「アタマの引き出し」は「雑学」ときわめて近い・・日本マクドナルド創業者・藤田田(ふじた・でん)に学ぶものとは?

◆「アタマの引き出し」つくりは "掛け算" だ : 「引き出し」 = Σ 「仕事」 × 「遊び」
◆酒は飲んでも飲まれるな! 本は読んでも読まれるな!◆ 
◆一に体験、二に読書、その体験を書いてみる、しゃべってみる!◆
◆「好きこそものの上手なれ!」◆

<旅先や出張先で本を読む。人を読む、モノを読む、自然を読む>
トについてのブログ
●「内向きバンザイ!」-「この国」日本こそ、もっとよく知ろう!●

■■ 「むかし富士山八号目の山小屋で働いていた」全5回 ■■
 総目次はここをクリック!
■■ 「成田山新勝寺 断食参籠(さんろう)修行(三泊四日)体験記 」全7回 ■■ 
 総目次はここをクリック!
■■ 「庄内平野と出羽三山への旅」 全12回+α - 「山伏修行体験塾」(二泊三日)を中心に ■■
 総目次はここをクリック!


「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!

「個」と「組織」のよい関係が元気をつくる!
ビジネス寄りでマネジメント関連の記事はこちら。その他の活動報告も。最新投稿は画像をクリック!



ご意見・ご感想・ご質問 ken@kensatoken.com にどうぞ。
お手数ですが、コピー&ペーストでお願いします。

© 2009~2026 禁無断転載!



ラベル 歴史記述 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 歴史記述 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2022年7月6日水曜日

書評『ガリツィアのユダヤ人ーポーランド人とウクライナ人のはざまで』(野村真理、人文書院、2008)-複雑な歴史をもつウクライナ西部をユダヤ人を軸に見る


 
『ガリツィアのユダヤ人ーポーランド人とウクライナ人のはざまで』(野村真理、人文書院、2008)読了。テーマへの関心から読むつもりで購入してから14年もたってしまった。  

2022年2月24日に始まったウクライナ戦争で、ウクライナ西部の都市「リヴィウ」の名前が日本でもよく言及されるようになった。

だが、ウクライナ語の「リヴィウ」は、かつてポーランド語で「ルヴフ」ソ連時代にはロシア語で「リヴォフ」と呼ばれていたのである。複雑な歴史を背負っているのである。 

そんなウクライナ西部の都市リヴィウを舞台にして、ウクライナ人の視点でも、ポーランド人の視点でもなく、いまはほぼ消滅してしまったユダヤ人を軸に歴史をみていくことで、ポーランド人とウクライナ人の一筋縄ではいかない複雑な関係を知ることができる。中東欧のユダヤ史をテーマに研究してきた著者ならではといえよう。


■「ウクライナ西部」はかつて「東ガリツィア」であった 

ウクライナという国は、大きくわけて西部と中央部と東部の3つにわけることができる。 

2014年以来、戦闘地域となっており、いままさに激戦状態がつづいているのがロシアと国境を接している東部である。そしてドニプロ川(=ドニエプル川)流域の中央部、そしてポーランドやベラルーシと国境を接しているのが西部である。 

18世紀以降に話を限定すれば、現在のウクライナ西部は、かつては「東ガリツィア」と呼ばれていた。この地域はハプスブルク帝国(=オーストリア帝国)のあらたな支配地域として組み入れられた土地であった。 

(ハプスブルク帝国時代。黄色で塗りつぶされた地域が東ガリツィア、斜線は西ガリツィア Wikipediaより)

この地域の住民は、大きくわけてマジョリティではあったが農民が大半のウクライナ人(・・当時はルテニア人と呼ばれていた)で、行政を担い都市部に集中してた少数のポーランド人、そして中世以来のミドルマンとして都市と農村との仲介者の役割をになっていたユダヤ人であった。異なる民族が混在して共存していた地域なのである。 

「民族問題」が激化したのは、ハプスブルク帝国が崩壊した1918年である。第1次世界大戦後に、中東欧は激変の渦に巻き込まれることになる。 

ウクライナ人は独立を実現したが、すぐにポーランドによって占領され独立は潰える。ロシア革命後の「ロシア内戦」のなか、ボルシェヴィキの赤軍に占領され、ロシア化が進むことになった。

独ソ戦においては、ウクライナの民族主義者はドイツ側について独立を回復しようとしたが、ドイツによって占領され、ドイツが敗退するとふたたびソ連の支配下に戻ることに。だが、ソ連の枠組みのなかでウクライナ共和国となる。

第2次世界大戦が終結した時点で、ポーランドとウクライナの国境線は変更され、ポーランド内のウクライナ人はウクライナへ、ウクライナ内のポーランド人は移動することになる。いわゆる「住民交換」である。

「住民交換」といえば、ギリシア独立後のギリシアとトルコ英国の植民地状態から分離独立した際のインドとパキスタンがなどが知られている。ウクライナとポーランドにかんしては、比較的スムーズに行われた前者のケースに類似しているとよさそうだ。


(第2次世界大戦後に線引きされたポーランド領。灰色部分がソ連に編入された現在のウクライナ西部 Wikipediaより)



その結果、ウクライナもポーランドも、それぞれが「単一民族国家」として固定化されることになった。

そして、ソ連崩壊によってウクライナは1991年にようやく独立を達成したわけである。現在、すでに独立から30年を過ぎている。


■そして「東ガリツィア」のユダヤ人社会は消滅した

こう書いていくだけで、じつに複雑なことがわかるだろう。だが、このプロセスのなかで消えていったのがユダヤ人であることに注目しなくてはならない。 

ポーランド人からも、ウクライナ人の双方から距離をとって、「中立」の立場を取らざるをえなかったユダヤ人だが、互いに対立しあっていたポーランド人とウクライナ人の双方から敵視され、さらには占領者となったナチスドイツによる「絶滅政策」によってその大半が殺戮され、この「東ガリツィア」すなわち現在のウクライナ西部からは消えていったのである(*)。

(*)2022年現在の大統領ゼレンスキー氏はユダヤ系だが、ウクライナ東部の出身で、もともとロシア語が母語の人である。
 
だからこそ、ウクライナ西部の歴史を記述する際には、この本の副題にある「ポーランド人とウクライナ人のはざま」で翻弄された地域であることに注目しなくてはならないのだ。 

ロシアによる軍事侵攻が始まってから、ウクライナからの難民がポーランドで受け入れられているが、そんな複雑な歴史をアタマのなかに入れておく必要がある。だが、本書のメインテーマである「ガリツィアのユダヤ人」は、この地域からは消えてしまった。その意味について考えなくてはならないのである。 

論文を再編集して単行本化されたものだが、歴史研究というものがアクチュアルなものとなりうることを示した好著である。逆にいえば、アクチュアルな状況を意識しない歴史研究に意味はない

もちろん、それは困難なタスクではあるのだが、ただしい歴史認識をもつための不断の努力はつづけていかなくてはならない。ニセ情報に惑わされないために。 





目 次
序 
第1部 ポ・リンーガリツィア・ユダヤ人社会の形成
 第1章 貴族の天国・ユダヤ人の楽園・農民の地獄
 第2章 オーストラリア領ガリツィアの誕生
 第3章 ヨーゼフ改革とガリツィアのユダヤ人
 第4章 ヨーゼフ没後のガリツィアのユダヤ人
第2部 両大戦間期東ガリツィアのポーランド人・ユダヤ人・ウクライナ人
 第1章 1918年ルヴフ
 第2章 ポーランド人とユダヤ人
 第3章 ウクライナ人とユダヤ人
第3部 失われた世界ーガリツィア・ユダヤ人社会の消滅
 第1章 独ソ戦前夜の OUN の戦略(*OUN=ウクライナ民族主義者組織)
 第2章 1941年ルヴフ
 第3章 ルヴフのユダヤ人社会の消滅


著者プロフィール
野村真理(のむら・まり)
1953年生まれ。一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程退学。金沢大学名誉教授。一橋大学にて博士(社会学)取得。2003年日本学士院賞受賞。専攻は社会思想史、西洋史(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


<ブログ内関連記事>





・・ポーランドがどう動くか?


(2022年12月23日発売の拙著です)

(2022年6月24日発売の拙著です)

(2021年11月19日発売の拙著です)


(2021年10月22日発売の拙著です)

 
 (2020年12月18日発売の拙著です)


(2020年5月28日発売の拙著です)


 
(2019年4月27日発売の拙著です)



(2017年5月18日発売の拙著です)

(2012年7月3日発売の拙著です)


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどうぞ。
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end

2021年1月20日水曜日

『トゥキディデス 戦史』を読了(2021年1月)― 2020年代のいま進行する事態と重ねあわせたくなる「アテネ民主制の崩壊」は、アテネとスパルタの覇権争いのなかで発生した

 

今年2021年の年始のことだが、トゥキディデスの『戦史』をようやく読了した。久保正彰訳の岩波文庫で全3巻。かなりのボリュームである。年末年始の課題の1つをクリアしことになる。  

古代ギリシアの「歴史の父」と称されるヘロドトスの『歴史』をおなじく岩波文庫の3巻本で読了したのが、いまから40数年も前の古代ギリシアにはまっていた中学生時代のことなので、ようやく肩の荷が下りたという気持ちだ。古典的名著であり、腰を据えてかからないと、日本語訳でもそう簡単に読めるというわけではない。なんと、積ん読歴40数年であった。 

『戦史』で扱っているのは、古代ギリシアの都市国家アテネ(・・正確にいえばアテーナイだが、通例のアテネとしておく)とスパルタの27年抗争「ペロポネソス戦争」の最初の20年である。両雄並び立たずというが、新興国アテネの台頭に不安を感じた軍事国家スパルタが、どちらも望まないのに戦争に巻き込まれていく姿を、同時代に生きた著者が、戦争当事者双方と利害関係国の情報を精力的に収集し、ファクトベースの記述を進めていく。 


(プーシュキン博物館所蔵の頭像 Wikipediaより)


圧巻は、岩波文庫版の下巻で描かれる、増長するアテネによる遠方のシケリア(現在のシチリア)遠征と、有力都市国家シラクサを相手にした壊滅的敗北と敗走である。

指導者層による希望的観測にたった見通しの甘さと、戦争を熱狂的に支持した市民たち。その真逆ともいうべき敗戦と敗走。行き詰まるような描写がつづく。 遠征の失敗によって国家的危機に瀕したアテネで民主制が崩壊していく様子が手に取るように描かれており、2020年現在の世界情勢を見ているかのような印象さえ受けるのだ。 

「歴史の父」といえば一般にヘロドトスを指しているが、戦争を事実関係に即して時系列で記述し、しかも戦争の構造的要因を考察した点において、トゥキディデスに軍配があがる。これは実際に読んでみた確認できたことだ。 

トゥキディデスは、戦争と政治の関係だけでなく、戦争と経済の関係についての考察も深い。軍資金と補給(ロジスティクス)の重要性都市国家内部の支配構造と利害対立が交戦国につけいるスキを生み出す脆弱性にかんする考察など、まさに古典的名著というにふさわしい。 



「トゥキディデスの罠」と覇権争い

「トゥキディデスの罠」(The Thucydides Trap)というフレーズがある。米国の政治学者グレアム・アリソン教授が提唱しているものだ。『米中戦争前夜-新旧両大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ-』(ダイヤモンド社、2017)で詳しく解説されている。 

「トゥキディデスの罠」とは、チャレンジャーとしての新興国(=古代ギリシアの場合はアテネ)が示す「野心」に対して、チャレンジを受ける側の覇権国(=スパルタ)が感じる「不安」がエスカレートするに従い、双方に生み出されるワナのことだ。 

このワナにはまった結果、覇権国交替が戦争によって決着されたケースが過去に多数発生している。端的にいって米中対立の構造を「トゥキディデスの罠」で解説してみせたのが、この議論のキモである。 

歴史を振り返れば、新興国アテネと覇権国スパルタの抗争は、新興国中国と覇権国米国の関係に対比されるだけでなく、その結末さえ予想させるものがある。長年にわたる抗争で、拮抗する両国はともに消耗し尽くし、共倒れになる可能性すら否定できないという結末だ。そして、第3の新興国が台頭する。

古代ギリシアにおいては、アテネもスパルタもともに疲弊し、この状況のなか「漁夫の利」を得たマケドニアが台頭という流れになる。その後、マケドニアからアレクサンドロス大王が誕生する。

米ソ冷戦時代には米国のパワーが勝っていたために、ソ連が自壊したことで冷戦は終わった。そして第3勢力としての中国が勃興することになっった。

そして、今回の覇権争いの結果、米中双方が疲弊して共倒れになったと仮定すると、漁夫の利を得るのは誰になるのだろうか? 


(地図を上下(=南北)逆さまにすると『戦史』の世界がよく見えてくる。真ん中がギリシア、右上がシチリア) 



■古代ギリシアと日本。その共通点と相違点

トゥキディデスの『戦史』を現代に引きつけて読むと、覇権国の米国人アリソン教授のような読み方にもなろう。だが、政治学の立場を離れて、1つの作品として読んでいると、日本人読者として感じるものがある。 

どういうことかというと、古代ギリシアは日本とよく似ているという感想をあらためてもつことだ。基本的にセム的な一神教が支配する以前の古代ギリシア世界は、日本とおなじく多神教世界であり、感覚的によく似ているものを感じるのだ。古代ギリシアの精神世界は、神道世界のようなものだからだ。「神託」だけでなく、何度も言及される「清め」の重要性。

とはいえ、大きな違いがあるのは、本居宣長がいうように「言挙げせずを良し」とする日本と違って、古代ギリシアでは「弁論」が大きなチカラをもっていたという点だ。 

トゥキディデスは『戦史』において、戦争とその関連情報のファクトベースの時系列による詳細な記述だけでなく、戦争の構造を浮かび上がらせるために「演説」(スピーチ)を多数引用している。 

演説のもつロゴスとパトスで相手を説得し、共同体(=都市国家)としての政策コースが決定されていく。この姿勢は、古代ギリシアから古代ローマに受け継がれ、西欧世界の根幹をつくりあげているのである。民主主義の根幹に、このスピーチのもつコトバのチカラがあることは、何度も繰り返しておくべきであろう。コトバへの不信感が強い現在の日本においては、とくに強調すべき事項だ。


以上、こんな感想をつれづれと書き連ねてみたが、やはり古典というものは、そのものを読む意味があるなと強く感じた次第。たとえ翻訳であっても、著者の息吹をそのまま感じることができるからだ。 


画像をクリック!



トゥーキュディデース(紀元前460年頃~ 紀元前395年)。
ヘーロドトス(生没年不詳:前490年~前480年の間に生まれ、前430年から前420年の間に、60歳前後で死亡したとするのが一般的)


訳者プロフィール
久保 正彰 (くぼ まさあき)
1930年10月10日生まれ。西洋古典学者。広島県呉市出身。戦後、日本人として初めてハーバード大学を卒業し、日本における西洋古典学の地平を切り拓いた久保正彰教授。東京大に西洋古典学の研究室をつくり、世界的な拠点に育て上げた。
18歳で日本の成蹊高校を中退し、単身アメリカに渡り、フィリップス=アカデミーに編入。1953年、ハーバード大学卒業(古典語学・古代インド語学専攻)、1957年東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。
1959年東京大学教養学部助手、1965年成蹊大学文学部助教授、1967年東京大学教養学部助教授、1975年に文学部教授、文学部長(1985~87年)、1991年退官し名誉教授、東北芸術工科大学初代学長(1992-98年)・名誉教授。
1992年12月に、日本学士院会員に選任、人文科学部門の第1部長・幹事を経て、2007年10月に第24代院長に就任(任期は3年で、2期を限度とする)。2013年任期満了し退任。2014年7月に松尾浩也の後任で学士会理事長に就いた(2016年6月に退任、後任は佐々木毅)。なお日本学士院第1部長在任中に「皇室典範に関する有識者会議」メンバーも務めた。
著訳書多数。(Wikipedia情報などをもとにした)。


<ブログ内関連記事>






(2025年1月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2023年11月25日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年12月23日発売の拙著です 画像をクリック!

(2022年6月24日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年11月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2021年10月22日発売の拙著です 画像をクリック!

 (2020年12月18日発売の拙著です 画像をクリック!

(2020年5月28日発売の拙著です 画像をクリック!

(2019年4月27日発売の拙著です 画像をクリック!

(2017年5月19日発売の拙著です 画像をクリック!

(2012年7月3日発売の拙著です 画像をクリック!


 



ケン・マネジメントのウェブサイトは

ご意見・ご感想・ご質問は  ken@kensatoken.com   にどう
お手数ですが、クリック&ペーストでお願いします。

禁無断転載!







end