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2010年3月8日月曜日

映画 『アバター』(AVATAR)は、技術面のアカデミー賞3部門受賞だけでいいのだろうか?




映画 『アバター』(AVATAR)

◆製作公開:2009年米国
◆監督・脚本:ジェイムズ・キャメロン
◆主演:サム・ワーシントン、シガニー・ウィーバー他

日本版公式サイト
YouTune Channel Officail Avatar 上のトレーラーはこちら












 カリフォリニア時間で2010年3月7日(・・日本時間では本日3月8日)、例年より2週間遅れでアカデミー賞の受賞作品が発表された。バンクーバー・オリンピックにぶつかって飲み込まれるのを避けた、メディア戦略上の措置だという。

 元夫婦のジェイムズ・キャメロン監督とキャスリン・ビグロー監督の「因縁の対決」であったが、下馬評の高かった『アバター』はは撮影賞、美術賞、視覚効果賞と3部門みの受賞に終わってしまった。ビグロー監督の『ハート・ロッカー』は、作品賞に加え監督賞、脚本賞、編集賞、録音賞、音響編集賞と全6部門でオスカーを獲得した。

 『ハート・ロッカー』はまだ見ていないので、コメントできないのは残念だが、公式サイト上のトレーラーを見る限り、ぜひ見てみたい映画ではある。近日中に見るつもりだ。

 とはいえ、『アバター』が 3D という技術面のみの受賞にとどまったのは、正当な評価なのか、それとも過小評価なのかどうか。映画の内容から考えてみたい。

 実は先週になってやっと、『アバター』をみてきたばかりだ。3Dグラス借りるのに300円余計に取られたのは想定外。メガネのうえにさらに3Dグラスかけるのは正直いってつらいものがあるのだが・・・。コンタクトレンズしない人もいるだろうし、なんとかならないものかな。度付き3Dグラスを開発して市販してもらいたいものだ。スキューバ・ダイビングのマスクのグラスは度付きも可能なのだから、技術的にできないことはないだろう。採算とれるか未知数だが。

 本格的な3D映画は、その昔つくば万博の会場で見た、マイケル・ジャクソンの『キャプテンEO』以来だな。20年以上ぶりか。

 『アバター』は、内容は思っていたよりも充実してたのは意外だった。とりあえず3D効果の技術的な要素だけでも見ておかなくては、と思っていたのだが、この映画は3Dだけがウリじゃない。「アバターもえくぼ」とかオヤジギャグを飛ばしたくもなるが、ここはぐっとこらえておこう。



 さて、アバター(Avatar)とは「分身」や「化身」のことだ。ネット上の「アバター」と意味はまったく同じである。

 もともとは「地上に降りてきたヒンドゥーの神の生まれ変わり」のこと。この意味が転じて、「人格や原理原則、態度や人生観といったものを人格化したもの」を意味するようになった。またよく知られているように、コンピュータの世界では、「インターネット上で人物を表す際に使用するグラフィック・イメージ」のことも指している。

 映画『アバター』では、舞台は地球からかなり遠くにある「惑星パンドラ」であり、そこには「先住民ナヴィ」(Navi)が住んでいる。地球からきたビジネスマン代理人は、科学者と軍人のチームによって、惑星パンドラの希少鉱物資源を開発してカネ儲けすることを目的としているが、先住民ナヴィの存在が障害となっている。ナヴィが聖地とあがめる巨樹の下に鉱物資源が眠っているためだ。

 なんとか平和的に先住民を移動させることができないか、というCSR(=企業の社会的責任)上の要請から、海兵隊あがりの主人公は、先住民の世界に潜入して工作するミッション(=任務)を引き受けることになる。これは伝統的に海兵隊が行ってきた潜入作戦そのものである。中国共産党がまだ政権を取る以前も、海兵隊将校の Evans Carlson は、かの有名な毛澤東の「長征」に同行しており、有名な海兵隊のかけ声ガンホー(Gung Ho)は中国語の協和(=work together)からきているくらいだ。


 ただ、問題は先住民は人間のようでありながら、地球の人間とは少し姿形(すがたかたち)が異なることだ。身体は地球人の2倍近くあり、しかもヒョウ顔で尻尾までもっている「異形」(いぎょう)の存在である。

 先住民の姿形(すがたかたち)になって先住民のコミュニティ内部に潜入するために取られた方法は、先住民のレプリカントに、ある特定の人間の脳内情報をテレトランスポートして、分身(アバター)としての先住民とシンクロさせるというものだ。

 これは、ある種の遠隔操作である。意識し行動する主体は、地球の人間のものだが、操作する対象の肉体という器は、先住民ナヴィのものである。
 水槽のなかにただよう先住民ナヴィのレプリカントは、日本のロボット・アニメ『エヴァンゲリオン』の綾波レイのレプリカントを想起させるが、『アバター』においては、『エヴァンゲリオン』ほど複雑なシンクロ・プロセスは行わない。地球の人間の意識をダイレクトにテレトラスンポートさせるだけにとどめている。


 と、こんな話だけしていると、あまりレベルの高くないSF作品のようなかんじだが、キャメロン監督が14歳のときに抱いて以来、40年かけて追い続けてきた夢を映像作品として実現させたのだという作品だ。

 キャメロン監督は、『ダンス・ウィズ・ウルブズ』、『エメラルド・フォレスト』からインスパイアされているらしい、という説もあるが、私は何の先入観なしにこの『アバター』をみているうちに、これはロバート・デ・ニーロ主演の『ミッション』だな、と思った。監督が意識していたかどうかは知らない。

 なぜこういうことを想起したかというと、冒頭の巨大瀑布のシーンが、『ミッション』の冒頭シーン(パンフの写真を参照)を思い出させたからだ。

 『ミッション』(1986年製作)の舞台は、スペイン植民地であった1750年代の南米パラグアイで、先住民グアラニー族を教化し、カトリック宣教に従事するイエズス会ミッションが建設した理想的コロニーが、軍事力を背景にした植民地の政治権力者とのコンフリクトにより追いつめられ、先住民とともに滅び去ってゆく姿を描いた映画である。
 そして思い出すのは、コロンブスによる「新大陸」発見後、ゴールドという鉱物資源をもとめてやってきた征服者=植民者が先住民(インディヘナス)である「インディオ」を情け容赦なく虐殺し、収奪していった史実である。

 『ミッション』の時代からさかのぼること200年前の16世紀当時、神学上の大問題になったのが、先住民インディオが果たして人間であるかどうか、という議論である。

 現在からみたらそんなの当たり前ではないか、人間に決まっているだろう、ということになるのだが、当時のカトリック神学はアリストテレスによって人間の条件を定義しており、先住民インディオは「人間ではない、なぜなら・・・。ゆえに・・・」というロジックがまかり通っていたのだ。


この状況に真っ向から反論したのが、『インディアスの破壊に関する簡潔な報告』(染田秀藤訳、岩波文庫、1976 改訂版2013)で有名な、16世紀ドメニコ会の神学者ラス・カサスである。

 そのものずばりのタイトル、『インディオは人間か(アンソロジー新世界の挑戦8)』(ラス・カサス、染田秀藤訳、岩波書店、1995)で、ラス・カサスはアリストテレスの定義をそのまま用いて、「インディオが人間であること」を証明した文書を作成し論陣を張った。

 惑星パンドラの先住民ナヴィが、南米の先住民と異なるのは、ナヴィが人間のような姿形でありながら、ヒョウ顔で尻尾も備え、しかも標準的な人間の身長の2倍近くあるという、異形(いぎょう)な存在であることだ。

 たしかに映画のなかでは「先住民」(indigenous)というコトバを使っているが人間とは特定していない。しかし人間なのかどうか? 尻尾をもったヒョウ顔の「先住民」は果たして「人間」なのか?

 先住民は、ルソーのいう「高貴なる野蛮人」神話を反映している。先住民ナヴィはある意味で、この「高貴なる野蛮人」視角化し、映像化したものともいえるだろう。


 基本的な構図は、まさにジャック・アタリ『1492 西欧文明の世界支配』で描いた、開発と収奪を行う「西欧文明の直接の継承者である米国」による、先住民の虐殺と資源収奪そして、自然破壊そのものである。これに行き過ぎた科学技術の悪用の批判というテーマも重なる。鉱物資源が眠る土地にそびえ立つ「世界樹」(axis mundi)の倒壊はまさにシンボリックなシーンである。

 舞台を地球上のフロンティアであった「新大陸」南米から、地球外のフロンティア惑星パンドラに移し、上記の構図を阻止する役割として、男性主人公が演じるヒーロー物語が後半のテーマとなる。『スター・ウォーズ』と同様、米国の神話学者ジョゼフ・キャンベルの神話学を応用したものであろう。 


 南米では、スペイン人植民者が宣教師と軍人と行動をともにしたのと同様、西欧文明の継承者である、米国においてはビジネスマンと科学者と軍人がセットで登場するが、宣教師の枠割りは科学者が代替している。北米でも米国人は虐殺と収奪の限りを尽くし、フロンティアを消滅させていった末に、ついにフロンティアを求めて地球の外に出ることになったわけだろうか。

 彼らは、同じミッション(=目的、任務)のもとに協同しているが、そもそもの動機が異なるのでお互いに齟齬(そご)が生じ、コンフリクトはついに悲劇的な結末をもたらすことになる。

 また、先住民の「民衆教化」を行う手法は、イエズス会宣教師のメソッドそのものであり、この役割を映画『アバター』では女性科学者が代替しており、少し笑ってしまうが先住民に対して「英語」!教育を行っている。

 この科学者がグレース(=恩寵)という名前であるのはそれを暗示しているのではないか? しかも、ちょうど30年前に『エイリアン』(1979年)で主役を演じたシガニー・ウィーバーを起用しているのもたいへん興味深く、しかも懐かしい。

 科学者が、最終的に先住民の魂と一体化するのも、映画『ミッション』において宣教師が先住民の側にたって植民者と戦うことになる構図と同じである。

 主人公の男性ヒーローがお姫様ヒロインとめでたしめでたしという結末は、英国によるサラワク島の植民地化、先住民統治にあたる植民地行政官を主人公に描いた映画 『スリーピング・ディクショナリー』のようなエンディングである。結局は同じようなテーマを描くと、同じような結末になるということか。

 ざっとこんな風にみてきたが、純粋にエンターテインメントとして楽しめばいいだけといってしまってもいいのだが、実は結構重要なテーマを秘めている作品なのである、といっておきたいのだ。

 これが私の映画『アバター』に対する評価である。深読みしすぎているのかもしれないのだが・・・






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 ところで、字幕ではよくわからないと思うが、英語のセリフはなかなか知的なものも多い。

 映画が終わってクレジットに入る前に、字幕翻訳:戸田奈津子とでた瞬間、ああこらあかんわ、と思ったのは私だけではあるまい。知的なセリフも痴的な日本語に変化させてしまう才能の持ち主だからだね。こういう情報は映画が始まる前に出してもらいたいものである。

 DVDでご覧になる方は、ぜひ英語のサブタイトルを見ながら再生することをおすすめしたい。

 ジェイムズ・キャメロン監督の次回作ははだしのゲンであるという。広島の原爆を扱った日本のマンガ作品が原作である。その昔、「少年ジャンプ」に連載されていた、戦争の悲惨さと原爆投下への怒りを描いた硬派なマンガである。少年時代の原爆のショックを受けた感受性豊かな監督が、原爆そのものをテーマにした映画を製作する。これは不思議でもなんでもない。

 また、ここまで書いてきた内容から考えれば、科学技術の悪用と、むき出しの暴力で世界を破壊してきた米国と西欧文明への批判はさらにエスカレートさせていくのか・・・。

 原爆炸裂シーンを3Dで全世界にむけて公開することを考えただけで、期待が高まってくるのを感じる。いまから楽しみである。





<参考トレーラー>

『キャプテンEO』(Captain EO、1985?) 
  Michael Jackson Captain EO Short HQ: We Are Here To Change The World 1
   Michael Jackson Captain EO Short HQ: We Are Here To Change The World 2

『ミッション』(The Mission、1986年製作公開)米国版トレーラー
『エイリアン』(Alien、1979) 米国版トレーラー
『スリーピング・ディクショナリー』(The Sleeping Dictionary、2002年製作公開) 米国版トレーラー



<ブログ内参考記事>

書評『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)

イエズス会士ヴァリリャーノの布教戦略-異文化への「創造的適応」
                   
原爆記念日とローレンス・ヴァン・デル・ポストの『新月の夜』

(2014年1月10日に情報を最新のものに入れ替えた。改行を増やして読みやすくしたが、本文には手を入れていない)


レヴィ=ストロースの 『悲しき熱帯』(川田順造訳、中央公論社、1977)-原著が書かれてから60年、購入してから30年以上の時を経てはじめて読んでみた

書評 『幻の帝国-南米イエズス会士の夢と挫折-』(伊藤滋子、同成社、2001)-日本人の認識の空白地帯となっている17世紀と18世紀のイエズス会の動きを知る

(2014年7月17日 情報追加)


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