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2016年12月14日水曜日

アニメ映画『この世界の片隅で』(2016年、日本)を見てきた(2016年12月14日)ー ごく普通の一女性の目を通して見た、そして語られた「戦前・戦中・戦後」



アニメ映画 『この世界の片隅で』(2016年、日本)を見てきた(2016年12月14日)。東京テアトル70周年記念企画とのことだ。

すばらしい内容なのだが、いかんせん全国的な映画館網での展開でないので、上映中の映画館が限定されているのがちょっと残念だ。

内容は、瀬戸内海に面した広島市の漁村に生まれ育って、その後、広島県の呉市に嫁いだ、ごくごく普通の一女性の目を通して見た、そして語られた、「戦前・戦中・戦後(少し)」を描いた作品。生活範囲は嫁ぎ先の家族と親族に限定される。庶民視点の「近代日本」といえるかもしれない。

NHKの朝の連続テレビ小説のような時代設定である。一人の女性の半生がテーマだが、主人公の「すず」は有名人でも何でもない。知られざる人物というわけでもない。海辺に生きた女性を描いた点は、現代の東北地方『あまちゃん』にも似ている。それが理由というわけではないだろうが、奇しくも主人公の声を担当しているのは、改名後の「のん」(・・本名は能年玲奈)である。主人公の声はこれ以外ありえないという思わされる。




主人公は、絵を描くのが大好きな、やわらかい印象の、のんびりやさん。 だが、嫁いだ先の呉は、瀬戸内海の軍港だ。戦艦大和が建造された海軍の町である。もちろん当時は、住民にとっても軍港は軍事機密であった。

どこにでもあるような近代日本の日本人の生活。それなりに,苦労も伴うが、穏やかな日々がつづいていた。だが、戦争が始まり戦争が長引くにつれ、直接は戦場にはならなかった日常生活にも、だんだんと影響が出始める。物資が不足がちになるだけでなく、戦死者も出るようになってくる。




そして軍港であった呉市にも行われた空爆と機銃掃射、焼夷弾投下。主人公もかけがいのない命を不発弾の炸裂で失い、しかも自分自身も大きな負傷を負ってしまう。空爆される側からの視点で描かれた映像を見ていると、昔の話ではなく、いまもなお世界中で被害にあっている人たちのことを想起してしまう。

原爆もテーマの一つであるが、被爆地の広島ではなく、広島から少し離れた呉で体験したという設定が、独特の距離感を生んでいる。

映画は敗戦では終わらず、しばらく戦後までつづく。日常生活を描いているのだから、人間は未来に向かって現在を生きていくのだから。

映画を見ていてつくづく思うのは、「近代日本」は、じつに無理に無理を重ねていたのだなあ、という感慨だ。人口の大半が農村や漁村に居住していた時代である。高度成長前の日本である。軍事産業もその一つである重工業と、前近代を引きづったままの世界が同時に存在する社会なのであった。

戦争もまた避けることのできない自然災害のようなものであった、というのが当時の庶民の感覚であったのだろうか。これは単純な反戦映画と受け取るべきではない。それはこの映画をじっくり見ればわかることだ。時代考証は徹底的に行われているという。

瀬戸内海を舞台にした、ゆったりとした時間の流れ。もちろん、気候も穏やかな瀬戸内海地方は、冷害による飢饉に苦しんでいた同時代の東北地方とは異なることもアタマには入れておきたい。

こうの史代氏による原作のマンガも、ぜひ読んでみたい。 原作は「漫画アクション」に連載されたものだという。大人向けの媒体である。

上映している映画館がまだ多くないが、ぜひ一度は見て欲しいと思う。かならずや静かな感動を覚えることだろう。見る価値のある映画だ。


(DVD版 画像をクリック!)

(原作コミック 画像をクリック!)



<関連サイト>

『この世界の片隅で』 公式サイト




『この世界の片隅に』監督が語る、映画に仕込んだ“パズル”(上) 片渕須直・『この世界の片隅に』(ダイヤモンドオンライン、』

『この世界の片隅に』監督が語る、映画に仕込んだ“パズル”(下) 片渕須直・『この世界の片隅に』監督インタビュー

「この世界の片隅に」は、一次資料の塊だアニメーション映画「この世界の片隅に」片渕須直監督(前編) (日経ビジネスオンライン、2016年12月8日)

「本来は、アニメは1人で作れるものです」アニメーション映画「この世界の片隅に」片渕須直監督(後編) (日経ビジネスオンライン、2016年12月9日)


「この世界の片隅に」北米配給が決定!今夏、劇場公開へ(映画ニュース、2017年2月1日)

「この世界の片隅に」興収20億円突破、14週連続トップ10入り アメリカやフランスでも上映予定(ハフィントンポスト、2017年2月14日)

今こそアニメ『この世界』を見るべき理由 ジブリ作品への強烈なアンサー (岡田斗司夫、プレジデント・オンライン、2018年2月8日)

(2017年2月1日・15日、2018年2月9日 情報追加)



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オバマ大統領が米国の現職大統領として広島の原爆記念館を初めて訪問(2016年5月27日)-この日、歴史はつくられた

鎮魂!戦艦大和- 65年前のきょう4月7日。前野孝則の 『戦艦大和の遺産』 と 『戦艦大和誕生』 を読む

マンガ 『沈黙の艦隊』(かわぐちかいじ、講談社漫画文庫、1998) 全16巻 を一気読み

書評 『高度成長-日本を変えた6000日-』(吉川洋、中公文庫、2012 初版単行本 1997)-1960年代の「高度成長」を境に日本は根底から変化した
・・「高度成長」によって日本近代化は完了した。「高度成長」のビフォア&アフターの違いはきわめて大きい


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2015年11月23日月曜日

本日(11月23日)は「感謝祭」-「戦前・戦中」は新嘗祭(にいなめさい)、「戦後」は勤労感謝の日

(ノーマン・ロックウェルの「感謝祭」)

本日(11月23日)は日本の国民の休日です。「勤労感謝の日」となっております。

もともとは稲の収穫を祝う宮中の行事が休日となった「新嘗祭」(にいなめさい)でした。敗戦の結果、GHQの占領政策によって「新嘗祭」が廃止され、「勤労感謝の日」と衣替えされたわけです。
 
いわゆる Occupied Japan(占領下日本)状態の 1948年(昭和23年)のことです。 「勤労感謝の日」は、アメリカの国民の休日である「感謝祭」とほぼ同じ時期になります。感謝祭は、英語で Thanksgiving Day といいます。「収穫祭」の意味でもありますね。11月の第4木曜日がその日にあたります。

冒頭に掲載した画像は、かの有名なノーマン・ロックウェル(Norman Rockwell 1894~1978)の「感謝祭」。いかにもアメリカ的なアメリカを描いた画家でですね。「古きよき時代のアメリカ」を描いてますが、これは「欠乏からの自由」(Freedom from Want)と題された1943年の作品。ローズヴェルト大統領の「4つの自由」の一つを描いたもの。

(Freedom from Want, 1943   wikipedia より)

ちなみに「4つの自由」とは、「言論の自由」、「信教の自由」、「欠乏からの自由」、「恐怖からの自由」であり、このいずれも「戦中」の日本には欠けていたものであります。その意味では、「4つの自由」への戦いとは、大日本帝国や第三帝国(=ナチスドイツ)との戦いを意味していたと考えてもよいかもしれません。

Thanksgiving Day (感謝祭)といえば、わたしにとっては「災難の日」(Calamity Day)と記憶されております。いまを去ること20数年前のアメリカ留学中、まさにこの日でありましたが、住んでいた寮の隣の部屋から火事がでたために、部屋を追い出されるはめに・・・。延焼は免れましたが自分の部屋への立ち入りが禁止されてしまいました。
   
アメリカ東海岸のニューヨーク州の11月23日といえば寒い冬の一日。ニューヨーク・シティ在住の友人宅を転々として数日過ごしましたが、わたしにとっては、とんだ Thanksgiving Day (感謝祭の)プレゼントとなったわけであります。まさに No Thanks ! でありましたが。
  
そんな個人的な記憶はさておき、せっかくの「国民の休日」ですからね。何に対する感謝か、誰に対する感謝かは別にして、「感謝の日」としたいものです。




<ブログ内関連記事>

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる

書評 『黒船の世紀 上下-あの頃、アメリカは仮想敵国だった-』 (猪瀬直樹、中公文庫、2011 単行本初版 1993)-日露戦争を制した日本を待っていたのはバラ色の未来ではなかった・・・

早いもので米国留学に出発してから20年!-それは、アメリカ独立記念日(7月4日)の少し前のことだった(2010年7月4日)

皇紀2670年の「紀元節」に、暦(カレンダー)について考えてみる

「神武天皇二千六百式年祭」に思う(2016年4月3日)

「パンプキン詐欺」にご用心!-平成のいまハロウィーンは完全に日本に定着した(2015年10月31日)
・・ハロウィーンは、もともとはヨーロッパの先住民ケルトの「収穫祭」

(2018年2月2日 情報追加)




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2015年10月24日土曜日

フォルクスワーゲンとヒトラー、そしてポルシェの関係

(フォルクスワーゲン社の本社工場 筆者撮影)


物事というものは、その発端や出発点において、あらかたその先の方向性が決定されるものだ。その点にかんしては、人間も会社も似たようなものがある。

2015年9月に、ディーゼル排ガス規制で消費者を欺いていたことがアメリカのNGOの調査によって明らかになり、世界中で大問題となっているドイツを代表する世界的自動車メーカーのフォルクスワーゲン社だが、そもそもの創業の出発点が「戦前ドイツ」のナチス時代の国策にあったことは、「常識」としてもっておいたほうがいい。

失業対策として実行された公共事業の一つが、現在でもドイツが誇る高速道路アウトバーンの建設。そしてヒトラーによる「大衆車」構想がフォルクスワーゲン。低価格で高性能の乗用車の提供によって国民による支持を確実なものとし、かつ需要創出を狙った政策だ。

フォルクスワーゲン(Volkswagen)は日本では「国民車」と訳されるが、「民衆車」とか「大衆車」といったほうが本来の意味に近い。ドイツ語の Volk(フォルク) は、英語の folk(フォーク)に該当するコトバだ。フランス革命以後の概念である Nation(=国民)とは似ているが「民族」というニュアンスが強い。Volkswagen であって Nationalwagen ではない。

そしてヒトラーからじきじきに要請があって、「大衆車」の開発に取り組んだのが天才エンジニアのフェルディナント・ポルシェ。実際には試作どまりで量産には至らなかったものの、スポーツカーの代名詞のようなポルシェの創業者一族が、なぜ現在でもフォルクスワーゲン社の大株主の一つであるのかは、そういうところに理由があるわけだ。


(シュトゥットガルトのポルシェ博物館のプレート 筆者撮影)


これらの重要な「事実」は、なぜか日本のマスコミ報道では言及されることがきわめて少ない。歴史にかんする不勉強によるものか、あるいはほかに理由があるのかもしれないが、じつに不思議なことだ。

日本を代表する製造業で、世界最大の自動車メーカーのトヨタもまた、国防上の理由から国産車開発を推進したい帝国陸軍の要請で軍用車の開発に着手したことが、自動車生産への取り組みの第一歩だったのである。フォルクスワーゲンは国策によって生まれたとはいえ、軍用車の開発は行っていない。

「戦前・戦中」と「戦後」では、いっけん歴史は「断絶」しているように見えながらも、じつは一貫して「連続」しているのは、日本でもドイツでも変わりないのである。

さらにいえば、「事実」にかんする事項については、その「事実」の評価が肯定であろうが否定であろうが関係ない。「事実」と「解釈」は区分することが重要だ。わたし自身、フォルクスワーゲンはコンパクトカーとしては好印象をもっている。


(アタマの引き出しはチカラになる!)


作家・武田知弘氏による『ヒトラーの経済政策-世界恐慌からの奇跡的な復興』(祥伝社新書、2009)と『ナチスの発明』(彩図社、2011)は、上記のような「事実」が満載の本だ。

後者の第2章「ナチスが目指したユートピア」にフォルクスワーゲンの話があるが、それ以外にも日本人にとって「常識」となっていない話が多い。「事実」関係にかんする「雑学」な知識を「常識」にするためにはお奨めの本といえよう。

冒頭にアップした写真は、ドイツ北部のヴォルフスブルク(Wolfsburg)にあるフォルクスワーゲン(VW)の本社工場。ヴォルフスブルクはまさにフォルクスワーゲンの「企業城下町」である。
 
残念ながら工場内部に入ったことはないが、数年前にベルリンとハノーファーの中間にあるヴォルフスブルク駅に停車中の急行列車 ICE の社内から、運河をはさんで撮影したものだ。

心なし、VW のロゴが泣いているような気がしないでもない。



『ヒトラーの経済政策』 目次  

序章 ケインズも絶賛したヒトラーの経済政策とは
第1章 600万人の失業問題を解消
第2章 労働者の英雄
第3章 ヒトラーは経済の本質を知っていた
第4章 天才財政家シャハトの錬金術
第5章 ヒトラーの誤算



『ナチスの発明』 目次  

第1章 世界を変えたナチスの発明
第2章 ナチスがめざしたユートピア
第3章 だれがナチスを作ったのか?
第4章 夢の残骸




<関連サイト>

■『オサムイズム-"小さな巨人"スズキの経営-』(中西孝樹、日本経済新聞出版社、2015年)「第1章 岐路に立つスズキ」から

・・日本の自動車メーカーのスズキから見た提携先のフォルクスワーゲン社の実態が明らかにされる。2009年の提携開始後、信頼を裏切って敵対的買収によって乗っ取りを図ったフォルクスワーゲン社に対抗するための国際仲裁裁判におけるスズキの4年間の苦闘の記録。

スズキの大誤算、「VWとの提携」を求めた理由(日経BIZゲート、2015年12月17日)

スズキと提携後、手のひらを返したVW(日経BIZゲート、2016年1月7日)

スズキの恐怖「VWによる敵対買収」 (日経BIZゲート、2016年1月14日)

スズキの強運、宿敵の失脚を経てVWに逆転勝訴 (日経BIZゲート、2016年1月21日)
・・「ピエヒがVWのCEOに就任したのが1993年。任期を理由に監査役会会長に昇格したのが2002年。通して22年間にわたり、VWの独裁者ともいえるリーダーに君臨した、カリスマ経営者であった。 (・・中略・・) 任期2年を残し、ピエヒがVWの経営を突然去るという事態は、誰の想定にもなかった。 ピエヒが去ったことで、VWは合理主義に基づくヴィンターコルンが経営を主導し、透明性の高い監査役会会長が監視するという体制に変わっていこうとしたのである。 スズキにとって、この政変は非常に重要な意味を持つものだ。」

(2016年1月15日 項目新設)
(2016年1月24日 情報追加)


PS 『ナチズムの時代(世界史リブレット)』(山本秀行、山川出版社、1998)は、「ナチズムの時代」を「大衆消費社会の幕開け」として描いている。表紙に使用されているのはフォルクスワーゲンの広告。あの時代の空気がよく理解できる。(2016年2月29日 記す)





<ブログ内関連記事>

書評 『自動車と私-カール・ベンツ自伝-』(カール ベンツ、藤川芳朗訳、草思社文庫、2013 単行本初版 2005)-人類史に根本的な変革を引き起こしたイノベーターの自伝

「ポルシェのトラクター」 を見たことがありますか?

書評 『あっぱれ技術大国ドイツ』(熊谷徹=絵と文、新潮文庫、2011) -「技術大国」ドイツの秘密を解き明かす好著

書評 『ヒトラーの秘密図書館』(ティモシー・ライバック、赤根洋子訳、文藝春秋、2010)-「独学者」ヒトラーの「多読術」

ベルリンの壁崩壊から20年-ドイツにとってこの20年は何であったのか?

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』(ドイツ、2008年)を見て考えたこと

書評 『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる-日本人への警告-』(エマニュエル・トッド、堀茂樹訳、文春新書、2015)-歴史人口学者が大胆な表現と切り口で欧州情勢を斬る
・・近年のドイツは、なにかおかしなことになっている

「ログブック」をつける-「事実」と「感想」を区分する努力が日本人には必要だ
・・「戦前・戦中」と「戦後」を区分して考えたいのは人の性(さが)。だが、事実と解釈は区分して考えないと道を誤る

「是々非々」(ぜぜひひ)という態度は是(ぜ)か非(ひ)か?-「それとこれとは別問題だ」という冷静な態度をもつ「勇気」が必要だ

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える
・・敗戦国は「断絶史観」で捉えたいという欲望があるが、それは正しいものの見方ではない

皇紀2670年の「紀元節」に、暦(カレンダー)について考えてみる
・・「「紀元」(=はじまり)という意識と発想である。それは正統性の根拠として言明されることが多い。元外交官の法学者・色摩力夫(しかま・りきを)がよく使っていた「出生の秘密」(status nascens)というライプニッツのコトバがあるように、その紀元に何をもってくるか、その紀元の本質が何であるか、によってその後の「歴史」はすべて決定されてくるのである。色摩力夫は自衛隊の「出生の秘密」が自衛隊という軍事組織の性格を規定している、という文脈でこのコトバを使用している。」

(2015年11月13日 情報追加)


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2015年8月22日土曜日

『愛と暴力の戦後とその後』 (赤坂真理、講談社現代新書、2014)を読んで、歴史の「断絶」と「連続」について考えてみる



2014年5月に出版された『愛と暴力の戦後とその後』は、わたしがジュンク堂の店頭で手に取った2015年4月の時点で、2015年2月の第8刷となっていた。話題のベストセラーになっているようだ。

読むことにしたのは、ベストセラーであることも理由の一つである。この人の評論はすでに『モテたい理由』(講談社現代新書、2007)を読んでいて面白いと思っていたのだが、あえてまた読むまでもあるまい、と

ベストセラーになってから読むというのはけっして悪いことではない。むしろ、なぜベストセラーになっているのか自分で検証してみるつもりで読むと、「いま」という時代の日本人が漠然と感じていることをつかむキッカケともなるからだ。

読んでみての感想は、著者による自問自答を重ねた内容に、「戦後日本」とはいったい何だったのか考えてみるヒントがある、ということだ。おそらく多くの人が同様の感想をもつことだろう。

著者は「まえがき」をこう書いている。短いので全文を引用しておこう。
     
「これは、研究者ではない一人のごく普通の日本人が、自国の近現代史を知ろうともがいた一つの記録である。
それがあまりにわからなかったし、教えられもしなかったから。
私は歴史に詳しいわけではない。けれど、知る過程で、習ったなけなしの前提さえも、危うく思える体験をたくさんした。
そのときは、習ったことより原典を信じることにした。
少なからぬ「原典」が、英語だったりした。
これは、一つの問いの書である。
問い自体、新しく立てなければいけないのではと、思った一人の普通の日本人の、その過程の記録である。


■1964年生まれの著者の世代と「戦後」認識

著者は1964年生まれ、わたしとは2歳違いである。ほぼ同世代といっていいだろう。

著者は、個人的な体験をもとに「1980年の断絶」について書いているが、その年に16歳の著者は1年間アメリカに高校留学していたのだという。日本の高校に不適応だったからだ。アメリカ留学にも挫折して日本に帰国してから、大きな違和感を抱いたのである、と。

世界的にみれば「1979年」こそ「断絶の年」だ。英国でサッチャー政権誕生、イランでイスラーム革命が勃発、そして年末のソ連によるアフガン侵攻など激動の年であった。日本にかんしていえば、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』というほめ殺し本の日本語訳が出版されたのが1979年だ。その翌年の1980年に「断絶」が顕在化し始めたといえるかもしれない。著者の直感はじつに鋭い。

1980年は松田聖子がデビューした年であった。「革命」と評価を下す同世代人がいる一方、著者にとっては、あまり意味のない出来事だったのかもしれない。だが、日本にとっても、1980年が断絶の年となったことは確かだろう。

1964年前後生まれの著者の立ち位置は、「戦前」につながる「戦後」の痕跡をところどころに感じることができながら、学校教育やマスコミをつうじて、「戦前」と「戦中」が全面否定されていくなかで育った世代だと要約できるかもしれない。

1962年生まれのわたし個人について言えば、小学生の頃には地上波では再放送がなかった幻の名作アニメ『アニメンタリー決断』をリアルタイムでテレビで見て学校で話題にしていた世代であり、「戦前」や「戦中」を遠い存在と感じていたわけではない。

だが、その後、学校教育やマスコミをつうじて、だんだんと戦争そのものがタブー視されていったような記憶がある。追い討ちをかけたのは、政治問題と化した靖国問題ではなかろうか。バブル期のなか、英霊なんてことを口にすることすらはばかれる時代となってしまったのだ。わたし自身、いまから7年前の2009年8月15日まで靖国神社を参拝することは心理的抵抗があってできなかったのだ。呪縛されていたのである。

だからこそ、「戦後とその後」を生きてきた日本人が自明と思っていることが、じつは見ないように避けてきた結果に過ぎないことは、著者に指摘されてあらためて、うなづくのである。

以下、本書に関連するトピックについて、個人的な感想をつづってみたいと思う。





■「愛と暴力」の「敗戦と占領」

『愛と暴力の戦後とその後』というタイトルは、なかなか意味深だ。

2015年は「戦後70年」とされ、日本国内では大きな話題になっているが、じっさいのところ、「戦後」とよばれる時代区分が、2011年3月11日に東日本大震災と原発事故によって終わっているという認識はすでに広く共有されているのではなかろうか。わたし自身についていえば、正直いって、あまり「戦後70年」という感慨は湧いてこない。

なぜ「戦後とその後」に生きている日本人は、それ以前の「歴史」から切り離されているように感じるのか? これは本書で提起されている問いを貫いているものだ。

精神的空洞、存在の底が抜けているという感覚、宙ぶらりんの空中浮遊感。なにかが隠されているのではないか? 自分を守るために、臭いものに蓋をして見て見ぬふりをしてきたのではないか? 

「臭いものに蓋」という表現は適切ではないかもしれないが、個人的に大きなトラウマを抱えた人は、それを誰にも語らずに抱え込んでしまうというケースは、日本の戦争体験者だけでなく、ホロコーーストの体験者にも見られることだ。そんなことはクチにするのはおろか、考えたくもない、と。

おそらく最初は見て見ぬふりをしてきたのだろう。だが、こういう自覚をもっている段階はまだいい。それはその個人、その世代が抱えている個人的、世代的トラウマであるからだ。これは個別に解消するしかない。

だが、敗戦経験をもった世代の次の世代の人間にとっては、「最初から隠されていたもの」となってしまっていることになる。存在そのものを知らないということになってしまう。そこに問題がある。



■合理的機制と精神的解離

精神的に抑圧しずぎると、かえってはけ口をもとめた感情が爆発するということは、だれもが経験していることだろう。

アメリカ占領軍による「日本改造」から「愛と暴力の戦後」が始まった結果、日本人は「戦中」と一緒に「戦前」も否定し去ってしまったことが、「歴史」からの切り離され感を生み出してきたことは間違いない。

たしかにアメリカ占領軍は、「戦中」の日本を「戦前」の産物として、すべてを否定した。だが、アメリカ占領軍の占領政策が成功したのは、日本人の多くが「敗北を抱きしめた(ジョン・ダウワー)からだ。占領軍を進駐軍と言い換え(・・侵略を進出と言い換える心理的メカニズムを想起する)、日本人の多くがアメリカの占領政策を支えたことはまぎれもない事実である。

見ないふりをしてきたツケがまわってきている。そのツケは精神的空洞をもたらしているし、いわゆるネトウヨに代表されるように、「いままで騙されてきた感」という過剰なエネルギーの逆噴射もある。見ないふりをしてきたが、もはや決壊も近いのなのかもしれない。

いわば歴史を無視してきいたことのツケ、歴史の復讐であり、歴史の逆襲といえるかもしれない

たとえば、わたしも含めて戦後生まれの日本人が教育されてきたことの一つに、日本に民主主義はなかった、戦争に負けたことによってアメリカ占領軍から与えられたのだという言説がある。これはじつは正しくない。明治時代の自由民権運動を意図的に無視した言説だ。占領政策をスムーズに進めるためのインテリジェンス作戦であったと考えるべきだろう。ある種の洗脳工作である。

アメリカ占領軍による検閲に基づいた情報操作については、すでに多くの指摘や研究が蓄積されている。そしてその流れに乗っかったのが、左派知識人たちによる「戦前」否定の論調である。圧倒的多数の日本人が受け入れたのは、敗戦を終戦として「抱きしめた」からである。上からの一方的な受け身ではなかった。

最初は主体的な選択の結果であったのだが、その経緯は忘却され、「受け入れた歴史」をそのまま無意識レベルにまで浸透させ内面化させてしまったのである。その意味では、戦時中と同様に、「戦後」もまた、意識的な選択によって「集団催眠状態」にあったというべきかもしれない。

「隠れた神は恐ろしい」という表現もある。だがそれは「隠されてきた」わけではない。見ようと思えば見ることはできるし、知ろうと思えば知ることはできる。すでに多くの論者が、アメリカ占領軍が日本と日本人に何をしてきたのかを解明している。

だが、知ろうという気持ちを起こさなければ、最初からなかったことにされてしまっているもの。あえてそこに目を向けさせないように、巧妙に違う方向を見るように仕向けられてきたこと。そのことにまったく気がつかないできたということ。じつに恐ろしいことではないか!

考えてみれば、著者が指摘するまで、憲法の「憲」が、憲兵の「憲」であることなど考えたこともない。多くの人もまた虚を突かれたのではないか? 

正直なところ、わたしももまた憲法に該当する英語が、constitute(=構成する)という動詞の名詞形である Constitution という以外は考えていなかった。日本語に食い込んで抜けない漢字の呪縛については、あらためて考える必要があることを痛感する。

言語明瞭意味不明なのは米語由来のカタカナ語だけではなく、戦中の八紘一宇(はっこういちう)などの漢字語もまた同様である。



■歴史の「断絶」と、それにもかかわらず存在する「連続性」

日本の旧植民地や被占領地の人たちが親日的な発言をしたり、感謝を表現することがある。日本のおかげで独立できたのだとか、植民地時代をなつかしむ発言、とか。

そういう話をきくと、なんだか面映ゆい思いをしたり、申し訳ない気持ちになったり、あるいはなぜ感謝されるのか肌感覚でピンとこないということもあろう。

かれらが評価しているのが、日本人自身が否定的に捉えている「戦中」であり「戦前」であるからだ。だから、評価されてもいまひとつピンとこない、あるいはなぜ評価されるのかわからないという気持ちになる。「戦中」や「戦前」は、「戦後」からみて否定されるべき時代ではなかったのか、と。

「戦後」と「その後」を生きてきた日本人にとって、「戦中」と「戦後」とが「断絶」しているのに対し、旧植民地の人たちのなかでは「連続」しているのである。もちろんノスタルジーということもあって、過去が美化される傾向があるのかもしれない。だが、かれらの発言によって、かれらのなかで生きている日本人観と、じっさいに生きている生身の日本人の意識とのあいだにギャップが存在することを知ることができる。

歴史の断絶と連続性回復というテーマで想起するのは、ドイツ再統一によって消滅した国家である東ドイツ(=ドイツ民主共和国)のことである。ドイツもまた「戦後70年」であるが、この事実に目をつぶるべきではない。

敗戦後の冷戦構造のなか東西分割されたドイツだが、東ドイツはソ連、西ドイツはアメリカとイデオロギーをまったく異にする支配者のもとで異なる国づくりを行い、その結果、ドイツ戦後史にかんしては異なる歴史をつくりあげることになった。

西ドイツは、併合した側なので歴史に断絶はない。だが、併合された側の東ドイツは、東西再統一がなされて以後の歴史とそれ以前の歴史とに大きな断絶が生まれている。それが、旧東ドイツ国民のあいだで鬱屈した不満を産み出していることが、これまで指摘されてきた。

いまにいたるまで旧東ドイツ出身者が感じている精神的な違和感は、みずからの「歴史」が否定されたこと、つまりアイデンティティを否定されたことにほかならない。経済的な格差だけが原因ではないのだ。「再統一」から25年以上たっても、断絶した歴史を連続したものに切り替える心理的作業は完成していないのである。

現実問題としては、「戦前」を否定したのが西ドイツであり、「戦前」がそのまま温存されたのが東ドイツというねじれ構造がある。西ドイツの戦後史は、ある意味では日本の戦後史と似ている。もちろん、安直な比較は無意味である。

「断絶」後の歴史を、どう「断絶」前の歴史と「つなぐ」か、これはドイツなど敗戦国共通の課題だが、ある意味では日本人が抱えている問題と共通するものがあるように思われる。

日本人は「戦後とその後」の現代ドイツ史で、思考実験してみることも必要かもしれない。もちろん、安直な比較論は有害であるが。



■断絶した「戦後とその後」と「戦中・戦前」を「つなぐ」ために

正常化 ノーマリゼーションのプロセスがいま進行中であると、わたしは考えている。それはけっして右傾化でもなんでもない。「進歩派」であったはずの左派が頑迷な「保守派」となる。

日本の場合、「戦前・戦中」と「戦後」を連続性を担保してきたのは、端的にいって天皇制である。

もちろん、近代天皇制は明治国家にようる「作られた伝統」であり、それ以前の前近代の天皇制(・・この表現じたいは昭和以前には存在しなかった)とは、制度としては「断絶」がある。だが、天皇家の血筋によって「連続」が保たれてきたのである。

明治時代以降、近代化を推進するなかで、国民教化の観点から、西欧社会におけるキリスト教にかわる精神的権威として天皇の神格化が行われたのだが、これはあくまでも世俗の政治権力が設計して構築した「近代の産物」であり、当然のことながら「創られた伝統」である。

「神格化された天皇」像は、大東亜戦争の敗北によって完全に潰えるに至る。「神話」は否定されたが、同時に「歴史=物語」も一緒に捨て去られてしまった。その後の、日本人の精神的空洞はこれに起因すると主張する論者は少なくはない。三島由紀夫や小室直樹の問題提起もまた、現在では忘れ去られているのかもしれない。

敗戦によって「神話」は否定されたが、「高度成長」という大きな「物語」が作り出された。「企業戦士」という表現は、ある種の代償行為のような響きをもつ。だが、「高度成長」の達成後は、日本人が共有するあらたな「物語」が生まれることなく、日本も日本人も迷走を続けている。

思うに、日本と日本人が「敗戦」による「終戦」という断絶を体験しながらも生き延びてこれたのは、昭和天皇という、戦前と戦後を貫く存在が、生身の肉体を備えた一人の人間によって「断絶」をつなぎとめてきたからだ。これは著者も指摘するとおりだ。

個人的には、昭和63年(1988年)に昭和天皇が崩御したとき(・・その時点ではまだ「昭和天皇」という諡号(おくりな)は決まっていなかった)、これでなにかがすべて終わったという思いに囚われた。ほんとうは、この時点ですでに「戦前・戦中」と「戦後」を連続体とした昭和時代の終わりとともに、「戦後」は終わっていたのかもしれない。

昭和天皇の長男である今上天皇陛下の最大の貢献は、つねに戦没者の慰霊をつうじて「戦中」を喚起させていただいていることだろう。「戦中」と「戦前」そして「戦後とその後」の「連続」を身を以て体現しておられるのである。

度重なる迫害を乗り越え、離散のなかでも生き延びてきたユダヤ民族にとっては、律法と教典が民族性を担保するよりどころとして機能してきた。日本民族にとってそれに該当するのは、「万世一系」の天皇という存在ではないか、と。



以上、『愛と暴力の戦後とその後』 を読んで感じたことを、個人的な感想として書き連ねてみたが、当然のことながら、読者によって感じることはさまざまだろう。

『愛と暴力の戦後とその後』 という本は答えを導き出した本ではない。一人の日本人が、一人ひとりの日本人に向けて問いを提示した本である。

読者自身が考えるためのキッカケの本として、再読、三読してみる意味のある本であるといえよう。それほど、大きな問いなのである。答えがでることのない・・・。
  

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目 次

プロローグ 二つの川
第1章 母と沈黙と私
第2章 日本語は誰のものか
第3章 消えた空き地とガキ大将
第4章 安保闘争とは何だったのか
第5章 1980年の断絶
第6章 オウムはなぜ語りにくいか
第7章 この国を覆う閉塞感の正体
第8章 憲法を考える補助線
終 章 誰が犠牲になったのか
エピローグ まったく新しい物語のために

著者プロフィール 

赤坂真理(あかさか・まり)
1964年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒。作家。1990年に別件で行ったバイト面接で、なぜかアート誌の編集長を任され、つとめた。編集長として働いているとき自分にも原稿を発注しようと思い立ち、小説を書いて、95年に「起爆者」でデビュー。著書に『ヴァイブレータ』(講談社文庫)、『ヴォイセズ/ヴァニーユ/太陽の涙』『ミューズ/コーリング』(ともに河出文庫)、『モテたい理由』(講談社現代新書)など。2012年に刊行した『東京プリズン』(河出書房新社)で毎日出版文化賞・司馬遼太郎賞・紫式部文学賞を受賞。神話、秘教的世界、音楽、そして日々を味わうことを、愛している。(カバー袖より)



PS 『東京プリズン』という小説作品について
  
このブログ記事をかいてから、著者の小説作品である『東京プリズン』(河出文庫、2014 単行本諸般 2012)を読んだ。『愛と暴力の戦後とその後』 とあわせて読むと、より著者の表現したかったことが理解できるのではないか、と思う。

この長編小説は私小説ではないが、著者自身の体験をもとにした小説は、日本と日本人にとっての「戦後」を、より広くかつ深い次元で考えることができるのではないかともう。とくに16歳の著者が体験したアメリカという異世界についての描写は、じつによく言語表現されていると感じた。

1980年という舞台設定は、1980年代後半のバブル期に激化した「日米経済戦争」以前であり、しかも崩御によって昭和天皇という諡号(おくりな)が命名される以前の時代である。「日米戦争」と「東京裁判」、そして天皇の責任問題などについて考えるには、タイミングとしても悪くない。

ネイティブアメリカン(先住民)、日本人、ベトナム人… 共通するのは、戦争において殺戮された人たちであるということだ。殺されたのは軍人だけではない。空爆や原爆投下で多数の一般市民が殺されたのである。

「東京裁判」を高校の授業の一環としてディベート形式で行うという設定から、いかなる議論が飛び出してくるのか?

『愛と暴力の戦後とその後』は、小説という形式では書かなかったエッセイといえるかもしれない。

(2015年8月23日 記す)




<関連サイト>

下記サイトで 『愛と暴力の戦後とその後』の第1章が読める

日本にとってアメリカとは何か-戦後日本が抱えた無意識の屈折-【特別公開】赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』1 (現代ビジネス、2015年8月13日)

なぜ原爆投下による民間人大虐殺は罪に問われないのか?-日本人に埋め込まれた「2つの思考停止」-【特別公開】赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』2  (現代ビジネス、2015年8月14日)

なぜ日本人は昭和天皇を裁けなかったのか-【特別公開】 赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』3 (現代ビジネス、2015年8月15日)



<ブログ内関連記事>

■「戦前・戦中」と「戦後」を連続性のものとして捉える

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える
・・この本に収録された安倍晋三と石破茂という、1950年代中期生まれの「ポスト団塊世代」の二人の自民党政治家・・(中略)・・ 「1954年生まれの安倍晋三、1957年生まれの石破茂という「ポスト団塊世代」の政治家二人。奇しくも復活した第二次安倍内閣で総理大臣と自民党幹事長(2014年当時)という要職についている二人である。安倍晋三は満洲国で統制経済を主導した「革新官僚」岸信介の孫である。石破茂は大陸や半島に海を挟んで最前線のある島根出身の政治家である。著者は、団塊世代と団塊ジュニアにはさまれた「ポスト団塊世代」に、「戦前・戦中」と「戦後」をつなぐものがあるとみているのだろうか?「戦前・戦中」と「戦後」はいっけん断絶したようにみえて、じつは根底のところでつながっているのである」

書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

書評 『戦争・天皇・国家-近代化150年を問い直す-』(猪瀬直樹・田原総一郎、角川新書、2015)-「日米関係150年」の歴史で考えなければ日本という国を理解することはできない

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる

書評 『「昭和天皇実録」の謎を解く』(半藤一利・保阪正康・御厨貴・磯田道史、文春新書、2015)-「正史」として歴史的に確定した「知られざる昭和天皇像」
・・福澤諭吉の有名なフレーズ「一身にして二生を経る」をまさに体験された昭和天皇

書評 『沖縄戦いまだ終わらず』(佐野眞一、集英社文庫、2015)-「沖縄戦終結」から70年。だが、沖縄にとって「戦後70年」といえるのか?


■日米戦争と、敗戦による「国家改造」後の日本

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる
・・アメリカは「十字軍」、日本は「聖戦」という表現をつかっていた日米戦争

『日本がアメリカを赦す日』(岸田秀、文春文庫、2004)-「原爆についての謝罪」があれば、お互いに誤解に充ち満ちたねじれた日米関係のとげの多くは解消するか?

書評 『東條英機 処刑の日-アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」-』(猪瀬直樹、文春文庫、2011 単行本初版 2009)

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる

書評 『原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜-』(山岡淳一郎、ちくま新書、2011)-「敗戦国日本」の政治経済史が手に取るように見えてくる
・・米国支配下の日本という枠組みで理解できるのが原子力政策だ

日米関係がいまでは考えられないほど熱い愛憎関係にあった頃・・・(続編)-『マンガ 日本経済入門』の英語版 JAPAN INC.が米国でも出版されていた

書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある
・・国際世論を作り出すのは米英系のメディアであることを肝に銘ずるべし。それが現実だ


■日本国憲法

書評 『憲法改正のオモテとウラ』(舛添要一、講談社現代新書、2014)-「立憲主義」の立場から復古主義者たちによる「第二次自民党憲法案」を斬る

書評 『自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!』(小林節+伊藤真、合同出版、2013)-「主権在民」という理念を無視した自民党憲法草案に断固NOを!


■旧植民地の人たちにとっての日本

映画 『KANO 1931海の向こうの甲子園』(台湾、2014年)を見てきた-台湾人による台湾人のためのスポ根もの青春映画は日本人も感動させる
・・いくら「戦後」の日本人が否定しようが、「戦前」の日本人が残した遺産は否定し切れまい。そして「戦前」の日本が台湾人のアイデンティを形成していることを、日本人は直視しなければならない


■1960年代生まれの「二人のマリ」

書評 『国境のない生き方-私をつくった本と旅-』(ヤマザキマリ、小学館新書、2015)-「よく本を読み、よく旅をすること」で「知識」は「教養」となる
・・マンガ家のヤマザキマリ氏は1967年生まれ、小説家の赤坂真理氏は1964年生まれ。この二人の「マリ」は、わたしより若干若い人たちだが、共通する経験と時代感覚をもちながらも、日本の現実への「違和感」の質的な違いが感じられて面白い。ヤマザキマリ氏は14歳で、赤坂真理氏は16歳で、それそれイタリアとアメリカに出国した経験をもっていて、その経験のもつ意味を言語化しようとした内容である点が、とりわけ興味深い。

(2015年8月23日、2016年8月23日 情報追加)


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2015年3月3日火曜日

書評『昭和天皇のゴルフ ― 昭和史を解く意外な鍵』(田代靖尚、主婦の友社、2012)―「戦前」の昭和史と日本ゴルフ史との交錯点を昭和天皇に見る

(1922年に英国皇太子とプレイする摂政宮時代の昭和天皇)


かつて日本のビジネス界では「ゴルフをやらざれば人にあらず」というような「空気」が支配していたが、バブル崩壊後の「失われた20年」のおかげで、そういう空気が完全に消えてなくなった。

幸いなことに、駅のプラットフォームで折りたたんだ傘で素振りをする中年サラリーマン(・・危ない!)の姿も見ることも、いまやほとんどない。

いわゆる「バブル時代」には、わたしもビジネスマンのはしくれとして人並みにゴルフをやっていたのであるが、すっぱりとゴルフをやめてからすでに久しい。アメリカにいた頃も、タイにいた頃も、ゴルフへの誘いをのらりくらりとかわし続けたのは、わたしのなかにある「ゴルフ=バブル時代」という悪しき連想のゆえである。

ところが、「大衆化」する以前のゴルフはそうではなかったのである。まさに英国生まれの紳士のスポーツとして認知されていたのであり、プレイヤーは上流階級や産業人に限られていたようだ。

そんななかでも筆頭にくるのが昭和天皇(1901~1989)であったのである。『昭和天皇のゴルフ ー 昭和史を解く意外な鍵』(田代靖尚、主婦の友社、2012)は、昭和天皇とゴルフという、一般的にはあまり連想のない組み合わせを軸に「戦前」の昭和史を描いたものだ。昭和史×日本ゴルフ史といった内容である。

少年時代はカラダの弱かった昭和天皇は、皇太子時代に健康増強のためにすすめられたゴルフにすっかりはまってしまう。のちに結婚することになる良子皇后もテニスなどスポーツ好きで、なんと両陛下でゴルフをされることもあったという。皇居内にはゴルフコースも存在したのである。

ゴルフというと英国という連想があるが、本書によれば日本におけるゴルフはアメリカから入ってきたのであるらしい。アメリカとのビジネス上の関係の深い産業人たちが、社交として始めたものであったようだ。

もちろん日英同盟の存在は皇室外交によっても支えられていたわけであり、皇室と英国王室とはゴルフによっても結ばれていたのである。若き日の皇太子時代、外遊で英国を訪問してすっかり英国びいきになった昭和天皇にとっては、ゴルフもまたその重要なアイテムであったのであろう。本書のカバー写真(上掲)は、1922年に来日した英国皇太子とプレイする21歳当時の昭和天皇である。

「戦前」の昭和史は激動の時代である。悪化する政治経済情勢のなか、富裕層の遊びとみなされていたゴルフには厳しい目が注がれるようになってくる。これは左翼からだけでなく、右翼からもそうであった。だが、本書によれば1936年(昭和11年)の二・二六事件のあとも、昭和天皇はゴルフをやっていたらしい。緊張を迫られるなか、ストレス発散が必要だったことはおおいに理解できる。

最終的にゴルフをやめたのは1939年(昭和14年)のことだったと著者はいう。38歳の時である。この頃からゴルフよりも生物学研究に割く時間が増えていったようだ。「戦後」の昭和天皇のイメージが生物学者として存在するのはそのためだ。皇居内に設置されたゴルフコースの手入れをやめさせ、草木が生えるままにされたというエピソードを知っている人も少なくないだろう。

「戦前」のゴルフ、「戦後」の生物学研究。昭和天皇のイメージは、戦前と戦後と大きく異なるのである。

本書は、昭和天皇の皇太子時代からのゴルフとのかかわりを時系列で描いた考証ものであり、日本ゴルフ史という視点から描いた昭和史でもある。かつて皇居内に設置されていたゴルフコースの著者による再現図も興味深い。


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目 次

はじめに
1番ホール 昭和天皇は「日本のゴルフ」の草分け!
2番ホール 東京大正博覧会と東京ゴルフ倶楽部の設立
3番ホール 皇太子裕仁のヨーロッパ外遊と海外初ラウンド
4番ホール 日英同盟の終結とギリシャ vs トルコの戦い
5番ホール ゴルフ好きになった帰朝後の皇太子
6番ホール 日英両皇太子による世紀のゴルフマッチ
7番ホール ゴルフに熱中する摂政宮を襲う試練続々
8番ホール 「夫婦でゴルフ」、新宿御苑で良子妃にゴルフ伝授!
9番ホール 赤坂離宮の6ホール、那須御用邸の9ホール、皇居吹上御苑の9ホール
10番ホール 天皇と皇后が主宰する宮中ゴルフコンペ
11番ホール ウォルター・ヘーゲン来日の不思議、天覧ゴルフの謎
12番ホール 昭和天皇がゴルフを満洲事変後にやめたという説の真偽
13番ホール 球聖ボビー・ジョーンズに勝った宮本留吉プロ、英国皇太子とプレー
14番ホール 五・一五事件から二・二六事件までの天皇のゴルフ
15番ホール 英国エドワード八世、「王冠を賭けた恋」とゴルフ
16番ホール 盧溝橋事件から第二次世界大戦へ。そして天皇、ゴルフ封印
17番ホール ベーブ・ルース、サラゼンと一緒にゴルフ外交した米国グルー大使
最終ホール 終戦、平和。天皇は再びクラブを握ったのであろうか
あとがきにかえて
引用文献・参考文献


著者プロフィール

田代靖尚(たしろ・やすひさ)
1944年(昭和19年)4月5日、中国山東省青島生。東京大学文学部社会学科卒業。広告代理店の営業部長を務めた後、総合研究開発機構(NIRA)総括主幹兼「政策研究」編集長。文筆業に転職。「週刊SPA! 」、「サンデー毎日」、「夕刊フジ」にゴルフ・スポーツ・語源について連載。『アマの悩みはアマに訊け! 』(扶桑社)、『スポーツ語源クイズ55』(講談社)、『知的シングルになるためのゴルフ語源辞典』(日本経済新聞出版社)などの著書多数。現在、東京大学文学部研究生として、日本近・現代史の他、万葉集・古事記のゼミにも参加している(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。



<関連サイト>

ゴルフはなぜここまで凋落してしまったのか 半減した市場、「6000億円」増提言の現実味(東洋経済オンライン、2015年3月8日)
・・スポーツ市場全体が縮小傾向にあるなか、ゴルフ人口もまた縮小


<ブログ内関連記事>

「近代スポーツ」からみた英国と英連邦-スポーツを広い文脈のなかで捉えてみよう!

書評 『皇室外交とアジア』(佐藤孝一、平凡社新書、2007)-戦後アジアとの関係において果たした「皇室外交」の役割の大きさ

"粘菌" 生活-南方熊楠について読む-
・・昭和天皇は1929年(昭和4年)に紀州に行幸した際、おなじ粘菌学者として南方熊楠のご進講を受けている

書評 『渋沢栄一-日本を創った実業人-』 (東京商工会議所=編、講談社+α文庫、2008)-日本の「近代化」をビジネス面で支えた財界リーダーとしての渋沢栄一と東京商工会議所について知る
・・日本のビジネス界にとって最大の貿易パートナーは米国であった

「プリンシプルは何と訳してよいか知らない。原則とでもいうのか」-白洲次郎の「プリンシプル」について
・・英国仕込みの国際ビジネスマンであった白洲次郎には Play Fast という名言的モットーもあった。のろのろとプレイしていた田中角栄を叱ったというエピソードが伝えられている

(2015年6月18日 情報追加)


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