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2023年9月21日木曜日

四半世紀ぶりに井筒俊彦の『ロシア的人間』(初版1953年)を読み直してみた(2023年9月)- 内容が古びることのない「文学に現れたるロシア思想の研究」とでもいうべき古典的名著


 
ひさびさに井筒俊彦の『ロシア的人間』(中公文庫、1989)を読み返してみた。約四半世紀ぶりである。イスラーム哲学の研究者として著名な著者による異色の著作である。

中公文庫(旧版)で『ロシア的人間』を読んでからすでに四半世紀近い。弘文堂から初版がでたのは奥付によれば1953年(昭和28年)2月20日、独裁者スターリンは現役であった。

スターリンが急死したのは、その翌月の1953年3月5日のことだ。スターリンの急死の報を受けて、日本の株式市場では「スターリン暴落」が発生している。日ソ国交回復は1956年10月のことである。

単行本として復刊されたのち、中公文庫版として文庫化されたのは1989年1月、ソ連が末期的状況となっていたが、いまだ崩壊していなかった。井筒俊彦もまだ存命であった。ソ連が崩壊したのは1991年のことだ。

だがそんな状況にあった1953年においても、1989年においても、ソ連ではなく、あくまでもロシアと表記していたことに意味がある。

当時の日本では、ソ連をロシアと言い換える人は、きわめて少数派であった。だが、TIME誌など英文雑誌では  USSR でも Soviet Union でもなく、つねに Russia と表記していた。英語圏の人間は本質を突いていたのだ。井筒俊彦もまた本質を見抜いていたわけである。




わたしがこの本のことを知ったのは、大学の学部時代のことだ。

井筒俊彦といえば『イスラーム思想史』の著者であったが、古代ギリシア語を駆使して『神秘哲学』を書いているだけでなく(この本を入手して、読んでいたのも大学時代のことだ)、なんとロシア語を駆使して『ロシア的人間』なんて本まで書いているのか、と。驚異的としかいいようがないな、と。

大学の図書館で検索カードをめくって(・・かつて図書館には検索用のコンピューターなど導入されてなかったのだ!)、図書館の蔵書には『ロシア的人間』は何冊もあった。弘文堂による初版である。おそらく研究室単位で購入したものが、教員の退官とともに図書館に返却されたのだろう。

だから、はじめこの本に触れてから、すでに40年以上たっている。その後、初版の『ロシア的人間 ー 近代ロシア文学史 ー』(弘文堂、1953)は、ネットオークションで安価に手に入れることができた。基本的に中公文庫版と本文に違いはない。


■19世紀はロシア文学の全盛期

なぜ井筒俊彦が「19世紀ロシア文学」にのめり込んでいたのか?

もちろん、ロシア文学が現在よりはるかに多くの日本人に読まれていたという時代背景もあるだろう。だが、なによりも井筒氏がもっとも深入りしていたドストエフスキーを中核とする「19世紀ロシア文学」に、第2次大戦後に大流行した「実存主義」の先駆けを見ていたこともあるようだ。

「実存」というべきか、「存在」というべきか、『神秘哲学』の著者は、生涯にわたって人間存在の根底にうごめくカオスを凝視しつづけた人であった。

『ロシア的人間』は、もともと慶應義塾大学通信制のテキストとして2分冊で出版されていたらしい。慶應義塾大学文学部の英文科に席をおきながら、言語学だけでなくロシア文学まで講じていたという。

第5章から第14章までは「各論」ともいうべきもので、個々の文学者について取り上げられている。自分が好きな作家がどう扱われているか、そんな観点から読むのもいいだろう。

取り上げられた作家は、ロシア文学の開祖ともいうべきプーシキンからはじまり、 初期のレールモントフとゴーゴリ、最終的に無神論に行き着いた評論家のベリンスキー象徴派詩人のチュツチェフ、きわめてロシア的な作家のゴンチャロフ、西欧派のトゥルゲーネフ全盛期の大作家トルストイとドストエフスキー、そして帝政時代の最後をしめくくり、つぎの時代への橋渡しとなったチェーホフである。 

著者としては、ほんとうは実存的な関心からドストエフスキーだけでまるまる1冊書きたかったのではないかと思う。全編にわたって通奏低音として流れているのがドストエフスキーである。

「マドンナの理想を抱きながら、ソドムの深淵に惑溺する」とは、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』にでてくる有名なフレーズである。井筒俊彦はこのフレーズ引用して、自分の父親はそんな人だったと『神秘哲学』に書いている。

そもそも人間とは矛盾に満ちた存在だが、ロシア人はとくにその傾向がつよいのかもしれない。ロシアという存在は、ある種の日本人に特有の単細胞な教条的思考や希望的観測をつねに裏切る存在である。

日本人読者にとって、ほとんどなじみがないのが象徴派詩人のチュッチェフだろう。おそらくいまだ一編も日本語訳されていないのではないか。

チュッチェフだけではないが、『ロシア的人間』には井筒俊彦自身による日本語訳が掲載されている。『神秘哲学』の著者であり、ロシア語でロシア文学を読み込みんだ井筒俊彦だからこそなせるわざというべきだ。そして、間違いなく井筒氏の好みの詩人なのである。

ドストエフスキーのフレーズに先行するのが、チュッチェフの有名なフレーズ「ロシアはアタマでは理解できない」(Умом Россию не понять:ウモーム・ラシーユ・ニェ・パニャーチ)である。このフレーズは、すでに誰が作者かわからないほど一般化している。

まったく相矛盾する自己認識が同時に両立しているのがロシア人のメンタリティーなのである。われわれの尺度でロシアを理解しようとしても、どだい無理な相談なのである。


■「文学に現れたるロシア思想の研究」とでもいうべき古典的名著


井筒俊彦の『ロシア的人間』は、津田左右吉の著書をもじっていえば、『文学に現われたるロシア思想の研究』とでもいうべき内容である。「ロシア的人間」の「ロシア思想」、さらにいえば「ロシア神秘主義思想」というべきか。

ロシア語には精通していたが、この本を書いたときもそれ以後も、著者にはソ連(=ロシア)への渡航経験はないのである。あくまでも「19世紀ロシア文学」をロシア語の原文で読み解くことで、「ロシア的人間」を探求してみせた内容なのである。

全編をつうじてキーワードとなる概念は、以下のようなものだ。

ロシア文学、ロシア人、ロシア神秘主義、キリスト教、東方正教会、キリスト教、カオス、ディオニュソス的、黙示録、終末論、無神論、第三のローマ、奴隷の宗教、などなど。

総論ともいうべき「最初の4章」で上記の概念が繰り出されている。「総論」こそ繰り返し読むに値する

第1章 永遠のロシア
第2章 ロシアの十字架 
第3章 モスコウの夜 
第4章 幻影の都

ロシアを考えるにあたって重要なことは、13世紀から約240年にわたってモンゴルの支配下にあったこと、いわゆる「タタールのくびき」といわれているものだ。*

*ただし、これはロシア側からの見方であって、モンゴル帝国のジョチ・ウルス(=キプチャク・ハーン国)の支配のもとでは、過酷な支配はなかったというのが近年の定説である。

だが、異民族支配から脱したあとも、1861年に解放されるまで「農奴制」がつづいていたことを忘れてはならない。諸外国とは違ってロシアの場合、モスクワにいる一握りのロシア人が、支配者として圧倒的多数のロシア人を奴隷化していた時代が、約2世紀にわたってつづいたのである。そういえば、チェーホフの祖父も農奴であった。

モンゴルの支配をあわせると、約5世紀にわたって奴隷時代がつづいたことになる。*この意味を過小評価することなどできはしない。国民性、あるいは民族性に大きな刻印を記しているといっても過言ではないだろう。

*ロシアで「農奴制」が確立したのは1647年であり、廃止されて農奴が解放されたのは1835年。正確にいうと200年のことである。とはいえ、農民の自由がきわめて制限されていたことは否定できないことだ。


首都をモスクワから、「西欧の窓」とよばれたサンクトペテルブルクに強引に移転したピョートル大帝の存在なくして、「19世紀ロシア文学」は生まれなかったのである。プーシキンからチェーホフにいたる「19世紀ロシア文学」は、「サンクトペテルブルク文学」でもある。


■じつはきわめてアクチュアルなテーマを語っている

17世紀後半から18世紀前半にかけて生きたピョートル大帝は、積極的に西欧化を推進した天才的政治家であったが、その一方できわめてロシア的な専制君主でもあった。「第4章 幻影の都」から引用しておこう。

彼はあくまでもロシアの天才、ロシアの英雄であった。中庸の徳なるものを絶えて知らぬロシア魂の象徴的顕現としてのみ初めて正当に理解できる人物。すなわち彼は最もロシア的な暴力革命の権化(ごんげ)なのである。

1953年の時点でこう断言しているのである。ソ連礼賛があたりまえであった日本の知識人のなかでは、きわめて例外的な姿勢といえるかもしれない。引用をつづけよう。(*太字ゴチックは引用者=さとう)

事実、ピョートル大帝は生まれながらの革命家、徹頭徹尾ロシア的な天成の革命家であった。彼はテロリズムの積極的建設的意義を認めて、これをロシアの政治史に実践導入した最初の人物である。彼にはロシアの運命に関する遠大な計画があり、人類の未来について真に予言的な見通しがあった。(・・・中略・・・) テロリズムの仮借なき行使が、必然的に無辜(むこ)の人民の血を流し、無数の人々からその個人的幸福を奪わずには済まないにしても、全ロシアの未来のために、この人道的悪は偉大なる「善」となる。(・・・中略・・・)
まぎれもなく、この道を行くピョートル大帝はレーニンの先駆者、18世紀のレーニンであり、彼の決行した暴力的な国政改革は、コミュニズムの暴力革命の原型であった。

さらにテロリズムにかんするトロツキーの発言を引きながら、つぎのように議論を展開している。

つまり人を惨殺することそれ自体に善悪があるのではなく、ただ何のために殺すかという目的の如何(いかん)によって殺人の善悪が決まると言うのである。だから、その目指す目的が正義と真理である以上は、目的実現を阻害しようとする一切の敵に対してどんな種類の暴力を振るっても正しいのだ。(・・・中略・・・)
トルストイとは反対に、ドストイェフスキーは、良きにつけ悪しきにつけ、ピョートル大帝とその事業の深刻な結果を生涯の最後まで最大の関心事として考え続けた


きわめてアクチュアルな発言であると言えるのではないだろうか。ソ連崩壊後の21世紀のロシアを考えるにあたっても、説得力のある指摘というべきである。

しかしながら、スターリンへの言及がまったくない。現在の日本人なら、まずはレーニンよりもスターリンを想起するだろう。だが、スターリンはレーニンの思想の忠実な継承者であったので、あえてその名前を出す必要はなかったのかもしれない。

先に見たように、この本が出版された1953年2月時点ではスターリンはいまだ健在であった。フルシチョフによるスターリン批判」は、スターリンが急死した翌月から3年たった1956年のことである。この年の10月には「ハンガリー動乱」が発生している。


(『ロシア的人間』初版の「奥付」)

レーニンやトロツキーへの言及はあるが、スターリンについて言及していないのは、存命中の人物ゆえ出版社サイドからの要請があったのかもしれない。

とはいえ、井筒俊彦のこの記述から、なによりもソ連体制の開祖はレーニンであり、レーニンの方針がすべての原点であったこと、そしてさらにその原型がピョートル大帝であることがわかる。あえてスターリンについて言及しなくても、スターリンがレーニンの直系であることは自明の理としているのであろう。

アジア主義者の大川周明の要請のもと、戦前からアラビア語によるイスラーム研究に従事していた井筒俊彦である。いわゆる「転向」とはいっさい無縁であった。そもそも、共産主義的世界観とキリスト教的終末観の共通性を見ている井筒氏である。当然といえば当然だろう。

戦前から戦後にかけて、その姿勢にブレはないようだ。というよりも、自分の関心事が最優先で、それ以外のことは基本的に無関心だというべきかもしれない。天才の天才たるゆえんである。


■「語学の天才」であった井筒俊彦だが、なぜロシア語なのか?

『井筒俊彦とイスラーム 回想と書評』(坂本勉/松原秀一編、慶應義塾大学出版会、2012)の編者である坂本勉氏の「序 イスラーム学事始めの頃の井筒俊彦」に興味深い記述がある。

この時期(1937年~1945年)に先生は起きてから寝るまで一日中、アラビア語の生活に明け暮れたということを後になっていろいろなところで回想しています。しかし、それと並んでロシア語にもこの時期に打ち込んでいます。想像するに、これはムーサーといっしょに勉強していくのに、英語が通じないということもあったのでしょうか。(・・・中略・・・)私自身はムーサーとの実践的な会話という必要性こそが、先生をロシア語の学習に駆り立てたのではないかと推測しています。


アラビア語とイスラームの師であった、ロシアはロストフ州生まれのタタール人学者ムーサー・ジャールッラーと会話するため、実用的な目的からロシア語に専念したという推測。これは大いに説得力がある。そのロシア語を駆使して読み込んだロシア文学に、ロシア神秘主義思想の発見と共感と没入が生じたと考えれば納得がいくのである。

メソディスト派のミッションスクールである青山学院中学出身の井筒俊彦にとって、アメリカ英語は得意中の得意だった。

チュッチェフを軸に『ロシア的人間』をとりあげているのが、ソロヴィヨフ研究者の谷寿美氏による「『ロシア的人間』ー 全一的双面性の洞察者」である。上掲の『井筒俊彦とイスラーム 回想と書評』(坂本勉/松原秀一編、慶應義塾大学出版会、2012)に収録されている。


■『ロシア的人間』の原型である『露西亜文学』

『ロシア的人間』は、もともと慶應義塾大学通信制(?)のテキストとして2分冊で出版されていたらしい。『露西亜文学』が慶應義塾大学出版会から2011年に復刻されている。




それぞれの章ごとに、受講する学生向けの「研究課題」が設問の形で掲載されている。この設問を読むと、なにを読み取るべきか、井筒俊彦がロシア文学になにを見ていたかがわかるのである。参考のために引用しておこう。

第1章 露西亜文学の性格 

研究課題
⑴ 露西亜文学は何故ひとに沈鬱な印象を与えるのか。 
⑵ 露西亜的人間の性格がディオニュソス的であるとはどういうことか
⑶ 露西亜の自然露西亜的魂の関聯を説明せよ。
⑷ 露西亜文学はどのような意味で哲学的人間学なのか。

第2章 露西亜の十字架

研究課題
⑴ 韃靼人侵入の精神史的意味を述べよ。
⑵ 「露西亜の黙示録」とは何か。
⑶ 共産主義的世界観は基督教的終末観と如何なる関係にあるか。 

第3章 ピョートル大帝の精神

研究課題
⑴ ピョートル大帝の精神史的意味を説明せよ。
⑵ 「第三のローマ」とは何か。


慶應義塾大学出版会から復刻された『露西亜文学』には、あらたに発見されたという「附録 ロシアの内面的生活 ― 十九世紀文学の精神史的展望」が収録されている。

また、ドストエフスキーの新訳で話題になった亀山郁夫氏による「解題」は本書にはふさわしい。なぜなら、井筒俊彦のロシア文学理解の根底にはドストエフスキーがあるからだ。

すでに言及しているが、自分の父親の複雑な性格について、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』から「マドンナの理想を抱きながら、ソドムの深淵に惑溺する」というフレーズを引いてくるくらいだから。


■経済学でいう「経路依存性」はロシアについても当てはまる

1953年に初版が出版された『ロシア的人間』は、すでに70年前の著作である。先に述べたように、『文学に現れたるロシア思想の研究』とでもいうべき古典的名著だといってよい。

「19世紀ロシア文学」の作家論として、あるいはロシアという複雑な存在について考えるため、さまざまな読み方が可能な著作として、今後も読み返される価値のある本である。

1989年の中公文庫(旧版)の「後記」で、井筒氏はこう記している。

ペレストロイカという新しい文化理念の導入によって、今、ロシアはその面貌を変えつつある。おそらくこれからのロシアは、新しい文化パターンの創出に向かって大きく旋回していくことだろう。だが私が本書で描き出そうとした。ロシア人の魂の奥底にひそむ根源的人間性だけは、そうたやすく変わらないだろう。

時代はさらに旋回し、1991年にソ連が崩壊してロシアが復活し、さらに旋回してプーチンの独裁体制がつづいている。つまりロシアの地肌がふたたび露出するようになっているのである。

1993年に亡くなった井筒俊彦が、ロシアの行く末まで見通していたかどうかはわからない。だが、いずれにせよロシアという存在が、ロシア以外の尺度で測ろうとしても困難なことには変わりない。

経済学でいう「経路依存性」(path dependency)は、当然のことながらロシアについても当てはまるのである。なぜならロシアは、ロシア人によって構成されているからだ。

1917年のロシア革命によって誕生したソ連は、1991年に崩壊した。約70年にわたってつづいたのある。ソ連時代を払拭するのには最低でも70年はかかるであろう。2023年の現在はいまだ30年を経過したに過ぎない。

いや、「タタールのくびき」から始まる5世紀にわたる「奴隷時代」を考慮に入れれば、ロシアは変わらないというべきかもしれないのである。

 
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目 次 (中公文庫の旧版)
序 
第1章 永遠のロシア
第2章 ロシアの十字架 
第3章 モスコウの夜 
第4章 幻影の都
第5章 プーシキン 
第6章 レールモントフ 
第7章 ゴーゴリ 
第8章 ベリンスキー 
第9章 チュッチェフ 
第10章 ゴンチャロフ 
第11章 トゥルゲーネフ 
第12章 トルストイ 
第13章 ドストイェフスキー 
第14章 チェホフ 
後記
『ロシア文学的人間』と読み替えて(袴田茂樹)


著者プロフィール
井筒俊彦(いづつ・としひこ)
1914~1993年。東京都生まれ。1931年、慶應義塾大学経済学部予科に入学。のち、西脇順三郎が教鞭をとる英文科へ転進。1937年、慶應義塾大学文学部英文科助手、1950年、同大学文学部助教授を経て、1954年、同大学文学部教授に就任。1969年、カナダのマギル大学教授、1975年、イラン王立哲学研究所教授を歴任。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2023年9月20日水曜日

書評『原郷としての奄美 ― ロシア文学者 昇曙夢とその時代』(田代俊一郎、書肆侃侃房、2009)― 奄美に生まれたロシア研究者の根底にあったのは「抑圧されてきた民(ナロード)」への共感であった

 

『原郷としての奄美 ロシア文学者 昇曙夢とその時代』(田代俊一郎、書肆侃侃房、2009という本があることを知って、さっそく取り寄せて読んでみた。福岡の地方出版社からでている本だ。

ロシア文学を日本語訳で読んできた人なら、名前くらいは見たこと、聞いたことがあるのではないだろうか。長年にわたって気になってきた存在であるが、その人についてほとんど知ることができなかったのが、この本で本格的に取り上げられた昇曙夢(のぼる・しょむ 1878~1958)である。

南国情緒あふれれるカバーの挿画は、奄美に移住して南国の自然を日本画として描いた田中一村によるものだ。そう、昇曙夢は奄美出身である。正確にいえば、奄美大島に隣接する加計呂麻島(かけろまじま)の出身であったのだ。

加計呂麻島というと作家の島尾敏雄である。大東亜戦争末期に学徒動員で特攻艇の隊長として赴任していた東北出身の「島尾隊長」。そして、戦後になってからの、加計呂麻島出身の妻ミホとのあいだの壮絶な関係を描いた『死の棘』ではないか。



■ロシア文学とロシア社会の紹介者として

昇曙夢は最初はロシア文学の翻訳者として、そしてロシア革命以降もロシア文化の紹介者として活躍した人だ。

とはいえ、現在でも容易に入手できるのは、ロシア文学のなかでも特異な文学者であるソログープの短編集『かくれんぼ・毒の園』(岩波文庫、2013)くらいであろう。それも改版によってあらたにラインナップに加えられたものだ。




その昇曙夢が奄美にかんする大著を書いていることをしったのは、いつのことだったか。かれこれ20年くらい前だろうか。

それが『大奄美史』である。そうか、昇曙夢は奄美出身だったのか、だから西郷隆盛についても『西郷隆盛獄中記 奄美大島と大西郷』なんて本を書いているのだな、と。納得したのであった。




本書によれば、長きにわたる薩摩藩の支配により、新時代とはほど遠い状態に据え置かれていた奄美から脱出したい、その一心で鹿児島にでたものの、師範学校の入試には失敗、鹿児島で布教活動が始まっていた「ロシア正教」の信徒になった。そんなとき千載一遇のチャンスがめぐってくる。

勉強ができることが見いだされ、東京はお茶の水のニコライ堂にある6年制の「正教神学校」で寄宿舎生活を送りというチャンスである。いちどつかんだチャンスは絶対にものにする、そんな気迫さえ感じさせるものがある。脇目も振らずに猛勉強し、ロシア語を身につけたのである。

卒業後はすぐに神学校の講師として論理学・心理学・倫理学を担当する一方、精力的に書きまくったらしい。日露戦争を契機にロシアについて知りたいという需要が増大していたためだ。捕虜収容所の通訳やジャーナリスト的な活動も行っていた。

ロシア文学の翻訳もやっているが、正規の学校制度のルート出身ではなかったがゆえの苦労もつきまとったようだ。

なぜ奄美出身の昇曙夢が、ロシアや革命以降のソ連にも関心を抱き続けたのか、著者である西日本新聞の田代氏も、「跋」を書いているロシア研究者の長縄光男氏も、抑圧されてきた民(ナロード)への共感が原点にあったのではないかとする。


ロシアにおいては、1860年に解放されるまで「農奴制」がつづいていた。約240年にわたる「タタールのくびき」という異民族支配から脱したあとも、ロシア人がロシア人を奴隷化する時代が約2世紀にわたってつづいたのである。

昇曙夢はソ連時代に4回渡航しているが、1928年にソ連にいった際に収集した資料をもとに、『ソヴェートロシヤ漫画・ポスター集』(昇曙夢編、南蛮書房、昭和4=1929年)という著作を出版している。著作権が切れているので国会図書館デジタルコレクションでネットで閲覧することができるが、内容は革命後のソ連の政治と社会を礼賛するような内容である。

昇曙夢は、スターリンの農業集団化政策や、ウクライナで大量餓死を招いた「ホロドモール」については知らなかったのだろうか?

長縄氏も指摘しているように、生涯にわたって正教徒でありつづけた昇曙夢が、「無神論」を国是とし、正教会を徹底的に弾圧したソ連とどう内面で折り合いをつけていたのかが掘り下げられていない。

この点については、わたしも疑問に思っている。今後の研究テーマであろう。



■昇曙夢の夫人の「回想録」は貴重な証言

さすがに九州の新聞社だけあって、奄美もふくめた徹底した取材にもとづく内容は、はじめて知る事実も多く有益であった。

とはいえ、新聞連載の文章をそのままの形で書籍にしているので、読み切り形式のメリットとデメリットの双方がでている。書籍化の際にはもう一度練り直して、書き直したほうがよかったのではないかと思う。新聞連載ものの「負の側面」である。

本文にもまして夫人の昇藤子による『思い出の記』が貴重である。昇家に残された生原稿の活字化とのことで、これを読むためだけでも入手する価値がある。

50ページ弱のこの回想録は身辺雑記も含んだものだが、昇曙夢のロシア語、ロシア文学関係人脈の広さが来客録という形で残されているからだ。そのなかには、ロシア文学翻訳家として著名な米川正夫と中村白葉、のちの湯浅芳子や金子幸彦なども含まれる。

とはいえ、昇曙夢が今後も言及されるとすれば、おそらくロシア関連ではなく、郷土奄美をこよなく愛し、奄美のために献身した郷土の偉人のひとりとしてであろう。

柳田國男との交流によって触発され、文字通り昇曙夢のライフワークとなった『大奄美史(奄美諸島民族誌)』の著者として。


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目 次
本文(*小項目が並ぶので省略)
思い出の記(昇藤子)
跋(長縄光男)
昇曙夢 略年譜
参考文献
あとがき

著者プロフィール
田代俊一郎(たしろ・しゅんいちろう)
1950年、北九州市生まれ。慶應義塾大学文学部卒。西日本新聞客員編集委員、筑紫女学園大学非常勤講師。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)




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・・湯浅芳子(旧制 井上)は京都から単身上京して昇曙夢に弟子入りしている。ともにソビエト・ロシアに多大な関心をもっていた


・・奄美に移住したのは、沖縄復帰前は奄美が日本の最南端であったから


・・「沖縄と奄美の深くて濃い関係です。人間を軸に据えると見えてくるのが、沖縄と奄美という南西諸島のあいだの関係」

・・トルストイ主義者たちがソ連でつくった共同生活体(コミューン)に、「生活と労働」は、スターリンによる集団農業化で弾圧され、最終的にはコルホーズ化され消滅した。



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2023年9月14日木曜日

『井筒俊彦とイスラーム 回想と書評』(坂本勉/松原秀一編、慶應義塾大学出版会、2012)を通読すると、タイトルからは想像できない重要な文章が収録されていることに気づいた




出版後すぐに入手して一部を読んだままになっていたこの本を、出版から10年たったいま、あらためて通読してみて思うのは、その内容がタイトルから受けるよりも、はるかに充実したものであることだ。

そもそもイスラームの研究者でもなんでもない、わたしのような一般読者が読む本であるかどうか、タイトルからはうかがい知ることはできない。その意味では、タイトルづけとしてはちょっと損しているのではないか。

まず「序 イスラーム事始めの頃の井筒俊彦」(坂本勉)がかなり有益だ。シンポジウム発表をベースにしているので「ですます調」で語られているが、「若き日の井筒俊彦」と言い換えてもいい内容である。近代トルコ史の専門家としての知見が大いに活かされている。

1 二人のタタール人との出会い
2 イスラーム改革思想家としてのムーサー・ジャールッラー
3 ムーサー・ジャールッラーの来日
4 事始めの頃の研究成果
5 戦後の本格的研究への歩み
6 イスラーム神秘哲学への途
7 革命前夜におけるイランの神秘哲学者との交流

重要なことは、戦前来日したタタール人たちは、ロシア帝国の臣民であったことだ。露西亜革命以前の話である。

かれらはムスリム学者としてアラビア語の経典とその注釈をすべてアタマのなかに入れていただけでなく、日常的にはロシア語を話す話者でもあった。井筒俊彦とロシア語の関係についての推測も、なるほどと思わされる。

『ロシア的人間』という、ロシア語で文学作品を読み込み、ドストエフスキーを中心としたロシア文学にあらわれたロシア神秘主義を熱く語った著書もある井筒俊彦だが、まずはムーサーとの実際上のコミュニケーションの必要が先にあったのであはないか、と。

********

「第一部 回想の井筒俊彦」は、イスラーム研究関係の弟子たちや同僚、そして言語学者の弟子の回想をあつめたもので、それぞれ多面的な井筒俊彦像を描いている。

多元的文化への偏見のない関心――井筒俊彦を引き継ぐために(黒田壽郎、インタビュアー:湯川武)
鎌倉、軽井沢、テヘラン(岩見隆、インタビュアー:高田康一+尾崎貴久子)
共生の思想を模索する(松本耿郎、インタビュアー:野元晋)
井筒俊彦の知を求める旅――モントリオール、エラノス会議、そしてテヘラン(ヘルマン・ランドルト、インタビュアー・翻訳:野元晋)
井筒俊彦の本質直観(鈴木孝夫、インタビュアー:松原秀一)

イスラーム関係では黒田氏と松本氏のものが読みでがある。師としての井筒俊彦を語ることは、弟子としての自分の研究との共通性と違いを語ることでもあるからだ。

それぞれ個性の強い師と、個性の強い弟子の関係は、まさに昔ながらの「師弟関係」そのものというのがふさわしい。

そのカリスマ的な魔力に吸い寄せられ、飲み込まれてつぶされてしまう危険と戦いながら、厳しい師にくらいついていくガッツが必要だ。しかしながら、最終的に師を超える観点を打ち出さなければ、研究者として独り立ちできず、ものになれないという厳しい関係であることも示している。

イランに本拠地を移すまでは、「来る者は拒まず、去る者は追わず」だったようだ。魅力に惹かれて集まってくるが、あまりの厳しさにほとんどが脱落しているのである。

その意味では、言語学者の鈴木孝夫氏の10年におよぶ同居研学生活と、劇的な決別が興味深い。これは社会言語学者の田中克彦との『対論 言語学が輝いていた時代』(岩波書店、2008)でも語られていたが、こちらはより詳細に述べられている。象徴的な「父親殺し」というべきものか。あるいは意図せざる「守・破・離」の実践というべきか。

鈴木孝夫氏が弟子であった時代、井筒俊彦は「イスラームのイの字」も口にしていないといいう。敗戦後どっと入ってきた欧米の言語学や人類学その他の学問の吸収に専念しており、それが独自の言語意味論的方法論、言語哲学の基盤となったらしい。

その方法論を駆使したのがコーラン(=クルアーン)にかんする意味論的分析の英文著作三部作であり、岩波文庫から出版された『コーラン』(初版1957年)翻訳の際に作製した綿密なノートが素材となっているらしい。これは他の方のインタビューで語られていた。

これらのインタビューは、たんなる「回想」というよりも、多く考えさせる内容を含んだものとなっている。

********

「第二部 私の一冊」は、編者がわりあてて依頼し、執筆されたものである。

思い入れのある本であるものもあり、綿密な注をつけてその著書の意味を語ったものもあり、著書だけの関係によるものなど、執筆者によって異なる取り上げ方をしているのが読んでいて面白い。

井筒俊彦の多面的な像がそのまま反映しており、直接にはイスラームとは関係のないように見えるロシア文学(と神秘主義)、ユダヤ神秘主義などの著書も取り上げられている。


『アラビア語入門』― 「井筒言語学」の曙光(大河原知樹)
『イスラーム生誕』― ムハンマド伝をめぐって(後藤明)
『コーラン』と『コーランを読む』― コトバの深奥へ(大川玲子)
『意味の構造』― 意味論的分析によるクルアーン読解(牧野信也)
『イスラーム文化』― 雄弁な啓蒙と呑み込まれた言葉(長谷部史彦)
『イスラーム思想史』― 沙漠の思想か共生の思想か(塩尻和子)
『イスラーム哲学の原像』― 神秘主義と哲学の融合、そして「東洋」をめぐって(野元晋)
『存在認識の道』― 井筒東洋哲学を支えるもの(鎌田繁)
『ルーミー語録』― その意義をめぐって(藤井守男) 
        *** 
『ロシア的人間』― 全一的双面性の洞見者(谷寿美)
『超越のことば』― 自我滅却の哲学のゆくえ(市川裕)
『神秘哲学』と『意識と本質』― 二つの主著(若松英輔)


とりわけ、『神秘哲学』と『意識と本質』について書かれた若松英輔氏の文章は、大いに読ませるものであり、さすがに『井筒俊彦-叡知の哲学-』(若松英輔、慶應義塾大学出版会、2011) 井筒俊彦の全体像に迫る本格的評伝を書き上げた人だけの深い読みが示されている。わたしもこの2冊をなんども繰り返し読んできた。

『意識と本質』は主著である。それは英文著作を含めても変わらない。主著とは、作者の他の著述を読まずとも、その中核的思想に出会うことができる作品の謂である。

そして、その読み方の示唆も大いにうなづかせるものがある。

『意識と本質』は、必ずしも通読する必要はない。読者は好きなところから好き読み方にみ、自由に解釈を楽しむことができる。この著作の価値が読み方によって減ぜられることはない。部分的に繙く、といった読み手の気まぐれにもまったく動じない。それが恣意的な、ときに独断に満ちた「誤読」であったとしても。
「『誤読』のプロセスを経ることによってこそ、過去の思想家たちは現在に生き返」る、と井筒俊彦は、空海を論じた作品に書いている。『意識と本質』は、彼のいう「誤読」の歴程にほかならない。だが、それゆえに作者の主体的体験に満ちている。


まさに意を得たり、と膝を打ちたくなる。わたしもそんな読み方を、単行本の初版を入手してから40年近く断続的につづけてきた。わたしの場合もまた、クリエイティブな「誤読」であると思いたい。

つい先日も、いままでまったく読んでいなかった箇所があることを発見して、大いに驚くとともに、大いに裨益されるものを感じたばかりである。井筒俊彦は、朱子学にまで探求を向けていたのか、と。老荘思想だけではなかったのである。回想によれば、日頃から漢文も読み込んでいたらしい。

直接イスラーム哲学を扱ったのではない著書の紹介が面白い。これらはみな、本書のタイトルからは想像できない、想像を裏切るすばらしい内容なのであった。



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2015年3月21日土曜日

「わたしは春をこのまない」(プーシキン)


ことしも花粉症の大爆発に苦しまされている。というより、ことしの花粉症はひどい。目も鼻もかゆい。
 
この時期になると毎年思い出すのは、「わたしは春が嫌いだ」というプーシキンの詩の一節だ。プーシキンはロシアの詩人で小説家。ロシア文学の基礎をつくった人。
 
高校時代よんでいたのが岩波文庫の『プーシキン詩集』。いま手元にないので、ひさびさに購入して、元の詩がどんなものだったかを確認してみた。
 
それは、「秋(断章)」というタイトルの詩であった。
   
1
10月が来た・・(中略)・・
2
いまがわたしの季節--わたしは春をこのまない。雪解けに心はふさぐ。むかつく臭い、深いぬかるみ--春にわたしは病む。血が駆けめぐり 心も思いもおしつけられる。むしろわたしはきびしい冬を 冬の雪をなつかしむ。あなたが月のひかりのもとに いとしい人とただふたりで 思いのままに軽いそりを飛ばせてゆくとき あなたの友はてんの毛皮に身をつつみ 若い頬をほてらせて 燃えつつふるえつつ あなたの手を握るだろう。・・(以下略)・・ (金子幸彦訳)


ロシア語の原文では я не люблю весны、訳文では「わたしは春をこのまない」となっている。「わたしは春が嫌いだ」ほどつよい表現ではないが、それはまあそれでいいとしておこう。
 
ロシアの春と日本でも関東南部の春では、だいぶ違うだろうが、それでも「春が好きではない」と明言している詩人がいるというのはうれしいことだ。

この詩句を口ずさんでも、けっして「春の憂鬱(ゆううつ)」が消え去るのではないが、それでも少しは慰め(?)にはなる、かな?

日本でも「四季の歌」という、かつてよく歌われていたものがある。

「♪ 春を愛する人は 心清き人 すみれの花のような~」という歌詞はいただけないが(笑)、「♪ 秋を愛する人は 心深き人 愛を語るハイネのような~」という歌詞である。

そこに登場する詩人はドイツのハインリヒ・ハイネであって、アレクサンドル・プーシキンではないのが残念だが・・・。
 
きょうは春分の日。だが、毎年のことながら目と鼻のかゆさに苦しんでいる。

「わたしは春が嫌いだ!」





(参考)ロシア語原文と英訳

1. ロシア語原文 

ОСЕНЬ(秋)

II
Теперь моя пора: я не люблю весны;Скучна мне оттепель; вонь, грязь – весной я болен;
Кровь бродит; чувства, ум тоскою стеснены.
Суровою зимой я более доволен,
Люблю ее снега; в присутствии луны
Как легкий бег саней с подругой быстр и волен,
Когда под соболем, согрета и свежа,
Она вам руку жмет, пылая и дрожа!

出典: http://rus.1september.ru/article.php?ID=200302108


2. 英語訳 
This is my time: I am not fond of spring;The tiresome thaw, the stench, the mud - spring sickens me.
The blood ferments, and yearning binds the heart and mind..
With cruel winter I am better satisfied,
I love the snows; when in the moonlight
A sleigh ride swift and carefree with a friend.
Who, warm and rosy 'neath a sable mantle,
Burns, trembles as she clasps your hand.

出典:
http://max.mmlc.northwestern.edu/mdenner/Demo/texts/autumn_pushkin.htm

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