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2022年12月1日木曜日

マンゾーニの『いいなづけ』(平川祐弘訳、河出文庫、2006)を読了 ー さらなるパンデミックの再来に備える心構えをもつため、17世紀イタリアのペスト大流行を描いた文学作品を読む



「イタリアの国民文学」とされているマンゾーニの『いいなづけ』を読了。平川祐弘訳の河出文庫版で上中下の3冊。19世紀半ばに書かれた長編小説だ。

2020年にCOVID-19(=コロナウイルス感染症)の感染爆発が始まった当初、ミラノの高校の校長先生が生徒たちにあてた手紙のなかで、『いいなづけ』を読んで、ペストが大流行した400年前の混乱状況を思い起こすように語ったことが報道されていた。

これが文庫版の「復刊」につながったようだ。2006年に文庫化されてから14年ぶり(!)の復刊である。

地方の農村で生まれ育ち、結婚を誓い合った若い二人が、結婚をまじかにして運命に翻弄されて離ればなれになりながらも、最後はハッピーエンドを迎えるという内容だが、もちろん小説の山場はペストに襲われた大都市ミラノの混乱ぶりにある。 

小説の設定は1628年から1630年にかけて、舞台はイタリア北部のミラノ侯爵領のミラノとコモ湖畔の農村。当時はミラノ侯爵領はスペイン帝国の統治下にあった。川をはさんで「国境」を接していたのがヴェネツィア共和国である。イタリア統一は1860年、著者のマンゾーニ自身もイタリア統一の精神的指導者であった。


(第34章より ペストの死者が運び出されていく光景)

 文庫本で1000ページを超える分量なので、なかなか読むのは大変だ。しかも、海外文学の長編小説にはあるがちだが、本筋とは直接関係ないような描写もけっこうあるので読み進めるのは一苦労。だが、文庫本で下巻となる第28章から、物語は怒濤のように一気に展開していく。ペストの大流行が始まったのだ!

そうでなくても、すでにうちつづく飢饉のためミラノでは食糧暴動が発生していた。そこに「ドイツ三十年戦争」(1618~1648)のさなか、マントヴァ侯爵領の攻略のため南下してきたドイツ人傭兵たちによる略奪と虐殺で農村が荒廃していた。そのうえ、さらにペストの大流行が始まったのである。 「17世紀の危機」はイタリアも襲っていたのである。

ミラノの校長先生が生徒たちに『いいなづけ』を読むように語ったのは、自分たちが生活しているミラノが舞台だからであろう。 

だが、ミラノの人間ではなくてもパンデミックがいかに大きな混乱をもたらしたか、読ませるものがある。これでもかこれでもかというほど、ディテールにこだわった描写にリアリティがあるからだ。


(文庫版の帯より 上から㊤㊥㊦の帯)


なるほど、こういう大混乱のなかでは、人間が考えることも行動も変わらないな、と。 そしてまた、パンデミックが去ったあとに、幸運にも生き残った人たちの言動についても、十分に説得力があることが読むとよくわかる。この点にかんしても、400年前と変わらないな、と。 

ペストを題材にして描いた文学作品には有名なカミュの作品のほかいくつかあるが、ダニエル・デフォーの『ペスト』は、1665年のロンドンでの大流行を扱ったものだ。この『いいなづけ』は、1630年のミラノでの大流行を扱ったものだ。 

そろそろ「コロナ」の大流行も終わりに近づいているいま、この貴重な体験を振り返り、今後のパンデミックに備えるためにも、記憶が薄れないうちにペストを扱った欧州の文学作品を読んでおく意味はある。

大事なのは、事実をベースにしたイマジネーションの力なのだからだ。 事実の羅列だけだは、イマジネーションを働かせるには限界があるからこそ、文学のもつ力が必要となる。


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著者プロフィール
アレッサンドロ・マンゾーニ(Alessandro Manzoni 1785~1873)
19世紀イタリア最大の国民作家。ミラーノの貴族出身。1860年上院議員となり、イタリア統一の精神的指導者として国民的尊敬を受けた。

翻訳者プロフィール
平川祐弘(ひらかわ・すけひろ)
1931年東京生まれ。東京大学名誉教授。比較文学者。著書多数。イタリア関係では『マッテオ・リッチ』など。


 PS 『いいなづけ』が扱っている時代は、17世紀前半の混乱期だが、拙著『世界史から読み解く「コロナ後」の現代』(ディスカヴァー、2020年12月)執筆の際には時間がなくて読めなかった。書き直す機会があれば(・・ないだろうが)、『いいなづけ』についても言及したいものだな、と。 

<関連サイト>

・・さすが「国民文学」だけあってイタリア語版の情報が充実。


<ブログ内関連記事>






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2020年6月20日土曜日

書評『ペスト大流行 ー ヨーロッパ中世の崩壊』(村上陽一郎、岩波新書、1983)ー 感染症爆発とトビバッタの大発生による食糧危機は同期する!?


『ペスト大流行-ヨーロッパ中世の崩壊』(村上陽一郎、岩波新書、1983)を読んだが、面白い事実を発見した。

著者の村上陽一郎氏は、日本を代表する科学史の大家の一人。大学学部時代にヨーロッパ中世史のゼミにいたこともあり、この本は出版された時点ですぐに読んでいるのだが、いくら探しても本が見つからない。仕方ないので、今回の新型コロナウイルスのパンデミックで復刊されたので先日購入した。 

じつに37年ぶり(!)の再読となるわけだが、当然のことながらディテールなどまったく記憶から消えていた。14世紀に地中海沿岸を含むヨーロッパ全域に拡大したペスト被害の恐怖がユダヤ人をスケープゴートにしたという点だけに注目していたからかもしれない。この点は、いま大きな問題となっている米国の不当な黒人差別と同根だ。 感染症爆発は分断と差別、そして暴力を生み出すのは人間の悲しい性(さが)である。

本書で興味深いのは、感染症爆発とトビバッタの発生がほぼ同時期に発生していることが、歴史的に確認できるという記述だ。 


奇妙なことに、ペストの流行とトビバッタの大発生とは、不思議に暗合する(P.57) 


アフリカ東部で大発生し、食糧を食い荒らしているアフリカトビバッタ(locust)の群れが、インドでも被害を拡大させている事態が、ようやく日本語メディアでも報道されるようになっているが、感染症の爆発とトビバッタの大発生は、無関係の現象ではないと考えるべきかもしれない。


 
(サバクトビバッタの大群 東アフリカからパキスタン・インドに被害が拡大(ロイター よりキャプチャ)


引き続き『ペスト大流行』から引用を続けよう。


14世紀に入って、ヨーロッパのみならず当時歴史を記し得た文化圏に共通に、気象の変化が起こっていた。打ち続く旱ばつ、寒冷な夏、洪水などによって農村は極度の疲弊に追い込まれた」(P.56) 

14世紀に入って、中国大陸は、洪水、旱ばつ、地震に加えて、大蝗害にも見舞われていた」(P.58)  

14世紀ペストの世界的大流行が、古今未曾有の伝染力をもつペスト菌によって支えられていた(・・中略・・)その背後には、こうした自然環境の極度の悪化や、それに伴う飢饉によって、人びとの抵抗力が予想以上に低下していたこと(・・後略・・)」(P.60) 


蝗害(こうがい)とは、イナゴの食害のことだ。基本的に、トビバッタの食害とおなじである。

感染症爆発とトビバッタの大発生による食糧危機は、いずれも地球環境の変化がもたらした自然災害と関係があるということだ。トビバッタの大発生は、土中の湿度変化が影響しているのである。

 14世紀の場合は「地球寒冷化」であったが、21世紀の現在は「地球温暖化」だ。寒冷化と温暖化では方向が違うとはいえ、いずれも正常な状態からの逸脱であることには変わりない。

ペスト菌という「細菌」と、新型コロナウイルスという「ウイルス」の違いがあっても、感染症爆発という点は共通している。 細菌は生物だが、ウイルスは生物ではない。生物と無生物の中間的存在だ。

現在の地球温暖化は、太陽黒点などの自然現象に由来するものもあるが、化石燃料の消費増大という人為的な要因もすくなからずある。 

新型コロナウイルスのパンデミックに見舞われた人類だが、根本要因にさかのぼって地球環境問題について真剣に反省し、アクションを起こす必要があると痛感する。 






<ブログ内関連記事>

JBPressの連載コラム第74回は、「繰り返される中国とイタリアの悲劇的な濃厚接触-パンデミックはグローバリゼーションを終わらせるのか」(2020年3月24日)

書評 『ウイルスの意味論-生命の定義を超えた存在-』(山内一也、みすず書房、2018)-こういう時期だからウイルスについて知る

映画『コンテイジョン』(米国、2011)を見た-その先見性の高さに脱帽

スワイン・フルー-パンデミック、すなわち感染症の爆発的拡大における「コトバ狩り」について

大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・

「ジャパニーズ・ミラクル」?「ジャパニーズ・ミステリー」?-念ずれば通ず、かな?


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2009年5月21日木曜日

スワイン・フルー-パンデミック、すなわち感染症の爆発的拡大における「コトバ狩り」について


 ワイン・ブルーではない。スワイン・フルーです。

 ローマ字で書けば Swine Flu とつづる。Swine Influenza の略、すなわち豚インフルエンザのことである。

 Swine が豚を表す古語であるためか、音声として耳で聞く限り決して悪い響きではない。ちなみに鳥インフルエンザは bird flu という。
 
 ついに昨日(20日)には東京都内でも発症者発生か・・

 墓参りを兼ねて京都で友達と飲もうかな、などと考えていたが無期延期か・・・なんてこと考えること自体すでにナンセンスだな。ニューヨーク帰りの高校生が発病しなかったとしても、京都から新幹線で2時間ちょっと、景気が悪くて人の行き来が減っているとはいえ、時間の問題であったといえる。

 東京都内でもすでにマスクの品切れが始まっている。子供の頃に体験した石油ショック時のトイレットペーパー買占め事件を思い出すねー。
 日本中のどこかにマスクは滞留してるはずなので、全国でチェーン展開しているドラッグストアなら在庫情報はリアルタイムでわかるはず。マスクに対する総需要に対して総供給量は決して不足していないはずである。

 結局これはディストリビューションとロジスティクスの問題なのだ。ノーベル賞受賞の経済学者アマルティア・センが指摘する、自然災害発生時における大量飢餓発生の問題とメカニズムは同じだろう。緊急食料援助がなされても、必要とする人々に効果的、効率的に行き届かない・・・
 
 パンデミック、すなわち感染症の爆発的拡大のことについて、時代を大幅に遡って考えてみてみよう。

 歴史学のぜミナールに所属し、ヨーロッパ中世史で卒論書いた私にとって、パンデミックといえばなんといっても「黒死病」である。ペストのことだ。
 黒死病が猛威をふるった時代に発生したユダヤ人虐殺が、ヨーロッパにおけるホロコーストの原型になったことは、歴史に詳しければご存じだろう。

 時代は下るが、英国の小説家ダニエル・デフォー(Daniel Defoe)には、そのものずばりのタイトル 『ペスト』 という小説がある。原題は、The Journal of the Plague Year (1722)、1665年に大流行したロンドンのペストの記録文学である。

 内容はさすが『ロビンソン・クルーソー』の作者だけある。17世紀ロンドンを襲ったペストの被害を、死亡者にかんする統計データをこれでもかこれでもかと出し、かつ即物的に、実に細かく描写した知られざる作品だ。ナマナマしい印象が読後感として残る。平井正穂訳で中公文庫から出ていたので大学時代に読んだのだが、残念ながら現在は在庫切れのままである。パンデミックが「いまここにある危機」なんだから、復刊すればいいのにね。

 また、19世紀米国の文学者エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe :これにあやかって江戸川乱歩というペンネームが考案された)には、『赤死病の仮面』(The Masque of the Red Death)という、実に恐ろしい短編ホラー小説がある。

 赤死病とは、黒死病をもじって創作した架空の伝染病なのだが、E.A. ポーのイマジネーションとリアルな描写力が強く印象に残る作品だ。
 舞台設定は中世ヨーロッパ、パンデミックで死者が大量発生した状況下、浮世の憂さを晴らすため、プリンスが健康な男女の友人多数を、外部から完全にシャットアウトした城砦に集めて引きこもり、連日飲めや歌えのどんちゃん騒ぎを続けていたある日、仮面舞踏会(マスカレード)の最中・・・・。

 短い作品なので、ぜひ文庫本で読んでください。著作権は切れてるので、英語原文ならネットで公開されています。

 最後に「コトバ狩り」について苦言を。

 最近のメディアでは、いつからか特定しにくいが、「豚インフルエンザ」を知らないうちに「新型インフルエンザ」と言い換えていることに、本日ふと気がついた。

 かつて大きな話題になった「狂牛病」も、知らないうちに「BSE」などという何の略語かわからない専門用語にとってかわられてしまっている。発音しにくいし、一般人には何のことかさっぱりわからない。

 ところが、英語圏ではいまだに、mad cow disease といい続けている。読んで字の如く狂牛病である。フラフラになって倒れた牛の映像が、このネーミングのリアリティを担保していたのではなかったのか? 冒頭に書いたように、今回流行しているインフルエンザも同様に Swine Flu(豚インフルエンザ) のままだ。

 「豚インフルエンザ」という表現が消えたのはなぜだ?? 

 豚肉食べてもまったく関係ないのにかかわらず、食肉業界からロビー活動でもあったのか、それともマスコミによる自主規制か? イスラーム圏のエジプトで少数派であるコプト教徒(キリスト教)が飼育する豚が大量処分されたからか? 
 発生源が鳥ではなく豚だった、ということが今回のインフルエンザの重要なポイントなのに・・・本当に怖いのは鳥インフルエンザなのに、すでにパンデミックは今回でおしまいと勘違いしてしまわないのか?
 
 日本は、本当におかしな国になってしまっている。

 作家の筒井康隆が過剰なコトバ狩りに抗議して「断筆宣言」したことなど、もうとうの昔に日本人の記憶から消えているのだろうか。なぜ現実から目をそらすのだ、いや目をそらさせるのだ?

 何か不透明なものを感じるのは私だけなのだろうか?






<付記>

ダニエル・デフォーの『ペスト』が中公文庫から改版として復刊されるようだ。時宜を得た復刊は歓迎だ(2009年7月18日記す)。


P.S. 2011年11月12日にタイトルを改題して、行替えを行い加筆した。

PS2 『ペストの記憶』というタイトルで「英国十八世紀文学叢書 第3巻 カタストロフィ」として、 研究社から2017年9月27日に武田将明訳で出版。(2017年9月28日 記す)





<ブログ内関連記事>

大飢饉はなぜ発生するのか?-「人間の安全保障」論を展開するアマルティヤ・セン博士はその理由を・・・
・・総需要に対して総供給が十分対応しているのにもかかわらず、末端に供給が行き渡らないのは、ディストリビューションとロジスティクスが問題

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる       
・・「『健康と食事』を読んで驚くのは、すでに1922年から1924年にかけての時期に、「狂牛病」について警告を発していたことである」

「TPP」 という 「めくらましコトバ」 にご用心!

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