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2014年3月21日金曜日

書評『高度成長 ― 日本を変えた6000日』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)― 1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した



いまから30年ほど前の1985年前後、その頃はバブル前夜の時期であったが、「戦前」と「戦後」で時代を区分する発想法が圧倒的に支配的であった。いわゆる「断絶史観」である。

もちろん2014年現在でもそのその発想法の残滓(ざんし)がいたるところに残っており、日本は無謀な戦争に突入してクラッシュしたが戦後は「再生」し「新生」したといういい方がされることはまだまだ多い。

わたし自身もそのようなことを思ったり、発言したりすることがなくもないが、とはいえ、それはどうも違うのではないかという意識はかなり以前からつよくもっている。

「先の大戦」によって日本近現代史は断絶しているのではなく、明治維新以降の歴史が一貫してつづいている見るべきだという考えは、スパンをひじょうに長くとれば当然だと理解されることだろう。

応仁の乱以降の「500年単位の歴史」のなかでも明治維新以降の最後の百数十年は、西欧をモデルに日本が近代化の道をまっしぐらに走った時代であると捉えるのがただしいのである。その途中で大きくつまづいて大怪我をしたが、すぐに立ちあがって走りつづけたのである。

大東亜戦争の敗戦は壊滅的な破壊をもたらしたが、それでも明治維新体制の官僚制は強固に生き延びたのである。占領軍が官僚制の解体には手をつけなかったというより、むしろ積極的に利用して効率的に占領政策を推進したというのが真相だ。

またビジネスパーソンの立場から経済史や経営史をみていると、どうも「高度成長」期が大きな分かれ目になったのではないか、ということに気がつくことになる。


1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した

この思いを決定的にしてくれたのがケインズ派の経済学者・吉川洋氏による本書『高度成長-日本を変えた2000日-』(読売新聞社、1997)であった。シリーズ「20世紀の日本」の一冊として出版された。

1950年代中頃から日本が経験した「高度成長」について、著者自身の実体験を紹介しながら、社会変動まで視野におさめてて本質に迫った良書である。文庫化されたのも当然だ。




日本独特の流通制度や農業など、江戸時代中期以降に確立したさまざまな構造や制度は「敗戦」を乗り越えて生き延びたにもかかわらず、「高度成長」期を境に大規模に変化がはじまり、その多くが解体していったのである。

「高度成長」とは、それほど大きな変化だったのである。明治維新後でも敗戦後でもなく、「高度成長期」に劇的に変化したことは、もうそろそろ「常識」となってもいいのではないかと思う。

鉄道の変化からみても、1964年を前後にした断絶のほうが、「戦前」と「戦後」の断絶よりもはるかに大きかった。

「弾丸列車」の異名をとった新幹線は、いまからちょうど50年前の1964年の東京オリンピック前に開業したのだが、新幹線の開業によって東京-新大阪間が3時間超で結ばれ、人の移動が大規模になった単行本の帯にあるように、高度成長期にはまさに経済「特急列車」が突っ走ったのである。

「高度成長」期には、その当時は「三種の神器」といわれていた白物家電の洗濯機・冷蔵庫・テレビが普及し、栄養状況が好転して平均寿命は10年も伸び、3人に2人がサラリーマンという勤め人になった。そういう時代に満員電車という社会現象が出現したのだ。

ダイエーの中内功氏による「流通革命」はまさに「革命」であった。江戸時代中期に完成した流通制度は高度成長時代に変容したのである。このほか、「高度成長」時代は企業家が主導してさまざまな「革命」が行われた時代でもある。「革命」の担い手は左翼でも右翼でもなく起業家になったのだ。

「高度成長」期を支配したのは自己肯定感に満ちた「経済ナショナリズム」であった。左翼でも右翼でもない中道保守路線への鮮やかな転換。「所得倍増」という卓抜なスローガンを国民の多くが支持したからこそ、日本の復興は実現したのである。

江戸時代以来の「前近代」(=初期近代)は完全に払拭され、「近代」が完成したのが1960年代の「高度成長」期だったのだ。だから、1973年の石油ショックで「高度成長」が終わったとき、日本においては「近代」は終わったと考えるべきだろう。


「高度成長の」代償

だが一方では、「高度成長」という「近代の完成」の代償として失ったものは多い。

いわゆる『Always 三丁目の夕日』の世界がノスタルジーの対象として回顧されるが、実際はあんなキレイごとの世界だけだったわけではない。イタイイタイ病や水俣病、複合汚染など公害病に苦しむ国民が多数発生したことにも目を向けなくてはならないのだ。経済成長を下支えした科学技術の暴走による負の側面が目立ち始めてきたのである。

この当時を多少なりとも知っているわたしには、いま中国で発生しているさまざまな事象に既視感を感じてしまう。わたし自身も光化学スモッグによる公害の被害者である。あの頃は、ほんとうにひどかった。

「3-11」以後の現在、原発にかわる発電用燃料輸入の増加と安倍政権の円安政策があいまって、高度成長の最大の果実であった貿易黒字が急速な勢いで減少しつつある。

インターネットもそうだが、普及後のアフターの世界にどっぷりつかっていると、ビフォアの世界がどうだったかについてイマジネーションが働かなくなる。貿易黒字体制は「高度成長」以後の話であり、それ以前の日本は慢性的に「持たざる国」状態が続いていたことを想起しなくてはならない。

その意味でも新幹線開業と東京オリンピックから半世紀たったいま、「高度成長」とは日本史においていかなる意味をもっているのかを知ることはきわめて重要だ。本書はそのために推奨したいイチオシの良書である。


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目 次
はじめに
第1章 今や昔-高度成長直前の日本
第2章 テレビがきた!
第3章 技術革新と企業経営
第4章 民族大移動
第5章 高度成長のメカニズム
第6章 右と左
第7章 成長の光と影-寿命と公害
おわりに 経済成長とは何だろうか
あとがき
文献案内
関連年表

著者プロフィール
吉川洋(よしかわ・ひろし)1951年、東京都に生まれる。専攻はマクロ経済学。東京大学経済学部卒業後、イェール大学大学院博士課程修了(Ph.D)。ニューヨーク州立大学助教授、大阪大学社会経済研究所助教授、東京大学助教授を経て東京大学大学院教授。著書に、『マクロ経済学研究』(東京大学出版会、日本経済図書文化賞、サントリー学芸賞)、『日本経済とマクロ経済学』(東洋経済新報社、エコノミスト賞)、『転換期の日本経済』(岩波書店、読売吉野作造賞)など(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS 「高度成長の時代へ」(国立公文書館 平成26年春の特別展)が開催されます。(2014年4月11日 記す)

<概要>
サンフランシスコ平和条約の調印により主権を回復し、その後劇的な経済成長を遂げた日本。春の特別展では、1951(昭和26)年のサンフランシスコ平和条約の調印にはじまり、1972(昭和47)年の沖縄本土復帰に至る日本のあゆみをたどります。当時作成された文書からは、所得倍増計画、国土開発、新幹線、東京オリンピック、大阪万博・・・等、豊かさを求めて進んでいった「あの時代」が甦ります。⇒ http://www.archives.go.jp/exhibition/

会期: 平成26年(2014年)4月19日(土)~5月11日(日)
開館時間: 月~水、土・日曜日 午前9時45分~午後5時30分
       木・金曜日 午前9時45分~午後8時
※入館は、それぞれ閉館30分前まで(特別展は、期間中無休)
会場: 国立公文書館 本館 入場料 無料

<主な展示>
長期経済計画資料: 「国民所得倍増計画」など1960年代に経済企画庁が作成した長期経済計画資料。
荻窪住宅計画図(1958年): 東京都杉並区荻窪に日本住宅公団によって建設された荻窪団地の計画図面。
佐藤榮作日記: 佐藤榮作元内閣総理大臣の直筆日記。1952~1975年まで、全40冊。沖縄返還記念式典(1972年5月15日)の記述。




<ブログ内関連記事>

■「高度成長」のポジティブな側面

書評 『ハーバードの「世界を動かす授業」-ビジネスエリートが学ぶグローバル経済の読み解き方-』(リチャード・ヴィートー / 仲條亮子=共著、 徳間書店、2010)
・・「ジャパン・ミラクル」(=日本の奇跡)というケーススタディから本書が始まるのは、現在に生きる日本人ビジネスパーソンにとっては実に新鮮に写る・・(中略)・・高度成長は空前絶後であり、これほど国情と国家戦略がフィットして機能した例は他にないからだ。 この「日本モデル」とその応用発展系である「シンガポール・モデル」を押さえて進める議論は、すんなりとアタマに入りやすい」

沢木耕太郎の傑作ノンフィクション 『テロルの決算』 と 『危機の宰相』 で「1960年」という転換点を読む

書評 『「鉄学」概論-車窓から眺める日本近現代史-』(原 武史、新潮文庫、2011)-「高度成長期」の 1960年代前後に大きな断絶が生じた

書評 『「夢の超特急」、走る!-新幹線を作った男たち-』(碇 義朗、文春文庫、2007 単行本初版 1993)-新幹線開発という巨大プロジェクトの全体像を人物中心に描いた傑作ノンフィクション

「東京オリンピック」(2020年)が、56年前の「東京オリンピック」(1964年)と根本的に異なること

書評 『「ビジネス書と日本人』(川上恒雄、PHP研究所、2012)-高度成長期の日本で一大ジャンルに成長した「ビジネス書」とは何か?


「高度成長」のネガティブな側面

書評 『梅棹忠夫の「人類の未来」-暗黒の彼方の光明-』(梅棹忠夫、小長谷有紀=編、勉誠出版、2012)-ETV特集を見た方も見逃した方もぜひ
・・1970年の大阪万博を推進した梅棹忠夫がついに書けなかった『人類の未来』という本

書評 『原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜-』(山岡淳一郎、ちくま新書、2011)-「敗戦国日本」の政治経済史が手に取るように見えてくる

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える

書評 『苦海浄土-わが水俣病-』(石牟礼道子、講談社文庫(改稿版)、1972、初版単行本 1968)

書評 『複合汚染』(有吉佐和子、新潮文庫、1979、初版1975年)


「近代」は終わった-「500年単位」の歴史で考える

「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む

書評 『21世紀の歴史-未来の人類から見た世界-』(ジャック・アタリ、林昌宏訳、作品社、2008)-12世紀からはじまった資本主義の歴史は終わるのか? 歴史を踏まえ未来から洞察する

(2015年3月25日、7月7日 情報追加)


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2014年1月26日日曜日

『足尾から来た女』(2014年1月)のようなドラマは、今後も NHK で製作可能なのだろうか?


NHKのドラマ『足尾から来た女』が面白かった。2014年1月18日と25日と2回にわたって放送された土曜ドラマである。

足尾とは足尾銅山の足尾。栃木県の足尾である。「足尾鉱毒購事件」という「富国強兵時代」の近代日本が経験した初の「公害事件」である。

戦後の「高度成長時代」の日本はイタイイタイ病や水俣病を経験することになる。そしてまた「3-11」で福島第一原発の事故で放射能漏れを経験することになった。この国は何も変わっていないのではないか?


「足尾鉱毒事件」と谷中村出身者が主人公

鉱毒によって環境汚染された足尾の谷中村から「土地強制収用」によって立ち退きを余儀なくされ、生まれ故郷を喪失することになった農民たち。

その農民の娘の一人が主人公の新田サチであった。直訴状で有名な田中正造の推薦で、東京の福田英子宅の住み込み女中となった。これは史実にもとづいた実話のようだ。

福田英子(ふくだ・ひでこ)は旧姓は景山、自由民権運動の闘士から社会主義者になった女性運動家である。当時は老いた母親と年下の社会主義者・石川三四郎と暮らしていた。明治時代前半の「自由民権運動」時代には「大津事件」に連座、爆発物所持を理由に逮捕され投獄されている。直情径行で、「明治の爆弾娘」ともいうべき人であった。

農民として生まれ、字を読めず、ある意味では無知でもあったサチは、警察から福田英子宅で見聞きした話は細大漏らさず報告するように求められる。つまり密偵の役割を負わされたわけだ。

そのサチが福田英子の交友関係を中心としたネットワークーのなかに巻き込まれ、大逆事件で死刑となった幸徳秋水や堺利彦、石川三四郎といった社会主義者、社会主義に限りなく共感を寄せる文学者の石川啄木、そして与謝野晶子といった人々とのかかわりのなかで成長してくストーリー。

特定の主義ではなく、生まれ故郷を追われたことに対する怒り。これは人間にとって、より根源的なものだ。

たとえ時代はいまから100年以上前のものだとしても、扱われているテーマはきわめてアクチュアルなものである。「激動の明治時代」と銘打たれているが、生きるのが厳しい時代であるのはいつの時代でも変わらない。

主人公を演じた尾野真千子、田中正造を演じた柄本明、福田英子を演じた鈴木保奈美のいずれも好演であった。明治末の時代をよく表現できていたと思う。


日本の「時代閉塞状況」はさらに強まりつつあるのか?

足尾鉱山、谷中村、田中正造、福田英子、幸徳秋水、石川三四郎・・・。こうならべると「反権力」のかたまりのような面々ではないか。とくに大逆事件で死刑になった幸徳秋水の汚名はいまだに払拭(ふっしょく)されたとは言い難い。

NHKは昨日(2014年1月25日)からあたらしい会長のもとで新体制になった。「不偏不党」の公共放送としての理念を堅持すると言っていた。

だが、時の権力に立てついた人々を描いた『足尾から来た女』のようなドラマが、はたして企画じたい今後は通るのだろうか? 

先ごろ NHK に送り込まれた安部首相のお友達の面々が、いかにも毛嫌いしそうなテーマでないか!? 抒情的な作品で有名な歌人・石川啄木は、「われは知る、テロリストのかなしき心を・・・」(「ココアのひと匙」1915年)、なんてテーマを歌った詩人でもある。

異議申し立てのできない、異論や反論の許されない社会は、それこそ石川啄木ではないが「時代閉塞」(1910年)そのものである。わたしは社会主義や社会主義政党には共感は感じたことはないが、社会正義の追求は、よって立つ主義のいかんにかかわらず追求すべきものであると考える。健全な批判精神こそ、自分のアタマで考え、自分で行動するためにもっとも重要なマインドセットである。

自由民権運動の火が燃え上がったのは、「一、広く会議を興し、万機公論に決すべし」で始まる「五箇条の御誓文」の精神が、政府によってないがしろにされてきたことに対する怒りが原点にあるのだ。

自由民権運動の闘士であった福田英子も、その家の住み込み女中となった谷中村出身のサチも、アタマでっかちの議論ではなく、ハラの底からの怒りを感じた女性たちであった。

近代日本の出発点にあたって高らかにうたい上げられた「五箇条の御誓文」の精神に、いまいちど立ち返るべきではないか? 「五箇条の御誓文」の精神こそ、グローバル社会のなかでナショナルな存在として生きていくための指針となるものだからだ。




PS さっそくNHK新会長が「不偏不党ではない」ことが露呈

総合商社出身だが国際感覚を著しく欠いた新会長。

いきなり従軍慰安婦や強制連行などにかんして「持論」を開陳「公共放送」を預かる「公人」とは思えない発言内容に、仕事はできても「教養」と「品性」の欠如した典型的な「日本人ビジネスマン」を感じるのは、わたしだけではあるまい。

この発言が「不偏不党ではない」と主張して弁護する政治家たちがいるが、「左翼」に反対する見解ならすべてが許されると思うのは甘い。いや傲慢ですらある。国民を愚弄するにもほどがある。

「公人」の立場ではなく「私人」の立場での発言だなどという「妄言」が許されるとしたら、なんでもありではないか。まことにもってお粗末な国の粗末な「公人」たちである。

(2014年1月29日 記す)


(参考) 「籾井新会長の登場により露呈したNHKというシステムの矛盾」(現代ビジネス 2014年1月29日)
「いっそ受信料を廃止してしまい、税金で運営する国営放送になってしまったほうが形としては分かりやすい」、という記事の筆者の発言には大いに賛成。

受信料支払者に発言権がないのはおかしいのではないか!? 相互会社形態をとる保険会社でも、保険金の支払者である保険加入者には経営に対する発言権があるではないか!


かける前にかかるのが「圧力」だ (小田嶋 隆、日経ビジネスオンライン、2014年1月31日)
・・NHK会長の発言について。「現場」の反応はまさに小田嶋氏が推測するとおりだろう



<関連サイト>

NHKのドラマ『足尾から来た女』 (公式サイト)

石川啄木 「呼子と口笛」(青空文庫)
・・このなかに「われは知る、テロリストの かなしき心を--」ではじまる「ココアのひと匙」や「飛行機」といった名編がある


<ブログ内関連記事>

「主権在民」!-日本国憲法発布から64年目にあたる本日(2011年5月3日)に思うこと
・・民権>国権か、民権<国権か、この議論は明治時代に近代化が始まって以来の争点である

「五箇条の御誓文」(明治元年)がエンカレッジする「自由な議論」(オープン・ディスカッション)
・・この「国是」を出発点として「自由民権」運動がわきあがった

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!
・・「かりそめにも政府に対して不平を抱くことあらば、これを包みかくして暗に上を怨むことなく、その路を求めその筋に由り、静かにこれを訴えて遠慮なく議論すべし。天理人情に叶うことならば、一命をも抛(なげう)ちて争うべきなり。これすなわち一国人民たる者の分限と申すものなり」(初編)

『大アジア燃ゆるまなざし 頭山満と玄洋社』 (読売新聞西部本社編、海鳥社、2001) で、オルタナティブな日本近現代史を知るべし!
・・国権主義者と目される頭山満であるが、もともとは民権思想家の中江兆民とは親友であり、頭山満の思想とは民権は国権が主導してこそ実現するという趣旨すべしというもので、民権派との違いはバランスの力点の置き方の違いであったことに注意したい

書評 『ナショナリズム-名著でたどる日本思想入門-』(浅羽通明、ちくま文庫、2013 新書版初版 2004)-バランスのとれた「日本ナショナリズム」入門

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える
・・「富国強兵」と「高度成長」の共通性はポジティブな側面とネガティブな側面に共通! 「1954年生まれの安倍晋三、1957年生まれの石破茂という「ポスト団塊世代」の政治家二人。奇しくも復活した第二次安倍内閣で総理大臣と自民党幹事長という要職についている二人である。安倍晋三は満洲国で統制経済を主導した「革新官僚」岸信介の孫である。石破茂は大陸や半島に海を挟んで最前線のある島根出身の政治家である。著者は、団塊世代と団塊ジュニアにはさまれた「ポスト団塊世代」に、「戦前・戦中」と「戦後」をつなぐものがあるとみているのだろうか?「戦前・戦中」と「戦後」はいっけん断絶したようにみえて、じつは根底のところでつながっているのである」

書評 『苦海浄土-わが水俣病-』(石牟礼道子、講談社文庫(改稿版)、1972、初版単行本 1968)

書評 『複合汚染』(有吉佐和子、新潮文庫、1979、初版1975年)

書評 『原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜-』(山岡淳一郎、ちくま新書、2011)-「敗戦国日本」の政治経済史が手に取るように見えてくる

石川啄木 『時代閉塞の現状』(1910)から100年たったいま、再び「閉塞状況」に陥ったままの日本に生きることとは・・・ 

冬の日の氷雨のなか、東京のど真ん中を走る馬車を見た
・・田中正造の直訴状(1901年)

NHKの連続テレビ小説 『カーネーション』が面白い-商売のなんたるかを終えてくれる番組だ
・・尾野真千子主演

書評 『チェンジメーカー-社会起業家が世の中を変える-』(渡邊奈々、日本経済新聞社、2005)



 
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2011年5月6日金曜日

書評『苦海浄土 - わが水俣病』(石牟礼道子、講談社文庫(改稿版)、1972、初版単行本 1968)ー 「フクシマ」で「ミナマタ」の悲劇がふたたび繰り返さないことを願いつつ読む


「フクシマ」で「ミナマタ」の悲劇がふたたび繰り返さないことを願いつつ読む

 福島第一の「原発事故」の処理に際して、放射能汚染水を地域住民にも国際社会にもいっさい説明することもなく、垂れ流しの決定を行った日本政府。このことを知ってただちに思い出したのは「水俣病」のことであり、『苦海浄土』のことである。

 今回の「人災」を機会に、ずいぶん前に買って本棚に入れておきながら、背表紙を眺めるだけで、読まないままになっていた文庫本を読み始めた。単行本初版からは、すでに 43年もたっている。

 水俣病とは、チッソが海に流した廃液にふくまれたメチル水銀が食物連鎖のなかで魚介類に蓄積し、それを日常的に食べていた漁民を中心に引き起こされた公害病のことである。1956年に公式に確認された水俣の悲劇は世界中に知れ渡り、水俣はミナマタとなった。わたしも子どものときに TVで見た、ネコが踊り狂うモノクロの映像が目に焼き付いている。

 この本は、「公害事件」を目の当たりにした、その土地に育ち、生きてきた一人の女性で、主婦で、詩人の手になる作品である。「公害」発生前の美しい海と、「公害」発生後の汚れた海から目をそらすことなく、被害にあった漁民たちにきわめて近いところで寄り添い、声になった怒り、声にならぬ魂の叫びを、著者の肉体と精神というフィルターをとおして文字にした文章を集めて一書にしたものだ。

 『苦海浄土』の「苦海」(くかい)とは、生き地獄を意味する「苦界」(くがい)に掛けたものだろう。だが、その「苦海」と「浄土」が結びつくとき、いったい何を意味しているのだろうか?

 あくまでも「私小説」でありノンフィクション作品ではない。また、土地の方言を生かした語り口は、土地の人間ではない読者には慣れないので、けっして読みやすいものではない。だが、これは方言の使用なくして書きえなかった作品であることは間違いない。 

 福島に第一原発と第二原発をもつ東京電力と周辺住民の関係は、熊本県水俣に肥料工場を建設したチッソ(=新日本窒素肥料株式会社)と周辺住民の関係と似ていることは否定できない。もちろん単純な比較は意味がないことではあるが。

 メチル水銀のまじった汚染水と放射能をふくむ汚染水という違いはあるが、漁場が汚染されたという事実だけでなく、致命的な事故が発生するまでは東電もチッソも地域にカネを落とし、雇用の一部を作り出した恩恵者であったことが共通しているのだ。

 環境汚染企業と周辺地域住民との関係はアンビバレントなものであり、「企業城下町」や「原発城下町」という性格を知ることなしに、汚染水問題を論じることの難しさもまた知ることになる。

 この国は、近代に入ってから足尾銅山、カネミ油症、イタイイタイ病、森永ヒ素ミルク事件と、枚挙に暇(いとま)のないほど、数々の「公害事件」を引き起こしてきた。

 現在フクシマで起こっているアクチュアルな事件を見つめながら、先行するミナマタを描いた小説を読む。こういう読み方は文学作品の読み方としては邪道かもしれないが、それでもこの『苦海浄土』を読むと、文学のチカラをあらためて感じることもできるのだ。

 科学万能神話に疑問符がつきだしたいまこそ、詩人をはじめとする文学者への期待するものは大きい。

 今回の大地震、大津波、原発事故、風評被害という四重苦から、どんな文学作品が生まれてくることになるのだろうか? 読み終えて、そんなことも感じている。


<初出情報>

■bk1書評「「フクシマ」で「ミナマタ」の悲劇がふたたび繰り返さないことを願いつつ読む」投稿掲載(2011年5月4日)
■amazon 書評「「フクシマ」で「ミナマタ」の悲劇がふたたび繰り返さないことを願いつつ読む」投稿掲載(2011年5月4日)

*再録にあたって加筆修正を行った。




目 次

第1章 椿の海
第2章 不知火海沿岸漁民
第3章 ゆき女きき書
第4章 天の魚
第5章 地の魚
第6章 とんとん村
第7章 昭和四十三年


石牟礼道子(いしむれ・みちこ)

1927年熊本県天草生まれ。詩人・作家。水俣実務学校卒業後、代用教員、主婦を経て、1958年、谷川雁・森崎和江・上野英信などともに『サークル村』に参加。1960年5月終刊。代表作『苦海浄土-わが水俣病-』(講談社)は、第1回大宅壮一ノンフィクション賞を与えられたが受賞辞退。1973年マグサイサイ賞受賞。1993年『十六夜橋』(径書房、のちに ちくま文庫)で紫式部文学賞受賞。2001年度朝日賞受賞。『はにかみの国 石牟礼道子全詩集』(石風社)で、2002年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞(本データは別書籍が刊行された際に掲載されていたもの)。



<書評への付記>

 この書評を読まれて不快に思われる方もいるかもしれない。「人間の尊厳」をうたった「いのちの文学」、これがこの本につけられた評価だからだ。

 そういう反応があっても当然だろう。わたしは、いっさいの先入観なしに、最初のページから最後のパージまで読んでみた。その正直な感想を「書評」として書いてみたまでだ。どうもわたしは、アタマの構造が理系的なので、文学作品をそのまま情緒的に味わう能力に欠けて点があるのは仕方あるまい。
 
 そもそも、本というものは、著者の手を離れたとたんに、さまざまな読みがされるようになるものだ。

 『苦海浄土』もまた同様である。書評にも書いたように、これだけ有名でありながら、実は読まれていない本もないのではないか? わたし自身もそうであったし、もしかすると一般的にもそうかもしれない。「水俣病」と『苦海浄土』が連想でつながったとしても、読みやすい本ではないし、正直いって感想も書きにくい。

 放射能被害という「人災」にあったのは陸地の農家だけではなく、海の漁師に対してでもある。

 水俣は内湾で、天草と同様、有数の漁場である。メチル水銀は比重が重いのでそのまま沈殿しやすい。分解もされないいし、半減期もないので、そのまま食物連鎖をつうじて魚介類に蓄積されることになる。被害地域は工場排水が垂れ流しにされた水俣に集中している。

 福島沖は太平洋に面した漁場で、しかも黒潮という暖流と、親潮という寒流がぶつかる世界有数の漁場である。この広い海域が放射能を含んだ排水で汚染されたのだが、海流にのって拡散しやすいのは、水俣の状況とは異なる点であろう。

 だが、たとえコウナゴなどの小魚の放射能が基準値を下回ったとしても、同じく食物連鎖をつうじて魚介類に蓄積していくであろうことは容易に想像できる。

 化学物質と放射能とでは、性格の異なる物質であるが、目に見えない汚染であり恐怖の源であるという点においては共通している。
 
 だが、2011年というこの時点において、過去に公害被害をさんざん経験しているはずの日本が、先進国であるはずの日本が、いとも簡単に放射能汚染水を、公共の存在である海に、無断で放出することを許可したのである。代替案を検討したかどうかも定かではない。

 この犯罪的行為は、半永久的にひとびとの記憶から消え去ることはないだろう。人類に対する犯罪行為である。



<ブログ内関連サイト>

書評 『複合汚染』(有吉佐和子、新潮文庫、1979、初版1975年)
・・かつて「公害問題」といわれていた頃のベストセラー

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した
・・「高度成長」の負の側面が「公害問題」であった

書評 『日本は世界4位の海洋大国』(山田吉彦、講談社+α新書、2010)
・・日本の国土面積が世界61位であるにかかわらず、領海・排他的経済水域(EEZ)の面積は世界第6位、そして海岸線の長さも世界第6位であるが、国土の面積あたりの海岸線延長ではなんと世界一である

『足尾から来た女』(2014年1月)のようなドラマは、今後も NHK で製作可能なのだろうか?
・・水俣の前に足尾あり。足尾銅山事件は明治時代の公害事件

「如水会講演会 元一橋大学学長 「上原専禄先生の死生観」(若松英輔氏)」を聴いてきた(2013年7月11日)
・・『苦海浄土』もまた死者たちの声なき声をすくいあげて結晶させた文学作品である。 既存の宗教団体ではすくいとられることのない「死者」たちの声

書評 『近代の呪い』(渡辺京二、平凡社新書、2013)-「近代」をそれがもたらしたコスト(代償)とベネフィット(便益)の両面から考える
・・『苦海浄土』の成立に編集者としてかかわった渡辺京二氏は、『苦海浄土』文庫版の解説を執筆している

(2014年4月21日、8月29日 情報追加)


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2011年5月4日水曜日

書評『複合汚染』(有吉佐和子、新潮文庫、1979、初版1975年)― 有吉佐和子ってこんなに面白かったのか! という新鮮なオドロキを感じる知的刺激に充ち満ちた一冊


いまこそ読むべき本。有吉佐和子ってこんなに面白かったのか! という新鮮なオドロキを感じる知的刺激に充ち満ちた一冊

 知的刺激に充ち満ちた一冊。文庫本の600ページを全然長いと思わせない面白さ。最後まで読ませる、小説であって小説でないような、一人称語りのノンフィクション。

 いまからすでに、37年も前の作品だが、古さをまったく感じさせない。

 本書は、初版が1975年、元は1974年に朝日新聞に毎日連載されていた「新聞小説」だったというのは、さらにまたオドロキだ。「数年前から連載小説を書く約束をしていた朝日の学芸部に、私からお願いして、こういう内容だけれど必ず読者を掴まえて見せますからと公言して書かせて頂いたもの」(あとがき)だそうだ。

 1974年は石油ショックの翌年、「高度成長」時代を突っ走ってきた日本が、さまざまな問題をつうじて、高度成長のひずみが一気に噴き出した時代である。

 当時は「環境問題」ではなく、「公害」といわれていたが、カネミ油症事件や水俣病などだけでなく、日常的に光化学スモッグなどにさらされてきたのが日本人である。

 私自身も、子どもの頃にそんな時代を過ごしてきたのだが、著者の表現ではないが、世界から「人体実験」の場と見られてきたのも、けっして誇張ではない。今回の「原発事故」による放射能漏れにかんしても同じなのではないか、という気持ちにさせられるのである。

 殺虫剤、農薬、工場排水、排気ガス・・・。それらに含まれる一つ一つの化学物質についても、危険度が完全にわかっているとは言い難いのに、さらにそれらが「複合」しているのであれば「汚染」の度合いはいったいどうなのか? ほんとうのところ、いまだによくわかっていないのだ。

 読んでいて思うのは、この国の「近代」とは、いったいなんだったのかというため息にも似た感情だ。農業もふくめてすべてを「工業化」するという発想にもとづいた政策。

 この政策はが現在でもまったくゆるまることがないのは、「原発事故」に際して露呈した、監督官庁と産業界と御用学者との癒着に端的にあらわれている。一言でいえば「消費者不在」に尽きる。果たしてこの国は先進国といえるのだろうか??

 有吉佐和子の作品は『恍惚の人』など、タイトルのうまさが流行語になるので、名前は知っていたが、じつはいままでまったく読んだことがなかった。本書は、有吉佐和子ってこんなに面白かったのか! という新鮮なオドロキを感じる本である。

 著者は、この本を書くために参考文献を300冊以上読み、何十人もの専門家に会ったという。これだけの筆力のある作家が、自分が生きている時代に起こっていることに対して、問題意識と好奇心のおもむくままに突撃取材を積み重ねた内容。これが面白くないはずがない。

 そうでなければ、科学技術と工業、そして農業や漁業との関係を扱った本が当時のベストセラーとなっただけでなく、現在でもロングセラーとして読み継がれているはずがない。

 さまざまな感想をもつことは間違いない。それだけ、知的な満足感の強い、面白い作品なのである。

 化学物質による「複合汚染」だけでなく、さらに「放射能汚染」問題が加わったいまこそ、ぜひこの機会に手にとって読み始めてほしいと思う。



<初出情報>

■bk1書評「いまこそ読むべき本。有吉佐和子ってこんなに面白かったのか! という新鮮なオドロキを感じる知的刺激に充ち満ちた一冊」投稿掲載(2011年5月1日)
■amazon 書評「いまこそ読むべき本。有吉佐和子ってこんなに面白かったのか! という新鮮なオドロキを感じる知的刺激に充ち満ちた一冊」投稿掲載(2011年5月1日)



著者プロフィール

有吉佐和子(ありよし・さわこ)

1931~1984年。和歌山市生まれ。東京女子大短大卒。1956年「地唄」が芥川賞候補となり、文壇に登場。紀州を舞台にした『紀ノ川』『有田川』『日高川』の三部作を発表し、『華岡青洲の妻』で女流文学賞を受賞。



<書評への付記>

 ところで、冒頭の数十ページには、市川房枝の選挙応援をするはめになった著者が、選挙スタッフとして勝手連の中心にいた「菅さんというハンサムな若者」と微妙に距離をとるシーンがでてくる。

 いまこの時点で『複合汚染』を読んでいるとき、この国を迷走させている首相とオーバラップされてくる奇妙な感覚を、ぜひみなさんも味わってもらいたいと思う。菅直人というのはこういう人物か、と。

 この小説は、構成が先にありきといった作品ではなく、新聞連載という性格もあろうか、著者の興味と新聞読者の関心が交差しながら、どんどん発展していくという形態になっている。

 一人称語りのノンフィクションという、いまでは当たり前のスタイルが当時は読者の共感を得たのかもしれない。

 私が読んだ新潮文庫版も、平成14年に49刷改版から、私の手元にある平成20年の第55刷まで毎年コンスタントに刷りが重ねている。いまでも読まれているということは、それだけ知的に面白いということを意味している。もちろん、内容的には、その後の研究成果を踏まえれば、訂正される箇所も少なくないだろう。

 本書は、基本的に農業と漁業という「食の安全」に直結する産業に対する、工業化を突き進んでいた「近代日本の負の遺産」を描いたものだ。1974年という年は、石油ショックによる狂乱物価の翌年にあたる。高度成長が終わった年であり、これまでずっと続いてきた成長路線に懐疑的な視点が生まれてきた年だ。

 「近代日本の負の遺産」とは端的にいって「公害問題」。現在では「環境問題」といっているが、水も大気も汚染され、それはそれは酷い時代であったのだ。河川も海も汚染水で異臭が漂い、ヘドロがたまり、いまの中国のような状態だったといえば想像もつくだろうか。

 1974年当時にくらべたら、環境そのものはだいぶ浄化されたといっても言い過ぎではない。だが、化学物質にによる汚染が消え去ったわけではない。いったん排出された化学物質は、放射能と違って半減期はないので、そのまま堆積し、食物連鎖をつうじて結局は人間のクチに入ることになる。

 食物連鎖(food chain)による食品汚染といえば、とくに魚介類がその最たるものであることは、本書で何度も強調されていることだ。

 現在、福島第一の「原発事故」で海に放出された放射能汚染水は、コウナゴなどの小魚が放射能を吸収し、それを食べた大きな魚に蓄積し、さらには鳥や人間に蓄積されて高レベルになっていく。たとえ半減期があったところで、濃縮された量がいったいどれだけになるか、考えただけでも怖ろしい。

 それだけ酷い公害のなかで子ども時代を過ごしてきたのが、わたしの世代である。1960年代後半は、これに加えて中国により核実験の「死の灰」が風にのって日本まで来ていたのである。現在でも、黄砂には微量の放射性物質がまじっているようだ。

 とはいえ、いまにいたるまで、とくに大きな病気もなく過ごしていることを考えれば、人間というものも意外と生態系への適応力があるものなのかな、と思ってみたりもしないわけではない。

 本書は告発の書というよりも、問題提起の書である。「複合汚染」問題を、著者とともに、いろんな専門家に聞いて回るというスタイルが、知的な好奇心を刺激されるというわけなのだ。

 最後のほうで、その当時はまだ四輪車では中小企業だったホンダがでてくる。米国で高い基準を設定されたマスキー法をクリアして、CVCCエンジンの開発に成功して、一躍、世界的企業になった頃の若々しいホンダである。

 この問題に対する役人の答弁が、現在の「原発問題」でのそれとまったく変わらないことに、「内向き国家・日本」の政治家と官僚への失望感と、あくまでも「民」の立場に徹する中小ベンチャーへの期待ももつのは、本書のなかの数少ないが救いとなる箇所である。

 「消費者不在」、「国民不在」の姿勢、これがいっこうに改まることのない状態に、NOをつきつけなければ、いつまでたってもこの国が変わることはないだろう。

 『複合汚染』で提起された問題は、2011年現在でもアクチュアルなものである。残念なことながら。



<ブログ内関連サイト>

「生命と食」という切り口から、ルドルフ・シュタイナーについて考えてみる
・・思想家で人智学者のシュタイナーの見解

書評 『食べてはいけない!(地球のカタチ)』(森枝卓士、白水社、2007)
・・「食べてはいけない」というベストセラーとは違う意味の「食べてはいけない」

「マレーシア・ハラール・マーケット投資セミナー」(JETRO主催、農水省後援)に参加・・宗教上の理由によって「食べてはいけない」

書評 『日本は世界5位の農業大国-大噓だらけの食料自給率-』(浅川芳裕、講談社+α新書、2010)
・・放射能汚染の「風評被害」にまどわされないよう!中国の「毒菜」よりはるかにましな「地産地消」

書評 『土の科学-いのちを育むパワーの秘密-』(久馬一剛、PHPサイエンス・ワールド新書、2010)-「土からものを考える視点」に貫かれた本

書評 『植物工場ビジネス-低コスト型なら個人でもできる-』(池田英男、日本経済新聞出版社、2010)
・・土壌とは無縁の植物工場なら、放射能汚染は関係ない

『奇跡を起こす 見えないものを見る力』(木村秋則、扶桑社SPA!文庫、2013)から見えてくる、「見えないもの」を重視することの重要性
・・無農薬の「自然栽培」を実践するリンゴ農家

「コンパニオン・プランツ」のすすめ-『Soil Mates』 という家庭園芸書の絵本を紹介
・・『複合汚染』で紹介されている「コンパニオン・プランツ」

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した
・・「高度成長」の負の側面が「公害問題」であった

書評 『苦海浄土-わが水俣病-』(石牟礼道子、講談社文庫(改稿版)、1972、初版単行本 1968)
・・「高度成長期」に発生した最大の公害問題の一つ

『足尾から来た女』(2014年1月)のようなドラマは、今後も NHK で製作可能なのだろうか?
・・水俣の前に足尾あり。足尾銅山事件は明治時代の公害事件

(2014年4月21日、8月29日 情報追加)


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