『フォーサイト』2010年4月号(最終号)を読んだ。
3年間の継続購読をしていた私は、2010年2月で購読期間がきれたのだが、のこり2冊を購読するため追加料金を払って入手した。やはり長年読んできたし、最後まで見届けたいという気持ちもあったからだ。画竜点睛を欠くわけにはいけないしね。
■署名記事の是非という本質問題を考える
あらためてここで振り返って考えておきたいのは、署名記事の是非についてである。
『フォーサイト』は署名記事であり、先行していた『選択』と比べて新鮮味があったのは事実である。
記事に署名を入れることで責任の所在を明確にし、執筆者のバックグランドまで含めた個性を把握した上で、掲載記事や掲載論文を読むことを可能にする点、これは大きなメリットであるし、現在では新聞記事も署名記事が増えているのはその流れであるといえよう。
一方、先に名前を出した『選択』や英国の『The Economoist』は現在でもかたくなに、無署名記事を中心にしている。
署名記事にしない理由は、『選択』の場合は、情報ソースを明かさないことでディープなインサイド情報を書くことができることであり、実際メディア関係者が覆面で執筆しているようだ。『The Economist』の場合は、昔からそうしているという以上の理由は見いだしにくいが、執筆者そのものよりも編集長の個性が何よりも中心にあるという姿勢のあらわれであろうか。
署名記事と無署名記事のメリット/デメリットはよく知ったうえで、情報を取り扱う必要があるし、そのためのノウハウも確固として存在する。
さて、『フォーサイト』はどうであるか、ということにかんしては、署名記事ゆえのメリットもあるが、デメリットも少なからずあるような気がしなくもない。署名記事の場合、内容もさることながら執筆者名でその記事や論文を読む選択をすることがあり、せっかく中身がよくても執筆者が自分の好みでない場合、オミットしてしまうことも多々あるからだ。もちろん逆の場合のほうが多いことは確かだが。
また、掲載している記事や論文が玉石混淆で、非常に優れた内容のものもあれば、なんだこれはというような記事も少なくない。総花的な編集方針なので、政治経済の記事以外の企業関係の記事には少しがっかりさせられるものが多い。これは先にもみたように署名記事の限界が現れているものと思われる。
「世間」のなかで生きている日本人にとって、しかもメディア関係者という、さらに狭い「世間」のなかで生きていく人間にとって、本当の意味での記事は書きにくいだろう。
命かけてまで書くという気概をもったジャーナリストもまた、この国では生きるのは難しい。無署名原稿でなければ書けない記事というものがある。とくに企業関係の記事は、キレイごとだけの記事だと面白くともなんともない。
こういった本質的な問題を、ウェブ版ではどう解決していくのか、あるいは現在のフォーマッットのままただ単に発表媒体を印刷媒体からインターネットに移行するだけなのか、注視したいと思う。
■ 「創刊20周年記念号 これからの20年」?
以上、本質的な話について考えてみたが、最終号の特集について触れておこう。 「創刊20周年記念号 これからの20年」と題して、さまざまな特集記事を掲載している。目次を哨戒しておこう。太字ゴチックは私の注目記事。
「待ち受ける「2つの未来」」(インタビュー:ニーアル・ファーガソン)
「社会保障改革に立ちはだかる「既得権益層」」(鈴木亘)
「人口減少社会でも「豊かさ」は実現できる」(大竹文雄)
「暗雲垂れこめる「製造業の未来」」(新田賢吾)
「アジアの養殖業は世界の胃袋を満たせるか」(中田誠)
「激化する「食料」と「環境」の相克」(井田徹治)
男たちへ、女たちへ、若者たちへ(書面インタビュー:塩野七生)
人物篇 次の20年の20人
地域篇 これからの20年の世界
アメリカ/ロシア/中国/朝鮮半島/ヨーロッパ/中東/インド/東南アジア/アフリカ/中南米
今後20年のフォーサイト・スケジュール
ざっと読んでみて「これからの20年」といえるような記事は、正直いってあまりなかった。ほとんどの記事が、現時点の問題をそのまま延長線上のものとして取り上げているに過ぎないからだ。
このブログでも何度も書いているように、「20年先のことを透視できる」のはいかさま相場師たちや預言者たちだけであろう。それですら大半がはずれるというのが、この世の常である。
私は、経営企画担当として経営企画業務を長年やってきているが、5年先ですらわからないのに、なんで10年先や20年先がわかろうか、というものだ。
そんななかでも読むに値する論文が、「人口減少社会でも「豊かさ」は実現できる」(大竹文雄)であった。将来推計の人口分布をもとにした経済学者の論文は読む価値のあるものである。これはぜひ目をとおすべきだと推奨しておきたい。
また、「男たちへ、女たちへ、若者たちへ」(書面インタビュー:塩野七生)は、もちろん読む価値がある。20年後は確実に死んでいると明言している、1937年生まれの作家の若者へのアドバイスはきわめて潔よい。塩野七生の『男たちよ』は私の人生の指南書でもあるが、司馬遼太郎ではないが、塩野七生にはぜひ若者向けに遺書(?)を残して欲しいものだと思う。
■ニーアル・ファーガソンという「今後20年間で」注目しなければならない歴史学者
結局のところ、いまのような激動期は、10年先や20年先の確実な予測などできるわけがない。その意味では、「待ち受ける「2つの未来」」(インタビュー:ニーアル・ファーガソン)は面白い。
ニーアル・ファーガソン(Niall Ferguson)という歴史家の名前は、恥ずかしながらこのインタビュー記事を読むまで知らなかったが、現在ハーバード大学の歴史学教授とハーバード・ビジネス・スクール(HBS)の経営管理学教授を兼任し、ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)の歴史学と国際関係論の教授を兼任する気鋭の歴史学者である。Wikipedia(英語版)の記述によればそうある。
1964年にスコットランドに生まれた気鋭の歴史学者である。専攻は金融史と経済史、および植民主義の歴史とのことで、日本語に翻訳された著書には、『憎悪の世紀 上下-なぜ20世紀は世界的殺戮の場となったのか-』(仙名紀訳、早川書房、2007)と『マネーの進化史』(仙名紀訳、早川書房、 2009)があるようだ。「今後20年間で」注目しなければならない歴史学者のようだ。
詳しくは直接『フォーサイト』の本文を読んでいただくのがよいと思うが、私の心に「刺さった発言」を引用しておく。太字ゴチックは引用者によるもの。
ファーガソン まさに歴史的なターニングポイントです。大きな視野でいうならば、「西洋の上昇の終焉」という歴史的転換期です・・(中略)・・こうした西洋(この場合、日本も含む)の衰退と裏腹に、中国やインドを筆頭とする東洋は、経済危機から打撃を受けることもなく、成長を続けている。
私の見通しが正しければ、西洋はいま、500年以上居座ってきた支配的地位からすべり落ちようとしている。つまり07年の危機は単なる経済危機ではなく、世界的な力のバランスが西から東へと移行していく歴史の転換期なのです。
ファーガソン 歴史学者として学んだのは、「未来」は一つではないということ。未来は「フューチャーズ」(*)と複数で語るべきなのです。そして、私たちには複数の未来の中から道を選び取っていく選択肢がある。
(*引用者注:フューチャーズ futures と複数形にすると「先物」(さきもの)のことをさす。さすが金融史専攻の歴史学者である。日本語版の編集者はこういうシャレをきちんと日本語で説明しておくことが必要。いまひつ気配りが足りないな・・・)
ファーガソン 中東からアフリカにかけての出生率の高い地域で、満たされない思いを抱える若い男性が危険なエネルギーをためている。百年前はこれがドイツであり日本であった。こうした怒れる若者の圧力が、領土拡大の背景にあった。だが、高齢化し、成熟した日本やドイツにそんな圧力はない。その意味でも沸点は移動した。
つまるところ、 「創刊20周年記念号 これからの20年」特集の、私にとって最大の収穫は、ニーアル・ファーガソンという「今後20年間注目すべき歴史学者」を発見したことに尽きるかもしれない。ファーガソンの著作は、時間をみつけて読んでみたいと思っている。
いまほど歴史学の重要性が増している時代もないだろう。歴史作家の塩野七生は、「日本人は垂直(歴史)思考が不得手」と述べているが、歴史ドラマや歴史小説が好きでも、それは歴史的思考とは異なるものである。ドラマや小説は、時代背景を過去に設定しただけの現代ものであり、いくらドラマをみても垂直的(=歴史的)に思考する訓練を行うことはできない。もちろん、エンターテインメントとして楽しむのはまったく問題ない。
まあ、私などの表現を使えば、垂直的は通時的といいかえてもいいが、「通時的」(ディアクロニック)な思考と「共時的」(シンクロニック)な思考、いいかえれば歴史的思考と構造的思考の両面でものを見なければ、ワンランク上のビジネスパーソンにはなることができないだろう。
この点にかんしては、歴史的には衰退過程にあるとはいえ、まだまだ西欧に学ぶべきものは多い。その上で、市場としての中国やインドでビジネスチャンスを発掘していくことが、これからの日本人ビジネスパーソンに求められる課題ではなかろうか。
こんな期待に応えてくれるインテリジェンス雑誌が欲しいものである。
ウェブ版の『フォーサイト』が、この期待に応えてくれることを望みたい。
PS 読みやすくするために改行を増やし、小見出しを加えた。本文には手を入れていない。また写真を大判にした。 (2014年年3月3日 記す)。
<参考サイト>
◆ niallferguson.org(歴史家ファーガソンの公式ウェブサイト 英語)
◆ Niall Ferguson on Twitter(歴史家ファーガソンのつぶやき)
<ブログ内関連記事>
■未来は過去に読む-歴史研究から
『2010年中流階級消失』(田中勝博、講談社、1998) - 「2010年予測本」を2010年に検証する(その1)
『次の10年に何が起こるか-夢の実現か、悪夢の到来か-』(Foresight編集部=編、新潮社、2000) - 「2010年予測本」を2010年に検証する(その2)
書評 『100年予測-世界最強のインテリジェンス企業が示す未来覇権地図-』(ジョージ・フリードマン、櫻井祐子訳、早川書房、2009)
「500年単位」で歴史を考える-『クアトロ・ラガッツィ』(若桑みどり)を読む
書評『1492 西欧文明の世界支配 』(ジャック・アタリ、斎藤広信訳、ちくま学芸文庫、2009 原著1991)
■塩野七生の歴史的思考
賢者が語るのを聴け!-歴史小説家・塩野七生の『マキアヴェッリ語録』より
書評 『日本人へ リーダー篇』(塩野七生、文春新書、2010)-ときどき「おお、これは鋭い」と思えるような指摘がある
600年ぶりのローマ法王と巨大組織の後継者選びについて-21世紀の「神の代理人」は激務である
書評 『想いの軌跡 1975-2012』(塩野七生、新潮社、2012)-塩野七生ファンなら必読の単行本未収録エッセイ集
■署名=ブランドの意味について考える
「セルフブランディング」と「セルフプロデュース」、そして「ストーリー」で「かたる」ということ-「偽ベートーベン詐欺事件」に思う (2014年2月)
・・「署名記事」にはゴーストという疑惑が100%できないという問題点もある。そもそも雑誌記事といえども編集者の手によって加筆修正がされ、タイトルが変えられることは常識である。記事そのものについても署名記事の署名は、信用を担保するという意味においてブランドとしての機能と同じである
(2014年3月3日 情報追加)
P.S. この記事をもって、ブログ掲載記事が300本目となった。250本目のときにも書いたが「継続はチカラなり」、ブログ開設から11ヶ月で300本書いたが、これで「ほぼ毎日更新中」の公約は、看板に偽りなしと実証できているものと、自分をちょっとだけ褒めてやりたい。仕事が忙しくなってから(・・でないとまた困るのだが)も、「ほぼ毎日」できるか、私にとって限界への挑戦となる。
今後もさらに、350本目、400本目を目指して、とりあえず小さな目標(苦笑)でがんばります!
読者の皆様には、この場を借りて感謝申し上げる次第です。
(2012年7月3日発売の拙著です)
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