『仏に逢うては仏を殺せ ー 吉福伸逸とニューエイジの魂の旅』(稲葉小太郎、工作舎、2021)をようやく読了。すごく読みたい本であったが、読む環境が整うまで保留にしておいたからだ。
1980年代の日本で「精神世界」を切り拓いた人の初の評伝である。最初から最後まで、関心を失うことなく読み終えた。著者や編集者など、この世界で知られた人の名前がつ
ぎからつぎへと登場する本書は、わたしとは同世代の著者自身の人生と交錯するものだ。
ぎからつぎへと登場する本書は、わたしとは同世代の著者自身の人生と交錯するものだ。
吉福伸逸(よしふく・しんいち)という名前は、この本の出版元である工作舎や平河出版社などからでていた、英語で書かれたニューエイジやトランスパーソナル心理学の関連本の訳者として知っていた。
日本では「精神世界」や「ニューサイエンス」とよばれて、1980年代から1990年代の半ばまで一世を風靡したのである。わたしなど、1981年に大学に入学した世代の人間にとっては、「精神世界」は当たり前のように接していた世界であった。もちろん、少年時代に学研の出版物によって培われたオカルトという前史を踏まえたものではある。
吉福伸逸とは、ひじょうに印象が残るこの漢字の字面だが、正直にいって「伸逸」という下の名前をどう読むのか、うかつなことにこの本を読むまで知らなかった。漢字のもつイメージの力はあなどれない。
親がつけたとはいえ、「伸一」ではなく「伸逸」というネーミングは、なかなか意味深だ。「逸」という漢字は、「逸脱」や「隠逸」といったイメージを喚起するものがある。
それにしても、この吉福伸逸という人物は、後世に残した仕事だけでなく、その人生そのものが興味をそそられる。まさに鬼才というべきであろう。
吉福伸逸の生前に、著者による2日間にわたるロングインタビューで明らかにされた前半生、猛烈な勢いでやりまくった翻訳の仕事、セラピストとしての迫力、そしてトランスパーソナル心理学に見切りを付けてハワイに移住してサーファーに。劇的な転換である。しかも、それをあっさりとやってしまう。
あまりにも濃厚で濃密な人生であった。
■カウンターカルチャーの聖地であったカリフォルニアのバークレー
わたしが吉福伸逸に関心をもった理由はバークレーにもある。
ジャズミュージシャンとしての才能に見切りをつけ、米国のボストンにあるバークレー音楽院からブラジルに移住、そしてカリフォルニアのバークレーでサンスクリット語を極めたという劇的な人生転換。
ミュージシャンとしての人生を断念した際には、大きな精神的危機を体験しているが、なにごとも極め尽くして、しかしそれを弊履(へいり)のごとく捨ててしまうという禅仏教的な生き方がじつに魅力的だ。
その舞台であったバークレーは、まさに米国におけるカウンターカルチャーの聖地であり、その大きな要素を占めていた東洋文化の中心地であったのだ。
吉福伸逸が滞在していたのは1970年代前半、年譜によれば28歳であった1972年から翌年にかけての時期であり、バークレーのカウンターカルチャーの全盛期であった1968年そのものではないが、まだ濃厚にその余韻を残していた時期のようだ。そして、かれはその雰囲気そのものを日本に持ち帰ったのである。
わたしは米国にMBA留学した際、事前の語学研修先としてUCバークレーを選んだ。コロラド大学を選ぶのが定番であったが、バークレーを選んだのはあまのじゃくだからであり、バークレーには憧れがあったからだ。おかげでさまざまな体験をすることができた。
わたしが滞在した1990年当時は、すでに1968年からは20年後であったが、それでも根っからのリベラルな風土のバークレーには Free Speech 運動は定着しており、シタールの生演奏が聞けるインドカレー屋や、チェゲバラを前面に打ち出した左翼関係の専門書店など、なんでもありの聖と俗が入り交じった、ごった煮状況は残っていた。
そんなこともあって、この本の背景となる状況を多少なりとも知っているのである。そのおかげで、懐かしく思いながら読んだ。自分自身、東京の中央線沿線に住んでいたこともあって、そのカルチャーにもなじみがあるだけに、その思いはいっそうかきたてられた。
1985年には、河合隼雄につよく依頼されて京都で開催された「第9回トランスパーソナル国際会議」のディレクションを担当しているが、吉福伸逸も河合隼雄とおなじ問題意識をもっていたようで興味深い。
それは、欧米人とは違って、自我(エゴ)の確立しない日本人が、自我を超えることを意味するトランスパーソナルにはまることの危険性についてである。
また、吉福自身は、米国人の東洋理解の表層性について苦々しく思っていたらしい。バークレー時代には、日本から送ってもらった鈴木大拙全集を読み込んでいたらしい。
翻訳家としての訓練を受けたわけでもないのに、現在でも読み継がれている日本語訳をつぎからつぎへとつくりだした秘訣は、英語の読みの確かさだけではなかったのである。翻訳の秘訣は、英文で言わんとすることが理解できれば、おのずから適切な日本語になるのだという。
この点には大いに納得するものがある。要は日本語力なのである。
■仏教とインド、そして・・
本書は構成がまた面白い。「第1部 家住期」「第2部 学生期」「第3部 林住期」「第4部 遊行期」となっている。
インドでは古来より人生を区分して4つにわけていいるが、本来は 「学生期」(がくしょうき 生誕から25歳)、「家住期」(かじゅうき 25~50歳)、「林住期」(りんじゅうき 50~75歳)、「遊行期」(ゆぎょうき 75歳から死ぬまで)となる。
ところが、著者は「家住期」をいちばん最初にもってきている。本書の前半分がこの「家住期」にあてられているのは、人生のハイライトだからだろう。吉福伸逸の場合は、ハワイ移住以降の「遊行期」は早く訪れたようだ。
タイトルの「仏に逢うては仏を殺せ」は、禅の公案である。
わたしがはじめてこのフレーズを知ったのは20歳代前半で、書店の本棚にみつけた米国の精神科医の著書の日本語訳タイトル『ブッダにあったらブッダを殺せ』であったが、 それにしても物騒な文言である。仏教をまだよく知らない頃の若いわたしには、衝撃的なフレーズであった。
その意味するところは、自分が大事にしている教えも、それにしがみついていては精神の自由を失ってしまう、ということだ。
英語タイトルは ”If You Meet the Buddha on the Road, Kill Him! ” である。英語でもそのタイトルの過激さには変わりないが、禅仏教を実践していない米国人の受け止め方はどうなのだろうか。
結局、『ブッダにあったらブッダを殺せ』は買うことはなかったが、そのフレーズはわたしの心の奥底に刻み込まれた。そして久々に出会ったのが本書である。「仏に逢うては仏を殺せ」とは、まさに至言だな、と。禅仏教がもたらす精神の自由はそこにある。
「惜しみなく捨ててしまう」というのは、禅仏教にかぎらず、ブッダその人の精神そのものである。ブッダになる前にシッダールタ王子はすべてを捨てて出家したのである。家を出たのである。
吉福伸逸という希有な人物の生涯を反り見て、あらためてその意味をかみしめるのである。
わたしにとって、吉福伸逸は親の世代の人でもある。その意味では、すでに過ぎ去った時代精神の持ち主であったというべきかもしれない。
「精神世界」も「トランスパーソナル心理学」も、もはやかつての勢いを失っている現在、それはあくまでも思い出す対象なのかもしれないかもしれない。
目 次まえがき第1部 家住期プロローグ 消された履歴第1章 カウンター・カルチャーの聖地から第2章 「精神世界」とニューサイエンス第3章 20世紀の三蔵法師第4章 本来の面目第5章 進化の夢第6章 トランスパーソナル国際会議第7章 心の成長と癒し第8章 エクソダス第2部 学生期第9章 無口な秀才第10章 ぼくの初恋第11章 悪霊第12章 夢のカリフォルニア第3部 林住期第13章 ノースショアの浜辺にて第14章 悲しみの共同体第4部 遊行期第15章 伝説のセラピスト第16章 最後の講義エピローグ 海へ帰るボーディサットヴァ)あとがき参考文献吉福伸逸年譜
著者プロフィール稲葉小太郎(いなば・こたろう)1961年生まれ。東京大学文学部印度文学印度哲学専修課程修了。在学中にバグワン・シュリ・ラジニーシ、クリシュナムルティを知り「精神世界」に興味をもつ。卒業後は情報センター出版局をへて、マガジンハウスに入社。編集者として雑誌『クロワッサン』、『自由時間』、『リラックス』、『GINZA』などを担当。現在はフリーの編集者、ライターとして活動する。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)
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(2024年6月26日 情報追加)
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