陳舜臣はペルシアの詩人オマル・ハイヤームの『ルバイヤート』の翻訳者でもあった-追悼 陳舜臣さん
・・外語大のインド語科ではペルシア語は必修。その理由は?

(2019年10月12日 情報追加)




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2016年1月15日金曜日

フランスの女優イサベル・アジャーニが歌う「ボウイのように美しい」(Beau oui comme Bowie)-追悼デビッド・ボウイ(1947~2016)


デビッド・ボウイ(David Bowie)が亡くなったというニュースには驚かされた。2016年1月10日に、69歳の誕生日に亡くなった。18ヶ月にわたるガンとの闘病の末だったという。

驚いたのは、ボウイが69歳(!)だったというそのことに対してである。いつまでも老けない美貌の持ち主だと思い込んでいたのは、自分の勝手なイメージだったのだ。たしかに、自分自身も年をとったなあという実感も、このニュースを知って感じたのであった。

特別に熱心なファンだったわけではないので、ボウイについてなにか発言するのはちょっと気が引けるが、ちょっと変わった切り口から書いておきたいと思ったので書いておこう。

フランスの女優イサベル・アジャーニが歌う「ボウイのように美しい」(Beau oui comme Bowie)という曲がある。ここでいうボウイとは、もちろんデビッド・ボウイのことだ。

イサベル・アジャーニといえば現代フランスを代表する女優(・・じつは、わたしの一番の好みの女優)で、いまではカトリーヌ・ドヌーヴなどと並んでフランス映画界における大御所的な存在だが、かつてフランスの女優たちに歌わせる企画のシリーズものCDがあって、カトリーヌにもイサベルにも一枚づつアルバムが割り当てられている。イサベルのアルバム名は Isabelle Adjani, Pull marine, (Philips) である。

かつて1980年代後半によく聴いていたアルバムだが、そのなかに Beau oui comme Bowie という曲があることを思い出したので、ひさびさに引っ張り出してきた。CDには、1983年の発売と書いてある。そう、この1983年とは、ボウイの「レッツ・ダンス」が大ヒットした年でもあった。また、『戦場のメリークリスマス』で英国人将校役として主演した年でもある。

Beau oui comme Bowie は日本語に直訳すれば「美しい、そう、ボウイのように」となるが、フランス語をそのまま音声にしたがって素直に読めば「ボ・ウイ・コム・ボウイ」となる。つまり、「ボウイ」にひっかけたダジャレというわけだ(笑) フランス語でもダジャレがある、ということ。

フレンチ・ポップスの曲なので、もちろんデビッド・ボウイのカバー曲ではない。作詞作曲が才人のセルジュ・ゲンズブールによるものといえば、なんとなくわかるのではないかな? すでに亡くなっているが、いま風にいえば「ちょい悪オヤジ」を絵に描いたような存在であった。

歌詞のなかにオスカー・ワイルドとかドリアン・グレイとかでてくるので、わかる人にはわかるはずだ。Isabelle ADJANI - Beau oui comme Bowie (Serge Gainsbourg) をクリックして聴いてみるといいだろう。

イサベル・アジャーニのCDは、いまからすでに33年前のアルバムである。それにしても、ずいぶん昔のことになっていまっているのだなあと感じるばかりだ。自分のなかで時間は止まってしまっているのか・・・・。しかし、人間は確実に年を取る。

デビッド・ボウイ氏のご冥福を祈ります。合掌。





<関連サイト>

・・イサベル・アジャーニが歌う(フランス語)

[FT]独創貫いたデビッド・ボウイを悼む(社説) 2016/1/12

David Bowie's love affair with Japanese style 12 January 2016 (BBC)
・・山本寛斎との関係について



<ブログ内関連記事>

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督
・・デビッド・ボウイが主演した映画

映画 『ノーコメント by ゲンスブール』(2011年、フランス)をみてきた-ゲンズブールの一生と全体像をみずからが語った記録映画
・・「ボウイのように美しい」(Beau oui comme Bowie)の作詞作曲した才人ゲンズブール

月刊誌「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2011年1月号 特集 「低成長でも「これほど豊か」-フランス人はなぜ幸せなのか」を読む

『恋する理由-私が好きなパリジェンヌの生き方-』(滝川クリステル、講談社、2011)で読むフランス型ライフスタイル

滝川クリステルがフランス語でプレゼンした理由



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2015年9月22日火曜日

書評『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる ― 21世紀の教養を創るアメリカのリベラルアーツ教育』(菅野恵理子、アルテス、2015)― 音楽は「実学」であり、かつ「教養」でもある



『ハーバード大学は「音楽」で人を育てる  ―  21世紀の教養を創るアメリカのリベラルアーツ教育』(菅野恵理子、2015)は、音楽関係の書籍の専門出版社アルテスの新刊。

たまたま書店の店頭でみかけてすぐさま購入することにしたのは、「リベラルアーツとしての音楽」というテーマが、わたしには刺さるものがあるからだ。

「ハーバード白熱教室」の成功以来、ハーバードと冠につけた便乗本があふれている。だが、本書はそうではない。アメリカではじめて総合大学に音楽学科を新設したのがハーバード大学だからだ。ハーバード大学をはじめとするアメリカの著名な総合大学における音楽教育への取り組みを網羅的に取り上げて解説している。

ハーバード大学で音楽教育がはじまったのは、意外なことに1855年のことらしい。たかだか160年前に過ぎないのである。その後、イェール大学やコロンビア大学、スタンフォード大学など、名だたる総合大学が音楽学科を設置するようになって現在に至っているのだが、なんと MIT のような工科大学でも「音楽学科が設置されているのである! 音楽教育が、演奏家育成を目的にしたものだけでなく、広い意味でリベラルアーツ(・・いわゆる「教養」)に位置づけられているためだ。

日本では大学レベルの音楽教育といえば、もっぱら芸術系大学が中心となっているが、アメリカでは総合大学の音楽学部出身者の演奏家が少なくない。ジュリアード音楽院などの音楽大学を凌駕(りょうが)する勢いがあるようだ。音楽を演奏技術だけでなく、幅広いパースペクティブのもと、社会のなかに位置づけていることが大きな意味をもっているのだ。

さらにいえば、音楽を楽しむ層の裾野を広げるということも、総合大学の音楽大学の使命とされている。鑑賞するだけでなく、みずから演奏する楽しみである。もちろん基本となるクラシック音楽が中心であるが、ジャズやロック、民族音楽にも目配りは広い。

アメリカの音楽学部や音楽学科では、プロの演奏家志望の学生だけでなく、他学部の学生も履修可能である。演奏家志望の学生にとっては「実学」であり、そうではないが音楽を愛し楽しむ学生にとっては、現代社会に生きるための「教養」となる。ここで「教養」といったが、それはたんなる「知識」のことではないことは言うまでもないだろう。

音楽は、ラテン語でいえば、アルテス・メカニカエ(artes mechanicae)であり、アルテス・リベラーレス(artes liberales)でもある。後者は英語のリベラルアーツのことだが、アート(art)を「芸術」と訳したのでは本当の意味が見えてこない。アートは、芸術であり技術でもある。つまりは「術」ということがその本質である。

「第4章 音楽はいつから<知>の対象になったのか-音楽の教養教育の歴史」において、古代ギリシアから古代ローマ、そして西欧中世を経て、音楽の国ドイツからアメリカへの流れをくわしくトレースしているが、そもそも音楽をリベラルアーツとして位置づけてきたのが西欧文明なのである。

古代ローマから中世にかけて音楽は数学として理論的に捉えられてきたが、演奏技術と音楽理論の乖離(かいり)が存在したといえるかもしれない。近代以降、とくにルター改革を経たドイツでは「数学としての音楽」ではなく、「音楽としての音楽」が主流となり、その延長線上にアメリカの音楽教育があることが本書に記されている。具体的にいえば、ドイツ北部のゲッティンゲン大学に学んだアメリカ人教育者たちが、ハーバード大学においてその路線を継承したのである。

アメリカでは「音楽の知」という観点から、音楽が積極的に評価されていること。総合大学における位置づけは、本書によれば以下のようになる。

●ハーバード大学: 音楽で「多様な価値観を理解する力」を育む
●ニューヨーク大学: 音楽で「歴史をとらえる力」を学ぶ
●マサチューセッツ工科大学: 音楽で「創造的な思考力」を高める
●スタンフォード大学: 音楽で「真理に迫る質問力」を高める
●カリフォルニア大学バークレー校: 地域文化研究の一環として
●コロンビア大学とジュリアード音楽院: 単位互換から協同学位へ

古代ギリシアでは、集団間でのハーモニー(=調和)を生み出し、個としての人格陶冶(とうや)となるという観点から、音楽は「市民」(=自由人)のたしなみであったことが想起される。まさにリベラルアーツが、奴隷ではない「自由」人を「自由」人たらしめるものであることのよりどころであった。その意味では、西洋音楽を導入した日本が、音楽を音「学」ではなく、音「楽」として受容したことは意味あることであったと思うのである。

本書は、あらたな時代のリベラルアーツのあり方について、教育改革の最中にある日本の大学にとっても示唆するものが多いといえよう。また、音楽専攻を志している若者たちへの大きな動機付けにもなるだろう。

ただ、音楽を専攻していない人にとっては、やや理解しにくい点が多々あるのが残念だ。内容的には盛りすぎ、詰め込みすぎなので、やや読みにくいの。もうすこし内容を練ってストーリー性をもたほうが良かったのではないかと思う。「社会と音楽の関係」というテーマについては、テーマがテーマだけに社会学的な考察もほしい。

音楽学部が、演奏家育成という実技教育(あるいは「実学」教育)であり、かつリベラルアーツ教育(=「教養」教育)でもあるというその意味について、両者の複雑で微妙な関係についての突っ込んだ考察がほしいところだが、これは後日に期すべきことであろう。

「リベラルアーツとしての音楽」というテーマは、今後さらに重要になるといっていい。いまだに存在する「教養イコール読書」という旧来型の思い込みは、早く捨て去る必要がある。アメリカから学ぶべきことは、まだまだ多い。


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目 次

はじめに
第1章 音楽<も>学ぶ-教養としての音楽教育
 音楽はいつから大学の中にあたのか?
 ハーバード、スタンフォード、ニューヨーク大学-各大学で1000人以上が音楽を履修
第2章 音楽<を>学ぶ-大学でも専門家が育つ
 音楽学科はどこに属しているのか?
 音楽を中心に幅広く学びたい
 音楽の専門家をめざして
 なぜ大学で音楽を?
 大学と音楽院の提携プログラムから
 音楽院でも高まるリベラルアーツ教育の需要
第3章 音楽を<広げる>-社会の中での大学院の新しい使命
 大学から社会へ-どのように実社会へつないでいくのか
 実社会は音楽・芸術をどう見ているのか?
 社会から大学へ
第4章 音楽はいつから<知>の対象になったのか-音楽の教養教育の歴史
 リベラルアーツの未分化期
 リベラルアーツの広まり
 リベラルアーツの学位化
 リベラルアーツの近代化
 リベラルアーツの拡大化
第5章 音楽<で>学ぶ-21世紀、音楽の知をもっと生かそう
 グローバル時代に求められる人間像は?
 大学のリベラルアーツは変わるのか?
 未来世代はどのような音楽環境を迎えるのか?
おわりに-音楽の豊かなポテンシャルをみいだして
引用・参考文献
コラム
インタヴュー


著者プロフィール

菅野恵理子(すがの・えりこ)
音楽ジャーナリストとして世界を巡り、国際コンクール・音楽祭・海外音楽教育などの取材・調査研究を手がける。『海外の音楽教育ライブリポート』を連載中(ピティナHP)。著書にインタビュー集『生徒を伸ばす! ピアノ教材大研究』(ヤマハミュージックメディア)がある。上智大学外国語学部卒業。在学中に英ランカスター大学へ交換留学し、社会学を学ぶ。一般社団法人全日本ピアノ指導者協会勤務を経て現職。ピアノを幼少・学生時代にグレッグ・マーティン、根津栄子両氏に師事。全日本ピアノ指導者協会研究会員、マレーシア・ショパン協会アソシエイトメンバー。(出版社サイトより)



PS ジュリアード音楽院とコロンビア大学の「コンバインド・プログラム」

コラムで世界的なヴァイオリニスト・諏訪内晶子のインタビューがあるが、くわしくは彼女自身の著書 『ヴァイオリンと翔る』(NHKライブラリー、2001 単行本初版 1998)を参照。ジュリアード音楽院とコロンビア大学の「コンバインド・プログラム」を受講し、コロンビア大学では政治学や政治思想史の授業を聴講したという。とくに日本人にとっては、西洋音楽が生み出されてきた背景についての深い知識が不可欠である。


<ブログ内関連記事>

リベラルアーツ

書評 『大学とは何か』(吉見俊哉、岩波新書、2011)-特権的地位を失い「二度目の死」を迎えた「知の媒介者としての大学」は「再生」可能か?

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは

書評 『教養の力-東大駒場で学ぶこと-』(斎藤兆史、集英社新書、2013)-新時代に必要な「教養」を情報リテラシーにおける「センス・オブ・プローポーション」(バランス感覚)に見る

『キーワードで学ぶ 知の連環-リベラルアーツ入門-』(玉川大学リベラルアーツ学部編、玉川大学出版会、2007)で、現代世界を理解するための基礎をまずは「知識」として身につける

ビジネスパーソンに「教養」は絶対に不可欠!-歴史・哲学・宗教の素養は自分でものを考えるための基礎の基礎

"Whole Earth Catalog" -「テクノロジーとリベラルアーツの交差点」を体現していたジョブズとの親和性

"try to know something about everything, everything about something" に学ぶべきこと


「教養」としての音楽

書評 『ラテン語宗教音楽 キーワード事典』(志田英泉子、春秋社、2013)-カトリック教会で使用されてきたラテン語で西欧を知的に把握する

讃美歌から生まれた日本の唱歌-日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された
・・現代音楽につながる賛美歌は、ルターによる宗教改革から始まった

書評 『オーケストラの経営学』(大木裕子、東洋経済新報社、2008)-ビジネス以外の異分野のプロフェッショナル集団からいかに「学ぶ」かについて考えてみる

「鈴木未知子リサイタル2015@船橋きららホール~未知なる道の途中で~」(2015年4月19日)で、中東世界の楽器カーヌーンとアフリカ起源のマリンバを聴く


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2015年3月10日火曜日

書評『松田聖子と中森明菜 ― 1980年代の革命[増補版]』(中川右介、朝日文庫、2014)― 1960年代生まれの世代による1980年代前半の「革命」の意味を説き明かした時代史



『松田聖子と中森明菜  ― 1980年代の革命[増補版]』(中川右介、朝日文庫、2014)は、1980年代を代表する「アイドル」、松田聖子と中森明菜の二人を対比して論じた、いわゆる「対比列伝」であるが、重点は「革命」の先行者である松田聖子に置かれている。

松田聖子は時代を変えることになる道を切り開いた先駆者でもあり、「革命」を後戻りできない道にしたのが中森明菜である。現時点においてもこの二人はほぼ「国民歌手」的な存在として安定したポジションを保っていることは、昨年(2014年)の紅白歌合戦の人選をみてもうなづかれることだ。

●松田聖子 1962年3月10日生まれ

●中森明菜 1965年7月13日生まれ

二人は、ほぼ同世代である。だが10代の3年間の差はじつはきわめて大きい。そして出身も、性格も、志向するところも大きく異なる。だが、1980年代の消費時代のアイドルであったことは共通している。

「1980年代の革命」という副題だが、より正確に表現すれば「1980年代「前半」の革命」となるだろう。それ以前とそれ以後の変化は、まさに革命的であったことを詳細に記述したのが本書の内容である。

では「革命」とはいったい何だったのか? 著者自身のコトバを借りれば以下のようになる。

いまもこの国にはアイドルがたくさんいるが、それは松田聖子が「アイドル」という存在をたったひとりの力で変革させたからである。そしてその松田聖子個人の叛乱を革命体制にまで発展させたのが中森明菜だった。二人の存在--圧倒的なレコードセールス、作品としての質の高さ--によって、サブカルチャーだったアイドルは、いまや日本芸能界のメインカルチャーとなった。
だが、アイドルがメインカルチャーとなった時点で、松田聖子と中森明菜の歴史的使命は終わっていた・・(後略)・・ (「あとがき」より)

1962年生まれのわたしは、松田聖子は同じ年の生まれだ。同時代人というよりも、完全に同世代の人間だ。

ただし、彼女は3月の早生まれなので学年は一つ上である。そう、彼女が高校卒業してデビューしたとき、わたしは高校三年生だった。翌年に大学に入学したので、つまるところ松田聖子のデビューから全盛期までは、わたしの大学時代とピッタリ重なるのである。1985年に大学を卒業して社会人になってからは、松田聖子をあまり聴かなくなったのも、偶然ではないかもしれない。

「革命」は自覚的に行うものだが、その担い手における「意識」の違いが存在する。「革命」を支えたプレイヤーそれぞれについても同様だ。苦労してデビューした「アイドル」だけでなく、冷徹な計算が支配する芸能界、作詞家・作曲家たち、そしてアイドルを支えるファン。

たしかに、松田聖子以前と以後ではまったく違う世界になったことは、時間がたてばたつほど明らかである。わたし自身、自分より上の世代との感覚の大きな違いを感じるのである。1980年代は、まさに「歌謡曲の革命」のさなかにあった。

記号とたわむれるようなコトバが浮遊する松田聖子的世界にどっぷりとつかっていた多くの男子たち、そして女子もまた。あの時代は同時にオタクの時代の始まりでもあり、この同じ世代からオウム事件の関係者が出てきたことは偶然ではない。

本書は世代論ではないが、同時代を生きた同世代の人間には、懐かしさというようも、その時代をともに生きたという実感を再体験させてくれるものであった。読みながらアタマのなかでは松田聖子と中森明菜の当時のヒットソングが鳴り響いていたことはいうまでもない。その時代のこまごまとした出来事は忘れても、歌は忘れない歌と音楽は世代と密接な関係にある。そしていまは亡き親友のことも。

1960年生まれの著者は「あとがき」でこう書いている。

後に「空っぽ」とか「カスだ」とか「見かけだけ」とか、さんざんに批判される1980年代は、私にとっては「見かけだけ立派で、中身は空洞だったかもしれないけど、その空虚さゆえに輝いていた素晴らしい時代」である。その象徴が、松田聖子と中森明菜であった。

同感である。1980年代前半とは、そういう時代だったのだ。


PS なお本日(3月10日)は、無意識の「革命家」・松田聖子の誕生日である。


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目 次

はじめに
プロローグ
第1章 夜明け前-1972年~79年 
 福岡県久留米市と東京都清瀬市の少女
 《スター誕生!》のはじまり-1972年
 沈んだ眼のアイドル
 模索するアイドル
 流行歌の条件
 女性ファンの獲得
 アイドルになりたい女の子と、普通の女の子になりたいアイドル
 <ザ・ベストテン>による変革-1978年
 時代が求めたもの
 蒲池法子、上京
 暗雲と僥倖
 明菜の最初の挑戦1
第2章 遅れてきたアイドル-1980年 
 百恵と聖子の出会い
 ポスト百恵を探せ
 アイドル歌謡曲、革命の序章
 全てを松田聖子に!
 聖子、デビュー
 聖子の思想と戦略
 消えてゆく少女
 アイドルを演じるアイドル、頂点へ
 「幸せになります」
 明菜の二度目の挑戦
 幻の三人娘
 失速する者、花開く者

第3章 忍び寄る真のライバル-1981年   二年目のジンクス
 二人の高校一年生
 《夏の扉》を開けて
 明菜、三度目の挑戦
 《白いパラソル》の記号論
 はっぴいえんど
 「自虐的な歌謡曲」との闘い
 明菜、合格
 真のライバル
第4章 阻まれた独走-1982年 
 八二年組
 ユーミン登場
 《赤いスイートピー》-不可解な名曲
 明菜、デビュー
 松田聖子の無意識、中森明菜の自意識
 《小麦色のマーメイド》論争
 形勢逆転
第5章 激突-1983年 
 歌と80年代と政治意識
 変化するヒットチャートの意味
 明菜、独走
 「無意味」を目指す人々
 解放区としての松田聖子
 聖子の世界観、明菜の世界観
 《SWEET MEMORIES》という誤算
 静かなる革命-1983年
第6章 前衛と孤独-1984年 
 過熱報道
 薄幸のベール
 ピュア、ピュア、リップス
 早すぎた成熟
 永遠の少女へ
 《十戒(1984)》
 《ピンクのモーツァルト》
 虚構を演じ続けるアイドル
 モノローグで語り続けるアイドル
 二人の思い
第7章 華燭と大賞-1985年 
 二組のカップル
 進むべき道
 婚約発表
 日本芸能史上最も華やかな日
 中森明菜の冒険
 新たなる脅威
 終わらない、ひとり旅
 松田聖子の中間決算
 松本隆と松田聖子の革命
 中森明菜の栄冠
第8章 緩やかな下降線-1986~88年 
 静かなる復帰と二連覇-1986年
 ボスの死と実験-1987年
 いくつかの齟齬-1988年
終章-1989年
あとがき
参考文献

著者プロフィール

中川右介(なかがわ・ゆうすけ)
1960年東京都生まれ。評論家。早稲田大学第二文学部卒業。「クラシックジャーナル」編集長、出版社アルファベータ代表取締役編集長として、これまで音楽書、美術書、写真集、文芸書などの多数の本を編集・出版。対比列伝の形式で音楽家などの史伝を執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



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・・「松田聖子のデビューは、わたしが高校三年生だった1980年。つまり、大学時代を過ごした190年代前半はアイドルとしての松田聖子の全盛期だったわけで、熱烈なファンであった友人の影響もあって、彼女のデビュー以来30年以上のあいだ同世代としては気になってきた存在なわけなのです。この本は、松田聖子登場以前、熱狂的ファンをもっていた山口百恵(・・現在は三浦百恵)との比較で、1980年に登場した松田聖子の意味をあきらかにした先駆的な名著だといっていいでしょう」

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(2016年3月24日 情報追加)


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