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2015年11月17日火曜日

書評『ドイツリスク -「夢見る政治」が引き起こす混乱』(三好範英、光文社新書、2015)- ドイツの国民性であるロマン派的傾向がもたらす問題を日本人の視点で深堀りする


経済力を背景に政治面でも強大化しつつあるドイツ。このドイツについて、最初にまとまった形で警鐘を鳴らした日本語による出版物は、2015年に出版されたフランスの人口学者エマニュエル・トッド氏によるものであった。

だが、ほぼ同時期に出版された本書は、トッド氏のインタビュー集よりもはるかに面白く有益である

著者は大手新聞社の編集委員。ベルリン特派員としての経歴は、1997~2001年、2006~2008年、2009~2013年の3度にわたる。ドイツ通として、「再統一」後の現代ドイツ社会ををつぶさに見てきた人である。

同じ著者による 2004年に出版された 『戦後の「タブー」を清算するドイツ』(亜紀書房)は興味深い内容であったが、その11年後に出版された本書は、すでにドイツが過去を清算して「普通の国」となっただけでなく、強大化するドイツが世界の政治経済にとっての「リスク要因」であることを、著者に知見を踏まえて突っ込んだ検討を行っている。

欧州で一人勝ちするドイツは、すでに欧州の範囲を超えてユーラシア世界全体に影響を与える存在となりつつある。ドイツ世界に隣接する東方世界のロシア、さらには東端の中国まで含めたユーラシア全体である。島国の日本からみれば、対岸の大陸中国の背後に、ドイツの影がひたひたと迫っているというべきかもしれない。

「リスク要因」となりつつドイツを、著者は「ドリーマー」というキーワードを使用して解明を試みているドリーマーとは、夢見る人のこと。夢想家と言い換えてもいいだろう。著者による定義を引用しておこう。

「夢見る人」を定義するならば、現実を醒めた謙虚な目で見ようとするよりも、自分の抱いている先入観や尺度を対象に読み込み、目的や夢を先行させ、さらには自然や非合理的なものに過度な憧憬(しょうけい)を抱くドイツ的思惟の一つのあり方、である。本書はこの「夢見る人」の概念をてがかりに、ドイツの「危うさ」を解き明かす試みである。(P.11)

「ドリーマー」という表現は、著者によるインタビュー取材の際に、北欧フィンランドの地方政治家が発したものだという。フィンランドはおなじくアジア系のハンガリーとともに、二度の世界大戦でドイツと組んで参戦したが、二回とも手痛い失敗をなめている。ドイツのロマン主義的姿勢に乗る選択にはこりごりしているのだろう。

「夢見る人」的傾向のあるドイツ的思惟とは、別の表現をつかえば、18世紀以降の音楽や文学における「ドイツロマン派」であり、哲学用語をつかえばザイン(Sein)よりもゾレン(Sollen)を重視する立場といってもいいだろう。いずれも目の前にある現実よりも、あるべき姿や理想、そして夢を追い求める傾向のことある。ある種の観念論でもある。

個人的な趣味嗜好の分野であれば、「ドイツロマン派」には問題はない。わたし自身も、ドイツロマン派の音楽や文学は大好きだ。だが、それが個人レベルを超えて、政治の世界でロマン派的傾向が現れると、危険なものとなりかねない。いわゆる「政治的ロマン主義」(カール・シュミット)である。

「夢見る人」ドイツの「危うさ」は、本書のタイトルを使用すれば、「偏向したフクシマ原発事故報道」、「隘路に陥ったエネルギー転換」、「ユーロがパンドラの箱をあけた」、「「プーチン理解者」の登場」、「中国に共鳴するドイツの歴史観」となる。日本人から見たドイツへの違和感が見事に表現されたタイトルであり、内容はいずれも読み応えのあるものだ。

『ドイツロマン派とナチズム』(ヘルムート・プレスナー、松本道介訳、講談社学術文庫、1995)という本がある。近代化したドイツからなぜナチズムが生まれ、しかもドイツ人が熱狂的に支持したのかを解明した名著である。ドイツ語の原題は「遅れてきた国民」(Die verspätete Nation)というものだが、『ドイツロマン派とナチズム』という日本語版のタイトルは、内容を的確に表現したものといえる。

21世紀になっても、依然として「夢見る人」というロマン派的な思考回路をもつドイツ人が、またなにか大きな問題を引き起こして道を誤るではないかと懸念する声があるのも、当然のことかもしれない。歴史はそのままでは繰り返さないが、ある種の共通するパタンが繰り返し出現することがある。

英語人がネガティブに捉える思考パタンに、希望的観測(wishful thinking)というものがある。現実を直視しない思考傾向のことであり、英米のビジネス界では戒めのコトバとしてとくに強調されるものである。「夢見る人」の思考パタンそのものといえよう。

もちろんドイツでも、結果が数字で明確になるビジネス界は現実主義に立脚しているが、「夢見る人」の最たるものであるエコロジー政党の「緑の党」の関係者にに支配されたマスコミとの乖離がきわめて大きいことが本書でも指摘されている。この件については、日本でも似たような傾向があるかもしれない。

「ドイツ的 vs アングロサクソン的」という二項対立で物事を把握することは、やや単純化の傾向がなきにしもあらずだが、著者が具体的に記事内容を比較対象している、ドイツの大手メディアと英米メディアの報道姿勢の違いには目を見張るものがある。とくに福島第一原発報道についての具体的に比較した本書の記述を読めば、ドイツの大手マスコミ報道の偏向ぶりには驚きを禁じえないはずだ。

ドイツと同様、第二次世界大戦において取り返しのつかない大きな失敗を引き起こした日本と日本人は、ドイツを「他山の石」として捉えるべきなのである。本書は、日本では依然として根強い「ドイツ見習え論」に警鐘を鳴らした内容の本である。

見習うべきは見習い、反面教師とすべきものはそう受け取るべきである是々非々の態度である。人の振り見てわが振り直せ、である。とかく情緒的になりがちな日本人は、大いに心すべきことである。

日本人の認識変容に寄与することが大きい本書を、ぜひ読むことを薦めたい。





目 次  

はじめに 危うい大国ドイツ-夢見る政治が引き起こす混乱
第1章 偏向したフクシマ原発事故報道
 1 グロテスクだったドイツメディア
 2 高まる日本社会への批判
 3 原発を倫理問題として扱うドイツ
第2章 隘路に陥ったエネルギー転換
 1 原発推進を掲げる政治勢力は存在しない
 2 急速な自然エネルギーの普及
 3 不安定化する電力需給システム
 4 ドイツ人ならやり遂げる、という幻想
第3章 ユーロがパンドラの箱をあけた
 1 それはギリシャから始まった
 2 「戦後ドイツ」へのルサンチマン
 3 夢を諦めない人々
 4 綱渡りを強いられるメルケル
 5 「夢見るドイツ」がユーロを生み出した
第4章 「プーチン理解者」の登場
 1 緊密化する対ロシア関係
 2 「東への夢」の対象としてのロシア、中国
第5章 中国に共鳴するドイツの歴史観
 1 歴史問題での攻勢
 2 歴史認識がなぜ中国に傾くのか
おわりに ロマン主義思想の投げかける長い影


著者プロフィール  
三好範英(みよしのりひで)
1959年東京都生まれ。東京大学教養学部相関社会科学分科卒。1982年、読売新聞入社。1990~1993、バンコク、プノンペン特派員。1997~2001年、2006~2008年、2009~2013年、ベルリン特派員。現在、編集委員。著書に『特派員報告カンボジアPKO 地域紛争解決と国連』『戦後の「タブー」を清算するドイツ』(以上、亜紀書房)、『蘇る「国家」と「歴史」 ポスト冷戦20年の欧州』(芙蓉書房出版)。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)。







<関連サイト>

How Berlin’s Futuristic Airport Became a $6 Billion Embarrassment : Inside Germany’s profligate (Greek-like !) fiasco called Berlin Brandenburg (Bloomberg BusinessWeek, July 23, 2015 by Joshua Hammer)
・・なぜか日本のマスコミではほとんど取り上げられていないベルリンの3つの空港の統合プロジェクト。本書でもドイツの大失敗事例として言及されているが、ドイツが規律正しいという評判に疑問を抱かせるのに十分な事例である
“The number of defects that they’ve found has grown to 150,000” これもまた現代ドイツの現実だ。

(Bloomberg BusinessWeek の特集より)


ドイツの「夢見る体質」が抱える3つのリスク 欧州の優等生はなぜ混乱しているのか (幻冬舎plus、東洋経済オンライン、 2015年11月26日)
・・『ドイツリスク-「夢見る政治」が引き起こす混乱-』著者の三好範英氏が執筆

【日本人へ】 なぜ、ドイツ人は嫌われるのか(塩野七生、「文藝春秋」2015年9月号 巻頭エッセイ)
・・イタリア人詐欺団による『300ユーロ紙幣事件』でだまされたドイツ人の話

ケルン暴力事件で露わになった「文明の衝突」 欧州難民危機と対テロ戦争の袋小路(中) (熊谷 徹、日経ビジネスオンライン、2016年1月19日)
・・ロマン主義的政治姿勢が招いた結果がこれか?

ドイツも中国に見切り…不要論まで飛び出す強烈な手のひら返し (MAG2ニュース 国際、2016年1月27日)
・・「無料メルマガ『ロシア政治経済ジャーナル』の著者、北野幸伯氏が中国経済の状況に不安を感じたドイツが中国を見放し始めていることを指摘

ドイツ人教授が、E・トッドらのドイツ脅威論に反論する (フランク・レーヴェカンプ、幻冬舎plus、2016年4月9日)

メルケル首相も王毅外相も見落としている-日本とドイツでは戦後状況が異なる (遠藤誉、2015年3月10日)
・・「ドイツのヨーロッパ近隣諸国における戦後処理と、日本の戦後処理は全く異なり、日本には選択の余地はなかった。アメリカの言う通りに動き、アメリカのご機嫌をうかがいながら、その意向に沿って動く以外になかったのだ。メルケル首相も王毅外相も、その事実を直視していない」 つまり中国とドイツは、事実から目を背けほっかむりしているということだ。

(2015年11月28日、2016年1月2日、19日、27日、5月21日、7月27日 情報追加)






<ブログ内関連記事>

書評 『驕れる白人と闘うための日本近代史』(松原久子、田中敏訳、文春文庫、2008 単行本初版 2005)-ドイツ人読者にむけて書かれた日本近代史は日本人にとっても有益な内容
・・「優雅さを湛えつつ、ぴしりと叩きつける。微笑みつつ、ぐさりと切り付ける。その防御と攻撃の武器」(・・第16章で使用されている著者の表現)を駆使する国際派日本女性の手になる必読書

書評 『ブーメラン-欧州から恐慌が返ってくる-』(マイケル・ルイス、東江一紀訳、文藝春秋社、2012)-欧州「メルトダウン・ツアー」で知る「欧州比較国民性論」とその教訓
・・「秩序と規律をこよなく愛すドイツ人は、ギリシアとはまさに正反対にあるこことは言うまでもない。だが、そのドイツにも落とし穴があったことを指摘するルイスはじつに鋭い。「リーマンショック」の際、ドイツの金融機関が無傷であったわけではないのだ。「ルールを偏愛するがゆえの脇の甘さ」という指摘はじつに示唆に富む。米国の金融機関が、まさかルールにはずれたことをしているとは想定もしなかかったという脇の甘さを指摘している


「勝ち組」ドイツについての考察-はたしてドイツはヨーロッパか?

書評 『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる-日本人への警告-』(エマニュエル・トッド、堀茂樹訳、文春新書、2015)-歴史人口学者が大胆な表現と切り口で欧州情勢を斬る 
・・「気がついたら出現していた「ドイツ帝国」。はたしてドイツ人に帝国をマネジメントしていく覚悟と能力があるのか? 「ドイツ帝国」がふたたび世界の混乱要因となるのではないかという著者の懸念と憂慮は、大いに傾聴に値する」

書評 『アラブ革命はなぜ起きたか-デモグラフィーとデモクラシー-』(エマニュエル・トッド、石崎晴己訳、藤原書店、2011)-宗教でも文化でもなく「デモグラフィー(人口動態)で考えよ!
 ・・「西洋民主主義とは、その最も狭い意味において、その出発点において、その創設的中核というものは、フランス、イングランド、アメリカ合衆国だからです。つまりはトックヴィルの世界なのです。今日、歴史的な西洋というのが、当初から政治面でドイツを含んでいたなどという考えは、妄想というべきなのです」(トッド)


ドイツ現代史

書評 『なぜメルケルは「転向」したのか-ドイツ原子力40年戦争の真実-』(熊谷 徹、日経BP社、2012)-なぜドイツは「挙国一致」で「脱原発」になだれ込んだのか?
・・「本書を読むと、先進工業国という共通性をもちながら、およそドイツ人と日本人は似て非なる民族であることが手に取るようにわかる。ユーラシア大陸の東端にある島国と、大陸の「中欧」国家であるドイツとは地政学的条件もまったく異なるのである。陸続きで何度も国土を蹂躙された経験をもつドイツ人の不安心理は長い歴史経験からくるものであろう。(・・中略・・) もちろん日本人の「根拠なき楽観」は大きな問題だが、といって一概にドイツを礼賛する気にはなれない。なんだかナチスドイツに一斉になびいた戦前のドイツを想起してしまうからだ。」 怒濤のように「反原発」になだれ込んだドイツ。なにか危ういものを感じるのはわたしだけだろうか?

ベルリンの壁崩壊から20年-ドイツにとってこの20年は何であったのか?

映画 『バーダー・マインホフ-理想の果てに-』(ドイツ、2008年)を見て考えたこと ・・1968世代のなかから生まれた極左テロ組織の末路


近代の病としてのロマン主義

書評 『オウム真理教の精神史-ロマン主義・全体主義・原理主義-』(大田俊寛、春秋社、2011)-「近代の闇」は20世紀末の日本でオウム真理教というカルト集団に流れ込んだ

「ユートピア」は挫折する運命にある-「未来」に魅力なく、「過去」も美化できない時代を生きるということ


現実主義の思考方法

「ログブック」をつける-「事実」と「感想」を区分する努力が日本人には必要だ
・・「戦前・戦中」と「戦後」を区分して考えたいのは人の性(さが)。だが、事実と解釈は区分して考えないと道を誤る

「是々非々」(ぜぜひひ)という態度は是(ぜ)か非(ひ)か?-「それとこれとは別問題だ」という冷静な態度をもつ「勇気」が必要だ

書評 『国際メディア情報戦』(高木 徹、講談社現代新書、2014)-「現代の総力戦」は「情報発信力」で自らの倫理的優位性を世界に納得させることにある
・・世界を支配するのは英語による英米メディアである


日本もまた過去に大きな問題を引き起こした

『王道楽土の戦争』(吉田司、NHKブックス、2005)二部作で、「戦前・戦中」と「戦後」を連続したものと捉える
・・ドイツや日本などの「敗戦国」は、過去を全否定するという「断絶史観」への誘惑が強く存在するが、それは正しいものの見方ではない

『愛と暴力の戦後とその後』 (赤坂真理、講談社現代新書、2014)を読んで、歴史の「断絶」と「連続」について考えてみる

(2016年1月23日 情報追加)



 
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2014年8月30日土曜日

アダム・スミスの 「見えざる手」 は 「神の手」 ではない! ― それは 「意図せざる結果」の説明として導入されたものだ



日本のビジネス関係者が日頃なにげなく使用する表現に、「神の見えざる手」というものがある。経済学の父アダム・スミスが使ったとされている表現だ。

需要と供給の関係をつうじて市場(=マーケット)にはたらく自動調整メカニズム(=ビルト・イン・スタビライザー)のことである。政策当局者という「見える手」による介入ではなく、自由放任(=レッセフェール)純粋状態ではたらくとされている。

マーケット参加者の個々の意志をこえて、あたかも「見えない」力によって動かされているという印象を受けるから使われるのである。マーケットの健全性はこの「見えざる手」によって可能となる。

マーケットについて語る人でこのフレーズを知らない人はいないだろう。経済学を勉強したことのない一般人のあいだでも比較的しられているかもしれない。もしかすると高校の「政治経済」(?)の授業で習ったような気もする。

動機がたとえ利己主義によるものであっても、その振る舞いがたとえ利己的なものであっても、マーケットにおいては、不正な手段を用いない限り、自分の思うような形での操縦は不可能である。あたかも「神の意志」がはたらいているかのように

だが、アダム・スミスは「神の見えざる手」とは一言もいっていないのだ!

アダム・スミスは、「見えざる手」という表現を使用してはいても、それが「神の手」などとは言っていないのである。

この表現がでてくるのはアダムスミスの主著の一つ『国富論』(1776年)である。オリジナルのタイトルは The Wealth of Nations であり、 『諸国民の富』とするのが適当だろう。

原文をみてみよう。アダム・スミスの 『諸国民の富』の初版本(?)がなぜか東京駒込の東洋文庫に所蔵されているようで、この写真は展示されていた際にわたしが撮影したものである。


(アダム・スミスの「見えざる手」(an invisible hand)  東洋文庫にて筆者撮影)


By preferring the support of domestic to that of foreign industry, he intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his own gain, and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention. Nor is it always the worse for the society that it was not part of it. By pursuing his own interest he frequently promotes that of the society more effectually than when he really intends to promote it. I have never known much good done by those who affected to trade for the public good. It is an affectation, indeed, not very common among merchants, and very few words need be employed in dissuading them from it.

個人的な安全(his own security)や個人的な利得(his own gain)を最大化しようと追求しようと意図しているのにもかかわらず、「見えざる手」(an invisible hand) に導かれて、社会全体において自分が意図すらしていなかった結果を促進してしまう(to promote an end which was no part of his intention)、ということをアダム・スミスはいっているのである。

個人的な利己主義が社会全体の利益を増大させるマジックを、「見えざる手」で表現しているわけだ。これは言い換えれば、「意図せざる結果」(unexpected results)について語ったものだが、社会科学においてはかならず心しておかねばならないきわめて重要な考えである。

見えざる手」(an invisible hand) が『諸国民の富』に登場するのは、たったのこの一回だけなのだ。索引(インデックス)で調べてみればすぐにわかることだ。

英語の原文は、不定冠詞 an のついた単数形 an invisible hand なので、右手なのか左手なのかもわからない。どちらか一方の手である。ましてや両手ではない。大文字の Hand ではないので、「神の手」ではない。

アダム・スミス本人の意図にかかわりなく、受けいれる側が自分たちに都合のいいような解釈をした結果、意味が変容して定着したのだということがわかる。これもまた「意図せざる結果」(?)かもしれない。

『諸国民の富』が出版された1776年は、フランス革命の13年前である。18世紀後半には、もはや、あえて神の名を出す必要がなかったと考えるべきかもしれない。

あくまでも個人的な利己主義が社会全体の利益増大に転ずるメカニズムについて語っているのだが、「見えざる手」という日常表現が誤解を生みだしたのかもしれない。アダムスミスの心中はわからないが。

日本ではよく「ゴッドハンド」なる表現がつかわれるので、その連想もあるのかもしれないが、「神の見えざる手」とはクチにしないよう、大いに気をつけるべきなのだ。


(見開きページの右側に「見えざる手」が登場する)



アダム・スミスの『諸国民の富』は厚さは『聖書』(バイブル)なみ

「見えざる手」(an invisible hand) が登場するのは、『諸国民の富』の中ほどである。最初のページから読み始めて、ここに到達するまでにいったいどれだけの時間がかかるのだろうか。

しかもたった一回しか登場しないので、読み飛ばしてしまう恐れが大きい。索引(=インデックス)がなければ、とても探すことはできないだろう。

アダム・スミスの『諸国民の富』は、あまりにも長いので、たとえ経済学部出身者でも全部読んだ人はいないだろう。写真にある原書は、2,000円という破格の安値で大学時代に購入したものだが(・・その当時すでに当然のことながら著作権は切れていた)、経済学部出身ではないわたしは、もちろ読んでいない。自慢にはならないが・・・。

アダム・スミスの文章は、読み始めても、抑揚のない話が続くので、読み進めるのが困難だからということもある。この性質は、すでにかなり昔の学者も指摘していることだ。

大学時代、一般教養課程の歴史関係の授業で、ビザンツ史の世界的権威であった渡辺金一教から図書館から借りて読むようにと言われたのが、「アダム・スミスの体系なき体系」(三浦新七)という論文である。

三浦新七は、一橋大学(=東京商科大学)草創期の歴史学者で山形銀行頭取だった人だ。「アダム・スミスの体系なき体系」は、『商学研究』(1923年)に発表された論文で、『東西文明史論考-国民性の研究-』(岩波書店、1950)に収録されている。この本は小平分館(当時)に何冊も収蔵されていた。

興味のある人は、この論文はネットでも公開されているので、読んでみたらいいと思う。旧字体で旧かなという、きわめて古めかしい文体だが、内容的にはアングロサクソン的思考の本質に肉薄するものだといっていい。

ちなみに、三浦新七はドイツに長く遊学していて、歴史学者ランプレヒトの助手をつとめていたドイツ畑の人であった。ドイツ的な思考方法に慣れていたからこそ、アダム・スミスについて「体系なき体系」という表現でその特色を明確に洗い出しているのである。

アダム・スミスは、「分業」(division of labor)など労働経済学や労働社会学にかんする重要な概念を生み出したことでも有名だ。だから、社会学史の授業ではマルクスに先行する「社会学者」としても登場する。

さらにいえば、『道徳感情論』(The Theory of Moral Sentiments)という著作の著者でもあることも付記しておかなくてはならない。1759年に出版されたこの本は、『諸国民の富』(1776年)の17年前に出版されたものであることに注意しておきたい。「見えざる手」(an invisible hand)という表現は、すでに『道徳感情論』にも登場しているらしい。

経済学と倫理学は、そもそも同じルーツから出てきたものであり、両者はオモテとウラの関係にある。この姿勢をもっとも明確に意識しているのは、インドのベンガル出身のアマルティヤ・セン博士であろう。厚生経済学の立場から、アダムスミスの「ホモエコノミクス」(homo economicus)仮説について、的確なコメントをされている。

アダム・スミスはスコットランド人であった。


画像をクリック!



<関連サイト>

「アダム・スミスの体系なき体系」(三浦新七) (一橋大学機関リポジトリ)

An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations
・・『諸国民の富』の全文がここで読める


<ブログ内関連記事>

『「経済人」の終わり』(ドラッカー、原著 1939)は、「近代」の行き詰まりが生み出した「全体主義の起源」を「社会生態学」の立場から分析した社会科学の古典

書評 『新・国富論-グローバル経済の教科書-』(浜 矩子、文春新書、2012)-「第二次グローバリゼーション時代」の論客アダム・スミスで「第三次グローバル時代」の経済を解読

「宗教と経済の関係」についての入門書でもある 『金融恐慌とユダヤ・キリスト教』(島田裕巳、文春新書、2009) を読む
・・「見えざる手」が「神の見えざる手」と誤解されていることに著者が言及している

「意図せざる結果」という認識をつねに考慮に入れておくことが必要だ

書評 『ヨーロッパとは何か』(増田四郎、岩波新書、1967)-日本人にとって「ヨーロッパとは何か」を根本的に探求した古典的名著
・・「<書評への付記-"実学としての歴史学"->」と題した文章で、歴史家・三浦新七と「アダムスミスの体系なき体系」にも触れてある


「見えないもの」を「見える化」する

書評 『ヨーロッパ思想を読み解く-何が近代科学を生んだか-』(古田博司、ちくま新書、2014)-「向こう側の哲学」という「新哲学」
・・「向こう側」は「あの世」ではない!「見えない世界」への感受性を高めることが重要だ

『はじめての宗教論 右巻・左巻』(佐藤優、NHK出版、2009・2011)を読む-「見えない世界」をキチンと認識することが絶対に必要
・・プロテスタント神学の立場から。内容にはかならずしも同調する必要はないが、思考のフレームワークを知るのはよい

『奇跡を起こす 見えないものを見る力』(木村秋則、扶桑社SPA!文庫、2013)から見えてくる、「見えないもの」を重視することの重要性

書評 『ものつくり敗戦-「匠の呪縛」が日本を衰退させる-』(木村英紀、日経プレミアシリーズ、2009)-これからの日本のものつくりには 「理論・システム・ソフトウェアの三点セット」 が必要だ!
・・日本人にいちばん欠けているのが「見えないもの」を「見える化」する能力


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2013年9月28日土曜日

月刊誌 「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2013年11月号の 「特集 そして、「理系」が世界を支配する。」は必読!-数学を中心とした「文理融合」の時代なのだ


月刊誌 「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)の最新号(2013年11月号)の 「そして「理系」が世界を支配する。」はじつに面白い特集だった。

アメリカでは、名門ハーバードですら人文系(humanities)の人気が下がっているという。就職で有利にならないからだ。人文系教育を中心にした小規模リベラルアーツ・カレッジでも状況は同じらしい。

もともと遅れて近代化を開始して日本は、欧米先進国へのキャッチアップを至上命題としてきたため、実用性の高い工学部が法学部が最重視されてきた。就職に直結しない人文系は低い扱いを受けてきた。だから最初このタイトルをみたときは、日本みたいになってきたのかな、と思った。

だが、アメリカの状況はそうではない。数学の重要性がかってないほど大きくなりつつあるというのだ。その理由はビジネス界におけるビッグデータにある。

ビッグデータとは、膨大なデータを収集分析することによって、いままで見えてこなかった相関関係を複雑なアルゴリズムにもとづいた統計的手法によって発見し、経験や勘に頼らない意思決定を行うことをさしている。膨大な量のデータを解析するため市販のソフトウェアでは処理不可能で、データ・アナリストという専門家が必要とされる。

そのデータ・サイエンティスト人気が沸騰しているのがいまのアメリカの現状であり、後追い的に日本でも人気が高まりつつある現状だ。いまもっともセクシーな職業(!?)とさえいわれている。

データ・アナリストになるには、統計学はもちろんのことコンピュータサイエンスや数学といった基礎的な学問だけではなく、世の中のもろもろについて通じている必要がある。分析対象が人間のかかわる現実社会である以上、たんなる技術オタクだけではデータを的確に読み取ることもできないからだ。

だから、人文系専攻の人気は急速に低下しているのである。学問としての必要がないわけではないが、就職先がないのでは仕方あるまい。そう考えている学生がアメリカでは少なくないらしい。

キーワードは、数学を中核においた「文理融合」というべきだろう。


アングロサクソン世界における確率論的思考

「因果関係よりも相関関係」で考える! 編集長の冨倉氏は後記で特集のキモを的確に要約している。

時間差メカニズムが本質の因果関係が解明できなくても、2つの事象のあいだに相関関係があることがわかれば、それがビジネスの現場であればアクセルを踏み込めばいい。極論すればそういうことだ。むしろ過度に因果関係にこだわると足をすくわれることがある。

なぜなら、これは統計学や確率論をやっていれば「常識」であるが、相関関係イコール因果関係ではないからだ。統計的な相関関係は、かならずしも因果関係ではないのだ。日本人がよく理解していないのはこの点だ。

そもそもアメリカを中心としたアングロサクソン世界では確率論的思考が重視されてきた。人間社会は因果律に支配されているのではなく、未来は確率論により選択された意思決定によってつくられていくものである、と。

ビジネスの世界では生産管理は当然のこととして、それ以外のマーケティングにおいても統計学が重視されてきたし、全体的にその傾向がある。

ある意味では、アングロサクソン的思考そのものが理系の思考とは親和性が高いと思われる。実験と観察を重視し、しかも観察は多面的かつ複眼的に行うことが当然のこととされている。集合知という発想はコンピュータの処理能力アップが前提ではあるが、アングロサクソン的思考そのもののようだ。

いまアメリカではビッグデータ時代になってからデータアナリストの人気がうなぎのぼりで、必然的に統計学や数学が重視される傾向にあるわけだが、20数年前にアメリカの理工系大学のMBAコースにいたわたしの個人的印象ではかならずしもそうではなかった。

アメリカでは理系人気が落ち込み、ユダヤ系やインド系を除くと、一般的に白人のアメリカ人は数学が弱いという印象をわたし個人としてもっていた。だから、英語がそれほど得意ではない日本人でも、日本人としては平均レベルの高校数学さえできれば留学生活はなんとかやり過ごせるのだ、と(笑)

だが、この認識を改めなくてはいけないようだ。それほどアメリカでは急激に変化しつつあるのだ。


「私立文系」の受験に数学の復活を!

そもそも、西洋文明においては古代ギリシア以来、リベラルアーツのなかに数学はしっかりと位置付けられている。有名なプラトンの学園には、「幾何学を学ばざる者この門をくぐるべからず」という額がかかっていたのであった。

だから、アメリカにおいても、もともと数学や理科はリベラルアーツ教育においても重視されてきたのだ。全体に安直な志向のなか数学を勉強する者が減っていたのであろう。だが、とくに2008年のリーマンショック以来、そんなことを言っていられない状況にあるということだ。

「理系」というのが日本語独特の表現で、「理系」と「文系」という区分じたい日本だけである。「文理融合」とならなくては日本には未来はない。

「私立文系」というカテゴリーは大学受験予備校がつくりだしたものだが、大学受験に数学がない(!)という状況は異常である。受験に数学をいれると受験生が減少し、その結果、受験料収入が減少してしまうという私学経営者の懸念は理解できなくはないが、日本全体のレベル底上げという大義はしっかりと理解していただきたいものだ。

英語だけではない。数学も必要なのだ。英語ができる生徒は数学もできるというのは、日本でもむかしからよく知られている「相関関係」の事例ではないか!

英語と数学に共通するもの、それはロジックである。論理的思考である。

わたしはこの10年以上、ことあるごとに数学の重要性を主張してきた。「黒船」というわけではないが、海の向こうのアメリカからやってくる大きなうねりによって、ようやく大学教育における数学重視の姿勢が生まれてくるのではないかと期待している。

日本の教育関係者のみなさんには、ぜひこの「特集 そして「理系」が世界を支配する」をすみずまで読んで危機感をいだき、そして数学の重要性について覚醒していただきたいと願う次第だ。





目 次

PART 1 世界のルールは「理系」が作る

●数字がすべての世界で、私たちは「アルゴリズムの奴隷」になるのか
●情報量の爆発的増加で ニュースの読まれかたも変わる
●世界を震撼させた「新時代の予言者」ネイト・シルバーとは何者か
●米国の名門大学が育成に力を注ぐビッグデータの〝魔術師〞とは
●ハーバードの学生たちに広がる急激な「文系離れ」の波紋
●ウォール街を 支配しているのは、経済学者ではなく数学者たちだった

◆Interview-1 大栗博司|物理学者
米国の「理系学生」たちの優秀さは日本の学生とは比べものになりません
◆Interview-2 竹内薫|サイエンスライター
 〝文系バカ〞になりたくないなら まず統計を学ぶことから始めよう

PART 2 「理系」は世界をこう見ている

●もし「数学オタク」のアラフォー女性が世界的IT企業のCEOになったら
●「理系」の億万長者たちが夢見るあまりに過激な「未来予想図」
●シリコンバレーの政界進出で米国の産業構造が塗り替えられる!?
●〝経験〞や〝勘〞なんかに頼らない
●グーグル流「革命的ベンチャー投資法」
●「2045年、すべての病は治療可能になり、他人の脳と〝連結〞できるようになる」
●ビッグデータは人間の脳を超えるのか「まったく新しい人工知能」の衝撃

◆Interview-3 安宅和人|ヤフーCSO
 これからのビッグデータ時代に「必要とされる人材」の条件とは
◆Interview-4 青木薫|翻訳家
〝文系人間〞でも楽しめる必読「理系の教養本」ガイド

その他は省略



<関連サイト>

 「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2013年11月号
http://courrier.jp/contents/courrier108.html

経営者よ「因果関係」は追うな!「相関関係」を見よ-「ビッグデータ」伝道師が日本企業に告ぐ (ダイヤモンドオンライン 2014年3月20日)

「技術革新で仕事の5割が消滅」20年後の社会 (ハフィントンポスト 2014年1月20日 執筆者 Michael Rundle 47% Of All Jobs Will Be Automated By 2034, And 'No Government Is Prepared' Says Economist

機械学習革命 的中したビル・ゲイツの予言 (日経コンピュータ、2014年8月4日~8日)
・・「自ら学習するマシンを生み出すことには、マイクロソフト10社分の価値がある」。 米マイクロソフトの創業者ビル・ゲイツ氏は今から10年前の2004年2月にこう語った。 その時は来た。 米グーグルや米アップル、米フェイスブックといった先進IT企業は今、コンピュータがデータの中から知識やルールを自動的に獲得する「機械学習」の技術を駆使し、様々なイノベーションを生み出し始めている。 これらは来たる機械学習革命の、ほんの序章に過ぎない。 機械学習の本質は、知性を実現する「アルゴリズム」を人間の行動パターンから自動生成することにある」

Keen On-『第二の機械時代(The Second Machine Age)』の著者にデジタル経済が進展する中での人間の役割を聞く (TechCrunch、2014年2月14日)

Artificial intelligence meets the C-suite Interview|  (McKinsey Quarterly, September 2014)
・・「Technology is getting smarter, faster. Are you? Experts including the authors of The Second Machine Age, Erik Brynjolfsson and Andrew McAfee, examine the impact that “thinking” machines may have on top-management roles.」  『第二の機械時代』の共著者ブリニョルフソンとマカフィーをまじえた座談会。エグゼクティブははたして生き残れるか?という議論で、ある起業家は、「機械にできることは機械にまかせるという発想はアウトソーシングの発想と同じだ」と喝破している。 

(2014年9月11日 情報追加)



<ブログ内関連記事>

書評 『コンピュータが仕事を奪う』(新井紀子、日本経済新聞出版社、2010)-現代社会になぜ数学が不可欠かを説明してくれる本

書評 『1億人のための統計解析-エクセルを最強の武器にする-』(西内啓、日経BP社、2014)-ビジネスパーソンなら誰もが使えるはずのエクセルでデータ分析が可能となる

書評 『グーグル秘録-完全なる破壊-』(ケン・オーレッタ、土方奈美訳、文藝春秋、2010)-単なる一企業の存在を超えて社会変革に向けて突き進むグーグルとはいったい何か?

書評 『2045年問題-コンピュータが人間を超える日-』(松田卓也、廣済堂新書、2013)-「特異点」を超えるとコンピュータの行く末を人間が予測できなくなる?
・・アメリカの発明家でフューチャリスト(=未来研究者)のレイ・カーツワイルがその議論の中心

書評 『失われた歴史-イスラームの科学・思想・芸術が近代文明をつくった-』(マイケル・ハミルトン・モーガン、北沢方邦訳、平凡社、2010)
・・コンピュータの処理手順を意味するアルゴリズムは、9世紀の科学者アル・フワーリズミーのラテン語読みがなまったものである

本の紹介 『ユダヤ感覚を盗め!-世界の中で、どう生き残るか-』(ハルペン・ジャック、徳間書店、1987)
・・「自分でプログラムを組んでいてわかることは、これはまさしくタルムード思考の、例の複雑な論理そのものの現実化ではないか、ということである。ある条件ではこうしてみる、ある条件ではこんなふうにするということが、複雑に関連し合って絡み合うことが、本当にタルムード的なのである」、と著者は言う

書評 『知的複眼思考法-誰でも持っている創造力のスイッチ-』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)

What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)

書評 『山本覚馬伝』(青山霞村、住谷悦治=校閲、田村敬男=編集、宮帯出版社、2013)-この人がいなければ維新後の「京都復興」はなかったであろう
・・「砲術家だけに数理的能力が高く、経済にも明るかった理詰めの人。余談になるが、江戸時代の日本では数学がブームだったという背景を知っておくことが必要だろう。カネがかからないひまつぶしとして、数学の難問を解くことが一般庶民レベルまで流行っていたらしい」 

書評 『シゴトの渋滞学』(西成活裕、新潮文庫、2013)-数学者が数式をつかわずに書いた読みやすくて役に立つ実用書

映画 『マネーボール』 をみてきた-これはビジネスパーソンにとって見所の多い作品だ!
・・「メジャーリーグ球団のひとつ、カリフォルニア州北部にフランチャイズのあるオークランド・アスレティクス(Oakland Athletics)の GM(=ゼネラル・マネージャー)として球団経営に数字とロジックを持ち込んで、劇的な V字回復を果たした44歳の中年男の実話(ture story)に基づいた映画」クーリエの特集でも取り上げられているネイト・シルバー(Nate Silver)がデータ・アナリストのモデルといわれる 

シリコンバレーだけが創造性のゆりかごではない!-月刊誌 「クーリエ・ジャポン COURRiER Japon」 (講談社)2012年1月号の創刊6周年記念特集 「未来はMITで創られる」 が面白い

書評 『ネット・バカ-インターネットがわたしたちの脳にしていること-』(ニコラス・カー、篠儀直子訳、青土社、2010)

書評 『教養の力-東大駒場で学ぶこと-』(斎藤兆史、集英社新書、2013)-新時代に必要な「教養」を情報リテラシーにおける「センス・オブ・プローポーション」(バランス感覚)に見る

ビジネスパーソンに「教養」は絶対に不可欠!-歴史・哲学・宗教の素養は自分でものを考えるための基礎の基礎

(2014年9月11日 情報追加)


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2010年4月25日日曜日

書評『知的複眼思考法 ― 誰でも持っている創造力のスイッチ』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002 単行本初版 1996)―「複眼的思考法」は現代人にとっての知恵である!




現代社会に生きるわれわれにとっての知恵とは、いいかえれば「知的複眼思考」というマインドセットのことなのだ

 「複眼思考」を自分自身の「ものの考え方」として身につけて使いこなす方法を、著者自身による教育実践を踏まえて、具体的な方法論として紹介してくれた、日本語では初めて出版された本である。

 『知的複眼思考法  ―  誰でも持っている創造力のスイッチ』(苅谷剛彦、講談社+α文庫、2002)は、 自学自習用のテキストとしても活用できる、「自分のアタマで考える」ための基礎をつくる必読書といってよい。

 本書は、基本的に1996年以前の6年間に当時の大学生(・・それも著者が教えていたのは東大生だ!)に「ものの考え方・・」を教える経験をつうじて生まれた本であり、大学生を主要な読者として設定している。

 東大生ですら、いや東大生だからこそ、受験勉強でアタマがコチコチになって、思考の柔軟性がなくなっていたようだ。「複眼思考」とは、思考に幅広さと柔軟性をもたらし、創造力の基盤となる「ものの考え方」でもある。

 とはいえ、もちろんビジネスパーソンも読める本であることはいうまでもない。日本の大学教育では、なぜか「ものの考え方」が、方法論として教育されてこなかった。その意味では、大学生だけでなく、ロジカルシンキングを身につけたいビジネスパーソンにとっても必読書といってよいのだ。

 著者による問いかけを自問自答しながら、順番に読み進めてゆくうちに、おのずから「複眼思考」のなんたるかが体得できる、ムリのない構成になっている。

 序章 知的複眼思考法とは何か
   知的複眼思考への招待
   「常識」にしばられたものの見かた
   知ることと考えること
 第1章 創造的読書で思考力を鍛える
   著者の立場、
   読者の立場
   知識の受容から知識の創造へ
 第2章 考えるための作文技法
   論理的に文章を書く
   批判的に書く)
 第3章 問いの立てかたと展開のしかた-考える筋道としての問い
   問いを立てる
   「なぜ」という問いからの展開
   概念レベルで考える)
 第4章 複眼思考を身につける
   関係論的なものの見かた
   逆説の発見
   「問題を問うこと」を問う

 1996年に単行本初版がでてからすでに15年近く、2002年に文庫化されてからもロングセラーをつづけている本書だが、著者が「あとがき」にも書いているように、1995年のオウム事件に際して「複数の視点からものごとをとらえていくことの重要性、そしてまたそれをなるべく広く読者に伝えることの大切さを、あらためて感じた」(P.375)という。

 著者も本書のなかで指摘しているように、とかくビッグワードやマジックワードが一人歩きして、ものを考える手間を省略したがる傾向のある日本では、「複眼思考」をしっかりと身につけて、あふれかえる知識を自分なりに制御して生きてゆくことは、サバイバルのツールとして不可欠といってよい。

 「知識社会」が到来したさかんにいわれているが、インターネットの存在によって知識量そのもので勝負がつく時代は完全に終わっている。本当に必要なのは知識そのものではなく、知識を使いこなす知恵である。現代社会に生きるわれわれにとっての知恵とは、いいかえれば「知的複眼思考」というマインドセットのことだと言い換えてもいいだろう。

 本書には、著者が米国の大学院で鍛えられた、いい意味でのアングロサクソン的思考法が全編を貫いている。

 現代人にとっての必読のテキストとして、あらためて推奨しておきたい。


<初出情報>

■bk1書評「現代社会に生きるわれわれにとっての知恵とは、いいかえれば「知的複眼思考」というマインドセットのことだ」投稿掲載(2010年4月23日)



画像をクリック!



<書評への付記>

 苅谷剛彦氏は、教育社会学専攻、教育問題を社会学の観点から研究する学者で、『大衆教育社会のゆくえ-学歴主義と平等神話の戦後史-』(苅谷剛彦、中公新書、1995)という名著で、いちはやく教育における格差問題を、データをもとに実証して論じていた。教育が不平等を再生産している現実を指摘し、脱神話化をおこなった。

 その後も旺盛な著作活動で、日本の教育をめぐる状況に様々な・・を投げかけてきた論客である。

 1955年東京生まれ、東京大学大学院教育学研究科修士課程を修了後、ノースウェスタン大学大学院博士課程を修了、社会学博士。東京大学大学院教育学研究科教授を経て、現在はオックスフォード大学教授。

 苅谷氏とは、私立大学の教育諮問委員として一時期、同席して親しくお話させていただいたことが何回かある。

 帰りの電車のなかで、「ベストティーチャー」といわれているんですよねーと聞くと、あまりうれしそうな反応でもなかったのが印象に残っている。「ベストティーチャー」マスコミが勝手に貼り付けたレッテルだろうか。レッテルが勝手に歩き回るというのも痛し痒しといったところだろうか。
 
 マスコミ情報だけでものごとを判断するのは危険がともなう、ということでもある。

 その意味は、本書を読めばよく理解できるはずだ。



<ブログ内関連記事>
            
書評 『イギリスの大学・ニッポンの大学-カレッジ、チュートリアル、エリート教育-(グローバル化時代の大学論 ②)』(苅谷剛彦、中公新書ラクレ、2012)-東大の "ベストティーチャー" がオックスフォード大学で体験し、思考した大学改革のゆくえ
・・『知的複眼思考法』の著者によるオックスフォード大学に移籍後の著作

書評 『ことばを鍛えるイギリスの学校-国語教育で何ができるか-』(山本麻子、岩波書店、2003)-アウトプット重視の英国の教育観とは?

スローガンには気をつけろ!-ゼークト将軍の警告(1929年)
・・「とかくビッグワードやマジックワードが一人歩きして、ものを考える手間を省略したがる傾向のある日本」で気をつけなければならないこと

「意図せざる結果」という認識をつねに考慮に入れておくことが必要だ
・・「意図せざる結果」については本書でも詳しく説明されている

「ハーバード白熱教室」(NHK ETV)・・・自分のアタマでものを考えさせるための授業とは
・・政治哲学者サンデル教授のソクラテスメソッドによる対話型授業ときわめて高度なファシリテーション技術

ダイアローグ(=対話)を重視した「ソクラテス・メソッド」の本質は、一対一の対話経験を集団のなかで学びを共有するファシリテーションにある

What if ~ ? から始まる論理的思考の「型」を身につけ、そして自分なりの「型」をつくること-『慧眼-問題を解決する思考-』(大前研一、ビジネスブレークスルー出版、2010)

(2014年1月8日、8月17日 情報追加)


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