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2022年11月14日月曜日

飯田道夫氏による二部作『庚申信仰-庶民宗教の実像』(人文書院、1989)と『日待・月待・庚申待』(人文書院、1991)で江戸時代の庶民信仰を知る


 
ここのところ、ふたたび近辺を歩き回っては石碑など見ている。カネを払って遠くにいく必要はない。とくに名所旧跡ではなくても、歩ける範囲でいろんなものがある。 

というわけで、千葉県北西部の船橋市に居住する「あまのじゃく」なわたしは自宅周辺を散策する。犬も歩けば棒に当たる。現代人はスマホを手に持って、google map を頼りに歩く。 歩けば石碑など、なにかしらあるものだ。


(船橋市高根にて筆者撮影)


写真は、江戸時代後期の「十九夜講」の石碑。月齢で19夜(=寝待ち月)の夜に女性たちが集まって供養し、安産など祈ったらしい。このほか、「二十三夜」などに集まる講があったようだ。一般庶民の信仰、民俗仏教である。

このほかよく目にするのが庚申塔や馬頭観音。それについて知ったからといって、とくに役に立つわけでもないが、純粋な好奇心というものは、抑えることはできないもの。もっと知りたい思うから関連文献を読む。 


(船橋市薬円台の倶利伽羅不動尊境内の「庚申塔」 筆者撮影)


ずいぶん以前に入手していながらまだ読んでなかった『庚申信仰-庶民宗教の実像』(人文書院、1989)と『日待・月待・庚申待』(人文書院、1991)を読んだ。いずれも著者は飯田道夫氏で二部作。外資系航空会社のサラリーマンやりながら、まとめた研究成果。

ただし、京都在住なので関西の事例が中心となる。 庚申塔が多く残っている関東についての言及はそれほど多くない。サラリーマンと二足のわらじでは、それは難しかろう。とはいえ、庚申塔が関東に多く残っているのは、関東が信仰の中心だったことを意味しているわけではない。結果として、石碑が多く残されたというだけである。

庚申待ちや日待・月待といった庶民信仰は、月齢にもとづく特定の日に集まって行われたものだ。大都市部を除いて娯楽の少なかった江戸時代後期の民衆たちにとっては、飲食をともなう集会は、手軽に楽しめる娯楽の機会でもあったわけだ。

こういった庶民信仰が石碑という痕跡を残して消えていったのは、明治維新の際の「神仏分離令」にともなう「廃仏毀釈」が原因だったようだ。淫祠邪教を禁じるという、明治政府の宗教政策の断行が招いたものである。 

著者もいうように、この本がでた1990年前後には、庚申信仰や月待などは、ほぼ消滅の間際だったというから、30年後の現在2020年代には消滅したといってもいいのだろう。もちろん、生活環境が激変して娯楽なんていくらでもあるので、昔ながらの生活習慣が生き延びるはずがない。 

とはいえ、いまから150年前の江戸時代までは当たり前のように存在したものを、それがすでに消滅してしまった現在から、残された資料をもとに想像によって再構成するのは難しい。

石碑にこめられた庶民の喜怒哀楽の思いに想像をめぐらしてみるだけだ。そう、石もまた記憶媒体なのだ。アナログの。 



PS あらたに庚申塔の写真を追加した。(2024年3月24日)


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2017年1月2日月曜日

初詣は飯綱神社(千葉県八千代市萱田)にいってきた(2017年元旦)-神社の境内に鐘楼があるのは明治維新の際の「神仏分離令」以前の名残り


(千葉県八千代市の飯綱神社の本殿 筆者撮影)

2017年あけましておめでとうございます。

今年の初詣は実家の近くの飯綱神社(いいづなじんじゃ)にお参りした。とくに考えがあったわけではないが、飯綱神社という名称が関東地方では、それほどメジャーではないと感じていることもその理由の一つである。

さすがによく晴れた元旦の午後だけあって、参拝の列は意外と長い。並ぶのが面倒くさいので、わきから本殿を拝礼して、柏手を打った。

「飯綱神社」をネット検索してみると、「飯縄神社」というものがでてくる。「飯縄」と書いて「いいづな」と読ませている。おそらく飯綱と飯縄は同じものをさしているのだろう。綱(つな)と縄(なわ)は似たようなものだ。

(高尾山薬王院の飯縄権現銅像 wikipediaより)

その飯縄神社の惣社は長野県長野市にあるのだそうだ。飯縄山に祀られているのが飯縄大権現。東京西郊の高尾山の薬王院(真言宗智山派)に祀られているのも飯縄大権現。高尾山は修験道のメッカであり、天狗の姿で知られる飯縄大権現は、中世以来、民間で信仰されてきた神仏習合の神である。

とくに戦勝の神として室町時代の足利義満や細川政元、戦国時代の上杉謙信、武田信玄などに進行されたとのことで、僧形の上杉謙信の兜の前立が飯縄権現像だったという。伊賀忍者の源流になったとか。

千葉県八千代市の飯綱神社も、もともとは飯縄権現だったそうだ。ということは、長野の飯縄神社の末社ということになると考えてよいのだろう。

(飯綱神社が建つ高台から見下ろす 筆者撮影

八千代市の飯綱神社は、萱田新田をみおろす高台のうえに建っている。戦国時代には、太田道潅が米本城や臼井城を攻撃する際に兵站基地と したとある。いかなる経緯でこの地に勧請されたのかは知らないが、境内には樹齢450年の大銀杏があり、1429年の創建とされる神社そのものもそれ年数がたっていると考えるのが自然だろう。

)
(樹齢450年の大銀杏 筆者撮影)

八千代市の飯綱神社には不思議なことに鐘楼がある。大晦日には除夜の鐘が撞かれるのだそうだが、神社に鐘とはなんとなく不釣り合いな印象も受ける。だが、飯縄神社がもともと飯縄大権現であり、神仏習合であったことを知れば、不思議でも何でもない。

(「神仏分離令」以前から残るお寺の鐘楼 筆者撮影)

明治維新が「宗教革命」でもあったことは、神仏分離令や廃仏毀釈の嵐が吹きまくったことに明らかだ。飯縄大権現もまた神仏習合の修験道が禁止され、神社とお寺に分離された後、飯綱神社として残ったのである。いわゆる「純化」が断行されたのである。これは全国各地の修験道についても同様だ。



境内にはまた「羽黒山・月山・湯殿山 参拝記念」の石碑が複数建っている。いずれに昭和と平成のもので比較的新しい。八千代市もまた船橋市と同様に、出羽三山信仰圏であるることを示すとともに、飯縄権現がそもそも修験道のものでったこととも関係があるのだろうか。

それはさておき、飯縄権現は羽の生えた天狗の姿形であらわされることも多い。いわゆるカラス天狗というものもある。ということになれば、同じく羽でもって空中を飛翔する鳥とは、まったく縁のないものでもなかろう。

というわけで、酉年(=鳥年)の本年の初詣先としては、飯綱神社は意外とふさわしいものであったかもしれないと、後付けながら考えてみる。

では、ことしもよろしくお願いします。





<関連サイト>

飯縄神社(長野市の惣社) 公式サイト

高尾山薬王院 公式サイト

萱田 飯綱神社(神社散歩) 
・・ブログ記事


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・・この記事はぜひ通読していただきたい

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2012年5月18日金曜日

「特別展 ボストン美術 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた(2012年5月18日)



「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)にいってきた。

おそらく土日や祝日はそうとうな混雑になることは間違いないので、それを避けて今週水曜日の午後の早い時間に行ってみたのだが、それでもそうとうな人出だった。

ボストン美術館、日本美術、里帰り・・・。これらのキーワードに反応するのは、けっして熱心な美術ファンだけではあるまい。そう考えるのが自然というものだろう。このテーマにかんする一般日本人の関心の高さがうかがわれる。

今回の里帰り展は30年ぶりの規模であるという。ボストン美術館が所蔵する日本美術の名品を一堂に展示する大規模な里帰り展である。

先日NHK・Eテレの「日曜美術館」で取り上げられていたが、日本文学者のロバート・キャンベル氏が言うには、ボストン美術館でも、日本美術をこれだけまとめて見ることのできる機会はないそうだ。その意味では、絶対に見逃してはならない美術展である。

ボストン美術館そのものは名古屋に分館があって、所蔵品の一部を展示する機能を担っている。名古屋ボストン美術館では、東京国立博物館のあと、前期・後期の二回にわけて大規模な展示が行われるようだ。


■ボストン美術館といえば岡倉天心、そしてフェノロサ

まず、来場者を迎えてくれるのは、釣り竿をもった岡倉天心の立像である。

岡倉天心は『茶の本』で有名な思想家と世の中では知られているだろうが、ボストン美術館に招聘されて、中国・日本美術部長を務めた人でもある。『茶の本』は、もともと The Book of Tea というタイトルでボストン在住時代に英文で 出版された。

道教の道士のような恰好は晩年の姿。「3-11」の大津波で流されたがさきほど修復が完成した五浦(いづら)の六角堂で過ごし、晴釣雨読の日々を過ごしていた頃のものだ。

その岡倉天心(1863~1913年)と同志であったのが、お雇い外国人として来日した哲学教師の米国人アーネスト・フェノロサ(Earnest Fenollosa: 1853~1908年)、そして同じく米国人で元医師の大富豪ウィリアム・スタージス・ビゲロー(W.S. Bigelow: 1850年~1926年)。

この三人がボストン美術館の日本美術部門の基礎を築いたトリオである。


(左からフェノロサ、岡倉天心、ビゲロー)


特筆すべきなのは、あまり知名度が高くないが、ボストン美術館の日本美術部門の収集品の基礎となった作品群を自費で購入したビゲローである。ボストン・ブラーミン(=ボストンの上流階級)出身の彼は大富豪でもあり、しかも日本文化に心酔したあまり、キリスト教から天台宗に改宗したほどであったという。そこまでの情熱の持ち主であったことを知っておきたい。

ボストンはニューヨークが米国経済の中心になる以前は、国際貿易で繁栄した港町なのである。富が集積するところに、美術品も集積する。こと美術品の集積にかんしては、米国では西海岸が東海岸に見劣りするのは経済発展のタイムラグによるものも大きい。幕末から明治のはじめにかけて来日したビジネスマンはボストン出身者が多かったのである。

日本美術にかんしては、まずフェノロサが「発見」し、帝大時代の弟子であった岡倉天心とともに調査研究し、日本と日本美術にぞっこんとなった大金持ちビゲローが大量に購入してボストンに持ち帰ったのであった。

フェノロサや岡倉天心の思想が反映しているためバイアスはあろうが、収集当時はまったく顧みられなかった曾我蕭白の作品群などを評価し保存して功績はきわめて大きいと言わねばなるまい。


岡倉天心については、このブログで 「アジアは一つ」(Asia is One)という名言とともに詳しく書いておいたので、岡倉天心の世界的影響力-人を動かすコトバのチカラについて-を参照されたい。

また、アジア美術としてインドにもかかわっていたことも重要だ。この点については、日印交流事業:公開シンポジウム(1)「アジア・ルネサンス-渋沢栄一、J.N. タタ、岡倉天心、タゴールに学ぶ」 に参加してきた でも触れておいた。

「アジアは一つ」とは、インドと中国に発する東洋美術の流れが極東の日本で一つになるという意味である。これがもともと岡倉天心が意図していたことだ。仏教について考えてみれば、すぐにわかることだと思う。アジアにおいては、多様性をもった統一性なのである。

ボストン美術館(Boston Museum of Fine Arts)は、わたしは米国留学中の 1991年に一回いったきりだが、機会があればぜひ再訪したい美術館である。岡倉天心を記念した庭園が美術館にあり、ミュージアムショップも充実している。

わたしはボストン美術館ミュージアムショップで The Book of Tea のペーパーバッック版を購入した。岡倉天心の本名は岡倉覚三である。





■この美術展の歩き方-なんといっても曾我蕭白の傑作を!

なんといっても曾我蕭白(そが・しょうはく)の展示が圧倒的だ。この展示を見るためにだけでも万難を排して出かける意味がある。

「奇才・曾我蕭白」と題された展示は、第二展示室の最後の展示になる。通常の展示とは異なり、いちばんスゴイのがいちばん最後に待っているわけだ。

まずは、ざっと見てから曾我蕭白のコーナーまでいってじっくりと観賞し、それから最初に戻ってこれだけは見ておきたい作品を見るというのが、無駄に体力を消耗せずに、好きな作品を鑑賞する方法である。

曾我蕭白の傑作が、美術展のパンフレットの表紙にもつかわれている「雲龍図」(1763年)という屏風絵(上掲)である。これは思っていたよりも」はるかに大きな作品で圧倒される。こんなに大きな屏風だったのか!!!




龍の目玉が人間のアタマほどの大きさがあるのだ。龍の目はひんがらめになっているので、ほとんどマンガである。

龍の大きなツメの恐ろしさとは対照的な龍の目のひょうきんさ。しかも、恐ろしいはずの龍のツメも、あまりにも大きくてクチバシの長い鳥が4羽集まっているようにも見える。

これが奇才の奇想というものだろう。見る人次第で、違ったものに見えるわけだ。




現在は龍頭と龍尾しか残っていないが、本来は龍の胴体もあったらしい。現存しているものだけでもスゴイから、もし全部あったとしたらいったい・・・。しかし、この屏風もビゲローが発見して購入した際はかなり痛んでいたらしい。今回の初公開の前に修復されて屏風に仕立てられたとのことだ。そのおかげで、じっくりと観賞できるわけなのだ。

展示会場を出る前に、雲龍図の絵はがき(150円)とマグネット(500円)とペーパーウェイト(2,100円)を買って帰ることとした。わたしのお気に入りの屏風絵である。

なぜ、フェノロサやビゲローが曾我蕭白を大量に収集したのかを考えてみるのも面白いことだ。明治時代のはじめには、すっかり人気がなくなっていた曾我蕭白を「再発見」したのが彼らだったのだ。この点にかんしては、かれら米国人に感謝してしかるべきだろう。もし再発見されなかったら、消えていたかもしれないのだから。

現在、千葉市美術館での「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」をあわせてみれば、曾我蕭白をこれほどまとまって見れる機会はないだろう。「蕭白ショック!! 曾我蕭白と京の画家たち」(千葉市美術館)にいってきた を参照されたい。

千葉市美術館の展示は5月20日まで、そのあとは、曾我蕭白ゆかりの地である三重県美術館に巡回される。


■日本にあれば国宝級の絵巻物二点にはすごい人だかり

今回の展示の目玉である、「吉備大臣入唐絵巻」と「平治物語絵巻」という、日本にあれば間違いなく国宝級の絵巻物二点もすばらしいが、いかんせん、あまりにも多くの人が展示ガラスケースの前にへばりついているので、敬遠してしまう。




美術の教科書にはかならず取り上げられている「平治物語絵巻」の燃え上がる炎のシーンだけは万難を排してでも見ておいた。これは見逃してはいけないのだ。

展示のはじめのほうにある仏画や仏像には、あまりにも多くの人がへばりついていて見る気が失せてしまうので、ざっとチラ見して通り過ぎる。ただし、快慶作の黄金の仏像だけはじっくりと拝観する。

なぜこれだけ大量の仏画や仏像が海外に流出したかについては、明治初期の神仏分離と廃仏毀釈について考えておかねばならない。仏教が否定され、仏画や仏像が二束三文で売り払われたのだ。庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ に書いておいたので参照されたい。

そのようにして売り払われ、美術品として持ち帰られた仏画や仏像に、宗教性がまったく失われているのも当然といえば当然なのだ。

だから、そういった展示品はスルーして素通りしてもまったくかまわないとわたしは考えている。

もっとも屏風の類も、本来の用途が失われて美術品として観賞される対象となってしまったのであはある。だからほんとうは、畳の部屋で正座するなり、あぐらをかいて屏風絵は見るものなのであるのだが。

現代人にとっっての日本美術とはいったい何かという問いに至ってしまうが、そんなことを考えていてはキリがないので、ここらへんでやめておこう。

今回の大規模な里帰り展は、けっして日本美術の入門編とは考えないことだ。それが目的だとすると、あまりにも混雑しすぎているからだ。平日の午後でもすごい人出だ。週末はもっとすごいのだろう。これは東京のあとにつづく巡回展示でも同じだろう。

万難を排してでも見に行かねばならない絵を絞り込んでから出かけるのがいい。いままであげたもののほかに、伊藤若冲の「鸚鵡図」や尾形光琳の「松島図屏風」や長谷川等白の龍虎図屏風なども逸品である。

いずれにせよ、絶対に足を運ぶべき美術展であることはここに断言しておきたい。


(尾形光琳の「松島図屏風」 18世紀前半)


<関連サイト>

「特別展 ボストン美術館 日本美術の至宝」(東京国立博物館 平成館)

海を渡った超傑作!~ボストン美術館 日本美術の名宝~(NHK・Eテレ 日曜美術館で5月6日放送)



PS 岡倉天心とフェノロサ、ビゲロー3人の関係について


フェノロサやビゲロー、そして岡倉天心は、ほぼ同時期に天台宗の桜井敬徳阿闍梨から「菩薩戒」を受けて、正式に在家仏教徒になっている。そして、その遺言によってフェノロサもビゲローも分骨という形で三井寺に埋葬されることになった。

岡倉天心だけでなく、アメリカ陣のフェノロサとビゲローも文字通り日本に骨を埋めることになったのである。

(2025年9月1日、2026年6月30日 記す)

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PS2 なぜボストン美術館に日本美術の名品が集まっているのか


大森貝塚を発見したエドワード・モースの来日から説き起こし、モースとフェノロサ、そしてやビゲローの3人が明確な意図をもって収集に注力したこと、その結果ボストン美術館が世界最高の日本美術の集積場所となったことを明らかにしている。これら「ボストン人脈」の延長線上に、東洋美術部門の責任者となった岡倉天心がいるわけである。

ボストン美術館だけでなく、大富豪フリーアや御雇い外国人キヨッソーネのように収集品を美術館として散逸を防いでいる例、浮世絵の名品をフランスから買い戻した松方幸次郎(・・フランス印象派の作品の収集でも知られる)などが紹介され、美術品の海外流出の是非を考える材料を提供している。(2026年6月30日 記す)

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<ブログ内関連記事>

・・モース、フェノロサやビゲローといった「ボストン人脈」、そしてかれらと密接な関係をもっていた岡倉天心




・・フランク・ロイド・ライトはまた浮世絵の愛好家でありディーラーであった。最晩年にいたるまで浮世絵を愛しており、その延長線上にプライス氏の若冲コレクションがある

(2026年6月30日 情報追加)


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