■「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか、直接的な参考にはならないが、現状を冷静に見つめるための「考えるヒント」を与えてくれる本■
「脱欧入亜」によってアジア・アフリカで一大植民地帝国を築き上げ、ヨーロッパ大陸とは基本的に距離をとってきた大英帝国の興亡。
1492年から始まった「西洋による世界支配の500年」、その先導役となったのがスペイン帝国であったならば、その後に覇権を握ったのは、エリザベス一世のもと海賊を取り込み、「情報力」によってスペインの「無敵艦隊」を打ち破った英国であった。
英国は以後、スペインに変わって大西洋世界の覇権を握り、アメリカ独立によって北米を失うという痛い経験をしたのちも、「大英帝国」としてアフリカからアジアにわたる一大植民地帝国を築き上げていった。
しかし大英帝国は、衰退過程に入ってから約半世紀にして植民地のほぼすべてを名誉ある撤退によって放棄、最終的には「脱亜入欧」によってヨーロッパに回帰することになる。米ソによる冷戦構造が崩壊したのち、1994年に雑誌連載されたこの歴史書は、大英帝国はすでに「歴史」として描かれる対象となったことを図らずも示すこととなった。
本書は、大英帝国の支配が及んだ植民地の記述は非常に少なく、なぜ英国が300年近くにわたって覇権を維持できたか、ローマ帝国やヴェネツィア共和国の比較を念頭におきながらも、もっぱら英国内部の政治経済の状況と、政治を支えた貴族と国民の精神力に重点を置いた記述を行っている。
大英帝国の草創期からその終焉にいたるまでを一冊で描いた本書は、日本語でよめる本では先駆となるもので、意外にも充実した読書感をもつことができた。
私は個人的には中世から近世にいたる英国史にはまったく興味を感じることのできないのだが、大英帝国となって以後、とくにヴィクトリア女王統治下に絶頂期を経験し、以後衰退していく英国史には大いに興味をそそられた。より現代に近いというのもその理由の一つだろう。
多くの有識者が改革の必要性について論じていたにもかかわらず、成功しているがゆえに改革が徹底できないもどかしさ。もちろん著者の念頭には、本書が雑誌連載されていた当時の1994年、そして単行本としてまとまった1997年当時の日本の状況があるのだろう。
16年たった2010年の現在、この国で改革は果たして実行されたといえるのだろか。ただただ迷走を続けているようにしか見えないのだが。
大英帝国に替わって世界の覇権を握ったのは米国であるが、現在この米国の覇権に挑戦するかのように視られているのが中国であることはいうまでもない。
しかし、本書を読んで思うのは、英国に対する挑戦者としてヨーロッパ大陸から急速に勃興し英国を脅かす存在となったドイツが、何かしら日本に対して挑戦者として急速に勃興してきた中国を想起させるものがあるのだ。
歴史の教訓として、英国はドイツを意識しすぎるあまり、衰退を早めたことが本書では語られている。もちろん当時の英国と現在の日本とでは、置かれている環境に違いがあるものの、地政学的には似たようなポジションにある英国のパターンが日本にもあてはまるのではないかと考えるのは不自然なことではないだろう。
第二次世界大戦の勝利者となった英国が、実は財政的には破綻状態にあり、あらたな覇権国となりつつあった米国を頼みの綱と思い込んでいたにもかかわらず、戦争終結後は米国からきわめてビジネスライクな対応をされた英国の姿に、われわれはいったい何をみるべきか。われわれ自身のマインドセットも大幅に変更しなくてはならないのかもしれない。こんな感想ももつのである。
「歴史にイフはない」と、当然といわんばかりにクチにするのは、二流の歴史家に過ぎないと私は思っている。人間の歴史とはさまざまな局面における政治的な意志決定が複雑にからみあい、意図せざる結果をもたらすものである以上、その時々の意志決定の是非について「イフ」を考えるのは、むしろ生産的で建設的な思考である。著者も、衰退論を研究する意味はそこにあると主張しており、大いに納得するものを感じた。
日本もすでに「下り坂の衰退過程」にあるとはいえ、なんとかして国家として、民族として生きのびるためには、国民一人一人が考え、行動していかなくてはならない。本書は、そのための直接的な参考にはならないが、現状を冷静に見つめるためにの、考えるヒントを与えてくれる本である。
「ローマ帝国」衰亡史や「ヴェネツィア共和国」衰亡史もさることながら、いまから50年前の1960年に「帝国の終わり」を公式に宣言したばかりの「大英帝国」の衰亡史こそ、まだまだ現時点においてリアリティをもって想像することのできる「歴史」である。
いかに「下り坂の衰退過程」をマネジメントしていくか、この課題を考えることは政治家だけにまかすわけにはいかないのだ。
<初出情報>
■bk1書評「「下り坂の衰退過程」にある日本をどうマネジメントしていくか、直接的な参考にはならないが、現状を冷静に見つめるための「考えるヒント」を与えてくれる本」投稿掲載(2010年3月24日)
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<書評への付記>
■ミャンマー(ビルマ)の真ん中で『大英帝国衰亡史』を読む-「ご当地読書」のすすめ
この本は、ミャンマーにもっていって、リゾート地のインレー湖にある水上コテッジのテラスで読み終えた(左写真)。背景に写っているのは、インレー湖の有名な足漕ぎ舟の漁師である。
ミャンマーはいうまでもなくかつてはビルマ(Burma)と呼ばれた国であり、大英帝国の植民地として、英領ビルマは英領インドの一部として統治されていた。現在にいたるまでミャンマーでは軍事政権が続いている理由の一端に、かつての大英帝国が政策として巧みに実施運用していた「分割統治」(divide and rule)があることは知っておくべきである。
多民族状況のビルマで民族どうしを互いに牽制させることによっって、ごくごく少数者である植民統治者である英国の支配を可能にした。これがいかに問題を現在まで残しているか、国内内戦状態がいまだに終わっていないのが、ミャンマー連邦(Union of Myanmar)の実情である。国内統一のための軍の存在は否定することはできないのである。もちろん、真の意味における民政移管が進展することを切に望むが、国内治安状況を考慮に入れれば、民主化にはまだまだ時間がかかるのは仕方あるまい。
この点については、かつて私が書いた 書評『ミャンマーの柳生一族』(高野秀行、集英社文庫、2006)を参照されたい。ミャンマーを江戸時代に見立てた冒険作家の記述は実に鋭い。面白くてためになる本である。
しかし、せっかく旧植民地ビルマ(ミャンマー)にもっていって読んだのだが、英領インドにかんする記述も、英領ビルマにかんする記述もごくわずかだった。「本書は、大英帝国の支配が及んだ植民地の記述は非常に少なく・・・」と書評に書いたのは、そういうことが背景にあった。
とはいえ、こういう本を日本国内ではなく、「ご当地」の一つで読むというのも、また面白いものがある。観光気分を損ねない範囲内で、旅先でも本を読みたいものだ。
ビルマ(ミャンマー)から大英帝国が去って62年、すでに「今は昔の物語」となっている感がなくもない。
13年前に初めて訪れた時に比べても、大英帝国の名残が日に日に消えてゆくミャンマーであった。
■『大英帝国衰亡史』(中西輝政)について
本の中身については書評に書いたとおりだが、著者については毀誉褒貶(きよほうへん)相半ばする人物でもあるので、少し注記しておきたい。
著者は、京大法学部大学院で政治学者・高坂正堯(まさたか)の弟子であり、英国贔屓(びいき)は、師匠譲りのものといえるだろう。以前このブログに書いた 書評『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)を読んでいただけると幸いだが、高坂正堯に比べると、同じ保守派とはいっても、資質の点からいってもだいぶ異なる印象を受ける。また、私自身は民主主義先進国である英国政治を特別視するつもりもないし、中西輝政のように英国の貴族制度が素晴らしいと手放しで礼賛する気持ちもない。
この本を読んだのは、「大英帝国」の通史として、日本語で読める先駆的作品であること、かつ首尾一貫した内容で論旨に破綻がなく、また比較的コンパクトにまとまった本であるからだ。
英語では、すでに British Empire にかんするに大冊が何冊も出版されており、私自身も2冊もっているが、正直いって面倒くさいので全部とおしで読むことはしていない。自分の関心にあわせて、アジアの旧植民地の記述を斜め読みするだけである。
私が書評に書いた文章にこういう一節がある。
英国に対する挑戦者としてヨーロッパ大陸から急速に勃興し英国を脅かす存在となったドイツが、何かしら日本に対して挑戦者として急速に勃興してきた中国を想起させるものがあるのだ。歴史の教訓として、英国はドイツを意識しすぎるあまり、衰退を早めたことが本書では語られている。もちろん当時の英国と現在の日本とでは、置かれている環境に違いがあるものの、、地政学的には似たようなポジションにある英国のパターンが日本にもあてはまるのではないかと考えるのは不自然なことではないだろう。
これは私の感想であって、著者自身のものではないが、いろいろと考えさせられるものが多い歴史的事実であるというべきである。
日本を軸にして考えても、大英帝国がはじめて結んだ軍事同盟である「日英同盟」によって、からくも日露戦争に勝利した日本は、その後勃興してきた米国の横やりで日英同盟を破棄することを余儀なくされ、大東亜戦争においてはついには大陸国家ドイツと軍事同盟(=「日独伊三国軍事同盟」)を結ぶに至る。
地政学的に見れば、ユーラシア大陸の両端に位置する英国と日本はきわめて似た性格をもっているが、「衰退する大英帝国」を見限り、「勃興するドイツ」と手を結んだのが正しい政策であったのかどうか、答えがすでにでているとはいえ、日本が国家としての透徹した歴史観を欠いていたことの証左ともなる意志決定であったといわざるをえまい。
つい最近ブログに書いた 『次の10年に何が起こるか-夢の実現か、悪夢の到来か-』(Foresight編集部=編、新潮社、2000) - 「2010年予測本」を2010年に検証する(その2)には、2000年時点における塩野七生のインタビュー記事から引用を行ったが、19世紀の時点において「衰退する英国」と「勃興するドイツ」にかんして面白い発言があったので再録しておこう。
塩野 たとえば、ギボンは『ローマ帝国衰亡史』を18世紀の啓蒙主義時代に書いた。・・(中略)・・当時のイギリス人として学ぶべきことは、どうすればローマのように衰退しないですむか、という一事だけだった。そこでギボンは、ローマの衰亡史のみをとりあげたわけ。
---ローマ帝国の後半部ですね。
塩野 ええ。ギボンはイギリスはローマを超えたと思っているので、ローマ帝国の興隆期のことは書く必要などないと思ったのでしょう。・・(中略)・・1848年にはヨーロッパ各地で革命が勃発・・(中略)・・この混迷の時代にモムゼンというドイツ人の歴史家が、建国からカエサルの死までの、ローマの興隆期を書くのです。まだドイツが統一されていない時期でしたから、なぜローマが統一し興隆できたかを、知りたいという痛切な欲求があったんですね。これが、ギボンのものと並んで現代に至るまでのローマ史の名著の一つであるモムゼンの『ローマ史』が書かれた背景です。
英国は衰退し、ドイツもすでにピークは過ぎ、そして日本もともに下り坂の衰退過程にある。国のかたちはさまざま異なれども、いずれも全盛期はすでに過ぎていることは明らかである。
しかし、中西輝政が『大英帝国衰亡史』最終章で書いているように、1960年代の英国はすでにビートルズを生み出し、新しい英国として再生していったことが語られている。
1980年代には私の好きな元祖ビジュアル系バンドのクイーンも生み出しているし。ビートルズのメンバーはみなアイリッシュ(・・さかのぼればケルト人)の系統であったが、クイーンのボーカル故フレディー・マーキュリーは、パルシー(=ゾロアスター教徒)のペルシア系インド人植民地官僚の息子であり、まさに大英帝国の遺産そのものである。いまクイーンを聴きながらこれを書いているが、YouTube で Killer Quuen でも聴いてみましょうかね。ついでに We Are the Champions に Flash も。きりがないからここらへんでやめとこう。
「リーマンショック」以降の英国の現状は、財政面にかんしてきわめて多難なものがあるとはいえ、大英帝国の終焉以降も数々の苦難を時には荒治療も行いながら、なんとか乗り越えてきた。マーガレット・サッチャー、そして政党は違ってもその改革の継承者であるトニー・ブレア。
1990年代のブレアの時代には「クール・ブリタニカ」(Cool Britanica)というキャッチフレーズを全面に打ち出したことも記憶に新しい。
ビジネス界でいえば、いうまでもなく異端児リチャード・ブランソン率いるヴァージン・グループがある。いまはもう事業から撤退したが、私はかつて新宿のヴァージン・メガストアで海外版CDを大量に購入していたものだ。
まあ、こんな状況もずべて踏まえた「大英帝国以後」を誰か書いてほしいものだ。
しかし、中西輝政の表現を借りれば、「脱欧入亜」の大英帝国から、「脱亜入欧」で欧州に回帰したはずの英国では、EUには加盟したものの、究極の国家主権(sovereignty)である「通貨発行権」(seigniorage)を欧州に委譲して英ポンド(GBP)を放棄し、共通通貨ユーロを導入することにかんしては英国内では反対論も根強く、欧州内でのポジショニングとしてはスイスフラン(SFR)にこだわるスイスに近いものがある。
さて、日本は日本円(JPY)の通貨発行権を守るのか、それとも「友愛」精神によって「アジア共通通貨」の道を選ぶのか??
著者は、米国については以下のように書いている。
幼稚にも見える自己中心性と理想主義の一方で、到底それらと普通には同居しえないほどの鋭敏な感覚と複雑な「計算」能力をもつ、それが当初より国家としてのアメリカの本質であった。・・(中略)・・このようなアメリカ外交の、膨張的なパワー志向と原理的理想主義、プラグマティックな国益追求と高邁な理念の自己主張が、独特の仕方で結びつく、そのあり方・・(後略)・・(P.197)
この覇権国である米国が簡単に衰退すると考えるのは、きわめて浅はかだというべきだろう。米国はユーラシア大陸国家ではなく、アメリカ大陸国家であることを忘れてはならない。
「ユーラシア大陸の西端に位置する島国である英国」にとっての「ユーラシア大陸国家ドイツ」、「ユーラシア大陸の東端(=極東)に位置する島国である日本」にとっての「ユーラシア大陸国家・中国」。
このいずれの関係にもあてはまらない、別の大陸の覇権国・米国は、地政学的に見れば別種の存在である。安直な「米中同盟論」などに耳を貸さないことが、われわれには必要なのではないか。私にはそう思われてならないのだ。
著者は、1934年の時点で「英国衰退論の当否」という論文で、英国衰退を否定した外交官・石井菊次郎を引き合いに出して、以下のようなコメントを書いている。太字ゴチックは引用者による。
しかし事実として石井の予測がはずれたというだけでなく、石井のような発想には、大国の興亡という長大なドラマと歴史のダイナミズムを見てとる洞察力において、欠けるところがあり、とかく眼前の現状を過大評価しやすいという実務家にありがちな深い欠陥が指摘されねばならない。(P.84)
こうした、いわば目前の状況に拘泥する近視眼的な政治的配慮が、歴史を見据える眼を曇らせたのである。政策や実務に深い関心をもつ人間が、歴史の長い行末を見てゆくことの難しさを示す例といえよう。(P.85)
実務家である私にとっては、実に耳に痛い苦言であり指摘である。肝に銘じておきたい。
歴史は経済史に限ってみても、短期波動、中期波動、長期波動という異なる波動で動いていることに注意しておかねばならない。
とくにコンドラチェフの波ともいう長期波動は重要であり、私はさらに「500年単位」の歴史の重要性を強く意識している。
とはいっても、限られた人生であるし、ビジネス界にいる以上、どうしても月次単位あるいは四半期単位でものをみるクセも強い。デイトレーダーではないので、あまりにも細かい動きは見ないようにしているが、しかし歴史家の洞察力をもつのはいうはやすし、実際は難しい。
歴史的洞察力と日々のビジネス活動との関係、実務家である以上、中西輝政のような態度はとりにくい。現在の関心を出発点にして歴史を考える点においては、歴史家も実務家も同じはずだが・・・。
だからこそ面白い。真の意味で成功した人間は、必ずや確固とした歴史観をもっているものである。
<関連サイト>
欧州に「尖閣諸島とサラエボ」比較論 ドイツに広まる「日本は過去と真剣に向き合わない国」のイメージ (熊谷 徹、日経ビジネスオンライン 2014年1月27日)
・・「欧州の一部の知識人や言論人たちが、急成長する新興国・中国とヴィルヘルム2世統治下のドイツ帝国を重ね合わせている」
<ブログ内参考記事>
書評 『大英帝国という経験 (興亡の世界史 ⑯)』(井野瀬久美惠、講談社、2007)-知的刺激に満ちた、読ませる「大英帝国史」である
書評 『海洋国家日本の構想』(高坂正堯、中公クラシックス、2008)・・「海洋国家日本」のモデルとして高坂正堯が想定したのは英国
書評 『イギリス近代史講義』(川北 稔、講談社現代新書、2010)-「世界システム論」と「生活史」を融合した、日本人のための大英帝国「興亡史」
書評 『民衆の大英帝国-近世イギリス社会とアメリカ移民-』(川北 稔、岩波現代文庫、2008 単行本初版 1990)-大英帝国はなぜ英国にとって必要だったのか?
書評 『砂糖の世界史』(川北 稔、岩波ジュニア新書、1996)-紅茶と砂糖が出会ったとき、「近代世界システム」が形成された!
書評 『大英帝国の異端児たち(日経プレミアシリーズ)』(越智道雄、日本経済新聞出版社、2009)-文化多元主義の多民族国家・英国のダイナミズムのカギは何か?
P.S. The Economist 最新号にこういう記事がでている。まだまだ英国は健在のようだ。(2010年3月29日付記)
The British economy Out of the ruins: Growth will be sluggish. Yet, as a crucial election looms, Britain still has a lot going for it
Mar 25th 2010 | From The Economist print edition
PS2 読みやすくするため改行を増やし、「ブログ内関連記事」を増補した (2013年12月17日)
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