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2023年11月5日日曜日

映画『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』(2017年、アイルランド・英国・米国)を視聴 ー ロンドン北部の正統派ユダヤ教コミュニティに生きる現代人の男女3人の愛と葛藤を描いたドラマ映画

 

ロンドン北部の「正統派ユダヤ教」(オーソドックス)のコミュニティに生きる、現代人の男女3人の愛と葛藤を描いたドラマ映画だ。


(ロニートとエスティ、そしてドヴィッド。 トレーラーよりスクショ)


ロンドン北部の「正統派ユダヤ人」(Orthodox Jewish)コミュニティに生まれた女性2人。

律法に反する禁断のレズビアン愛が発覚したスキャンダルで、追放されるような形で共同体を去り、ニューヨークに移住した女性ロニート。じつはコミュニティの主任ラビの一人娘であった。

ローニットが去ったあと、取り残された女性エスティは心を病む。彼女に心を寄せていた若きラビのドヴィッドと結婚し家庭をもつことに。結婚して子どもを産んで育てる良妻賢母というのが、女性が保守的で伝統的なコミュニティで生きるための不文律なのである。

写真家として身を立てていたロニートは独身を貫いている。共同体を去って以来、没交渉となっていた父が亡くなったことを知らされ、ニューヨークからロンドンに戻ることに。


(安息日の夕食のシーン 同上)


あくまでも共同体からの「離脱」であって、17世紀のスピノザのように「破門」されたわけではない。

だが、戻ってきたロニートに対する共同体の目は厳しく、腫れ物をさわるような、よそよそしい態度を取られる。親戚が集まる「安息日」(シャバット)の夕食の席においても、生きづらさを感じているがゆえの発言で浮いてしまう。このシーンでは、身につまされる日本人の独身女性も少なくいないだろう。

ふたたびロニートとの愛が燃え上がるエスティ。だがそれは許されぬ恋。配偶者のラビとの結婚生活を捨ててしまいたいと思うまでにいたるエスティ。そんな女性2人と男性1人の愛と葛藤の結末は・・・。





■保守的で伝統的なコミュニティに生きるということ

カギは「正統派ユダヤ教」にある。生活全般を律する教えである点は、ユダヤ教とイスラームはよく似ている。そのユダヤ教のなかでも「正統派」は徹底している。


(トーラーの朗唱に没入するラビたち 同上)


律法学者であるラビが、黒ずくめの衣装に身を包み、カールのかかった「もみあげ」(ペイヨット)を長く伸ばした異様な姿は「超正統派」(ウルトラ・オーソドックス)だが、「正統派」(オーソドックス)はその一歩手前の存在だ。

とはいえ、保守的で、伝統を固く守るという点においては、共通している。シナゴーグ内部も、男性席と女性席が完全に分離されている。男性は1階席、女性は2階席である。


(主任ラビであった父が倒れたシーン 女性は2階席。同上)


既婚女性は外出の際にカツラをかぶるが、「正統派」の女性は髪の毛を剃っていない。この点は「超正統派」との相違点である。

米国のアーミッシュも、ある意味では似たような存在だろう。保守的で伝統的なコミュニティの束縛を逃れたくて、共同体から出ていく者もいれば、共同体にとどまる者もいる。ただし、ユダヤ教徒の場合は、アーミッシュのように20世紀の近代文明を否定しているわけではない。

英国のそれではないが、米国の正統派ユダヤ教徒のコミュニティを扱った映画には、ゼルウィガー主演のハリウッド映画『しあわせ色のルビー』(A Price Above Rubies、1998年)がある。宝石ビジネスにおける女性の自立がテーマの、コメディタッチの作品だ。




この作品と比べると、『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』のほうは、英国のロンドンが舞台になっているためか、またテーマの重さゆえか、画面も暗くてやや重い印象を受ける。


■「選択の自由」と「自由の重さ」

原題は Disobedience(不服従)。伝統社会の掟に背いて服従せず、自分の道を「選択」するロニート、共同体に残る「選択」をするエスティ。「服従」であれ「不服従」であれ、人生の「選択」が求められる。

日本版タイトルの『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』は、女性視点の映画だし、女性の心をつかむキャッチーなものだ。「選択」(Choice)ときーワードが入っているので、よく練られたものといっていい。

英語の終わりのほうで、ラビのドヴィッドが「選択の自由」(free to choose)というフレーズをクチにするが、「選択の自由」なんていうと、わたしなど米国のユダヤ系の経済学者ミルトン・フリードマンを想起してしまう。ただし、映画の舞台は米国ではなく英国。しかも、世俗的なユダヤ人ではなく、正統派ユダヤ教徒のコミュニティだ。

「選択の自由」は、いまでこそ現代に生きる世俗的な日本人には当たり前のものとなっているように見えるが、日本でも地方では、まだまだ伝統社会の縛りはきつい目に見えない「世間の目」も厳しい。「視線恐怖」が生まれるゆえんである。

東京のような大都市では、「世間」は流動化して「空気」になっているが、「世間」そのものが消滅したわけではない。世界中どこにいっても、伝統社会においては似たようなものなのだ。日本だけが特殊ではない

去るも自由、残るも自由。とはいえ、去るは地獄、残るも地獄。危険な道を選択するか、安全な道を選択するか。それこそ選択は自由であるはずだが、自由の重みに耐えられる人間は、かならずしも多くない

「選択の自由」と「自由の重さ」。そんな哲学的なテーマも秘めた映画である。






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