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2023年9月14日木曜日

『井筒俊彦とイスラーム 回想と書評』(坂本勉/松原秀一編、慶應義塾大学出版会、2012)を通読すると、タイトルからは想像できない重要な文章が収録されていることに気づいた




出版後すぐに入手して一部を読んだままになっていたこの本を、出版から10年たったいま、あらためて通読してみて思うのは、その内容がタイトルから受けるよりも、はるかに充実したものであることだ。

そもそもイスラームの研究者でもなんでもない、わたしのような一般読者が読む本であるかどうか、タイトルからはうかがい知ることはできない。その意味では、タイトルづけとしてはちょっと損しているのではないか。

まず「序 イスラーム事始めの頃の井筒俊彦」(坂本勉)がかなり有益だ。シンポジウム発表をベースにしているので「ですます調」で語られているが、「若き日の井筒俊彦」と言い換えてもいい内容である。近代トルコ史の専門家としての知見が大いに活かされている。

1 二人のタタール人との出会い
2 イスラーム改革思想家としてのムーサー・ジャールッラー
3 ムーサー・ジャールッラーの来日
4 事始めの頃の研究成果
5 戦後の本格的研究への歩み
6 イスラーム神秘哲学への途
7 革命前夜におけるイランの神秘哲学者との交流

重要なことは、戦前来日したタタール人たちは、ロシア帝国の臣民であったことだ。露西亜革命以前の話である。

かれらはムスリム学者としてアラビア語の経典とその注釈をすべてアタマのなかに入れていただけでなく、日常的にはロシア語を話す話者でもあった。井筒俊彦とロシア語の関係についての推測も、なるほどと思わされる。

『ロシア的人間』という、ロシア語で文学作品を読み込み、ドストエフスキーを中心としたロシア文学にあらわれたロシア神秘主義を熱く語った著書もある井筒俊彦だが、まずはムーサーとの実際上のコミュニケーションの必要が先にあったのであはないか、と。

********

「第一部 回想の井筒俊彦」は、イスラーム研究関係の弟子たちや同僚、そして言語学者の弟子の回想をあつめたもので、それぞれ多面的な井筒俊彦像を描いている。

多元的文化への偏見のない関心――井筒俊彦を引き継ぐために(黒田壽郎、インタビュアー:湯川武)
鎌倉、軽井沢、テヘラン(岩見隆、インタビュアー:高田康一+尾崎貴久子)
共生の思想を模索する(松本耿郎、インタビュアー:野元晋)
井筒俊彦の知を求める旅――モントリオール、エラノス会議、そしてテヘラン(ヘルマン・ランドルト、インタビュアー・翻訳:野元晋)
井筒俊彦の本質直観(鈴木孝夫、インタビュアー:松原秀一)

イスラーム関係では黒田氏と松本氏のものが読みでがある。師としての井筒俊彦を語ることは、弟子としての自分の研究との共通性と違いを語ることでもあるからだ。

それぞれ個性の強い師と、個性の強い弟子の関係は、まさに昔ながらの「師弟関係」そのものというのがふさわしい。

そのカリスマ的な魔力に吸い寄せられ、飲み込まれてつぶされてしまう危険と戦いながら、厳しい師にくらいついていくガッツが必要だ。しかしながら、最終的に師を超える観点を打ち出さなければ、研究者として独り立ちできず、ものになれないという厳しい関係であることも示している。

イランに本拠地を移すまでは、「来る者は拒まず、去る者は追わず」だったようだ。魅力に惹かれて集まってくるが、あまりの厳しさにほとんどが脱落しているのである。

その意味では、言語学者の鈴木孝夫氏の10年におよぶ同居研学生活と、劇的な決別が興味深い。これは社会言語学者の田中克彦との『対論 言語学が輝いていた時代』(岩波書店、2008)でも語られていたが、こちらはより詳細に述べられている。象徴的な「父親殺し」というべきものか。あるいは意図せざる「守・破・離」の実践というべきか。

鈴木孝夫氏が弟子であった時代、井筒俊彦は「イスラームのイの字」も口にしていないといいう。敗戦後どっと入ってきた欧米の言語学や人類学その他の学問の吸収に専念しており、それが独自の言語意味論的方法論、言語哲学の基盤となったらしい。

その方法論を駆使したのがコーラン(=クルアーン)にかんする意味論的分析の英文著作三部作であり、岩波文庫から出版された『コーラン』(初版1957年)翻訳の際に作製した綿密なノートが素材となっているらしい。これは他の方のインタビューで語られていた。

これらのインタビューは、たんなる「回想」というよりも、多く考えさせる内容を含んだものとなっている。

********

「第二部 私の一冊」は、編者がわりあてて依頼し、執筆されたものである。

思い入れのある本であるものもあり、綿密な注をつけてその著書の意味を語ったものもあり、著書だけの関係によるものなど、執筆者によって異なる取り上げ方をしているのが読んでいて面白い。

井筒俊彦の多面的な像がそのまま反映しており、直接にはイスラームとは関係のないように見えるロシア文学(と神秘主義)、ユダヤ神秘主義などの著書も取り上げられている。


『アラビア語入門』― 「井筒言語学」の曙光(大河原知樹)
『イスラーム生誕』― ムハンマド伝をめぐって(後藤明)
『コーラン』と『コーランを読む』― コトバの深奥へ(大川玲子)
『意味の構造』― 意味論的分析によるクルアーン読解(牧野信也)
『イスラーム文化』― 雄弁な啓蒙と呑み込まれた言葉(長谷部史彦)
『イスラーム思想史』― 沙漠の思想か共生の思想か(塩尻和子)
『イスラーム哲学の原像』― 神秘主義と哲学の融合、そして「東洋」をめぐって(野元晋)
『存在認識の道』― 井筒東洋哲学を支えるもの(鎌田繁)
『ルーミー語録』― その意義をめぐって(藤井守男) 
        *** 
『ロシア的人間』― 全一的双面性の洞見者(谷寿美)
『超越のことば』― 自我滅却の哲学のゆくえ(市川裕)
『神秘哲学』と『意識と本質』― 二つの主著(若松英輔)


とりわけ、『神秘哲学』と『意識と本質』について書かれた若松英輔氏の文章は、大いに読ませるものであり、さすがに『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011) 井筒俊彦の全体像に迫る本格的評伝を書き上げた人だけの深い読みが示されている。わたしもこの2冊をなんども繰り返し読んできた。

『意識と本質』は主著である。それは英文著作を含めても変わらない。主著とは、作者の他の著述を読まずとも、その中核的思想に出会うことができる作品の謂である。

そして、その読み方の示唆も大いにうなづかせるものがある。

『意識と本質』は、必ずしも通読する必要はない。読者は好きなところから好き読み方にみ、自由に解釈を楽しむことができる。この著作の価値が読み方によって減ぜられることはない。部分的に繙く、といった読み手の気まぐれにもまったく動じない。それが恣意的な、ときに独断に満ちた「誤読」であったとしても。
「『誤読』のプロセスを経ることによってこそ、過去の思想家たちは現在に生き返」る、と井筒俊彦は、空海を論じた作品に書いている。『意識と本質』は、彼のいう「誤読」の歴程にほかならない。だが、それゆえに作者の主体的体験に満ちている。


まさに意を得たり、と膝を打ちたくなる。わたしもそんな読み方を、単行本の初版を入手してから40年近く断続的につづけてきた。わたしの場合もまた、クリエイティブな「誤読」であると思いたい。

つい先日も、いままでまったく読んでいなかった箇所があることを発見して、大いに驚くとともに、大いに裨益されるものを感じたばかりである。井筒俊彦は、朱子学にまで探求を向けていたのか、と。老荘思想だけではなかったのである。回想によれば、日頃から漢文も読み込んでいたらしい。

直接イスラーム哲学を扱ったのではない著書の紹介が面白い。これらはみな、本書のタイトルからは想像できない、想像を裏切るすばらしい内容なのであった。



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2014年6月4日水曜日

「天安門事件」から25年(2014年6月4日)-天安門は「見る」ものではなく、そこに「立つ」べきものだ

(天安門広場からみた天安門 wikipedia より)

本日は中国の民主化が弾圧された「天安門事件」(1989年6月4日)から25年。はや四半世紀。早いものです。といっても、わたしはTVで見ていただけですが。

写真は wikipedia から。天安門というと、ほぼ100%このアングルからのものばかりですね。正面に毛沢東の肖像画の見えるアングル。

5年前にもこのブログで「天安門事件(1989年)から20年か・・」と題して記事を書いています。1989年当時を思い起こして書いた内容です。ここでまた繰り返す必要はないと思います。一言で言えば、「天安門事件」は冷戦構造崩壊の一コマであったということです。

1989年という年は世界情勢にとって激動の年だったのです。11月にはベルリンの壁の崩壊、そして年末にはチャウシェスク独裁体制の崩壊・・・ その流れはソ連崩壊と冷戦構造崩壊へと続いていきます。

天安門事件から11年後の1999年、はじめて北京にいった際、天安門に行ってみました。このアングルから見たあと、多くの観光客と同様に門のなかに入ってみました。

そこでわかったのは、天安門は下から見上げるのではなく、天安門から下を見下ろすべきものであること。

中華人民共和国の建国(1949年10月1日)を宣言した毛沢東だけでなく、歴代の皇帝もまた。この門の上から見下ろしたのだと。広大な空間が視野に入ってきます。見晴らしがいいのです。

天安門は「見る」ものではなく、そこに「立つ」べきもの、ですね。これが「上から目線」というものかもしれません。

「天下をとる」という表現が日本語にありますが、まさに「天の下」と「天」とをわかつ境界が天安門なのだなと、そこに「立つ」と実感されます。

天安門に「立つ」と、「ここが世界の中心」という気分が、足下からわき上がってくるのが不思議な感覚でありました。豊臣秀吉も、最終目的は明王朝を倒して中国皇帝になる(!)のが夢だったようですので、そこに「立つ」ことができなかったのは残念なことであったのでしょう。

さて、歴代の王朝がそうであったように、中華人民共和国もまた永遠の存在ではないでしょう。中国には「易姓革命」という概念があります。「革命」とは回転すること、王朝交代を理論化した概念です。日本の天皇のようjに血統が連続するわけではないのです。

つぎの王朝の「天下人」として天安門に「立つ」のはいったい誰か、そしてそれはいつのことか、そんなことを考えてみるのも面白いことですね。少なくとも、このわたくしでないことは確かですが(笑)





<関連サイト>

六四天安門事件 (Wikipedia

天安門広場 (Wikipedia

天安門  (Wikipedia

1989年6月、天安門は解放区だった【画像集】 (The Huffington Post UK | 執筆者: Charlotte Meredith 投稿日: 2014年06月05日)


<ブログ内関連記事>

天安門事件(1989年)から20年か・・

ベルリンの壁崩壊から20年-ドイツにとってこの20年は何であったのか?(2009年11月10日)

ドイツ再統一から20年 映画 『グッバイ、レーニン!』(2002) はノスタルジーについての映画?

チャウシェスク大統領夫妻の処刑 1989年12月25日

「辛亥革命」(1911年10月10日)から100年-ジャッキー・チェン製作・監督の映画 『1911』 が待ち遠しい!

ジャッキ-・チェン製作・監督の映画 『1911』 を見てきた-中国近現代史における 「辛亥革命」 のもつ意味を考えてみよう

書評 『ネット大国 中国-言論をめぐる攻防-』(遠藤 誉、岩波新書、2011)-「網民」の大半を占める80后、90后が変える中国

書評 『語られざる中国の結末』(宮家邦彦、PHP新書、2013)-実務家出身の論客が考え抜いた悲観論でも希望的観測でもない複眼的な「ものの見方」

「上から目線」が必要なときもある-リーダーや戦略家は全体を見わたすバーズアイという視点が必要だ!

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?
・・「30年前」ですら現在からみればすでに隔世の感もあるから、いまから「30年後」は想像もできない世界になっている可能性は大きい」  25年前ですらすごく遠い昔のように感じる



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2009年6月4日木曜日

天安門事件(1989年)から20年か・・


                    
 本日6月4日は、1989年に暴力的に鎮圧された「天安門事件」から20年なのだそうだ。NHKの「クローズアップ現在」で取り上げていた。

 早いもんだなあ、もう20年間か・・・ そういえば、その当時FENでは「ティヤナメン・スクウェア」(Tianamen Square)と発音していた。英米人と話すにはこの方がとおりがいい。

 その当時はちょうどあるクライアントからの依頼で、アジア地域で工場建設候補地を選定する、というコンサルティング・プロジェクトにかかわっていた。

 クライテリア(選択基準)を設けてふるいにかけ、3ヶ国を選択し、現地調査を踏まえた上で最終的な結論を提出する、というものである。

 このときまず選択肢から落としたのが中国だった。理由はいうまでもなく「天安門事件」後のカントリーリスクの高さである。工場建設は半端な意思決定では不可能だ。準備から操業開始まで資金が眠ったままだから、もし操業不能なんてなったら、投資回収に困難をきたし、泣くに泣けない事態となる。

 その後の急速な経済発展を考えると、リスクがあるからこそ中国進出すべしという結論はオーナー経営者なら下せたであろうが、客観的なデータをもとに論理構築を行うコンサルタントには許されにくい。もちろん私も異論なく中国は選択肢から外すのに賛成した。

 ちなみに一次選考段階で選択肢から外されたのがもう一か国あった。タイである。理由はバンコク市内の交通事情の悪さ、とくに雨期の洪水時の交通渋滞は当時から悪評が高かった。もう一つの理由は、エンジニア不足。20年後の現在でもあいかわらずエンジニア不足がいわれているが、この20年で新規に進出した日本の製造業のことを考えると、隔世の感はある。

 しかし2009年現在、また同じ調査をやったら、タイはまたすぐに外されるだろう。昨年11月のバンコク国際空港占拠はまだまだ尾を引いている。
 
 選択肢に残ったのは、シンガポール、マレーシア、オーストラリア。この三ヶ国を、自分にとっては生まれて初めての海外出張で回ることができた。当然、気合いが入ったものである。自分でもいい報告書が作成できたと思っている。ただし、結論を採用するかどうかはクライアント次第。これだけは、コンサルタントには何ともしがたい。


 1989年という年は世界情勢にとっても、自分自身にとっても大きな転換点となる年だった。激動の年であった。

 11月には東西ドイツを隔てていたベルリンの壁が崩壊、しかし徹夜で仕事に追われていた私にはこの重大ニュースは翌日までまったく知らなかった。ものすごい多忙で、しかもアメリカの大学院のMBAコース受験準備も同時に行っていたので、いつ倒れてもおかしくない状態だったのだ。

 さすが年末のルーマニア革命はTVでじっくり見ることができたのは幸いだったが・・・。激しい銃撃戦とチャウシェスク大統領の処刑。20年前の映像が目に焼き付いている。チャウシェスクは北朝鮮に脱出する寸前に捕えられたのだった。

 翌年の1990年まで疲労がとれず、カラダが鉛のように重く感じられる日々が続いた。いくつもの病院で検査したがまったく原因がわからなかった。

 最後に検査した病院で、異常が見つかったので胃カメラで再検査するといわれた。

 検査にいった日、医者からは、「若いのに(胃カメラ検査なんて)珍しいねー」といわれたが、たしかに待合室で待機しているのは、おばあさんたちばかりだった。

 今は技術進歩しているからそうでもないのだろうが、その当時は胃カメラ飲むのは苦痛以外の何物でもなかったのだ。のどだけ麻酔するので、意識が完全にはっきりしている。医者がモニターみながらいっていることがよく聞こえる。「胃にポリープができてるねえ。細胞とって調べるから」といってロボットアームを操作している。「検査なんかいいから全部摘出してくれないのか?」と思ったのは、また胃カメラ飲むのがいやだったからだ。

 検査結果は良性ということだった。もし悪性だったら、とうの昔に死んでいただろう。いまこうして生きているだけでもありがたい。

 そのあとたいして時間がたたないままアメリカ留学へと出発した。アメリカではひたすら勉強していただけなので、上司による苦労も、同僚や部下による苦労もなく、私にとってはストレスフリーな毎日だった。もちろん死ぬほど勉強したが・・・。そんな日々を過ごしているうちにポリープのことはすっかり頭から消えていた。実際にポリープ自体も消滅したようだ。

 ここから私の本当の人生が始まったのだ、ということができる。この話は長くなるので折に触れて語りたい。


 初めて北京の天安門にいったのは、天安門事件から10年たった1999年になってからである。ユーラシア大陸横断のシベリア鉄道を北京から乗車するため、まず大連から満洲をまわり、そして北京に数日滞在したのだった。

 このときの中国の最大の脅威が「法輪功」であった。壁新聞(!)で「法輪功」を非難しているのを北京市内で団地内掲示板で読んだことをいま思い出した。

 天安門のバルコニーに立ったとき、1949年にこのバルコニーから中華人民共和国の建国宣言を行った毛澤東を、カラダでもって体感することができた。

 バルコニーを下から見上げて毛澤東の巨大肖像画を映したクローズアップ映像と、バルコニーから広場を眺め下ろす映像は根本的に異なる。天安門のバルコニーに立つと中国皇帝の気分を味わえるのだ。なるほど、東アジア世界の中心は東京ではなく、北京なのだ。あまり認めたくはないがこれは否定できないな、と強く感じたのを覚えている。

 いまを去ること約400年前、太閤秀吉はかつて中国の皇帝になることを夢見て、その途上にある朝鮮半島を蹂躙するという愚挙を起こした。21世紀の日本人はそんなことは絶対に夢想しないほうがよろしい。長いものに巻かれていく、でありながら距離も保つ、これが日本人にとって今後100年間の処世術となろう。


 間もなく、きたる10月1日には、中華人民共和国建国から60年になる。

 よくぞ60年もったものだ。しかしまだ安定期には入ったとはいい難い。極端な経済格差は社会問題の温床となっている。

 中国は、いわゆる「開発独裁」の結果、民主化への道を進むことになった韓国、台湾と同じコースを歩むのか、そうでないのか・・・華人国家のモデルであるシンガポールは目指す国だろうが、いかんせん中国はでかすぎる。

              


                  
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