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2021年10月23日土曜日

書評『暁の宇品 ー 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』(堀川惠子、講談社、2021)ー 日本近現代史の欠落部分を埋める歴史ノンフィクションの傑作

 

『暁の宇品-陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』(堀川惠子、講談社、2021)を昨日読了した。日本近現代史の欠落部分を埋める貴重な歴史ノンフィクションだ。さまざまテーマにまたがる、じつに読みごたえある1冊であった。  

現在は「広島国際フェリーポート」として、近隣の島々や対岸の松山などにいくフェリー便の出発点となっているが、かつて宇品は軍港であった。しかも、陸軍の軍港! 帝国海軍の鎮守府があった広島県の呉(くれ)とは別に、帝国陸軍の(!)軍港が広島市の宇品に存在したのである。 

(現在の宇品港は路面電車の終点 筆者撮影)

大陸や周辺諸国(台湾や朝鮮半島)への「外征軍」として位置づけられた帝国陸軍だが、兵員と軍事物資はすべて海上輸送にたよる必要があった。日本は、海に囲まれた島国なのである。

では、なぜ瀬戸内海の宇品なのか? なぜ海軍ではなく陸軍なのか? この問いに対する答えは、本書の前半の内容そのものといっていい。

(瀬戸内海を結ぶフェリーのハブ港としての宇品港)
 
諸外国と違って、海軍が海上輸送をまかないきれなかった「持たざる国・日本」の後進性大型船舶の建造が禁止されていた「鎖国」の後遺症のせいである。だが、それだけにはとどまらない、複雑な事情があったことが詳述されている。 

(海から見た宇品港 筆者撮影)

序章と終章あわせて全体で13章で構成されている本書は、知られざる陸軍の海上輸送を3人の司令官の生涯と、その任務を中心に描いている。日清戦争と日露戦争から大東亜戦争の敗戦、それも広島への原爆投下という形で終わった日本近代史そのものといっていい。 

日露戦争の時点では、きわめて重要な位置づけを与えられていた兵站(ロジスティクス)が、なぜ日露戦争後は軽視されるようになったのか。きわめて重要な機能であるにもかかわらず、日の当たる存在ではなくなっていった兵站部門。ここに帝国陸軍の大きな問題が存在したことは周知の通りだろう。 

とはいえ、当時の世界の軍事大国であった英米に先んじて本格的な上陸作戦を「第1次上海事変」(1932年)で成功させた立役者が、陸軍の海上輸送部隊であったことは、特筆すべきであろう。海軍陸戦隊だけでなく、陸軍も大規模な上陸作戦を実行したのだ。

「尖閣問題」がらみで、占領された島嶼を奪回するための「上陸作戦」が近年クローズアップされてきているが、日本人の先見性は評価すべきであろう。

だが、残念なことに対米戦であった「太平洋戦争」においては、ガダルカナルをはじめ、ことごとく失敗に終わったことも否定できない事実である。

現在でも米海兵隊(USMC)の独壇場ともいうべき上陸作戦だが、帝国陸軍が先鞭をつけたものの、猛烈な勢いで「学習」した米国にお株を奪われてしまったのである。ここにも日本の弱点がある。

成功体験をノウハウ化してマニュアル化し、組織全体に普及させることができずに終わってしまう日本。しかも、米海兵隊の上陸作戦すら、太平洋戦争や朝鮮戦争時代とは異なり、21世紀の現在はあらたなステージに入っていることは、読者は認識しておくべきだ。

「知られざる存在」となっていた陸軍の海上輸送。歴史に名の残るような司令官たちがかかわっていたわけではない。帝国陸軍という巨大官僚組織の組織人として生きなくてはならなかった矜持と悲哀歴史をつくっているのは、有名人だけでない、名前が残ることもない無数の人たちなのである。 

そんな陸軍の海上輸送という未解明の分野に果敢に挑んで、その全体像を解明した、広島に生まれ育った著者の執念と力量には賛辞を送りたい。

細部に至るまでおろそかにしない、じつに綿密な仕事でありながら、大局観を見失わない全体像をみわたす視線の両立。これは、なかなかできることではない。 

敗戦から75年以上もたった現在、すでに生存者はほとんど存在しない時代になってしまった。そんな時代の歴史ノンフィクションのあり方についても、価値ある試みといっていいだろう。ぜひ読むことを薦めたい。 

わたしもまた友人のノンフィクション作家から薦められて読んだのだが、それはまことにもって正解であった。 


 (画像をクリック!



目 次
序章 
第1章 「船舶の神」の手記
第2章 陸軍が船を持った
第3章 上陸戦に備えよ
第4章 七了口(しちりょうこう)奇襲戦
第5章 国家の命運
第6章 不審火
第7章 「ナントカナル」の戦争計画
第8章 砂上の楼閣
第9章 船乗りたちの挽歌
第10章 輸送から特攻へ
第11章 爆心
終章

著者プロフィール
堀川惠子(ほりかわ・けいこ) 
1969年広島県生まれ。『チンチン電車と女学生』(小笠原信之氏と共著、日本評論社)を皮切りに、ノンフィクション作品を次々と発表。『死刑の基準―「永山裁判」が遺したもの』(日本評論社)で第32回講談社ノンフィクション賞、『裁かれた命―死刑囚から届いた手紙』(講談社)で第10回新潮ドキュメント賞、『永山則夫―封印された鑑定記録』(岩波書店)で第4回いける本大賞、『教誨師』(講談社)で第1回城山三郎賞、『原爆供養塔―忘れられた遺骨の70年』(文藝春秋)で第47回大宅壮一ノンフィクション賞と第15回早稲田ジャーナリズム大賞、『戦禍に生きた演劇人たち―演出家・八田元夫と「桜隊」の悲劇』(講談社)で第23回AICT演劇評論賞、『狼の義―新 犬養木堂伝』 (林新氏と共著、KADOKAWA)で第23回司馬遼太郎賞受賞。(講談社サイトより)


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2016年6月5日日曜日

書評『仮面の日米同盟 ー 米外交機密文書が明らかにする真実』(春名幹男、文春新書、2015)ー 地政学にもとづいた米国の外交軍事戦略はペリー提督の黒船以来一貫している


 『仮面の日米同盟-米外交機密文書が明らかにする真実-』(春名幹男、文春新書、2015)という本は、かならず読んでおくべき本だ。

昨年11月に出版されてからすぐに購入したが、「積ん読」となっていた。しかし、「日米同盟」について辛辣なビジネスライクのトランプ大統領誕生が絵空事ではなくなりつつある状況のなか、「日米同盟」についてキチンと認識しておくことは不可欠だ。そう思って、このたび読んでみることとした。


この本のメッセージは一言で要約してしまえば以下のようになる。

「米軍は日本本土防衛のため駐留せず」 

これは前々から指摘はされていたが、本書の著者である春名氏によって、はじめて米国側の機密文書の裏付けをもって示されたことになる。

ではなぜ、米軍は日本に、とくに沖縄に駐留しつづけているのか?

それは、もっぱら日本列島のもつ地政学的な優位性、ことにロジスティクス(・・軍事用語でいえば兵站)にあるのだ。これは、ペリー提督の「黒船来航」以来、一貫した米国の戦略的視点である。 いわゆる「開国」は、米国の捕鯨船の補給問題と日本市場開放が目的であった。

日本の敗戦後、「安保条約」にもとづいて日本に駐留する米軍にとって、日本列島は水や食料と燃料の補給基地であり、艦船の補修基地でもある。これは朝鮮戦争においても、ベトナム戦争においてもそうだっただけでなく、中近東における戦闘においても継続している。

そもそも第二次世界大戦において、米軍は戦略的優位性をもつ沖縄を獲得したかったからこそ、硫黄島を制圧したあとにそのまま北上せず、沖縄上陸作戦を敢行したのである。日本の敗戦後もそのまま米軍による軍政を敷いたのは、基地として沖縄を絶対に確保したかったからなのだ。

そして、基地を返還したくないからこそ、妥協策として「沖縄返還」に応じたのである。

米国は沖縄基地を死守するために、沖縄返還に応じたのだ、という事実をしれば、米国が沖縄から撤退したがらない理由が理解できる。

もちろん、沖縄本島に米軍将兵が多数駐留していることじたいが抑止力になるが、「米軍は日本本土防衛のため駐留せず」 なのである。尖閣で問題が発生しても、はたして米軍は動けるのか、おおいに疑問だ。中国に対しては、キッシンジャー以来、いわゆる「瓶のフタ」論という詭弁で在日米軍の存在を自己正当化してきたことも忘れるべきではない。日本が暴発しないよう、米軍が駐留しているという論である。

「沖縄返還」交渉の当事者であった佐藤栄作首相とニクソン大統領の認識のズレと、平行して行われていた日米繊維交渉におけるニクソンの怒りは、読ませる内容になっている。これが本書の中核として第3章から第5章まで詳述される。

沖縄返還交渉と日米繊維交渉はほんらいは別個のものであったが、佐藤栄作が大見得をきったにもかかわらず繊維交渉が決着しなかったことが、日本の頭越しの「米中交渉」開始や貿易摩擦解消のための「ドル防衛」など、いわゆる「ニクソン・ショック」となって炸裂したのだ。この歴史的事実は、あらためて振り返っておく必要が強い。

先日も沖縄の軍属による殺人事件が発生して、沖縄のみならず日本全体で怒りの声があがっている。米軍にとっての、米国政府にとっての沖縄の基地、日米同盟の意味について、冷静な観点から押さえ置く必要があることを痛感させられる。


「米軍は日本本土防衛のため駐留せず」

著者の取材によれば、自衛隊もまた在日米軍が防衛型ではなく攻撃型のものであると認識していることが指摘されている。兵站基地である日本列島から、攻撃のために米軍は出撃するのだ。

 「米軍は日本本土防衛のため駐留せず」という事実を直視しなければ、日本は危うい。



目 次

はじめに-アメリカは頼れる同盟国か?-逃げるアメリカ、前のめりの日本
第1章 アメリカは日本を守ってくれるか
  「集団自衛権」を行使する理由
  安部の「美しい」誤解
 1. 新ガイドライン翻訳の仕掛け
 2. 作為的翻訳で米軍関与の印象強化
 3. 米防衛公約の後退
第2章 米機密文書は語る
 1. 「米軍は日本本土防衛のため駐留せず」
 2. 沖縄返還が転機に
 3. 防衛力増強の要求
 4. どうなる日本の抑止力
第3章 アメリカ依存を誘導する戦略
 1. 日本を操る米国の地政学的策略
 2. 在日米軍撤退を阻む策略
第4章 裏切りの沖縄返還
   だれも知らない沖縄返還の理由
 1. 親米の佐藤だから
 2. 秘密主義、盗聴、そして罠
 3. 沖縄返還交渉の罠
 4. 世紀のドタバタ外交
 5. 日本への不満を残した米軍部
第5章 「繊維」の欺きと報復の「ニクソン・ショック」
 1. 沖縄返還を人質にした繊維交渉
 2. 煮と米関係が暗転した理由
 3. 報復としてのニクソン・ショック
 4. 対日政策の見直し
第6章 米中の狭間で翻弄される日本
 1. ニクソンの狙い
 2. カードは「瓶のふた論」
 3. 日本をないがしろにした外交
 4. 見えない米中コネクション
第7章 尖閣諸島問題におけるアメリカの本音
 1. 有事への懸念と異常事態
 2. 沖縄返還協定前のサプライズ
 3. 台湾への融和策
 4. 沖縄返還協定の秘密
 5. 米国内で強まる「巻き込まれ論」
 6. 日米中首脳の微妙な関係
結論に代えて-同盟の疲労
  日米両政府はどう説明するのか?
略称一覧
参考文献



<ブログ内関連記事>


日米関係

書評 『戦争・天皇・国家-近代化150年を問い直す-』(猪瀬直樹・田原総一郎、角川新書、2015)-「日米関係150年」の歴史で考えなければ日本という国を理解することはできない

書評 『黒船の世紀 上下-あの頃、アメリカは仮想敵国だった-』 (猪瀬直樹、中公文庫、2011 単行本初版 1993)-日露戦争を制した日本を待っていたのはバラ色の未来ではなかった・・・

書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる

書評 『「普天間」交渉秘録』(守屋武昌、新潮文庫、2012 単行本初版 2010)-政治家たちのエゴに翻弄され、もてあそばれる国家的イシューの真相を当事者が語る

書評 『日米同盟 v.s. 中国・北朝鮮-アーミテージ・ナイ緊急提言-』(リチャード・アーミテージ / ジョゼフ・ナイ / 春原 剛、文春新書、2010)

書評 『完全解読 「中国外交戦略」の狙い』(遠藤誉、WAC、2013)-中国と中国共産党を熟知しているからこそ書ける中国の外交戦略の原理原則
・・「本書の特徴は、とかく日中関係という二国関係だけでものをみがちな日本人に、米中関係という人きわめて強い人的関係をベースにした二国関係の視点を提供してくれている点にある。中国問題は、すくなくとも日米中の三カ国関係でみなければ見えてこない。「大型大国間関係」という、G2=米中二国間関係にちらつくキッシンジャーと習近平の親密な関係、アメリカの世論にきわめて大きな影響力をもつ在米華人華僑の存在、アメリカの中国重視政策と日米同盟のズレなど、米国の中国政策を前提にしないと日中関係も見えてこない。」

書評 『田中角栄 封じられた資源戦略-石油、ウラン、そしてアメリカとの闘い-』(山岡淳一郎、草思社、2009)-「エネルギー自主独立路線」を貫こうとして敗れた田中角栄の闘い

『愛と暴力の戦後とその後』 (赤坂真理、講談社現代新書、2014)を読んで、歴史の「断絶」と「連続」について考えてみる


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2014年5月13日火曜日

書評『泰緬鉄道 ― 機密文書が明かすアジア太平洋戦争』(吉川利治、雄山閣、2011 初版 1994 同文館)― タイ側の機密公文書から明らかにされた「泰緬鉄道」の全貌



「泰緬鉄道」(たいめん・てつどう)とは、泰(タイ)と緬(ビルマ)を結ぶ鉄道路線。「大東亜戦争」中に日本軍が英国とオーストラリアなどの約5万人の戦争捕虜や、25万人を超えるといわれるアジア人労務者を酷使して、雨期もはさんでわずか一年間の突貫工事で完成させたものだ。

古くはクワイ河マーチ(・・別名ボギー大佐)で有名な映画 『戦場にかける橋』(THE BRIDGE ON THE RIVER KWAI 英米合作、1957年)、あたらしいところではことし(2014年)に日本でも公開された映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)がテーマとなっている。

「泰緬鉄道」はタイにとっては貴重な観光資源として世界中から多くの観光客を集め、ガイドブックでかならず言及される人気の観光スポットだが、その全体像を描いたものはきわめて少ない。






タイ国立公文書館に保存された一次資料を駆使した研究

『泰緬鉄道  ―  機密文書が明かすアジア太平洋戦争』(吉川利治は、いまから20年前に出版された専門書だが、当分のあいだ書き換えられる見込みはなさそうだ。雄山閣から2011年に復刊されたのもそれが理由だろう。*

「第3版」がおなじく雄山閣から2025年に出版されているが、内容の確認は行っていないので詳細はわからない。


遺著となった 『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係-』(吉川利治、雄山閣、2010)において、著者の吉川氏は「大東亜戦争」の呼称を使用しているが、本書ではまだ「アジア太平洋戦争」という名称を使用している。

「アジア太平洋戦争」という名称を使用するのは、「太平洋戦争」では米英との戦争ばかりがクローズアップされて、東南アジアおける英国を中心とした連合国との戦争の実態が見えなくなるからだ。とはいえ、「大東亜戦争」のほうがより望ましいことは言うまでもない。

本書は、大日本帝国とは同盟関係にあり「枢軸国」として大東亜戦争期に英米に宣戦布告したタイに、外交文書として保管されていた一次史料である公文書を駆使した研究である。本書によって、はじめて泰緬鉄道の全貌が明らかにされた。

タイ語の公文書だけでなく、日本側からタイに提出された日本語の公文書の複写(カーボンコピー)も保存されており、著者ははじめてそれらを閲覧して研究することができた

アメリカ占領軍が押収した公文書やアメリカ側の公文書をもとにした研究、ソ連崩壊後にロシアが公開した文書に基づく研究は多いが、タイ側の史料を駆使した研究もあるのだ。公文書公開がされたからこそ可能となった研究なのである。


(2011年の新装版のカバー)


一般読者も読める「泰緬鉄道」の全貌

本書は、泰緬鉄道の全貌を明らかにした専門書であるが、一般読者も読める内容になっている。

泰緬鉄道で過酷な労働を強いられ、現地で斃れて帰らぬ人となった戦争捕虜たちについての話は、英国人やオーストラリア人の元捕虜による回想録が多数出版されてきており、そのいくつかはすでに日本語訳されて日本でも出版されている。

問題は、そういったリベンジ感に充ち満ちた主観的な回想録が事実関係をゆがめている面がなくはないこと、さらに回想録などをベースに『戦場にかける橋』のように映像化もされてきたきたことにある。

本書はそういった主観的な回想録のたぐいではない。本書の白眉は、泰緬鉄道建設の発想と計画決定に至る経緯、そして建設中のタイ側との交渉、日本側で建設を担った鉄道部隊にかんする記述である。これらは日タイ双方の一次史料なくしては書かれ得なかったものである。

「南方へ向かう日本鉄軍道隊:泰緬鉄道道建設計画」、「ビルマ占領とタイとの建設交渉」、「泰緬鉄道は軍用か民用か」、「鉄道隊の組織と建設基地」、「タイ人労務者とバーンポーン事件」は、タイ側に残された一次資料と日本側の史料を付き合わせることによって初めて真相が明らかになったものだ。

興味深いのは、泰緬鉄道はあくまでも貨物輸送ルートとして発想され建設されたということだ。英領ビルマへでの作戦遂行のためタイを兵站基地として利用した日本は、タイに集積した軍事物資をビルマに移送するルートを確保する必要があったのだ。海上ルートが危険であったため、あえてジャングルの山中を切り開いて鉄道を通すという発想になったのである。


(第二次大戦当時の東南アジアと泰緬鉄道 『レイルウェイ 運命の旅路』より)


しかも、泰緬鉄道建設の主体となった陸軍鉄道部隊は満洲から転戦した部隊。これに加えて満鉄関係と国鉄関係の民間技術者が関わったのであった。発想の原点には満鉄と満州経営があったのである。だからこそタイ側は、鉄道建設が植民地支配に転化することを恐れていたのである。

ビルマからさらに西の英領インドに向けての侵攻作戦である「インパール作戦」実行のため、泰緬鉄道建設が急がされたのだが、英国人やオーストラリア人元捕虜による回想録では突っ込んで言及されていない「タイ国内外のアジア人労務者」(いわゆる "ロームシャ" やクーリー)にかんする章も重要である。建設にたずさわったのは圧倒的にアジア人労務者であったのだが、日本軍が人集めに苦労していた事情を知ることができる。

そして、泰緬鉄道の代替ルートとして建設された「クラ地峡横断鉄道」という知られざる事実を取り上げた章は貴重である。クラ地峡は「象の鼻の付け根」付近で、タイからビルマ(=ミャンマー)に抜ける最短ルートで、運河掘削計画が浮上しては消えるという歴史を繰り返してきた地帯だ。

「泰緬鉄道の運行と機能」は、じっさいに貨客輸送として使用された泰緬鉄道の短い歴史を描いたもので、「乗り鉄」なら読んでみたい記述である。熱帯雨林を徹る路線で雨期の土砂崩れがあり、戦争末期には米英軍による空襲もあって、かなり危険なルートであったようだ。

スリリングな乗車体験を、著名人や将兵の記録をとおして追体験することもできる。


「泰緬鉄道」とは「近代日本」にとって何であったのか

泰緬鉄道は戦後賠償の一環として、タイ王国が英国から買い取らされたが、現在では全体の 1/3 しか運行されていない。

わたしは1995年だったと思うが、「泰緬鉄道」の現在の終点のナントクまで行ったことがある。終点から先はレールが取りはずされていることを確認して残念に思ったことを覚えている。折り返し運転なので停車時間が短く、終点ではあまりゆっくりできない。

建設から70年の2012年には、泰緬鉄道の復活計画があることが NHK で報道されていた。以下の写真はTV映像をキャプチャしたものだ。


(NHKの報道番組より 2012年)


さすがに「復活」は一年ではできないだろう。また、そんなことは望みもしない! 時間をかけてでも「記憶遺産」として、ぜひ計画が実行されることを期待したいものだ。もちろんタイのことだから、想起建設など期待する必要もなさそうだが。

「泰緬鉄道」に乗る機会があれば、ぜひカンチャナプリで下車してほしいもの。わたしは何の情報ももたずに訪れた際、カンチャナプリにある戦没者墓地に立つ大量の十字架に衝撃を受けた。英国やオーストラリアの捕虜を中心にした墓地である。日本人が戦争中にやった事実から目を背けてはいけないのである。

まずは歴史を知ること。歴史的事実を知ること、これはすべての前提となるからだ。

日本国内にも「泰緬鉄道」関連の遺跡があることをご存じだろうか。千葉県習志野市のJR津田沼駅前にある千葉工業大学のキャンパスは、泰緬鉄道建設に関わった鉄道第9連隊(津田沼)の跡地にある。レンガつくりの門に在りし日の姿をとどめているので、機会があれば訪れてみるといいだろう。


(千葉工業大学は鉄道第9連隊の正門をそのまま保存している 筆者撮影)


また、現在の新京成電鉄は、陸軍鉄道部隊が演習に使用していた路線で、カーブの多い、しかもR(半径)のきついカーブの多い路線として、その世界ではよく知られた存在だ。もちろん線路はその当時のものではない。わたしが撮影してYouTube にアップした「日本有数のS字カーブ(新京成線)」 を参考にしていただけると幸いである。

陸軍工兵のなかでも鉄道建設に特化した部隊があったということは、アタマのなかに入れておきたいことだ。鉄道建設は戦場だけでなく、植民地化の先兵でもあったのだ。


(鉄道部隊が演習に使用したのが現在の新京成電鉄 新津田沼駅ホームにて)


近代技術の粋である鉄道技術、これは明治維新後に日本が英国から学んで導入したものだ。アメリカ横断鉄道の建設にあたったのは、主に中国から連れてこられた苦力(クーリー)たちであったことを考えれば、アジアで泰緬鉄道建設に従事させられた英国人とオーストラリア人の捕虜たちにとっては、まさかの歴史の皮肉であったといわねばならない。

追い詰められていた日本軍は、捕虜たちやアジア人労務者たちを厳しい熱帯性気候のなかで酷使した。生産性の低さを人海戦術で乗り切るという「悪しき精神主義」は、「規律と勤勉という近代精神」が生み出したマインドセットの形骸化であり、なれの果てである。

日本国内の「常識」を「外地」でごり押しした結果は、いまに至るまで亡霊のように日本人につきまとう。

近代が生み出した機械工学と、形骸化した近代精神の奇妙な結合これが泰緬鉄道であった。「ブラック企業」が社会問題化する現在、「悪しき精神主義」にかんする反省はふたたび意識する必要がある。

「戦後」の日本が、アメリカ占領軍が指導した科学的生産管理を積極的に導入してモノつくり大国となったのは、その意味では当然であったのだ。少子高齢化のなか労働力不足が懸念される現在、つぎの課題が労働集約型産業であるサービス業であるのは言うまでもない。

勤勉の美名のもと、長時間労働を当たり前のように課してきた日本企業の「常識」、そしてそれを当たり前のように受け入れてきた日本人の「常識」、いまに至るまで完全に払拭されていないこれら「常識」はともに厳しく問われなければならないのである。

「悪しき精神主義」の呪縛からいかに離脱するか、これは日本人全体にとっていまだ解決していない課題である。「近代の亡霊」といっても過言ではあるまい。


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目 次

まえがき
1. 南方へ向かう日本鉄軍道隊
 鉄道隊の誕生
 東南アジアへ出陣する鉄道隊
 国鉄職員の軍属鉄道隊
 鉄道隊と満鉄・国鉄
 鉄道第五連隊と鉄道第九連隊
2. 泰緬鉄道道建設計画
 バンコクに集う満州の参謀と高官
 経済線としての泰緬鉄道建設計画
 タイからビルマへのルート
 ビルマ国境へ逃走するイギリス人と侵攻する日本人
3. ビルマ占領とタイとの建設交渉
 ビルマ作戦
 ミッドウェー海戦の敗北と大本営の指令
 捕虜の使役
 タイ側との建設交渉
 疑念を抱くタイ側
 建設用宿舎の用地確保
 偵察調査行
4. 泰緬鉄道は軍用か民用か
 タイ側の「軍用鉄道建設審議委員会」
 「泰緬連接鉄道建設ニ関スル協定」
 泰緬鉄道の法的位置づけ
5. 鉄道隊の組織と建設基地
 南方軍鉄道隊
 タイ国内鉄道隊と捕虜(俘虜)収容所
 建設工事開始
 建設地の区分
 建設中継基地バーンポーン
 建設基地カーンチャンブリー
6. タイ人労務者とバーンポーン事件
 タイの労務者
 技能者の募集
 日本兵がタイの僧侶を殴打
 「バーンポーン事件」糾明委員会
 外国人の立ち入り禁止
 「バーンポーン事件」の処分
 タイ駐屯軍の設置
 タイ駐屯軍と捕虜管理の問題
7. 連合国捕虜
 陸続と送り込まれる捕虜
 連合軍が示す統計
 日本軍が示す統計
 捕虜(俘虜)収容所
 三人に一人は死亡した "F" 部隊
 日本へふたたび送られていく捕虜
8. 捕虜の行軍と労働
 シンガポールからの誘い出し
 武士道とは「騙し打ち」
 「戦場にかける橋」の建設
 「オペレイション・スピードー」
 捕虜収容所の生活
 国境のキャンプ
 労働と食糧
 暴行と拷問
 給料
 「ジャングル大学」
9. 疫病に倒れる捕虜
 栄養不足で蔓延する伝染病
 赤痢患者
 「死の家」
 コレラとマラリアの蔓延
 熱帯性潰瘍の荒療治、ベリベリ病
 日本軍の衛生医療部隊
 「馬来(マレー)俘虜収容所」 "F" 部隊の悲劇
 病死者を示す日本側の統計
 死亡者の数
 ナコーンパトム病院
 慰霊塔と連合軍墓地
10. タイ国内外のアジア人労務者
 建設の工期短縮命令
 タイの華僑労務者
 タイ国内の労務者追加募集
 タイ人労務者
 華僑労務者の追加募集
 特殊技術者の募集
 ビルマ人労務者
 ビルマ "汗の部隊"
 労務者の生活
 拷問と暴行、疫病
 マラヤ・ジャワからの労務者
 マラヤのゴム園労務者?
11. クラ地峡横断鉄道
 現地調査とタイ側の疑心
 建設工事の交渉
 クラ地峡横断鉄道建設協定
 鉄道建設の労務者
 チュンポーン経由でビルマ戦線へ
 ラノーンに防衛陣地構築
12. 泰緬鉄道完工のころの日本軍・捕虜・労務者
 タイ側の統計
 日本側の証言
 泰緬鉄道建設と牛肉
 爆撃される「戦場にかける橋」
 廃墟と化した駅や橋
 日本に送るられる捕虜
 日本軍の傷病兵
13. 泰緬鉄道の運行と機能
 当初の規模と運行状況
 インドの女士官や女兵を乗せ、"女人" 列車も走った
 空襲に備えて警戒
 世陰に乗じて動く輸送列車
 谷底に転落する列車
 爆撃目標にされていた泰緬鉄道
 ビルマから退却する日本兵
 終戦の日に要人を乗せて走る泰緬鉄道
 泰緬鉄道の車輌と運営
 駅名と区間距離
 鉄道工場と駅の施設
14. 戦後の泰緬鉄道と戦争裁判
 残された日本兵
 泰緬鉄道沿線に点在する日本兵
 定住するビルマ人労務者
 戦争裁判で裁かれる泰緬鉄道隊と俘虜収容所
 「戦陣訓」と「近代の超克」

図版出典一覧
泰緬鉄道関係引用参考資料文献目録
アジア太平洋戦争の時代の泰緬鉄道関係年表
「泰緬鉄道要図」(昭和19年8月現在)
人名索引
地名索引
事項索引


著者プロフィール

吉川利治(よしかわ・としはる)
1939年大阪市生まれ。1962~64タイ国立チュラーロンコーン大学文学部留学。1963年大阪外国語大学タイ語学科卒業。1964年大阪外国語大学タイ語学科助手。1985年大阪外国語大学地域文化学科タイ語専攻教授。1987‐89年京都大学東南アジア研究センター客員教授。1994‐95年東南アジア史学会会長。2002年タイ国立シンラパコーン大学文学部客員教授。2005年大阪外国語大学名誉教授。2009年タイ国アユタヤで急逝。著書に『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係-』(吉川利治、雄山閣、2010) (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


PS 文言の一部を修正して、要旨が理解しやすいようにした。(2025年8月22日 記す)


<ブログ内関連記事>

書評 『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係-』(吉川利治、雄山閣、2010)-密接な日タイ関係の原点は「大東亜戦争」期にある


「泰緬鉄道」

『新京成電鉄-駅と電車の半世紀-』(白土貞夫=編著、彩流社、2012)で、「戦後史」を振り返る
・・「鉄道連隊は、工兵隊のなかでも、占領地における鉄道の敷設と破壊を専門にした部隊で、かの有名な泰緬鉄道にもかかわっている。・・(中略)・・ このほか、中国大陸や朝鮮半島だけでなく、日本内地でも訓練を兼ねて鉄道敷設を請け負っていたという。くわしくは『本当にあった陸自鉄道部隊-知られざる第101建設隊の活躍-』(伊藤東作、光人社NF文庫、2008)を参照されたい」




映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)をみてきた-「泰緬鉄道」をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドラマは日本人必見!

『貨物列車のひみつ』(PHP研究所編、PHP、2013)は、貨物列車好きにはたまらないビジュアル本だ!


人的資源不足と人海戦術-人間を軽視する「精神主義」がなぜ?

書評 『未完のファシズム-「持たざる国」日本の運命-』(片山杜秀、新潮選書、2012)-陸軍軍人たちの合理的思考が行き着いた先の「逆説」とは
・・「「持たざる国」日本には「有形」の資産は人間しかいない。この有形の資産をフル稼働させるために「無形」の精神力が強調されることになる。合理的思考をつきつめたがゆえに、活路は非合理的な神懸かりにしか求めることしかできなかった理由はここにあったのだ。「生きて虜囚の辱めを受けるなかれ」という『戦陣訓』は、「撃ちてし止まん」という敢闘精神は死に物狂いの万歳突撃を生み出し、そしてついには合理的な観点からはまったく意味のない総攻撃による全滅を、「玉砕」というレトリカルな美辞麗句で飾って称賛するまでにいたる」  ⇒ 不足する労働力をどこに求めたか? 「泰緬鉄道」建設においては、それは戦争捕虜とアジア人労務者であったのだ

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・「戦争のための大規模動員による人的資源不足(・・その結果、植民地と占領地から労働不足解消のための強制徴募を行ったことが現在も訴訟という形で尾を引いている)・・・・。これでは戦争に勝てるわけがないではないか。失敗すべくして失敗したことは誰の目にも明らかではないか」 ⇒ 本書には記載はないが、在外資産凍結で財政的に苦しい日本が、同盟を結んだタイ政府から金(ゴールド)を担保に借款を受けたことは吉川氏の遺著『同盟国と駐屯日本軍』(雄山閣、2010)に書かれている。

(書評再録) 『プリンス近衛殺人事件』(V.A. アルハンゲリスキー、滝澤一郎訳、新潮社、2000年)-「ミステリー小説か?」と思って書店で手に取ったら…
・・ソ連のスターリンによるシベリア収容所における強制労働もまた、労働力不足解消が主目的であった


物流とロジスティクス(兵站)

『ドキュメント アジアの道-物流最前線のヒト・モノ群像-』(エヌ・エヌ・エー ASEAN編集部編、エヌ・エヌ・エー、2008)で知る、アジアの物流現場の熱い息吹
・・大東亜戦争においても、ベトナム戦争においても、日本企業の本格的進出時代においても、タイはつねに東南アジアの交通ハブであり、ロジスティクスの中心であった

タイのあれこれ (21) バンコク以外からタイに入国する方法-危機対応時のロジスティクスについての体験と考察-


■大東亜戦争と東南アジア(=南洋)

『戦場のメリークリスマス』(1983年)の原作は 『影の獄にて』(ローレンス・ヴァン・デル・ポスト)という小説-追悼 大島渚監督
・・原作は南アフリカ出身の英国陸軍コマンド部隊大佐、ジャワ島の日本軍捕虜収容所を舞台にした日英の相克と奇妙な友情の物語

本の紹介 『潜行三千里』(辻 政信、毎日新聞社、1950)-インドシナに関心のある人の必読書
・・この男がシンガポールにおける華僑虐殺の主張者なのだが、この本じたいは面白い

映画 『加藤隼戦闘隊』(1944年)にみる現場リーダーとチームワーク、そして糸川英夫博士

三度目のミャンマー、三度目の正直 (5) われビルマにて大日本帝国に遭遇せり (インレー湖 ④)
・・日本軍占領下のビルマで発行されたルピー軍票に書かれた大日本帝国の文字

書評 『新大東亜戦争肯定論』(富岡幸一郎、飛鳥新社、2006)-「太平洋戦争」ではない!「大東亜戦争」である! すべては、名を正すことから出発しなくてはならない

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)

タイのあれこれ (25) DVDで視聴可能なタイの映画 ④人生もの=恋愛もの
・・◆『クー・ガム』(日本語タイトル:「メナムの残照」) 製作公開1996年 監督:ユッタナー・ムクダーサニット)は、日本人海軍将校とタイ人女性の悲恋もの

書評 『裁かれた戦争裁判-イギリスの対日戦犯裁判』(林博史、岩波書店、1998)-「大英帝国末期」の英国にとって東南アジアにおける「BC級戦犯裁判」とは何であったのか
・・「英国主導の「BC級戦犯裁判」においては、「泰緬鉄道関連」もさることながら「華僑虐殺裁判」が中心となったという」事実

(2014年5月16日 情報追加)


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2014年5月12日月曜日

書評『同盟国タイと駐屯日本軍 ―「大東亜戦争」期の知られざる国際関係』(吉川利治、雄山閣、2010)― 密接な日タイ関係の原点は「大東亜戦争」期にある



日タイ関係がいちばん最初に密接になったのが「大東亜戦争」期であった。第二次大戦末期の4年間(1941~1945年)である。

大英帝国領であったビルマとマラヤ(=シンガポールを含むマレー半島)、フランス領であったインドシナと国境を接していたのが、英仏の緩衝地帯として独立を保っていたタイ王国であった。

大日本帝国はビルマ攻略の兵站(ロジスティクス)基地としてのタイに着目し、インドシナ半島の中心に位置するタイに軍隊を進駐させた。ただし占領したのではななく、同盟を結んだ上での進駐であった。この事実は忘れられがちだが、きわめて重要なことだ。

独立国どうしの外交関係であっただからこそ、当時の記録が外交文書としてタイの国立公文書館に保存されていたのであり、それらが情報公開されたことにより、『同盟国タイと駐屯日本軍  ―「大東亜戦争」期の知られざる国際関係』(吉川利治、雄山閣、2010)など、著者の一連の研究が実現したのである。タイ側の文書だけでなく、日本側が提出した文書の複写もきちんと保存されているのだろう。

日本は敗戦にあたって重要文書の多くを焼却処分してしまったので、こういった形で戦争期の研究をするしかないのであるが、それにしてもタイ側に複写として残っていたことは、じつに幸いなことであった。日本語とタイ語の一次史料をもちいた複眼的でオリジナルな研究が可能となったのである。

副題の「大東亜戦争」期の知られざる国際関係」にあるように、日本人もタイ人も、ともによく知らない歴史的事実を掘り起こしたものだ。この歴史的事実に注意喚起したいという思いから執筆された4本の論文をまとめたのが本書である。

まずはタイ語で出版され、著者の急逝後に日本語版が編集されるという経緯をたどったのも、本書の性格をよく表しているといえる。健忘症の日本人、歴史感覚の希薄なタイ人の双方にとって意味ある内容だ。日本人にとってのみならずタイ人にとっても意味のある研究内容なのである。

著者は、タイ語に精通した、草創期の日本人研究者であった。



「近代化」の規模とスピードに大きな差の出た日本とタイ

ともに、欧米列強の植民地となることを免れた日本とタイであったが、日タイ関係はかならずしも一筋縄でいったわけではない。

植民地全盛時代に独立は維持したものの、ともに西欧志向であった点は共通しているが、日タイ間では「近代化」の質とスピードには大きな差があった。1932年時点ではすでに重工業化が進展し、自前で戦艦まで建造できた日本と、絶対王政下のタイ王国の格差は、すでにきわめて大きなものとなっていたのである。

みずからが植民地帝国となり1931年の満州事変で国際的孤立の道を歩きはじめた日本。1932年の「立憲革命」で絶対王政を倒し立憲君主制のもとに本格的に「近代化」を開始したタイ

1931年の満州事変と1932年のタイの立憲革命は、同時代現象として不思議に共鳴し合うことになる。タイは、政治的には英国、経済的には華僑の影響力を削ぐために日本に接近することになったからだ。

タイはこの時期、国民統合のためにナショナリズムを強調し、シャム(=サヤーム)からタイに国名を変更した。この状況のもと、日本とタイは「独立国」として大東亜戦争においては同盟関係を結ぶに至ったのだが、その関係は、その他の東南アジア諸国とは根本的に異なるものがあった。

それは何度も繰り返すが、日タイがともに「独立国」であったことである。

英領ビルマや英領マラヤ(=マレーシア+シンガポール)といった英国の植民地、そして蘭領東インド(=インドネシア)、アメリカ領であったフィリピンとは異なるということであり、進駐はしたが占領はしていない仏領インドシナ(=ベトナム・ラオス・カンボジア)とも異なる、ということである。

仏領インドシナに進駐した日本軍の巨大な圧力を感じていた「中立国タイ」は、日本と同盟を結ぶことになるが、それは実質的には恫喝に近いものを感じていたからであったことが本書で明らかにされている。



日タイ関係の原点は「大東亜戦争」期に形成された

強引に迫りながらも一定の歯止めをかけざるを得なかった日本軍独立国家としての威信を守り、日本軍による蹂躙を回避するために悪戦苦闘したタイ。「強制」と「友好」、「協力」と「抗日」など戦時下のせめぎ合いを、さまざまな角度から掘り起こしている。

第4論文の「忘れられた対日協力機関」の末尾の文章はぜひ読んでいただきたい。

タイは中立を宣言していたが、日本軍の進駐で協力を余儀なくされた。・・(中略)・・ 日本軍の進駐とともに誕生した協力機関も、日本軍に協力したかどで非難されてしまった。だが、もし、この機関がなかったなら、さて、タイはどうなっていただろうか ・・(中略)・・ タイが国益保全に努力し、独立と主権を維持するため、日本軍を相手に三年半も悪戦苦闘していたのは、他ならぬ日タイ合同委員会と事務局であり ・・(中略)・・ 日タイ同盟を結んだ以上、日本軍もまたタイの主権を軽々に蹂躙することができなくなった。他の東南アジア諸国と同様の調子で、"日本占領下のタイ" という表現を、外国や日本の専門家が安易に用いているのを読むとき、果たして正鵠(せいこく)を射た表現であろうか、という疑問を禁じ得ない。(P.164)

わたし自身もそうだったが、大東亜戦争において日本の同盟国であったタイは、一方では「自由タイ運動」によって英米と通じて二股をかけたうえで、日本の敗戦後は手のひらを返したように「連合国」の一員として厳しい処分を免れたという事実にのみ注目しがちである。

実際問題、日本と同盟を組んで英米に宣戦布告した「枢軸国」となったがゆえに、日本の敗色が濃くなって以降は、バンコクも「連合軍」の空爆被害を受け、両隣のビルマとマラヤで大日本帝国に苦杯をなめさせられた大英帝国は、日本の敗戦後はタイ王国に進駐し、厳しい態度で接したのである。

だが、第二次大戦後に覇権国となったアメリカは、タイを含めた東南アジア諸国への影響力を強化するために寛大な態度でタイを遇することになる。

「反共」を国是とする王国で、ベトナム戦争時代にはアメリカに軍事基地を提供するまでの関係になった米タイ関係を考えれば、「自由タイ運動」史観とでもいうべきものが戦後の支配的な歴史観となったきたことは十分に理解できることだ。

だが、本書を読めば、「自由タイ運動」史観には、一定の留保条件をつけたほうがよさそうだという感想を抱くのである。

日本軍と戦ったこともなく、せいぜい日本軍の動きを連合国側に通報する程度の活動をした自由タイ運動が、戦後に抗日運動として高く評価されているのに比べれば、(対日協力機関は)あまりにもその影が薄い(P.162)

日本の敗色が濃くなるなか、ピブーンは、「同盟国」でありながら日本が主催した「大東亜会議」(1943年)に出席せず、代理として王族を出席させている。その結果、招待した東条英機首相をはじめとする日本側の面子をつぶしているのだが、忘れられがちな歴史的事実を再確認することは、日タイ関係を考えるうえできわめて重要なことだ。

責任をとらずに雲隠れするというタイ人政治家の行動パターンは、この時期の大物政治家で本書でも主役級のピブーンやプリーディにも共通する。この二人は失脚後に、それぞれ亡命先の日本と中国で客死している。このパターンは現在でも亡命を余儀なくされているタクシン元首相にも継承されている政治的特性といえよう。

人間関係もそうだが、二国間関係も濃密に接触した時代にお互いの本質をいやというほど知ることになるものだ。良い面も悪い面も含めた両面である。

本書を読めばさまざまな歴史的事実を確認することができるが、現代の日タイ関係やタイ政治を見る視点が「複眼的」になるだろう。

たまには現在の問題から離れて、歴史を振り返ることに意味があるのはそのためだ。


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目 次

タイ語版「推薦文」-吉川利治氏と「敗者」の歴史-(チャーンウィット・カセーシトリ)
タイ語版著者「まえがき」

第1章 ピブーン政権と日本 (初出 1982年)
 はじめに
 1. タイの立憲君主革命と日本
 2. ピブーンの民族運動
 3. 「愛国信条」(ラッタ・ニヨム)の発布
 4. インドシナ国境紛争と日本の調停
 5. 失地回復を喜ばぬタイ
 6. 急増する日本人
 7. 迫り来る危機
 8. タイ・カンボジア国境に消えたピブーン首相
 9. 進駐する日本軍
 10. 緊急に開かれた会議
 11. "嵐のときのようにやり過ごす"
    12. エメラルド仏寺院での同盟締結
 13. タイも英米に宣戦布告
 14. 戦時下の文化革命
 15. 抗日への準備
 16. 大東亜会議
 17. 連合国軍の空襲とペッチャブーン遷都計画
 18. 抗日戦線への連帯を求めて
 19. ピブーン首相辞任

第2章 タイ駐屯日本軍 (初出 1997年)
 1. 「タイ駐屯軍」と「インドシナ駐屯軍」
 2. 日タイ協同作戦
 3. 昭和天皇とタイ駐屯軍の誕生
 4. 外交と軍事を担う司令官
 5. タイ駐屯軍の任務
 6. 中村司令官の友好親善活動
 7. 連合国軍の爆撃
 8. ピブーン内閣総辞職
 9. 東条首相のバンコク訪問
 10. ピブーン首相の大東亜会議欠席
 11. 泰緬連接道路の建設
 12. 空襲に遭う日本大使館
 13. 駐屯軍から野戦軍へ
 14. 軍需品の現地生産と調達
 15. 軍需物資の集積と陣地構築
 16. 第39軍から第18方面軍へ、最期の作戦
 17. 「義」部隊

第3章 日本軍による米の調達 (初出 1999年)
 1. 日本軍が戦時中にタイで占有していた事業
 2. 戦前のタイ米の輸出
 3. バッタンバン米の輸出
 4. 南タイからマラヤへの米輸出
 5. 米は余剰、輸送列車は不足
 6. 南タイでは米を備蓄
 7. 米に関する委員会設置
 8. 北部フランス領インドシナ向けの米の輸出
 9. 聞いたタイで米の統制令、南タイの米不足
 10. 東北タイで日本具への米の売り渡し阻止

第4章 忘れられた対日協力機関 (初出 2001年)
 1. タイ日合同委員会から「日泰政府連絡所」へ
 2. タイ滞在の日本兵の法的地位
 3. タイの官憲と日本軍憲兵隊
 4. 広報小委員会
 5. 同盟国連絡事務局
 6. 対日協力機関に対する評価

参考文献
タイ語版役者「あとがき」(謝辞)(アートーン・フンタンマサーン)
解説(早瀬晋三)
「大東亜戦争」期の日本・タイ関係年表
写真出典一覧
索引


著者プロフィール

吉川利治(よしかわ・としはる)
1939年大阪市生まれ。1962~64タイ国立チュラーロンコーン大学文学部留学。1963年大阪外国語大学タイ語学科卒業。1964年大阪外国語大学タイ語学科助手。1985年大阪外国語大学地域文化学科タイ語専攻教授。1987‐89年京都大学東南アジア研究センター客員教授。1994‐95年東南アジア史学会会長。2002年タイ国立シンラパコーン大学文学部客員教授。2005年大阪外国語大学名誉教授。2009年タイ国アユタヤで急逝。著書に『泰緬鉄道』(同文館、1994) (本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<参考文献>

『ピブーン-独立タイ王国の立憲革命-(アジアの肖像⑨)』(村嶋英治、岩波書店,
1996)

『日本占領下タイの抗日運動-自由タイの指導者たち-』(市川健二郎、勁草書房、1987)



ナショナリズムを強調し、国民統合のためにシャム(=サヤーム)からタイに国名を変更したのは立憲革命後のことである。この点については 『ピブーン 独立タイ王国の立憲革命-(アジアの肖像⑨)』(村嶋英治、岩波書店、1996) に詳述されている。




PS 大東亜戦争とタイが日本の同盟国だった時代を描いたエンタメ作品

大東亜戦争開戦の直前、日本軍はタイ陸軍と交戦していたことが、映画 『少年義勇兵』(タイ、2000年)に描かれている。

英領マラヤ上陸作戦実行に際して、英国を目くらましするために、日本軍は国境付近のタイ領から上陸し、そこでタイ国軍と交戦して双方に死傷者がでていたのであった。




同盟国タイに進駐していた帝国日本海軍士官とタイ人女性の悲恋を描いた『クーカム』(運命の相手)という小説は、なんども映画化されており、タイでは人気のタイトルだ。

タイの女性作家トムヤンティによるこの小説は、日本では『メナムの残照』というタイトルで西野順治郎氏によって翻訳され、角川文庫から抄訳版が、アジア文庫からは1997年に完全版が出版されている(現在は絶版)。わたしは、この完全版で読んでいる。




主人公の日本人海軍士官はコボリという名前であり、コボリさんはタイではすぐに覚えてもらえるファミリーネームである。

タイの国民歌手、というよりも国民的スーパースターのバードことトンチャイは、主役のコボリをドラマで演じている。


(『クーカム』のトレーラーとバードによる主題歌)


Wikipediaの記述には以下のようにある。

トンチャイは1990年に放送された全26話のテレビドラマで日本海軍大尉小堀を演じ、タイチャンネル7で金曜日から日曜日の21:00-22:00に放送される。当時の視聴率は40%を超え、週末には町から人が消えるという社会現象を起こすほどの人気を博した。このドラマのヒットによりタイ人が日本人に好印象を持つようになり、タイが現在のような親日国になるきっかけを作った。1996年公開の映画でも小堀を演じている。映画は同年の大ヒット作品のひとつで、タイ映画としては初めて国外へのホーム・ビデオ配給となり、1998年に英語の字幕つきのVHS形式で販売された。



(バードが歌う主題歌の日本語バージョン)


主題歌をふくめた挿入歌を歌っている。なんと「同期の桜」を日本語で(!)歌っていることは、あまり知られていないかもしれない。

(2025年8月22日 記す)



<ブログ内関連記事>

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)

書評 『クーデターとタイ政治-日本大使の1035日-』(小林秀明、ゆまに書房、2010)-クーデター前後の目まぐるしく動いたタイ現代政治の一側面を描いた日本大使のメモワール
・・タイ人政治家の息吹が聞こえてくるような貴重なメモワール


大東亜戦争期の日本とタイ、そして英領ビルマの関係

書評『泰緬鉄道  ―  機密文書が明かすアジア太平洋戦争』(吉川利治、雄山閣、2011 初版 1994 同文館)―  タイ側の機密公文書から明らかにされた「泰緬鉄道」の全貌

書評 『持たざる国への道-あの戦争と大日本帝国の破綻-』(松元 崇、中公文庫、2013)-誤算による日米開戦と国家破綻、そして明治維新以来の近代日本の連続性について「財政史」の観点から考察した好著
・・『同盟国タイと駐屯日本軍』の第1章には、日本が在外資産を凍結されたため、同盟を結んだタイに借款を求めたこと、二回目の借款においては担保となる金(きん)をバンコクに移送することを条件に実行に移されたこと、この件にかんして時の財務大臣プリーディーが日本に対してきわめて不快感を抱いたことが記されている

本の紹介 『潜行三千里』(辻 政信、毎日新聞社、1950)-インドシナに関心のある人の必読書
・・日本の敗戦時にバンコクにいた辻政信参謀は、英国からの執拗な追跡を逃れて大規模な逃避行を実行

タイのあれこれ (25) DVDで視聴可能なタイの映画 ④人生もの=恋愛もの
・・『クー・ガム』(日本語タイトル:「メナムの残照」) 製作公開1996年 監督:ユッタナー・ムクダーサニット は、日本人海軍将校とタイ人女性の悲恋もの。大戦末期のバンコク空爆シーンも登場

書評 『抵抗と協力のはざま-近代ビルマ史のなかのイギリスと日本-(シリーズ 戦争の経験を問う)』(根本敬、岩波書店、2010)-大英帝国と大日本帝国のはざまで展開した「ビルマ独立」前後の歴史

三度目のミャンマー、三度目の正直 (5) われビルマにて大日本帝国に遭遇せり (インレー湖 ④)
・・日本軍占領下のビルマで発行されたルピー軍票に書かれた大日本帝国の文字


泰緬鉄道関連

書評 『泰緬鉄道-機密文書が明かすアジア太平洋戦争-』(吉川利治、雄山閣、2011 初版: 1994 同文館)-タイ側の機密公文書から明らかにされた「泰緬鉄道」の全貌

映画 『レイルウェイ 運命の旅路』(オ-ストラリア・英国、2013)をみてきた-「泰緬鉄道」をめぐる元捕虜の英国将校と日本人通訳との「和解」を描いたヒューマンドラマは日本人必見!

『ドキュメント アジアの道-物流最前線のヒト・モノ群像-』(エヌ・エヌ・エー ASEAN編集部編、エヌ・エヌ・エー、2008)で知る、アジアの物流現場の熱い息吹
・・大東亜戦争においても、ベトナム戦争においても、日本企業の本格的進出時代においても、タイはつねに東南アジアの交通ハブであり、ロジスティクスの中心であった

『貨物列車のひみつ』(PHP研究所編、PHP、2013)は、貨物列車好きにはたまらないビジュアル本だ!

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