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2023年12月8日金曜日

書評『修行の心理学 ― 修験道、アマゾン・ネオ・シャーマニズム、そしてダンマ』(石川勇一、コスモス・ライブラリー、2016)― 臨床心理学者自身の「一人称の体験」をその本人が「第三者的」に観察して分析する

 



臨床心理学の研究者自身の「一人称の体験」を、研究者本人が「第三者的」に観察して分析した内容の本だ。

その体験とはタイトルにあるように、日本の熊野の修験道アマゾン奥地のネオ・シャマニズム、そしてタイトルには「ダンマ」(仏法)として登場するミャンマーの上座仏教(テーラヴァーダ仏教)である。

ああ、この人はほんとうに「修行体験」が好きなのだなあと思う。おなじく「修行」が大好きなわたしは大いに共感するものを感じる。

修行によって得られる境地そのものはさることながら、人からみたら苦行としかいいようがない修行のプロセスが好きなのだな、と。

わたし自身、18歳から22歳まで集中的に合気道に打ち込んで修行し、フィジカル面だけでなく、メンタル面も、スピリチュアル面でも修行によって得たものが多いという実感をもっているし、成田山の断食道場における断食修行や、出羽三山の修験道の「山伏修行体験塾」にも参加している。

さすがにアマゾン奥地でシャマン体験をしようなどという気持ちも、カネもないが、その意味では著者自身の体験は大いに興味をひくものであった。

修行に限らず体験というものは、あくまでも第一人称的なものである。その本人が五感をつうじて体験したビジュアルなイメージや、精神的な変容といったものを、自分以外の他人に伝えることはきわめてむずかしい。

とはいえ、事例をあつめて第三者的に分析したところで、いわゆる隔靴掻痒(かっかそうよう)である。靴のうえから足を掻くようなものでもどかしい。

その意味でも、研究者本人の第一人称的な直接体験を、時間がたってから冷静に見つめ直し、自分自身の体験を第三者的に、俯瞰的に観察して分析を行うことは、研究方法としても意味のあることなのである。定量的なデータ分析と相補うものとなるはずだ。
 
もちろん、著者自身の直接体験であり、それはまさに一回限りの体験である。おなじ場にいても他人とは異なる体験であるし、自分自身でもおなじ体験が再現できる保証はない。というよりも、まずそれは不可能であろう。だが、似たような体験は、異なる修行によっても訪れることもある。

修行が好きな人、修行に多大な関心をもっている人、修行体験がいかなるものか知りたい人には、読むことを薦めたい本だ。

けっして特定の宗教や、宗派、自己啓発セミナーなどに誘導しようとしている本ではない。あくまでも臨床心理学の研究者としての一線は守っている。その意味では、この『修行の心理学』は、安心して読める本である。



目 次 
プロローグ
第1章 修行体験 
第2章 修験道療法 
第3章 修験道修行の心理と可能性 
第4章 アマゾン・ネオ・シャーマニズムとは何か 
第5章 異次元体験、地獄・天界・瞑想 
第6章 アマゾン・ネオ・シャーマニズムの効果と可能性 
参考文献一覧


著者プロフィール
石川勇一(いしかわ・ゆういち)
日本トランスパーソナル心理学/精神医学会会長。相模女子大学教授。法喜楽庵・法喜楽堂代表。臨床心理士。行者。専門は臨床心理学。瞑想、修行(初期仏教、修験道)、心身技法、ダンマ(法)を探求。神奈川県生まれ。早稲田大学卒・同大学院卒。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


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2018年11月20日火曜日

JBPress連載コラム第39回目は、「最初の一歩が肝心だ!火渡りの修行に挑戦してみた-焼けた炭の上を裸足で歩いた成田山での体験記」(2018年11月20日)


JBPress連載コラム第39回目は、「最初の一歩が肝心だ!火渡りの修行に挑戦してみた-焼けた炭の上を裸足で歩いた成田山での体験記」(2018年11月20日)
⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54683

やらなければならないと分かっているのだが、思い切って一歩踏み出せない。そういう人は少なくないはずだ。

だからこそ、「最初の一歩」を踏みだすことをテーマにした自己啓発書は、昔から根強い人気があるのだろう。もちろん、本を読んだからといって、すぐに行動に移せるとは限らないのであるが・・。

今回の「体験修行記」は「火渡り修行」。すでに火は消されて熾火(おきび)になっているとはいえ、焼けた熱い炭の上を裸足で(!)歩く修行のことだ。

さあ、足裏が熱いのを我慢して「最初の一歩」を踏み出そうではないか!

つづきは、本文にて http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54683

次回のコラム公開は、12月4日(火)です。お楽しみに!




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JBPress連載コラム第38回目は、「山伏になって「死からの再生」を体験してみよう-山形・出羽三山で参加した「山伏修行体験塾」(2018年11月6日)

JBPress連載コラム第37回目は、「苦しいのは最初だけ、3泊4日の「断食修行」体験記-成田山新勝寺で挑戦した本格的断食」(2018年10月23日)

成田山新勝寺の 「柴灯大護摩供(さいとうおおごまく)」に参加し、火渡り修行を体験してきた(2014年9月28日)

不動明王の「七誓願」(成田山新勝寺)-「自助努力と助け合いの精神」 がそこにある!

「シャーリプトラよ!」という呼びかけ-『般若心経』(Heart Sutra)は英語で読むと新鮮だ





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2018年11月6日火曜日

JBPress連載コラム第38回目は、「山伏になって「死からの再生」を体験してみよう-山形・出羽三山で参加した「山伏修行体験塾」(2018年11月6日)


JBPress連載コラム第38回目は、山伏になって「死からの再生」を体験してみよう-山形・出羽三山で参加した「山伏修行体験塾」(2018年11月6日)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54560

今回は、成田山の「断食参籠修行」に引き続き、同じ年(2010年)の秋に参加した出羽三山での「山伏体験塾」について紹介したいと思う。 

これもまた「断食」と同様、「非日常体験」であり、しかも意図的に心身に厳しい制約条件を課すことによって精神的な覚醒を促す、日本型修行の一つの形でもある。 

このコラムが、「一度くらいは山伏を体験してみたい」と考えている人、日本型修行のあり方に、なんらかのヒントを得たいと思っている人に参考になれば幸いである。 

(つづきは本文で) ⇒ http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54560

次回のコラム公開は、11月20日(火)です。お楽しみに!







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カラダで覚えるということ-「型」の習得は創造プロセスの第一フェーズである




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2017年1月2日月曜日

初詣は飯綱神社(千葉県八千代市萱田)にいってきた(2017年元旦)-神社の境内に鐘楼があるのは明治維新の際の「神仏分離令」以前の名残り


(千葉県八千代市の飯綱神社の本殿 筆者撮影)

2017年あけましておめでとうございます。

今年の初詣は実家の近くの飯綱神社(いいづなじんじゃ)にお参りした。とくに考えがあったわけではないが、飯綱神社という名称が関東地方では、それほどメジャーではないと感じていることもその理由の一つである。

さすがによく晴れた元旦の午後だけあって、参拝の列は意外と長い。並ぶのが面倒くさいので、わきから本殿を拝礼して、柏手を打った。

「飯綱神社」をネット検索してみると、「飯縄神社」というものがでてくる。「飯縄」と書いて「いいづな」と読ませている。おそらく飯綱と飯縄は同じものをさしているのだろう。綱(つな)と縄(なわ)は似たようなものだ。

(高尾山薬王院の飯縄権現銅像 wikipediaより)

その飯縄神社の惣社は長野県長野市にあるのだそうだ。飯縄山に祀られているのが飯縄大権現。東京西郊の高尾山の薬王院(真言宗智山派)に祀られているのも飯縄大権現高尾山は修験道のメッカであり、天狗の姿で知られる飯縄大権現は、中世以来、民間で信仰されてきた神仏習合の神である。

とくに戦勝の神として室町時代の足利義満や細川政元、戦国時代の上杉謙信、武田信玄などに進行されたとのことで、僧形の上杉謙信の兜の前立が飯縄権現像だったという。伊賀忍者の源流になったとか。

千葉県八千代市の飯綱神社も、もともとは飯縄権現だったそうだ。ということは、長野の飯縄神社の末社ということになると考えてよいのだろう。

(飯綱神社が建つ高台から見下ろす 筆者撮影

八千代市の飯綱神社は、萱田新田をみおろす高台のうえに建っている。戦国時代には、太田道潅が米本城や臼井城を攻撃する際に兵站基地と したとある。いかなる経緯でこの地に勧請されたのかは知らないが、境内には樹齢450年の大銀杏があり、1429年の創建とされる神社そのものもそれ年数がたっていると考えるのが自然だろう。

(樹齢450年の大銀杏 筆者撮影)

八千代市の飯綱神社には不思議なことに鐘楼がある。大晦日には除夜の鐘が撞かれるのだそうだが、神社に鐘とはなんとなく不釣り合いな印象も受ける。だが、飯縄神社がもともと飯縄大権現であり、神仏習合であったことを知れば、不思議でも何でもない。

(「神仏分離令」以前から残るお寺の鐘楼 筆者撮影)

明治維新が「宗教革命」でもあったことは、神仏分離令や廃仏毀釈の嵐が吹きまくったことに明らかだ。飯縄大権現もまた神仏習合の修験道が禁止され、神社とお寺に分離された後、飯綱神社として残ったのである。いわゆる「純化」が断行されたのである。これは全国各地の修験道についても同様だ。



境内にはまた「羽黒山・月山・湯殿山 参拝記念」の石碑が複数建っている。いずれに昭和と平成のもので比較的新しい。八千代市もまた船橋市と同様に、出羽三山信仰圏であるることを示すとともに、飯縄権現がそもそも修験道のものでったこととも関係があるのだろうか。

それはさておき、飯縄権現は羽の生えた天狗の姿形であらわされることも多い。いわゆるカラス天狗というものもある。ということになれば、同じく羽でもって空中を飛翔する鳥とは、まったく縁のないものでもなかろう。

というわけで、酉年(=鳥年)の本年の初詣先としては、飯綱神社は意外とふさわしいものであったかもしれないと、後付けながら考えてみる。

では、ことしもよろしくお願いします。





<関連サイト>

飯縄神社(長野市の惣社) 公式サイト

高尾山薬王院 公式サイト

萱田 飯綱神社(神社散歩) 
・・ブログ記事


<ブログ内関連記事>

庄内平野と出羽三山への旅 (6) 「山伏修行体験塾」(二泊三日) 最終日の三日目が終了! 精進落としの楽しみとは・・・

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ
・・この記事はぜひ通読していただきたい

成田山新勝寺の 「柴灯大護摩供(さいとうおおごまく)」に参加し、火渡り修行を体験してきた(2014年9月28日)
・・成田山もまた修験道のメッカ

下総国の二宮神社(千葉県船橋市)に初詣(2015年1月3日)-藤原時平を祀る全国でもめずらしい神社
・・二宮神社とは直接の関係はないが、船橋とその周辺は、出羽三山の湯殿山信仰圏であることおを示す石碑を、参拝途上の散歩中に薬園台駅近くで発見

市川文学散歩 ①-葛飾八幡宮と千本いちょう、そして晩年の永井荷風

千葉寺(ちばでら)をはじめて訪問(2016年3月2日)-境内の巨大な「大銀杏」は千葉県指定の天然記念物!


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2013年2月24日日曜日

「飛騨の円空 ー 千光寺とその周辺の足跡」展(東京国立博物館)にいってきた(2013年2月24日)



「飛騨の円空 千光寺とその周辺の足跡」展にいってきた。会場は、東京国立博物館の本館である。

会期: 2013年1月12日(土) ~ 2013年4月7日(日)
会場: 東京国立博物館 本館特別5室(上野公園)
開館時間: 9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
(ただし、3・4月の金曜日は20:00まで、4月6日(土)、7日(日)は18:00まで)
休館日 月曜日
主  催: 東京国立博物館、千光寺、読売新聞社、NHK、NHKプロモーション
特別協力: 高山市、高山市教育委員会
後援: 岐阜県

円空(1632~1695)は、放浪僧で仏師。江戸時代後期の文人・伴蒿蹊(ばん・こうけい 1733~1806)の『近世畸人伝』にも登場する「畸人」である。この「畸人」は奇人変人の奇人であるが、最大のほめ言葉であると考えるべきである。それはこの本に収録された有名人・無名人の言行を読めば納得できることである。

『近世畸人伝』には、「円空もてるものは鉈(なた)一丁のみ。常にこれをもて仏像を刻むを所作とす」とある。「包丁一本さらしに巻いて」渡世する板前にも似た、遊行(ゆぎょう)する奇才の仏師であった。東北からさらには蝦夷地にまで足を伸ばしている。


(岩波文庫版 『近世畸人伝』 P.102~103)


『近世畸人伝』の挿絵に描かれているのは、乾燥した木ではなく、生木にはしごを掛けて仏像を刻んでいる円空の姿である。展覧会の解説文によれば、これは事実を反映しているのだという。

事実、円空は千光寺に滞在中に、境内に並んで根を張っていた2本のセンノキに阿吽(あうん)二体の金剛力士(仁王)立像を彫刻した。その後、文化5(1808)年に根が腐朽したため切断され、二体は通常、同寺の円空寺宝館に安置されている。

生木に彫刻するという発想そのものがフツーではない。タイのアユタヤには、生木の太い幹の根元に仏像の顔が鎮座しているので有名だが、これは生木に彫刻したものではなく、仏像に木が絡まってできあがったものだ。

さて、今回の企画展の内容だが、主催者によるものを引用させていただくのが最善であろう。なお、太字ゴチックは引用者(=わたし)によるもの。


飛騨の円空仏100体が一堂に
現在知られている約5000体の円空仏のうち、1500体以上が岐阜県にありますが、飛騨高山には、とりわけ多彩な円空仏が残されています。「千手観音菩薩立像」(清峰寺)、「柿本人麿坐像」(東山神明神社)など、高山市内の14の寺社が所蔵する100体を東京で初めて一堂に紹介します。
飛騨高山の森、上野に出現
円空は、木を割り、鉈(なた)や鑿(のみ)で彫って像を作りました。その表面には漆や色を塗っていません。木目や節が見え、円空仏が「木」であることを強く印象付けます。展覧会の会場には、ほとけの形をした木が100本林立することになります。これらの木はすべて高山の木に違いありませんから、飛騨高山の森が上野に出現することになるのです。

パンフレットの表紙につかわれている円空の代表作が、両面宿儺(すくな)坐像(1686年)である。岐阜県高山市の千光寺蔵。記念としてマグネットを購入した(600円)。


(両面宿儺坐像 岐阜県高山市千光寺蔵 1686年)


「千光寺でも7年に一度しか公開されない」という秘仏「歓喜天立像」((かんぎてんりゅうぞう)の特別公開も楽しみのひちうだろう。秘仏のご開帳というわけだが、歓喜天とはインドに起源をもつ秘仏で、雌雄の象が抱き合う姿ものだ。だが、事前に想像していたものと違ってえらく小さく、エロチックというよりもかわいらしい感じの木像であった。

仏像というよりも、神社で配布される人形(ひとかた)のような印象のある素朴な観音立像もある。庶民の信仰のあり方を感じる意味でも興味深い。庶民信仰といえば、明治維新後の「神仏分離」と「廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)以前は「神仏習合」が当たり前であったことに注意しておきたい。

円空仏をっして素朴な味わい、庶民のための芸術といったされかたがなされることもあるが、その仏像の表情は全般的に「拈華微笑」(ねんげみしょう)という仏教表現を思い出す。怒りよりも微笑をもって日々暮らすべしと静かにさとしているような趣だ。

なかには、日本のものというよりも、韓国古寺の石仏のような微笑みを感じるものもある。もともと仏像は朝鮮半島経由で日本に渡来したものが基礎になっているのだが、隔世遺伝的に円空仏に現れ出たのだろうか。円空は東日本しか歩いていないのだが。

神の宿る樹木から、生命ある仏像を彫り出したのが円空である。樹木は神の依り代(よりしろ)であった。鉈(なた)による一刀彫りによるもので、ある意味では大理石の彫刻にも似ていなくはない。ミケランジェロは「大理石から魂を救いだす」というネオ・プラトニズム的な表現をつかっていたと思うが、円空の木彫りは石よりもはるかにぬくもりを感じる。いや、アフリカのプリミティブ・アートを思わせるものもある。縄文なのである。

哲学者の梅原猛氏は、木彫りの仏像は神仏習合のたまものであると主張している。密教においては大きな意味を持っていた仏像だが、鎌倉新仏教以降は仏像製作の必要性が大きく減退していた。円空は、泰澄・行基の伝統の復活なのであると。

どうしても現代人は円空のものに限らず仏像を美術品としてのみ見てしまう傾向がなきにしもあらずだが、その弊害を避けるためには仏像の裏側も見てみるといい。そこには文字が書かれているものがあることに気がつくだろう。梵字による祈祷文も含まれている。円空は仏師であり、あくまでも仏教僧なのである。

お寺においては、これだけまとまった形で円空仏をみることはない。いい機会なので、東京で円空仏のぬくもりを体感してみるのもいいのではないかと思う。


<関連サイト>

東京国立博物館140周年 特別展「飛騨の円空―千光寺とその周辺の足跡―」

『近世畸人伝』 円空 (国際日本文化研究センターデータベースに挿絵つきで全文収録)



<参考文献>

『円空佛-境涯と作品』(五来 重、後藤英夫=写真、淡交新社、1968)
『円空と木喰』(五来 重、淡交社、1997)
・・前著の『円空佛』と『微笑佛-木喰の境涯』の合本。円空と木喰(もくじき 1718~1810)は比較してみたいもの。円空死後に生きた木喰であるが、木喰のセルフポートレートの木彫り作品(一番右の写真のひげのある木像)は、国立博物館の常設展示にも一体ある


『歓喜する円空』(梅原猛、新潮社、2006 文庫版2009)
・・「梅原生きるにあらず、円空わが内にて生きるなり」と語る哲学者によるあらたな円空像。豊富なカラー図版と独創的な解釈。梅原日本学の成果であり、五来重説の徹底批判である。円空を白山信仰をもとにした修験者であるとする





<関連サイト>

円空 微笑み物語(円空連合のウェブサイト)


<ブログ内関連記事>

「没後50年・日本民藝館開館75周年-暮らしへの眼差し 柳宗悦展」 にいってきた
・・柳宗悦は木喰(もくじき)の仏像を「民藝運動」のなかで発見し、蒐集していた

書評 『近世の仏教-華ひらく思想と文化-(歴史文化ライブラリー)』(末木文美士、吉川弘文館、2010)・・明治維新以前の仏教にあらたな光をあてた概説書

庄内平野と出羽三山への旅 (7) 「神仏分離と廃仏毀釈」(はいぶつきしゃく)が、出羽三山の修験道に与えた取り返しのつかないダメージ・・明治維新以前の神仏習合について。梅原猛は円空は白山信仰の修験者であったとする

特別展 「五百羅漢-増上寺秘蔵の仏画 幕末の絵師・狩野一信」 にいってきた

「白隠展 HAKUIN-禅画に込めたメッセージ-」にいってきた(2013年2月16日)


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2010年9月24日金曜日

庄内平野と出羽三山への旅 (11) 湯殿山で感じる「出羽三山の奥の院」の意味





湯殿山が「奥の院」であることの物理的な理由

 湯殿山は、まさに出羽三山の奥の院である。

 かつて信仰登山が中心であった頃は、羽黒山から歩いて月山を越え、月山から下って、やっとのことでたどりつくのが奥の院である湯殿山であったのだ。前回書いた芭蕉の『奥の細道』の旅の記述にあるとおりである。

 ただし、もちろん、江戸時代以降も鶴岡方面から歩いて巡礼する人たちは多かった。
 羽黒山と湯殿山は参詣者獲得を巡って競合関係にあり、江戸時代には訴訟も起こされて対立が先鋭化したこともあったらしい。
 私の場合は、芭蕉も含めた古人の跡を求めただけのことであるが、芭蕉のたどったコースだけが参拝コースではないことを明記しておく。


 なお現在では、道路が整備されているので、夏期のシーズン中であれば、鶴岡駅から庄内バスの直行バスがでているので直接いくことができる。クルマで1時間くらいだから、そう遠くはない。
 森敦(もり・あつし)の『月山』は、湯殿山麓の注連寺を舞台にした小説だが、戦後の昭和20年代にはすでにバスが開通したことが書かれていたから、いまでは鶴岡方面から日帰りでいくのが当たり前になっているのだろう。

 ところが、湯殿山周辺は、冬期は豪雪で完全に雪に閉じ込められてしまうという。除雪もされないので、湯殿山のご神体も参籠所の建物も、雪解けまで完全に雪のなかに埋もれてしまう。
 翌朝、参籠所に来てもらったタクシー運転手の話では、冬は完全に雪に埋もれてしまうらしい。何メートルもつもるのでアクセス不能。幹線道路は除雪するが、湯殿山神社への道は除雪はないので冬期は完全閉鎖。
そんな雪深いというのは私のイマジネーションを越えている
 このこともまた、「奥の院」という性格を示すものといえよう。

 湯殿山参籠所に予約の電話をいれたとき、「いちおう15時を予定しているが、何時に入るかわからない」というと「下ってくるんですね」と即答されたのは、そういう状況が背景にあるのだろう。わざわざ宿泊するのは、湯殿山で祈祷をお願いする人か、観光コースのなかでそこに宿泊するかに限られるのだろう。参籠所前は観光バスが何台も横付けできるスペースが用意されている。


湯殿山が「奥の院」であるほんとうの理由-「神仏習合」いや「神仏併存」?

 「出羽三山の奥の院」と呼ばれてきた湯殿山は、形態としては神仏分離を崩していないものの、実態としては神道と仏教が併存しており、神仏習合よりも、なおいっそう不思議で、奇妙な様相を呈している。

 そのことを実感できるのが、湯殿山参籠所である。
 この参籠所は、実に不思議な宿である。参籠所であるから、当然といえば当然なのであるが、参籠所の一階には畳敷きの大部屋の祈祷所がある。


 この祈祷所で、神主(?)が、神式(・・写真の真ん中)と仏式(・・写真の左側、卒塔婆が並んでいる!)の両方で勤行を行う声が参籠所中に響きわたる。定時の勤行開始時には、ドンドンと太鼓が打ち鳴らされ、そのあと祝詞とも読経ともつかぬ声が参籠所のなかを響き渡るのである。まさに不思議空間である。


 祝詞なのか読経なのかよくわからないが、これをすべて一人で兼ねるのは、そもそもの姿なのか私には知るよしはない。

 「神仏習合」はコトバでは知っていても、これほど明らかに実行している例はみたことがない。
 出羽三山のなかでも、湯殿山はやはり例外的なポジションというべきなのではないか。

 実は、ご神体について書いた際に、ご神体のある祠では、神だけでなく仏も祀られていることには触れなかった。
 神社の境内(?)に、卒塔婆が大量にある祠がある。これは先祖祭祀の祈祷を行う場所であるが、なんか不思議な印象がぬぐえないのは、私が「神仏分離後」の世界に生きる、ごく一般的な日本人であるためだろうか?
 なんだか、水木しげる先生が描く、前近代のおどろおどろしい世界のようでもある。
 合理主義時代に生きるわれわれは、不可思議ものに対する人間の「耐性」を低下させてしまっているのかもしれない。
 
 さらにまた、湯殿山は行者修行のメッカであった。この件については、次回(12)で詳しく書くことにするが、即身仏(ミイラ仏)となるべく修行を行った一世行者たちの修行のあとが、参籠書前にいまでも残っている。
 千日や三千日を、五穀断ちに。。。という厳しい修行をここ、湯殿山に籠もって修行を行った行者たち。
 湯殿山がもつイメージを、おどろおどろしたものにしているのは、これらかつての修行者たちの・・・であろうか。

 湯殿山は、かつての命懸けの修行の地としても、まさに「奥の院」というのにふさわしい。


成田山新勝寺の成田修験と湯殿山との関係


 千葉県の成田山新勝寺(真言宗)と湯殿山権現の関係については、成田山新勝寺「断食参籠(さんろう)修行」(三泊四日)体験記 (3) 断食体験初日-いよいよ断食修行に入る には以下のように書いているので再録しておこう。

(山伏姿の成田修験)

なお、写真はいずれも今年(2010年)の成田祇園会の際に撮影した、山伏姿の成田修験である。

 私が寝泊まりしていた男子参籠堂は、二階建ての建物で、一階がが男子断食道場、二階が成田山修法師(先達)の修行道場となっている。
 ちなみに修法師(先達)とは、加持祈祷(かじきとう)を行う山伏姿の行者(ぎょうじゃ)で、荒行を行い修行する僧侶のことである。成田山新勝寺はもともと出羽の湯殿山権現と密接な関係をもっており、密教と修験道がきわめて密接な関係にあることを示している。
 二階の修行道場は、たまたま翌日のご縁中に掃除のため入ることができた。立派なお不動様が鎮座した部屋であった。

 たまたま、私が断食参籠修行をしていた時期がちょうど成田祇園会に重なっていたのだが、山車(だし)が何台も繰り出す勇壮な祭礼である。

 この成田祇園会は現在では、奥の院のご本尊大日如来の祭礼になっているが、もともとは湯殿山権現の祭礼として始まったものだという。

 成田山もまた、「神仏分離」によって湯殿山権現社が切り離されてからは、新勝寺の祭礼となっているが、お寺なのに山車が曳かれる祭礼であるのは、そういう歴史があるからだ。「神仏分離」されたとはいえ、成田山の場合はうまくやり過ごしたといえそうだ。これは密教の真言宗の性格が大いに反映しているのかもしれない。

(紫の袈裟を着た高僧と山伏姿の成田修験)

 湯殿山権現は、JR成田駅前にあり成田山が管理している。現在では小さな祠と多くの石碑が立っているが、祇園会の御輿はここで一泊するとのことである。

 湯殿山の本地仏は大日如来と説明書にはある。成田山新勝寺は真言宗豊山派、湯殿山麓の大日坊は真言宗豊山派、酒田の海向寺は真言宗智山派である。真言密教と修験道の関係は深いといっていいのだろう。

 詳しいことはよくわからないが、成田修験と湯殿山修験の関係は深そうだ。

 湯殿山修験の信仰圏は、関東は現在の千葉県まで及んでいたといわれる。

 たとえば、茨城県日立市出身の宗教民俗学者・五来重は、『新版 山の宗教 修験道』(五来重、淡交社、1997)のなかかで、三山詣に際して精進潔斎が行われていたことを、子供の頃の思い出として書いている。

 また、『出羽三山 山伏の世界』(片山正和、新人物往来社、1985)を書いた朝日新聞記者も、転勤で千葉県銚子市に住んでいたときに、お札を配る山伏の訪問を受けたことを記している。また、「秋の峰入り」に毎年参加している、船橋市で祈祷師をやっている人のことを取材紹介している。

 こういう意味でも、千葉県に住んでいる私は、湯殿山に対する興味は俄然増していたのである。ぜひ実際に歩いて、この目で見てみたいと思っていたのである。



 では、次回 (12) はいよいよ最終回で「即身仏」(ミイラ仏)について。湯殿山から即身仏の寺を回って鶴岡駅へ。あわせて、即身仏(ミイラ仏)についての感想をまとめておきたいと思う。



PS 若干の字句の修正と、成田修験関連の写真の大判化を行った。(2014年9月26日 記す)







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(2015年7月28日 情報追加)



(2012年7月3日発売の拙著です)









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