「エープリルフールといえば道化」というシリーズで、毎年4月1日のアープリルフールにブログ記事を書いてきたが、今回は道化とは言い切れないが、きわめて攻撃的道化の要素を備えたティル・オイレンシュピーゲルを紹介しておこう。
■16世紀ドイツの民衆本 『ティル・オイレンシュピーゲル』
『ティル・オイレンシュピーゲル』は、日本ではそれほどポピュラーではないが、歴史学者で社会史の提唱者であった、わが恩師の阿部謹也先生がその数々の著者で紹介してから、日本でも知られてきたのではないかと思う。わたしが大学を卒業したあと、1990年には岩波文庫から全訳を出版されている。
16世紀初頭に誕生してから500年余もドイツでは人気の作品である。現在でもさまざまなバリエーションが作成されているくらい、ドイツでは人気が高いようだ。日本にも一休さんや吉四六(きっちょむ)さんのようなとんち話が多いが、ティル・オイレンシュピーゲルの場合はかなり攻撃的で辛辣ですらある。
内容は、ティル・オイレンシュピーゲルという名の主人公が、もぐりの職人として遍歴職人のようにドイツ各地を放浪しながら、上はカトリックのローマ教皇から町の司祭や世俗の権力者である国王などの権威、さらにはマイスター(=親方)連中まで、さまざまな者たちを道化のようにかあらかい、ペテン師のように欺いてとんずらする小話を、ティルの誕生からその死まで時系列にならべた民衆本だ。
いわゆるピカレスクものではないが、ときの権威をからかい、笑い飛ばした内容に、当時の読者(・・朗読を聞く者を含む)が大笑いしながら胸のすく思いをしたであろうことは、容易に想像できる。
(ティル・オイレンシュピーゲル wikipediaより)
■ティル・オイレンシュピーゲルは「攻撃型道化」ここでいうイタズラとは、英語でいう practical joke のことだ。一般的にコトバでするのがジョークであるが、「実際的なジョーク」とは行動でおこなうジョークのことを意味する。だが、ジョークであることには変わりない。したがって、イタズラを行うのがジョーカー(=道化)でもあるわけだ。
ティル・オイレンシュピーゲルのイタズラは、コトバと行動を組み合わせたものだ。自分が気にくわない相手や、カネをせしめるために、とんでもないイタズラやペテンをやってのけたあとに、コトバでさらにだめ押しをしてとんずらし、イタズラされた相手に地団駄踏ませるというパターンである。そして読者はしてやったりと笑い転げる。
ジョーカー(=道化)たる主人公の面目躍如である。それもきわめて攻撃的である。度を越している。やり過ぎである。文化人類学者の山口昌男が世に知らしめたトリックスターといってもいい。神話世界に登場するイタズラ者のことである。ティルもまた神話的存在といっていいいかもしれない。
する側からみた「愉快なイタズラ」は、された側からみれば「不愉快なイタズラ」になる。イタズラは知恵比べでもある。騙されるほうがバカなのだ。そうみなして読者や観衆は喝采を浴びせる。ここでは善悪や倫理が問われはしない。
道化としての本分スレスレであり、からくも逃げおおせる話が多いのは、主人公がコート・ジェスター(=宮廷の道化)として王の庇護を受けていないからだ。シェイクスピアの演劇に登場する道化とは違うのだ。時代はすでに中世ではない。
(『ティル・オイレンシュピーゲルのゆかいないたずら』より ティルの旅路)
■16世紀初頭は「中世崩壊」から「初期近代」への移行期
『ティル・オイレンシュピーゲル』が登場した1500年から1515年頃は初期近代。中世世界が崩壊し、近代がはじまりかけた時代の転換期であり、世の中全体が混乱していた。その後、「宗教戦争」やその後につづいた「30年戦争」(1618~1648年)で大荒廃するドイツだが、この民衆本の小話にもその予兆が見えている。
主人公がもぐりの遍歴職人なので、舞台はドイツ全体にまたがっているが、中心は低地ドイツとよばれるドイツ北部の都市ブラウンシュヴァイクである。この地域は宗教戦争をつうじてプロテスタントが普及した地域でもある。カトリックの権威を笑い飛ばすような話が多いのも、なるほどとうなづける。
オランダ出身の知識人エラスムスの『痴愚神礼賛』が、カトリック批判でルターに先行した内容であったが、『ティル・オイレンシュピーゲル』もまた堕落して腐敗していた当時の司祭層への痛烈な批判となっている。その意味でも、「近代」のさきがけであり、「世間」からはじき飛ばされて因習に囚われない主人公が「近代人」のような印象を受けるのはそのためだろう。
■『ティル・オイレンシュピーゲル』はスカトロ話のオンパレード
ここまで真面目な話を書いてきたが、岩波文庫の『ティル・オイレンシュピーゲル』は、詳細な「注」や「解説」などいっさい無視して、本文だけ読んでみるといい。
虚心坦懐に本文だけ読んでいくと、そこに出てくるのは糞、糞、糞のオンパレードである。イタズラの域を越えたイヤガラセである。
読んでいれば、はっきりいってスカトロものではないか(!)という印象を受けるのが自然だろう。こういう話がキライな人は、否定的評価を下してしまうのも無理はない。
たしかに諷刺である。それもきわめつけの諷刺である。しかも糞まみれである。アメリカ人のドイツ民俗学者が書いた 『鳥屋(とや)の梯子と人生はそも短くて糞まみれ-ドイツ民衆文化再考-』(アラン・ダンデス、新井皓士訳、平凡社、1988)という本がある。糞まみれの話がドイツに多いのは、『ティル・オイレンシュピーゲル』だけではないのである。
ちなみに新井皓士(あらい・ひろし)氏は、わたしが大学の学部時代にドイツ語を習った先生だが、残念なからこの本は日本ではぜんぜん売れなかったようだ。阿部先生の推薦を受けて翻訳したと「訳者あとがき」にはあるが。『ほら吹き男爵の冒険』(岩波文庫、1983)のほうは、現在でも売れている。苦心の日本語訳である。
そういえば、モーツァルトも糞話が好きだったことは、『モーツァルトの手紙 上下』(柴田治三郎訳、岩波文庫、1980)を読めばわかるが、これだけ糞話が多いと、肛門期について語ったフロイトではないが、なんだか幼児性を感じさせるものがある。わたしの世代でいえば、1970年代に「少年ジャンンプ」に連載されていたマンガ 『トイレット博士』(とりいかずよし作)を思い出す。オトナからは下品極まると批判されていたが、コドモには絶大な人気のあった作品だ。
シェイクスピアに登場する宮廷道化や、エラスムスの『痴愚神礼賛』に登場する道化が、もっぱらコトバでのみ道化を演じているのに対して、民衆世界に生きるティル・オイレンシュピーゲルはイタズラとコトバで道化を演じているのである。そのシンボルとなるのがシャイセ(=糞)なのである。
岩波文庫で原典訳が出版された翌年の1991年には、『ティル・オイレンシュピーゲルのゆかいないたずら』(ハインツ・ヤーニッシュ、リスベート ツヴェルガー(イラスト)、阿部謹也訳、太平社、1991)が出版されているが、この絵本からは巧妙に「糞話」は排除されている。絵本にはふさわしくない題材であるためだろうか。だが、コドモというものは、ほんとうはそういう話こそ好きなのだが・・・。
スカトロ話が好きなひとは、ぜひ岩波文庫の原典訳を読んで確かめてみることを薦めたい。ここにはあえて掲載しないでおくことにするが、豊富に挿入された16世紀当時の挿絵には、これまたスカトロ満載である。文字と絵をつうじて、嗅覚や触覚もふくめた五感をフルに働かせて感じてみるとよい。
遠い異国の話ではあるが、カタカナの固有名詞の意味など考えずに読めば、21世紀現在でもじつに面白いと感じることであろう。
攻撃型道化こそ、本来の道化なのである。
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<関連サイト>
ティル・オイレンシュピーゲル(平成19年度一橋大学附属図書館企画展示 「阿部謹也と歴史学の革新」)(一橋大学附属図書館 学術・企画主担当)
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