『天皇家と生物学』(毛利秀雄、朝日選書、2015)を読んだついでに関連する本2冊を読了した。
『殿様生物学の系譜』(『科学朝日』編、朝日選書、1991)と『道楽科学者列伝-近代西欧科学の原風景』(小山慶太、中公新書、1997)の2冊である。近代日本とその前史である江戸時代(=近世)、そしてほぼおなじ時代の近世(=初期近代)と近代の西欧がその対象だ。18世紀から20世紀半ばまでである。
『天皇家と生物学』とあわせて3冊つづけて読んだことで、このテーマにかんする理解が深まった。
『殿様生物学の系譜』は、江戸時代の博物学を担った大名たちを「前史」としてイントロに、幕末から明治時代を経て敗戦にいたるまでの旧華族が中心となった「博物学」(ナチュラル・ヒストリー)から「生物学」(バイオロジー)への流れを人物伝として描いたもの。この本は購入してから、なんと30年目にはじめて読んだ。
かの有名な山階鳥類研究所の創設者・山階芳麿を筆頭にした鳥学、そして植物学。最後に天皇家が担い手の海洋生物学。
いずれも実用性に直結する分野ではないが、基礎科学分野としてきわめて重要である。にもかかわらず、殖産興業を旨とする近代日本の国家戦略からこぼれ落ちていた分野である。こういった分野は、資産家だからこそカネに糸目をつけずに、純粋に科学を探究できた背景があったわけだ。
この状況は、「近代科学」を生み出した西欧も同様であった。18世紀から19世紀にかけての西欧では、科学の担い手は資産家のアマチュアたちだった。科学者(サイエンティスト)が独立した職業として認知されるようになったのは、19世紀以降の話である。
『道楽科学者列伝』で取り上げられているシャトレ公爵夫人は、ニュートン物理学をはじめてフランスに紹介した人物。フランス王立博物館の館長だったビュフォン伯爵はフランス革命をかろうじて免れたが、徴税請負人であった化学者のラヴォアジェは、フランス革命で断頭台の露に消えた。
このほか、キャプテン・クックの航海を私財で支援し第1回航海には自分も参加、英国の「王立協会」の総裁として41年間にわたって君臨したバンクス男爵、ボストンの資産家出身で日本研究も行ったローエルによる私設天文台による惑星観測、ロスチャイルド家の御曹司で動物学者だったウォルター・ロスチャイルド男爵など興味深い。
つまり、「近代科学」を生み出した本場の西欧だけでなく、同時代の日本も似たような状況にあったわけだ。
とはいえ、天皇家3代をして「道楽科学者」というのは、たいへん失礼にあたるだろう。というのは、いずれも学術誌に投稿した査読論文によって評価される「科学者」そのものであるからだ。
とはいえ、多忙な「本業」のかたわら、生きがいともいえる科学研究で精神のバランスを保っていることにおいては、「専門家科学者」ではなく「道楽科学者」の系譜にあるといっていのかもしれない。
「本業」が多忙であればあるほど、哲学に癒しを見いだしたローマ皇帝マルクス・アウレリウスもそうだった。生物学にそれを見いだした昭和天皇もまた、おなじだったといっていいだろう。生物学研究は手先の仕事でもあるだけに、ストレス解消には大いに役立ったのではないかと想像してみる。
知的好奇心を満足させたいからこそ、時間を忘れて没頭する。そういう対象があると、ストレス解消になることは間違いない。それは「殿様」でない一般ピープルでもおなじことだ。
「趣味」といっていいかどうかは別にして、「本業」以外にこういう世界をもっていると、充実した人生を送ることができる、とつよく思うのである。
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目 次はじめに第Ⅰ部 江戸の先達たち博物学フィーバーの先がけ―細川重賢「殿様芸」を超えた博物図譜-江戸中期博物大名列伝赭鞭会に集まった大名・旗本たち-前田利保と黒田斉清60年も続いた「同好会」-尾張甞百社をめぐる人々「夢」を忘れなかった薩摩の名君-島津重豪東北の地で博物学の王道を歩む-松森胤保第Ⅱ部 日本鳥学をつくった人々細胞遺伝を分類に持ち込む―山階芳麿飼育を科学にした鳥の公爵―鷹司信輔カンムリツクシガモの発見―黒田長礼絶滅鳥とモダン候爵―蜂須賀正氏わが国山岳鳥類研究の草分け―清棲幸保非運の大コレクション―松平頼孝第Ⅲ部 博物学から生物学へ殖産興業を支えた「博覧会男爵」―田中芳男彦山の神官ナチュラリスト―高千穂宣麿虎狩りの殿様の生物研究所―徳川義親日本植物のルーツを求めて―原寛博物家系のアンカー鳥学者―黒田長久回り道した「雑甲虫」専門家―久松定成第Ⅳ部 業績は広い分野に「発現の喜び」を求めて―明治~昭和・華族生物学者列伝世界的評価のヒドロ虫研究―昭和天皇「極めて精緻かつ正確」なハゼ研究―明仁天皇)あとがき
目 次序章 道楽としての学問1章 恋と物理学の生涯 ― シャトレ侯爵夫人2章 『博物誌』を著わしたパリ王立植物園園長―ビュフォン伯爵3章 断頭台に消えた化学者 ― ラヴォアジエ4章 ロンドン王立協会に君臨した探検家 ― バンクス5章 火星に運河を見た名門の御曹司 ― ローエル6章 動物学者になった銀行家の跡取り ― ウォルター・ロスチャイルド終章 ディレッタントの末裔たちあとがき
著者プロフィール小山慶太(こやま・けいた)1948年生まれ。早稲田大学名誉教授。理学博士。著書に『寺田寅彦』『入門 現代物理学』『科学史人物事典』『科学史年表』『どんでん返しの科学史』(中公新書)、『ノーベル賞でたどるアインシュタインの贈物』(NHKブックス)、『ノーベル賞で語る20世紀物理学』『光と電磁気─ファラデーとマクスウェルが考えたこと』(講談社ブルーバックス)『エネルギーの科学史』(河出ブックス)など多数。
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・・譜代大名であった土井利位(1789~1848)は、雪の結晶を顕微鏡で観察して、長年の観察結果を『雪華図説』として発表している「殿様学者」。
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