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2017年10月30日月曜日

書評『もうひとつの「王様と私」』(石井米雄、飯島明子=解説、めこん、2015)― 日本とほぼ同時期に「開国」したシャム(=タイ)はどう「西欧の衝撃」に対応したのか



『もうひとつの「王様と私」』(石井米雄、飯島明子=解説、めこん、2015)は、元外交官で日本におけるタイ研究の開拓者、タイでの出家体験をもつだけでなく、語学の天才であった石井米雄氏の遺著と、タイ研究者の飯島明子氏が、本文への注釈と本文の分量以上の解説を合本したものだ。

『王様と私』(The King and I)というのは、言うまでもなく映画やミュージカルで有名な作品のこと。その当時はシャムといっていたタイの国王と、息子の家庭教師として雇われた英国人女性アンナとの交遊を、「異文化摩擦」としてコメディタッチで描いたものだ。

ユル・ブリンナー主演の映画作品後にも、香港スターのチョウ・ユンファ主演でリメイクが製作されているが、そのいずれも、「不敬罪」の存在するタイ王国では上映禁止である。

本書のタイトル『もうひとつの「王様と私」』の「私」とは、家庭教師アンナのように有名ではないものの、カトリックのフランス人宣教師のことを指したものだ。「王様」とは現チャクリ王朝の4代目のモンクット王(=ラーマ4世)「私」」とはパルゴア神父のことだ。モンクット王は1804年生まれ、パルゴア神父は1805年生まれと年もほぼ同じであった。

パルゴア神父は、パリ外国宣教会」からの派遣でフランスからシャムに来て、終生をシャムで過ごしバンコクに骨を埋めた人だ。若き日には、瞑想修道会のグランド・シャトルーズ修道院で修行もしたという。

本書の本文は、石井米雄教授の上智大学での「最終講義」がベースになっている。タイとかかわる以前から、ラテン語も含めた世界の言語に精通してきた石井米雄氏ならではの「作品」といえる。

というのも、扱われている材料がタイ語だけでなく、ラテン語でもあるからで、第2次世界大戦後のバチカン第二公会議以前のカトリックでは、ラテン語は公用語であった。タイ語の史料が読みこなせて、かつラテン語の元資料の読み込みもできる人など、欧米の研究者以外では日本ではそういないはずだ。

ちなみに、ナショナリズム研究の古典『想像の共同体』で有名な、インドネシア研究のベネディクト・アンダーセン教授は古典語を身につけていると自伝で語っているが、アンダーセン氏自身が、そういう教養の持ち主としては最後の世代だろうと述べている。スハルト政権によってインドネシアへの入国禁止となったアンダーセン氏には、タイにかんする著作もある。


タイと日本はほぼ同時期に「開国」

日本とほぼ同時期に「開国」を選択したタイ(当時はシャム)の背後には、モンクット王(=ラーマ4世)という傑出した知識人でもあった英明な君主が存在したのである。

日本が黒船艦隊の米国によって「開国」されたのは1853年シャムが大英帝国によって「開国」させられたのは1855年。ここで「開国」とカッコ書きにしたのは、日本はもとよりシャムも通商関係は諸外国ともっていたが(・・シャムは清朝に対して朝貢貿易もしていた)、「自由貿易」は行っていなかったからだ。

「自由貿易」とは強者に有利な制度である。ヴィクトリア女王の時代の大英帝国は、「自由貿易帝国主義」とでも言えるような圧倒的存在であった。したがって、真の意味での「開国」は、「修好条約」によって「自由貿易」が実現したことから始まったというのが正確なのである。

「日米修好条約」(1958年)を締結したタウンゼント・ハリスは、シャムとの間でも同様の条約を結んでいる。英国の代表は、哲学者のベンサムの友人でもあった外交官バウリングだが、幕末に登場するパークスは日本でもタイでも登場してくる。

つまり、幕末の「開国」とシャムの「開国」は同時代の出来事であり、セットで考えたほうが理解が深まることを意味している。地理的に見れば、シャムは英国の植民地になったインドに近く、日本は中国に近いが、西欧からみれば「極東」であった。実際にところ、中国と日本、シャムは大英帝国の東アジア政策としてセットで捉えられていた。

英国にとっても、遅れてきた米国にとっても、主要な目的は巨大な市場である中国との貿易であり、中国進出に先手をかけた英国は、蒸気船の石炭の補給基地と位置づけた日本は植民地化する必要はなく、みずからが植民地化したビルマとフランスの植民地となったインドシナの緩衝地帯としてシャムの独立が維持されることになった。

だが、「開国」後に日本は「明治維新」という「革命」を断行し「近代化」=「西欧化」を全面的に遂行して「国民」形成の道を突き進んだのに対し、シャムは上層エリートは「近代化」=「西欧化」を受け入れたものの、「立憲革命」という「革命」は日本に遅れること64年、「国民」形成はそれ以降の課題となった。出発点が同じであったのにかかわらず、日本とタイで大きな差が生まれたのはこのためだ。


ラーマ4世モンクット王という傑出した知識人

では、シャムが「開国」した当時の国王であったモンクット王とはいかなる人であったのか? ミュージカルや映画の『王様と私』とは違う、本当のモンクット王とはいかなる人であったのか? 本書でそれを詳しく知ることができる。

モンクット王は、1851年に即位するまでの27年間を仏法修行者として僧院で過ごした人だ。還俗して王となったのだが、その僧院時代の経験が即位後の王の骨格を作り上げたといっていい。経典の原語であるパーリ語を習得し、僧院改革も実行、知的好奇心のおもむくまま仏教僧侶でありながらカトリックの宣教師と交遊しラテン語も習得、英語の読み書きも習い覚えた人だ。

だが、宣教師と深くつきあっても仏教を捨てることは断固として拒否している。アイデンティティのありかを仏教に置いていたからだろう。この姿勢は、国王が「仏教の擁護者」と規定されたことで、絶対王政廃止後も継承されている。歴代の国王は、即位前に必ず一時出家をすることになっている。

キリスト教との距離感は、「近代化」=「西欧化」を積極に的に推進した日本とも共通しているが、日本の場合は皇室は仏教から離れ、神道に専念することになった。国家神道が否定されたあとも、宮中祭祀は残る。天皇は日本全体の大祭司でもある。

モンクット王は、カトリックの宣教師パルゴアとは終生の友情を結んでいるが、とくに米国から派遣されてきていたプロテスタントは低く評価していたというのが面白い。独身主義をとるカトリックは、その点にかんしては戒律を守る仏教と共通しているのが、その理由だったという。(*ただし、ここで言っているのは厳密に戒律を守るタイの上座仏教の話。妻帯が当たり前となった現在の日本仏教は該当しない)。

日本の明治大帝とほぼ同時代人で、後に「大王」の称号を与えられた、息子のチュラーロンコン(のちのラーマ5世)に、西欧式教育を授けるために雇った英国人女性家庭教師アンナもプロテスタントだったようだが、彼女についての記述は本書のメインテーマではない。

「近代」とは、つまるところ後者の英米のプロテスタントが派遣を握った時代のことである。信者獲得の面では成功したとは言い難い近代日本だが、じつはプロテスタントの勤勉の精神が、江戸時代後期以来の日本型勤勉精神と親和性が高く、それが日本の近代化成功の大きな要因となったことを考えることもまた、日本とタイの歴史的個性と歴史的経験のちがいを考えるヒントになるかもしれない。


■「西欧の衝撃」の受け止め方-日本とタイの共通点と相違点

英国を先頭に西欧列強によるアジア進出が行われていた時代、西欧に比べて軍事的に非力だと自覚していたシャムは、「外交」によって生き残る道を選択する。

シャムによる選択は、幕末の江戸幕府の姿勢と共通しているが、日本は「革命」後はタイとは異なる道を選択したことは周知の通りだ。第二次世界大戦において日本は最終的に大きな挫折を味わうことになるのだが、日本と同盟を組んでいたタイは、ひそかに「自由タイ運動」の活動をつうじて連合国との関係を構築する。タイの外交巧者ぶりは、「開国」時代から現在に至るまで一貫している。

石井米雄氏による「本文」と飯島明子氏による「解説」をあわせ読むことによって、日本とタイ(シャム)が同時期に「西欧の衝撃」(=ウェスタン・インパクト)をいかに受け取り、そしてそれに対応して生き残りの道を探ったかの理解が深まることになる。

「西欧の衝撃」にかんしては、日本ではアヘン戦争後の中国との比較が行われることが多いが、日本とインド、それに日本とタイ(シャム)を比較して考えることは、アジアにとっての「近代」を考えるうえで、きわめて大きな意味をもつといえる。

拙著『ビジネスパーソンのための近現代史の読み方』(ディスカヴァー・トゥエンティワン、2017)「第5章 「第2次グローバリゼーション」時代と「パックス・ブリタニカ」でこの時代のことを取り上げているので、ぜひあわせて読んでいただければ幸いである。


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目 次

もうひとつの「王様と私」(石井米雄)

はじめに
1. 産業革命の時代
2. 若き日の「王様」
3. ビクとなったモンクット
4. シャムのカトリック
5. パルゴア伝
6. モンクットとパルゴアの出会い
7. プロテスタント宣教師
8. ワット・ボーウォンニウェート
9. モンクットとキリスト教
10. プロテスタント宣教師のシャム理解
11. シャムの知識人の宣教師観
12. 合理主義思想と仏教
13. パルゴアの仏教理解
14. モンクットの外国理解
15. 植民地主義諸国との対応
16. モンクットの登位
17. 対中朝貢の廃止
18. シャムの開国
19. フランスとの関係
20. 改定条約文をめぐる諸問題
21. モンクットと写真術
22. モンクットとカトリック
23. モンクットの西欧化教育
24. モンクットと自然科学
おわりに


解説  王様の国の内と外-19世紀中葉のシャムをめぐる「世界」 (飯島明子)

1. バウリング条約
2. 未知の砂漠
3. シャムと「ラオス」
4. シャムとビルマ
5. チェントゥン戦争
6. 王様の「私信」
7. アロー号事件
8. 王様の外交-対ヴィクトリア女王のイギリス
9. 王様の外交-ナポレオン三世のフランスとの出会い
10. モンクットと「臣民」
11. ド・モンティニー使節とのその後-カンボジア問題の始まり
12. カンボジアをめぐるフランスとの軋轢
13. モンクットと "ナポレオン"
14. 東アジア地域の国際環境-グローバルな連鎖
15. 対フランス交渉からの教訓
16. 再びモンクットとキリスト教、そして「世界」



著者プロフィール

石井米雄(いしい・よねお)
1929年東京生まれ。東京外国語大学中退後、外務省に入省。在タイ日本大使館勤務を経て、京都大学東南アジア研究センター所長・教授、上智大学教授を歴任。1997年から2004年まで神田外語大学学長。退任後(文部科学省大学共同利用機関法人)人間文化研究機構長、(独立行政法人)国立公文書館アジア歴史資料センター長を務める。法学博士。2000年文化功労者顕彰。2007年チュラーロンコーン大学から名誉文学博士号授与。2008年瑞宝重光章授章。2010年2月死去。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


飯島明子(いいじま・あきこ)
1951年生まれ。東京大学文学部卒業。同大学大学院人文科学研究科東洋史学専門課程修士課程修了。文部省(当時)アジア諸国等派遣留学生としてタイに研究滞在。専門は歴史学、東南アジア大陸部北部の歴史、「タイ(Tai)文化圏」の歴史。現在、天理大学国際学部教授。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)



<関連サイト>

出版社サイトの書籍紹介 『もうひとつの「王様と私」』(石井米雄、飯島明子=解説、めこん、2015)


<ブログ内関連記事>

今年も参加した「ウェーサーカ祭・釈尊祝祭日 2010」-アジアの上座仏教圏で仕事をする人は・・
・・石井米雄氏の名著『タイ仏教入門』を取り上げている

「タイのあれこれ」 全26回+番外編 (随時増補中)

映画 『大いなる沈黙へ-グランド・シャトルーズ修道院へ』(フランス・スイス・ドイツ、2005年)を見てきた(2014年10月9日)-修道院そのものを主人公にした3時間という長丁場のドキュメンタリー映画

書評 『バチカン近現代史-ローマ教皇たちの「近代」との格闘-』(松本佐保、中公新書、2013)-「近代」がすでに終わっている現在、あらためてバチカン生き残りの意味を考える

書評 『ヤシガラ椀の外へ』(ベネディクト・アンダーセン、加藤剛訳、NTT出版、2009)-日本限定の自叙伝で名著 『想像の共同体』が生まれた背景を知る


■大東亜戦争とタイ、そして英国

書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である

書評 『同盟国タイと駐屯日本軍-「大東亜戦争」期の知られざる国際関係』(吉川利治、雄山閣、2010)-密接な日タイ関係の原点は「大東亜戦争」期にある

書評『泰緬鉄道 ― 機密文書が明かすアジア太平洋戦争』(吉川利治、雄山閣、2011 初版 1994 同文館)― タイ側の機密公文書から明らかにされた「泰緬鉄道」の全貌


■東南アジアとカトリック

ベトナムのカトリック教会

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2014年7月17日木曜日

書評『明治キリスト教の流域 ― 静岡バンドと幕臣たち』(太田愛人、中公文庫、1992)― 静岡を基点に山梨など本州内陸部にキリスト教を伝道した知られざる旧幕臣たち



『明治キリスト教の流域-静岡バンドと幕臣たち-』(太田愛人、中公文庫、1992 単行本初版 1979)は、静岡から山梨県や長野県など本州内陸部に向けて伝道活動を行った旧幕臣のキリスト教徒たちの、知られざるエピソードを取り上げた人物伝である。

「明治キリスト教」というタイトルだが、日本文学史においては明治時代はキリスト教の時代であったというのはある意味では「常識」だろう。

だがもちろん文学だけではない、きわめて広い分野にわたってキリスト教の影響が及んだことを無視しては明治時代というものを真に理解することはできないのである。

「明治キリスト教」の特徴は、フレーズ的に要約してしまえば、「英語・アメリカ・キリスト教」となる。つまりアメリカを中心とする宣教師たちによって、英語で伝道されたプロテスタントのキリスト教なのである。これが戦国時代後期から末期にかけてのキリシタンとは異なる点だ。

ただし、本書の副題にある「静岡バンド」においては、それはアメリカが先鞭をつけ、のちにカナダが引き継ぐことになる。



静岡に移封された旧幕臣たちとキリスト教

「静岡バンド」のバンド(band)とは同志的結合という意味だ。Boys, be ambitious ! のクラーク博士の感化を受けた内村鑑三や新渡戸稲造の「札幌バンド」、いちはやく開港して世界への窓口となった横浜の「横浜バンド」は比較的よく知られている。

「熊本バンド」についても、昨年(2013年)のNHK大河ドラマ『八重の桜』において、同志社の初期の主要メンバーとして登場していたのでご記憶の方も多いだろう。

だが、「静岡バンド」については、意外と知られていないようだ。静岡バンドという表現が著者の造語によるものであることらしいのもその理由の一つだろうが、地方伝道を中心としたカナダ・メソジスト教会の方針とも関係があるのかもしれない。

そもそも維新の「負け組」となった徳川将軍家と旧幕臣たちが静岡に減封された歴史に密接にかかわっているからだ。

歴史というものはつねに勝者の側からのみ語られがちである。明治維新もまた勝者である薩長の側からつねに語られてきた。そのため、減封されて静岡藩に移動した約8万人の旧幕臣とその家族たちが、困窮のなかで塗炭の苦しみを味わったことも語られることはほとんどないのである。

そんな苦難のなかで出会ったのがキリスト教であった。維新の「負け組」となった彼らのなかには、英学を中心とする洋学とともにキリスト教を受け入れ、キリスト教を精神のよりどころ、学門を武器にして再起を図ったのである。

その象徴的存在が静岡学問所で教鞭をとった元儒者の中村正直(敬宇)であった。明治時代の一大ベストセラー『西国立志篇』の訳者である。英語の Self Help(自助論)をリズミカルな文語体で訳したこの本は、旧幕臣のみならず多くの若者たちをインスパイアしたのであった。中村正直が洗礼を受けたのは40歳になってからのことだという。

中村正直をキリスト教に向かわせた「静岡のクラーク」と呼ばれたアメリカ人教師、カナダ・メソジスト教会の宣教師で医師のマクドナルド、最初の日本人牧師となった土屋彦録や山中共古、ジャーナリストの山路愛山といった人物が本書に取り上げられられている。

その多くが薩長主導の藩閥政府に出仕することを拒み、在野の立場を守りながら、あくまでも地方の精神的指導者として教育や社会運動に身を挺した人たちである。

まさに山路愛山が喝破したように、「精神的革命」の担い手は維新の「負け組」であったのだ。 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)に描かれている人たちと合わせ読むと、この意味がよく理解できることだろう。野にあってプリンシプルとプライドを貫き通した人たちがいたのである。

牧師である著者自身、長く地方の教会にいて、地方からの視点でものを見てきた人らしい。とかく中央の目線になりがちなのは、プロテスタント教会においてもかわらないようだ。そんな地方からの目線で捉えられたのが「静岡バンド」という存在なのである。


(静岡と山梨は富士川「流域」としてつながっていた)



山梨とカナダ・メソジスト教会

NHKの連続テレビ小説 『花子とアン』の主人公・村岡花子は、カナダの少女文学『赤毛のアン』の翻訳で有名だが、山梨県の甲府出身である。カナダ・メソジスト教会が設立した東洋英和女学校で英語を学んだのは、山梨県が「静岡バンド」の伝道の結果、カナダ・メソジスト教会の布教地域となったことと関係しているのである。

「静岡バンド」の日本人牧師たちは、静岡県から富士川をさかのぼって甲府方面に布教を行ったのである。だから、いまでも静岡と山梨、東京のトライアングルに東洋英和が存在するのである。

その布教にあたった牧師の一人が山中共古(やまなか・きょうこ)。本名は山中笑(えむ)といい、彼も旧幕臣の出身であった。静岡でカナダ・メソジスト教会の宣教師になった。

民俗学にくわしい人であれば、山中共古といえば柳田國男の先駆者として記憶していると思う。共古は失われ行く民間の風俗習慣を記録として残すことに意義を感じて、布教先でフィールドワークを行い、聞き取り内容を記録としてまとめている。民俗調査は、布教対象の人々をよく知るためという意味もあったらしい。牧師としての山中共古について書かれているのは本書ならではの特徴だ。

ちなみに共古は、信仰というものは心から欲する人が受け入れればいいのであって、押しつけるものではないと考えていたらしい。このエピソードは、中国の青島(チンタオ)に派遣されていたドイツのプロテスタント神学者で宣教師であったリヒャルト・ヴィルヘルムを想起させるものがある。

中国文明に心酔し、『易経』や『黄金の華の秘密』をドイツ語に翻訳して心理学者のユングに激賞されたリヒャルト・ヴィルヘルムは、ドイツの植民地であった青島には25年間滞在していながら、一人の中国人もキリスト教に改宗させなかったことを誇りにしていたという。プロテスタント系の宣教師のエピソードとして、余談ながら付記しておく。



永井荷風とキリスト教の深い関係

「永井荷風とキリスト教」もまた、牧師としての著者の幅広い関心が取り上げたきわめて重要な視点である。

なるほど、戯作者を自称し、『腕くらべ』や『墨東綺譚』など、遊里の世界や私娼窟などの世界を好んで書いてきた永井荷風だが、書くものに一本筋の通ったプリンシプルが感じられるのは、明治の初期にプロテスタントのキリスト教を受け入れた家系の人であったことが大きいようだ。

長身で黒い背広を着ていた荷風は、ときどき牧師と間違われたらしい。本人はキリスト教信仰からは距離を置いていたとはいえ、次弟の貞二郎は牧師でもあった。しかも母親もキリスト教徒、父親は洗礼は受けていなかったがキリスト教式の葬儀を希望したという。そもそも儒者の妻であった祖母が明治の早い時期にキリスト教徒になった人であった。

戦時下には毎日フランス語の聖書を読んでいたという荷風は、フランス的なモラリストの側面もありながら、キリスト教的なものが知らず知らずのうちにその骨格を形成していたのかもしれない。

この本を最初に読んだのは、1992年に文庫化された直後のことであったが、そのとき強く印象にのこったのが山中共古と永井荷風のエピソードであった。22年ぶりに通読してみて、やはりこの二人の印象がきわめて強いのを感じた。



「外面的な近代化」と「内面的な近代化」

日本の「近代化」は、維新政府による上からの制度改革として進行したのだが、倫理という側面で人間精神の内面に大きな影響を与えたのが、アメリカを中心としたプロテスタント系のキリスト教であったことは強調すべきであろう。

禁酒禁煙、廃娼や孤児救済などの社会福祉、家庭(ホーム)重視や女子教育など、維新政府が近代化にあたって重視することなく後回しにした、精神面の改革を担ったのがキリスト教の影響を受けた人たちであった。


政治経済など「外面的な近代化」がとうの昔に完成した日本であるが、いまだに「内面的な近代化」が完全に進まないまま現在に至っている。

「外面的な近代化」は、義務教育や軍隊という「制度」という形から入って、時間厳守などの規律を日本人に内面化させたが、倫理面では旧態依然とした前近代的な状態が続いているような気がしてならない。

シヴィリティ(=文明的礼節)を欠いたまま、人権問題などさまざまな問題が噴出しているのが現在の日本である。その原因がどこにあるのか考えてみることは必要なことだ。「近代化」が完成し、「近代」がすでに終わっている日本だが、積み残しの課題があることを忘れてはならない。

その意味でも、読みやすくて内容豊富なこの本は、ぜひなんらかの形で復刊してほしいと思う。中公文庫からでもいいし、あるいは講談社学術文庫や岩波現代文庫あたりでもいいかもしれない。

「地方の時代」である現在、顧みてしかるべき良書である。


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目 次

はしがき
Ⅰ 静岡バンドの人びと
 1. 維新と幕臣-時代の陰の人びと
 2. 化学教育の先駆者-静岡のクラーク
 3. 御儒者の回心-中村正直 
 4. 洋学者の家系-杉山孫六と土屋彦六
 5. 医療宣教師-マクドナルド
 6. 民俗学の開拓者-山中共古 
 7. 在野の史家-山路愛山
Ⅱ  明治プロテスタント的人間像
 1. 明治女学校と小諸議塾の創設者-木村熊二
 2. 社会主義的運動の指導者-安部磯雄
 3. 北方の人-新渡戸稲造 
 4. 永井荷風とキリスト教 
 5. 信州穂高の研成義塾と井口喜源治
あとがき
文庫版あとがき
参考文献


著者プロフィール

太田愛人(おおた・あいと)
1928年、岩手県盛岡市生まれ。東京神学大学大学院修了。日本キリスト教団の大町(長野県)、柏原(同)上星川(神奈川県)の各教会で牧師を歴任。現在は社会福祉法人愛の家ファミリーホーム理事長。著書『羊飼の食卓』(現・中公文庫)で第28回日本エッセイストクラブ賞を受賞(2009年出版の著書に記載の情報)。



<参考> 山梨県におけるカナダ・メソジスト教会の宣教

『日本の近代社会とキリスト教(日本人の行動と思想 8)』(森岡清美、評論社、1970)は、 ぜひ復刊を望みたい基本書
・・山梨県におけるキリスト教の布教については以下の目次を参照

4. 日下部メソジスト教会 (・・カナダ・メソジスト教会系、勝沼方面)
  日下部教会への関心/教線勝沼方面に伸びる
  指導的信徒像/日下部教会の成立
  教勢伸張の背景/東方区の分割
  小野と自給独立/自給問題の背景
  自給への歩み/信徒の苦心
  自給の達成/自給達成への契機
  勝沼教会との比較/教勢の発展

  組合を足場として/禁酒運動との結合
  禁酒運動と地域社会/西保村の禁酒運動
  各地の禁酒運動


<参考>


・・「静岡バンド」の背後にある知的リーダーであった中村正直、アメリカ人教師クラークなどは、みな静岡藩が設置した静岡学問所関係の人たちであった。洋学として、先進国である英仏の学を中心としていた。「もう一人のクラーク」の感化でキリスト教の洗礼を受ける者もでた。「静岡バンド」はクラークの後任のカナダ人宣教師マクドナルドである

目 次
はじめに
1. プロローグ
2. 江戸幕府の遺産
3. 新しい教育
4. 全国への影響
5. 学校の内実
6. 廃藩後の存廃と廃校
7. エピローグ
静岡学問所の教授・職員一覧
静岡学問所関係年表
参考文献
あとがき
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<ブログ内関連記事>

「静岡バンド」の影響圏

いまこそ読まれるべき 『「敗者」の精神史』(山口昌男、岩波書店、1995)-文化人類学者・山口昌男氏の死を悼む
・・「敗者」(=負け組)となった旧士族たちがキリスト教を選択したのはなぜか?

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー
・・日本に紹介した中村正直は幕臣で儒者出身のキリスト教徒

NHK連続ドラマ小説 『花子とアン』 のモデル村岡花子もまた「英語で身を立てた女性」のロールモデル
・・カナダ・メソジスト教会が設立した東洋英和というミッションスクール

日米関係がいまでは考えられないほど熱い愛憎関係にあった頃、多くの関連本が出版されていた-『誇りてあり-「研成義塾」アメリカに渡る-』(宮原安春、講談社、1988) 
・・「Ⅱ-5 信州穂高の研成義塾と井口喜源治」について参考になる


明治生まれの文学者とキリスト教

永井荷風の 『断腸亭日乗』 で関東大震災についての記述を読む
・・「この度の災禍は実に天罰なりと謂ふべし」と『断腸亭日乗』に記した荷風。この「天罰」という表現には、旧約聖書の怒れる神のイメージが投影されているのかもしれないと考えてみることも必要かもしれない

「神やぶれたまふ」-日米戦争の本質は「宗教戦争」でもあったとする敗戦後の折口信夫の深い反省を考えてみる
・・国文学者で民俗学者であった折口信夫は大東亜戦争末期に聖書を読んで衝撃を受ける。折口信夫は「明治時代はキリスト教の時代」とも語っている


日本近代化の歪み

『近代の超克ー世紀末日本の「明日」を問う-』(矢野暢、光文社カッパサイエンス、1994)を読み直す-出版から20年後のいま、日本人は「近代」と「近代化」の意味をどこまで理解しているといえるのだろうか?
・・近代化の成果である「日本国B」の下に厳然として存在し続ける「日本国A」の存在。シヴィリティ(=文明的な礼節)を欠いた日本人は「近代化」の歪みの反映


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2013年10月20日日曜日

讃美歌から生まれた日本の唱歌 ― 日本の近代化は西洋音楽導入によって不可逆な流れとして達成された



唱歌は讃美歌の替え歌である! これはあまり知られていないが恐るべき事実である。「唱歌の誕生は奇跡であった」『唱歌と十字架 ― 明治音楽事始め』の著者・安田寛氏はいう。

安田寛氏の一連の著作を読むと、日本の近代化に果たした宣教師ミッションと讃美歌がいかに大きな役割をはたしていたか、いやというほど実感されることになる。

キリスト教徒ではなく、しかもプロテスタント諸派のインサイダーではないわたしのような一般的日本人にとっては、讃美歌と唱歌がじつは同じものだということは、言われてみなければまったく気がつかない話である。

なんと、「ごんべさんの赤ちゃんが風邪ひいた・・・」や、「たんたんタヌキの・・・」といった俗謡もまた讃美歌の旋律だというから驚きではないか! ウソだと思うならネット検索してみたらいい。

また、『蛍の光』は英米圏では Auld Lang Syne として大みそかに歌われており、日本ではスコットランド民謡として紹介されることも多い。だが、これもまたじつは讃美歌の旋律を利用したものだったのだ。

『故郷』、『春の小川』、『朧月夜』など日本人の郷愁を誘うのが文部省唱歌に対抗として大正時代に生まれたのが童謡だが、現代日本人にとっては、明治時代に生まれた唱歌との違いは耳で聞いただけではわからない。

『唱歌と十字架-明治音楽事始め-』(安田寛、音楽之友社、1993)が、安田氏がいちばん最初に世に問うと研究成果である。

その後の関連著作はすべてここから派生したものだ。唱歌だけでなく、それ以後の日本人が作曲してきた各種の音楽もまた、明治時代の唱歌から派生してきたものだ。しかも唱歌は讃美歌の替え歌だったのである!

出版順に並べると以下のようになる。

●『唱歌と十字架-明治音楽事始め-』(安田寛、音楽之友社、1993)
●『日韓唱歌の源流-すると彼らは新しい歌を歌った-』(安田寛、音楽之友社、1999)
●『「唱歌」という奇跡 十二の物語-讃美歌と近代化の間で-』(安田寛、文春新書、2003)
●『日本の唱歌と太平洋の讃美歌-唱歌誕生はなぜ奇跡だったのか-(奈良教育大学ブックレット)』(安田寛、東山書房、2008)

これらの書籍で明らかにされた事実をもとに、「西洋音階による近代化」の内実を簡単に見ていくこととしよう。



明治時代前半はアメリカから伝来したプロテスタンティズムの時代

NHK大河ドラマ『八重の桜』の後半は、八重自身の後半生と重ね合わせて展開しているが、その後半生とは新島襄の妻としてのものである。新島襄は学校設立によって、日本の近代化とプロテスタントのキリスト教を日本に布教させるという使命の両立を実現すべく奮闘する。

ドラマを見ている人はお気づきだと思うが、明治時代の教会で重要な意味をもっているのがオルガンと聖歌だ。シーンとしてはわずかなものであっても、初期の同志社に併設されていた礼拝堂でオルガンを弾くシーンがある。

安田寛氏によれば、じつは新島襄は讃美歌を歌うのは下手だったらしい。それもそのはず、彼が生まれ育った時代には、日本には西洋音階はまったく普及していなかったのだ! 日本の伝統的音階は、いわゆるヨナ抜き音階であった。プロテスタントでは牧師になるために音楽は必須だったが、新島襄も音楽だけは苦手だったようだ。

『絶対音感』(最相葉月、新潮社、1998)というノンフィクション作品が話題になったことがあったが、第二次大戦時における帝国海軍では絶対音感をきわめて重視していたというエピソードがでてくる。飛行機などの機械音に敏感になることが、敵発見のためのきわめて重視されたのだ。レーダーはすでに開発されていたが日本では完全に普及しておらず、人間の能力に依存せざるを得なかったわけである。

このエピソードは、英米と全面戦争を戦った大東亜戦争時代には、すでに西洋音階が日本人にとって不可欠かつ不可逆なものとなっていたことを示している。それが明治維新以後約70年後の近代日本だったのである。

大東亜戦争の敗戦からもすでに70年、唱歌が讃美歌から生まれたものだという安田氏の著作をを読んだ以上、日本人が戻ることができるのは、もはやそこにしかないのかという、なんともいえない気分にならざるを得ない。

それほど西洋音楽による日本人改造は不可逆なものとして完成しているわけなのだ。


■16世紀の「宗教改革」が「近代」をつくりだした

讃美歌は、さかのぼれば16世紀の宗教改革とプロテスタント教会の発生にまで行き着く。

プロテスタントの特徴は、カトリックのような聖歌隊が歌う聖歌に身を浸すのではなく、信者(=平信徒)自身が歌うことにある。いわば全員参加型である。自らが讃美歌を歌うことにより、その主体的な行為が信仰を内面化し、旋律と歌詞によって信仰を深めていくというメカニズムである。

そう考えると、唱歌を歌い童謡を歌うという行為は、無意識のうちに讃美歌のリズムで歌っていることになるわけで、われわれの身体には、知らず知らずのうちにキリスト教が浸透していることを痛感せざるをえない。

音楽は生理レベルでの体験であるから、それが幼少時からの反復体験である以上、もはや身体から切り離すことはできないのである。

そしてこれは日本だけの状況ではないのだ。

日本の植民地となった韓国もまたそうであった。キリスト教普及度の高い韓国であるが、キリスト教普及以前に日本から唱歌という形でその旋律は入っていた。日本の唱歌によって、韓国独自の唱歌の発展が困難になったと安田氏はいう。

だがより広い視野で見るなら、16世紀の宗教改革に起源をもつ讃美歌によって、日本・韓国をはじめ、台湾・中国を巻き込んだ、いわゆる漢字文化圏の歌謡が19世紀後半から20世紀初めにかけて大きく変わることを余儀なくされた歴史が見えてくるわけだ。

これはキリスト教、とくにプロテスタンティズムの影響のきわめて小さい中東世界やインド世界の音楽を思い浮かべてみればすぐにわかることだ。アラブ音楽やインド音楽は、西洋音楽とはまったく異なる性格をもつものであり、これらの音楽はいまなお再生産されつづけている。

アメリカが伝道対象として重視していたのは中国である。日本よりも人口規模が大きいためである。これは義和団事件以後さらに強化されることになるが、アメリカと中国の見えざるつながりはキリスト教伝道にあるわけだ。

そしてまた、太平洋地域の島々もまた讃美歌の旋律が伝統音楽を駆逐してしまったのだ。讃美歌の旋律が、文字通りモダン(=近代的)に響いたからであろう。

すでに近代が終わった現在では、当たり前すぎて感激もなにもない状態ではあるのだが・・。



唱歌の本質は「旋律は讃美歌で歌詞は儒教の徳目」

もちろん当然のことながら、西洋音楽がすんなりと明治時代の日本人に受容されたわけではない

近代日本の教育を私学という形で切り開いた宣教師たちのミッションスクールでは讃美歌が歌われていたわけだが、教会関係者以外の一般人にとっては違和感だけではなく、かなり長いあいだ排斥の対象でもあった。

髷を切り洋装するというスタイルが一般庶民にまで普及するのは時間がかかったが、西洋音楽もまた感性に直接かかわるものだけに、受容されるには時間がかかったのである。明治時代にもっとも流行っていたのは娘浄瑠璃であり、森鴎外も熱心なファンであった。

唱歌を日本に導入することにあたって多大な貢献を果たしたのは薩摩藩出身の森有礼(もり・ありのり)であったが、彼は伊勢神宮での「不敬事件」という言いがかりをつけられて右翼の壮士に暗殺されている。森有礼は一橋大学の出発点である商法講習所という私塾を開設した人であるが、彼自身は留学中にキリスト教徒になっていた。

わたしが子どもの頃、「アーメン、そうめん、冷そうめん」というフレーズが、よく子どもどうしでクチにされていたが(・・最近はどうなのだろうか?)、明治時代の状況もだいたい想像がつくというものだろう。

日本の場合、近代化は西欧化として開始されたが、これは遅れて近代化がはじまったドイツやロシアなどと同様、上からの啓蒙という形で実行されたが、最大の難問は、西洋文明の根幹に位置しているキリスト教をどう扱うかという問題であった。

弱肉強食の国際社会で生き残るためには近代化は不可避、しかしキリスト教を中核に据えるわけにはいかないと判断した結果、政権内部での熾烈な争いを経て、近代国家日本の中核に据えたのは、儒教による国民教化と国家神道であった。

仏教やキリスト教という宗教とは次元の異なるのが神道を非宗教化した「国家神道」であり、仏教でも神道でもなく、ましてやキリスト教は論外、国民道徳は儒教によって行うというのが明治国家の結論であった。儒教による国民教化は明治20年代以降、「教育勅語」と「軍人勅諭」によって行われることとなる。

このように国民教化という点にかんしては、明治国家の内部で、キリスト教対儒教という対立がきわめて激しい対立状態にあったのだ。近代化と国民創生をどう両立させるか?

結論はきわめて折衷的なものであった。曲は讃美歌、歌詞は儒教の徳目という奇妙な折衷である。これが唱歌の本質だったのである。唱歌は讃美歌の替え歌なのである!

日本の近代化に隠されていたこの事実。この事実は学校で教えられることはないが、きわめて重い。



日本人の脳は西洋音階に「洗脳」された

弱肉強食の国際社会で生き残るには中央集権化によりつよい軍隊をつくる必要もあった。そのためには、国民一人一人を近代的身体に改造することが必要であった。

幕末に軍制改革を行った諸藩がオランダ式の近代軍隊化を行った際、最新鋭の鉄砲や大砲だけでなく、鼓笛隊も導入したことは重要だ。これは発砲のリズムを音楽によって行ったためである。現在でも京都の時代祭りで見ることができる。

明治維新以後、身分制度が解体されて武士階級がなくなると、つぎは徴兵制が視野に入ってくる。国民皆兵というフランス革命以後の近代国家を成り立たしめる原理の一つである。

音楽にあわせてカラダを動かす。軍隊においては、これはまず行進において行われる。いわゆる行進曲(マーチ)である。

近代軍隊における体格改造は、このように音楽と体育の密接な関係のもとに実行された。

音声による洗脳と刷り込みは、もっぱら聴覚によって行われる。視覚よりも聴覚のほうが、人間にとってはより根源的な知覚であるからだ。

音楽というもっとも見えにくい、しかし人間にはもっとも深い部分に無意識に影響をあたえるものをつうじて日本人は身体改造されてきたわけだが、それは「洗脳」と「刷りこみ」という形で行われたことに気がつかねばならない。

幼少時からお遊戯や行進という形で、音感改造が行われたのである。もはや後戻りはできない不可逆の動きなのである。

日本人改造計画は、日本人の脳の改造から始まっていたのだ!

さまざまな社会制度が西洋から導入された明治時代初期に近代化は音楽をつうじて実行されたわけだが、讃美歌が唱歌として受容されたことにより、アメリカから入ってきたプロテスタンティズムは知らず知らずのうちに日本人のなかに定着してしまっている。

人間精神の根幹において、日本人は西欧化されてしまっているのである。いやすでに明治時代において「アメリカ化」が開始されていたというべきかもしれない。けっして敗戦後にアメリカナイズが始まったわけではないのだ。

もちろん、西洋音階による「洗脳」で、脳内がすべてが消去され書き換えられてしまったわけではない。近代以前の痕跡は日本人のDNAのなかに保存されていることは、日本人の音楽家の演奏に日本的なものがかいま見られると西洋人が指摘することでそれはわかる。

だが、安田氏の一連の著作が発表される以前に書かれた国語学者・金田一春彦による「唱歌」関連の著作などは全面的に書き直される必要がある。

唱歌の歌詞だけみていても、本当のことはなにもわからないのだ。

残念ながら、安田氏の著作は現在ほとんど品切れになっているが、心ある出版社はぜひ文庫化という形で復刊していただきたい。

日本人がいつから現在のような日本人になったかを知るためには、「唱歌誕生の秘密」を知らなくてはならないのだ。



<文献一覧>

『唱歌と十字架-明治音楽事始め-』(安田寛、音楽之友社、1993)


<目 次>

プロローグ
第1章 庭の千草も虫の音も
第2章 たんたんたぬきの
第3章 蛍の光 窓の雪
第4章 うつくしきわがかみのこは
第5章 夢は今もめぐりて
エピローグ
あとがき
引用文献および参考文献









『日韓唱歌の源流-すると彼らは新しい歌を歌った-』(安田寛、音楽之友社、1999)


<目 次>

プロローグ 金日成の模範的革命歌謡
第1章 演歌朝鮮半島起源説の真偽
第2章 東アジアに越境した唱歌
第3章 リズムのDNA鑑定
第4章 日本唱歌の起源
第5章 宣教団体「アメリカン・ボード」讃美歌伝道
第6章 軍歌讃美歌発生説
第7章 大衆が熱狂的に支持した軍歌
第8章 韓国唱歌の不動の型になった軍歌
第9章 讃美歌の繁殖力の秘密
第10章 二重の洗礼
第11章 韓国唱歌の遺伝子鑑定
エピローグ 讃美歌の洗礼を受けたミクロネシアの島々
主要参考文献
あとがき
図版・楽譜・写真の出典および所蔵一覧




『「唱歌」という奇跡 十二の物語-讃美歌と近代化の間で-』(安田寛、文春新書、2003)


<目 次>

はじめに
1. 「むすんでひらいて」
2. 「蛍の光」
3. 「蝶々」
4. 「数え歌」
5. 「海ゆかば」
6. 「君が代」
7. 「さくらさくら」
8. 「法の御山」
9. 「一月一日」
10. 「故郷」
11. 「真白き富士の根」
12. 「シャボン玉」
図版・楽譜・写真の出典および所蔵一覧
あとがき





『日本の唱歌と太平洋の讃美歌-唱歌誕生はなぜ奇跡だったのか-(奈良教育大学ブックレット)』(安田寛、東山書房、2008)


目 次

はじめに
1. FM古都
2. 唱歌と童謡
3. 研究の面白さ
4. 唱歌という奇跡
5. 唱歌誕生は奇跡だった
6. インターディシプリン
7. 「蝶々」の場合
8. アジア太平洋の讃美歌と唱歌
9. キリスト教海外伝道とは
10. 伝道にとっての音楽
11. 讃美歌集の仕事
12. 宣教師は歌が上手だったのか
13. どんな人が宣教師になったのか
14. アンドリュウ
15. 讃美歌は簡単に受け入れられたのか
16. 土地の古くからの歌との関係は
17. 唱歌はなぜ他所では生まれなかったのか
18. 唱歌の劇的な誕生
19. アジア太平洋で唱歌が果たした役割
20. 今後の研究について
あとがき




著者プロフィール


安田 寛(やすだ・ひろし)
1948年、山口県生まれ。国立音楽大学声楽科卒、同大学院修士課程で音楽美学を専攻。山口芸術短期大学助教授、弘前大学教育学部教授を経て、2001年より奈良教育大学教育学部教授。19世紀、20世紀の環太平洋地域の音楽文化の変遷について研究中。著書に、『唱歌と十字架』(音楽之友社、1993)、『日韓唱歌の源流』(音楽之友社、1999)、『原典による近代唱歌集成』(編集代表、CD30巻+楽譜+資料、ビクターエンタテイメント、2000)、『唱歌という奇跡 十二の物語』(文藝春秋、2003)、『日本の唱歌と太平洋の讃美歌-唱歌誕生はなぜ奇跡だったのか』(奈良教育大学ブックレット第2号、2008)などがある。2001年に第27回放送文化基金賞番組部門個別分野「音響効果賞」、2005年に第35回日本童謡賞特別賞を受賞。奈良市在住。最新刊は『バイエルの謎-日本文化になったピアノ教則本』(音楽之友社、2012)。

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<参考>

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000) というブログ記事でわたしは以下のように書いている。

・・「日本におけるキリスト教の不振」についての文化人類学者・泉靖一の発言が興味深い。

「中国と朝鮮では、朱子学が村落レベルまで浸透しました。朱子学の発想には二元論的発想がととのえられています。だから、中国と朝鮮のキリスト教化のために、朱子学が論理的地ならしをしたと、皮肉ることもできます。ところが、日本の場合は、これと趣きを異にします・・(後略)・・」。

以下は、わたしが書いた文章の再録である。

「ただし、岡本太郎の、「岡本 そうですね。それを考えると、日本人ってのはまったく不思議な民族だと思いますね。これだけ融通無碍でありながら、みじんも影響されていない。」、という認識は必ずしも正しくない。
 日本人は、キリスト教徒と名乗る人が全人口の1%程度であるというだけの話であって、日本人のものの考え方に、知らず識らずのうちにキリスト教が浸透していると私は考えている。
 明治維新以降、日本の思想家はキリスト教との格闘をつうじて、ある者は全面的に取り入れ、ある者は全面的に排斥したが、多くの者は外国文学などをつうじてキリスト教に触れている。そして多くの一般人は、無意識のうちにキリスト教の影響を受けているのが実態である。・・(中略)・・まあ、こんな風に考えていくと、今後も日本ではキリスト教徒は増えることはないだろう。自分にとって都合のいいもの、受容しやすい部分だけ、無意識に取捨選択して、すでに十分に取り入れてしまっているからだ」。

この時点の発想にはまだ限界があったのだ。唱歌=讃美歌をつうじて、日本人は感性レベルにおいても、不可逆の影響をキリスト教、とくにプロテスタンティズムから受けてきたのである。ただし、教義も信仰も受け入れなかったのではあるが。しかし、それが「日本近代」というものの本質でもあろう。



<ブログ内関連記事>

書評 『国家と音楽-伊澤修二がめざした日本近代-』(奥中康人、春秋社、2008)-近代国家の「国民」をつくるため西洋音楽が全面的に導入されたという事実

「信仰と商売の両立」の実践-”建築家” ヴォーリズ
・・キリスト教伝道のため来日し日本に帰化したヴォーリズ

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある

「アラブの春」を引き起こした「ソーシャル・ネットワーク革命」の原型はルターによる「宗教改革」であった!?

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・まず日本に入ってきたのは漢訳聖書であった

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう
・・新島襄の盟友であった山本覚馬は旧会津藩士。かれも洗礼をうけてキリスト教徒となる

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・同志社の伝道によってキリスト教徒となった京都府綾部の人

書評 『聖書を読んだサムライたち-もうひとつの幕末維新史-』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)-精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー
・・翻訳者の中村正直は儒者として身を立てたが英国留学を機会にキリスト教徒となった

書評 『戦前のラジオ放送と松下幸之助-宗教系ラジオ知識人と日本の実業思想を繫ぐもの-』(坂本慎一、PHP研究所、2011)-仏教系ラジオ知識人の「声の思想」が松下幸之助を形成した! ・・ラジオの説教は耳からの洗脳

書評 『日本人は爆発しなければならない-復刻増補 日本列島文化論-』(対話 岡本太郎・泉 靖一、ミュゼ、2000)
・・「日本におけるキリスト教の不振」についての文化人類学者・泉靖一の発言が興味深い。「中国と朝鮮では、朱子学が村落レベルまで浸透しました。朱子学の発想には二元論的発想がととのえられています。だから、中国と朝鮮のキリスト教化のために、朱子学が論理的地ならしをしたと、皮肉ることもできます。ところが、日本の場合は、これと趣きを異にします・・(後略)・・」。

書評 『傭兵の二千年史』(菊池良生、講談社現代新書、2002)-近代世界の終焉と「傭兵」の復活について考える ③
・・世界でもっともはやく近代的な軍政改革を行ったのはオランダ

「秋季雅楽演奏会」(宮内庁式部職楽部)にいってきた(2012年10月19日)
・・宮内庁式部職楽部は西洋音楽のクラシックも演奏する。明治時代初期にかれらが最初に決断したことである

「築地本願寺 パイプオルガン ランチタイムコンサート」にはじめていってみた(2014年12月19日)-インド風の寺院の、日本風の本堂のなかで、西洋風のパイプオルガンの演奏を聴くという摩訶不思議な体験
・・浄土真宗とプロテスタント教会の教会音楽が結びつく

 (2014年12月20日 情報追加)


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2013年10月15日火曜日

書評『聖書を読んだサムライたち ― もうひとつの幕末維新史』(守部喜雄、いのちのことば社、2010)― 精神のよりどころを求めていた旧武士階級にとってキリスト教は「干天の慈雨」であった

(表紙カバ-は、宣教師フルベッキと若き武士たち)


明治時代はキリスト教の時代といわれるほど、じつに多くの青年や若い女性がキリスト教に触れ、キリスト教の洗礼を受けたのであった。

それはキリスト教を伝道する側の熱情だけではなく、キリスト教を受け入れる側にも生まれていた熱情からきたものなのであった。第二次グローバリゼーションの大波のなか、近代化を西洋化として開始した日本にとって、キリスト教はそのバックボーンとして、受け入れるにせよ排除するにせよ、けっして無視できない存在であった。

本書『聖書を読んだサムライたち ー もうひとつの幕末維新史』は、オランダ人宣教師フルベッキからはじまる流れを、人物中心のエピソード集として一冊にまとめたものである。

基本的にキリスト教宣教の立場から書かれているので、やや主張の展開に強引ではないかと思う個所がなくもないが、幕末維新から明治時代前半にかけての流れを知るには手ごろな一冊といえるだろう。

『武士道』(Bushido)の新渡戸稲造や、『余は如何にして基督信徒となりし乎』の内村鑑三がその典型であるが、明治時代以降キリスト教徒になった初期の日本人には旧武士階級出身者が多い。

第一次グローバリゼーションの戦国時代末期に伝来したカトリックとは異なり、聖書を読むことに重きをおいていたプロテスタント諸派にとって、儒教を中心として漢学を修めていたことで武士階級は読み書きの基礎学力があった点、伝道相手としては格好の存在であったことだろう。

旧武士階級、なかでも精神のよりどころを求めていた没落士族にとっては「干天の慈雨」というべきものだったのだろう。武士として仕えるべき主君を失い、渇きを求めた精神は水を吸うようにキリスト教を吸収したのであった。

終章で福澤諭吉を取り上げているのは、著者が慶應義塾大学卒業というだけではない。キリスト教排撃論者として知られていた福澤諭吉は、じつはキリスト教には理解があり、のちには自分の考えを改め、それを新聞論説で公表している。

おそらくかの有名なフレーズ「天は人の上に・・・」にでてくる「天」は、キリスト教の「天」(Heaven)も念頭にあったのかもしれない。

著者は言及していないが、西郷隆盛の有名な「敬天愛人」もキリスト教と関係があるという説もあるくらいだ。『自助論』の翻訳者・中村正直をつうじて知ったものらしい。中村正直は儒者でキリスト教徒になった人だ。

個々の人物についての深掘りはないのがやや物足りないが、一般にはあまり知られていないエピソードを多くとりあげている点はよい。

NHK大河ドラマ『八重の桜』の後半を見て、明治時代とキリスト教の関係について気になった人には、読んで損はない一冊として薦めておきたい。


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目 次

はじめに
プロローグ
第1章 洋上に浮かんでいた聖書
第2章 坂本竜馬を斬った男-今井信郎
第3章 自由民権運動の嵐の中で-坂本直寛
第4章 梅子、八歳のアメリカ体験-津田梅子
第5章 欧米使節団と密航青年-新島襄1
第6章 小刀で漢訳聖書を求める-新島襄2
第7章 会津のジャンヌダルク-新島八重
第8章 十字屋を開いた元・与力の商才-原胤昭
第9章 少年よ大志を抱け-クラーク博士の教え子たち
第10章 イエスを愛し日本を愛す-内村鑑三
第11章 われ太平洋の架け橋とならん-新渡戸稲造
第12章 一万円のあの人の話-福沢諭吉
エピローグ

著者プロフィール 

守部喜雅(もりべ・よしまさ)
1940年、中国上海市生まれ。慶応義塾大学卒業。1977年から97年まで、クリスチャン新聞・編集部長、99年から2004年まで月刊『百万人の福音』編集長。ジャーナリストとして、四半世紀にわたり、中国大陸のキリスト教事情を取材(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。


<関連サイト>

敬天愛人の原拠(田村貞雄 日本近代史)
・・西郷隆盛といえば「敬天愛人」。この「敬天愛人」の根拠は漢訳聖書にあるらしい。直接の典拠は儒者でキリスト教徒であった中村正直にあるようだ。さらにさかのぼれば康煕帝の「敬天愛人」に


<ブログ内関連記事>

書評 『武士道とキリスト教』(笹森建美、新潮新書、2013)-じつはこの両者には深く共通するものがある

書評 『聖書の日本語-翻訳の歴史-』(鈴木範久、岩波書店、2006)
・・まず日本に入ってきたのは漢訳聖書であった

書評 『メイド・イン・ジャパンのキリスト教』(マーク・マリンズ、高崎恵訳、トランスビュー、2005)-日本への宣教(=キリスト教布教)を「異文化マーケティング」を考えるヒントに

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう
・・新島襄の盟友であった山本覚馬は旧会津藩士。かれも洗礼をうけてキリスト教徒となる

グンゼ株式会社の創業者・波多野鶴吉について-キリスト教の理念によって創業したソーシャル・ビジネスがその原点にあった!
・・同志社の伝道によってキリスト教徒となった京都府綾部の人

『自助論』(Self Help)の著者サミュエル・スマイルズ生誕200年!(2012年12月23日)-いまから140年前の明治4年(1872年)に『西国立志編』として出版された自己啓発書の大ベストセラー
・・翻訳者の中村正直は儒者として身を立てたが英国留学を機会にキリスト教徒となった

書評 『明治キリスト教の流域-静岡バンドと幕臣たち-』(太田愛人、中公文庫、1992)-静岡を基点に山梨など本州内陸部にキリスト教を伝道した知られざる旧幕臣たち

福澤諭吉の『学問のすゝめ』は、いまから140年前に出版された「自己啓発書」の大ベストセラーだ!

書評 『なんでもわかるキリスト教大事典』(八木谷涼子、朝日文庫、2012 初版 2001)一家に一冊というよりぜひ手元に置いておきたい文庫版サイズのお値打ちレファレンス本

(2014年7月18日 情報追加)


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