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2021年3月6日土曜日

書評『戦後民主主義-現代日本を創った思想と文化』(山本明宏、中公新書、2020)-「戦後民主主義」を軸にみた「戦後史」としてよくできた本だ

 

新刊の『戦後民主主義-現代日本を創った思想と文化』(山本明宏、中公新書、2020)を読了。これはよくできた「戦後史」の本となっているのでお薦めだ。  

「戦後民主主義」が「死語」となって久しい。それを擁護する人たちにとっては死守すべき金科玉条であったが、諸悪の根源とみなしてきた人たちにとっては嫌悪すべきものでしかなかったのが、「戦後民主主義」という6文字熟語だ。 

1984年生まれの研究者である著者は、「戦後民主主義」を要素分解すると、つぎの3つになるという。「平和主義」「直接民主主義」「平等主義」である。それぞれが「理想」である。「理想主義」の産物である。 

大東亜戦争における敗戦の結果、アメリカ占領軍によって「解放」された日本で花開いたのが「戦後民主主義」とよばれるものであった。 

だが、ことば自体は1960年代に生まれたものだという。ただし、敗戦後の数年間を除いては、現在から振り返ると意外なことに、つねに否定の対象となってきた。現在ではすでに忘却の彼方にあるといっても差し支えない。すでに日本近現代史上の専門用語なのであろう。 

そんな「戦後民主主義」をめぐる思想と文化を、そのときどきの政治情勢(それはもちろん経済情勢と大いにかかわりのあるものだ)を踏まえて75年の歴史として記述したのが、この本である。 

よくできた「戦後史」になっているのは、「戦後史」の75年というスパンを俯瞰的に見ながら、同時に各時代のディテールが読ませるものになっているからだ。 

細々とした固有名詞がうっとうしいと思う人もいるだろう。だが、論説だけでなく小説や映像作品などにも具体的に言及しながら、それぞれがどう「戦後民主主義」を反映しているか(賛成にせよ反対にせよ)が興味深い。自分がよく知っている時代と作品なら、なおさらだろう。 

それにしても、1984年生まれにしては、よく時代ごとの特徴をつかまえているなあと感心する。著者の専門が、日本近現代史を中心としながらも、メディア文化史と歴史社会学にもまたがっているからだろう。研究対象とはいえ、著者自身が生まれる前の作品までよく見ている。

著者の立ち位置は、「戦後民主主義」にも継承すべきものはあるというものだ。日本における「民主主義」が、けっしてアメリカ占領軍によって上から与えられたものではない、という基本的な考えさえはずさなければ、その見解には賛成である。

アメリカ占領軍による「日本人洗脳工作」は否定しょうのない歴史的事実であり、民主化の流れが「五箇条の御誓文」に端を発した「自由民権運動」にあることは言うまでもない。

読者にとって、自分が生きてきた時代の振り返りになるだけでなく、世代を越えた共通事項を確認することで、世代間コミュニケーションを図るための材料ともなりうる内容の本である。


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目 次
はじめに
第1章 敗戦・占領下の創造-戦前への反発と戦争体験
第2章 浸透する「平和と民主主義」 1952~60年 
第3章 守るべきか、壊すべきか 1960~73年 
第4章 基盤崩壊の予兆 1973~92年
第5章 限界から忘却へ 1992~2020年
終章 戦後民主主義は潰えたか 
あとがき
主要参考文献
戦後民主主義 関連年表


著者プロフィール
山本昭宏(やまもと・あきひろ)
1984年奈良県生まれ。2007年京都大学部文学部卒。2012年京都大学大学院文学研究科現代文化学専攻二十世紀学専修博士後期課程修了。博士(文学)。日本学術振興会特別研究員などを経て、神戸市外国語大学外国語学部准教授。日本近現代史、メディア文化史、 歴史社会学。著書に『核エネルギー言説の戦後史 1945~1960』(人文書院,2012年)、『核と日本人』(中公新書、2015)、『教養としての戦後<平和論>』(イーストプレス、 2016)、『大江健三郎とその時代』(人文書院,2019年)。編著に『近頃なぜか岡本喜八』(みずき書林、 2020)がある。(奥付より)


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2021年3月3日水曜日

書評『タイワニーズ-故郷喪失者の物語』(野嶋剛、小学館、2018)-「戦後日本」と台湾の絆をつないできた人たちを描いたファミリー・ヒストリー集

 
『タイワニーズ-故郷喪失者の物語』(野嶋剛、小学館、2018)を読んだ。「戦後日本」と台湾の絆をつないできた人たちを描いたファミリー・ヒストリー集だ。 

帯には「日本は台湾を二度も捨てた」という、一瞬どきっとする文言が書かれている。 それはまず、1945年8月15日に大東亜戦争の敗戦によって大日本帝国が崩壊したとき、そして1973年に日中国交回復にともなって台湾(=中華民国)と断交したときのことを指している。

歴史的事実としては知っていても、あらためてその文言を見ると、少なからぬ衝撃を受けるものだ。 

だが、帯には次の文言が小さな活字で記されている。「それでも彼らがいたから、強く、深くつながり続けた」のだ、と。この文言で読者は救われた気持ちになる。

取り上げられているのは、政治家の蓮舫とエコノミストのリチャード・クー、作家の東山彰良と温又柔、芸能界からはジュディ・オングと余貴美子、食の世界からは「551蓬莱」の創業者・羅邦強と日清食品の創業者・安藤百福。そしてすでに物故している作家の陳舜臣と邱永漢。 

もちろん、ほかにも取り上げるべき人は少なくないだろう。本人が台湾出身ではなくても、二世や三世は多い。日本国籍を取得して日本名を名乗っていても、日本語しかしゃべらなくなっていても、ルーツを大事にするのが華人である。 先祖から現在に至るファミリーの家系図は「族譜」にまとめられる。

この人は取り上げないのかなと思って読み進めていたが、まさにその人が「終章 タイワニーズとは」で取り上げられていたのがうれしい。台湾客家(ハッカ)であることを誇りにしていた戴國煇(たい・くおふぇい)先生のことだ。当時、立教大学教授だった先生がわが母校に出講されており、土曜日の少数参加の特別講義で謦咳に接したことがある。 

台湾じしんが多言語国家であり多文化国家であり、この本に取り上げられた人たちもまた、出身地や来日の動機、国籍や政治的立ち位置など、それぞれ大きく異なっている。 

現代史に翻弄されてきた人たちである。「台湾人」とひとくくりにすることが難しいのである。だからこそ「タイワニーズ」なのである。 

マイノリティーの文化がマジョリティーである日本文化と「共生」できるなら、それは素晴らしいことだ。「戦前」の大日本帝国時代に始まるよき「伝統」を、今後も続けていきたいものである。

その意味でも、「戦後日本」と台湾の絆をつないできた台湾ルーツの人たちについて知ることの意味は大きいのである。


目 次
まえがき
第1章 政治を動かす異邦人たち
 蓮舫はどこからやってきたか 
 日本、台湾、中国を手玉にとる「密使」の一族 辜寛敏&リチャード・クー 
第2章 台湾で生まれ、日本語で書く 
 「江湖」の作家・東山彰良と王家三代漂流記 
 おかっぱの喧嘩上等娘、排除と同化に抗する 温又柔 
第3章 芸の道に羽ばたく 
 究極の優等生への宿題 ジュディ・オング 
 客家の血をひく喜びを持って生きる 余貴美子 
第4章 日本の食を変革する 
 「551蓬莱」創業者が日本にみた桃源郷 羅邦強
 カップヌードルの謎を追って 安藤百福
第5章 帝国を背負い、戦後を生きる 
 3度の祖国喪失 陳舜臣
 国民党のお尋ね者が「金儲けの神様」になるまで 邱永漢
最終章 タイワニーズとは
あとがき
年表/参考文献


著者プロフィール
野嶋剛(のじま・つよし)
ジャーナリスト、大東文化大学社会学部特任教授。元朝日新聞台北支局長。1968年生まれ。上智大学新聞学科卒。政治部、台北支局長、国際編集部次長、AERA編集部などを経て2016年4月に独立し、中国、台湾、香港、東南アジアの問題を中心に、活発な執筆活動を行っている。『イラク戦争従軍記』(朝日新聞社)、『ふたつの故宮博物院』(新潮選書)、『銀輪の巨人 ジャイアント』(東洋経済新報社)、『ラスト・バタリオン 蒋介石と日本軍人たち』(講談社)、『台湾とは何か』(ちくま新書)など著書多数。


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2021年2月28日日曜日

書評『パステルナーク事件と戦後日本 ー「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』(陶山幾朗、恵雅堂出版、2019)ー 1958年の日本の知識階層の精神風景を丹念に跡づけた好著

 

 先日のことだが、『パステルナーク事件と戦後日本-「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』(陶山幾朗、恵雅堂出版、2019)という本を読んで、たいへん充実した読後感を抱いた。  1958年の「パステルナーク事件」という知られざる事件にまつわる日本の知識階層の精神風景を描いたものだ。 

パステルナークはソ連時代に生きたロシアの詩人。ロシア革命とその後に続いた内戦を舞台にしたヒューマン・ドラマの映画『ドクトル・ジバゴ』(1965年)の原作者である(*現在に至るまで原作を読む機会がないのが残念だ。映画のほうはなんども繰り返し見ているのだが・・)
 



そのパステルナークが心血を注いで完成させたものの、当時のソ連では出版できなかった大河小説『ドクトルジバゴ』が、1957年にイタリアで出版されたことに始まるのが「パステルナーク事件」(1958年)だ。 当時すでに「ハンガリー動乱(あるいは革命)」(1956年)によって、ソ連と共産主義への支持に陰りが見え始めていた時期である。 

1958年度のノーベル文学賞が、パステルナークに授与されることが発表され詩人が受諾したにもかかわらず、わずか1週間で辞退するに至った。ソ連の体制側からの激しい誹謗中傷と圧力がかかったからである。ロシアにとどまりたかった詩人は、受賞を断念することを余儀なくされた。本書の記述を読めば、それはもう、すさまじいの一言に尽きる。これが第3章までの内容だ。 

このうような「パステルナーク事件」について、世界中の文学者たちから「表現の自由」を守れとして大きな非難が起こったのだが、日本のペンクラブではかならずしもそうではなかった。 

日本国内と日本以外では、温度差の違いと要約できるもの以上のものがあったこと、「1958年の日本の知識階層の精神風景」を綿密に描き出したのがこの著作である。 

戦前の挫折した社会主義運動という屈折した前史をもつ、この特殊ともいえる「1958年の日本の知識階層の精神風景」をあぶり出すことになったのが、日本ペンクラブの外国人会員であった米国人の日本文学研究者で『源氏物語』の英訳者である)エドワード・サイデンステッカーによる異議申し立てであり、ちょうどその頃に来日した著作家のアーサー・ケストラーであった。 

1958年は、「反米ナショナリズム」が燃えさかった「60年安保」の前夜であり、当時の日本ではアメリカの大衆文化が圧倒的な影響力をもちながらも、同時に反米意識がかなり強く存在した時代だ。そんな時代に、米国人からの異議申し立てに対して左翼的傾向の強い文学者たちが、どのような反応を示したかというと、現在では想像するのも難しい。 

さらにいえば、もともと熱心な共産党員であったが、その後共産党と縁を切った経験をもつケストラーにとって、日本の文学者たちの姿勢は当然容認できるようなものではなかったのである。ケストラーの『真昼の暗黒』(1940年)は、そんなソ連の体制を徹底批判して世界的ベストセラーになっている。 

冷戦時代のソ連、そして日本。獲得形質は遺伝するとしてソ連で公認されていたルイセンコ学説をめぐる興亡。せっかく著作家ケストラーとルイセンコ学説の双方を別個に取り上げながら、ケストラーの『サンバガエルの謎』(1971年)に触れなかったのは、画竜点睛を欠くというか、ちょっと残念だったような気もする。だが、こんな内容を400ページのボリュームでまとめたこの著作は、じつに充実した内容で読みごたえがあった。 


驚いたことに、著者の陶山幾朗氏は、なんと『パステルナーク事件と戦後日本-「ドクトル・ジバゴ」の苦難と栄光』の出版直前に78歳で急逝されていたらしい。「刊行への経緯」に記されている。だから。この本が文字通りの遺作となったことになる。 

それにしても、素晴らしい内容の著作を残していただいたものである。万人向けの本でないが、このテーマに関心のある人は、読んでけっして損のない本であると言っておきたい。 


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目 次
序章 発端-1958年10月23日
第1章 祝福から迫害へ-1958年10月23日~11月6日
第2章 「事件」前史-1956~58年
第3章 日本語版『ドクトル・ジバゴ』狂騒曲
第4章 糾弾者エドワード・サイデンステッカー
第5章 「文士」と政治-高見順(1)
第6章 「怖れ」と「美化」と-高見順(2)
第7章 「モスクワ芸術座」という事件
第8章 《害虫》のポリティクス
第9章  “ワルプルギスの夜” の闇
第10章 『真昼の暗黒』の来日-アーサー・ケストラー(1)
第11章 「目に見えぬ文字」への道程-アーサー・ケストラー(2)
第12章 “勝利” の儀式?-第3回ソビエト作家大会(1)
第13章 クレムリン宮殿の中野重治-第3回ソビエト作家大会(2)
第14章 「事件」の終わり-かくて人びとは去り…
補遺
わが国メディアに現れた「パステルナーク事件」関連論評(1958~1967)
「パステルナーク事件」関連年表
跋 天上のことばを、地上にあって 工藤正廣
あとがき
刊行までの経緯


著者プロフィール
陶山幾朗(すやま・いくろう)
1940年生まれ。1965年早稲田大学第一文学部卒。著書に『シベリアの思想家ー内村剛介とソルジェニーツィン』(風琳堂)、『内村剛介ロングインタビュー』(恵雅堂出版)、『現代思潮社という閃光』(現代思潮社)、編集『内村剛介著作集』全七巻(恵雅堂出版)。 雑誌『VAV』同人。 2018年11月2日 急逝(78歳)。



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2015年8月22日土曜日

『愛と暴力の戦後とその後』 (赤坂真理、講談社現代新書、2014)を読んで、歴史の「断絶」と「連続」について考えてみる



2014年5月に出版された『愛と暴力の戦後とその後』は、わたしがジュンク堂の店頭で手に取った2015年4月の時点で、2015年2月の第8刷となっていた。話題のベストセラーになっているようだ。

読むことにしたのは、ベストセラーであることも理由の一つである。この人の評論はすでに『モテたい理由』(講談社現代新書、2007)を読んでいて面白いと思っていたのだが、あえてまた読むまでもあるまい、と

ベストセラーになってから読むというのはけっして悪いことではない。むしろ、なぜベストセラーになっているのか自分で検証してみるつもりで読むと、「いま」という時代の日本人が漠然と感じていることをつかむキッカケともなるからだ。

読んでみての感想は、著者による自問自答を重ねた内容に、「戦後日本」とはいったい何だったのか考えてみるヒントがある、ということだ。おそらく多くの人が同様の感想をもつことだろう。

著者は「まえがき」をこう書いている。短いので全文を引用しておこう。
     
「これは、研究者ではない一人のごく普通の日本人が、自国の近現代史を知ろうともがいた一つの記録である。
それがあまりにわからなかったし、教えられもしなかったから。
私は歴史に詳しいわけではない。けれど、知る過程で、習ったなけなしの前提さえも、危うく思える体験をたくさんした。
そのときは、習ったことより原典を信じることにした。
少なからぬ「原典」が、英語だったりした。
これは、一つの問いの書である。
問い自体、新しく立てなければいけないのではと、思った一人の普通の日本人の、その過程の記録である。


1964年生まれの著者の世代と「戦後」認識

著者は1964年生まれ、わたしとは2歳違いである。ほぼ同世代といっていいだろう。

著者は、個人的な体験をもとに「1980年の断絶」について書いているが、その年に16歳の著者は1年間アメリカに高校留学していたのだという。日本の高校に不適応だったからだ。アメリカ留学にも挫折して日本に帰国してから、大きな違和感を抱いたのである、と。

世界的にみれば「1979年」こそ「断絶の年」だ。英国でサッチャー政権誕生、イランでイスラーム革命が勃発、そして年末のソ連によるアフガン侵攻など激動の年であった。日本にかんしていえば、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』というほめ殺し本の日本語訳が出版されたのが1979年だ。その翌年の1980年に「断絶」が顕在化し始めたといえるかもしれない。著者の直感はじつに鋭い。

1980年は松田聖子がデビューした年であった。「革命」と評価を下す同世代人がいる一方、著者にとっては、あまり意味のない出来事だったのかもしれない。だが、日本にとっても、1980年が断絶の年となったことは確かだろう。

1964年前後生まれの著者の立ち位置は、「戦前」につながる「戦後」の痕跡をところどころに感じることができながら、学校教育やマスコミをつうじて、「戦前」と「戦中」が全面否定されていくなかで育った世代だと要約できるかもしれない。

1962年生まれのわたし個人について言えば、小学生の頃には地上波では再放送がなかった幻の名作アニメ『アニメンタリー決断』をリアルタイムでテレビで見て学校で話題にしていた世代であり、「戦前」や「戦中」を遠い存在と感じていたわけではない。

だが、その後、学校教育やマスコミをつうじて、だんだんと戦争そのものがタブー視されていったような記憶がある。追い討ちをかけたのは、政治問題と化した靖国問題ではなかろうか。バブル期のなか、英霊なんてことを口にすることすらはばかれる時代となってしまったのだ。わたし自身、いまから7年前の2009年8月15日まで靖国神社を参拝することは心理的抵抗があってできなかったのだ。呪縛されていたのである。

だからこそ、「戦後とその後」を生きてきた日本人が自明と思っていることが、じつは見ないように避けてきた結果に過ぎないことは、著者に指摘されてあらためて、うなづくのである。

以下、本書に関連するトピックについて、個人的な感想をつづってみたいと思う。





「愛と暴力」の「敗戦と占領」

『愛と暴力の戦後とその後』というタイトルは、なかなか意味深だ。

2015年は「戦後70年」とされ、日本国内では大きな話題になっているが、じっさいのところ、「戦後」とよばれる時代区分が、2011年3月11日に東日本大震災と原発事故によって終わっているという認識はすでに広く共有されているのではなかろうか。わたし自身についていえば、正直いって、あまり「戦後70年」という感慨は湧いてこない

なぜ「戦後とその後」に生きている日本人は、それ以前の「歴史」から切り離されているように感じるのか? これは本書で提起されている問いを貫いているものだ。

精神的空洞、存在の底が抜けているという感覚、宙ぶらりんの空中浮遊感。なにかが隠されているのではないか? 自分を守るために、臭いものに蓋をして見て見ぬふりをしてきたのではないか? 

「臭いものに蓋」という表現は適切ではないかもしれないが、個人的に大きなトラウマを抱えた人は、それを誰にも語らずに抱え込んでしまうというケースは、日本の戦争体験者だけでなく、ホロコーーストの体験者にも見られることだ。そんなことはクチにするのはおろか、考えたくもない、と。

おそらく最初は見て見ぬふりをしてきたのだろう。だが、こういう自覚をもっている段階はまだいい。それはその個人、その世代が抱えている個人的、世代的トラウマであるからだ。これは個別に解消するしかない。

だが、敗戦経験をもった世代の次の世代の人間にとっては、「最初から隠されていたもの」となってしまっていることになる。存在そのものを知らないということになってしまう。そこに問題がある。



合理的機制と精神的解離

精神的に抑圧しずぎると、かえってはけ口をもとめた感情が爆発するということは、だれもが経験していることだろう。

アメリカ占領軍による「日本改造」から「愛と暴力の戦後」が始まった結果、日本人は「戦中」と一緒に「戦前」も否定し去ってしまったことが、「歴史」からの切り離され感を生み出してきたことは間違いない。

たしかにアメリカ占領軍は、「戦中」の日本を「戦前」の産物として、すべてを否定した。だが、アメリカ占領軍の占領政策が成功したのは、日本人の多くが「敗北を抱きしめた(ジョン・ダウワー)からだ。占領軍を進駐軍と言い換え(・・侵略を進出と言い換える心理的メカニズムを想起する)、日本人の多くがアメリカの占領政策を支えたことはまぎれもない事実である。

見ないふりをしてきたツケがまわってきている。そのツケは精神的空洞をもたらしているし、いわゆるネトウヨに代表されるように、「いままで騙されてきた感」という過剰なエネルギーの逆噴射もある。見ないふりをしてきたが、もはや決壊も近いのなのかもしれない。

いわば歴史を無視してきいたことのツケ、歴史の復讐であり、歴史の逆襲といえるかもしれない

たとえば、わたしも含めて戦後生まれの日本人が教育されてきたことの一つに、日本に民主主義はなかった、戦争に負けたことによってアメリカ占領軍から与えられたのだという言説がある。これはじつは正しくない。明治時代の自由民権運動を意図的に無視した言説だ。占領政策をスムーズに進めるためのインテリジェンス作戦であったと考えるべきだろう。ある種の洗脳工作である。

アメリカ占領軍による検閲に基づいた情報操作については、すでに多くの指摘や研究が蓄積されている。そしてその流れに乗っかったのが、左派知識人たちによる「戦前」否定の論調である。圧倒的多数の日本人が受け入れたのは、敗戦を終戦として「抱きしめた」からである。上からの一方的な受け身ではなかった。

最初は主体的な選択の結果であったのだが、その経緯は忘却され、「受け入れた歴史」をそのまま無意識レベルにまで浸透させ内面化させてしまったのである。その意味では、戦時中と同様に、「戦後」もまた、意識的な選択によって「集団催眠状態」にあったというべきかもしれない。

「隠れた神は恐ろしい」という表現もある。だがそれは「隠されてきた」わけではない。見ようと思えば見ることはできるし、知ろうと思えば知ることはできる。すでに多くの論者が、アメリカ占領軍が日本と日本人に何をしてきたのかを解明している。

だが、知ろうという気持ちを起こさなければ、最初からなかったことにされてしまっているもの。あえてそこに目を向けさせないように、巧妙に違う方向を見るように仕向けられてきたこと。そのことにまったく気がつかないできたということ。じつに恐ろしいことではないか!

考えてみれば、著者が指摘するまで、憲法の「憲」が、憲兵の「憲」であることなど考えたこともない。多くの人もまた虚を突かれたのではないか? 

正直なところ、わたしももまた憲法に該当する英語が、constitute(=構成する)という動詞の名詞形である Constitution という以外は考えていなかった。日本語に食い込んで抜けない漢字の呪縛については、あらためて考える必要があることを痛感する。

言語明瞭意味不明なのは米語由来のカタカナ語だけではなく、戦中の八紘一宇(はっこういちう)などの漢字語もまた同様である。



歴史の「断絶」と、それにもかかわらず存在する「連続性」

日本の旧植民地や被占領地の人たちが親日的な発言をしたり、感謝を表現することがある。日本のおかげで独立できたのだとか、植民地時代をなつかしむ発言、とか。

そういう話をきくと、なんだか面映ゆい思いをしたり、申し訳ない気持ちになったり、あるいはなぜ感謝されるのか肌感覚でピンとこないということもあろう。

かれらが評価しているのが、日本人自身が否定的に捉えている「戦中」であり「戦前」であるからだ。だから、評価されてもいまひとつピンとこない、あるいはなぜ評価されるのかわからないという気持ちになる。「戦中」や「戦前」は、「戦後」からみて否定されるべき時代ではなかったのか、と。

「戦後」と「その後」を生きてきた日本人にとって、「戦中」と「戦後」とが「断絶」しているのに対し、旧植民地の人たちのなかでは「連続」しているのである。もちろんノスタルジーということもあって、過去が美化される傾向があるのかもしれない。だが、かれらの発言によって、かれらのなかで生きている日本人観と、じっさいに生きている生身の日本人の意識とのあいだにギャップが存在することを知ることができる。

歴史の断絶と連続性回復というテーマで想起するのは、ドイツ再統一によって消滅した国家である東ドイツ(=ドイツ民主共和国)のことである。ドイツもまた「戦後70年」であるが、この事実に目をつぶるべきではない。

敗戦後の冷戦構造のなか東西分割されたドイツだが、東ドイツはソ連、西ドイツはアメリカとイデオロギーをまったく異にする支配者のもとで異なる国づくりを行い、その結果、ドイツ戦後史にかんしては異なる歴史をつくりあげることになった。

西ドイツは、併合した側なので歴史に断絶はない。だが、併合された側の東ドイツは、東西再統一がなされて以後の歴史とそれ以前の歴史とに大きな断絶が生まれている。それが、旧東ドイツ国民のあいだで鬱屈した不満を産み出していることが、これまで指摘されてきた。

いまにいたるまで旧東ドイツ出身者が感じている精神的な違和感は、みずからの「歴史」が否定されたこと、つまりアイデンティティを否定されたことにほかならない。経済的な格差だけが原因ではないのだ。「再統一」から25年以上たっても、断絶した歴史を連続したものに切り替える心理的作業は完成していないのである。

現実問題としては、「戦前」を否定したのが西ドイツであり、「戦前」がそのまま温存されたのが東ドイツというねじれ構造がある。西ドイツの戦後史は、ある意味では日本の戦後史と似ている。もちろん、安直な比較は無意味である。

「断絶」後の歴史を、どう「断絶」前の歴史と「つなぐ」か、これはドイツなど敗戦国共通の課題だが、ある意味では日本人が抱えている問題と共通するものがあるように思われる。

日本人は「戦後とその後」の現代ドイツ史で、思考実験してみることも必要かもしれない。もちろん、安直な比較論は有害であるが。



断絶した「戦後とその後」と「戦中・戦前」を「つなぐ」ために

正常化 ノーマリゼーションのプロセスがいま進行中であると、わたしは考えている。それはけっして右傾化でもなんでもない。「進歩派」であったはずの左派が頑迷な「保守派」となる。

日本の場合、「戦前・戦中」と「戦後」を連続性を担保してきたのは、端的にいって天皇制である。

もちろん、近代天皇制は明治国家にようる「作られた伝統」であり、それ以前の前近代の天皇制(・・この表現じたいは昭和以前には存在しなかった)とは、制度としては「断絶」がある。だが、天皇家の血筋によって「連続」が保たれてきたのである。

明治時代以降、近代化を推進するなかで、国民教化の観点から、西欧社会におけるキリスト教にかわる精神的権威として天皇の神格化が行われたのだが、これはあくまでも世俗の政治権力が設計して構築した「近代の産物」であり、当然のことながら「創られた伝統」である。

「神格化された天皇」像は、大東亜戦争の敗北によって完全に潰えるに至る。「神話」は否定されたが、同時に「歴史=物語」も一緒に捨て去られてしまった。その後の、日本人の精神的空洞はこれに起因すると主張する論者は少なくはない。三島由紀夫や小室直樹の問題提起もまた、現在では忘れ去られているのかもしれない。

敗戦によって「神話」は否定されたが、「高度成長」という大きな「物語」が作り出された。「企業戦士」という表現は、ある種の代償行為のような響きをもつ。だが、「高度成長」の達成後は、日本人が共有するあらたな「物語」が生まれることなく、日本も日本人も迷走を続けている。

思うに、日本と日本人が「敗戦」による「終戦」という断絶を体験しながらも生き延びてこれたのは、昭和天皇という、戦前と戦後を貫く存在が、生身の肉体を備えた一人の人間によって「断絶」をつなぎとめてきたからだ。これは著者も指摘するとおりだ。

個人的には、昭和63年(1988年)に昭和天皇が崩御したとき(・・その時点ではまだ「昭和天皇」という諡号(おくりな)は決まっていなかった)、これでなにかがすべて終わったという思いに囚われた。ほんとうは、この時点ですでに「戦前・戦中」と「戦後」を連続体とした昭和時代の終わりとともに、「戦後」は終わっていたのかもしれない。

昭和天皇の長男である今上天皇陛下の最大の貢献は、つねに戦没者の慰霊をつうじて「戦中」を喚起させていただいていることだろう。「戦中」と「戦前」そして「戦後とその後」の「連続」を身を以て体現しておられるのである。

度重なる迫害を乗り越え、離散のなかでも生き延びてきたユダヤ民族にとっては、律法と教典が民族性を担保するよりどころとして機能してきた。日本民族にとってそれに該当するのは、「万世一系」の天皇という存在ではないか、と。



以上、『愛と暴力の戦後とその後』 を読んで感じたことを、個人的な感想として書き連ねてみたが、当然のことながら、読者によって感じることはさまざまだろう。

『愛と暴力の戦後とその後』 という本は答えを導き出した本ではない。一人の日本人が、一人ひとりの日本人に向けて問いを提示した本である。

読者自身が考えるためのキッカケの本として、再読、三読してみる意味のある本であるといえよう。それほど、大きな問いなのである。答えがでることのない・・・。
  

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目 次

プロローグ 二つの川
第1章 母と沈黙と私
第2章 日本語は誰のものか
第3章 消えた空き地とガキ大将
第4章 安保闘争とは何だったのか
第5章 1980年の断絶
第6章 オウムはなぜ語りにくいか
第7章 この国を覆う閉塞感の正体
第8章 憲法を考える補助線
終 章 誰が犠牲になったのか
エピローグ まったく新しい物語のために

著者プロフィール 

赤坂真理(あかさか・まり)
1964年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒。作家。1990年に別件で行ったバイト面接で、なぜかアート誌の編集長を任され、つとめた。編集長として働いているとき自分にも原稿を発注しようと思い立ち、小説を書いて、95年に「起爆者」でデビュー。著書に『ヴァイブレータ』(講談社文庫)、『ヴォイセズ/ヴァニーユ/太陽の涙』『ミューズ/コーリング』(ともに河出文庫)、『モテたい理由』(講談社現代新書)など。2012年に刊行した『東京プリズン』(河出書房新社)で毎日出版文化賞・司馬遼太郎賞・紫式部文学賞を受賞。神話、秘教的世界、音楽、そして日々を味わうことを、愛している。(カバー袖より)



PS 『東京プリズン』という小説作品について
  
このブログ記事をかいてから、著者の小説作品である『東京プリズン』(河出文庫、2014 単行本諸般 2012)を読んだ。『愛と暴力の戦後とその後』 とあわせて読むと、より著者の表現したかったことが理解できるのではないか、と思う。

この長編小説は私小説ではないが、著者自身の体験をもとにした小説は、日本と日本人にとっての「戦後」を、より広くかつ深い次元で考えることができるのではないかともう。とくに16歳の著者が体験したアメリカという異世界についての描写は、じつによく言語表現されていると感じた。

1980年という舞台設定は、1980年代後半のバブル期に激化した「日米経済戦争」以前であり、しかも崩御によって昭和天皇という諡号(おくりな)が命名される以前の時代である。「日米戦争」と「東京裁判」、そして天皇の責任問題などについて考えるには、タイミングとしても悪くない。

ネイティブアメリカン(先住民)、日本人、ベトナム人… 共通するのは、戦争において殺戮された人たちであるということだ。殺されたのは軍人だけではない。空爆や原爆投下で多数の一般市民が殺されたのである。

「東京裁判」を高校の授業の一環としてディベート形式で行うという設定から、いかなる議論が飛び出してくるのか?

『愛と暴力の戦後とその後』は、小説という形式では書かなかったエッセイといえるかもしれない。

(2015年8月23日 記す)




<関連サイト>

下記サイトで 『愛と暴力の戦後とその後』の第1章が読める

日本にとってアメリカとは何か-戦後日本が抱えた無意識の屈折-【特別公開】赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』1 (現代ビジネス、2015年8月13日)

なぜ原爆投下による民間人大虐殺は罪に問われないのか?-日本人に埋め込まれた「2つの思考停止」-【特別公開】赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』2  (現代ビジネス、2015年8月14日)

なぜ日本人は昭和天皇を裁けなかったのか-【特別公開】 赤坂真理『愛と暴力の戦後とその後』3 (現代ビジネス、2015年8月15日)



<ブログ内関連記事>

「戦前・戦中」と「戦後」を連続性のものとして捉える

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える
・・この本に収録された安倍晋三と石破茂という、1950年代中期生まれの「ポスト団塊世代」の二人の自民党政治家・・(中略)・・ 「1954年生まれの安倍晋三、1957年生まれの石破茂という「ポスト団塊世代」の政治家二人。奇しくも復活した第二次安倍内閣で総理大臣と自民党幹事長(2014年当時)という要職についている二人である。安倍晋三は満洲国で統制経済を主導した「革新官僚」岸信介の孫である。石破茂は大陸や半島に海を挟んで最前線のある島根出身の政治家である。著者は、団塊世代と団塊ジュニアにはさまれた「ポスト団塊世代」に、「戦前・戦中」と「戦後」をつなぐものがあるとみているのだろうか?「戦前・戦中」と「戦後」はいっけん断絶したようにみえて、じつは根底のところでつながっているのである」

書評 『マンガ 最終戦争論-石原莞爾と宮沢賢治-』 (江川達也、PHPコミックス、2012)-元数学教師のマンガ家が描く二人の日蓮主義者の東北人を主人公にした日本近代史

書評 『戦争・天皇・国家-近代化150年を問い直す-』(猪瀬直樹・田原総一郎、角川新書、2015)-「日米関係150年」の歴史で考えなければ日本という国を理解することはできない

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる

書評 『「昭和天皇実録」の謎を解く』(半藤一利・保阪正康・御厨貴・磯田道史、文春新書、2015)-「正史」として歴史的に確定した「知られざる昭和天皇像」
・・福澤諭吉の有名なフレーズ「一身にして二生を経る」をまさに体験された昭和天皇

書評 『沖縄戦いまだ終わらず』(佐野眞一、集英社文庫、2015)-「沖縄戦終結」から70年。だが、沖縄にとって「戦後70年」といえるのか?


日米戦争と、敗戦による「国家改造」後の日本

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる
・・アメリカは「十字軍」、日本は「聖戦」という表現をつかっていた日米戦争

『日本がアメリカを赦す日』(岸田秀、文春文庫、2004)-「原爆についての謝罪」があれば、お互いに誤解に充ち満ちたねじれた日米関係のとげの多くは解消するか?

書評 『東條英機 処刑の日-アメリカが天皇明仁に刻んだ「死の暗号」-』(猪瀬直樹、文春文庫、2011 単行本初版 2009)

書評 『ワシントン・ハイツ-GHQが東京に刻んだ戦後-』(秋尾沙戸子、新潮文庫、2011 単行本初版 2009)-「占領下日本」(=オキュパイド・ジャパン)の東京に「戦後日本」の原点をさぐる

書評 『原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜-』(山岡淳一郎、ちくま新書、2011)-「敗戦国日本」の政治経済史が手に取るように見えてくる
・・米国支配下の日本という枠組みで理解できるのが原子力政策だ

日米関係がいまでは考えられないほど熱い愛憎関係にあった頃・・・(続編)-『マンガ 日本経済入門』の英語版 JAPAN INC.が米国でも出版されていた

書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある
・・国際世論を作り出すのは米英系のメディアであることを肝に銘ずるべし。それが現実だ


日本国憲法

書評 『憲法改正のオモテとウラ』(舛添要一、講談社現代新書、2014)-「立憲主義」の立場から復古主義者たちによる「第二次自民党憲法案」を斬る

書評 『自民党憲法改正草案にダメ出し食らわす!』(小林節+伊藤真、合同出版、2013)-「主権在民」という理念を無視した自民党憲法草案に断固NOを!


旧植民地の人たちにとっての日本

映画 『KANO 1931海の向こうの甲子園』(台湾、2014年)を見てきた-台湾人による台湾人のためのスポ根もの青春映画は日本人も感動させる
・・いくら「戦後」の日本人が否定しようが、「戦前」の日本人が残した遺産は否定し切れまい。そして「戦前」の日本が台湾人のアイデンティを形成していることを、日本人は直視しなければならない


1960年代生まれの「二人のマリ」

書評 『国境のない生き方-私をつくった本と旅-』(ヤマザキマリ、小学館新書、2015)-「よく本を読み、よく旅をすること」で「知識」は「教養」となる
・・マンガ家のヤマザキマリ氏は1967年生まれ、小説家の赤坂真理氏は1964年生まれ。この二人の「マリ」は、わたしより若干若い人たちだが、共通する経験と時代感覚をもちながらも、日本の現実への「違和感」の質的な違いが感じられて面白い。ヤマザキマリ氏は14歳で、赤坂真理氏は16歳で、それそれイタリアとアメリカに出国した経験をもっていて、その経験のもつ意味を言語化しようとした内容である点が、とりわけ興味深い。

(2015年8月23日、2016年8月23日 情報追加)


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