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2023年12月5日火曜日

書評『亜宗教 ― オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで』(中村圭志、集英社インターナショナル新書、2023)― 「近現代に生まれた非科学的で宗教めいた信念や言説」を「亜宗教」と名付けた著者の切り口とスタンスが読ませる

 

『亜宗教ーオカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで』(中村圭志、集英社インターナショナル新書、2023は、ことし4月にでた本だが、最近その存在をはじめて知ってさっそく読んでみた。

これがじつに面白い。どうもこの手の本には「引き寄せ」られてしまう。しかも、著者の中村氏が2019年にだした『無神論』という本が面白かったのでなおさらだ。

本書の最終章では、欧米を中心に若い世代に拡大しているという「無神論」についても、今後の見通しについて考察している。



■「亜宗教」というコンセプトに著者の対象への取り組み方が現れている

「亜宗教」とは著者の造語である。学術用語ではないが、「近現代に生まれた非科学的で宗教めいた信念や言説」というのが著者による定義だ。

この「亜宗教」というコンセプトで、19世紀から2020年代の現在までに生まれては消えていった「オカルト・スピリチュアル・疑似科学・陰謀論」を取り上げている。

具体的にいえば、妖精写真、コックリさん、動物磁気(アニマル・マグネティズム)、千里眼、念写、モンキー裁判、UFO、ニューエイジ、エスパー、臨死体験、シンクロニシティ、爬虫類人、Qアノン、反ワクチンなどなどだ。こう書いていくだけで、なんだかワクワクしてくる(?)ではないか。

ここで意味をもつのは「亜宗教」という著者が考案したコンセプトだ。「亜宗教」の「亜」とは、亜種とか亜流、亜大陸などの接頭語の「亜」だ。

英語でいえば sub-conscious などの "sub-" である。カテゴリー的に劣後するものをさしている。sub-conscious は日本語では「無意識」と訳しているが、それではニュアンスが伝わってこない。「意識」の下にあるものがサブコンシャスである。

著者があえて「疑似宗教」ではなく、「亜宗教」としていることに注目したい。「疑似科学」のように「宗教まがい」として切り捨ててしまうのではなく、「宗教めいたもの」つまり「宗教のようなものだが、宗教そのものではない」という位置づけなのであろう。

「オカルト・スピリチュアル・疑似科学・陰謀論」はいずれも、信じている人にとっては「真実」であっても、そうでない人にとっては、「妄想」以外のなにものでもない

「科学」もまた「信仰」の対象となってしまいがちだ。いわゆる「科学信仰」であるが、環境問題や原発事故などによって「科学信仰」が揺らいでいることは、誰もが感じていることだろう。

こういう状態で「陰謀論」がはびこるのであるが、そもそも「科学」が「宗教」(とくにキリスト教)から生まれたことからわかるように、「科学」も「宗教」もともに人間の想像力が生み出したものであることは共通している。

19世紀以降に「近代科学」として確立する過程で、さまざまな「疑似科学」が登場しては消えていったのは、ある意味では当然なのだ。

とはいえ、積み上げ式の「科学的思考」と、一気に飛躍してしまう「疑似科学の発想」は、まったく異なる思考方法である。この区別はしっかりとつけなくてはならない

「亜宗教」として著者がくくっているもろもろについても同様である。冷静に一歩引いて眺めてみることが必要だ。



■「日米比較サブカル論」として読んでも面白い

本書は大きくわけて2部構成になっている。「第1部 西洋と日本の心霊ブーム 19 → 20世紀」と「第2部 アメリカ発の覚醒ブーム 20 → 21世紀」である。

20世紀以降は米国が発信源となって、英語圏を中心に世界中に拡散してきた。英国その他の英語圏である。

もちろん、日本もサブカルにかんしても米国の圧倒的影響下にあったわけだが、おなじ「亜宗教」だといっても、発信源である米国とそれを受容してきた日本とでは、受取り方に違いが見られるという指摘が面白い。

「臨死体験」に現れるイメージの違いに、それが端的に表れている。地獄を否定し、天国だけを考えるという点でキリスト教に否定的でありながらも、キリスト教的なイメージが登場するのが米国の臨死体験である。これに対して、日本では「三途の川」など民衆仏教的なイメージがでてくる。

キリスト教文化と神仏習合的な日本文化との違いであろう。これは「爬虫類人間」という「妄想」で知ることもできる。

日本人的には「爬虫類人間」と言われても、「はあちゅうるい? はあ?」という反応しかでてこないだろう。「爬虫類系の顔」というのはあるが、「爬虫類人間」とはねえ?(笑)

ところが、著者によれば、英語圏で生まれた「爬虫類人間」の背景には、ヘビやドラゴンなど「爬虫類」には、キリスト教文化の影響が見えるのだという。

旧約聖書の『創世記』でイブをそそのかしてアダムを誘惑させたのがヘビであり、英語で爬虫類を意味する reptile(レプタイル)は「卑劣漢」などネガティブな意味をもっている。 日本ではヘビは畏怖すべきであり、古代から神として信仰の対象であった。この違いはきわめて大きい。

「ニューエイジ的」な「精神世界」と「スピリチュアル」が、米国では「左派的」な存在であるのに対し、日本ではもともとの土俗的な神道的世界観が融合して「右派的」になりやすい傾向がある。これもまた日米の文化の違いが反映した「ねじれ現象」である。

とはいえ、米国社会も右と左に分断されているように見えながら、オカルトという側面では混交し、融合しつつあるという指摘(P.271)は重要だ。

「ニューエイジ的」な「精神世界」と「スピリチュアル」は、そもそもメインストリームへの異議申し立てという側面があったが、「ニューエイジ」に対する反感と逆襲である「宗教保守」もまた、ともに陰謀論的な性格を帯びやすいという点で共通している。

日本でいえばオウム真理教など、まさに絵に描いたような展開をたどって自滅していったことを想起すべきであろう。



■「亜宗教」に対しては、柔軟な姿勢と同時に懐疑的な姿勢は失わないことが大事

好奇心全開で対象にアクセスするが、柔軟な姿勢と同時に懐疑的な姿勢は失わない。そんな微妙な立ち位置が本書を最後まで楽しく読ませる1冊にしている。

本文もさることながら、フキダシともいうべき( )内の著者の独白的なコメントが面白い。事実関係の説明からスタンスを取った著者自身の思いには、大いにうなづくものも多い。

われわれ読者もまた、そんな著者の姿勢を共有すべきであろう。「亜宗教」に分類されたもろもろについて、いちがいに頭ごなしに否定するのではなく、知的にアプローチするのである。「神秘主義」に対する著者の対応もまた反論が多いだろうが、そういう見方もあるだろうなと受け止めてみる。

知的にアプローチするとは、一呼吸おいてスタンスを取り、冷静に観察することである。一時的な熱狂や、ルサンチマン的な憎悪にとらわれてしまわないことが大事なのだ。

『亜宗教 ー オカルト、スピリチュアル、疑似科学から陰謀論まで』は、そんな絶妙な距離感の取り方を教えてくれる本でもある。なによりも豊富な事例で読みでのある本になっている。




目 次
序章 宗教と科学の混ざりもの
第1部 西洋と日本の心霊ブーム 19 → 20世紀 
 第1章 19~20世紀初頭の心霊主義
  コラム① 心霊の使い手たち
 第2章 コックリさんと井上円了の『妖怪学講義』
  コラム② 井上円了と『妖怪学講義』
 第3章 動物磁気、骨相学、催眠術――19世紀の(疑似)科学
  コラム③ 動物磁気、骨相学、同種療法、水療法
 第4章 明治末の千里眼ブームと新宗教の動向
  コラム④ 大本とその周辺ー出口ナオ、出口王仁三郎、浅野和三郎、谷口雅春  
 補章 伝統宗教のマジカル思考
第2部 アメリカ発の覚醒ブーム 20 → 21世紀
 第5章 ファンダメンタリストとモンキー裁判
  コラム⑤ ファンダメンタリストとペンテコステ運動
 第6章 UFOの時代――空飛ぶ円盤から異星人による誘拐まで
  コラム⑥ L.フェスティンガー『予言がはずれるとき』
 第7章 ニューエイジ、カスタネダ、オウム真理教事件
  コラム⑦ 真逆を行った2人のユダヤ人ーラム・ダスとウディ・アレン
 第8章 科学か疑似科学か?――ESP、共時性から臨死体験まで
  コラム⑧ 神秘思想を比較する?ー井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス』
終章 陰謀論か無神論か? 宗教と亜宗教のゆくえ 
参考文献


著者プロフィール
中村圭志(なかむら・けいし) 
宗教研究者。翻訳家。1958年、北海道生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程満期退学(宗教学・宗教史学)。昭和女子大学非常勤講師。単著に『信じない人のための〈宗教〉講義』(みすず書房)、『教養としての宗教入門』『聖書、コーラン、仏典』『宗教図像学入門』(いずれも中公新書)、『教養として学んでおきたい5大宗教』『教養として学んでおきたい聖書』(ともにマイナビ新書)ほか多数。


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2023年8月21日月曜日

書評『仏に逢うては仏を殺せ ― 吉福伸逸とニューエイジの魂の旅』(稲葉小太郎、工作舎、2021)― 1980年代の日本で「精神世界」というジャンルをつくりあげた希有な人物の評伝


 
『仏に逢うては仏を殺せ ー 吉福伸逸とニューエイジの魂の旅』(稲葉小太郎、工作舎、2021)をようやく読了。すごく読みたい本であったが、読む環境が整うまで保留にしておいたからだ。

1980年代の日本で「精神世界」を切り拓いた人の初の評伝である。最初から最後まで、関心を失うことなく読み終えた。著者や編集者など、この世界で知られた人の名前がつ
ぎからつぎへと登場
する本書は、わたしとは同世代の著者自身の人生と交錯するものだ。

吉福伸逸(よしふく・しんいち)という名前は、この本の出版元である工作舎や平河出版社などからでていた、英語で書かれたニューエイジやトランスパーソナル心理学の関連本の訳者として知っていた。

日本では「精神世界」や「ニューサイエンス」とよばれて、1980年代から1990年代の半ばまで一世を風靡したのである。わたしなど、1981年に大学に入学した世代の人間にとっては、「精神世界」は当たり前のように接していた世界であった。もちろん、少年時代に学研の出版物によって培われたオカルトという前史を踏まえたものではある。

吉福伸逸とは、ひじょうに印象が残るこの漢字の字面だが、正直にいって「伸逸」という下の名前をどう読むのか、うかつなことにこの本を読むまで知らなかった。漢字のもつイメージの力はあなどれない。

親がつけたとはいえ、「伸一」ではなく「伸逸」というネーミングは、なかなか意味深だ。「逸」という漢字は、「逸脱」や「隠逸」といったイメージを喚起するものがある。

それにしても、この吉福伸逸という人物は、後世に残した仕事だけでなく、その人生そのものが興味をそそられる。まさに鬼才というべきであろう。

吉福伸逸の生前に、著者による2日間にわたるロングインタビューで明らかにされた前半生、猛烈な勢いでやりまくった翻訳の仕事、セラピストとしての迫力、そしてトランスパーソナル心理学に見切りを付けてハワイに移住してサーファーに。劇的な転換である。しかも、それをあっさりとやってしまう。

あまりにも濃厚で濃密な人生であった。


■カウンターカルチャーの聖地であったカリフォルニアのバークレー

わたしが吉福伸逸に関心をもった理由はバークレーにもある。

ジャズミュージシャンとしての才能に見切りをつけ、米国のボストンにあるバークレー音楽院からブラジルに移住、そしてカリフォルニアのバークレーでサンスクリット語を極めたという劇的な人生転換。

ミュージシャンとしての人生を断念した際には、大きな精神的危機を体験しているが、なにごとも極め尽くして、しかしそれを弊履(へいり)のごとく捨ててしまうという禅仏教的な生き方がじつに魅力的だ。

その舞台であったバークレーは、まさに米国におけるカウンターカルチャーの聖地であり、その大きな要素を占めていた東洋文化の中心地であったのだ。

吉福伸逸が滞在していたのは1970年代前半年譜によれば28歳であった1972年から翌年にかけての時期であり、バークレーのカウンターカルチャーの全盛期であった1968年そのものではないが、まだ濃厚にその余韻を残していた時期のようだ。そして、かれはその雰囲気そのものを日本に持ち帰ったのである。

わたしは米国にMBA留学した際、事前の語学研修先としてUCバークレーを選んだ。コロラド大学を選ぶのが定番であったが、バークレーを選んだのはあまのじゃくだからであり、バークレーには憧れがあったからだ。おかげでさまざまな体験をすることができた。

わたしが滞在した1990年当時は、すでに1968年からは20年後であったが、それでも根っからのリベラルな風土のバークレーには Free Speech 運動は定着しており、シタールの生演奏が聞けるインドカレー屋や、チェゲバラを前面に打ち出した左翼関係の専門書店など、なんでもありの聖と俗が入り交じった、ごった煮状況は残っていた。
 
そんなこともあって、この本の背景となる状況を多少なりとも知っているのである。そのおかげで、懐かしく思いながら読んだ。自分自身、東京の中央線沿線に住んでいたこともあって、そのカルチャーにもなじみがあるだけに、その思いはいっそうかきたてられた。

1985年には、河合隼雄につよく依頼されて京都で開催された「第9回トランスパーソナル国際会議」のディレクションを担当しているが、吉福伸逸も河合隼雄とおなじ問題意識をもっていたようで興味深い。

それは、欧米人とは違って、自我(エゴ)の確立しない日本人が、自我を超えることを意味するトランスパーソナルにはまることの危険性についてである。

また、吉福自身は、米国人の東洋理解の表層性について苦々しく思っていたらしい。バークレー時代には、日本から送ってもらった鈴木大拙全集を読み込んでいたらしい。

翻訳家としての訓練を受けたわけでもないのに、現在でも読み継がれている日本語訳をつぎからつぎへとつくりだした秘訣は、英語の読みの確かさだけではなかったのである。翻訳の秘訣は、英文で言わんとすることが理解できれば、おのずから適切な日本語になるのだという。

この点には大いに納得するものがある。要は日本語力なのである。


■仏教とインド、そして・・

本書は構成がまた面白い。「第1部 家住期」「第2部 学生期」「第3部 林住期」「第4部 遊行期」となっている。

インドでは古来より人生を区分して4つにわけていいるが、本来は 「学生期」(がくしょうき 生誕から25歳)、「家住期」(かじゅうき 25~50歳)、「林住期」(りんじゅうき 50~75歳)、「遊行期」(ゆぎょうき 75歳から死ぬまで)となる。

ところが、著者は「家住期」をいちばん最初にもってきている。本書の前半分がこの「家住期」にあてられているのは、人生のハイライトだからだろう。吉福伸逸の場合は、ハワイ移住以降の「遊行期」は早く訪れたようだ。

タイトルの「仏に逢うては仏を殺せ」は、禅の公案である。

わたしがはじめてこのフレーズを知ったのは20歳代前半で、書店の本棚にみつけた米国の精神科医の著書の日本語訳タイトル『ブッダにあったらブッダを殺せ』であったが、 それにしても物騒な文言である。仏教をまだよく知らない頃の若いわたしには、衝撃的なフレーズであった。

その意味するところは、自分が大事にしている教えも、それにしがみついていては精神の自由を失ってしまう、ということだ。

英語タイトルは ”If You Meet the Buddha on the Road, Kill Him! ” である。英語でもそのタイトルの過激さには変わりないが、禅仏教を実践していない米国人の受け止め方はどうなのだろうか。

結局、『ブッダにあったらブッダを殺せ』は買うことはなかったが、そのフレーズはわたしの心の奥底に刻み込まれた。そして久々に出会ったのが本書である。「仏に逢うては仏を殺せ」とは、まさに至言だな、と。禅仏教がもたらす精神の自由はそこにある。

「惜しみなく捨ててしまう」というのは、禅仏教にかぎらず、ブッダその人の精神そのものである。ブッダになる前にシッダールタ王子はすべてを捨てて出家したのである。家を出たのである。

吉福伸逸という希有な人物の生涯を反り見て、あらためてその意味をかみしめるのである。

わたしにとって、吉福伸逸は親の世代の人でもある。その意味では、すでに過ぎ去った時代精神の持ち主であったというべきかもしれない。

「精神世界」も「トランスパーソナル心理学」も、もはやかつての勢いを失っている現在、それはあくまでも思い出す対象なのかもしれないかもしれない。


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目 次 
まえがき
第1部 家住期
 プロローグ 消された履歴
 第1章 カウンター・カルチャーの聖地から
 第2章 「精神世界」とニューサイエンス
 第3章 20世紀の三蔵法師
 第4章 本来の面目
 第5章 進化の夢
 第6章 トランスパーソナル国際会議
 第7章 心の成長と癒し
 第8章 エクソダス
第2部 学生期
 第9章 無口な秀才
 第10章 ぼくの初恋
 第11章 悪霊
 第12章 夢のカリフォルニア 
第3部 林住期
 第13章 ノースショアの浜辺にて
 第14章 悲しみの共同体 
第4部 遊行期
 第15章 伝説のセラピスト
 第16章 最後の講義
エピローグ 海へ帰るボーディサットヴァ) 
あとがき
参考文献
吉福伸逸年譜


著者プロフィール
稲葉小太郎(いなば・こたろう)
1961年生まれ。東京大学文学部印度文学印度哲学専修課程修了。在学中にバグワン・シュリ・ラジニーシ、クリシュナムルティを知り「精神世界」に興味をもつ。卒業後は情報センター出版局をへて、マガジンハウスに入社。編集者として雑誌『クロワッサン』、『自由時間』、『リラックス』、『GINZA』などを担当。現在はフリーの編集者、ライターとして活動する。(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたもの)


 


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2022年2月20日日曜日

書評『精神世界のゆくえ ― 宗教・近代・霊性(スピリチュアリティ)』(島薗進、秋山書店、2007)― 1980年代以降の日本で「教養主義」にとって代わった「精神世界」とは

 


昨年のことだが、たまたまブックオフの店頭で見つけて購入した本。これはじつに良い本を発掘したものだと、読んでみてわかった。 

もともとこのテーマには強い関心があるから購入したわけだが、1948年生まれの宗教学者・島薗進氏の著作を読むのはこれが初めてとなる。1996年刊の初版の改訂版とのことだ。 

この本は、研究書でありながら一般書としても読める内容で、幅広い視点による目配りの効いた、よく整理された内容には、読んでいて大いに頷くものを感じる。 


■1980年代以降の日本で「教養主義」にとって代わった「精神世界」 

とくに膝を打ちたくなったのが、「第3部 精神世界と知の構造の変化」である。「第3部」を構成する3章のなかでも「第8章 教養から精神世界へー高学歴層の自己形成の変容」である。 

この流れが顕在化し始めたのが1979年前後であり、1980年代以降は主流になっていたことが跡づけられている。 

なるほど、1981年に大学に入学したわたしの世代の人間は、多かれ少なかれ、ほぼ完全にこの流れにどっぷり浸かってきたのだと、現在から振り返ってみて大いに納得させられたのだ。 

この点は、わたしより1つ年上のエッセイスト・岸本葉子氏も、『生と死をめぐる断想』(中公文庫、2020)で述べており、共感するものがある。  

1973年のオイルショックで高度成長が終焉し、ノストラダムスの大予言やコックリさんなど、小学生時代に体験している世代である。近代合理主義の破綻が顕在化してきた時代を生きてきたわけだ。 

だからこそ、「精神世界」への親和性が高いのは当然であり、「教養主義」など見向きもしなかったのも当然なわけだな、と。わたしの場合は、合気道とヨーロッパ中世史がそれを増幅したような気もする。 

もちろん、1995年の事件を招いたオウムに流れたのは、そのごく一部であるが、既存の宗教からの離脱が進み、スピリチュアルの方向に向っていたのは、時代の流れといっていい。 


■米国発のニューエイジとニューサイエンス、そして日本
 
著者は、米国のカウンターカルチャー(対抗文化)から生まれてきた「ニューエイジ」や「ニューサイエンス」を踏まえたうえで日本への影響を論じて、それぞれグローバルな状況のなかに位置づける。 

著者は、この流れを「新霊性運動」ないし「新霊性文化」と命名し、その内容と意味について幅広く、かつ深く考察している。 「集団レベルの救い」から「個人レベルの癒やし」へのシフトは、先進国では共通に見られる現象なのである。ただし、もともと既存の宗教が弱い日本の特殊事情についての指摘は重要だ。 

現代社会を理解するうえで、「精神世界」の動向に注意を向ける必要があるのは、この流れが経済やビジネスとも密接な関係をもっているからだ。島薗進氏のその他の著作を読んでみたいと思う。 


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目 次
はじめに 
第1部 グローバルな現象としての精神世界
 第1章 精神世界とは何か
 第2章 ニューエイジ運動とその周辺
 第3章 新霊性運動
第2部 新霊性運動の体験と生の形
 第4章 ニューエイジ運動の多中心性ーチャネリング流行の意味
 第5章 ニューエイジャーの癒やしと救いーS・マクレーンの「自己自身への旅」
 第6章 自己変容体験とその参与観察ーセミナーの倫理と愛
 第7章 ニューサイエンス理論のなかの心ー心=意識は何をなしとげうるか
第3部 精神世界と知の構造の変容
 第8章 教養から精神世界へ-高学歴層の自己形成の変容
 第9章 精神世界の主流文化への浸透ー霊性的知識人の台頭
 第10章 新霊性運動と代替知運動ーある農業運動の事例から
第4部 現代世界のなかの新霊性運動
 第11章 セラピー文化のゆくえ
 第12章 宗教を超えて?ー新霊性運動と「宗教」観の変容
 第13章 救済とルサンチマンを超えて?ー現代宗教における「悪」について
 第14章 救済宗教と新霊性運動ー軸の時代からポストモダンへ
あとがき
索引


著者プロフィール
島薗進(しまぞの・すすむ)
1948年生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。東京大学名誉教授、上智大学神学部特任教授・同大学院実践宗教学研究科教授、同グリーフケア研究所所長(2021年度まで)、大正大学客員教授。専門は宗教学、近代日本宗教史、死生学。著書多数。


PS 『精神世界のゆくえー宗教・近代・霊性(スピリチュアリティ)』は、宝蔵館から2022年11月に『精神世界のゆくえ: 宗教からスピリチュアリティへ』と改題されて文庫化された。

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